はてなキーワード: ホイチョイとは
昔の電通 - MechaAG
https://l.pg1x.com/88DMELqTmB2NcsZ36
Xユーザーの神奈川 名無し(にっしー)さん: 「私がMechaAGと決別するきっかけになったのは、この人が「PCR検査拡充論は陰謀論」と認めた事だった。 「そんなバカな」と思った。 WHOのテドロスが「テストテストテスト」と訴え、日本医師会の中川会長も賛同した、あのPCR検査拡充論が、神真都Qとかと同じ陰謀論だって???」 / X
https://l.pg1x.com/hkuK39vwmrCbqkae7
なるほどなぁ。よく分かるお話だ。こことか。
「むかし一位だったから、これからも一位のはずだ、そうなってないのは組織のせいだ、というのはどういう理屈なんですかね。」
凋落の仕方であって、俺の大嫌いな田端の擁護なんかしたくないけど「一位の矜持はその後にも現れる」ってもんで。
でも、まぁホイチョイの漫画の表層的な部分が、カルチャーの芯の部分まで喰ってたら「確かにダメ落ちするわな(笑)」ってなるので。
この人のこの「」後ろからの一連の怒り・憤りのテキストは、田端への怒りなのか、電通現状(と言っても21年のお話)批判への反論・反撃なのか、さっぱり分からん。
そして、俺このサイト初めて見たので、ぐぐったら割りと上の方に出てきた「嫌われている理由」と実に噛み合った話だったという記録としてこの増田を書く。
ネットで言論的な事、ソーシャルメディアでの短文コメントなどでTV局、アパレル、マーケティング、広告、電通などに関する議題で変なマウントじみた上から目線を感じることがないだろうか?例えば広告出稿の実務や電通の業務範囲などの解説に「電通を判ってない」と漠然としたコメントが付いたりする事だ。
亦は例えば脚本家と原作者のトラブルに端を発した自殺に関して「己の近いところに着弾」などと書いて自殺クリエータのナイーブを嗤うような文章だ。
実はこれらには「ギョーカイ」という30年前の知的スノビズムが関係しており、現在のその全ての発言者はただのワナビーだ。故に無視するか嘲笑するのがいい。
だがギョーカイがどういうのか判らない人には判別が出来ないであろうから、ギョーカイに就いてざっと解説したい。
1980年代の大学生というのはまるで勉強しなかった。これは60年代に反権威主義の全共闘世代が大学の知の権威を攻撃して教授や講義の尊敬を解体してしまった事に由来する。その後反体制という態度も流行らなくなり、更には嘲笑、嫌悪さえされるようになっていった。
だが大学の権威は復活しなかった。この為に80年代になると大学はレジャーランドとなり、特に文系学生は教科書さえ買っていないという風になっていた。
更にここにプラザ合意という政治状況が追い打ちをかける。日本は復興を遂げて70年代には経済規模が異常なほど膨れ上がっていた。アメリカがベトナム戦争で、欧州の旧連合国諸国が植民地独立による経済構造変化で苦しんでいた(除西独)のと対照的だ。
だが国民の生活は然程裕福にはなっていなかった。また戦後の窮乏状態から贅沢を忌避する経済道徳があった。
プラザ合意でこれが一変する。これは円高を誘導し日本の対米貿易黒字を削減する政策なので経済構造がそれまでの輸出産業優先のままだと立ち行かなくなってしまう。
そこでそれまで禁止されていた贅沢がお上のお墨付きで推奨されるようになったのだ。国民の経済道徳なんて政策で左右されるのである。文化は決定因子ではない。
また円高によってそれまで贅沢品だった輸入品の価格が下がる。当然購買意欲は刺激される。
この浮ついた好景気が加熱してストックバブルとなり、やがて弾けて失われた30年になったのは皆の知る通り。
この景気加熱はレジャーランド化していた大学生にも影響を与えた。それまで国内アパレルメーカーが若者向けブランドを展開してそれらが人気を博していたが、海外ブランド志向が進み、遊びの高級化が進んだのだ。有名なのがディスコのマハラジャやジュリアナ東京であろう。マハラジャの運営会社はそれまで「並」のディスコを経営していたが、マハラジャで極端な高級志向とドレスコードチェック(アメカジとかは入場禁止で上から下までブランド服必須)にしたところ大盛況となった。
だが大学生が高級志向になったのは自然な出来事ではなく、当時のファッションカルチャー誌が誘導したのであった。
こういう大学生に影響の大きかった雑誌にマガジンハウス社のPOPEYE(以下ポパイ)と講談社のホットドックプレスが挙げられるが、この二つは性格が違った。ポパイが先行、ホットドックプレスが追走、イノベーター理論で言えばポパイがアーリーアダプター志向、ホットドックプレスがマジョリティ志向という感じだ。
マガジンハウスはファッションカルチャー専業だけあってイノベーター人脈があるから未来への提案という形で誌面が作れる。
一方、ホットドックプレスは大出版社なのでもっと安牌志向だ。あまり冒険すると滑る危険がある。
そして流行に於いてマジョリティを相手にするという事は、アーリーマジョリティになれとけしかける事であり、故に強迫観念的になるのである。大学デビューした若者にファッションや遊びを勉強しろと迫る性格を帯びる。
山田五郎氏はyoutubeの「オトナの教養講座」を運営して大変引き出しが多くて教養がある人物だ。同氏は同誌の80年代の編集長であった。
教養人だが編集長時代はマガジンハウスの後追いで背伸びしたい若者に楽しいライフスタイルの提供というよりも「これぐらいマスターしないとモテないぞ」とオブセッションを刺激して走らせる誌面を作っていた訳で、正直そこについては評価できない。
これはホットドックプレスが悪いというのではなくて、トレンドの後追いする方は強迫観念に訴えるようになるという例だ。
そんな雑誌群でやたらと持ち上げられていたのがTV局、アパレル業、広告代理店という業種だ。
ホイチョイプロはこれらのブームが起きる前から広告代理店漫画を書いていたが、このブームに乗って多角展開するに至った。広告業の業務中で電通だけが特別視されたり、変なマウント取る奴が現れたりするのはこのホイチョイプロの影響である。
またとんねるずはパワハラ芸とTV局の内輪ネタで若者の歓心を得て売れるようになった。
特に初期のパワハラ芸が有名だがこのパワハラは芸人同士のそれではなくてTV局での上下関係に限られるのがポイントだ。TV局内とスポンサーなどの上下関係はギョーカイなので売り物になったのである。
故にギョーカイというのは単にがTV局、アパレル業、広告代理店という業種を指すのではなくて、当時の風俗上の序列に裏打ちされたそれら業界という事が出来る。広告代理店業務を特別視してマウントするという態度の背景には、輸入ブランド志向、高級ディスコ、VIPルーム、見せる為の彼/彼女、ポストモダン思想という今では時代遅れの事物の文脈がある。
一方、家庭を築いて建売とかと言った一般的な価値観は外部化されていて入っていない。
先に述べたように流行の浸透期には強迫観念に訴える形の言説が商売になる。面白いものがあるよ、じゃなくて時代に遅れるな、だ。
これらはもう時代遅れだが、この強迫観念に訴える扇動の効果は残っていて、広告やTV局に関する事が話題になると、今でも「電通の本質は違う」などという謎マウントが湧き出すという原因になっている。
特に地方在住者に顕著だ。広告への関係の仕方は様々あり、出稿する立場、印刷を受注する立場、看板屋など様々な立場の人間がネットに書き込む。また電通の業務のうち広告ではない部門、人材派遣やイベントプランニングなどに関する議題で書き込む人も居る。
それらに対して謎マウンティングしでいないではいられない人が現れるというのもネットの常だ。
これらの人は自分が参画しえない場所の話だったホイチョイプロなどのギョーカイ話を実業務での経験(他者の含む)で上書き具体化するのに失敗し続け、レイトマジョリティ転落の強迫観念で駆動され続けているのである。
彼等の言い方は、「電通とは」など目前の具体的解説よりなどまるでその評価軸が高級だったり知的であるかのようで、事情を知らない人は騙されてしまうが、その実は時代遅れの流行追っかけの知ったかぶりでしかないので、騙されないようにして貰いたい。
「インターネット下さい」やソーカルにコテンパンにされたポストモダンの亜種である。
この辺の事情を知っていれば、「己の近い場所に着弾」とか原作者の自殺をそのナイーブさ故と揶揄するAI画像を投稿してTV局の事情通風を吹かす者が現れたとしても、その破廉恥さに憤るよりも前に、その者がオピニオンバラエティに数回出ただけでドラマには関係してない事、職域が権利者との折衝と重ならないであろう事、出演回数的に業界風吹かしたい欲が最大化される地点である事、年齢的にギョーカイ特別視のレイトアダプター層である事、とんねるず世代などに着目し、地方のバーで「業界出身の人」ってこういう感じだよなぁなど感慨に耽り、祇園精舎の鐘の音が胸中に去来するはずである。
またマナの力に長ける者であれば、AIに向かって「政権のブレーンとして官邸に出入していた事がある事は履歴的に自慢したくなりますよね?という建前を押し出した笑顔の発言者の前で、現在相手にしている読者層がその政権へのドグマ的批判を共有するので炎上と評価低下を恐れて答えに窮し発言者が善意の天然なのか悪意があるのかはかり兼ねて引きつった笑いを浮かべる男性」という詠唱により画像を得る事が出来る筈である。
「TVに出るようになった切っ掛けってそのブレーン抜擢ですよね」と発言を重ね掛けする画像でもう一枚行けそうである。
いずれにしてもTVや広告業などの話で具体性も無いのにウエメセマウンティングが発生したら、その実は以上のような事情で背伸びしたい「追いかける人」であるので、良く知らんけど高級な知識っぽさに騙されないようにして欲しいものである。
小山田圭吾の障害者虐待に関して執筆されたQuick Japan(QJ)やRockin' On(RO)の記事、そして北尾修一によって発表された村上清と小山田圭吾を擁護するブログ記事を読んで、改めて感じたのは「自分たち(=サブカル業界人)の欲求や愉悦のためには、他者の尊厳を踏み躙ること、他者に負担を負わせることを何とも思わない」と云う、昔も今も変わらないサブカル業界人の自己中心的な体質です。そして、この体質は、町山智浩ら旧体制『映画秘宝』と瓜二つです。
件のQJ連載記事『いじめ紀行』の中で村上清は「イジメはエンターテイメントだ!」と明言しました。それが本当ならば、村上清は何故、彼自身をイジメた加害者を取材しなかったのでしょうか?何故、村上清は、彼自身をイジメた加害者を探し出し、彼(ら)を取材して、村上をイジメた時に加害者(ら)が覚えたであろう興奮や愉悦、或いは村上自身が舐めた辛酸や屈辱感について、詳細にレポートしなかったのでしょうか?何故、村上清は加害者(ら)と「アレはヤバかったよね(笑)」と、いじめトークで盛り上がらなかったのでしょうか?村上清が言う「救いが無いことも含めて、イジメはエンターテイメントだ!」と云う主張が本物ならば、村上にはそれが出来たはずです。
もちろん、村上清がそれをしなかった/出来なかった理由は分かりきっています。本当は「村上清にとってイジメは、決してエンターテイメントではなかった」からです。記事を執筆した当時の村上清は、彼自身をイジメた加害者に対して、依然として恐怖感や忌避感を抱いていたのです。
本当は村上清は、彼自身をイジメた加害者にリベンジしたかったが、それは村上には出来なかったのです。本当の加害者へのリベンジが出来ないことは、村上清にとって大いなる屈辱であり、劣等感の源でした。その代償行為として『いじめ紀行』を執筆し、それを通じて仮想的に加害者となることで、被害者としての屈辱感を解消しようとしたのです。
この村上清の行動は、見れば見るほど町山智浩ら旧体制『映画秘宝』と瓜二つです。
小山田圭吾に対する世間の批判が高まった後、町山智浩はTwitterで「悪趣味・鬼畜系カルチャーの原動力は、電通・ホイチョイ・フジテレビ的なカルチャーへの対抗心だった」と云う主旨の発言を行いました。また町山智浩だけでなく、旧体制『映画秘宝』全体が、ジョックス(米国スクールカーストで上位である体育会系)に対する怒りと憎悪を撒き散らしていたことは周知の事実です。
では町山智浩らは、その電通・ホイチョイ・フジテレビ・ジョックスに対して復讐したでしょうか?していません。町山智浩らの怒りや憎悪を向ける本来の相手である、電通・ホイチョイ・フジテレビ・ジョックスには町山らの力では敵わないから、その鬱憤を晴らす代償行為として、女性や同性愛者やアニメ愛好者を攻撃して、憂さ晴らしをしていたのです。或いは『映画秘宝』内部のカースト下位の人間(ギンティ小林等)に対してパワハラやイジメをして、いじめ加害者としての立場を楽しんでいたのです。
そして、町山智浩による筋違いな鬱憤晴らしは、今なお止むこと無く続いています。現在も町山智浩は、女性差別・蔑視発言や同性愛者差別・蔑視発言を繰り返しています。
このように比較することで、悪趣味・鬼畜系であろうがなかろうが、また90年代から変わることなく現在も、サブカル業界人たちは、恨み(?)を晴らすべき本来の相手に敵わないが故に、その鬱憤を晴らすために「弱そう/反撃してこなさそうな相手」を選んで攻撃している卑怯者たちであることが理解できると思います。
この投稿は、以上です。
表題に反して、今回は小山田圭吾や村上清の話が主ですが、サブカル全体の話と考えて投稿します。予め言いますが、長文です。
小山田圭吾が障害者や在日朝鮮人に対して虐待やイジメを行った或いは関与したとして、東京五輪を機に一般人に広く認知され、これに伴って、過去に雑誌『Rockin' On(RO)』及び『Quick Japan(QJ)』が小山田に対して行ったインタビュー記事が注目されています。
それと共に注目を浴びているのが【小山田圭吾自身が、スクールカーストの中では上位ではなく、むしろ下位だったのではないか?】とする仮説です。件の雑誌記事でも「小山田圭吾がイジメの加害者だった?!」と、インタビュアーが驚く場面があります。外見的なイメージから「むしろ小山田圭吾は、イジメを受ける側だった」とインタビュアーも想像していたのでしょう。また、インタビュアーだけでなく、これまで雑誌記事の存在を知らず読んだことも無かったファンも同様に、外見的なイメージから「小山田圭吾がイジメをしていたとは想像もできなかった」とショックを受けていた人が少なからず見られました。
あまり他人の外見を云々したくはないのですが、小山田圭吾は顔立ちは整っているものの、身長はどちらかと言えば小柄で、頭部が大きくて肩幅が狭く、体格的には恵まれておらず、お世辞にもスタイルが良いとは言えません。(しかし、そんな小山田圭吾でも「オシャレでイケてるモテ系」に仕立て上げて持て囃すことが可能だった訳ですから、親の七光りやスタイリスト/メイク担当者の優秀さだけでなく、当時のマスメディアと一般人との間に、如何に大きな情報発信能力の差が有ったか、それを指し示す一つの証拠と言えるでしょう。)このような外見的な印象に関しては、アンチだけでなくファンの間にも共通認識が有ったからこそ、インタビュアーもファンも「イジメ加害者」と小山田圭吾がカミングアウトしたことには落差を覚えて驚いた訳です。
小山田圭吾を擁護する人間の一部には「小山田圭吾は、インタビュアー(村上清)に迎合して話を盛ったのではないか?」とする者もいます。
例えば、北尾修一などのQJ関係者、それに小山田圭吾ファンなど、村上清と小山田圭吾を擁護する側の人間の意見を総合すれば、彼らの仮説は概ね「村上清は、彼自身が『いじめサバイバー』だから、いじめ問題を無くすための試みとして連載企画『いじめ紀行』を立ち上げた。小山田圭吾は村上清の人間性に絆されて、連載企画を盛り上げる為に話を盛った」と云う感じです。
正直に言えば私も現在は、小山田圭吾が話を盛ったと云う仮説は少し可能性が有り得ると考えています。しかし、私の仮説は、村上清と小山田圭吾を擁護する北尾修一たちの言うような「美しい関係性」を想定した仮説とは異なります。私の仮説を、以下に述べます。
=仮説ここから=
そもそも「村上清は、社会に存在するイジメ問題を解決する又は発生件数を減らす為に連載企画『いじめ紀行』を立ち上げた」と云う前提は、果たして事実なのでしょうか?(※そもそもの話をするならば、村上清が『いじめサバイバー』とされていること自体も事実であるのか疑わしいのですが、煩雑を避ける為、ここではそれが事実であるものと仮定して話を進めます。)
むしろ村上清は、イジメの「被害者」になったことで彼自身が背負い込んだ劣等感を解消する為に、己がマスメディア関係者となった今(※記事を執筆した当時)こそ、イジメ問題の記事を書くと云う手段/大義名分によって合法的に「加害者」の立場になろうと試みた、それによって「被害者」であることから生じる劣等感の埋め合せにしようとしたのではないでしょうか。
何か/誰かを「観察/取材」して、それに基づいて執筆した記事を雑誌等の公的媒体に「発表」すると云う行為には、一種の「暴力性」が不可避的に付き纏うものです。観察や取材の対象に対して、好意的な感情を抱いている場合ですら。況や、SNS等の個人的なネットメディアが発達した2021年現在とは異なり、当時の雑誌と一般人との間には、情報発信力の差や「何となくマスメディアの人間は一般人よりも格上」と云うイメージなど、圧倒的な権力勾配が有りました。そのような権力勾配を利用して、取材と称して他人の領域にズカズカと入り込むこと、カメラやテープレコーダーを向けること、記事にして発表すること、これらの行為の持つ圧倒的な「暴力性」。
北尾修一によれば、村上清は極めて優秀な人間のようです。そんな優秀な人間が「取材/執筆と云う行為の持つ『暴力性』」に気づかないはずが有りません(それに気づかないならば、端的に言えば馬鹿でしょう)。おそらく村上清は、このように考えたのではないでしょうか。「マスメディアの人間になった自分(村上清)は、今や取材や執筆の名目で合法的に、他者に対して『暴力』を振るうことが可能になった」と。
取材対象者が「被害者」ならば、取材と称して心の古傷を抉り、取材対象者が苦しむところを観察して「加害者」の立場を擬似体験して楽しめば良い。取材対象者が「加害者」ならば、贖罪意識を持つ人間は、良心の呵責を起こさせて苦しむ様子を観察して楽しむも良し、過去の過ちを反省していない人間は、調子に乗らせて問題発言をするように仕向け、社会から批判を受けるように仕向けるも良し。どっちに転んでも村上清にとって「イジメはエンターテイメント」となる訳です。
差別や犯罪の被害者が、その苦しみから逃れる為に加害者の側に立とうとすることは、往々にして有ることです。例えば、白人から人種差別を受けた黒人が、鬱憤を晴らす為に黄色人種を人種差別するように。村上清も、そんな被害者の一人だったのではないでしょうか。
村上清は、彼の取材対象として小山田圭吾を選択しました。その選択の動機には、もちろん既にROの記事が先行して存在したことも有ったでしょうが、ひょっとしたら「オシャレな渋谷系のモテ系のミュージシャンに対して『取材と云う名の暴力』を振るうことが出来る」と云う愉悦の予感も有ったのかもしれません。更に、相手がイジメの「加害者」ともなれば、その悪行を証言させて世に知らしめる事で、世間からバッシングを浴びるように仕向けて復讐することもできると、そう考えたのかもしれません。しかし、村上清が想定した以上にQJの編集者や読者が本物の鬼畜系クズだったことから『いじめ紀行』を発表しても小山田圭吾への批判が一向に高まらなかったために、小山田圭吾を転落させるまでに到らなかったに過ぎないのではないでしょうか。
ここで私は、取材の暴力性に関して、別の可能性も考えます。当時のマスメディアは、果たして本気で「小山田圭吾はイケてる/格好良い」と考えていたのでしょうか?実は「コイツ、ヒョロヒョロのヘナチョコのくせに、自分のことを格好良いと勘違いしてるw」とか「コイツ、無理してワルぶって、イジメを武勇伝として語ってやがるw」とか、マスメディア関係者は表面的には持ち上げつつも、心の底では小山田圭吾を小馬鹿にしていたと云う可能性は無いのでしょうか。持ち上げて落とすのは、何と言っても、マスメディアが好む暴力の典型です。
そして、小山田圭吾も、己自身のスクールカーストが低いと見做されていることや、マスメディア関係者から心の底で小馬鹿にされていることを感じ取って「いやいや、オレはイジメられっ子じゃないから!むしろオレは、イジメる方だったから!」と、ROやQJの取材に対して虚勢を張ったのではないでしょうか。村上清が、もし本当に「いじめサバイバー」だったならば、小山田圭吾には同じイジメられっ子の臭いがすると気づいたかもしれません。もし、そうだとすれば、余計に小山田圭吾が虚勢を張ることに拍車を掛けたことでしょう。「いやいや!オレ(小山田圭吾)はオマエ(村上清)とは違うから!」と。
小山田圭吾が「報道内容には、一部、事実とは異なる部分が有る」と言いながらも、事実関係を説明することを避けて頑なに沈黙を守っているのは、もしもイジメ加害者であることを否定すると、和光学園在籍中の自分のスクールカーストが低かったことを認めることに繋がり、それはイケてる渋谷系として持て囃された自身のプライドが許さないのではないでしょうか。
=仮説ここまで=
さあ、如何でしたでしょうか?北尾修一は頻りに「こう考えるのが自然」「普通こう考える」と云う表現を用いましたが、私はそれを避けたつもりです。
身内であるサブカル業界人(北尾修一)が、自分たちに都合が良いようにアクロバティックに美化したストーリーと、村上清にも小山田圭吾にも利害関係を共有していない第三者(私)が、ごくありふれた話として考えたストーリー。どちらが本当っぽく感じたでしょうか?それは貴方自身が決めて下さい。解釈の無理強いは致しません。
「長々と書いて、一体これが旧体制『映画秘宝』と何の関係が有るんだよ?」と思われたかもしれませんね。しかし、勘が良い方は既に気づかれたはずです。これらの「若かった頃にイケてなかった人間が、大人になってから加害者になることで、若かった頃の劣等感を埋め合わせようとする」「ワルぶって武勇伝を吹聴する」と云う行動様式は、旧体制『映画秘宝』の主流派(町山智浩ら)と瓜二つであると云うことに。それに、小山田圭吾の語るイジメの話に登場する被害者が障害者や在日朝鮮人など反撃が出きなさそうな弱者ばかり選択しているところも、町山智浩ら旧体制『映画秘宝』が(電通・ホイチョイ・フジテレビやジョックスへの怒りや憎悪を唱えつつも、本丸のソイツらを避けて)女性・同性愛者・アニメオタクとかを攻撃対象にしているところに似ています。
要するに、悪趣味・鬼畜系であろうがなかろうが、サブカル業界人は五十歩百歩ということです。
思った以上に長文となりましたが、この投稿は以上です。
元ラーメンズ・小林賢太郎が、過去に行ったお笑いコント公演の中でナチスによるユダヤ人虐殺をジョークのネタにした事が発覚し、この情報が海外にも拡散してサイモン・ウィーゼンタール・センター(SWC)の知るところとなり、東京五輪開閉会式の総合演出担当を解任されましたね。
小山田圭吾の障害者虐待が世間一般に広く認知された結果、小山田が東京五輪開閉会式の音楽担当を辞任した際には、一部の人間が「90年代には、悪趣味・鬼畜系カルチャーが存在を許されていた、時代の空気が存在して云々」と小山田を擁護し、それに対して町山智浩は「小山田圭吾は悪趣味・鬼畜系とは無関係(だから、自分[町山智浩]たちには責任は無い)」と反駁しました。
ラーメンズは悪趣味・鬼畜系ではないと思いますが、間違い無くサブカル領域に属する芸能人です。また、今回問題視された90年代半ば当時の彼らの芸風が、当時の、いや、今もサブカル界隈に根強く蔓延る「不謹慎なことを言う/するのがオモシロイ/カッコイイ」と云う風潮の下に成立していたことも明らかでしょう。そして、この風潮を作り出すことには、旧体制『映画秘宝』界隈も関与していたと言えます。たとえば『キネマ旬報』の編集部を襲撃して同誌の編集部員に暴力をはたらいたことを、町山智浩はパイ投げ事件などと称して矮小化して面白おかしく笑い話扱いしていますが、アレは「言論の自由を脅かす暴力事件」以外の何物でもありません。しかし、サブカル界隈の身内贔屓の体質は、町山智浩の仕出かしたことに対して真摯な批判や反省を行うことを忌避する道を選びました。昔から、サブカル業界人は身内贔屓が大好きで、これは松江哲明の性的強要・搾取にダンマリを決め込んだのを見ても判るように、今も変わりません。
ラーメンズがお笑いコントの中でナチスのユダヤ人迫害・虐殺をジョークのネタにしたことに関して、擁護として「米国のサウスパークや英国のモンティ・パイソンもジョークのネタにしているのに、何故、彼我に批判の差が有るのか?」と言う人もいましたが、個人的には、連合国側の人間と枢軸国側の人間では、それをジョークのネタにする資格に差が有るのではないかと思います。何か死傷者を伴うような事件があって、それをジョークのネタにするのは、被害者の親族が言うならまだしも、加害者の親族が言ったらアウトになるのと同じです。
一般的な傾向として多くの日本人は、自分たちが枢軸国側であったこと、戦時中にはナチス政権ドイツと同盟国だったことについて、自覚が稀薄だと私は思います。だから、ナチスドイツをポップカルチャーの一部として、エンターテイメントとして、カジュアルに消費するのだと思います。
さて、エンターテイメントとしてナチスドイツの残虐行為を楽しむといえば、長年に渡って率先してそれを実行し続けてきた人間が、旧体制『映画秘宝』に1名います。ナチス強制収容所ネタのエクスプロイテーション映画が大好きと公言し、自ら「所長」と名乗ってそれらの作品の"素晴らしさ"を布教している、赤毛で入れ墨だらけのオジサンが1名。そう、高橋ヨシキです。高橋は、間違い無く、悪趣味・鬼畜系の範疇に属する人間です。高橋ヨシキによる布教活動は、日本において「ナチスドイツによるユダヤ人迫害・虐殺を、カジュアルに楽しんで消費しても許されるのだ」と云う風潮を作ることに寄与し続けてきました。
もちろん、高橋ヨシキの存在や布教活動が、ラーメンズを生み出した訳ではないでしょう(ラーメンズのネタの公表よりも、高橋ヨシキの布教活動開始の方が時期的に後だと考えられますし、世間的に認知されたのも、ラーメンズの方が高橋ヨシキよりも先でしょうから)。しかし、ラーメンズのネタが世間に発表されてしまった後、長年に渡ってそれが見過ごされたのは、観客である一般人たちの中に「コントのネタなのだから(批判するのはおかしい)」「たかがフィクションのネタに何をマジになってるの?」と云う間違った考えや言い訳の口実が存在したからです。これは、ナチスドイツによるユダヤ人迫害・虐殺と云う出来事が"エンターテイメント・コンテンツ"として、誤った"市民権"を獲得していたからでしょう。そして、高橋ヨシキによる「ナチス強制収容所エクスプロイテーション映画は素晴らしい!」という布教活動は当に、その誤った"市民権"を獲得するための活動でした。だから、次のようには言えると思います。
「高橋ヨシキによる『ナチス強制収容所エクスプロイテーション映画は素晴らしい!』と唱える布教活動は、ラーメンズのネタの"誕生"には影響を与えなかったかもしれないが"生存"には影響を与えたであろう。したがって、その点については、高橋ヨシキ及び彼に同調した人間に責任が有る」と。仮に時代の空気と呼ぶべき何かが有ったとしても、それは勝手に生まれたのではなく、それを意図的に作り出した人間がいるのです。この場合、それを作り出した人間の一人は、間違い無く高橋ヨシキです。
SWCの人たちも驚愕するのではないでしょうか。21世紀の日本で、ナチスドイツによるユダヤ人迫害・虐殺をネタにしたエクスプロイテーション映画を「面白い!素晴らしい!」と公言・賞賛し、他人にも観るように推奨活動している人間が存在して、しかも堂々とメディアに登場し続けていると知ったら。誰か英語が得意な人がいたら、高橋ヨシキがしていることをSWCに報告すると良いかもしれませんね。もしもそうなった時、町山智浩はSWCに対して「悪趣味・鬼畜系カルチャーをやっていたのは、電通・ホイチョイ・フジテレビに対する対抗心が有ったから」と弁明できるのでしょうか。見ものです。
それと、SWCといえば思い出しましたが、長年に渡る町山ウォッチャーならばご存知のとおり、過去に町山智浩自身が他人に対して「オマエのことSWCに通報しといたからな」と言ったことがありました。その矛先が自分の近しい人間に向けられた時、町山智浩はどうするでしょうか。
この投稿は以上です。
コーネリアスの件で問題とされているクイックジャパンが発行されていた当時は、「電波系」の根本敬や村崎百郎、「完全自殺マニュアル」鶴見済が活躍していた時代で、サブカルチャー(カウンターカルチャー)として悪趣味な世界観が消費される時代だった。
悪趣味カルチャーは80年代のオシャレやモテや電通文化に対する怒りだった。カーディガンを肩にかけ、ポロシャツの襟を立ててテニスやスキーしてホイチョイの「ヤレる店」読んでナンパして人を「ちゃん付けで呼ぶ」奴らにゲロや死体で嫌がらせしたかった。当時を知らない人にはわからないだろうけど。
https://twitter.com/TomoMachi/status/1417347576521629706
私は傍観者でしたが、「自分も壊れているし、君も壊れているし、社会(世界)も壊れているんだよ」というメッセージなのかなと思いました。
https://twitter.com/ak_tch/status/1417418603620491271
いま批判している人は、この時代を知らない若い人か、知っていたがそういうものを忌避していた人か、知っていてあえて無視しているのだと思う。
当時の自分もクイックジャパンを読んでいたのだが、twitterで紙面のキャプチャを一通り読んで感じたのは、あのときの空気感だった。
小山田圭吾に関しては「あー言ってるな」と。
時代の空気をキャッチアップして、わざと露悪的な表現で悪趣味を前面に押し出しているなと感じてた。
これはそういう時代性の発露であって、本当に起きたことなのかは定かではない。
個人的にはフィクション、もしくは一部が本当でも誇張されたものだと受け取っていた。
当時の表現がそうだったというだけ。
どうやら町山智浩が予防線を張り始めたようですので、町山が後で都合よく削除や改変することを防止するために、現時点(2021/07/20-18/05)のtweetを残しておきます。
【引用01】
悪趣味カルチャーは80年代のオシャレやモテや電通文化に対する怒りだった。カーディガンを肩にかけ、ポロシャツの襟を立ててテニスやスキーしてホイチョイの「ヤレる店」読んでナンパして人を「ちゃん付けで呼ぶ」奴らにゲロや死体で嫌がらせしたかった。当時を知らない人にはわからないだろうけど。
【引用02】
「90年代に悪趣味や鬼畜やってたのはお前だろう」と言われたら「はい、そうです」としか言えないが、それは電通フジテレビでセゾンでトレンディで一言でいえばSuntoryThinkingAboutTheEarthビール的なオシャレでバブルで偽善的で反吐が出るようなクソ文化への反抗だったんだけど、わかんねえだろうな。
【引用03】
根本敬と村崎百郎が「日本を下品のどん底に突き落としてやりたい」と心の底から叫ばねばならないほど1990年頃の日本は抑圧的なオシャレと健全さと明るさと偽善のファシズムに支配されていた。それを知らない人が悪趣味や鬼畜カルチャーを批判しないでほしい。
【引用04】
あと、QJは悪趣味でも鬼畜系でもなんでもない。全然関係ない。QJは赤田氏が創刊した頃からよく知ってるし、問題の号の担当の村上清くんもよく知ってるけど、悪趣味系でも鬼畜系でもないぜ。
【引用05】
悪趣味&鬼畜系カルチャーの内部にいた者としてはっきり言いますが、クイックジャパンという雑誌も小山田圭吾という人も鬼畜&悪趣味カルチャーには直接関係ないです。
【引用06】
悪趣味&鬼畜系カルチャーにはそれ自体の問題があるとしても、小山田圭吾とクイックジャパンとは関係ないです。アニメ・ファンでなかった宮崎勤からオタク・バッシングが起こったようなものです。
【引用07】
小山田圭吾のしたこととクイックジャパンの記事が悪趣味&鬼畜カルチャーとどう関係あるんですか? QJってまったくそういう雑誌じゃなかったですよ。
=引用ここまで=
@TomoMachi
悪趣味カルチャーは80年代のオシャレやモテや電通文化に対する怒りだった。カーディガンを肩にかけ、ポロシャツの襟を立ててテニスやスキーしてホイチョイの「ヤレる店」読んでナンパして人を「ちゃん付けで呼ぶ」奴らにゲロや死体で嫌がらせしたかった。当時を知らない人にはわからないだろうけど。
https://twitter.com/TomoMachi/status/1417347576521629706
@TomoMachi
「90年代に悪趣味や鬼畜やってたのはお前だろう」と言われたら「はい、そうです」としか言えないが、それは電通フジテレビでセゾンでトレンディで一言でいえばSuntoryThinkingAboutTheEarthビール的なオシャレでバブルで偽善的で反吐が出るようなクソ文化への反抗だったんだけど、わかんねえだろうな。
https://twitter.com/TomoMachi/status/1417350723633750018
@TomoMachi
根本敬と村崎百郎が「日本を下品のどん底に突き落としてやりたい」と心の底から叫ばねばならないほど1990年頃の日本は抑圧的なオシャレと健全さと明るさと偽善のファシズムに支配されていた。それを知らない人が悪趣味や鬼畜カルチャーを批判しないでほしい。
うわ!超観たい!ってなるけど、
なんか日頃目にするところに映画の予告なんかが流れてたら覚えてそうだし、
観に行ってみたいな欲がひしひしとことことと
強めの中火ぐらいにはキープできそうなんだけど。
弱めの強火でもいいんだけど、
あ、そっかテレビで新しい映画のコマーシャルはやってるわよね。
でもそれテレビを見てる層には伝わるけど、
きっと、
テレビは見ないけど映画館にいって映画を見るのが好きな人だっているはずよね。
まあなんでそれ思ったかって言うと
そのときの映画のチケットの半券がキッチンに洗濯ばさみで止めてあって、
へーもう1年以上映画館行ってないんだーって思っちゃったのよ。
だから、
私をスキーに連れてって!言われても、
波の数だけ抱きしめてってそれホイチョイ三部作の一作目!
劇場貸し切りみたいでなんて贅沢なのかしら?って思うわ。
まあこっちの方が当たり前な風景なんだろうけど。
なんか今日は
たまにはこういう日もあるわ。
うふふ。
夜張り切って食べようと思ってたサラダ食べ損なっちゃったまま朝を迎えて結局食べないまま冷蔵庫に。
この時期なぜかよく売ってる冷やし中華が気になって、
これはきっとアイスクリームは冬売れる説なのかなーって。
そんな何かを食べ損なった朝でした。
味も香りも一番いいと思うわ。
まあ何度も言ってるけど、
果物は一番美味しいのは直に直接食べることだって言うのを忘れないでね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
でもそういう消費豚がオタクを自称することはなかったのよ。その主な理由はオタクが賤民であって自称する魅力も利益もなかったからなんだけどね。
そもそも中世から昭和に続く日本社会において、未成年は家の従属物(ソフトな表現)だったし、成人女性は家事労働提供者(ソフトな表現)だったし、成人男性は会社の奉公人(ソフトな表現)だった。この社会において自由の幅ってのは現代に比べて極めて少なく、特にそれは趣味分野において顕著だった。庶民が嗜んで白眼視されないものなんてのは、男性において飲む打つ買うとその後継だけだったし、パチンコなんてのはその最たるものだった。女性においては男性にもましてきつきつであり、かろうじて数種の習い事が芸として社会認知されてたかどうかくらい。書物を購入してそれを読み漁るなんてのは、金持ちの道楽であり、庶民の間ではむしろ唾棄すべき軟弱さの現れとみなされていたふしがある。まあ、だからこそ与謝野晶子あたりの明星派などによる「既存の価値観への抵抗」としてのそれがあったわけだけど。
高度成長期を経て70年代から急速に文物が発展して、今現在趣味と呼ばれる文化が爆発的に多様化した。多様化した以上に「余暇に個々人が己の興味のあることをして過ごすのは当然の自由であり権利である」という認識が一般化した。テレビ文化がひろまって、ヒッピームーブメントの余波から洋楽ブームが来て、ニューエイジ思想からオカルトブーム、UFO!心霊写真! そしてフジテレビとホイチョイが結婚してユーミンがウィンタースポーツブームを生んで、広瀬香美とチューチュートレインが若者を苗場に連れ出した。
の、だけど、そんなに主体的に生きてる人間ばっかじゃないのよな。増田の言うとおり。結局現在、「ソシャゲと深夜のアニメとネットの炎上案件に対するコメントで時間を潰している、オタクを自称している(下手したら自分自身ですらそう信じ込んでいる)人々」ってのは、昭和中後期で言えば「パチンコやって飲み屋で愚痴言ってる箸にも棒にも引っかからないおっさんたち」だったわけよ。別段彼らはそれが好きでやってるわけではなく、「受け身で流されて適度に脳内麻薬がチョロチョロ出る余暇の消費」としてそこに流れ着いただけで、最初から徹頭徹尾ただの消費者であって、オタクでも何でもなかった。多分当時であったとしたって、パチンコや博打や酒が本当にそこまで好きだったかどうか疑わしい。そういうふわっとした人々が社会の大多数だったってのは、当時も今も変わらない。
どちらかというと「社会人は全員そういうもん(休日はパチンコするくらいしかない消費者)だろ」っていう同調圧力がなくなり「余暇は自由選択」になっちゃった結果、それが可視化されただけにすぎない。そのうえ「社会人は全員そういうもんだろ」っていうのは同調圧力である以上に、大多数にとっては劣等感を刺激しないカバーストーリーでもあったっていうのが問題で、いまのこの日本の現代社会は「余暇の過ごし方」でさえも階級があるってのが、多分きつい。
あまりはっきりとは指摘されないけれど、「何ら主体的な趣味を持たない人間」ってのはやはりいまの社会では軽んじられる。一回級下の存在だと現在みなされるんだよ。それこそ「オタクであるほうがまだマシ」と考えるほどに。
だから「(絵が好きなわけでも今まで描いてきたわけでも強い動機がなんにもないにも関わらず)絵が掛けるようにな(って賞賛を受けるようにな)りたいな」なんてボヤキがWebにあふれる。
べつに「何ら主体的な趣味を持たない」って罪でもなんでもないのにね。前述の戦後から高度成長期にかけて、そんな人々は、社会に出て飲む打つ買うを一巡経験したら、すぐさま「どうやったら異性に興味を持ってもらえるかレース」に回収されて、あまり悩む間もなく半強制的に結婚させられ、身体に異常でもない限り速やかに子供ができて、子育てに忙殺されるというスケジュールに打ち込まれていた。そうすれば「主体的に趣味を持ってない」なんてことは遥か彼方にぶっ飛ばされて、問題意識すら持たないで済んだのにね(その後は、後輩や年少者に対して「結婚は社会人の義務だ」とか「子育てはいいぞ」ってマウンティングして余生をすごせた)。
社会の多くの人にとって、「個人のアイデンティティと紐付けられた強固な趣味に邁進する」人生の強要は苦痛だし、でもそれを拒否するにせよ趣味する余暇なく仕事を詰め込まれるのはもっと苦痛だ。多くの人にとっては自由が毒にしかなってない。そういう価値観の変遷に、オタクは巻き込まれちゃっただけなんだよね。
バブルの価値観がまだ抜けきってない現在60代とかが息子とか娘にたいして「子供(60代から見れば孫)にはこれくらいしてやって当たり前だろ」と、本人なんの悪意もなく接したりしてるとか。
そういうジジババは金持ちなら孫に金つぎ込んでるし、金がないなら「子供は無理に孫を持つより自分の将来の介護を優先して欲しい…」と思ってるよ。
子供が金がないのに孫産んだせいで育児要員としてこき使われたり金せびられる同世代の友人の話だって耳に入るしね。
大学生やヤングサラリーマンの遊び文化に寄生しているホイチョイ/フジテレビ的な広告代理店文化が、「豊かで優雅な都会の子育て」をさも常識であるかのように流布してるとか。
地方民は「中学受験ったって東京の話でしょ、ここにそんな名門私立中学なんか存在しないし」と思ってるよ。
実際に金がないのに子供を持っている友人知人が生活に追われて全然幸せそうに見えないとか
この記事の射程範囲って「子供がほしいと(たとえ対外的な欺瞞であっても)言ってる人」だけではなくて、子持ち/非子持ち、未婚/既婚を問わない日本の社会構成員全員向けなんすよ。そのつもりで書いた。
なぜなら「ぇー年収xxxで子作りはありえないよねー」「そんなの子供かわいそうだよねー」という雰囲気を作っているのは、なにも結婚や子作りを悩んでいる層だけではなくて、社会全部だと思うから。個別に言ってしまえば、バブルの価値観がまだ抜けきってない現在60代とかが息子とか娘にたいして「子供(60代から見れば孫)にはこれくらいしてやって当たり前だろ」と、本人なんの悪意もなく接したりしてるとか。大学生やヤングサラリーマンの遊び文化に寄生しているホイチョイ/フジテレビ的な広告代理店文化が、「豊かで優雅な都会の子育て」をさも常識であるかのように流布してるとか。
そういう色々を含めて、この問題は社会全体の問題だと思うのよ。けっして、子供がほしい世帯の収入が低いとか、努力が足りないとかではない。社会全体でハードルを上げてるのが問題。きついことを言えば「裕福な子育てをしない両親を弾劾しようとしている」。
仰りたいことは分かります。
そのうえで言い得て妙だと思った加藤ヨシキさんのツイートを引用します。
>「王様は裸だ!」と指摘するのは良いと思うんですが、「王様は裸だ!あの小さなチンポを見ろ!あれじゃ奥さんも浮気してるに違いないぜ!」まで行くと王様も怒りますし、なんなら奥さんも怒りますし、周囲もなぜそこまで言うのかと思いますよ。その辺の常識と礼儀は大事にしていきたいです。(https://twitter.com/DAITOTETSUGEN/status/699594948023181314)
どこの世界でもそうですが、ニワカは古参に叩かれます。文壇もスポーツも音楽もゲームも仕事も。先達に比べて知識量のない人が偉そうにしているのは、鼻につくものです。でもね、ニワカが罪を犯しているのかというと、そうではないと思うのです。
誰を傷つけたわけでもない。知識がないだけでアホ呼ばわりされて叩かれるのは、やはり不当で止めるべき悪習だと自分は考えます。(腹が立つのは仕方のないことなので、出来るだけそれを外に出さないよう心がけたいと思っています)
映画を羅列する意味についても、大本の記事には「私を構成する9枚のCD」という企画を読み、それに着想を得たとあります。羅列に意味はないとしても、実際に彼は羅列を面白いと感じ、それで記事を書いた。それは好みの問題に過ぎません。(パク……インスパイアの問題はあるかもしれません)タランティーノもよく映画ランキング作りますが、世界中のファンがそれを待っています。年間200という数字が、タランティーノの存在同様の重みを持つかどうかは、それぞれの読者が判断することです。
アクセス数云々も「彼には認められる記事が書けなかった」という意味で使用した表現で、記事の存在意義を問題にするのなら「彼には意義ある記事が書けなかった、以上」というつもりで書いたものです。分かりにくかったら申し訳ない。
興行作品である映画は、観客に受けるような工夫が(当たるかどうかは別にして)散りばめられています。玄人好みのものと、一般層に向けてのものはあるかもしれません。世間的に受けたとは言いづらいヱヴァQですら、スタッフロールに入った劇場内に立ちこめるポカーンとした雰囲気に「エヴァはこうじゃなくっちゃ!」とワクワクした人(悪いファンかもしれませんが)もいます。
表現規制の話とかでもよく出てくる話ですが、名作を排出するためには、ピラミッド的に数多くの駄作を必要とすると自分は考えています。多産とクオリティは比例の関係にある。ファッション映画が増えたからといって、名作が駆逐されるわけではないと自分は思います。ジャッキー・ブラウンがそうだったように、ファッション層ってすぐ離れちゃいますしね。ファッション的な映画がって、増えればすぐさまダサくなるし。(ホイチョイ製作映画も廃れました)カウンターカルチャーはそういう土壌で出てくるので、良い映画が無くなってしまうことはないと自分は思います。
表現の自由について論じたいわけでもなく、「老害になるのはよそうぜ」って自戒を込めて言いたいだけなんです。感じたことを書くことは自由で、だから自分も感想を書いているわけです。(『高知名度の漫画をドヤ顔で薦めてくる男たち』までくると「分かるわー」としか思えないんですが)
なのであなたが(なのかな?よく分からなくてすみません)そうなさったように、「自分はこういう記事の方が面白いと思う」って記事を書くのが、よりスマートでクリエイティブで良いと思うんです。でもそれにハリーハウゼンの名前も出てこないアホが……って言われるのはイヤじゃないですか。その名前を出さない理由だってあるかもしれないし。
より良いものを出せばいい。その方がかっこいい。他人を貶める必要は無いと思うんですよ。
と自分はやっぱり思うのです。世の中そんなもんでしょというのも分かるけど、やっぱりそれは変だと思うのです。前に書いたのと主張はほとんど変わらないから、蛇足だし、理解し合えるとは思わないんですけど、書かせていただきました。
あと話は移ってしまうんですが、「キル・ビルが駄目な人」ってのが自分にドンピシャで(文章からそういうにおいがしたんでしょうか?)、あれの楽しさが全然分からなくって……そうするとタランティーノ好きの話にも入れなくって、たいへん寂しい思いをしています。
唐突なんだけど、この前、とある女性と飲んでいたときに、「俺ってイケダハヤトのこと、意外と評価しているんだよね」といったら、すごいびっくりされたのね。「シマダさんって、絶対イケダハヤトのこと嫌いだと思っていた!」と。
そういえば、数週間前にも男の後輩にも「シマダ先輩がイケダハヤトのことがアリだって結構びびりました」ともいわれたなあ。
なぜ意外だと思われるのか、と考えてみたんだが、もしかして、イケダハヤト観なるものに差があるのではないかと思った。
そもそも、イケダハヤトのことを、論理的、言語的に見ると、混乱をまねくと思うんだよ。
イケダハヤトは、内容や文章の書き方が、一見、論理を使おうとしているように見えるのは事実だ。だから「論理的におかしい」「イケダハヤトの意見は違う」「言っていることが前と逆だ」という話になってしまう。
でもイケダハヤトがやっているのは論理ではない。言語ではない、文章ですらないかもしれない。そういう表現手法をとっていないんだ。
イケダハヤト、そしてイケダハヤト的なものは、もっと精神的なものなんだと思う。若者の空気といってもいい。私たちの世代だとホイチョイがやってたようなことをイケダハヤトがやっているのではないかと思う。
つまり、若者の空気をただ放出しているだけ。ホイチョイと違うのは、研究して、それをデフォルメして、うまい具合に時代の空気を表現しているわけではなく、イケダハヤトが今の若者そのものだからである。そして、今の若者の一部の部分を切り取って、それをアウトプットしているんだ。
若者と話すときにさ、論理で話の腰を折るおっさんいるじゃん。わからなくもないんだけど、若者がしているのって別に議論じゃなくて、単に感じたことを素直に出してたりするだけだったりするのよ。「本田かっけー」とか「マジだりー」とかと同じなんだ。本田がかっこいいという点に対して論理で反論しないでしょ。それと同じ。
つまりイケダハヤトに対して反論したり、間違いだという人は、そもそものところで噛み合っていない。話しているレイヤーが違う、次元が違う、内容が違う、論点が違う。
たとえばだ、イケダハヤトが「納豆を若者に強要するおっさんは、若者をバカにしている。そもそもマクドナルドを食べたっていいはずだ。世界的チェーン店であるマクドナルドであれば有害物質を使う可能性も低いし、そもそもキャベツやトマトが入っているハンバーグのほうがよほど健康的」みたいなブログを書いたときに「別に若者に納豆を押し付けていない」「そんな押し付けるようなおっさんは本当にいるの?」「マクドナルドが有害物質を使わないとは限らない」「トマトやキャベツだけじゃ野菜として足りない」みたいな反応をするやつがいるけど、全く違う。
イケダハヤトが上記のようにいったら「納豆はねばねばしてるし、なんかくさい。あとマックはうまい。」といっているということ。それなのに「トマトやキャベツだけじゃ野菜として足りない」って言われたら「え、何の話?なにいってるんですか?」となってしまうのは当たり前だ。
イケダハヤトは恐らく、若者が意見や感想、感じたことを発信することは価値があると考えているので、多くの人がそのようにするべきだと考えている。なので、中身がない、という批判もおそらく意味がない。
こう書いているが、別にバカにしているわけじゃない。実は私も、イケダハヤトと同意見で、若者がブログやtwitteでもっと思っていること、感じていることをストレートに書くべきだと思っているからだ。そういう意味では、イケダハヤトの支持者であるし、彼のブログもおもしろく読んでいる。若者が感じていることをストレートに伝えられるってやはりいいことなのではないか?
id:gudachanのイメージに基づく偏見だらけの地方論(http://gudachan.hatenablog.com/entry/2013/06/28/133844)(http://gudachan.hatenablog.com/entry/2013/06/28/232556)を読み
少し疑問に思ったので彼のツイッター(https://twitter.com/gudachan)を眺めてみたところ、ヘイトスピーチの嵐でした。
非常に差別主義的なツイートが多く、それを本人が自覚していないようです。あきれます。ちなみにこれはほんの一部です。
掲載しきれないほどたくさんの差別的な書き込みがありました。興味がある方は直接彼のタイムラインを覗いてみるといいと思います。
ツイートを眺めたところ、北関東と北日本、裏日本へのヘイトが多く、それらの地域に住んでいる方々は怒っていいと思います。
完全にネトウヨが在日コリアンに向けているのと同じ性質の言葉の暴力、ヘイトスピーチですから。
大学にはいろんな地方出身者がいるが、北関東人や福島県民はだいたい程度が低かった。そのくせ「関東に近いから」人数は多いし、東京コンプレックスは人一倍だ。ただただ不愉快に尽きる。さっさと村に帰ってふるさとの衰退に歯止めをかけてほしかったね
2013-06-24 16:51:44 webから
http://twittaku.info/view.php?id=349072333752905729
「冷たい東京人」って絶対北日本人だろ。東京のターミナルや大学なんていけばおらが村が北関東よりも上の地域にあるような人間うようよいるじゃん。信越・東北・北海道かなあと。「東京の人は冷たい」っていってるのはむしろ、「東へと向う列車」で旅立つ太平洋側の西日本の人じゃないかと思うんだが?
2013-06-18 11:57:07 webから
http://twittaku.info/view.php?id=346823865604919297
コミュ力っつうか・・・北日本の人間は基本的に何考えてるかわからないよな。こちらから直球投げたつもりが変なカーブしまくったりして、かと思いきや思いもよらない方向からボールが返ってきて後頭部直撃するような感じ。ひねくれた人間が多いんだろうか
2013-06-18 11:31:10 webから
http://twittaku.info/view.php?id=346817331915264000
千葉や茨城の僻地の日常風景ってこんなイメージ 「タイマン」でかなわず…5人がかりで傷害容疑、逮捕 千葉・山武 #ldnews http://t.co/nCQ27RURk6 @livedoornewsさんから
2013-06-14 13:26:08 Tweet Buttonから
http://twittaku.info/view.php?id=345396712707338243
にしても、ツイッターにはいまだに長州を恨む会津ならびに東北や裏日本(系)の人間が多すぎて引くわ。いやならみなきゃいいんだけど、これは一種の国内にあるエスニシティ問題だと思う。福島県の学校教育はどうなってるんだよ。ちゃんと「過去は過去」と未来型の教育をしこんでやれよ
2013-06-09 22:42:40 webから
http://twittaku.info/view.php?id=343724833126875136
明るい東北人もそりゃいるよ。まず親戚がみんなお喋りだし。だけどほんとに全体に見ると少ないよね。待ち合わせする時はすぐにわかるよ。どんな人ごみでも声でわかるからw
2013-06-09 22:08:25 webから
http://twittaku.info/view.php?id=343716213400158208
韓国人とコミュニケーションするとノリよくて楽しいよw一見すると明るいんだよ。実際おもろい人多いけど、でも、どっかに本質的に恨があって、それを障るとケンカになるからやめたほうがいいw 「どう接すればいいかわからない」人は東北や裏日本出身者の方が圧倒的だよ。大学時代はそうでしたw
2013-06-09 22:07:06 webから
http://twittaku.info/view.php?id=343715880854773761
ちなみに、北日本の人間と韓国の人間ってそんなに差は無いと思う。緯度も同じだし、恨とかは不遇な歴史のせいだけじゃなく日照時間の影響もあるだろうし、会津同様に朝鮮はかなりのタテの封建社会だった名残で、いまも「上下関係」「家柄」「地域の優劣」などが煩い。その性質は極めて酷似している
2013-06-09 22:01:07 webから
http://twittaku.info/view.php?id=343714375581974530
地方の人間はみな「田舎」の負い目を感じている、ということは、大学には入り地方出身者と戯れたりネットなりでよく学んだが、北日本の場合は、日照時間のなさに起因する思考の消極性と近現代史の悲惨さのせいで誇りを余計に持ち辛いところがある。それでも地の利を生かすしか未来の術はないはずだけど
2013-06-08 19:36:30 webから
http://twittaku.info/view.php?id=343315591672766464
東北なんかやばいよな。仙台越えたら大自然がそこら中にあるのに、イオンという外界から遮蔽密閉された建物の中にあるコンビニみたいにチッコイHMVとかに若者が殺到し、皆が皆中央(東京)で生産されたマス向けのコモディティ文化選んでは喜ぶその感じは感性や想像力の超劣化そのものすぎてやばいw
2013-03-17 21:58:27 webから
http://twittaku.info/view.php?id=313273120993705984
俺が東北地方の精神的な問題だと思うのは、「半端に発展した都市」の抱えるヒエラルキー的な発想だ。さっきの記事でふれていた自殺してしまった避難者のいた福島市は、たしかに一目を気にする地域性があると思う。湘南ナンバーが走ると浮くし、俺が歩道を歩いてると通行人がじろじろ見てきて気味が悪い
2013-03-17 21:34:22 webから
http://twittaku.info/view.php?id=313267061327548417
北関東は目に見える低俗さには失望したくなるものの、北日本の根拠のない見栄を張る人間に比べれば気質は幾分ましかなあと思う。北海道生まれにその傾向が顕著な気がする。もっとも、閉鎖性や偏狭さはだいたいどこも同一だが・・・
2013-03-12 10:14:25 webから
http://twittaku.info/view.php?id=311284008287883265
神奈川県の方言に「~じゃんか」っていうのがあるが、これは関西弁の「~やんか」と同じ意味。ところが北日本の方言にはこういう言い回し自体が存在しない。神奈川県土着の文化は西日本よりだと思うんだよね
2013-01-02 20:36:03 webから
http://twittaku.info/view.php?id=286435685920038912
東京文化の正体は、北関東人や東北人や裏日本人が「脱村入京」の発想によって形作る幻想なんではないかというのが俺の発想。「けばけばしい東京人」とか「冷たい東京人」も実は本当は煌びやかなものが殆どなく冬はものすごく冷たい北日本人間なんじゃないか、ってね。思うわけよ
2012-12-29 11:02:23 webから
http://twittaku.info/view.php?id=284841766149050368
おそらく、「北関東的な概念」が北日本を覆いすぎなんだろうなあ。新潟にせよ岩手にせよ、「緑の新幹線」の沿線は余りに北関東化が著しいと思う。「東京になんてなれっこないから、せめて群玉千葉城にでも」という安っぽい近代化願望でもあるんだろうなあ
2012-12-27 19:53:23 webから
http://twittaku.info/view.php?id=284250619953442816
残念なことに、北日本の片田舎都市出身の若者って、あの屑みたいな北関東人抜きに、どことなあく無愛想というか、とっつきにくく、コワいような人が少なくない。「ズレ」てるのはいいんだけど、あれらは本当に悩む。中国人やオーストラリア人よりも仲良くするのが難しそう
2012-12-26 02:13:24 webから
http://twittaku.info/view.php?id=283621479801827328
そんな俺も両親は東北人にあたるが、北日本の地域性というのはもっと広く知れ渡った方が良いと思うんだよなあ。包み隠さないリアルな地域の姿を。北日本は広い日本の中でも沖縄並に独特な民族性のある土地だとは思うが、「内なる異文化」への理解は全然進んでない気がする
2012-12-26 02:04:29 webから
http://twittaku.info/view.php?id=283619234297298944
「やってきたもの」が多すぎるがゆえに浅ましく、いやらしくなっているところはあると思う。ただ、この記事に少しふれたような、高校生が呆れるような「大人」のような精神性の人間は、北日本出身者の幾人かには心当たりがある。そして、こういう人間ほど上辺だけを都会被れ、東京に寄生したがるもんだ
2012-12-26 01:43:26 webから
http://twittaku.info/view.php?id=283613937906360320
マジな話、北海道から東北裏日本・北関東にかけてらへんのルサンチマンにかりたてられた若者の理想郷は東京ではなくソウルだと思うぞ。いまは地方空港から直行便出てる時代。首都圏の大学通うくらいならいっそソウル留学すりゃいいよwアジアが伸び盛りの時代だし得るものも多いでしょw
2012-12-10 00:39:52 webから
http://twittaku.info/view.php?id=277799735958593536
いろんな人と接して思ったけど、北日本の人間は、韓国人や中国人よりも難解だね。青森とか新潟とか、福島茨木らへんの人間は想定の範囲外の「恨」発想っぽいところはあるけど、基本は普通。本気で謎なのはもっとディープ極寒地帯の人。どう接すればいいのか困ってるうちにそこそこの仲になってる感じw
2012-11-30 01:10:30 webから
http://twittaku.info/view.php?id=274183564625584128
こないだ関西人の友人と割と盛り上がった話だが、北日本の人間は根拠の無い自信を持ちたがる傾向があると思う。裏に限らず、北関東・信越・東北・北海道あたり。人によるけど、心底どうでもいいことを自慢げに語ったり、どこかつんけんしたようなヤセガマンが好きな人が割合、いる気がする
2012-10-05 14:21:42 webから
http://twittaku.info/view.php?id=254088956902268928
これはグンマーや茨木辺りの人にもいえるが、北日本の人間の、忍耐力の強さや団結力は彼らの長所だとは思うが、理に対する認識がずいぶんとお粗末というか、「それ、こうやった方が遥かに都合いいじゃん」っていうのに聴く耳持たずに誰でも想像つきそうな手間や失敗をしちゃうあたりは超ダサイと思うぞ
2012-09-03 19:54:58 webから
http://twittaku.info/view.php?id=242576413692149760
都市社会に適応できているか、それとも地方のルールに未だに強く影響されているのか、さらには裏日本や北日本のような直接的な自己表現や言語を用いたコミュニケーションを嫌悪する「恨」文化圏のある地方もあれば、沖縄の人のように明るく穏やかでケセラセラと考える人もいるように個々の地域差もある
2012-08-28 12:44:25 webから
http://twittaku.info/view.php?id=240293734644854784
ところどころで韓国に言及していて、韓国と北日本は似ていると発言しています。
北日本のことを悪く言っているのは自明ですから、韓国についてもよいイメージは持っていないことが読み取れます。
首都圏に居ても鬱陶しいだけだからさっさと村に帰って中学のときの大してすごくもない武勇伝の自慢でもしながら酒盛りして同級生とヤッてろってかんじw
2013-06-15 17:16:48 webから
http://twittaku.info/view.php?id=345817151346724865
田舎者のね、ヤンキーでもなければヲタでもない、「もっさりした一般若者」の同調圧力マジで半端ねーぞ。東京神奈川千葉生まれの人間とは別すぎる。そりゃあ日本人は「恥の文化」「世間意識」の国ではあるが、あの過度な牽制はただただ鬱陶しいしキモいだけ
2013-06-08 13:49:47 webから
http://twittaku.info/view.php?id=343228339466682368
@・・・・・・・・・ 実際、地方出身東京住まいって狭い人が多いですよね。田舎上がりの人ほど何かと見栄を張ったりしたがる印象があります。うっかり方言が出て故郷を悟られるとやましいことのように赤面したり。彼らが外国人差別に走りたがるのもなんとなくわかります
2013-04-03 23:55:51 webから
http://twittaku.info/view.php?id=319463263194718212
俺、湘南の人間だから、できるだけ東京か神奈川か埼玉の人と接していきたいなあと思うのは、やっぱリスクの問題なわけよ。外国人ともなれば相手がよほどの偏狭の人間でなきゃ「国が違うんだからしょうがない」という良い意味での文化的な諦めがお互いにできるが仮にも同じ国民の田舎者はそうはいかん訳
2013-03-31 00:19:26 webから
http://twittaku.info/view.php?id=318019643879092225
おらがの村社会のヨコの付き合いの流儀しか知らず、それが通じない都市部に疑問はあるくせに都市のマナーに従えない。定職ついて、家庭もってやっと都市部に適応するんだろうけど、それはあまりに遅すぎるし。それならさっさとクニに帰って斜陽化の歯止めになったほうが絶対にいいんだよね
2013-01-17 14:56:33 webから
http://twittaku.info/view.php?id=291786066317410304
東京の息苦しさに負けて帰郷したくなる東北の若者も、いかにもオッシャレーな「TOKYO人」を気取って、クラブでナンパしたりされたりして、やれ下北だの代官山にいき、ミニシアターだのアンティークショップ見て、ホイチョイ的なレストランでデートしてダサい・地味を見下すよな人も地方出身者な訳
2012-12-05 00:15:40 webから
http://twittaku.info/view.php?id=275981706459234305
おらがの村社会のヨコの付き合いの流儀しか知らず、それが通じない都市部に疑問はあるくせに都市のマナーに従えない。定職ついて、家庭もってやっと都市部に適応するんだろうけど、それはあまりに遅すぎるし。それならさっさとクニに帰って斜陽化の歯止めになったほうが絶対にいいんだよね
2013-01-17 14:56:33 webから
http://twittaku.info/view.php?id=291786066317410304
地元がいかにダメかとかそういう自虐話はわかったけど、もう関東は人でいっぱいなんだから村に帰っておくれって感じだよね。日本中の若者がここに集まれば、都市部の就職難もより険しくなるわけじゃん
2012-11-20 02:24:35 webから
http://twittaku.info/view.php?id=270578327851520000
都市部で行われる「クリエイティブで地域を元気に!」に参加する多くの「エセ都会人」(特に渋谷近隣の都心の学生街に多そう)たちは、とっととお国に帰って郷土を豊かにすることに尽くさんとダメダベ、と思う所
2012-06-28 23:39:43 webから
http://twittaku.info/view.php?id=218352987385495553
そんあ田舎に生活している外国人労働者はヤバいと思うよ。不法滞在や犯罪もあるんだろうけど、けなげに働いて母国の家族に送金してるんだろ。ただ、生まれつき「おらがの土地」に縛りついてるだけのカッペと比べると遥かに優秀だと思う。社会が後れてて民度や文化程度が低いのは田舎もアジアも同じだし
2013-06-26 23:35:35 webから
http://twittaku.info/view.php?id=349898743090384897
でも田舎の人間は外国人を蔑視するけど、田舎に住んでいる外国人はヤバいと思うよ。「地元の地縁つながりがあって当たり前」で社会が動いている田舎で、肩身は物凄い狭い。不便もある。たとえば知り合いに名士がいたら仕事斡旋してくれるし百姓がいたら野菜はただで貰えるけどそうではないよね
2013-06-26 23:26:10 webから
http://twittaku.info/view.php?id=349896372452990979
差別主義者って外国人や生活保護受給者や障がい者に対しても不寛容で、自分自身は貧乏人で田舎者でナード系の非リア全開というケースが多いよな。まあなんだ、下を向いて生きているんだろうなあ。かわいそ
2013-06-22 16:12:37 webから
http://twittaku.info/view.php?id=348337713843421184
何人も個人なんだよ。自分がそうであるように相手も十人十色だ。それが分からずに子どもや外国人や障害者やお年寄りや異性などに、そのレッテル属性に基づいて解釈する人間ははっきりいってダサい。想像力のない田舎者だ
2013-05-23 02:32:33 Keitai Webから
http://twittaku.info/view.php?id=337259702247387137
まあネトウヨの外国人差別ないし排除の発想って、田舎者の村八分論理と何も変わらないしそうかもなあ
2013-03-20 09:06:03 webから
http://twittaku.info/view.php?id=314165907276574720
悪意なしに行うナチュラルな排外主義ほど醜いものはないわけよ。そこで思ったんだが、案外、外国人差別問題も似ているようなところあるかもな。露骨なヘイトを出す人間は問題だが、それより怖いのは外国人を許容しない空気だったり
2013-04-17 12:36:21 webから
http://twittaku.info/view.php?id=324365690435936256
どういった了見で外国人差別を語れるのか到底私にはわかりません。
id:gudachanは地方民を差別する排外主義者に私には思えます.
こういったツイートをする人が先の地方論を書いていたわけです。
これらのツイートを読んでからもう一度彼の地方論を読み直してみてほしいです。
差別主義者は偏見を撒き散らし、差別されている人々の誇りを奪うので放置してはならないと思います。
そんな多様性がベースにあった湘南育ちだからこそ、神奈川県に住みついて「長州の人間は○○にくるな」という福島県民に対してちょっと取り乱してしまった。あれをみて不愉快に思った北日本人がいたら申し訳ない。俺も先祖は東北人だし、戊辰を戦った武士だったし、東北には親しみがあるよw
2013-06-09 22:48:58 webから
http://twittaku.info/view.php?id=343726414652125184
どの面をさげて東北には親しみがあるというのでしょうか。
ネトウヨが自分には韓国人の友人がいるから自分は差別主義者ではないと主張することと何が違うのでしょうか。
twitterのgudachanはその後中川淳一郎さんのツイートをだしに田舎者へのヘイトを吐き出したあと、はてなダイアリーとタイムラインを非公開にし、現在ではIDをグダチャン@gudahcanに変更したようです。