はてなキーワード: マーケティングとは
「どういう年齢・性別・収入・属性をターゲットとしたいから、今回のクリエイティブは〜な方向性で、こういうアプローチで、こういうモデルを使って」みたいなことを考えるのは、広告とかマーケティング的には普通だと思う
40代男。
投信で2800万、貯金と定期預金で1000万、合計3800万くらい貯めてる。
嫁さんは別途1000万くらいあるらしい。
他人と貯金の話ができないのだが、こんなもんなのか、頑張っている方なのか、あるいはもっと貯めないといけないのだろうか。
妻の胸は縮んでしまったが子供のほっぺに変換されたため外でも揉むことができる。
税込年収は700万ちょいで平均以上だけど、一馬力だし世帯年収としては平凡オブ平凡だと思う。
出て行くほうとしては全身ユニクロだし車も中古だし、贅沢してないが特段爪に火を灯しているつもりもない。
世間的にはアッパーマス層というらしいが、自分としてはド平民であってアッパー感は全くない。
アッパー何ちゃらというのは庶民を勘違いさせにかかっているマーケティング用語かなにかじゃないのか。
(家を買った人が貯金よりローン返済を優先してるだけとか?)
青年向け漫画の編集者をしていた。といっても若い頃の話だ。都内にある編集プロダクションを辞めて田舎に帰ったのが36の時だから、おじさんの入り口に立った頃か。今では完全なるおじさんである。
働いていた会社というのは、講談社とか小学館とか秋田書店とか、そういう大手出版社ではない。あくまで編集プロダクションである。出版社と編プロがどう違うのかって……ざっくり言うと元請けと下請けだ。出版社が出版事業(今回だと青少年向けの漫画作りや商業展開)の企画をして、漫画家が作品そのものを作って、編プロは雑誌本体を作って、その制作過程で印刷所やデザイン事務所といった専門集団と関係することになる。
イマイチな説明になってしまった。一般社会の例で説明する。民法でいうところの委託(準委任契約)に当たる。公共建築の分野でいうと、公共機関の建築技師が新しい建築物のマンガ絵を作り、建築事務所が基本設計~詳細(実施)設計をして、出てきた成果物を元に大手建設会社が施工監理し、地元にある中小事業者が実際の土木建築作業をする。
自分が勤めていたのは、この例でいうところの建築事務所だ。受益者(国民=漫画読者)の希望に応えたい組織があって、そこから依頼を受けて動いている関係会社のひとつ。そういうアナロジーだ。
出版社との役割分担は、そこまで分離しているわけでもない。漫画編集者といえば、昔の手塚治虫ほかの自伝みたいに、漫画家とアツいやり取りをしているイメージがある。ああいう、企画経営と制作現場の間にあるような仕事は、出版社の社員が直接することもあれば、編プロが出版社(編集部)のオフィスを間借りして行うこともある。
前者の例だと、マガジン、サンデー、チャンピオンなどだ。コンビニや書店にほぼ必ず置いてあるレベルの漫画誌。大手出版社に総合職コースで入社した人が、(編集、取材、制作、資材、宣伝、マーケティング、総務経理人事その他事務)といった多くの部門のひとつである漫画編集部に割り振られて其処に居る。
後者の例だと、大手出版社が出している漫画誌でも、あなたが聞いたことのないやつもけっこうあると思う。そういうのは、編プロが出版社(編集部)の仕事を丸ごと請けて実施していることが多い。自分は、そういう会社で働いていた。職場自体は大手出版社の中にあるが、いわゆる委託先の社員だった。別の言い方をすると、親雑誌に対する子雑誌の関係。
ほかの長文増田の記事を見るに、あまりたくさん書けない仕様のようである。何文字までかは知らないが、文字数制限があると思う。本当は何万字でも書きたいのだが、あくまで自分が書きたいだけであって、あなたが読みたいとは限らない。一万字以内になるよう心掛ける。以下に、自分が関わった漫画家を2人だけ紹介しよう。最後に所感を述べて終わりにする。
その2人(A先生とB先生。どちらも若手)と私は、分水嶺のような関係(追記;わかりにくい表現ですいません。ブクマカのBuchicatさんのコメントのとおりです)だった。ある日、私が担当していた漫画家のA先生が新作の企画提案に来ていて、同じタイミングで別の編集者のところに持ち込みをしたのがB先生だった。その別の編集者が不得手なジャンルだったこともあり、A先生との話が終わった後で、私も一緒にB先生の作品を読んだ。
その後、編集部の責任者を交えた会議で、私が引き続きA先生の新作の担当者に決まった。新人であるB先生の担当になる可能性もあったが、そうならなかったのは、今の漫画界の一界隈にとって幸運なことだった。
A先生は、雰囲気が暗めだった。人間性まで暗いというわけではなく、心を開くと明け透けになるタイプだった。モードに入ると饒舌になる。
弊誌では、読み切りを何度か掲載したことがあった。アシスタント経験あり。小さい賞を取ったことがある。ヒット作はないが、若き漫画家としてはキャリアがあった。
画力が抜群だった。小学校や中学校で、学習ノートにフシギダネの絵とかをソラでゲームパッケージそのまんまに描く子がいただろう。とにかく天賦の才を持っていた。最小限の画量で、それでいて迫力と感情に溢れた1枚1枚を描く。そういう人だった。
難点は、マジメすぎるところか。少し前にやっていたアニメだと、チェンソーマンに登場するアキくんか(少し前……?)。とにかくマジメだった。いや、やはり『直向き』に訂正する。
A先生は、少年誌に見合わない重たいテーマに挑むことがあった。今でもそうだ。彼のマンガには『緩さ』がない。それもいいところなのだが。私は好きだった。はっきりいって。が、読者の傾向に合っているかは微妙だった。
子どもの頃から漫画が好きだったらしい。中学生の頃のイラストを見せてもらうと、俄然キャラクターへの愛に溢れる作画を見ることができた。中学生らしい、プロには程遠いクオリティなのだが、しかし見ていて違和感がないというか、自然にくっきり入ってくる。
私という人間は、具体例で物事を説明する癖がある。上の「中学生らしいイラスト」を別の事例で表現すると……「うるせ~!!知らね~!!FINALFANT ASY」(短縮URL:https://x.gd/L5cc4)だろうか。以前、いつぞやかのid=pptppc2さんのブックマークコメントがきっかけで元ネタを知ることになった。
あの時のA先生のイラストは、ベルセルクのセルピコだったと思うが、力強い表現だったのを覚えている。セルピコがファルネーゼを抱きかかえて、
「申し訳ありません 道案内を頼まれまして 少し席を外していましたもので」
と言うシーンの模写だった。
さて、そんなA先生だったが、ある時これまた重量級のテーマで描きたいものがあるという。先ほどの、編集部での新企画提案の話だ。
その際、A先生からプロットをもらい、私のデスクで拝見させてもらったところ……うちの雑誌では持て余しそうだった。作品の質が低ければ普通に打ち切りになりそうで、作品の質が高くても――弊誌の売上規模だと会社グループ全体の機会損失になりそうだった。私の前でパイプ椅子にかけているA先生は、不安げな面持ちだった。
内部の話で悪いが、例えば「甲」という雑誌の亜流の「乙」という雑誌があるとする。ビッグコミック(オリジナル、スピリッツ、スペリオール)みたいな感じだ。この時、甲と乙に明確な上下関係があった場合、乙誌に掲載された漫画が甲誌に引き抜かれることがある。その際、甲誌の編集部から言われるのが、
「なぜうちの編集部に見せなかった?」
という意見だ。これは、ストレートに言われる場合もあれば、暗に言われる場合もある。だが、事前に上流の雑誌に見せていたとして、多くの場合は玉虫色の返事があるだけだったりする。
話を戻そう。この時の自分は、編集部の自分のデスクのあたりでA先生の次回作を見せてもらっている。確か缶コーヒーを飲んでいた。
自分としては、A先生のマンガを弊誌に載せたいと思っていたが、先ほど述べたとおり、後ろ髪を引かれる思いもあった。社会派の少年漫画というのは扱いが難しい。その作品が「あしたのジョー」の影響を受けているのは明白だった。「A先生であれば、きっと面白い作品にしてくれるのだろうな」という期待はあった。
うーん、大いに悩むところだ。どうしよう。思いあぐねていたところで、別の編集者から声がかかった。要約するとこんなところか。
「持ち込みに来た人がいる。私の専門じゃないので判断が難しい。門前払いにするレベルではないので、あなたの判断を仰ぎたい。上の人間は今出かけている」
要するに、自分の専門外なので判断できないよ、と言っている。ここも会社なので、編集者の上には当然上司がいる。その人達がいなければ同輩に相談するのが基本だ(余談だが私は後輩だった)。こういう原則は一般の会社と変わらない。
その『別の編集者』というのは、儚い感じの純文系が得意なタイプだった。一番わかりやすい喩えは……『はちみつとクローバー』みたいなやつだ。ああいうのが得意な人だった。
その時は、A先生との話が終わったら行くと告げた。それで、しばらくそのまま話を続けた。
「この作品はいい意味で重たいね。ちょっと考える時間がほしい」
と言って、その日は解散した。A先生は、「お願いします!」と言ってパイプ椅子を立ち、そのまま帰っていった。いつもだったら喫茶店でご飯をおごっている。
A先生は、『いい子』だった。あまり感情は出さないけれど、人間に対する愛を持っている。そういう子だった。私が当時、A先生にご飯を奢って、彼がおいしそうな表情で食べている時、私は幸せだった。A先生が幸福だと、自分も幸福だと思えた。A先生が漫画という手段で自らを表現している時、まるで自分もそれに劣らぬような喜びを得ていた。
ヘンな表現かもしれないが、例えば読者がA先生を褒めている時、自分とA先生との区別がなくなっているというか。彼のことが、自分のことみたいに嬉しかった。これは愛なのだろうか。
持ち込み部屋に行くと、別の編集者と、持ち込みに来た子が対面で座っていた(ちょこんと挨拶をしてくれた)。自分が座る席には作品が置いてあった。綴じられていない原稿用紙がある。ページ数にして30枚ほどだった。もっと多かったかもしれない。記憶があやしい。
実際、B先生の作品は面白かった。コテコテの学園ものかと思いきや、登場人物それぞれに適度な制約があって、キャラクターも立っていた。これまでのキャリアを聞き取ったところ、作品が雑誌に掲載されたことがあるようだ。アシスタント経験もある。
絵の方は、自分がこういうのも大変失礼だが、上手な方ではなかった。どちらかというと、脚本や設定、キャラ作りが得手のように映った。当人が情熱を注いでいる箇所はすぐにわかる。キャラ絵が有名漫画家の影響を受けているとか、キャラクターの台詞回しがハリウッド映画風とか、背景や小物を手を抜くことなく全部描いているとか、そんな具合に。
光るものがある作家だった。これを見抜けないようなのはモグリ――そんなレベルで輝いていた。
私は作品を読み終えた後で、「ちょっと待ってね」と自席に戻り、少し残っていた缶コーヒーを飲み干して、思案を重ねつつ持ち込み部屋に戻った(どうするのが最良かわからないケースだった……)。
それで、テーブルではこういうやりとりをした。
私「イイ作品だと思います。特に、セリフ回しにセンスを感じます。掲載ができるとかここでは言えないけど、話は通してみますね」
B「ありがとうございます」
私「それで、担当はね……縁なので。あなたがするのがいいのでは?」
編「私よりもほかの人がいいと思います。もっと才能を引き出せる人が……」※小さい声で
私「いや、でも恋愛描いてるよ。エンタメだけどいいんじゃない」(こいつ、作家の前でアホなこと抜かしよって)
編「難しいです」
私「でもこれ、縁だよ」(意識が低すぎる……)
編「ほかの作家さんも抱えてるので。いっぱいいっぱいです」
私「わかりました」(トラブル回避のため後で編集長に説明しとこう)
B「すいません。僕の作品はどうなるんですか?」
私「後日連絡しますね。必ずしますから、それまでは他誌への持ち込みは待っていただけますか」
B「あの、はい。できればですが、早めでお願いします。一週間くらいでなんとかなりますか」
私「なんとかしてみます」
作品そのものと、作家プロフィールと、付属資料のコピーを取らせてもらって、彼には外で缶コーヒーを奢った。ビルの入り口まで送ったところまではいい気分だったが、正直、身に余る事態だった。
持ち込み作家の才能がありすぎるのも考えものだ。嬉しい悲鳴というやつ。誰が担当に付くかで今後の雑誌の売り上げに影響がある。重大な意思決定ということになる。
最悪、『進撃の巨人』の時みたいに優れた作家を逃してしまう可能性がある。あれも、実際は諌山先生は門前払いではなく、週刊少年ジャンプの担当が付くか付かないかの微妙なラインだったらしい。それで、誰が担当になるかを押し付けあっている間に諌山先生が他雑誌に持ち込んでしまった、という話が業界団体の公的な飲み会で囁かれていた。
B先生についてだが、一週間後に担当編集が決まった。「別の編集者」でもなく私でもない。当時、若手のひとりだった20代の子が任されることになった。編集部のトップを交えてB先生の原稿のコピーを読んだのだが、「若い感性が光る。年齢が同じくらいの人と組ませる方がいいのでは?」という結論になった。
その20代の子は、上の組織からこっちに出向してきている子で、いわば武者修行の身だった。一流大学出で、本社のプロパー社員。いわゆる総合職である。
最初は、私に選択権があった。B先生の担当になる道もあった。だが当時の私は多忙であり、月に何度も会社に寝泊まりするレベルだった。新人は抱えるべきではない。しかし、才能のある子だから迷いがある。
A先生のこともあった。彼のあの作品を世に出してやりたい。もっと有名にしてあげたい。そんな想いがあった。
私が悩んでいるうちに、例の20代の子が手を挙げたのだ。私としても、彼のやる気と知性と直向きさは買っている。諸手を上げて賛成した。
今思えば、正しい選択だった。もし私がB先生の担当になっていたら、面白い恋愛エンタメを楽しめる読者の数は減っていただろう。これでよかったのだ。
以後のB先生は、例の持込漫画のブラッシュアップを続けた。翌年には、晴れて弊誌に第一話が掲載されることになった。さらに以後は、担当編集とともに二人三脚で躍進を続け、イケイケドンドンの勢いを保ったまま、一度も息切れすることなくスターダムに上り詰めた。今では漫画家として世に知られている。
上で挙げたA先生の意欲作は、読者層に合っていなかった。それでも、高い画力とシナリオ構成の上手さがあったのだろう。その意欲作は、連載期間を積み重ねる度にファンの数が増えていった(業界的には、Amazonの第一巻のレビュー数が人気の代替変数になることが知られている)。
今では、A先生は親雑誌で連載を勝ち取るまでになった。去年だったか。彼の作品をコンビニで立ち読みする機会があったのだが、やはり突き抜けた画力だった。週刊連載であそこまでの画力というのはまずない。
2024年現在、私は東京を離れて田舎で暮らしている。地元の町役場にUターン就職して、実家の農業を手伝いながらスローライフに近い生活を送っている。
実は、編集者だった当時、働きすぎて病気になった。ある日、下腹部の辺りに違和感を覚えて、血の塊のようなものが血管を這っている感覚があった。病院に行くと、「遅くても明日中に入院しなさい」という医者からの指導があった。
それなりに重い病気にかかってしまった。一応は死亡リスクもある。数か月ほど入院した後、どうしようかと考えて、考えて、考えて……編集部に復帰後は、労働を最小限にしつつ転職活動をスタートした。
A先生については、幸いだった。彼の意欲作とは最終回まで付き合うことができた。私が退院した後、無事完結を迎えることができた。あしたのジョーに比べればハッピーエンドだった。
入院中に、A先生とB先生がお見舞いに来てくれたのを覚えている。ほかの編集仲間も来てくれた。A先生は、テンションが低めで、何を考えているのかわからないこともあるのだが、人間への基本的な愛というか、思いやりがある人だった。
もう40才を過ぎている。はてなユーザーの中では平均的な年齢か。思えば齢を重ねたものだが、当時の日々は今でも夢の中に出てくる。
若い頃から編集者をやってきた。身体を壊さなければ続けていたのかというと、多分そうだろう。でも、今の生活も悪くないと感じている。自分語りはここまでにして、締めにしよう。
もしあなたが、Webでも紙媒体でもいい。気になる漫画作品を見つけたとする。面白いものを見つけたと感じたら、ひとまず買ってみるのがいい。Webだと1話単位で売っている。
ひとかどの漫画家というのは、自らが産み出すモノを本気で高めにいっている。あなたのフィーリングが合ったのなら、ひとまず1巻だけでも読んでみる方がQOLが高まると思う。ハズレを引くことはあるだろうが、アタリだってちゃんとある。人生は運試しである。
ネットで言論的な事、ソーシャルメディアでの短文コメントなどでTV局、アパレル、マーケティング、広告、電通などに関する議題で変なマウントじみた上から目線を感じることがないだろうか?例えば広告出稿の実務や電通の業務範囲などの解説に「電通を判ってない」と漠然としたコメントが付いたりする事だ。
亦は例えば脚本家と原作者のトラブルに端を発した自殺に関して「己の近いところに着弾」などと書いて自殺クリエータのナイーブを嗤うような文章だ。
実はこれらには「ギョーカイ」という30年前の知的スノビズムが関係しており、現在のその全ての発言者はただのワナビーだ。故に無視するか嘲笑するのがいい。
だがギョーカイがどういうのか判らない人には判別が出来ないであろうから、ギョーカイに就いてざっと解説したい。
1980年代の大学生というのはまるで勉強しなかった。これは60年代に反権威主義の全共闘世代が大学の知の権威を攻撃して教授や講義の尊敬を解体してしまった事に由来する。その後反体制という態度も流行らなくなり、更には嘲笑、嫌悪さえされるようになっていった。
だが大学の権威は復活しなかった。この為に80年代になると大学はレジャーランドとなり、特に文系学生は教科書さえ買っていないという風になっていた。
更にここにプラザ合意という政治状況が追い打ちをかける。日本は復興を遂げて70年代には経済規模が異常なほど膨れ上がっていた。アメリカがベトナム戦争で、欧州の旧連合国諸国が植民地独立による経済構造変化で苦しんでいた(除西独)のと対照的だ。
だが国民の生活は然程裕福にはなっていなかった。また戦後の窮乏状態から贅沢を忌避する経済道徳があった。
プラザ合意でこれが一変する。これは円高を誘導し日本の対米貿易黒字を削減する政策なので経済構造がそれまでの輸出産業優先のままだと立ち行かなくなってしまう。
そこでそれまで禁止されていた贅沢がお上のお墨付きで推奨されるようになったのだ。国民の経済道徳なんて政策で左右されるのである。文化は決定因子ではない。
また円高によってそれまで贅沢品だった輸入品の価格が下がる。当然購買意欲は刺激される。
この浮ついた好景気が加熱してストックバブルとなり、やがて弾けて失われた30年になったのは皆の知る通り。
この景気加熱はレジャーランド化していた大学生にも影響を与えた。それまで国内アパレルメーカーが若者向けブランドを展開してそれらが人気を博していたが、海外ブランド志向が進み、遊びの高級化が進んだのだ。有名なのがディスコのマハラジャやジュリアナ東京であろう。マハラジャの運営会社はそれまで「並」のディスコを経営していたが、マハラジャで極端な高級志向とドレスコードチェック(アメカジとかは入場禁止で上から下までブランド服必須)にしたところ大盛況となった。
だが大学生が高級志向になったのは自然な出来事ではなく、当時のファッションカルチャー誌が誘導したのであった。
こういう大学生に影響の大きかった雑誌にマガジンハウス社のPOPEYE(以下ポパイ)と講談社のホットドックプレスが挙げられるが、この二つは性格が違った。ポパイが先行、ホットドックプレスが追走、イノベーター理論で言えばポパイがアーリーアダプター志向、ホットドックプレスがマジョリティ志向という感じだ。
マガジンハウスはファッションカルチャー専業だけあってイノベーター人脈があるから未来への提案という形で誌面が作れる。
一方、ホットドックプレスは大出版社なのでもっと安牌志向だ。あまり冒険すると滑る危険がある。
そして流行に於いてマジョリティを相手にするという事は、アーリーマジョリティになれとけしかける事であり、故に強迫観念的になるのである。大学デビューした若者にファッションや遊びを勉強しろと迫る性格を帯びる。
山田五郎氏はyoutubeの「オトナの教養講座」を運営して大変引き出しが多くて教養がある人物だ。同氏は同誌の80年代の編集長であった。
教養人だが編集長時代はマガジンハウスの後追いで背伸びしたい若者に楽しいライフスタイルの提供というよりも「これぐらいマスターしないとモテないぞ」とオブセッションを刺激して走らせる誌面を作っていた訳で、正直そこについては評価できない。
これはホットドックプレスが悪いというのではなくて、トレンドの後追いする方は強迫観念に訴えるようになるという例だ。
そんな雑誌群でやたらと持ち上げられていたのがTV局、アパレル業、広告代理店という業種だ。
ホイチョイプロはこれらのブームが起きる前から広告代理店漫画を書いていたが、このブームに乗って多角展開するに至った。広告業の業務中で電通だけが特別視されたり、変なマウント取る奴が現れたりするのはこのホイチョイプロの影響である。
またとんねるずはパワハラ芸とTV局の内輪ネタで若者の歓心を得て売れるようになった。
特に初期のパワハラ芸が有名だがこのパワハラは芸人同士のそれではなくてTV局での上下関係に限られるのがポイントだ。TV局内とスポンサーなどの上下関係はギョーカイなので売り物になったのである。
故にギョーカイというのは単にがTV局、アパレル業、広告代理店という業種を指すのではなくて、当時の風俗上の序列に裏打ちされたそれら業界という事が出来る。広告代理店業務を特別視してマウントするという態度の背景には、輸入ブランド志向、高級ディスコ、VIPルーム、見せる為の彼/彼女、ポストモダン思想という今では時代遅れの事物の文脈がある。
一方、家庭を築いて建売とかと言った一般的な価値観は外部化されていて入っていない。
先に述べたように流行の浸透期には強迫観念に訴える形の言説が商売になる。面白いものがあるよ、じゃなくて時代に遅れるな、だ。
これらはもう時代遅れだが、この強迫観念に訴える扇動の効果は残っていて、広告やTV局に関する事が話題になると、今でも「電通の本質は違う」などという謎マウントが湧き出すという原因になっている。
特に地方在住者に顕著だ。広告への関係の仕方は様々あり、出稿する立場、印刷を受注する立場、看板屋など様々な立場の人間がネットに書き込む。また電通の業務のうち広告ではない部門、人材派遣やイベントプランニングなどに関する議題で書き込む人も居る。
それらに対して謎マウンティングしでいないではいられない人が現れるというのもネットの常だ。
これらの人は自分が参画しえない場所の話だったホイチョイプロなどのギョーカイ話を実業務での経験(他者の含む)で上書き具体化するのに失敗し続け、レイトマジョリティ転落の強迫観念で駆動され続けているのである。
彼等の言い方は、「電通とは」など目前の具体的解説よりなどまるでその評価軸が高級だったり知的であるかのようで、事情を知らない人は騙されてしまうが、その実は時代遅れの流行追っかけの知ったかぶりでしかないので、騙されないようにして貰いたい。
「インターネット下さい」やソーカルにコテンパンにされたポストモダンの亜種である。
この辺の事情を知っていれば、「己の近い場所に着弾」とか原作者の自殺をそのナイーブさ故と揶揄するAI画像を投稿してTV局の事情通風を吹かす者が現れたとしても、その破廉恥さに憤るよりも前に、その者がオピニオンバラエティに数回出ただけでドラマには関係してない事、職域が権利者との折衝と重ならないであろう事、出演回数的に業界風吹かしたい欲が最大化される地点である事、年齢的にギョーカイ特別視のレイトアダプター層である事、とんねるず世代などに着目し、地方のバーで「業界出身の人」ってこういう感じだよなぁなど感慨に耽り、祇園精舎の鐘の音が胸中に去来するはずである。
またマナの力に長ける者であれば、AIに向かって「政権のブレーンとして官邸に出入していた事がある事は履歴的に自慢したくなりますよね?という建前を押し出した笑顔の発言者の前で、現在相手にしている読者層がその政権へのドグマ的批判を共有するので炎上と評価低下を恐れて答えに窮し発言者が善意の天然なのか悪意があるのかはかり兼ねて引きつった笑いを浮かべる男性」という詠唱により画像を得る事が出来る筈である。
「TVに出るようになった切っ掛けってそのブレーン抜擢ですよね」と発言を重ね掛けする画像でもう一枚行けそうである。
いずれにしてもTVや広告業などの話で具体性も無いのにウエメセマウンティングが発生したら、その実は以上のような事情で背伸びしたい「追いかける人」であるので、良く知らんけど高級な知識っぽさに騙されないようにして欲しいものである。
強いテーマを持って漫画を描き、一つの文芸作品として扱い、絶対主張を曲げない原作者もいる。
その一方で、ビジネスライクにマーケティングをして受けそうなテーマで漫画を描き、
その代わり視聴率取ってバズらせて漫画で儲けさせてくださいと注文つける原作者もいる。
まぁ、大変よな。
とりあえず乾燥機を買え
よくお日様の匂いと言うがありゃ正体は残留した皮脂等が紫外線で分解されたアルデヒドや脂肪酸の匂い、気中の常在菌なども作用している
だが一体型ドラム式はやめておけ
洗濯機から乾燥機に移す手間はかかるが外干しの手間と比べれば屁でもない
そもそも洗濯機もドラム式はおすすめしない、ありゃ欠陥品だと開発者も認めている
あとついでに、やたらと高い洗濯機を買う奴がいるがこんなものは消耗品と割り切れ、三種の神器の時代じゃあるまいし
激安Haierと三菱謹製最高級洗濯機でも洗濯性能はまったく変わらない
洗剤の効果と水温は明白な相関がある、粉だろうが液体だろうが同じ
今回のAdoの件、ブコメ等を見ていても基本的にはAdo側に同意する意見が多く、自分も同じような意見なので、
それに反論する側にさらに反論する必要は本当は無いのかもしれないけれど、ちょっと考えた事が有ったので書いてみる。
自分が違和感を持ったのは以下の「Adoのお気持ち表明内容に違和感を覚える」等の意見。(この増田は一例で、大雑把にこの辺の意見)
その中でも「創作者に対しマイナスな意見を言うなという事か」「周りをイエスマンで囲いたいのか」といったタイプの意見に違和感を覚えた。
こうしたタイプの意見が前提にしているのは、例えば以下の増田の文のような、「創作者はマイナスな意見も許容すべき」といった価値観。
それに、クリエイティブを世の中に公開したときにマイナスの反応が出ることを押さえつける、否定するのって提供側としてあるべき姿なのか?
クリエイティブやってれば思ったとおりに受け取ってもらえないことや、逆に迷惑に思われちゃうことだってよくあるじゃん。
表にアウトプットを出す以上、そういう反応が出ることもひっくるめて覚悟キメる必要があるんじゃないかなーって思った。
さよなら絵梨でも主人公の父親が言ってたじゃん。創作やってれば自分が傷ついちまうこともあるって。私はこの感覚・価値観大事だなあって思うんだよな。(今回は創作物自体というよりコラボについてではあるけれど)
なもんだから、クリエイティブをやってる側が「私が正しい、お前たちが間違ってる、正せ」ってよう言えるなあって。
自由な意見を配慮に欠けた言葉として区別して、攻撃された傷ついた、傷つけた人間は悪、ってドツボにハマってるのはAdoの方なのではと思ったりした。
「あいつはけなした、僕は怒った、それでこの一件はおしまい」とか、畜生ムカつくなあ今に見てろ、みたいなマインドが大事というか。
「私は嫌だからブロックする」っていうのと「こんなやつはブロックされて当然の人でなしだからブロックする正しさが私にはある」ってのは全然違うというか。
この増田については、まずおさえるべき点があると思う。
・Adoは「コラボに対してマイナス意見を言ってる方やそれに賛同してる方々へ」今回のツイートを書いているという事
増田はあたかも「Adoは創作物へのマイナス感想も表に出すべきではないと言った」というような書き方をしているけど、そうじゃないんだよね、あくまで「コラボに対してマイナス意見を言ってる方やそれに賛同してる方々へ」なんだな。
創作においてたしかにマイナスの感想を拒絶し、イエスマンだけで周りを固めることには一定のリスクが有る。つまりマイナス意見をきっかけとした成長ができなくなる、という事だね。
けれど、「コラボに対して」に限定している今回の件ではこれは当てはまらない。
それに今回の件についてはさらに話がずれるっぽい。どうも、Adoのファン(自称)がコラボ相手に対し「パクリコピー」だのなんだのと誹謗中傷した、というのがきっかけらしい。
「自分のファン(自称)が他者(コラボ相手)に迷惑をかけている、困った」という事態で、ファンに自制を求めるのは常識的な対応だと思う。むしろやらないほうがどちらかといえばまずい。(ただ、やる義務があるかは微妙かな? やったほうがいい、程度か)
さてここで、通常のイエスマンはまぁ大雑把に以下の様に定義できるわけだけど
今回のファン(自称)がこれに対するノーマン(?)かというと、むしろ形を変えたより厄介でトキシックな別のイエスマンの様に見える訳だ。
トキシックイエスマン:対象に対してはプラスな意見(本人の中では)しか言わないが、その周囲に対しトキシックな言動に出る人
で、言いたいのは、このトキシックイエスマンに囲まれることは、単なるイエスマンに囲まれるより更にまずい事態になるんじゃない? ということ。
そして厄介なのは、往々にしてこのトキシックイエスマン自身の自認は「自分は対象に対しマイナスな意見も言えてる」だったり「自分はイエスマンに囲まれる事態を防いでる」だったりすること。
しかし実際には、その人の言動が創作にプラスに繋がることはないし、単なるイエスマンに囲まれるより更にまずい事態しか引き起こさない。
ただのイエスマンは自分の成長が阻害されるだけだが、トキシックイエスマンの場合周りに迷惑を掛けてしまう。周囲を巻き込む以上、問題の大きさも質も段違いになってしまう。
VTuber等を見ていても、こうした「本人に対しては全肯定に近い態度だが、その周囲やコラボ相手に対しトキシック」な人はたまに見る。厄介だなぁ、と思う。
それがファンではない外野から見ると「本人に対してマイナスな意見も言える非イエスマン」に見えているとしたら、更に不要なこじれが発生してしまっている、より厄介だ。
こうした厄介さは「イエスマン」という既存の語彙だけでは捕捉できないのが問題なのかな? と思ったので、今回は仮に「トキシックイエスマン」というあたらしい語彙を作って考えてみた。
最後に蛇足。自分も創作者のはしくれなんだけど(この話題で自称するにははしくれ過ぎるが)、個人的には「マイナス意見の効用」についてもあんまりあるとは思っていない。
これは自分がやってるのが小説で、音楽とは事情が異なるというのもあるかもしれないので本当に蛇足なのだけど、
小説の場合、基本的に書くのは結構孤独な作業で、例えば新人賞に作品を送る場合でも誰にも見せずに送るという事もザラで、それで普通に受賞しちゃうケースも勿論ある。(自分がそうかは伏せる)
もちろん編集者の目や校正は入る訳だけど、それはマーケティングだったり専門知識だったりがある程度入っていて、素人のマイナス意見とはすこし質が違う訳だ。
もちろん役に立つことがないわけじゃないけど、基本的にプロでない人のマイナス意見やマイナス感想がその作品やその後の作品の役に立つと思うのは、少し希望的観測が入り過ぎかなぁ、と個人的には思っている。
それに、逆に自分がほかの人の作品に対し「有益なマイナス意見」を言えるかというと、真面目に考えるとムズイよなぁ、と思う。プロ同士でもそういうのは難しい。
だもんで「あいつはけなした、僕は怒った、それでこの一件はおしまい」も、あの漫画の話のようなプロの批評家の場合ならともかく、素人のマイナス意見にそのまま適用しちゃうのは、ちょっと微妙かなと。
もちろん感想を言う側としては「自分の感想が自由に言えて、しかもそれが役に立つ」となったら嬉しいのだとは思うけど、それって「チートスキルで自分を見下してた奴らを見返す」みたいな一方的な都合のいい話でしかなく、
基本的にそんな都合のいい話は無いよ、と感想を言う事もあれば言われる事もある側としては思う。基本的に「お客様は神様」的なご機嫌伺いよね、あれ。
ので、じつは「イエスマンで周りを固める」ことの方のリスクも、(デビュー済みで既に才能が確約されている場合は)思われているほど高くは無かったりするかもな、と。(特にAdoのような天才の場合は、Adoのような天才の役に立つマイナス意見を言うのって、その為の才能が無い限り無理ゲーかなと)
むしろそのリスクが高いと「思いたい」のって、非イエスマン自認の人の方で、それは実は自身を守るための希望的観測または願望に過ぎないのかもしれない。
とはいえもちろん、有益性の問題と自由の問題は別なので、「自分の感想は特に役には立たず、有害なだけだが、自由なので言う」という態度はアリだとは思う。ただ誹謗中傷にはならないように気を付ける必要はあるね。
パルワールドのモンスター(パル)がポケモンのパクリだとして主にデザイン関連で様々なお気持ちに晒されている。
アクロバットな無茶な論理での叩き方も多数ある一方、燃えている要因として挙げられてるいる中では「必要以上に意匠が寄せすぎ」「元ネタへのリスペクトの無さ」「元ネタの知名度に乗っかる意図」あたりについてはまあそうかなという印象を受ける。このゲームはPVから先に作っていることも公言してるし少なからずそういう面はあるだろうとは思う。
ところで、アイドルマスターシンデレラガールズというゲームがある。モバゲーがやってたアイマスで、デレマスとかモバマスとか呼ばれ後のデレステとなるゲームである。
このゲームの初期のキャラの多くは既存の何かのキャラクターや人物のパロディだった。
かなり分かりやすい例だと
のように、既存キャラデザに全乗っかりをしているアイドルは結構いる。他にも、
等、アニメ/漫画/ゲームだけでなく生モノの実在の人間を元ネタにしているものもある。
元ネタの知名度をこちらのアイドルの知名度が上回ってしまったものも多い。
これは当時はどちらかというとパロディとかオマージュとしてユーザに気づいてもらうためのデザインだったように思う。
ただ、やっぱり方針が変わったのか、こういったキャラは後からイラストを変えたり出番を減らしたりしていった場合が多い。(ただし人気が出て声が付いてしまったキャラは元ネタがあろうが消えにくくなる)
個人的にはパルワールドもデレマスもデレステも結構プレイしているのでどちらにも肯定的だけど、パルワールド基準で行くとこの辺も燃えてもおかしくなかったように見えてしまう。
ポケモン複数体の融合とかですら無く単品の元ネタのものは多く、マーケティング目的で他所のキャラデザを節操なく使っており、銃は出てこないにせよ特に元ネタに忠実な動きをしないキャラは多いし(逆に設定を他所からコピーしてる場合もあるけど)、後からフェードアウトさせるのにも開発側の後ろめたさを感じる。
だが、こちらは(少なくとも見えてる範囲では)そんなに大きな問題になることもなく、いい感じに洗浄に成功したように見えるのが興味深い。
等いろいろ考えてしまう。勝因/敗因はどのへんにあったんだろうか。
というより、「どうせ炎上してプレイできなくなるから今のうちにやらないとというユーザー心理を織り込み済みのマーケティング手法」だろ、2つ前の増田がいってることは。
なぜパルはポケモンに似ているのか
「ポケモンではないがポケモン的なるものを表現したもの」を「ポ○モン」と呼ぶとするならば
「まるでポケモンを狩ったり解体したり使役する体験」を表現する手段としてパルというポ○モンが必要となった
ここで例えば全くポケモンを知らない人がパルワールドをプレイした場合はカワイイARKという感想になるだろう
オリジナルの世界でオリジナルの野生動物を狩ったり解体したり使役するゲームとしてのカワイイARKも十分にゲームとしては成立する
しかしカワイイARKではマーケティング上のインパクトが弱いため「あのポ○モンを狩ったり解体したり使役するゲーム」という表現が必要になった
ゲームの世界では特に「従来からの逸脱」というのは大きな意味を持ってプレイヤーに訴えかけるものである
本家ではブランドイメージから不可能なレベルの「逸脱」をポ○モンを使って(ポケモン世界を借りて)表現することが可能になっている
そしておそらくそこがポケモンプレイヤーからの反発を招いている部分でもある
ちなみに似ているのではなく似せてデザインしているとしたのは
・見た目だけでなく複合タイプや技タイプなどシステム面でのデザインにも類似点がある
https://anond.hatelabo.jp/20240122183330 の続き
ウイスキーの製造に使う大麦麦芽は成長を止めるためと貯蔵のために乾燥させられている。この乾燥に用いられる燃料のうち伝統的な燃料がピート(泥炭)である。このピートを燃料とするとピートの香りが麦芽に移りこの麦芽を使ったウイスキーにはピーティと言われる香味(燻製のようなスモーキーさとヨードチンキや正露丸のような薬品香)がもたらされる。その香りはピートを燃焼させたときの燻煙に含まれるフェノール化合物によるものであるが、その麦芽に含まれるフェノール化合物の割合をフェノール値と言いppmを単位として示される。このピートはスコットランドに広く存在するがアイラ島のピートには海藻由来の成分が多く含まれ特に薬品香を強くもたらすと言われる。このピートで乾燥させた大麦麦芽を使った原酒は程度の差こそあれアイラのみならず多くのスコッチウイスキーに使わている。また日本のウイスキーにも広く使われている。
ウイスキーがどれくらいピーティかは実際にはフェノール値だけでなく蒸留のどのタイミングの蒸留液をどう使うかや熟成に使う樽によっても変わるのであるが便宜的にフェノール値を用いてほぼ0の場合をノンピーテッド、それから順に(人によって違うが)10ppmぐらいまでをライトリーピーテッド、25ppmぐらいまでをミディアムピーテッド、50ppm台までをヘヴィリーピーテッド、その上をスーパーヘヴィリーピーテッドとしてウイスキーを区分することがある。ただ特にフェノール値が非常に高いような場合、例えば150ppmのウイスキーを飲んでも50ppmの3倍スモーキーだと感じるようなことは(増田の経験上は)ない(多分それを目指して作っていないと思う)。フェノール値はあくまで目安である。
ウイスキーには様々な成分が溶けているがその中には冷却すると目に見える澱や白濁の原因となるものがある。この原因となる成分を除去するためにウイスキーを冷却して濾過するのだがこの成分にウイスキーの香りや味わいの成分が含まれるとして香味が薄くなるのを避けるためにこの冷却濾過をしないウイスキーがある。このような冷却濾過しない製法もしくは冷却濾過していないウイスキーそのものをノン・チルフィルタードと言い、一般にラベルにNon-Chillfilteredと書かれている。冷却濾過は大量生産するウイスキーの味の均一化という側面があるとも言われる。
スコッチウイスキーの蒸溜所は地域別(ハイランド、スペイサイド、ローランド、キャンベルタウン、アイランズ、アイラ)に分類されることが多い。ここではスペイサイドとアイラの蒸溜所の一部を紹介する。ここに挙げた蒸溜所はすべてモルトウイスキーの蒸溜所である。
日本のウイスキーはスコッチウイスキーから大きな影響を受けている。そのため法律に基づく部分を除き日本では用語等はジャパニーズウイスキーとスコッチウイスキーで同じ意味で使っていると言えるのであらためて説明しない。日本のウイスキーについてオーセンティックバーで見ることが多い銘柄のうちいくつかを紹介する。
もともと日本のウイスキーの定義は酒税法で定められたものだけで非常に緩く輸入した原酒を日本で瓶詰めしただけのウイスキーがジャパニーズウイスキーと称されて販売されたり、酒税法上の焼酎が海外でジャパニーズウイスキーとして販売されたりしていた( https://toyokeizai.net/articles/-/216248 )。その問題への対処として業界団体である日本洋酒酒造組合が「ウイスキーにおけるジャパニーズウイスキーの表示に関する基準」でジャパニーズウイスキーを定義した( https://www.yoshu.or.jp/files/libs/550/202303291553482719.pdf )。この基準の施行前に販売していたウイスキーについては経過措置により従前の表示が認められているが2024年3月31日で経過措置の期限となるためもしかすると一波乱あるかもしれない。
その3へ続く https://anond.hatelabo.jp/20240122184434
最低な発想だけど売れない人間と付き合うのやめてくれって思ってる
人に注目してもらってお金稼ぐ仕事してるのに売れない同士で組んで何かいいことある?
芸能人ってウケてなんぼの仕事でしょ?うちらの推しはまだ掘り出されてないだけとか本当に思ってんの?
もう次の若手がバンバン呼ばれてるんだから掘り出されようがないんだよ年齢的に
それなのに同世代でバカ売れしてる人見てその人の売り方に文句つけるのアホすぎる。マーケティング大成功してるじゃん。うちらの推しは大失敗してますが?
こないだの舞台だって正直座組の中で一番下手だったのに顔がいいスタイルがいい以外に何を売るん?正直私は見てて恥ずかしかったよ。演技を売りにできるレベルになんか達してない。
仕事がない身内同士でつるんでるだけのファンクラブ動画見ても「あっ仕事ないんですね〜😅」にしかならなくてきつい。実際仕事ないから暇なんだと思うけど。
売れてなくてももう少し頑張る姿勢見せてくれないと応援してる側もしんどい。頑張ってるから応援したくなるのであってあなたはありのままでいいとかいうママをやれるファンじゃないんだよね。つらい。
宮崎駿監督の『少年とサギ』は1月25日にコロンビアで初公開される。初公開に先立ち、地元の女性が約2万5000コマ描いたと大手メディアを説得して話題になったため、この映画は予定外の、おそらく評価されていないマーケティング活動を受けている。映画の制作のために。
ジェラルディン フェルナンデスは、コロンビアのバランキージャに拠点を置き、建築用ガラスとアルミニウム製品を製造する会社、テクノグラス社のグラフィック デザイナーです。しかし、最近の一連のインタビューで、彼女はスタジオジブリの最新映画の制作に深く関わっていることをいくつかの主要メディアに納得させた。彼女の主張に対応する記事のほとんどは、エル・ヘラルドやエル・ティエンポなどの報道機関を含む出版社によって削除されたが、以下にリンクされているもののように、一部のインタビュークリップがYoutubeに再アップロードされている。
流石に草。
「ほったらかし投資」をはじめ山崎元氏の活動は多くの個人投資家のガイドになったが、数々の主張の中にはまだ一般的には受け入れられているとは言い難いものもある。
これらを列挙して追悼したい。順番は個人投資家の意思決定に影響を与えそうな順。
理屈上、株式には、低成長でもリスクフリー金利よりもかなり高いリターンがあっておかしくないし、マイナス成長でもそれは同じなのだ。
(中略)
直観的にはかなり受け入れがたい主張の筆頭。行動ファイナンス的には、その直観に抗って合理的に考えられる投資家が得をするのだろう。
外国為替市場では、通貨の交換比率と金利がセットで取引されているので、高金利の通貨をロング(買い持ち)しても、低金利の通貨をロングしても、母国通貨ベースで期待される利回りは基本的にはどちらが高いとも言えない
(中略)
外国債券は、国内債券と比べて期待リターンが高いとは言えないのに、そこそこの大きさの為替リスクがあるので、リスクに対するリターンの割が悪いから持たなくていい
米10年債利回りが4%という2024年の投資環境に刺さる主張。ただ為替の理論から本当に理解しようと思うと難しすぎて私は諦めた...
長期的には株式のリターンに対してインフレは「中立」だと考えられる
(中略)
インフレだから」あるいは「インフレに備えて」何か特別なことをしなければならないとか、何か有効なことが出来ると思わないようにしよう。
投資業界の作るマーケティングストーリーに踊らされることに山崎氏は警鐘を鳴らされていた。
ドルコスト平均法が投資として有効にリスク・リターンの関係を改善している(たとえば分散投資のように)と考えているとすると、それは「勘違い」なので、正しく理解しておきたい。
(中略)
ドルコスト平均法が、「ゆっくりリスクを取っているだけだ」ということと、「買った後のリスクは縮まないし、積み立て後半には、リスクが過大になっていないか注意が必要だ」という2点を押さえておいてほしい
ドルコスト平均法に説得されて積立投資を始めてみようと思った人にはショッキングな主張。ただ害もあまり大きくないと感じたのか、晩年の山崎氏はドルコスト平均法に対する態度をいくぶん軟化されていた印象。
「ハイリスク・ハイリターンの原則」と呼ばれるのは、リスクが大きな資産は平均的なリターンが大きくなるよう市場で価格が形成されるということなのだが、この対象になるのは、株式や債券、不動産への投資のように、生産活動にお金(≒資本)を提供する際の価格だ。
(中略)
市場で売り手と買い手が「ゼロサム・ゲーム的」に将来の価格を当てる競争をする構造のマーケットでは、「ハイリスク・ハイリターンの原則」は働かない。
山崎氏はプラスサムゲームを「投資」、ゼロサムゲームを「投機」と呼んで区別されていた。常々おっしゃっていた「投資はリスクプレミアムのコレクションである」という主張とも通じる本質的な教え。
面接に行く日々だった。
そのホテルは郊外にあり源泉かけ流しが売りで、ホテルの予約サイトのマーケティングに関する仕事とのことだった。
勤務先はホテルの本社がある都心で通いやすそうだったしし「未経験歓迎」とあったので、ハロワの担当者と相談して応募することにした。
履歴書を書くにあたり、マーケティングというものについてもネットで少し調べたりした。
後日一次面接に行き、おそらく働き始めたら上司にあたる方とお話した。
優しそうな女性で、仕事内容についても簡単に教えてくださった。
パソコンが使えるかなど聞かれ、スキルがあるということも伝えたところ好感触だったようで、面接は終始穏やかな雰囲気だった。
最後の方で「よろしければ二次面接を受けて欲しい」と言われ、その場で次回の日程を調整し、退室。
二次面接は社長が来るそうだが、忙しい人なので…と、日程は数日後に決まった。
二次面接の日、会社がある1階の駐車場に、派手な赤いスポーツカーが停まっていた。
一次面接の時は無かったので、社長のものかもしれない。そう思いながら階段をあがった。
この日は一次面接の際の方と、社長、他にも何人か面接官として人がいたが、詳しくは忘れてしまった。
自己紹介をし、志望動機などを話したところで、社長から「マーケティングについて勉強してきましたか?」と聞かれた。
私は正直「勉強」という程のことはしていなかったし、嘘をついては後々ボロが出ると思い、ネットで少し調べた程度だとオブラートに包んで伝えた。
社長は不満気な顔をした。
「未経験歓迎」とはあったが、おそらくこの人は「マーケティングの勉強はしているが実務は未経験」そういう人が欲しかったのだと、今振り返ればそう思う。
それならそうと言って欲しかったし、早々に面接を切り上げてほしかった。
社長は次に「弊社のサイトが今こういう作りだが、集客力を上げるにはどのように変更したら良いか」とホームページを見せてきた。
不勉強であることを前置きした上で、自分なりの知識などから改善点と思わしき部分を伝えたが、社長は「偉そうに」と声をあらげ、私の事を責め立てた。
この人にとっては「面接を受けに来るぐらいうちに入りたいのに、勉強してこなかったとはなんて失礼なやつだ」と思っているのかもしれない。
だが、私はただ働ければどこでもよかったし、マーケティングという仕事も興味があるというそれだけだった。
ムカついたので自分なりに食ってかかったが、中年男性のデカ声に勝てるはずもないまま、面接は終わった。
一次面接の際の女性が玄関まで送って下さり、出たところで抱きしめてくれた。
「ごめんなさい…あんな人だけど普段はいい人で…」と泣いていた。
私は、いやいやこちらが不勉強で申し訳ないと謝り、その場を後にした。
本当に働きたいなら本を買うなりして勉強してから面接に挑むのが普通だったのだと思う。
ただ私はもうこの会社のホテルには絶対泊まりたくないと思ったし、周りにもその事を話した。関連施設も利用しない。
たかだか面接でと思うかもしれないが、面接を受ける人は部下でもなんでもない、客側にもなれる人なのだ。
別に1人2人客が減ろうがどうでも良いと思われてるのかもしれないけど
2022年アニメのエスタブライフが今更ながらめっちゃ面白かったので、みんな見てくれって話。
ちなみにFOD独占だったみたいだけど、今はアマプラでもやってる。
https://www.amazon.co.jp/dp/B0B51DVC1W
https://www.amazon.co.jp/dp/B0B649HFDQ
追記:すまねえ、アマプラで無料なのは1話だけだったわ。FOD独占が憎い。ろくに作品紹介もできない。 勘違いでした。はてブ感謝
正月番組でやっていた「『BLOODY ESCAPE -地獄の逃走劇-』公開直前スペシャル」という特番。その中でテレビシリーズから選りすぐった3話分を放映していた。
「このすば」よりさらにぶっ飛んでいる設定なのに、アニメの新作はほぼ全部チェックしている増田の記憶にない。なんだこの作品は?となった。
そしたら番組中にエスタブライフというキーワードがチラチラ出てきて、「BLOODY ESCAPE 」はどうなった?と思いながらググった。
ちなみに魔法少女(CVくぎゅう)は後の回で登場するぞ!かわいい。
こんな作品です(公式Xより)→https://x.com/establife/status/1742567880825487715
自分のnasneを検索したら、なんと2話以降の録画が残っていてびっくり。全く印象に残らない凡作と判断して、1話切りしていた。
しょぼいカレンダーで調べた所、MXで再放送し、フジの+Ultraでさらに再放送し、計3回も放送していた。なのに話題にならなかった。どう見ても実況向きなのに、ニコニコ実況に残っていたコメントも非常に少ない。
東西冷戦みたいな政治を風刺していたり、おバカ回やちょっと泣けそうな話など、多様な内容でフルメタ風味あるかも。
官僚主義的な東池袋の水族館でショーをしているペンギンが、さいきょう線の開かずの踏切を突破して西池袋に亡命する話とかおバカすぎて大好きだった。
(追記)そうそう、マルテ脳内会議も面白かった。マルテはスライム型人間なんだけれど、エステを押し倒したい過激派と穏健派に別れて戦ってたら、実際の身体も分裂しちゃう話。合体した時に泡沫政党のノーパン派(こいつはノーパンしか言わない)が2議席に倍増しているのに注目!ほんとバカアニメ。そしてお台場クラスタに繋がる。
↓↓↓当時のまとめ
【マルテース脳内会議、穏健派と強硬派が分裂、ぶつかり合うwww】エスタブライフ グレイトエスケープ -第4話感想まとめ-
https://ttb-superdata.blog.jp/archives/13806445.html
・最初のつかみが必要なのに、1話が平凡すぎた。魔法少女の2話と入れ替えればよかったのに
・FOD独占という悪。当時TverやAbemaやニコニコでオンエアーしていたら反応はだいぶ違ったはず。 すみません。確認不足で「FOD独占先行配信、遅れてテレビ放送やTVerで配信」でした。これは大外れ
作品自体はとても面白いのに、構成とプロモーションがあまりにも下手だった。ちなみに初回放送より、テレ東の再放送の方がニコニコ実況のコメントが倍以上多かった。
12話一気に見てしまって世界観に惚れ込んだので、今月配給が始まった映画版の『BLOODY ESCAPE -地獄の逃走劇-』も観てきた。エスタブライフの名前を使っていない時点で、マーケティングセンスが絶望的。
ポリゴン・ピクチュアズの映像美って感じで映像は良かったけれど、内容としては60点くらい。良作とは思うけれど、テレビシリーズとは似ても似つかぬ暗さだった。
あれだけ人情深いエスタがまるでコンピュータのような、人格が消えてしまった感じ。攻殻機動隊の漫画版と映画版くらい違うパラレルワールドだった。期待と違って残念。
カバネリとか刻刻とかID-0みたいな、ああいうちょっと暗い雰囲気が好きな人は気に入りそう。
一番コメントの多かったTOKYO MX放送のニコ生実況コメントのxmlファイルをアップしました。ニコニコの規約では非商用に限り利用OKだったので再配布可能と判断。わかる人だけ使ってください(ニコニコ実況過去ログAPIに感謝)
https://drive.google.com/drive/folders/1QKp0pEzdPekPWxoGIl6UIrgC_G2gtPen?usp=sharing
・commeonをダウンロード
・Googleドライブから取得したxmlファイルをcommeonで開く
・"K"キーで「キター」のコメント、"A"キーで「A」のコメント、"B"キーで「B」のコメントに合うので、上手いことタイミングを合わせてください
いわゆるタイムパフォーマンスとは別の文脈で本を効率的に見つける手段としての本の紹介チャンネルみたいなものを探しています。
でも本要約チャンネルのようにものすごく低い解像度で本の紹介をし、その紹介内容も執筆内容自体になんの敬意もなく己のマーケティング欲求だけで制作しているような軽薄(かつタイパ用途)なチャンネルは除外したいと思ってます。このチャンネルはマジで害悪だと思っていて個人的には無限に健康知識本を紹介する傾向があることから令和のみのもんたって呼んでます。FUCKノイズ。
一方でアバタローのように普段自分が読まないような古典名著を周辺の歴史的背景や教養知識も含めた解像度の高い形で紹介してくれるチャンネルは未知の本を読んでみようという気になるのでとても有用だと思ってます。
そこで詳しい皆さんにお聞きしたいのですがアバタローのような高い解像度で面白い・有用な本を紹介してくれている書評系YouTuberのチャンネルがあったら教えてもらいたいです。
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