はてなキーワード: Cdとは
消費ばかりのオタ活全般がそうではあるんだが、ここまで醜いのはラーメンオタク・鉄道オタク・アイドルオタクぐらいのものだと思うわ。
何を生み出すでもなくただただ消費するだけの癖に、一家言あるかのように驕り、自分が優先されるべきだと思い込み、我が事のように騒ぎ立てることを正義であるかのように振る舞う。
実に気味が悪いよ。
食ってるだけの癖に偉そうなラーメンオタクや、写真を撮ってるだけなのに他人を押しのける鉄道オタク、それに増してアイドルオタクが醜いのはその感情を生身の人間に向けている所だ。
他者の一挙手一投足に対していちいち感情を揺さぶられてみせる態度というのは、メンヘラの恋人と大差がない。
結局のところ主張したいのは「朕の思い通りに振る舞い給え」でしかない癖に、見かけ上だけは相手を上に置いているのが実に卑怯だ。
自分の思い通りに振る舞って欲しいという欲望をただ向けているだけ、そこに真っ当な対人関係はない。
そもそもアイドルというものが売っているのはそういった関係だということが、水商売の一種であるということが薄まっているのが実に厄介だ。
金という対価を払って初めて成立する関係を構築していながら、それをさも真っ当に芸術活動を支えているかのように装う業界の構造自体が嫌らしい。
ラオタ鉄オタはつまるところはノイジーマイノリティであり、それ故に一部異常者以外はまあまあに大人しい。
だがドルオタは他所の界隈では異常である行為こそがスタンダードとなっているため、茹でガエル式に頭がおかしくなるスピードが尋常でなく、結果として肥大化した自意識に飲まれた異常者が大量発生する。
目を覚まして欲しい。
ライブ会場でタイガーサイバー騒いで一本千円のUOを両手に三本ずつ挟んで振り回した所で、お前は何も立派な存在になっていないということを。
ステージ上のアイドルが輝いていればそれでいいと主張しおきながらその実、「こんなに必死に推し活してる自分カッケエ」というちんけな承認欲求に溺れている自分に気づいて欲しい。
君は何も偉くない。
君は何も偉くない。
だから、何かが発表されるたび、すぐに喚き散らして反対を叫ぶのだ。
CDを破壊した画像をインターネットにアップロードしたり、怪文書をSNSに投稿してみせるのだ。
人間として対等の関係だと思っていないから、相手の選択を尊重できないのだ。
君は何も偉くないからね。
この増田以外にもSNKに関するブログにも触発されて、何年も前のちょっとしたエピソードだけどずっと心に残っている話を書いてみた。
彼女と知り合ったのは今から(※)年以上前、私が学生だった頃だ。当時、私は毎週のように近所の繁華街のクラブやバーで飲み歩いていた。いくつかあるなじみの店で私は彼女に出会った。お互い常連だったのでそのうち顔見知りになって会話も交わすようになった。特に連絡先を交換していた訳ではないし、ニックネームで呼び合ってたから本名も分からない上に、今となってはニックネームも忘れてしまってすごく残念。でも今でも顔はハッキリ覚えている。
そして、顔よりもハッキリ覚えている彼女とのエピソードがある。ある日とあるクラブにてイベントがあったので遊びに行った。大音量で音楽が流れている中で酒を飲んでいたんだけど、ふとステージに目を向けるとそれが生歌であると分かって驚いた。てっきりCD(当時はCDが音楽媒体の主流だった)を流しているのかと思ったぐらいとてもクオリティーの高い歌声だった。そしてそれを歌っていたのがその彼女だと分かりさらに驚いた。彼女と話すことはあったけど、こんなプロ級の歌が歌えるとはまったく知らなかった。彼女の歌声にとても感動した。
彼女の歌を聞いた後、座っている彼女を見つけた。この感動を是非伝えたいと思ったので話しかけた。「歌めっちゃうまいね!こんなすごい歌が歌えるなんて知らなかった!感動した!」と話して言葉をいくつか交わしたと思う。その会話の中で彼女は私にこう話してくれた。「私、歌のトレーニングのために(※)へ行こうと思ってる。歌手になりたいんだ。」と自分の夢を教えてくれた。
彼女とはそれを最後に会っていない気がする。でも(※)へ行ってまで歌手になりたいという大きな夢を語ってくれたこのエピソードはずっと忘れることはなかった。その後、私自身の夢について考える時、学生時代を思い出す時、(※)に関するコンテンツを見た時、など何かきっかけがある度に私は彼女の事を思い出し、彼女は(※)へ行けたんだろうか?歌手になれたんだろうか?などと思いを馳せていた。でも私はすでに引っ越していたし、彼女の連絡先も分からないし、その問いの答えを得る術はなく、歌手になれてたら良いなとただ願うだけだった。
そして彼女と最後に会ってから十数年後のある日、私は何気なくテレビを見ていた。歌番組だ。曲名と歌手の名前が紹介され、今から歌が始まろうとしている。私は音楽に疎いので初めて聞く名前だ。そしてイントロが流れ、間もなく歌い始めようというタイミングで歌手が映し出された。ここまで書くともうバレてしまうが、そう、テレビの中に映し出されたのはあの彼女だった。顔はハッキリ覚えている。一目で彼女と分かった。とても胸が熱くなった。そしてそれは曲名も分からない私でも聞いたことがあるヒット曲だった。
私の知らない十数年の間、彼女は努力を続けていて、そしてあの大きな夢を私が想像した以上に大きく叶えていた。私の心の奥でずっと漂っていた問いは、突然に答えを得た。そして「夢って叶うんだ」と思った。強く感じたというより、十数年という重みをもって私の心の奥深くに届いた。彼女ぐらい歌が上手い人はほとんどいない。でもそれ以上に、彼女ほど私を感動させてくれた歌手は他にはいない。たまたま昔の彼女を知っていたという個人的な理由だが、この感動は彼女から勝手にもらった私の人生の宝物だ。
私もそれなりに子供の頃の夢に近い職業に就けた。それでも自分に失望したりすることは多い。残念なことに、もう今から大きな夢を語るような歳でも地位でもない。それでもまだ小さな夢を持っていて、それに向かって努力をしている。彼女ほど大きな夢でもないし、彼女ほどの努力でもないとは思うけど、こうやって私がまだ夢に向かって進んでいけるのは、彼女からもらったこの宝物のおかげだと思う。彼女にはとても感謝している。本当にありがとう!
勝手にもらって勝手に感謝しているので良い迷惑かもしれないが、この感謝の増田がどこかへ流れ着いて彼女の目に届いてくれたらうれしいと思う。十数年後に届くかもしれないと実は本気で思ってる。そんな彼女は紅白歌合戦にも複数回出演するなど、今も活躍を続けている。そして彼女からもらった宝物も輝きを増している。
音楽聴くためにテープやCDを馬鹿みたいに所持する必要もなく、
調べものひとつするにも書籍か知ってる人から聞かないとダメって事もなく、
エロをゲットするために深夜コソコソ自販機でエロ本を買う必要もなく、
昔みたいに繁華街に輩が溢れてて目があったという理不尽極まりない理由で絡まれる事もなく、
残業代?なんでそんなの払わないとダメなの?みたいな労働条件で働かされる事もなく、
パワハラとセクハラまみれの上司から家に帰りたくないという理由だけで深夜までつきあわされる事もなく、
そう考えたら、いい時代じゃない?
つらい思い出も単に時間過ぎたから楽しかった様に感じるだけで今現在、同じ事起きたらクソだなと感じるのは間違いないもの
過ぎ去った日々を懐かしむのはいいけど「良かった」はさすがに思い出補正強過ぎだと感じるのですよ
今が楽しくないのは単に環境変化についていけてないだけじゃないのかと
他者の賞賛が必要な何者病の子が必要なのは、基本的に精神科医やカウンセラーのアドバイスか親との和解だと思うけど、
最近、推してるアーティストが『何者にも〜』+『地を這う感覚が消えない』って言ってるのとか見て、
確かにアーティストの場合は、有名になって、とにかく聴いたり・見たりしてもらわないと、何も始まらないので、
何者かになりたいと熱望するのはそりゃそうだなって思いました
でも、自分の作品を知ってもらうために、本業とは違うことして仮に大成功収めても、果たして幸せなのかな?って思う
ヒカキンなんぞ、もう常人の10周分以上のお金稼いでるのに、『僕って何者なんですかね?』とかやってるぞ
(60) 【完全隔離】韓国KPOPスターが、米ビルボードの授賞式で次々に受賞!だが中身を精査してみると実は…… 【ずんだもん】【ずんだもん解説】 - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=oOUlhhx0sQ0
これが嘘じゃないことは知り合いがK-POP好きだから知っている。
謎の組織があったりがっつりと指示しているわけでもないみたいだがこういうことをしているのは間違いない。だってしてるの見たもの。
スポティファイで回転数をあげるために「流しっぱなし」にしてなおかつカウントがつくようになっている(同じ曲をリピートされるとカウントされない)プレイリストがある。これを1日中再生しているとカウントされる。
厳密に言うと不正ではないけど聞いてないからね。プレイリストを再生して音量を下げているから。
CDを複数枚買うことも含めて、「その音楽は聞かれない」ことを前提としている。
「それのなにが悪い」って言われると何も悪くないけど、聞かないための音楽に金とヒマと手間を投入しまくる推し活ってキモいと思うのです。
人間生きてるうちに誰かを推し活しているところある。親は子の推し活してるともいえるかもしれない。
でもなあ、、、、
『呪術廻戦』五条悟“超人気声優”中村悠一(43)オンラインゲーム配信で“下ネタ連発”にファンがドン引き《「覗くよ」と言って女性アバターのスカートの中を…》
https://bunshun.jp/denshiban/articles/b7979
中村悠一の下ネタ発言がひどいという記事が話題になってるけど、SNSでは擁護の意見ばかりで引いてしまった。
ほとんどの女性声優はライブ配信だとしても男性ファンが嫌がるような下ネタ発言をしたりBL発言をしたりせず、可愛いイメージを崩さないように気を配っているし、女性声優同士でも百合営業に勤しんだり、男性ファンが喜ぶファンサービスを心掛けていると思う。一方男性声優はというと、中村悠一のように女性を性的な目で見る下ネタを言ったり、関智一のように女性声優にひどいセクハラをしたり、間島淳司のブログでの「BLはAVみたいなもの」発言、寺島拓篤の添い寝CDのフリートークでの「このCDだけでなく早くそういう相手を見つけてください」発言のように、自分の客に喧嘩を売るようなことを言ったり、プロ意識に欠けている人が多いと思う。
バンドリ、正確にはBang Dream!プロジェクトは、ガールズバンドを題材にブシロードが展開するメディアミックスコンテンツだ。
とこのあたりはチャキチャキ行きたいのであとは各自調べてください。
スマホゲーを中核にしつつ、アニメ化とか音楽とかいろいろあるわけだが、一番のキモはリアルバンドということになると思われる。
文字通りというか何というか、リアルのバンドである。キャラクターを担当する声優さんたちが楽器を練習してバンドを組んでライブをするという、そういう感じだ。
この流れの中で、昨年リアルバンドの活動開始とともにテレビアニメシリーズ『Bang Dream! It's MyGO!!!!!』が放映されたのがMyGO!!!!!(以下マイゴ)というバンドである。
『It's MyGO』については、もう全員見ているであろうから話の大筋は割愛する。平たく言えば「気まずい『けいおん!』」である。
ともかく、今にして思えばこのテレビシリーズが始まりだった。バンドリのアニメシリーズ自体は以前にも3シーズンばかり放送されており、目を通してはいた。が、ハマるということはなかった。「ふーん、いいじゃん。」と渋谷凛程度のテンションで受け流していた。
ところが今度の『It's MyGO』は違った。端的に言えば、わかる。これに尽きる。劇中で次から次へと起こるいざこざは、バンド経験者であれば、馴染み深いとまでは言わなくとも身に覚えのあることばかりだ。そもそもバンドマンなんて人格に問題を抱えた人間の方が多い。それが群れてひとつの目的に向かおうというのだから、揉めるこじれるは必然と言える。現実には、結束バンドや放課後ティータイムのように円満な関係のバンドのほうが珍しいはずだ。
そして何より、バンドは終わる。99.9%のバンドは、とくに売れることもなく、ライブを成功させる(何を成功とするかは難しいが)こともなく終わる。マイゴだって一度は最悪の形で終わりを迎える。だがそこからだ。大きく話題になった10話のライブ回。「終わったバンド」の先を描くファンタジー。泣いた。泣き散らかした。なんというか、過去の私が救われたような思いがしたのだ。『ラ・ラ・ランド』のクライマックスのようだった。
youtubeのマイゴチャンネルで情報をチェックするようになった。新規楽曲のMVがチャンネル上で公開されていたのがきっかけである。アニメ終わったのに新曲出るんだ、と思ったのを憶えている。
そうやって過去楽曲のMVまで漁っているうちに、画面端に目が留まった。
話が逸れるようだが、ここでインターネットのコツについて書く。youtubeの関連動画を見るな。というのがそれである。猫動画を見ていたら関連動画にハムスターの共食い動画が現れたことがあった。関連動画を見ていいことなんてひとつもないのである。私が数ヶ月前の自分に何かアドバイスできるなら、youtubeの関連動画を見るな、と必ず言うだろう。
同じバンドリプロジェクトの別バンドの、リアルライブ映像だった。RAISE A SUILEN。以下、RAS。
音楽的には全く好みでなかった。マイゴがクリーンヒットするくらいだから、私が好きなのは直球のギターロックなのである。アジカンとかイースタンユースとかアンディモリとか、そういうバンドなのである。
RASの音楽は、好みと全く違った。が、好みでないがゆえに、俯瞰で分析的に見られた。そして思った。演奏力、ヤバい。
特にドラム。全員巧いが、特にドラム。叩くマスキング役夏芽氏のドラムは、完全にパワータイプである。ビスケット・オリバとか花山薫とか好きな人なら多分好きである。四つ打ちのシンプルなリズムに我慢ならんとばかりに無限にフィルが入ってくる。打点がよほどいいところを抜いているのか、バンドとしては重心低めの音像にも関わらず、ドラムの音が小気味いいほど抜けてくる。かつ重さもある。そして常に笑顔。普通あんなドラムを叩いていれば虚無顔か仁王顔になってしまうと思うのだが、めちゃくちゃ抜けのいい笑顔で叩いている。怖い。あと髪型がかっこいい。東京リベンジャーズに出てきそうな髪型である。怖い。
しばらくはRASにハマり、ブックオフオンラインでアルバムを買った。当然、特典ブルーレイ付の初回盤である。
ここで、バンドリシリーズのCDの特殊な形態について少し説明しておく必要がある。CDには、たいてい【通常盤】とブルーレイ付の【初回盤】が存在している。なんだ普通じゃんと思われるかもしれないが、特殊なのは、このブルーレイの方が「本体」であるという点だ。ブルーレイには、基本的にバンドのライブ公演が一公演まるごと収録されている。そのブルーレイの分、通常盤と初回盤の間には価格差がある。たとえば、シングル盤だとCDのみの通常盤では1,760円(税込)。これに対してブルーレイ付の初回盤は7,810円(税込)である。これがアルバムになると、付属のブルーレイは二公演ぶん二枚となり、価格は通常盤3,520円(税込)に対して初回盤11,000円(税込)となる。この価格差が、ブルーレイが「本体」であると書く理由である。
MyGOのアルバムを購入した時点では、ブルーレイが本体であるということを見抜けていなかったため、私は通常盤を購入してしまっている。今では、中古盤を漁る際でも、必ず初回盤を狙うようにしている。
それはさておきRASである。付属のライブ盤ブルーレイ二枚を鑑賞して、参ってしまった。ドラム、音源よりライブのほうが三十倍かっこいいではないか。
といったところで、脱線に脱線を重ねることにはなるが、バンドリとプロメンバー、ということについて少し書く。
バンドリにおいてキャラクターを演じる声優さんが演奏するのがリアルバンドであると先に書いた。掘り下げると、このあたりは少し込み入った事情がある。RASについていえば、はじめはバンドリプロジェクトの専属バックバンドとして組まれたものであり、ドラム、ベース、ギターというバンドの核を成すパートを受け持つメンバーはもともとスタジオミュージシャンとして活躍されていたようである。いわば演奏のプロ。演奏がうまいのは当たり前と言ったら失礼になるが、むべなるかな、である。
このあたりの事情について、もうひとつ、注目すべきことがある。こうした、スタジオミュージシャン出身のメンバーも、自身の担当パートのキャラクターに声をあてるのである。私としては、ここのところをとても面白いと感じている。彼女らは演奏のプロであるが、声優としては(はじめの時点では)アマチュアである。翻って、本業声優のメンバーについて考えると、彼女らは声優のプロであるが、演奏についてはアマチュアである。この交差が面白い。声優メンバーの演奏技術の向上と、ミュージシャンのメンバーの演技力の向上。後者についてはスマホゲームやアニメシリーズでよく確認することができる。再三触れているRASの夏芽氏などは、もはやキャラクターとしても堂に入ったものである。
RASのライブ映像にどっぷりと浸かった私は、気付けば他のバンドのライブ映像もアーカイブを掘って追うようになっていた。
見ていて、面白いことに気づく。バンドリのリアルバンドでは、技術的な要点はリズム体に置かれているということである。
一応のシリーズの顔であるPoppin Partyで全体の演奏をリードするのはバンドマン上がりのベーシスト・西本氏である。ベースをかなり低めに構えた独特のフォームで激しいパフォーマンスを披露して客席を強烈に煽る姿は、演じるキャラクターとのギャップに少し笑ってしまう。
Poppin Partyと対になるRoseliaでその役を担うのはドラムの櫻川氏だ。ツーバスを主軸にした手数の多いド派手なスタイルで、バンド全体を牽引する。最初見て「この人もスタジオミュージシャン出身なのかな」と思っていたら普通に声優さんだったので、少し引いた。
バンドというものは、リズム体さえしっかりしていればそれなりに聴けるものになる。そういう点を押さえた上で、どのバンドにおいてもリズム体には力を入れるディレクションを行っているのではないだろうか。
という流れで、もっとも後に触れたリアルバンド、Morfonica(以下モニカ)の話をする。
モニカについては、番外編除くアニメシリーズには未登場だったのもあり、ここに至るまで知らずにいたバンドであった。
ライブ映像をまず見ての感想は、なんだかちぐはぐなバンド、である。
特徴となるバイオリン。バイオリンについては恥ずかしながら知識がなく、技術的なことの細部については分からない。ただ、だからこそ、バイオリニストAyasa氏が凄まじく巧い、ということは分かる。いや、モニカのライブ映像を見れば、誰もがそう思うはずである。どんな素人でも分かる凄さである。それぐらいに並外れている。パート的にはリードギターの役割を担い聴かせる激しい演奏は、間違いなくこのバンドの華であろう。ミラ・ジョボヴィッチか?と言いたくなるようなビジュアルも含め、強烈な引きを持ったスタープレイヤーである。
それにドラム。叩くmika氏は夏芽氏とは別ベクトルの超絶ドラマーである。繊細でテクニカルなタイプで、刃牙では烈海王が好きだという人などは恐らくピンとくる音なのではないだろうか。mika氏のプレイにあって、ことにスネアにおけるニュアンス付けは卓抜している。スネアロールの中でのアクセントの位置付け、クレッシェンド、タッチは自在であり、音だけ聴けば口径も材質も違うスネアが四つも五つも並んでいるのかと錯覚するほどである。スタンダードなスクエアなリズムの中に三連系や五連符のフィルをさりげなく滑り込ませるようなプレイも多く、いわゆる「うたう」タイプのドラムとして実に聴きどころが多い。
やはりというか、この二名はもともとプロのミュージシャンであったようだ。演奏は彼女らが引っ張っていく形になるが、ライブ映像の印象は、ギター・ボーカル・ベースはそこに必死についていっているというものだった。演奏がよれたり躓いたりするのを見て失礼ながら「本当に演奏しているんだなあ」と改めて感じた、とそんなような演奏である。
プロジェクト内の他バンドに比べてやけにこなれていないこのバンドに、なぜだか興味が湧いた。
youtubeのバンドリチャンネルを掘っていて見つけたのが、モニカの活動初期ドキュメンタリーシリーズ、「Morfonical」である。バンドの結成から練習、はじめてのイベント出演、単独ライブまでを追う。これが順風満帆とはいかないスタートである。初ライブではライブの開始時にイヤモニにトラブル。ギター直田氏は自らの音が聴こえない状態で一曲目を演奏していたようである。これは目隠しをして絵を描かされるに等しい。演奏に慣れない中、いきなりの大舞台でそれなのだから、恐ろしすぎる。トラウマになってもおかしくない。そんなこともあって、この初ライブはメンバーにとって悔いの残るものになったようだ。ことに悔し涙を流すベース西尾氏と、「自分が全体を見る立場なのにメンバーの不安に気づいてやれなかった」と語るmika氏が印象に残った。それを経ての猛練習と、続く単独ライブ。そこにはドラマがあった。そうした物語込みで見ながら、モニカに対する印象は変わっていった。当時、ギター直田氏とベース西尾氏は「モニラジ」としてyoutube内ラジオを放送しており、これのライブ前後の回、及びにAyasa氏とmika氏のゲスト回にて、ライブにかかる心境を詳しく語っている。
この頃、私はバンドリプロジェクトの中心となるスマホゲーム『ガールズバンドパーティ』にも手を出し始めていた。マイゴのストーリーイベントが公開され、アニメシリーズの先の物語が語られ始めたためである。このゲーム内ではモニカのストーリーも詳しく語られることになるのだが、これを語り始めるとまた際限なくなってしまうので、詳しくは触れない。ただ感じたのは、モニカのストーリーは、バンドリにおける特殊な物語構造──キャラクターたちの物語とリアルバンドの物語の交差──を強く推し進めたものだということである。ミュージシャン組であるAyasa氏とmika氏のキャラクターを演じるという意味での成長、声優組である進藤氏、直田氏、西尾氏のミュージシャンとしての成長、これが交差してモニカという存在の強度を増していく──そういう物語である。少なくとも私にはそのように感じられた。
『エンターテインメントを止めない!~バンドリ! コロナ禍の軌跡~』という特番をyoutube内バンドリチャンネルにて全編視聴することができる。
特に2021年から22年にかけては、ライブの規模縮小、イベントのキャンセルなどかなり活動を制限されたようである。
最近になって、コロナ禍を経ての直近のライブ映像が幾つかアップされている。その中でモニカの最新のライブも見ることができた。
実によくまとまった演奏であった。声優組のパフォーマンスは見違えて堂々とし、演奏ミスもほとんどない。ミュージシャン組のふたりの音もより自由にのびのびと奏でられていた。
そこまでにあった物語を思って、すこし涙した。
CD初回盤付属のライブ映像もそれなりの数を見てしまって、あとは実際に見るしかないかなと思い始めている。
場の雰囲気を思うと、怖くもあるが、なんだか楽しみでもある。
第3回 さくらインターネットのスタンダードプランの環境にnpmをインストールする
第2回が頓挫したので、その原因を取り除くためにnpmとやらをインストールする。
参考文献を元に進める。
まず新しいバージョンのOpenSSLをコンパイルするらしい。あと新しいバージョンを使うにはPythonも必要らしい。
openssl version OpenSSL 1.1.1k-freebsd 24 Aug 2021 python --version Python 3.8.12
いきなりnpm(⇔Node.js?)のコンパイルが行けそうな気がしたので、とりあえずやってみる。
参考にしたサイトにはOpenSSL云々に関することが書いてあるが、その辺は全部問題ないことを祈って、関連するオプションを全部取っ払う。
curl -sSf https://nodejs.org/dist/v20.11.0/node-v20.11.0.tar.gz -O tar zxf node-v20.11.0.tar.gz cd node-v20.11.0 ./configure
とすると、
Node.js configure: Found Python 3.8.12... WARNING: C++ compiler (CXX=g++, 9.4.0) too old, need g++ 10.1.0 or clang++ 8.0.0 WARNING: warnings were emitted in the configure phase INFO: configure completed successfully
「successfully」なら問題ないよな?
続いてmakeだ。makeってなに?もちろんconfigureもよくわかってない。大規模なプログラムをコンパイルするときに必要なヤツというボンヤリとした認識だ。
当然コンパイルがなんなのかもよくわかってない。
nohup make install DESTDIR=/home/*****/local PREFIX=
ここから30分経っても応答が無いので飽きる。
はい、もう無理。飽きた! 次回があるとしたら「npmをインストールする②」である。
もっと新しい情報があったようだ。こっち見てやればよかった。
HMVといえばタワレコとかと並んでCDをたくさん売っている、音楽好きに愛された店だったと記憶している
特に90年代を若者として過ごした人たちには、ある種、憧れのようなワクワク感もあったのではなかろうか
しかし、もはや音楽はネットで買うのが当たり前、それどころか定額サービスで個別に買うことすらあまりない時代になり、CDショップの実店舗に最近足を運んだ人はどれくらいいるだろう?
先日久しぶりに行ってみると、売り場の1/4くらいしか真面目なCDやDVDはおいていなかった
残り3/4は、いわゆるネットアイドルのような人たちのグッズや一番くじが売られていたのである
売り場には、にじさんじのグッズ、すとぷりのグッズ、ホロライブの一番くじ、などなど
にじさんじグッズが、フェアだったのか知らないけど、めちゃくちゃ面積をしめていた
90年代のCDブームは古すぎるにせよ、2010年代なら、これがAKBとかジャニーズだったのかもしれない
会いに行けるアイドルもいまや昔、いまやアイドルもリアルは避けられているのだろうか
インターネットは薄暗い世界だったのが、もはやリアルより尊いメインカルチャーになり、Vtuberが実存アイドルを超える日もそう遠くないのかもしれない
劇場版ガンダムSEEDから思う「今のアニメの作画」※ネタバレ無し
ガンダムSEEDは、DESTINY終盤が放送されている時期に友人から勧められてハマった。私は当時小学生。人生で初めて買ったCDは玉置成実の『Reason』だった。
…こんな書き出しだが、「ガンダムSEEDシリーズは私の世代にとって革新的で思入れが強くて〜」といった話ではなく、『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』を見て感じた「近年のアニメの作画」に対する率直な思いについてまとめたもので、作品評価は含まない。
できれば拡散されたい。
人の意見が聞きたい。
劇場版SEEDの情報が解禁されるにつれ、SPOT映像も順々に公開された。
そのうちのひとつ、海辺で語らうキラとラスクのシーンで、キャラクターの動き・表情が機械的で実に不気味だと感じた。特にラクスが顕著だった。人が手で描いたはずなのに、瞬きなどはまるで3Dモデルに見える。例えるならVtuberのモーションに近い。
結論から言うと、劇場版SEEDは全編をとおしてほぼそのような絵でできていた。
昨今のデジタル作画特有の「完璧に均一で色に溶け込むほどの極細な線」が、画面内をなめらかに動き続ける。
メカ類は基本的に3Dなので、ピタリと止まることなく常に画面内を揺蕩っていた印象だ。
正直行って、絵(?)が動き過ぎだと感じた。
やたらに動くだけでその動作に意味を伴わないため、少し酔うほどだった。
これは果たして、作品の演出として本当に必要な手間なのだろうか?とつい考えてしまった。
ただし「SEEDシリーズの作画」に関しては、テレビシリーズの頃よりオタク達からよく指摘を受けていた。
週ごとに絵柄が変わったり、バンクを多用して展開上違和感のある映像になったり…(ムウのヘルメットの話ではない)。
これらを今の技術で改善し、あの頃からのファンへ自信を持って作品を発表することも、製作陣の課題のひとつだったのだろうと想像している。
ネットに触れていれば「ヌルヌル動く作画」といった表現はよく目にするだろう。昨今の制作サイドにおける流行りの表現方法であり、今の視聴者層に響く華のある映像なのだろう。
ただ、劇場版SEEDはいわば「ニュルニュル動く作画」で、私にその手の専門知識はないが、全ての絵に凄まじいコマ数を詰め込んだ映像なのだろうと思わされた。
おそらく手で描いていない部分もある。きっと今の技術を使えばそれもできてしまうのだろう。
少し大袈裟に言えば、3Dロボット・デジタル効果・ニュルニュルと動くキャラクターの映像が流れる中で、たまに手描きっぽく思える絵が混じって目立つ感じだ。
私が幼少期に見たデジモンやゾイドのような、手描きの絵の中にゴリゴリの3Dが混ざっていた時代からは見事に逆転したような印象を受ける。
芸術分野のことばに「不気味の谷」というものがある。簡単にいうと「決して3次元ではないが2次元の域は超えつつあるリアルな創造物」のことで、例えばAI生成の人物画像に対して抱く感情のことだ。
「ヌルヌル作画」を超えつつある昨今のアニメ映像…薄給と聞くアニメーターにとって本当に必要な手間なのか?手描き丸出しのアニメはもう古いのか?それとももうできないのか?それは技術・人員・時間、どれが原因か?