はてなキーワード: POPEYEとは
ネットで言論的な事、ソーシャルメディアでの短文コメントなどでTV局、アパレル、マーケティング、広告、電通などに関する議題で変なマウントじみた上から目線を感じることがないだろうか?例えば広告出稿の実務や電通の業務範囲などの解説に「電通を判ってない」と漠然としたコメントが付いたりする事だ。
亦は例えば脚本家と原作者のトラブルに端を発した自殺に関して「己の近いところに着弾」などと書いて自殺クリエータのナイーブを嗤うような文章だ。
実はこれらには「ギョーカイ」という30年前の知的スノビズムが関係しており、現在のその全ての発言者はただのワナビーだ。故に無視するか嘲笑するのがいい。
だがギョーカイがどういうのか判らない人には判別が出来ないであろうから、ギョーカイに就いてざっと解説したい。
1980年代の大学生というのはまるで勉強しなかった。これは60年代に反権威主義の全共闘世代が大学の知の権威を攻撃して教授や講義の尊敬を解体してしまった事に由来する。その後反体制という態度も流行らなくなり、更には嘲笑、嫌悪さえされるようになっていった。
だが大学の権威は復活しなかった。この為に80年代になると大学はレジャーランドとなり、特に文系学生は教科書さえ買っていないという風になっていた。
更にここにプラザ合意という政治状況が追い打ちをかける。日本は復興を遂げて70年代には経済規模が異常なほど膨れ上がっていた。アメリカがベトナム戦争で、欧州の旧連合国諸国が植民地独立による経済構造変化で苦しんでいた(除西独)のと対照的だ。
だが国民の生活は然程裕福にはなっていなかった。また戦後の窮乏状態から贅沢を忌避する経済道徳があった。
プラザ合意でこれが一変する。これは円高を誘導し日本の対米貿易黒字を削減する政策なので経済構造がそれまでの輸出産業優先のままだと立ち行かなくなってしまう。
そこでそれまで禁止されていた贅沢がお上のお墨付きで推奨されるようになったのだ。国民の経済道徳なんて政策で左右されるのである。文化は決定因子ではない。
また円高によってそれまで贅沢品だった輸入品の価格が下がる。当然購買意欲は刺激される。
この浮ついた好景気が加熱してストックバブルとなり、やがて弾けて失われた30年になったのは皆の知る通り。
この景気加熱はレジャーランド化していた大学生にも影響を与えた。それまで国内アパレルメーカーが若者向けブランドを展開してそれらが人気を博していたが、海外ブランド志向が進み、遊びの高級化が進んだのだ。有名なのがディスコのマハラジャやジュリアナ東京であろう。マハラジャの運営会社はそれまで「並」のディスコを経営していたが、マハラジャで極端な高級志向とドレスコードチェック(アメカジとかは入場禁止で上から下までブランド服必須)にしたところ大盛況となった。
だが大学生が高級志向になったのは自然な出来事ではなく、当時のファッションカルチャー誌が誘導したのであった。
こういう大学生に影響の大きかった雑誌にマガジンハウス社のPOPEYE(以下ポパイ)と講談社のホットドックプレスが挙げられるが、この二つは性格が違った。ポパイが先行、ホットドックプレスが追走、イノベーター理論で言えばポパイがアーリーアダプター志向、ホットドックプレスがマジョリティ志向という感じだ。
マガジンハウスはファッションカルチャー専業だけあってイノベーター人脈があるから未来への提案という形で誌面が作れる。
一方、ホットドックプレスは大出版社なのでもっと安牌志向だ。あまり冒険すると滑る危険がある。
そして流行に於いてマジョリティを相手にするという事は、アーリーマジョリティになれとけしかける事であり、故に強迫観念的になるのである。大学デビューした若者にファッションや遊びを勉強しろと迫る性格を帯びる。
山田五郎氏はyoutubeの「オトナの教養講座」を運営して大変引き出しが多くて教養がある人物だ。同氏は同誌の80年代の編集長であった。
教養人だが編集長時代はマガジンハウスの後追いで背伸びしたい若者に楽しいライフスタイルの提供というよりも「これぐらいマスターしないとモテないぞ」とオブセッションを刺激して走らせる誌面を作っていた訳で、正直そこについては評価できない。
これはホットドックプレスが悪いというのではなくて、トレンドの後追いする方は強迫観念に訴えるようになるという例だ。
そんな雑誌群でやたらと持ち上げられていたのがTV局、アパレル業、広告代理店という業種だ。
ホイチョイプロはこれらのブームが起きる前から広告代理店漫画を書いていたが、このブームに乗って多角展開するに至った。広告業の業務中で電通だけが特別視されたり、変なマウント取る奴が現れたりするのはこのホイチョイプロの影響である。
またとんねるずはパワハラ芸とTV局の内輪ネタで若者の歓心を得て売れるようになった。
特に初期のパワハラ芸が有名だがこのパワハラは芸人同士のそれではなくてTV局での上下関係に限られるのがポイントだ。TV局内とスポンサーなどの上下関係はギョーカイなので売り物になったのである。
故にギョーカイというのは単にがTV局、アパレル業、広告代理店という業種を指すのではなくて、当時の風俗上の序列に裏打ちされたそれら業界という事が出来る。広告代理店業務を特別視してマウントするという態度の背景には、輸入ブランド志向、高級ディスコ、VIPルーム、見せる為の彼/彼女、ポストモダン思想という今では時代遅れの事物の文脈がある。
一方、家庭を築いて建売とかと言った一般的な価値観は外部化されていて入っていない。
先に述べたように流行の浸透期には強迫観念に訴える形の言説が商売になる。面白いものがあるよ、じゃなくて時代に遅れるな、だ。
これらはもう時代遅れだが、この強迫観念に訴える扇動の効果は残っていて、広告やTV局に関する事が話題になると、今でも「電通の本質は違う」などという謎マウントが湧き出すという原因になっている。
特に地方在住者に顕著だ。広告への関係の仕方は様々あり、出稿する立場、印刷を受注する立場、看板屋など様々な立場の人間がネットに書き込む。また電通の業務のうち広告ではない部門、人材派遣やイベントプランニングなどに関する議題で書き込む人も居る。
それらに対して謎マウンティングしでいないではいられない人が現れるというのもネットの常だ。
これらの人は自分が参画しえない場所の話だったホイチョイプロなどのギョーカイ話を実業務での経験(他者の含む)で上書き具体化するのに失敗し続け、レイトマジョリティ転落の強迫観念で駆動され続けているのである。
彼等の言い方は、「電通とは」など目前の具体的解説よりなどまるでその評価軸が高級だったり知的であるかのようで、事情を知らない人は騙されてしまうが、その実は時代遅れの流行追っかけの知ったかぶりでしかないので、騙されないようにして貰いたい。
「インターネット下さい」やソーカルにコテンパンにされたポストモダンの亜種である。
この辺の事情を知っていれば、「己の近い場所に着弾」とか原作者の自殺をそのナイーブさ故と揶揄するAI画像を投稿してTV局の事情通風を吹かす者が現れたとしても、その破廉恥さに憤るよりも前に、その者がオピニオンバラエティに数回出ただけでドラマには関係してない事、職域が権利者との折衝と重ならないであろう事、出演回数的に業界風吹かしたい欲が最大化される地点である事、年齢的にギョーカイ特別視のレイトアダプター層である事、とんねるず世代などに着目し、地方のバーで「業界出身の人」ってこういう感じだよなぁなど感慨に耽り、祇園精舎の鐘の音が胸中に去来するはずである。
またマナの力に長ける者であれば、AIに向かって「政権のブレーンとして官邸に出入していた事がある事は履歴的に自慢したくなりますよね?という建前を押し出した笑顔の発言者の前で、現在相手にしている読者層がその政権へのドグマ的批判を共有するので炎上と評価低下を恐れて答えに窮し発言者が善意の天然なのか悪意があるのかはかり兼ねて引きつった笑いを浮かべる男性」という詠唱により画像を得る事が出来る筈である。
「TVに出るようになった切っ掛けってそのブレーン抜擢ですよね」と発言を重ね掛けする画像でもう一枚行けそうである。
いずれにしてもTVや広告業などの話で具体性も無いのにウエメセマウンティングが発生したら、その実は以上のような事情で背伸びしたい「追いかける人」であるので、良く知らんけど高級な知識っぽさに騙されないようにして欲しいものである。
インターネット普及以前のきのこたけのこ戦争の歴史資料が見つからない
Wikipediaの「きのこたけのこ戦争 - Wikipedia」のページには
と書かれており、その出典は
きのこVS.たけのこ戦争ついに終結 「たけのこ党」が国民総選挙で勝利!「吉田沙保里とつくるたけのこの里」などマニフェスト実行へ(2018年9月11日)|BIGLOBEニュース
とされている
しかしこの引用元ページでそのような記述がちょっと見当たらない
「きのこの山・たけのこの里 国民総選挙2018」は、約38年に渡り対立を続けていた「きのこ派」と「たけのこ派」の戦いに決着をつけるべく開催。
これか?この記述だけなのか?あるいは今は非公開になっているYouTubeの動画内で言及がされていたのか?
こういう冗談みたいな話題を調べるとき案外頼れるのがニコニコ大百科とかアニヲタwikiで凄まじい独自研究の長文が書かれていることもあるんだが、今回は両方ともネタに振り切ってしまっていて参考にならない
???「インターネット普及以前どうなっていたかって話なんだからインターネット上で調べてもわからないのは当たり前だろ」
それはそうなんだが、「この本にそういう話題が書かれていた」みたいな情報がぐぐったらなんかひっかかるかもしれないと期待したのだがな……
年末年始に実家に帰った時に両親に「1990年とかその頃から、きのこたけのこのお菓子のどっちが好きみたいな定番の話題ってあったの?」と質問してみよう
もちろんその話題は今みたいなミーム化した激しい論争(ごっこ)ではなかっただろうけど
しかしTwitterみたいなインターネットでこういう話をするとすーぐネタ混じりの対立煽り(ごっこ)みたいな話に話題がそれてしまうから困る
おそらくこんなニッチオブザニッチなテーマについてまとめた本はない(あったら嬉しいが)ので、個人のエッセイ本だとか日記本だとかコラム集みたいなものの中できのこたけのこ論争について言及したものを探す必要がある
リファレンスサービスつかってもいいが、あんまり使い倒すと出禁喰らいそうで嫌ね
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「○○の中で特に○○」みたいな意味で「○○オブザ○○」って言い回しするときのof theってどういう辞書的な意味なんだろうと気になってググったが、間違えてたか?
「○○the○○」が正しいか?Gガンダムの「ガンダム・ザ・ガンダム」って言葉が根拠だが……ちょっと根拠が弱い
勘だがジョジョの「ダービー・ザ・ギャンブラー」と同じ文法構造な気がする
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「a the b」でぐぐったら出てきた
5 [名詞または形容詞と固有名詞とを同格関係に並べるとき] 《名詞または形容詞+固有名詞の前》.
★このような場合, 特に 固定化したものには固有名詞が the+名詞[形容詞]に先んずることが多い.
・Jack the Ripper 切り裂きジャック.
なるほど!アンドレ・ザ・ジャイアントとかジャック・ザ・リッパーもそれと同じ構造の例か……
じゃあ「ニッチ・ザ・ニッチ」って書いてしまうと誤用かもしれんなあ
率直にニッチ中のニッチとか単にとてもニッチとでも書くべきだったか
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いや待て、「王の中の王」と言うときは「king of kings」じゃないか?
こっちの言い回しと混ざったのかもしれないな
まあどちらにせよ「niche of niches」とは言わんか……
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実は第三勢力もいた!?20年続く「きのこの山派vsたけのこの里派」の議論が白熱するワケを明治に直撃! - コラム - 緑のgoo
「このような議論はお客様の間で自然に生まれたように感じています。それを受けて当社では、2001年には『きのこ党』と『たけのこ党』を結成し、それぞれが人気を競う『きのこ・たけのこ総選挙キャンペーン』を実施しました」
ニュー速が存在するのが99年からだから、99~01年の間にネットできのこたけのこ戦争ミームが盛り上がったとすれば時系列的に矛盾は無いか
雑誌がある年齢層にターゲットを絞ってるから、読者が自然と卒業して別の雑誌に移っていく
セブンティーン→ノンノ→MOREみたいに(選択肢は山ほどあるので一例)
少女漫画もそう
少年漫画も、コロコロずっと読ますに少年ジャンプとか行くようになってる
ターゲットを「特定の生まれ年の読者」ではなく「特定の年齢層」に絞るんだ
例えば2000年代生まれにターゲットを絞るのではなく、「20代」に絞るというように。
それができてないのがいわゆる週刊誌系。
これらは「特定の生まれ年の読者」をターゲットにしてしまったから、新規層は入って来にくい
今回のスープストックに関しては、どちらかというと「特定の生まれ年の顧客」をターゲットにしてしまっていて、あまり良くない傾向ではあると感じる
家族層もターゲットに入れたのは、あまり売り上げが芳しくないんだろうなと推測される
調べてみると、首都圏やオフィス・駅構内の店舗の売り上げは在宅勤務等で落ちる中で、郊外型は家族連れが増え、高齢者も利用して好調らしい
この件なんだけどさ
https://www.yamadakoji.com/entry/patagonia
この山田耕史って人も元々の記事の人も「パタゴニアはダサい、なぜなら20代の若者がダサいと言ってるから」って書いてるけど、その若者ってのはどんなやつらなんだよ?そいつらはお洒落なのか?ダサい若者もたくさんいるぞ。
俺が知ってるお洒落な若者(POPEYEに載ったりしてる)はめちゃくちゃパタゴニア着てるよ。古着で探してきて。普通に人気あるぞ、パタゴニア。10代~20代はバギーショーツを買わないって、それ新作の話でしょ?若者は古着で買ってるんだよ。新作は高いし、古着なら他の人とかぶらないし。古着全般がいますごい人気あるしね。
というか、パタゴニアに限らずこういうこと多くないか?若者が何かを否定すると、そっちの方が正しい意見として扱われるみたいな。しかも、そうやって扱う人達は若者じゃなくて大概おじさんなの。すごくみっともないと思う。
POPEYEとか BRUTUS(好きじゃないらしいけど)は実質中世的だし派生雑誌のcasa BRUTUSとかELLE gourmetとかELLE decorとかも別に性別限定した雑誌じゃないと思う
なんとなくわかる。
Hanako とかは見てるわ。
あと Casa Brutus とか POPEYE。
IT 業界人なので、本当は Web メディアで満たせるといいなと思いつつ、結局 Web メディアだとライフスタイル誌的なものって出来なかったよな。
WIRED と COURRIER JAPON は有料会員で読んでるけど、Web になった途端に全体感がなく記事を集めた感じになる印象がある。
あれはやっぱ1ヶ月に一度リリースするスタイルだからこそ、ちゃんと統一的な雰囲気を持たせることが出来てるってことなんだろうか。
まあ、ライフスタイル誌には WIRED と COURRIER JAPON みたいのとも違ってもっと雰囲気を求めてる部分があるので、POPEYE とかでやってみてくれねえかな。
この人の心配は杞憂でないか?と思うので、表現規制で炎上する対象は実物を見に行きづらい説を唱えてみる。というか皆が知ってると燃えにくい。
例えば宇崎ちゃんポスターの炎上は、ポスターは献血センターに貼られていたので誰でも簡単に見られるものじゃなかった。わざわざ出向かないといけない。
逆に燃えなかった対象は?となるとそもそも燃えてないから分かりづらいんだけど、ツイートで問題視しようとした形跡があったけどあまり話広がらなかったね っていうものに限定すると
ファッション雑誌POPEYEの「ガールフレンド特集」。その特集のなかに10代や20歳くらいの女の子が出てて、主な読者層が20代30代男性だったからこれどうなの?って問題にしてるツイートがあった。
ネットの炎上では問題になったものを実際に見に行って確認した という人はかなり少ない。
というか「実際に見てきたよ」という人の登場は問題になってから1週間とか半月とか経ってからじゃないと現れない。
その頃にはあらかた話は終わっていて「今更?」みたいな反応になりがち。
というか自分の印象では炎上してる対象は表現の自由戦士側もあまり把握してないことが多いように思う。
Vtuber戸定梨香の動画は削除されたから仕方ないとして、宇崎ちゃんポスターは見てきた人が少なかったしそもそも見てきたって発言が注目されることがなかった。
のうりんのポスターやラブライブのポスターも現場で見たというより写メやニュースの画像を見て発言してる用に感じた。
先月の話だけどPOPEYE 2022年 1月号 のガールフレンド特集がちょっとだけ炎上してた。
ガールフレンド特集に10代の女の子(モデルや役者をやってる)が出ててポパイの読者層は20代30代だとして未成年の女の子をどうこうしたいの?キモい!みたいな燃え方。
さっき古本屋で見かけたから買ってみたけど、特集のメインは20代、30代のファッション界隈のカップルをたくさん紹介してる。
問題になった10代のガールフレンドというのは、数人の短いインタビューと見開きの写真が載ってるだけだった。
10代の女の子と付き合いてぇ!とかじゃなくて大人になった人が「昔こんな子がいたな」とか思い出を楽しむような構成。
表現界隈の炎上は「誰でも問題の箇所を確認できる」という状況になるとあまり燃えないような気がする。
宇崎ちゃん騒動のときもわざわざ献血に行ってポスターを確認したのは少ないはずだし
おんせん娘なんかも確認するのが大変だし。
炎上と言っても発言してる人のほとんどは野次馬だし「ちゃんと確認したら問題なさそうだった」ってわかったら興味を無くしてるんだと思う。
ああいう批判は二次元が相手なら別にいいと思うんだけどそうじゃなくてリアルのモデルのいる写真に対して「性的搾取だ」と決めつけるの、そっちの方がよっぽど酷くないかと思う
もしも自分が中学生くらいの女の子だったら、ただ服を着て横顔で映ってるだけの写真に対してそういうゲスの勘ぐりをされる方が写真を使われた事よりも不快になるよ
POPEYEの表紙に女子中学生を載せたのが性的搾取だーって騒がれてるけど、
POPEYEってOliveの対なんだからせいぜい高校生向けの雑誌じゃないの?
勿論成人女性が週刊少年ジャンプを読むのと同じように対象年齢よりも上の層も読んでるんだろうけれど、あくまで本来のターゲットとしては。
逆にnon-no辺りの表紙に「ボーイフレンド特集」で男子中学生の写真が載ったとしても、自分は特に何とも思わないしこんなに騒がれないと思うんだけど。
あと自分はあの絵だけを見ても中学生だと思わなかったし(今時は大学生でもあのくらいの子は普通にいそう)
こんな子供を使うなんて!とは思わなかったんだよな
制服姿でもなかったし…。
実際にこのモデル個人と恋愛しようっていうんじゃなくてあくまでイメージ映像じゃないの?それすら許せないって?
冬のコートで厚着した横顔だけの写真で、露出も一切無いのに性的搾取と決めつけられるって寧ろそれこそがセクハラでは?
映画「We are little zombies」を8/31にウェブでの無料公開で見た。今も劇場で上映されているにも関わらず、という点は素直にすごいな、と思う。海外で賞を取ったとも聞く。Filmarksを見れば、割と高評価を付けている人が多い……ように見受けられる。だけどあれ、そんなに良かったか?
両親を亡くした4人の少年少女(ヒカリ、イクコ、タケムラ、イシ)が火葬場で出会い、バンドを結成し、社会現象となる。しかし、主人公(ヒカリ)の両親が亡くなる原因となったバス運転手がネットで特定され、運転手は自殺。バンドは解散し、主人公は親戚に引き取られることに。イクコ、タケムラ、イシらはヒカリを連れ出し、ヒカリの両親が事故で行けなかった草原へと目指す。道中で事故に合い、4人の乗った車が水没する。頭の中で走馬灯が駆け巡るヒカリ。突然「Continue?」という文字が浮かぶも、一度は拒否。しかし仲間たちの声もあり「Yes」を選ぶ。するとヒカリの出生シーンが浮かび、気づいたころにはヒカリは事故現場にいた。その後草原へ4人で向かい、平凡な人生がいいねとかなんとか言う。念仏が聞こえ、鯨幕の白からズームアウトして終わり。
大筋だけ抜き出すとそれなりに理解は出来る。というかこういう、理解のない大人や嫌な現実に反抗し、自由を勝ち取るというストーリーは青春モノの定石なので、悪くなりようがないのだ。それから、映像が斬新というのも分からなくはない。短いカットの連続に鮮やかな色彩、独特なショット。
自分が何を思ってどう動いたか、バンドがどうなっただとか、最初から最後まで説明のセリフだらけ!映画は、カメラを通じて作り手が見せたいものだけを見せられるメディアだ。だからこそ、言葉で全部喋っちゃ興ざめなんだよ。表情や仕草、寄って撮るか引いて撮るか、背景に美術、何を画面に入れて何を排除するか、言葉だけに頼らず表現しなきゃ「映画」の意味がないんじゃないの。主人公が一人称でナレーションをたっぷり入れることが効果的に作用する場合もあるだろうが、主人公たちは感情が無く、両親の葬式なのに泣けない(だから「ゾンビ」)という設定のはず。それなのに(一応「ゾンビ」だから棒読みで!)べらべらしゃべるものだから、「俺、中学生だけど正直感情が無くて全てが滑稽に思える」のコピペを思い出す仕上がりである。
「さあゲームの始まりです」は流石になかったが、感電して骨が見える、ネットの特定シーンでは画面上に書き込みと思しき文字がずらずら表示される、などの古臭い表現がそこかしこに見られる。走馬灯も「Continue?」も差し込まれる出生シーンも……4人が逃げ込んだ先はラブホテル、了解です!ちなみに、主人公がゲームボーイを持っている理由は一応明かされてはいるが、イクコ役の中島セナに(iPhoneでもデジカメでもなく)フィルムカメラを持たせているところから見るに、ちょっとレトロな感じよくない?ぐらいじゃないかと疑ってしまう。街中で若者がスケートボードをやっている場面も、有り体に言やPOPEYE感を演出するだけ。こういうのを削除したら90分ぐらいのソリッドなものに仕上がると思うのですが。本筋には関係ないものの、正直かなり冷める。
ここがかなり嫌だった。主人公ヒカリはおそらく東京生まれ、東京在住(東京タワーらしきものが見えることから分かる)の中流家庭であるのに対し、がめつく、金をむしり取る親戚は関西弁である。これをステレオタイプと言わずしてなんと呼ぼうか。他にも、葬式の場で主人公に「感情が無いの?」と泣くよう迫る親戚の女性は福島在住だし、主人公の両親が巻き込まれた事故の原因であるバス運転手は広島?出身であるという描写がある。それだけではない。タケムラの父親は、工場を経営しており、貧困で、母子に対し暴力をふるう。そして母親を巻き込んで自殺する。イシの両親は中華料理屋を営んでおり、イシは太っている。そして実家は火災で全焼する。イクコの両親は、イクコに心酔するピアノ教師によって殺害される。そういう設定だと言われればそれまでだ。気にならない人もいるだろう。だが、私はなんだかなあという気がするのだ。ついでに言うと、主人公ヒカリの父親は広告会社に勤めており、社内では人気者だそうだ。監督は電通の長久允氏であることを鑑みるに、強い電通力(ぢから)を感じる。
主人公たちにバンドを組むよう勧めたホームレスたちの音楽が、見た目通りのヒッピー感溢れるものだったことには思わず笑ってしまったが、それは好みの問題だろうから置いておく。問題は主人公たちのバンドだ。エクスペリメンタルビットポップをやるのは、それも好みの問題だろうから(あと一応「ゾンビ」的設定を生かしたのだろうし)置いておく。それの凄さを語る方法が酷い。CHAIや菊地成孔を出して、彼らがいかに凄いかを喋らせるのだ。鑑賞中、思わず叫びそうになった。嘘だろ?!観客はそれぞれ好みが違うから、楽曲の凄さを表現するのはとても難しいということは分かるが、実在するアーティストに言葉で説明させるのは一番ダメでしょう。先ほども述べたが、それなら「映画」でやる意味がないのではと感じる。
「エモいって古い」にはエクスキューズを付けるいやらしさを感じる。さらに、一種の夢オチとも取れる結末で〆ているところもあまり好きではない。別に、全て主人公ヒカリの内面の旅であっても悪くはないが、それにしてはこの(法要中の)短い間によくそこまで考えたな!となり、オモシロさが増す。また、自己弁護ではないが、「絶望ダッサ」にはどうも乗り切れない。「僕は感情がないから悲しみなんて感じないんだ平気なんだ(自己防衛)→いや本当は絶望して悲しんでいるんだ(自覚)→でもそんなのダサいから乗り越えていくんだ(そして未来へ……)」なのかな、と好意的に解釈するとしても、それは「ダサい」という言葉で乗り越えていくべきものなのか、疑問である。抑うつ状態はダサい/ダサくない、という問題じゃないと思うのだが……。
疲れた。映像が斬新と述べたが、中島哲也に似ているんじゃないかとも思う。他にも色々言いたいことはあったが、もう止める。だいたい夢オチの可能性がある時点で、全ての指摘は負けなのだ。楽しんでいる人をけなしたいわけではない。良かったという人はそのまま、堂々としていればいいと思う。ただ、私には合わなかった。
今、黒いレザーのライダースジャケットを探している。
以前着ていたものはものは合皮が劣化してしまい、ある日ポロポロと崩れてきた。
余計なところにポケットがついていたり、シンプルすぎたりちょうどいいものはなかなかない。
次の休日には、先週届いた青いスカートを履くのを楽しみにしている。紺ではなく原色に近いロング。
白いトップスを合わせたいけど、どんなのにしようか悩んでいる。
今はsnidelのノースリーブブラウスを合わせるつもりでいるが、他にも合うものを探したい。
女性の服っていいよねー。
男性には男性のおしゃれがあるしそっちを楽しめばいいかと思うんだろうが、
私はBeginよりもFINEBOYSよりもLEONよりもPOPEYEよりもwithやmoreやminaやSPURやFEDGEが好きである。