はてなキーワード: 養父とは
タイトルの通り、小学生時代に遭った痴漢やそれに類することについてと、書き出してみて思ったこと。
当時の私はピアノを習っていて、発表会に祖母と母が来てくれた。おろしたてのワンピース、フリルのついたソックス、少しだけかかとの高いよそゆきの靴、いつもより豪華に結ってもらった髪にはリボン。かわいい格好ができて嬉しかったのを覚えている。
発表会は市民ホールを貸しきって、昼すぎまでかかっていたと思う。早起きしたぶんお腹はペコペコで、遅めの昼食は近くて回転率がよくすぐに食べられるお蕎麦屋さんを選んだ。
昼すぎでも土日だったからか、お客さんが並んでいた。回転率のよさは知っているので、並ぶのは苦にならない。眠気も出てきていささかぼんやりしつつ、だらだらと前に並ぶ人へ続く。
すると突然、ぐいっと左手を掴まれた。反射的にそちらを見上げると、知らないおじさんが私の手をとり握手するみたいにぎゅむぎゅむ握っている。とても、とても驚いた。けれど声は出なかったし、ぴくりとも動けなかった。知らないおじさんは「可愛かったからつい」と言って、手を離して店を出て行った。
母たちは「びっくりしたねぇ」などと何だか和やかに言っていたが、私はほんとうに驚いて、つまりショックで、その後どうしたか覚えていない。もちろんかなり古い記憶なので、単純に時間経過によって忘れてしまっただけかもしれないけれど。
ほんとうに驚いたとき、人間は悲鳴も上げられないしすぐに逃げもできないのだな、と何だか絶望に近い気持ちになったことは覚えている。アニメやドラマ(刑事ドラマが好きでよく観ていた)のようにはできないのだ、と。
「かわいい」は褒め言葉のはずなのに、なにも嬉しくなかった。なんとも言えないモヤモヤが澱のように腹の底に溜まった。
プライベートゾーンを触られたわけでもなく、何なら一緒にいた親族も問題視したふうでもなく、法的に痴漢には分類されない体験。今でも一般的になんと分類するものか分からないままだ。それでも私の中でだけは、初めて遭った痴漢として記憶している。
私の地元は田舎で、徒歩通学だった。当時はとにかく読書が好きで、通学中は図書室で借りた本を読みながら歩くのがほとんどだった。二宮金次郎みたいに。
学校帰り、季節もあってまだまだ明るい中、いつも通り本を読みながら一人でひたすら歩く。毎日毎日そうしているから慣れたものだった。
車が1台ぎりぎり通れるくらいの、田んぼと畑と農家然とした少し古めの民家ばかりの道で、ふいに後ろから声をかけられた。自転車に乗った男子学生だった。中学生か高校生か、とにかく同じ小学生でないことしか分からなかった。親や学校の先生以外で年上と話す機会もそうなかったし。
喉が乾いたので飲み物を分けてもらえないか、と言われた。夏なので肩に水筒をぶら下げていたのだ。大人なのに変なの、とは思いつつ、水筒のコップ代わりの蓋になみなみ注いで渡した。
水筒のお茶を飲むところをぼんやり眺めていたら、コップを持つ男子学生の手がぶるぶる震えていた。おそるおそる口をつける。そのさまを見て、なぜだか急に、明確におかしいと感じた。一気飲みはせず、謎に丁寧にお茶を飲んでから返されたコップ。水筒に戻しながら、どうやって帰ろうか不安になった。自宅までそんなに距離がなかったからだ。なぜかついてこられるのでは、と思った。その間も、ぽつりぽつりと男子学生からの問いかけが続く。いつもこの道を通るの、とか、何年生なの、とか。
今の私は何でそこで律儀にと思うが、その時は走って逃げるとか急に話を切り上げるとかいう選択肢がなかった。失礼だと思ったからだ。誰か帰路の小学生でもいれば、知らない子でも混じって帰ったと思う。でも誰もいなかった。人っ子一人。えー…とか、うーんと…とか枕詞みたいに付けたふんわりした回答をしながら、子供なりに頭はフル回転していたはずだ。でも、打開策が思いつかなかった。
少しして、私たちがいた道沿いの民家から住人のおばさんが出てきた。知らない人だったけれど、何してるの、と声をかけてくれた。それを見て、男子学生は何も言わずに自転車を走らせて去っていった。その背中が私の帰り道と同じ方向だったのを見届けて、まだ呆然としたままの私は、なんにもないです、とだけ答えた。知らないおばさんが「さっきの子は知り合い?」と言うので、首を振る。ちょっと回り道してから帰りなさいね、と言われた。私もそのつもりだった。
この体験も、お茶をくれと言われて分けただけで何もされていない。痴漢ではない。なので何と呼べばいいか分からないけれど、自分の中ではその他の痴漢と同じカテゴリに分類して記憶していると思う。そういう系統の嫌な気持ちだった。
これも小学校中〜高学年頃。
私の両親は離婚しており、母に引き取られていた。夏休みに父のところへ泊まりに行っていたときだった。
例によって本が好きなので、県立図書館へ連れていってもらった。いっちょまえに児童書は卒業していたので、見る本棚は一般書架。父はAVコーナー(ネットカフェみたいに区切られたブースで各々映像資料が観られる。アダルト資料ではない)にいるというので、一人でゆっくりと本棚を眺めていた。作者なんかは知らないから、タイトルや表紙のデザインを中心に何となく気になった本を探す。児童書に比べてかなり数が多いので、背表紙を眺めているだけでも楽しかった。タイトルしか読んでいないのに、いくら読んでも読み終わらなくて。
ふと、足元がぬるい感じがした。見下ろすと人が床に手をついてしゃがみ込んでいた。年齢は分からなかったけれど、男の人であることだけは分かった。
図書館の本棚は上下左右ギチギチに本が詰まっている。下の段の本を見るには、学校でミクロマンとイジられていた私の体躯でもしゃがみ込まなければならなかったので、下の方が見たいんだなと思った。図書室で人気の本棚にみんなが密集するのはよくあることだ。と思ったけれど、はぁーーー、と長い息を膝に吐きかけられているのを見て、一気に過去の嫌な気持ちが呼び起こされてしまった。気付いていないふりでじりじりと距離をとり、別の本棚へ移動する。
何だったんだろう、と心臓がばくばく言うのを落ち着かせているうちに、暑いから息が上がっていただけでは?という気になってきた。そう思うと何をビビっていたんだろうと馬鹿らしくなって、また端から背表紙を読んで、読んで、時には取り出して表紙やもくじを眺めて。
じきに、また足元に違和感があった。今度は微妙にぺたぺた?ぬるぬる?する。見下ろすと先ほどの男の人がしゃがみ込んで、私の膝辺りを舐めていた。他人の舌が肌を這うことなどないし、誰か分からないし、理由も分からないし、どうすればいいか分からなくて、なのに気付いていることを勘付かれてはいけないと咄嗟に思った。心臓はまたばくばく暴れて、目の前の本を適当に抜き取り「これにしよ」なんてわざとらしく声に出して、父のところへ逃げた。
この時に借りたのは『エリコ』という本だったと思う。いま調べてみると表紙が記憶と違っているけど、女の子のモノクロっぽいイラストの表紙だったはず。父の家に戻ってから読んだけれど、分厚い上に当時の私には内容が難しくて、とても難儀した。話が全く分からなくなってからは飛ばし飛ばし読んで、なんだか図書館での嫌な気持ちがフラッシュバックするような描写を目にして、結局ギブアップした。主人公が高級娼婦らしいので、確かに当時の私には早すぎたし「猥雑と戦慄がからみあう、嗜虐と倒錯の近未来バイオサスペンス(引用元:BookLive)」はあんなことの後では取り合わせが最悪だった。今までの人生で読み始めたのにギブアップした本はこれと『ドグラ・マグラ』だけなので、すごく印象に残っている。
この体験は一般的にも痴漢に入るのではないかと私は思うけれど、そのときの私には分からなかった。知らない人に舐められて驚いたし怖かったのに、誰にも言えなかった。一緒にいたのが母だったら、もしかしたら言えたかもしれない。正直、相手と同じ性別である父には言いづらいと感じた。自宅に戻ってからは、今度は今更だと思って母にも結局は言えなかった。
4度目は小学校高学年。
さすがに生きているだけでも変な目に遭うことはあるのだと理解していた。それに、そういう場面では声も出ないしパニックになって機敏に動くのは難しいことも。
私は護身術として極真空手に通うようになっていた。ビビって声が出ないし動けないなら、度胸をつければよいと思ったからだ。流派だの何だのはよく分からないままだけれど、男子に混じって毎週通った。練習は体育館で行われていて、フローリングの上で拳で腕立て伏せをするのが大嫌いだった。骨が痛すぎるし、未だにフローリングでやることではないと思っている。
それから、通学路も勝手に変えた。2回目のときに使っていたのは車1台でいっぱいの道幅だったが、片側1車線ずつの道だ。さらに少し行くと複数車線の道もあるけれど、遠回りになるのでこちらばかりを通っていた。徒歩通学だしショートカットしたかった。車通りはやはり少ない。
この時も学校からの帰り道だった。一人で帰っていて、道路の向かい側に停まった白い車から声をかけられた。運転席の窓を開けて、男性が小学校へはどっちに行けばいいかと尋ねてくる。あっちです、と指をさすと、地図で教えてほしいと大きな紙を広げた。道路を挟んだままだと見えないので、道路を渡って運転席の窓から紙を覗きこむ。それは確かに地図だったけれど、地図と腹との隙間から陰茎が見えていた。数センチの隙間から、手で擦って見えたり隠れたりする陰部。
相変わらずショックではあったけれど、またか、という諦観もあったように思う。私はやはり気付いていないふりをした。努めて地図だけを見て、現在地も分からなくて、「地図読めないけどとにかくあっちです。ずーっとまっすぐ道なりで左側にあります。私はそこから来たんだから間違いないです」というふうな回答をした。
習い事があるからとその場を駈け出して、ないと思ったけど一応追ってきていないのを確認して、座り込んだ。心臓は毎度のようにばくばく言っていたけど、走ったから当たり前だなと思った。前よりも怖くなくなったし、毅然と振る舞えた気がするからたぶん空手の効果はあった、と思いながら自宅へ帰った。今回もこのことは誰にも言えなかった。
そういうわけで、私が小学生のときに遭った痴漢やそれに類するものは覚えている限り4回だ。多いのか少ないのかは分からない。
もちろん、中学生でも高校生でも大学でも大人になっても何かしらは遭った。それでも一番覚えているのがこの小学生時代。今やすれた30代だけれど、私も子供の頃はさすがに無垢だったのでショックが大きかったのだと思う。
どう気をつければいいのかというと、正直私は分からない。嫌な言い方だけれどもはや事故みたいなものだから。防ぎようがないという意味で。ただただ、こういうことをする人がいなくなってくれればいいのだけど。
一つだけ。もしもこんなことがあったと言われたら、ちゃんと聞いてあげてほしいとは思う。
中学にあがってから、路上で知らない人に突然キスされたことがある。グレてイキって気は強く成長した私は、黙り込んでいた小学生時代とは違ってすぐに学校に報告した。とにかく腹立たしかったからだ。分かることはすべて話した。場所とか、相手の風貌とか、原チャだったとか。それらは全校放送で流れた。
おそらく親にも連絡が入ったのだと思う。その日の夜、養父(母は再婚した)にリビングへ呼びだされた。本当なのかと聞かれたので、本当だと答えると、場所を地図で描けと言われた。不審に思いながら自宅から中学校への道順を描き、ここ、と丸をつけると、嘘だと言われた。こういう場合、被害に遭った場所から描き始めるのが心理学的に普通だそうだ。私としては通学中に起きたのだから理にかなって描きやすい順番だったのだけど、そう言われた。心理学なんて分からないので反論もできなかった。原チャの車種はなんだとかも聞かれたけれど、私が知っている中での形や大きさで最も近い名称が「原チャ」だっただけで、詳しくは知らなかった。グレ友達に2ケツで乗せてもらったやつくらいにしか認識していなかったから。養父の趣味にハーレーがあったので、バイクを中途半端に出したのもよくなかったのかもしれない。
そうして私の虚言であったとされ、おそらく学校へも連絡したのだと思う。保健室登校しても、教師がどこかよそよそしかった。あくまで私の感覚なので、実際のところは分からない。
ショックだった。折り合いの悪い養父であっても、もはや養父側の人間で信用していないと自分では思っていた母であっても、なぜだか報告すれば信じてくれると思い込んでいた。
初めて報告したらこうして狼少女にされてしまったので、前述のとおりその後も何度も変な人に遭ったけれど、誰にも話していない。
今でも覚えているので、やはり他の家庭、いわゆる子供(年齢は問わない)をもつ家庭では子供を信じてあげてほしいと思う。様々な要因で恒常的に嘘をつく子供がいたりするらしいのは知っているけれど、嘘でなかった場合に取り返しがつかないからだ。私のようになってしまう。独身の私が言うのもおかしいけど、子供は健やかに育つべきだ。大人になったら嫌でもすれてしまうのに。
この文章は、職場の男性から小学生にあがった娘の親バカノロケを聞かされてぶわっと思い出したまま書き殴った。
電車通学が珍しい地方の小学生だった私でも、4回。0回の方がいいに決まっているので、こんなことがどこでもありうるから気をつけてあげてほしい、と言おうと思ったけれど、職場の人に実体験を話すのは憚られたので。初めて表に出して少しすっきりしたかもしれない。
不自然さ(嘘)しかなかったから、それを雑に消したのが修正文だよ
次は猛毒の母親と養父になるな。気が滅入るからいるか?ってなるが
ダメ出しばかりはどうかと思うので修正文も作ってみたけど元増田無理がない?
もうひとつの修正作文は元増田の年齢設定をそのまま採用するので、
養父と母親がとんでもない毒親で、元増田が実父の方にあり得ない夢を見ているって作文になるよ
バランスのとれた創作をするなら、養父が実の父ではないからこその複雑な感情があるになると思うんだよな
本心では養父こそ自分の父親だと思っているからこその反抗心や「こうだったらよかったのに」という思いみたいな
これらの感情は、自分に対する愛情があると確信してなきゃ、そういう感情は持ち得ないものだ
(自分への愛情がない事実を決定的なものにしたくなくて避けるか、このクズ(養父)の話しないでくれる?という怒りとして出る)
あと、養父に対する気持ちがあるからこそ、実父と関係を作ることへの遠慮が出るって展開が自然なのよ
子どもの頃は、お母さんの気持ちを察して、実の父のことを口にするのを避けていた。
でも、心の中では「お母さん、私にもお父さんに会う権利があるんじゃないかな。お母さんの気持ちはわかるけど、私はお父さんが大好きだったんだよ」って思っていた。
今、自分が親になって初めて、母の立場が本当に分かるようになった。浮気で離婚して、しかも子どもを置いていったという父の行動が、母にどれほどの傷を与えたか。
もし自分がそんな目に遭ったら、立ち直るのにどれだけの時間がかかるだろう。想像するだけで胸が痛む。
だからこそ、今回実の父と連絡を取り始めたことを、どう母に伝えるべきか悩んでいる。
母の気持ちを踏みにじるつもりは全くないけど、自分の中にある実の父との関係を取り戻したいう思いも無視できない。
anond:20240715115208 anond:20240715103153 anond:20240715103606 anond:20240715133739 anond:20240715114948
父親に対する感情ゼロを言う設定に無理があったので、比較的自然な形に年齢を修正しました 後ほど、別の増田で設定通りの年齢設定で修正をします anond:20240715002416
わたしが小学校へ入ったばかりの頃、他所に女を作って母とわたしを捨てた父だ。
今の父(養父)を手放しに「とても良いお父さんだった」とは正直言えない、色んな思いをしたけどそれはまぁ今は割愛。
奨学金は自分で払ったけど、短大まで行かせてくれたし、不自由なく育ててもらった。
だから、表面上は実の父に対する感情がないふりをしていた。無を装っていた。
中学生になるまで毎年誕生日にはプレゼントと手紙をもらっていたけど、何も感じていないかのように振る舞っていた。
実際は、心の奥底では父からの贈り物に喜びや複雑な思いを感じていたけど、それを表に出すことは出来なかった。
母や養父を傷つけたくない、新しい家族の和を乱したくないという思いが強くて、実の父に対する感情を押し殺していた。
養父がわたしを実の娘のように思ってくれていることに対しての気持ちもゼロじゃなくて、実の父とのつながりを示すようなことは避けていた。
そうすることで、家族の中での自分の立場を守ろうとしていたのかもしれない。
母は時々、実の父の話をしてくれたけど、私は表面上無関心を装っていた。知らない芸能人の話でも聞いてるような態度を取っていた。
実際は、話を聞くたびに胸が締め付けられるような感覚があったけど、それを悟られないように努めていた。
ただ、母の声の調子や表情から、彼女の複雑な気持ちが伝わってきて、それを見るのが辛かった。
母の心の痛みを感じ取りながらも、自分の気持ちを抑え込むのに必死だった。
わたしが結婚した時、母から実の父に、結婚式の招待状を出す?って聞かれたけど
「なんでそんなこと聞くんだろう。出すわけないじゃん」って思った。今のお父さんに悪いじゃん、って。
でも、子どもが生まれて、子育てにもすこし慣れてきた今。なぜか、実の父のことが急に気になった。
それで、色々探してSNSをみつけて、ブログがあったから読んでみた。
それから、ブログを読んでいるうちに、長年抑え込んでいた感情が一気に溢れ出した。
父の日常や趣味、考え方を知るにつれ、自分の中にある似た部分に気づき、知らなかった父の人間性に触れた。
そして、突然、今まで味わったことのない喪失感と同時に、やり直せるかもしれないという希望が湧き上がってきた。
自分でもびっくりするくらいわんわん泣いた。今まで築けなかった関係、聞けなかった話、共有できなかった時間、全てが一度に押し寄せてきて、涙が止まらなくなった。
そして、その感情の中で、すごく父に会ってみたくなった。
今までもらっていたプレゼントと手紙のお礼も、やっと素直な気持ちで伝えたくなった。
長年の沈黙を破る勇気が湧いてきて、SNS経由で連絡をしてみた。すると、思いがけずあっさりと繋がることができた。
20年以上も会ってない子どもからの突然の連絡なんて気味が悪いかな、とか、拒絶される可能性もなくはないなと思うと怖かったから、
「連絡がきて嬉しい」と言ってもらえて安心してまた泣いた。
そして今もやりとりが続いていて、過去の母との思い出の話やこれまでのお互いの話をたくさんLINEで話してる。
これからゆっくりと距離を縮めていけたらいきたいなと思う反面、複雑な気持ちもある。
母の心情を考えると、この状況を伝えるべきか、あるいは黙っておくべきなのか、悩んでしまう。
母を傷つけたくないという思いと、実の父との関係を再構築していきたい気持ちの間で揺れている。
今さらになって、父に会いたくなった理由について自分なりに考えてみた。
子どもが生まれて、自分も親になったことで、家族のことを考える機会が増えたのが大きいのかも。
それに、今の生活が落ち着いてきたってのもあると思う。
自分の中に安定感が出てきたから、過去のことと向き合える余裕ができたんだと思う。
もし父から会うことを拒否されても、今なら立ち直れる気がしたからだ。
夫に相談した時、「感動的な再会みたいなのを望んでるなら、傷付くかもしれないよ」って言われたけど、
学生のころや、結婚前は、意識的に実の父への感情を抑え込んでいたんだと思う。
子どもの頃から、母の気持ちを察して、実の父のことを口にするのを避けていた。
でも、心の中では「お母さん、私にも実の父に会う権利があるんじゃないかな」って思っていた。
実の父との関係を築くことは、新しい家族への裏切りのように感じていたのかもしれない。
でも、当時はそれが精一杯のやり方だった。
母や養父を大切に思う気持ちと、実の父への複雑な思いの間で揺れていたんだと思う。
今、自分の子どもが生まれて、新しい家族ができた喜びに満ちている。
この幸せな気持ちが、過去を見つめ直す勇気をくれたのかもしれない。
自分の人生に幸福と安定感があるからこそ、実の父との関係を考える余裕ができたんだと思う。
手放しで良い父親だったとは言えないけど、これまで育ててくれた養父への感謝の気持ちも、より深まった。
自分が親になって初めて、両方の両親の気持ちが少し分かるようになった気がする。
特に母の立場が本当に理解できるようになった。浮気で離婚して、しかも子どもを置いていったという父の行動が、母にどれほどの傷を与えたか。
もし自分がそんな目に遭ったら、立ち直るのにどれだけの時間がかかるだろう。想像するだけで胸が痛む。
だからこそ、実の父と連絡を取り始めたことが、母の気持ちを踏みにじってしまうのではないか不安がある。
また、円満とは言えない養父との関係を崩さないかという不安もある。
でも同時に、20年以上越しに実の父の存在を改めて受け入れ、複雑な感情と向き合えるようになったことは、わたしにとって大切な一歩だとも感じている。
まだ迷いはあるけれど、長年封印していた感情の蓋を開けたことで、何か大切なものを取り戻せた気がする。
これから実の父とどんな関係を築いていけるか分からないけれど、少なくとも自分の中で何かが変わり始めた。
子育ての喜びと、過去との和解の兆し。この二つが重なって、人生の新しいページを開いた感覚がある。
これからの人生で、私の子どもにも、両方の祖父の存在を伝えられたらいいな、そんな穏やかな気持ちでいる。
ただ、それを実現するには、まず母の気持ちを大切にしながら、慎重に進めていく必要があるだろう。
この複雑な感情を、どうやって家族全員に理解してもらえるだろうか。
それでも、今なら冷静に、そして思いやりを持って話し合える気がする。
私は今流行りの映画ジャンルに身を置いている腐女子である。が、今回そのジャンルのカプは特に見ていない。
なぜなら、この作品はW男主人公の作品なのだが、片方が(最近話題にもなっていた)愛妻家・既婚者に該当するからだ。ここまで書いたらなんのジャンルかわかる方も多いかと思う。
ただ私は現在、既婚者BLではないところで非常にしんどい思いをしている。
それ、性的虐待だろう。養父が受けでも攻めでも、止められない・拒否できない時点で虐待だ。万が一にでも他人にバレて関係を通報されたら捕まって思い罰を受けるのは養父側である。
好きなキャラクターを犯罪者にして何が楽しいのだろうか。そして、犯罪者にしている自覚が腐女子たちにはあるのだろうか。性的虐待描写有り的な注意書きを見たことないので怖い。
二次元の出来事と三次元の事情を混同する人の方が区別できてないとはよく言うが、区別どうこうではなく、好きなキャラクターを性犯罪者にされて不快じゃない人間、いるか???いや、いるからこうなってんのか。本当に、とてもとてもしんどい。
更に、この作品はストーリー中実際に「性的虐待を受けていた」少女が出てくる。その少女さえ、性的虐待によって生まれてきた子なのだ。
その風習は作品内でもおぞましい因習として描かれ、先述した養父にあたる男は、その事実を知って嘔吐する描写がある。
また、この男は子どもを守るものとして認識していることが徹頭徹尾ブレることなく描写され、少女に言い寄られても最後まで靡かなかった。(もちろん相手が少女という以外にも本人に色々事情はあるのだが、割愛させていただく。)
映画は前日譚であり、本来はTVシリーズが元となっているのだが…そちらでも、息子は大切に育てられたことが何度も示唆され、よき養父だったことは明らかだ。
子は宝であり未来をつなぐ希望である、というメッセージ性が含まれている映画に出てくる、しっかりした倫理観を持つW主人公の片割れ。
そんな男が、二次創作で、育ての息子と体の関係を持つのが流行っている。
本当に信じられないし、怖い。
穴と棒があればなんでもいいという感覚が怖い。
この映画を見て、キャラクターがエロいからどうにかカプにしたい以外の感情を持たないのだろうか。
こんな素敵な素晴らしい映画作品を観て、感じ取るものがなかったのだろうか。
自分の感覚が正解だとか主張したいのではなく、理解出来ない価値観の二次創作CPが異様な流行り方をしているのが怖すぎて、どこかに吐き出したくて仕方なくて、本当に我慢できなかった。
おわり。
https://twitter.com/BrooklynTokyo31/status/1733426187903365571?t=ibtZrcnrkzau3cK17fWo5g&s=19
この6歳少女自認52歳男性の動画流れてきて、インパクトがすごかったから検索してみたんだけどエグすぎ。
ステンフォンニー・ウォルシュ(ポール)
七人の子持ちの既婚男性がトランスジェンダーに目覚め、娘の結婚式に奇抜な服装で出席しようとするのを妻に咎められ死んでやると騒ぐ、受け入れられない妻と離婚、失業しホームレスになり二度の自殺未遂、ハッテンバで出会った養父と幼女設定でアナルセックス「妊娠しちゃうと思ったらペニスがイキリ立った」とインタビューで語る、養父母の家に養女として引き取られる、養父母の7歳の孫娘の妹になるために52歳男性が6歳自認幼女に。
雪かきでお小遣い貰って幼女として暮らせて幸せ大人になりたくないおっさん。
これを誰もが自分らしく生きられる美しい物語として紹介してるセンスがすごい。
https://lifes-bright.com/transgender-stenfony-story
物語の終盤で、アンにとって最愛の養父であるマシュウが亡くなってしまう。
アンにとっては自分を引き取ってくれた恩人であり、いつもアンの味方をしてくれた優しい父でもあった。
マシュウが亡くなって深い悲しみに落ちていたアンだったが
数日が経過して自然や花を美しいと思う心や、親友ダイアナの冗談に笑ってしまう感性が戻りつつあった。
アンはマシュウが亡くなって本当に悲しいのに、日常を取り戻そうとしている自分が許せなくなってしまい、
マシュウが亡くなったのに、美しいものに興味を持ったり、冗談に笑うなんてよくないんじゃないかと思う と
ねえ、アン。この世にいらした時、マシュウはあなたの笑い声を聞くのが好きでしたね。
そして、何か面白いことがあって、あなたが楽しんでいると分かれば喜んでくれたでしょう?
マシュウはね、いまここにいないというだけなのよ。だからあなたが楽しむ姿を、これまでと同じように見たいと思うに違いないわ。
自然が心の痛手を癒すように仕向けてくれるなら、私たちはそれに対して心を閉ざすべきではないと思うの。
もちろん、あなたの気持ちはよく分かりますよ。誰も同じ経験をするんじゃないかしら?
誰か愛する人がこの世を去って、私たちと一緒に喜びを分かつ事ができなくなると、自分が何かに心を惹かれるということが許せないような気になるわね。
そして人生に対する関心が再び戻ってくると、悲しみに忠実でないような気がしてくるのよね。」
龍を継ぐ男の長岡龍星クン
理由は以下の通り
お貴族様・特定宗教の神がありき視点の恨みつらみなんちゃって絶望は受け入れ難いが、
日本でもこういう事件起きるから居所不明児童 の悲劇、 川口高齢夫婦殺害事件(2013年)
■川口高齢夫婦殺害事件(2013年)
母親はホストクラブに通いづめとなり、少年は毎晩のように家に来るホストに付き合わされお酒も飲まされ、小学校中高学年から学校に通えなくなった。
母親と養父から身体的・性的虐待を受け、各地を転々とし、収入がある日はラブホテルに宿泊。日雇いの仕事がない日は、ラブホテルの敷地や公園で野宿。
そんな生活の中、母親は妹を妊娠し生んでしまう。もちろん出生届けすら出さない。
少年は妹の面倒を見るため働く。更には16歳でありながら、失踪した義父の代わりに借金を背負いながら働くが、母親は少年に給料の前借りを何度も何度も強要しこれ以上は前借ができない状態になる。
更に祖父母や親戚に借金をして回るよう要求され、「殺してでも借りてこい」と言われ、自暴自棄になっていた少年はその通りにしてしまう。
13歳から43年間野宿していた「洞窟オジさん」こと加村一馬さんいわく、こういうご家庭だったそうな
加村さん:生まれたのは昭和21年(1946年)の8月。食べ物もろくに買えないのに、子供が8人もいる貧乏な家だった。両親はなぜかオレだけイジメてたんだよ。木の枝に逆さ吊りにされたり、雪の降る真冬にお墓にくくりつけられて一晩放置されたりね。オレだけメシをくれなかったりしたんだ。
https://www.hotpepper.jp/mesitsu/entry/yasushi-nishimuta/19-00227
あとこれも忘れちゃあならないね
居所不明児童 の悲劇、 川口高齢夫婦殺害事件(2013年) は絶対に忘れてはいけないと思う
■川口高齢夫婦殺害事件(2013年)
母親はホストクラブに通いづめとなり、少年は毎晩のように家に来るホストに付き合わされお酒も飲まされ、小学校中高学年から学校に通えなくなった。
母親と養父から身体的・性的虐待を受け、各地を転々とし、収入がある日はラブホテルに宿泊。日雇いの仕事がない日は、ラブホテルの敷地や公園で野宿。
そんな生活の中、母親は妹を妊娠し生んでしまう。もちろん出生届けすら出さない。
少年は妹の面倒を見るため働く。更には16歳でありながら、失踪した義父の代わりに借金を背負いながら働くが、母親は少年に給料の前借りを何度も何度も強要しこれ以上は前借ができない状態になる。
更に祖父母や親戚に借金をして回るよう要求され、「殺してでも借りてこい」と言われ、自暴自棄になっていた少年はその通りにしてしまう。
〜あらすじ~
若い頃にアメリカに来てコインランドリーを経営している広瀬香美は(若い頃の)ジャッキーチェンと離婚危機にあり、認知症の養父、橋爪功と大学を辞めてタトゥーを入れたレズビアン娘、渡辺直美と暮らしていた。
「僕は君の夫じゃ無い」と言い出すジャッキーチェン。広瀬香美は混乱の中、襲ってくる敵と戦っていくことになった。
そして広瀬香美はジャッキーチェンと結婚しなかった世界線の広瀬香美Bの人生を知ることになる。
マルチバース上の彼女はあるときはカンフースター、あるときは歌手、ある時は足が器用だった。マルチバースの記憶を共有することで、広瀬香美は格闘技をマスターし、最強の広瀬香美となるのだ。
広瀬香美はミシェル・ヨー、ジャッキーチェンはインディージョーンズやグーニーズのあの男の子という映画好きの日本人なら結構興奮するキャスティングだったりする。他にもアジア人の映画オタは知ってる有名人たくさん。
インディーズ映画なので予算も低いらしいが、そうとは思えない映像の凝り方やCGの使い方は圧巻だった。スタッフロールに日本人名もちらほらあったのが嬉しい。日系人のオスカー部門賞受賞も期待している。
まあいわゆる「ハリウッド映画」は世界中が見てきてると思うがエブエブはそれとは全く違う。
日本人も親しんできたカンフー映画前提で、日本の邦画要素も強くあり「なんでもオッケーだよ。好きなことをしよう!黒澤明はもちろん、ナンセンスギャグもジャンプレベルの下ネタも、ごちゃごちゃごった煮でいこうぜ!中国政府の規制?貴様は無視だ!」というアジアの良いところが詰まっているのだ。
だからお上品な映画が好きな人は避けてほしいし、ボーボボやマサルさんと言われるのだろう。
マルチバースの解釈はスタッフにアベンジャーズシリーズでお馴染みのルッソ兄弟が入っているので、マーベル好きなら特に抵抗感なく見れるだろう。
ここまでの話では奇抜だという印象を持つと思う。
しかしこの映画、メインストーリーが恐ろしく素晴らしく、そしてシンプルなのだ。世界観のカオスさを超えて真っ直ぐテーマが突き刺さり、何もよくわかっていないのに感動が押し寄せてくる。
石と石が喋るシーンが本当に泣ける。画面には声もない。石に字幕がついてるだけだ。それなのに何故だか頬に涙が伝っていた…。
予測もつかない展開だ。説明も難しい。だからこそ一度見てほしい映画だ。映画好きならきっとこの映画を愛してしまうだろう。
それにしても最近、大人が肩車をよくするのを見る気がする。あれはRRRだったか。アジア人は肩車をするものだと西洋人が勘違いしたらどうしよう。
期待に答えて練習すっか…。
※広瀬香美さんはミシェル・ヨーに似てるからってだけでエブエブの日本公開応援ソングを歌っておりますが、めっちゃ世界観あってるので一度見てください。
冗談抜きにそれでいいと思うぞ
経済的に大成功した人たちがわざわざ重い障害の子どもたちの親になってるのはいくらでも拾えるよ
日本もそうなるべきだし、障害の程度によってはワイの経済力でも面倒は見れるので
この辺もっとオープンになるべきだが、養父・養母に虐待される事案もなくは無いからな
それら防ぎつつ、なんとか出来ないものか
それ以前の問題として児童養護施設で虐待とか入居者同士の刑法で処理されるレベルのトラブルもあるらしく、
雑な里親のとこ行くよりは1億倍マシなポジティブな面だけ見れるといいんだけど、
レイプだの切断だの言葉が並んでいてキツい。マジでここは日本か?みたいな
基本的には男女で分けてるはずなのに何でそうなるの?みたいな