はてなキーワード: 4pとは
特に猛烈なファンというわけでもなく、何気ない気持ちで観てみたんだけど、アラフォーの自分にはじわじわ刺さる作品だった。
ネタバレに触れるかもしれないが(そもそもドキュメンタリーにネタバレがあるのかわからないが)、簡単に感想を書く。
「90年代に活躍した伝説のバンド」みたいな扱いになっているが、イエローモンキーって当時の日本の音楽シーンでは、どメジャーって感じでもなかった気がする。
カラオケでJAMを歌うやつはたくさんいたけど、GLAYとかラルクに代表されるような90年代に流行ったV系バンドほど人気があるわけでもないし、MICHELLE GUN ELEPHANTとか、エレカシほど硬派で骨太なイメージもない。
当時流行ったUKロックとか、グランジとか洋楽が好きなやつからはダサいと馬鹿にされていた。そんな立ち位置。
でも見た目は日本人離れしてかっこよかったかな。だから女子のファンが多かった。
2001年、人気の絶頂といわれた時代に突然活動を停止して、その約3年後に解散。理由は明らかにされていない。
映画は、2016年5月の代々木競技場での再結成ツアー初日から年明けのカウントダウンライブまでのステージと楽屋裏を淡々と密着していて、それにメンバーそれぞれのインタビューと彼らの原点であるという渋谷のライブハウス「La mama」の無観客ライブを織り交ぜて構成している。
過剰な演出もなく、シンプルに追ってるだけなんだけど、たいしてファンでもなかった自分が引き込まれてしまったのは、きっと映し出されている人の「人間臭さ」なんだと思う。
皆50を過ぎたおっさんだというのに、メンバー同士アホみたいに仲が良さげである。トランポリンを跳ねたり、リーゼントにしてみたり、ライブ前後の楽屋風景はさながら中学校の昼休みだ。
そしてアホみたいに化粧が濃い。深い皺の刻まれた50男の顔にファンデーションを幾重にも重ね、アイラインを引き、口紅を施し、頭皮マッサージをされている姿は、ある種のおぞましささえある。
そしてその年齢ゆえ、過酷なスケジュールのツアー中に起きる、体の不調。
ぎっくり腰や熱、腱鞘炎に加え、ステージ中にボーカルの吉井が声が突然出なくなるという、最悪のアクシデントもある。ライブが中断され、騒然とした客席、ピリピリとしたバックステージもカメラは追っている。
ライブのリハやレコーディングでの音作り風景も興味深かった。「こんな細かいところまで?」「そこまでして客はわかるのか?」というくらい綿密で、本番ギリギリまで試行錯誤している。
それなのに、ステージの上では、煌びやかな艶とオーラをもつ、ロックミュージシャンの魅力をまとうから不思議である。
上手く表現できないが、そんじょそこらの30代、40代のミュージシャンには出せそうにない「凄み」があるのだ。
これまでの日本のロックシーンで、音楽に地道かつ真摯に向き合いながらも「華のあるビジュアル」の中年ミュージシャンは存在しなかったのではないだろうかと思う。
90年代、20代の頃はさほど魅力を感じることができなかったが、自分も不惑を迎えた歳となって、素直に「かっこいい」と思える年上のおっさんが世の中に存在するのは有難いことである。
「オトトキ」ってタイトルは最後まで意味わからないうえ、めちゃめちゃダサいし、キャッチコピーは「4Pしようぜ!」だし、ポスターのビジュアルはクソスベってるけど、この歳に出会えてよかったな、と地味に思った作品だ。
お世話になります。
COJというアーケードタイトルに60万円以上使っているプレイヤーです。
3月18日に行われたカードランキングおよびオリジナルポイントの変更について思うところがありメールを送らせていただきました。
単刀直入に申しますと、オリジナルボーナスSデッキの使用率を下げるためだけの調整はやめて欲しいです。
今回新しくデッキオリジナルボーナス(以下、DOB)6pのカードが登場しました。
【変更前】
1-100位 0p
101-300位 1p
301-550位 2p
【変更後】
1~30位 0p
31~150位 1p
151~550位 4p
551位~ 6p
一見してDOBの高いデッキが組みやすくなったように見えますが、実際は違います。
説明しなくても調整した側の人間なら分かると思いまずがプレイヤーを馬鹿にしての調整だと見受けられるので、
ここで説明することでその認識をいい加減やめてもらいたいと思いあえて行っています。
【変更前】
S:80p~ (AP獲得倍率:2.5)
A:40p~79p (AP獲得倍率:1.8)
C:5p~19p (AP獲得倍率:1.2)
【変更後】
S:160p~ (AP獲得倍率:2.5)
A:80p~159p (AP獲得倍率:1.8)
B:40p~79p (AP獲得倍率:1.5)
D:0p~9p (AP獲得倍率:1.0)
この【変更前】の以前にはSデッキに関してのみAP獲得倍率を下降させる調整を行っています。
この時からSデッキに対する調整を入れていきたいという意向があったことは誰でも分かります。
次にDOBランクに必要なポイント数を満たすためにより少ないカード数で満たすとどうなるかを書きます。
【変更前】
S:80p
2p×40枚(残0枚)
A:40p
B:20p
4p×5枚(残35枚) or
2p×10枚(残30枚)
C:5p
2p×2枚+1p×1枚(残35枚)
【変更後】
S:160p
6p×26枚+4p×1枚(残13枚) or
4p×40枚(残0枚)
A:80p
6p×13枚+1p×2枚(残35枚) or
B:40p
C:10p
6p×1枚+4p×1枚(残38枚) or
これだけでも高いDOBを組もうとした際にCデッキより高いボーナスデッキは、
DOB確保以外のカードを組み込めるカード数が軒並み減ってしまっていることが分かります。
オリジナルデッキの制約というのは、DOB確保のためのカードを除いた自由に組めるカード枚数の数の増減です。
自分で好きに入れることのできるカード枚数が減ればそれだけ難易度は上がります。
従来の1p、2pであった現在の1p、4pの層が厚くなったため条件を満たしやすくなったかもしれませんが、
Sデッキに関して言えばより難しい条件になり、Aデッキに関しても自由に使えるカード枚数を増やそうとすると
新しい1p、4pを選択しやすくなった状況でより候補から外れやすくなった6pカード、
正真正銘の弱すぎて6pでも誰も使いたがらないようなカードをデッキに組み込む必要が出てきます。
つまり、1pと4pの層の拡大化により高いDOBデッキを組みやすくなるというのは見せかけにすぎず、
実際に使用率を集計して変化するDOBシステムにおいてはより難易度が上がっただけということになります。
DOBの高いデッキを作るために4p帯の使用率が上がれば1p帯とのループ的な入れ替わりを起こし、
今回の調整により、最下層である6pカードはさらに日の目を見ない層になりかねません。
なぜ、このような調整を思いついたのか。
なぜ、このような調整に誰も疑問を投げかけなかったのか。
なぜ、このような調整が通ってしまったのか。
誰かに余計な入れ知恵でもされたのでしょうか?
余計な口出しをされたのでしょうか?
Sデッキの使用率を下げたいがために他のデッキ利用者も巻き込む形で調整が行われてしまった。
そのようなことはプレイし始めれば早かろうが遅かろうが誰でも気づきます。
そのときに心に浮かぶことは運営への不満や疑問しかありません。
ここまでの文章を書くまでの間に何度も残念だという気持ちになりました。
Sデッキを調整したいという思いにはとやかく言うつもりはありません。
ですがSデッキを調整するために他のデッキを使う人間にも影響が出るような調整をしないでください。
Sデッキが運営にとって不満であるならばポイント帯を0、1、2、3、4として新たに作った3pに
4p帯が本当に誰も使いたがらないカードにする調整はできたはずです。
システム的な問題ならゲームシステムの根幹であるDOBにコストを掛ける正当性はあるはずです。
目先の調整や小手先の調整で回そうとしないでください。
無理をしないでください。
プレイヤーは、特にヘビーユーザーにとっては取って付けたような真新しさはそんなに望んでいません。
その人たちにとってはプレイ時間が短いために頻繁な更新をされてもついていけません。
だんだんと自分の遊び場ではなくなっていくコンテンツを遠巻きに眺めるようになり、
そうすると運営は躍起になって小手先の更新に注力して、火に油を注ぐわけです。
もうやめにしませんか?
更新して売上が上がるのはプレイヤーはクオリティを確認しようとしているからです。
決して更新自体にお金を払っているのではありません、確認するために課金せざるを得ないのです。
それがカードゲームです。
プレイヤー側全体は更新が起こるたびに「このゲームを続けていていいのだろうか?」という評価が発生しています。
しかしそうでないものを何度も行い続けると結果は目に見えています。
ゲームシステムを変えることなく、安全に集金することが可能です。
ユニットの絵柄を変えるコンテンツはずっと凍結されたままになっています。
あちらに力を入れて課金要素を追加してください。
できればフィールド上でも小さな変化があればいいかと思います。
RPを使用させるコンテンツを充実化させればプレイヤーは実際にプレイするほかありません。
プレイする頻度が高ければ高いほどゲームにのめり込むと考えてください。
なるべくプレイヤーをゲームさせるような調整がCOJの未来とファンを作ります。
また、Sデッキをしきりに警戒しているようですが、
大部分のプレイヤーにとって少し流行ったSデッキを使いランクを上げたとしても元々の実力がない限り維持はできません。
そしてランクの高さがゲームの終わりだとも思っていませんしランクを上げることにモチベーションを感じる層は全体のごく一部だと思います。
そういった一部の人間もランクが上がったからといってゲームをしなくなるというわけでもありません。
ランクの上昇は自分のゲームスキルの向上の一種の指標にしかすぎないという認識は多いと思います。
そもそも1対1のゲームのため分不相応のランクに突入しても自分が痛い目を見るだけです。
Sデッキを警戒しすぎておかしな調整を繰り返さない前に誤解をやめてください。
ここまで遊んできたのですから、COJよりも面白いカードゲームが登場するまでは最後まで遊ばせてください。
新しいカードが欲しいわけじゃないんです。
新しい調整をしてほしいんじゃないんです。
そしてそれができるのはゲームセンターにおいてセガゲームス以外には無いと思っています。
失望させないでください。
夢を見せてください。
以上です、どうぞよろしくお願い致します。
3Pってのはやろうと思えば誰でも出来る。
わたしは、3Pに抵抗感を持っているのはむしろ男なのだと世の中に訴えていきたいと考える立場だ。
思い出して欲しい。
狙っている女子を誘ったら、「えー、楽しみ。じゃあみんな誘って行こうよー」という返信。
そんな経験はなかっただろうか。
わたしはある。
当時は目の前が真っ白になり、膝から崩れ落ち、神を呪ったり、自殺を考えたりした。
自殺しなくて良かったと思ったのは、この返信の真の意味に夢の中で気付いたときだ。
あれは「一対一は恥ずかしいけれども、みんなと一緒ならオーケーだよ」という意味だが、真の意味には、一対一で恥ずかしいことでもみんなと一緒ならオーケーという相手の性質がある。
つまり、一対一のSEXよりも3P、3Pより4P、4Pより5Pの方がガードが緩いですよ。という無自覚に放たれたサインだったのだ。
ガードの緩さと男性の魅力は比例する。
そんな感じだ。
また、この性質は30代女性より20代女性、20代女性より10代女性と若いほど増加する傾向がある。
それらを踏まえると、女子高校生10,000人を相手にした10,001Pなら理論上どんな男でもいつでもやれることになるという意外な結論が導き出されるのだ。
さて、肝心な誘い方だ。
いろいろあるけれども、一番簡単なのは、女性の前で土下座してお願いすることだ。
男性が3Pを勝手に重く捉えてしまうのと同様で、女性も男の土下座を勝手に重く捉えてしまう傾向がある。
5Pをやりたいなら、4人の女性の前で「どうしてもあなた方と5Pをお願いしたいです。何卒よろしくお願いします」と本気の土下座すればオーケーだ。
おれはもちろん童貞だけれども、理論は鉄壁なはずなので、少子化対策の一環としてもみなさんにはどんどん使ってもらえたらと思う。
また、誰かがこれを利用して10,001Pをすることになった時はこっそり混ぜてもらえるとうれしい。
いや、おかしいでしょ。なんでPlaceが流通になるの。なんとか頭文字を合わせようとしただけじゃないの。
で、さらに顧客志向のマーケティングミックスとして後に生まれたのが4C。
サービスのマーケティングミックスでは4Pに3つのPが加えられ、7Pになる。
Physical Evidenceが分かりにくすぎる。2単語になってるし。
さらに共生マーケティングにおける4Cは上記の4Cとは違うとか、共生マーケティングの分野には7Cs COMPASS MODELなるものもあるとか。
7Cs COMPASS MODELが何を言ってるか分かる人います?
無理やりかっこよく頭文字を合わせてなんの得があるというのか。
SEALDsの行動の良し悪しはここで話す事ではないし、「ぶっちゃけどっちが正しいかとかよくわからない」ので横に置いて起きます。
一般的にですが、若い人から見たら政治家って基本「悪」なんですよ。何やってるかわからないし、いつでも叩けば利権やら何やら出てくるし。給料とかは別にいいんですよ高くたって。ちょっと何かやらかしたらネットでもリアルでも袋叩きに合うわけですし、有名税って事である程度納得はいきます。
ただ一部の権力が行き過ぎる人がもみ消せる事に対しては色々と複雑な思いですが。
「マイナンバーも安保もお前らが選挙で選んだ結果」と言われればすべて終わりなわけですが、35歳以下は基本50%切ってる投票率です。ちなみに僕もその投票してない50%に入ります。
政治に興味がないという理由もありますが、一番大きいのは「どこに投票しても何が変わるかわからない」わけですよ。
民主党どんな事やるんだろう?調べてみようと思ってHPみたらPDF読むか音声聞けやって表示されるんですね。こんな会社に業務を発注する所あるんでしょうか。後、すんげーアバウトなの書いてること。別に民主党が嫌いなわけではないですが、どこの党のホームページもみんな同じ感じなので民主党のマニュフェストPDFを例に挙げる。
いきなり、意味がわからない。厚く豊かなっていうのは中間層のマネー所得者を暮らしやすくするという意味なんでしょうか?違ったらすみません。
だからわからない。初めて聞いた。ググッてみたら「日本銀行が黒田東彦総裁のもと、従来の政策の枠組みから大きく変更し行った金融緩和の通称。」らしい。つまり、一気に物価がインフレしちゃったら国民が大変やろ、もっとゆっくりにするよという事なんでしょうか?違ったらすみません
4Pから5Pに渡り解説されているが、そこそこ政治強いひとでないと何書いてあるかわからないんじゃないでしょうか
パッと見もはや宗教のキャッチコピー。子育て支援や雇用の安定、老後への安心が内容みたい。6Pから7Pに渡り解説されているがぶっちゃけここはわかりやすかった。
中身を読んでも「本当に実現してくれるんなら」とても良い事だなと素直に感じた。
福島復興/脱原発/食の安全が中心の内容。成長戦略?見出し間違ってるんだろうか。でも、農林水産業活発化とか考えてるのは良いと思う。是非マイナンバーを廃止してこの予算で頑張ってもらいたい。
PDFの末尾にまとめられてました。でも目次のようにまとまってるのに、かなり端折ってて色々と疑問が生じる
初めて読みましたこのマニュフェスト。でも若い世代の人達の知りたい事って単純で
「今まで君たちは何が出来なかった」「これから何をするのか」
っていう事なんですよね。これから何をするのかって言うだけなら誰でも言えるんであって、「なんかいっつも同じ事言ってる気がしてならない」んですよ僕。だから前期やろうとしたけど出来なかった事とかも教えてほしいよね。
どっかに実は書いてあるのかもしれないけど、見つからないんですよ。というか見つけてもらう気がないんでしょうか。
政策見たくてホームページ開いたら全部PDFなんて今時ありえないでしょう。馬鹿にしてんのかってレベルです。
何が言いたいかって、もっと君たちを教えてくれって事を言いたい。
「投票率50%未満の若者何考えてんだ、ちゃんと投票しろやべーぞ」とか言ってる暇あったら、この50%にどう投票させるかを考えるのが普通だと思うんですね。投票場までいって紙に手書きで書いて投票させるのだから、ホームページ見たらそこで簡潔させて欲しい。わざわざ何をしてきたかを1枚1枚PDFで見るなんてする訳がないだろう。
SEALDsのおかげで選挙や政治に一切興味を持ってなかった僕がこんなエントリーを書いてるくらいだから結構凄いと本当に思う。ただ、言葉があまりにも汚すぎて子供が泣いてるだけのように見えてしまうのが残念でならない。「安保反対、会話で解決」なのであれば、それ相応の礼節があるだろう。
もしこれが裏で大人が全ての糸を引いてるのであればもう諸葛亮もびっくりの手腕ですね。事の良し悪しはさておき、それはそれで尊敬します。
あのねえ成功の方程式を正しく描けるか田舎それこそが成功への片道切符なのだ。
だいたい努力 * 才能 = 成功 などというチンケな俗流成功哲学を信じているようでは駄目でありますww
なぜかならば、才能は生まれつきの不変であるから努力しかないことになってしまう。ところが努力では人と差がつかないんよ。
厳密には一つのことに継続は力なりで差はつくけどな。後述。じゃが全体量としてはヒトの体力で決まるんですわ。いくら室伏でも18時間毎日円盤投げできません。山口真由は19.5時間やってたけどさw
だから大真面目に語るのもバカらしいことであるが、世直しのために我らは正しい方程式を広めねばならないのだ。わかるね?正しい方程式とはこうである。
わかった?w ノウハウが追加されてるな? そして才能は生まれつきで不変であるから不定項、じゃあ変項は?変項は言わず喪がな、努力とノウハウなんです。よろしい。
では、よく努力の方向が間違ってるという言い方をするな?あの言い方は非常に有害危険なの。まるでベクトルのように方向と大きさで決まるかのように、そういうふうにできている?そんな単純な話じゃあない。
がむしゃらにやって良いのはエロ画像掲示板だけ。ソフトにタッチしないと。アダムタッチじゃないけど!雑にガッシャアとやってしまうなよ。
いくらでも可能性が転がっているのに単純化してチャンスを逃すのはバカですよ。そのバカだと思える視点を是非とも今日身につけてほしい。
その優しい愛撫のやうな、微細な心で1つ1つ確かめながら組み立てていく。それは単純に努力の方向じゃないですよ。何をやるか、どれだけやるかの二分法よ、さらば!ちょっとそれはディジタル過ぎる。
例えば努力をするということはそこでひずみが生まれる。観測問題じゃないけど努力するという行為自体が努力の隊商を変えてしまう、さらに言えば努力の主体たる私自身もまた変貌をとげる。
これを物の哀れの分かる人が「諸行無常、諸法無我」と言ったであろう。その変わりゆく有様を確かめるようにソフトに愛撫するわけです。それがノウハウなんですね。
ノウハウというとマニュアルをイメージするでしょうが全く違うんですね。それは努力と才能という二分法の古い考え方です。いまは努力と才能とノウハウです。努力でもなく才能でもないノウハウという
ものがあるのだと厳しくそれはそれは厳しく峻別している。このときノウハウはもはやマニュアルではないことを知ってください。確かめてください。何事も敬虔ですから。
ノウハウを今ひとつの角度から見るとそれは無数のツマミやスライダーやスイッチのある機器を考えてください。使わないツマミは忘れるんです。でもそれはじっちゅうはっく使わないのではなく使えない。使いこなせないわけ。
PS Vitaも使いこなせない機能はどんどん忘れていくのと一緒。使ってないとメンテナンスも疎かになって故障も早くなります。そうiphoneでもね。そうなると本当に必要なときもつかえなくなっちゃう。
必要に迫られマニュアル見て使おうとするも半分故障してるわ操作もぎこちないわでもういいやって投げ出してしまう。で、もっと乱暴な手段にでてしまう。優しい愛撫を放棄して荒々しい前戯になる。
それがノウハウということなんですよ。マニュアルが全てじゃない。マニュアルに書いてあるとおりやっても、故障してたり、うまく操作できなかったりする。そういう生身の現象を扱っているのですからよ。
柔らかく接していなければ全て無駄になるのが分かるでしょう。いくらマニュアルに繊細なこと書いてあっても、ユーザーが荒っぽい人だと草臥れ損の骨折り儲けですよ。、
逆に言うなら、柔らかければマニュアルに書いてないことも臨機応変に捌けるのです。これを頓知と言います。今日覚えて帰ってください。頓に(とみに)知る(しる)これ。
これを試すために面接官は突拍子もない質問をぶつけるのです。盤根錯節に遇いて利器を知る(後漢書)です。面白いことに柔らかさもまた諸行無常で、時々刻々とめまぐるしく変化してますよ。
柔らかいときに頓知が利くなら柔らかいときに得た学びを硬いときにも活用できれば擬似的に常時やわらかな対処できますね?これが一休さんのしくみです。ノウハウ特化型です。
エジソンのようにコツコツ煮詰めるタイプとはまた違う俊英なのです。ただ、忘れてはいけません才能とノウハウだけでなく努力もあるんです方程式に。
エジソンのような努力型はなんといっても積み重ねが凄いんです。積み重ねは何が凄いか分かります?継続は力なりと空念仏を唱えるだけでは全く何も分かっちゃいない。継続は何故力なのかメカニズムを理解してますか?
例えば、簡単のため受験生で毎日10時間、時速4ページで学んでいるとします。毎日40pです。で全国平均が20pとしますわな。分散が10p。そしたら40pやるだけで偏差値70なんです。分かります?
これは学力偏差値ではなくあくまでその日の努力偏差値です。でな?これを続けるとどうなると思う?40pを10日間続けるとどうなる?偏差値70のままだと思うそこのお前は統計学を分かってない。
偏差値70よりずっと上がるんだよ阿呆陀羅。これが継続の魔力その1なんです。つまり偏差値70の努力をする日を何日も続けていくと全体では偏差値75にも80にも、いやもっとそれ以上にもなりうるのです。
しかもじゃ、時速4pが慣れとともにスピーダップして時速6pや8pにもなるかもしれない。俺の過去の経験から言っても初日の2倍速なんて当たり前にありますねえ。その意味でも継続すれば努力偏差値は跳ね上がる。分かった?
ただこれは単純化した話。実際には努力にはバランスも必要です。アンバランスだといつかしわ寄せが来ます。バランスとりながらローテーション回していく計画性が必要です。
そこで先ほどのノウハウ型が不可欠なんですよ。努力しか眼中にないとここで頭打ちになる。伸びない原因は硬さにあった。チンポは硬くなると伸びるのにおかしいじゃないか。でもそれが現実。
結局バランスバランス言うけどその系の拘束条件がどんどん変わっているわけですから。マニュアル式に機械的にバランスをとろうなんざ甘いんです。ちゃんと直接指でソフトに触れないと駄目。
頭の硬い人ほど皮膚感覚をバカにするのはそういうわけ。努力とかそういうことは一切合切承知の助で忘れるくらいでないといけない。とにかくソフトに、ソフトに。休日などに数時間はまったりするとよいです。
クズみてーな文章書きたいけど思い浮かばない。手元にある文章ネタを公開。小町向けの多し。
※ツイッターからの流れで書きました。偶然ご覧になった場合は意味不明だと思いますのでスルーしてください。
では、昼間の河野さんの記事について、思うところを申し上げます。
「どっちが正しいか勝負しましょう」なんて気はありませんので、ひとつの意見としてお読みいただければと。
まず前提をいくつか。
1 ご承知とは思いますが、当該記事 marketingis.jp/archives/1594 の内容にのみ異議があり、河野さんご自身の人格や存在を否定する意図はありません。もしそう取れる発言があればお詫びします。特に河野さんが気にされたツイートは、確かに非難のニュアンスがこもったものになっており、あらかじめお詫びいたします。
2 ツイッター上では実際の知人友人もいらっしゃいますが、好き勝手なことを書きたいので、一応は匿名でやっております。「いや、直接連絡を取って口頭で」ということであれば、別途ご連絡申し上げます。
3 私は企業のサービス企画の人間で、以前はネット広告を担当していました。物書きではありませんので、文章の質についてはご勘弁を。また、ダイレクトマーケティングの経験しかありませんので、産業全体については私見を超える言及はできません。
以下、本文です。
まず、お気に障ったと思われる「終わった教」についてですが、もちろん、タイトルの「4Pの時代は終わった」についての言及です。
ここは批判というよりも反射的な嫌悪感がありました。
「○○は終わった」「これからは○○だ」「201X年は○○が来る」という言葉で危機感を煽ってコンサルだのセミナーだので稼ぐ方がいますが、反射的に「またか」と思ってしまったための言葉です。私は河野さんをネット上の断片的な上方しか存じ上げないにも関わらず、勝手にそうした類だと分類してしまったことは軽率で、たいへん失礼いたしました。
本文について。
私には4Pが終わったという意見(表現?)には同意できません。記事を拝読しても、終わる終わらないの問題ではないのではないかと考えます。
少し具体的に。
記事中で“ひとつは「バランスが崩れた」こと、そしてもうひとつは「Pが増えた」ことです。”と書かれていますが、この2つには違和感を感じます。
まずバランスについて。元々、4Pの要素間のバランスは均等ではないと考えています。
ダイレクトマーケティングでは商品が売れるための要素として「市場4:商品の良さ4:広告2」の比率であるいう考え方があります。ダイレクトマーケティングに長年従事してきた者としては、これは数値的にも実感的にも、実際にそうであると考えています。
通販的には、広告というのはあくまで受注を目指すものですから、4Pに置き換えれば、概ねプロダクトの方がプロモーションの2倍重要である、と考えられます。
他の業態を見ても、4Pがそれぞれ比較的等価に扱われてきたと思えませんし、業種や手法によって比重は異なるのではないでしょうか。
ならば、その比重の変化を4Pという考え方が終わる終わらないという話につなげるのは、少し無理がありませんか?
プライスの比重が高くなっているというご意見には異存ありませんが、安売り競争とは別の次元で成功する企業も少なくありません。
4つの要素の比重の変化そのものが当然であるならば、プライスの重要性の向上という現象は、4Pという考え方そのものの有効性には無関係であると考えます。
次に、セス・ゴーディンの引用に河野さんが加えられた「P」のリストですが、「Philosophy」以外は、従来の4Pを構成する要素のひとつ、あるいは4Pとは元々異なる切り口で語られていること、ではないでしょうか?
前者であれば4Pを深掘りしたことになりますし、後者であればそもそも4Pでは除外された考え方ですから、これらも4Pそのものの否定には繋がらないと考えます。
ただ、「こういう要素が重要だよね」という意見表明であれば、なるほどほとんど同意です。あ、ほとんどと言ったのは、全部について熟慮していない程度の意味で、一部同意できないことは意味しません。
ご存知でしょうが、マーケティングは色々な構成要素が複雑に絡み合っていますから、1つの切り口で都合よくすべてを考えることのできる方法はありませんよね? 4Pもそれらのひとつに過ぎず、終わった終わらないという意見は適当ではないと思ったわけです。
で、最近の「終わった」「来る」に辟易していたところに、河野さんの記事を拝読し、反射的に軽い気持ちで陰口を叩いてしまった、という次第です。
最後に。ツイートで言いたかったこととは離れますが、糸井さんの件も気になりました。
糸井さんの広告観ですが、「この広告でどれだけ売れたかとか、そういうことじゃない。俺と組んだら一回遊べるぜ、ってこと」(要約)という、広告そのものに価値を置いた考え方でした。これはなぜか10年以上前にプロレス雑誌に掲載されていた糸井さんのインタビューでの発言なので、ご存知かどうかわかりませんが。
こうした広告観に立てば、いま売れてます、というコピーは確かに広告の“文化的”な意味での衰退とも取れます。少なくとも糸井さんは楽しくはないことでしょう。
が、これがプロモーションの相対的低下を意味するとは思えません。だったら「いま売れてます」的なコピーでプロモーションすればいいし。嘘や違法は論外ですが、これまでのメジャーな広告手法が仮に力を失っても、他の方法はあります。企業の担当者や意欲ある広告会社の方は、そこに真剣に取り組んでいますよ。
(ゼミで指導する側からの話です。末尾にあるように内部向けに書いていたのだが、明らかにゼミ生向けではなくなってしまったので、増田行きとしました。)
「卒論を書くのに身近な先輩の卒論読んではいけない」ということをゼミの学生に言ってもなかなか理解されない。半分ジョークだと思っているのかもしれないが。
もちろん、研究室で継続的に行なっている一連の研究であれば、内容的に引用したり、データを参照するためには、「見る」必要はある。
ただ、卒論がどんなものか、何を書けばよいのか?というイメージを得るために、先輩の書いたものを読みこむのは決定的に間違っていると言わざるをえない。残念ながら。その意味で見本として満足なフォーマットを満たした、うちのゼミの卒論はほとんど存在しないのだよ。ほとんどの場合、時間切れタイムアウトの残骸なんだ。
なお、卒論というのは建前はともかく、実態はあくまで単位(と技能)修得を一つの目的とした演習課題だと私は思っている。なので、本論が貧相でも、本論を作り上げる上で膨大な作業をこなした場合、優れた着想を自ら考えた場合、などは本論の品質の評価基準が甘くなることもある。そのようなこともわからず、結果として残されている論文だけ真似て作ることは危ない。
それは私の指導力不足でもあるので申し訳ないというところもあるが、まあ半分以上はなんとなく「なあなあで」卒業できるという日本の大学の持つ恐ろしい特性に起因するのだ。
言うまでもないが、手本とすべきものを間違ってはならない。もっとも、手本にした結果、残念な出来だからといって、落第させてやるほど私は親切ではないので、さほど心配しなくてよいが。ただ、余計な指導の回り道は避けたいというだけだが。
もっとも、では他に何を参考にしたらよいか?と言われると、文系一般でA4で数十ページ書くようなタイプの卒論の参考になる文章形式はそれほど多くないというのも同情すべき点ではある。
私がよく知ってる学会の和文学術論文であれば、せいぜい1本2万字弱の文章で書く事が求められる。だが、長い伝統なんだかどうかよく分からないが、私の勤務先ではなぜか卒論はA4の(スカスカの)フォーマットが指定されており、それ以上の分量(ページ数)を無意識のうちに求められるような気がする。(今少し検索してみたら、3万字「以上」とか4万字「以上」とかを課している大学もあるみたいだ。決してうちの学科が特殊というわけでもなさそうだ。一方、工学系学会の論文(梗概形式、2段組、せいぜい4P~8P)は分量的にはもっと少ない。多くて図表込みで5千字程度だろう。自ずと書くことが厳選される傾向がある。その方式だと、ロジックや実験の方法をちゃんと書けば手早く論文っぽいものになるというメリットもある。余談だが。)
もともと文章の論理展開をしっかり作る技量が不足している初学者に、長い文章を課すというのはやっぱりナンセンスな気がする。一方で、論理が未熟ながら、というか期待しないが、とにかく調べて何か文章を書けというレベルの課題としては納得ができなくもないが。それって意味あるんかいな?そんなんだったら大学名乗るのやめようよ。と毒づきたくもなる。
つまり、今の文系の卒論とやらはその形式が特殊すぎて、まともな見本が存在しないという状況にある気がする。だれか素晴らしい見本があったら教えてください。
お前が書いたらと言われるかもしれないが、経験上、自分が書いた論文を見せても絶望とプレッシャーを与えるだけでまず参考にならない。自分も書けそうと多分大学4年生に思ってもらえるような「手本」を書くのは大変そうだ。でも一度やってみようかな。一般向けの学術書を書くのと似てる気がする。
誰に向けて書いているのかよくわからなくなってきたが、卒論の時期に向けて、学生の皆さんにはとにかく頭をよく絞って書いて欲しいです。あんまり追い込みすぎないで早めに片付けましょう!
4Pみたいなことして楽しかったじゃない。生きていれば4Pだって出来る。話したかったらいつでもどんなに長い時間でも話は聞きます。
こんどさ6p(男2女4)をしようよ。
なんかいい終わり方だ。
終バスを逃したので車で送ってくれる期待もこめて友人の家へ遊びにいった。
夜中だったんだけど焼肉屋へ。
炭火七輪と、タレが絶妙ということで支店も増やしてるミドルクラスの焼肉屋だったんだけれど客は俺ら二人だけ。
いい年した男が話すことって女の話だけ。
友人は車の中から焼肉屋までずっといかにヘルス好きか力説していた。
3日続けてヘルスに行った。
あの女は豊胸手術をしているに違いない。
夜、携帯でヘルスのサイトを見ているとオークションでポチするように予約を入れ風俗街へ車を走らせること。
ヘルスへ俺が向かうのは彼女(いまは振られていない)がBカップだからしかたがないんだ。
垂れるぐらいの巨乳はたまらない。
パチンコに勝てばヘルスに行ける。パチンコに勝つこと依存症だ。(実際には多重債務者借金300万円)
ソープはぶさいくが多い。ピンキャバは暗い。顔見えない。だからヘルスは素晴らしい。
焼肉屋の店員は男だけだったから俺らの話まる聞こえだっただろう。風俗談義聞かしてごめんなさい。
これだけヘルスを連呼されれば俺の頭も洗濯(ブレインウオッシュ)されちゃうわけ。
よし風俗へ行こう!....と意気込んだが0時をまわっていてはもう一般の風俗店は営業時間が終わっている。
デリバリーヘルス(以下デリヘルと略)が私たちにはあるではないか。
でも、正直デリヘルにはいい思い出がない。顔見せで選べないから、茶髪デブさんやオタクぽい?子とかしかあたってないし。実際のサービスも雑。早く終わらせたいのがありありでじらしたりなどなく陰茎を口腔内でものすごい速さでストロークされるものだからものすごい速さで射精して、射精してしまえば終わりなわけでもう味わいも何もあったものじゃない。
そこで友達曰く「俺の顔面騎乗のテクをお前に見せたいのだ。女が恥ずかしがって凄い濡れるし声が違う」
ヘルスなんて皆演技じゃねえの?って聞くと「いやそうかもしれないけど...。」とあっさり自分のテクを揺らがせる。
どっちなんだよ!!
そんなこんなで女を二人呼んでお互いのテクを見るってどうだ?のような話にまとまった。俺は友人といえども男の裸や陰茎なぞもみたくないし、あとあれだ勃起した陰茎の大きさに感想述べられるもいやだしね。と、思う一方でそういうやったこともないふしだらな行為に挑戦してみたいという背徳感?のようなのもあった。
結局4Pすることにした。
場所は郊外のラブホテル。中々4p対応してる店がないだろうと思いきや3件ほどかけてみつかった。男二人で先にラブホテル入るんだ。
これは嫌だ。
女A 24歳 160cm 中肉中背 顔は普通 下着 黒と紫ツートンのブラとパンツが少しセクシー Bカップ 乳首小さい色白なのでピンク 服装 グレーの上下スカートフレアぽい。ミニだけど下品な短さではない。上もちょい胸開いてるけどかわいい感じの服。
女B 24歳 149cm 太め でも顔はかわいく化粧 下着 あんまおぼえてないけど可愛くはなかった。 Fカップ乳輪でかい 服装 キラ入ったロングスリーブ ローライズジーンズ ベルト白いどっかのブランドロゴ?入ったバックルベルト。
わーうれしい。普通ぽい子だ。
テンションあがってあわあわする俺。
シャワーどうする?別々ではいる?時間少なくならない?じゃ4人で入りますか!!
おいお前(友人)すでに全裸かよ。
俺が服脱ぐの一番恥ずかしがってた。おいおい女の子服脱ぎ始めたよ。
明るくない?と俺。
そうね。暗くしましょう。と女の子。
チッと舌打ち。友人。
皆で裸になるのって恥ずかしいね。
それじゃ?服着てお風呂入るの?
さっさと服脱いじゃって。友人の冷ややかな指示。
シャワー4人で浴びる。ほんと興奮。
友人の身体を女B(背小さいほう)が洗い始めた。
俺は背高いほうが洗ってくれる。
キスしていいの?
ん?いいよ。
キスしながら小さめの胸触る。乳首つつく。色白いから胸きれい。乳首は小さめ。
二人とも陰毛短くない?えー剃ってるからね。なに誰かに剃られたの?小さめの下着はくときはみ出るから剃るよー。そうなのか今は。
俺が知らないだけなのか。下着から毛がはみ出ているのもいいと思うんだけどな。
ちらと友達を見ると不満な顔、女Bとも会話していない。見たくも無かったが陰茎も小さいまま。おいおいそれはあからさまではないか。それどころか今自分の身体洗ってくれてる女Bを放っておいて、俺がいちゃついている女Aの胸に手伸ばしてる。
そりゃ女Bに悪いでしょ。
シャワー終わって、お互いどこでするか話し合う。
友人の非難の目。
ベットで一緒でいいですよ 女AB
えー!?まじですか。
組み合わせをジャンケンで決める。友人はあからさまに女Bが嫌そう。いやいや俺も女Aがいいけどさ。
ジャンケンポン。
俺-女B
友人-女A
ベッドの両端でお互いはじめる。なんもしてないのにアンアンアンと女B。んーあからさまな演技だなあ。けどがんばってるのねー。
こっちで乳首攻められてるときに相手の女の胸を愛撫。あー楽しい。
俺は攻められるだけ攻められたので攻守交替。
左手人差し指と薬指でクリトリスをゆっくり、また強弱をつけいじる。クリトリスが大きくなってくるのが分かる。
ん?でもあんまし濡れてきませんね。
今度は左手人差し指を差込み指を鍵型に曲げ、恐らくここかな?ってGスポットを中でノック。
だんだん女Bの声大きくなる。
耳が真っ赤に染まってますよ。
隣に他の人もいるのに恥ずかしくないのかな。
さらに指を足す2本で出し入れを早くする。すごい大きな声。枕を手でつかんでた。
痛くない?と聞くけど声にならない声。
なんか友人に負けじと頑張ってしまうのだわ。これは初体験。
友人は低い声で卑猥なこと小声で女Aに聞いてた。親父H(sex)だよ。お前。
女Bはイッタみたい。シーツに凄いしみできてた。足がそこに触れると冷たい。
また女Bにフェラを再開してもらう。ちょっと強めに咥えるね。若いからあんましうまくないかも。けどそこがいい。
女Aのバックが見えるよう腰をこっちに向けてもらう。贅肉無くてきれいな身体。あー女Aがいかったかも。
(俺を見て)いろしろーい 女AB。 俺の胸を揉む女B。 横から手を伸ばし俺の乳首をそっと覆いやさしく感触を確かめる 女A。
どれどれ。真似して俺の胸つかもうとする 友人。男はさわんな!!ほんといやだ。ベッドから転がり逃げる 俺。
ひとしきり4人でキャハキャハやりながえら 女ABのフェラチオ再開。横向いたら友人の顔あるから、横はむかん。懸命に俺の陰茎にかぶりつく女B。
なんか女ABともに俺、友人をほぼ同時にイカす。友人があえぎ声もらす。これは聞きたくない。
1回戦終わってちょいいちゃつきながらお願いしなくても女Bがまた俺の陰茎を手で触り、いじりだす。
しばらくしてまた陰茎ほうばられた。でもくすぐったくて笑いとまらない。
もう、くすぐったいから愛撫だけしてもらいながらお話続けた。
仕事は?事務員です。なんでデリヘルやってんの?遊ぶお金ほしいんです?へー仕事熱心だね。若いときはいっぱい遊ばなきゃね。
どんなとこで遊んでるの?クラブです。クラブって言うのは女の人がついて、ってところではなく...ああ知ってるよ。そっちのクラブでしょ。どこ遊びに行ってるの?○○○です!!
今気が付いたけどタイトルの「4Pした」ってsexしてないし、今回パートナーほぼ固定だったから4pとは言わないか。なんていうのだろう。
デリヘル終わって友人が家まで送ってくれた。仕事がつらい。何時間も大手取引先からキョウダンされた。とめどなく話し続ける。
「もう死にたいんだ。」こわばる顔と言葉とは裏腹に躁でよく動く目。
4Pみたいなことして楽しかったじゃない。生きていれば4Pだって出来る。話したかったらいつでもどんなに長い時間でも話は聞きます。
こんどさ6p(男2女4)をしようよ。
個人的にBLを買うが、エロは求めてないしエロが多すぎる本に出会うと辟易する。
エロ【ばかり】ではないという主張はわかるけれど、それはメイドカフェに行くのはオタクばかりじゃないよ!という無理な主張と同レベルにしか感じない。
キス未満のほのぼのやストイックなもあれば、擬人化もあるし、ネコ耳だってあるし、ショタ、学生もの、サラリーマン、893、アラブ王、オヤジ、果てはカニバや3P、4P、陵辱まで何でもござれだ。
はっきりいってBLというひとくくりにする事自体が難しいんじゃないかと思う。
表紙がエロじゃないからセーフって考え方もどうかと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20081111142328
であげた表紙だってエロそのもではないけど彷彿とさせるものが多いしなあ。
モロな時もあるから表紙だけでは判断すると危険。
特にエロ小説は大体にして濡れ場が挿し絵になっているから、一般の人がイラストだけパラパラっと見るだけでも厳しいのはわかると思う。
エロを特に求めていない私でも、小説のうち9割は濡れ場のイラストあるもの。イラストの力が大きいというのは同意だ。たぶん、イラストがなかったら、今回の件は起きていなかったように思う。
ちなみにこの辺の漫画表紙でセーフってレベルじゃないだろうか。
BLはエロじゃないよと腐女子が否定してしまったらBLの行き場がなくなってしまうよ。BLはエロも許容するよ。それが文化だよ。
昔はエロがなかった?でもエロが売れたからBLにエロが増えたんだよね。誰のせいでもなく腐女子という人たちが自分達で選んだ道なんだよ。
(追記:ごめん、昔はエロがなかったというのは間違いだ。エロを強調するようなイラストは少なかった。今はエロを彷彿とさせる表紙が増えていると思う…と言いたかった。尾崎南懐かしいな。あれはBLの走りだよね)