はてなキーワード: 選択肢とは
実際のところワクチンを打たなくても1個人が、その病気になる事って非常に稀です。
現在の状況ですと、家庭内がぐちゃぐちゃになったり、離婚して家族がばらばらになる事のデメリットの方が大きいんじゃないかなと思ってしまいます。
現状でも両親の不和が家庭に悪影響を及ぼし始めているように思いました。
ひとまず打たずに様子見して、家族の意見が変わったタイミングで改めて接種検討するのはどうでしょうか。
こどもにとって、それがもっとも幸せな選択肢かもしれませんよ。
正論をぶつけても相手には響いていないようですので、正論を言うのは無駄ですしより状況を悪化させているように思います。
ひとまず相手が反ワクチンであることを受け入れたうえで、じっくりと作戦を練ったほうが良いと思います。
ちなみに個人的には、幼少期の必須ワクチンは絶対打ったほうが良いと思っていてスケジュール通りに全部打たせていますし、自分自身もコロナワクチンも何回か打っているワクチン肯定派です。特に子宮頸がんワクチンは絶対打ったほうが良いと思っています。
差別について議論するなら、以下のような内容は「文系」的には常識なので、わざわざ「賢い僕が発見したよ!」みたいに主張されると萎える。
・そもそも人間の思考(言語の構造)自体が、何かと何かを分けてグルーピングすることによってしか成立しないので、あらゆる区別を差別と呼ぶなら、極論すれば(たとえばニワトリをニワトリ、女性を女性と呼ぶことまで含めて)全ては「差別」であり、それが不当であるか否かは「程度問題」である。
・従って、通常は「世間的に見て『不当』と判断するもの」を「差別」と呼ぶことになっており、そのため一般的な用語としての「差別」という語には、「不当なものである」という含意がある。(従って自民党の付け加えは無意味であり、逆に余計な含意をもってしまうので有害ですらある。)
・図示するとこんな感じ。( /数字/ は その語の使い分けにおける境界線を指す。たとえば⑴は「A混沌(と呼ばれるもの)」と「B区別(と呼ばれるもの)」の間の境界線を意味している。)
ただし、何者も区別しない「A混沌」については、何も思考することができない、言語以前の領域なので、思考し論じる対象にならない。
通常ここに明確な境界線があると考えている人が多いがそれは誤解である。確かに、「時代や文化が変わっても、明白(に見える根拠)があり、人為が働かない(ように見える)弁別がある」違いというものはあるため、たとえば液体と固体、水と氷を分けることは明白に「B区別」であり人為が関与しないかに見えるのも事実だが、たとえば水と湯を分ける境界線が日本語と英語で異なり、色の弁別が言語によって曖昧であるように、「認識」が関与する限りそこに見いだされた「差」は人為的なものであり、人の「価値観(すなわち偏見)」から自由になることはない。その意味で「B区別」と「Cグレー」の差も所詮「程度問題」である。スポーツにおける男女分け、のように、かつては「B区別」と考えられていたものが、ジェンダー論の発展や女性の地位向上など諸々の状況から、「本当に合理的な区別であるか」が問い直されている、などの例は、「B区別」から「Cグレー」ではないかという議論が起きている例であり、逆に、近代以前は大人と一緒くたにされていた「子ども」を取り出して教育の機会を与え、社会で保護しようという風に変化したのは、「Cグレー」から「B区別」へと変化した例である。
ここを明確に区分できるというのは、いわゆる「ためにする」差別議論を行う人の大きな誤解である。この境界線は決して「明確に区分・定義」はできず日々揺らいでおり、またその状態がもっとも健全な状態である。あくまで、どこで線引きをすることが社会の安定と発展のために寄与するのか、を主眼として、「D差別(明らかに行ってはならない区分け)」なのか「Cグレー(判断がつきにくい、不当に見えるが法的な規制も行き届かない)」の判断は、常に慎重に検討される必要がある。その際、社会が全体主義的(全体の幸福のために少数の犠牲は許容される)なのか民主主義的(少数の意見も他の意見と同等に重視される)なのか、によっても当然判断は異なることになる。また、Cと判断されたからオッケーではない、というのも重要な点であって、その判断が妥当かどうか、いま必要で重要な問題かどうか、判断時点からの状況変化、対象が曖昧でないかどうか、など、不断の議論が欠かせない。
さて、それを踏まえて話を牛角に戻そう。
サービス業における女性優遇キャンペーンの是非、いわゆる「レディスデー」問題は、男女という一見明確な「B区別」に依拠しているように見えても、その区分の合理性自体が「程度問題」に過ぎないこと、また、「女性の受けるサービス料金は男性が負担させられているのでは」という疑念が拭えないことなどから、「Cグレー」であると判断されるが、ではそれを「D差別(明確に是正すべき不当な行為)」と判断すべきか否かについては、行き過ぎと感じる人も多いのが現状かと思う。そのことは、牛角に限らず、多くの「レディスデー」キャンペーンを実施する店舗で、逆に男性から忌避されるなどの大きな営業上の不利益が出ていないことからも了解される。そもそも、映画にせよ焼き肉にせよ、提供者も多いことから、忌避するにしても他の選択肢があるわけで、ぶっちゃけ「大多数の人にとってはどうでもいい」問題に属する。では、なぜ「差別だ」と騒ぐ人がいるのか。
話が変わるように感じるかもしれないが、類似の例として、一部の広告を取り上げて「女性差別だ」と騒ぐ事例を考えたい。企業が営利目的でやっていることで、それ自体が積極的な被害を引き起こし法的に規制する必要があるとまでは多くの人が認識しない(つまりDではないがC)ものだが、これについても「差別だ」と騒ぐ人がいる。これは、何も学問的に見て明確にCとDを峻別してDだと判断できる、という話をしているわけではなく(もしそう信じている人がいるとしたら、それは相当に×××)、騒ぐことそれ自体によって人々の気分を醸成し、結果として社会状況自体を変化させようという社会運動(一種のデモ、まさにデモンストレーションという意味で。)の一種なのだ。誤解されているが、今日フェミニズムと呼ばれているものの多くはこの「デモ」であって「学問」ではない。(※)だから、騒ぐ人たちはおおむね一般常識とは異なることを主張する(常識的なことをデモで声高に述べる意味はない)が、その人たちが声高に述べることが「正しい」と証明されているわけではないし、その人たちも積極的にそれが「正しい」ことを証明したりはしない(証明できるならデモより論文で書く)。騒ぎになることこそ、デモの狙いなのだ。つまり、これに顔を真っ赤にして反論しようとするのは無意味というよりむしろデモ側の応援をしているのと同じである。従って、意見に賛成できない場合も、デモ自体はスルーして別のところで意見表明なり社会行動をするなりした方がよいと思う。
これを踏まえて、もう少し具体的に書く。「たわわ」や「宇崎ちゃん」を批判したフェミニストの狙いは激しい批判を巻き起こすことであり、それは社会運動として一定成功した。では「牛角」批判をする人は、男権主義者として失われた権利を獲得するため戦略的な意図でデモを行っているのだろうか、それとも、論理的に「レデイスデーはDであると証明できる」と考えて証明しようとしている人なのか、あるいは単に「この件で女性相手に憂さ晴らししたい」というルサンチマンに過ぎないのか。私は、そのいずれであってもこれは無意味な行動だと言いたい。
「たわわ」も「宇崎ちゃん」も、それらが女性差別「的」かと言えばそう論じることはもちろん可能だろうが、それを「D差別だ」などと言い切れば社会的には表現規制を強め過ぎる無意味・有害な主張であると思うし、それ以前に指摘し是正すべき有害で明確に「D差別」な女性差別が世の中にあふれているのだから(風俗業、芸能界などにおける性的搾取などはその典型だ)運動論としても拙劣だと思っているが、それらが激しい反応を引き起こしたという一点では運動論として評価することも可能かと思うし、その結果が女性の地位向上にわずかでもつながったのなら全く無意味とまでは言えないと思うが、「牛角・レディスデー」問題については、まず男権主義をこれ以上社会で伸張させることにはおそらく社会的合意は得られないだろうし、論理的証明は上で述べたようにほぼ不可能であり無意味でもあるし、ルサンチマンならそのエネルギーはもう少し建設的なことに使用した方がよいと思っているので、運動論としても学問的な意味でも、また俗論としても、とるべきところのない議論だなあと思っている。
仮に、真剣にいわゆる「弱者男性」問題を憂えているのなら、男権主義の伸張という方向でそれが解決されることはもう無い(過去一時的にあった「男というだけで威張ってるオッサン」があふれる社会に戻したい、などという主張は、当の男性からのものも含めて今後社会的合意を得ることはできないだろう。可能になるとすれば、そういう一派を集めてたとえばイスラム教勢力と結託し革命を起こして政権を奪取するくらいしかないだろう。)ので、機会平等社会の下で結果平等をいかに実現するかを考えるしかなく、つまり一種のアファーマティブアクションでしか対処方法がない。なので、そのためにはまずいわゆる「弱者男性」とそのルサンチマンを可視化し、それを救う方策を具体的に検討するのが近道だと思う。将来的には、たとえばVR空間へのアクセス権やアンドロイドの配布などが現実的な解かもしれない。いずれにせよ、牛角が女性サービスするかどうかなんて、それらに比べればおおよそ「どうでもいい」話で、議論したところで現実の弱者男性は一つも救われず、差別に関する社会的認識や理解など1ミリも深まらないし、一瞬の憂さ晴らしにしてはただの焼肉屋に迷惑がすぎるので、さっさと辞めた方がいいと思う。
※…もう少し丁寧に言うなら、主に「社会運動」を企図した活動であって、多くの人に認められうるような論理に基づき常識を解体・構築する「学問」的活動とはまた異なるところに主眼がある、ということ。後者は観測対象を描写・分析・記述するものだが、前者は積極的に観測対象を変化させることを目的としている。なお、社会学者の中には、学問の存在価値は現実を変革し社会運動となることにこそあると主張する人もいるが、その場合も、分析・記述に十分な力があるなら、それは自然と社会の常識を解体・再構築するであろう、という意味であり、観測対象の描写・分析・記述が"いい加減"であっても社会を変革できればいーや、という意味ではないと思う。
理由として、男性は女性から痴漢行為や冤罪行為を受けたと被害を主張するケースが殆んど無いからです。
女性専用車の設置理由は、男性から直接痴漢被害を受けたくない女性が選択出来る車両だからです。(過剰に被害意識を持つケース等)
痴漢加害者の冤罪を気にする余り、男性専用車両の選択肢は常軌を逸した措置と考えます。(現実にはあり得ません)
通勤時間帯に限り、連結車両(約8〜12両)の中央部に設けることは必要であり効果があります。、全鉄道会社が 『方式を統一』 した実施を要望します。
通勤時間帯の混雑は、乗客が車両内を自由に移動出来ない物理的状況に問題があります。(近くに不快な人物が居ても退避出来ない等)
肌質ガチャハズレ民としてF外失。
いいか、元増田が紹介してるケアはあくまで肌質ちょい皮脂多め〜普通肌〜乾燥肌民のケアだ、肌質負け組はこれ続けても意味ないので指摘しておく。(※元増田は何も悪くないです)
大前提として肌質には偏差値がある。皮脂過多系の肌質下位20%民は普通のケアじゃ綺麗な肌にならない。
所謂“普通のスキンケア“を2-3年続けても肌ガチャハズレ民はニキビ減らないしクレーターも悪化するし、毛穴も開きっぱなしだからもしかして負け組かも?と思ったら読んで欲しい。
・すでにニキビが複数(15以下)あるならまずは初手皮膚科で良い。スキンケア+治療で1年ほどで良くなるだろう。
・ニキビというよりももう顔面が赤い、複数クレーターがある、フェイスラインがボロボロの場合、初手美容皮膚科のが良い。普通の皮膚科だと5年かかる。せめて併設院に行け。
・保険適用治療:初手はおそらく飲み薬の抗生剤+クリーム、抗生剤飲み切ったらクリーム+スキンケアを行いながら2-3年ほど薬を使う。
病院によると思うが、ピーリング系クリーム+抗生剤クリームになるはず。
・自費治療①イソトレチノイン:重症は正味これが1番早い。他国では認可が降りてるが日本では保険適用診療の許可が降りてない、重症ニキビ患者向けの薬。異常分泌皮脂を作り出す皮脂腺をアポトーシスへ促すとかなんとか。副作用が色々あるので自己輸入絶対ダメ。美容皮膚科で医者に様子を見てもらいながら処方してもらうこと。
・自費治療②ケミカルピーリング:中度〜と薬はちょっと、と言う人向け。短期即効性の強めのピーリング剤を用いて肌のターンオーバーを強制的に促す、定期的に通うことで自力でターンオーバーができてない肌をサポート。金ドブ派も一定いるがニキビ系の人に効果ある傾向。
・自費治療③(ただし女性向け)低容量ピルの服用:ニキビの悪化に男性ホルモンが作用しているパターンだとピル飲んでホルモンバランス整えるだけ効くことがある。
他にもあるにはあるが、どちらかと言うとニキビ跡治療と並行して行うものも多いためそれは後述。
・洗顔:泡タイプが正解は認めるが、大半は乾燥肌向けなのでニキビ肌(アクネ菌・サリチル酸云々〜)や皮脂肌向けをセレクトすること、その中でなにが合うかは人による……。ちなみにベビーオイル洗顔は乾燥肌向けなんで真似しないこと。
・洗顔の仕方:もこもこの泡で汚れを取り、大量の水で洗い流す、ゴシゴシしない泡で汚れを巻き込むイメージ。眉間と小鼻横とフェイスライン近くの首も忘れない。皮脂過多民は朝夜2回かな。お湯洗顔じゃ皮脂過多民の皮脂は落ちないので洗顔料使え。
・化粧水:手軽で安いものは多数派の乾燥肌向けがほとんどでハズレ民に効果ない、拭き取り化粧水も向かない。まずは保湿成分が入っていることを確認(ナイアシンアミド、セラミド等)、あとはトライアンドエラー。ニキビの赤みが気になるならツボクサ系もありだが保湿が疎かになりがちなので保湿クリームと併用。
・乳液:皮脂過多民はいらないケースが多い、あれは乾燥肌向け。
・保湿クリーム:治療と並行してスキンケアを行う場合は必須、その他でもインナードライの傾向があるなら塗った方が吉。
・クレンジング:日焼け止め塗るなら必須、何故なら普通の洗顔だと皮脂過多民は毛穴が詰まるから。皮脂が多いならミルク系と拭き取り系以外。ジェル、バーム系おすすめ、オイルはよく取れるけど化粧しないなら選択肢から外す。
・ドクターズコスメ: 化粧水探すのめんどい奴は皮膚科や美容皮膚科でニキビ向けとして売ってるの買っとけ。ゼオスキンシリーズは高いけど一定評価者がいる。その他はXでユーザーの評価を見てから買え。
・(私怨)プロアクティブシリーズ:CMで見た割に試した中で一番効かなかった。お勧めしない。
・アゼライン酸:皮脂の分泌を抑えるのと抗炎化作用がある。治療と並行して入れてもいいはず。
・レチノール:ターンオーバーを促す。効果が強めなので治療と並行しているかは医師に確認したほうがいい。
・ビタミンC誘導体:皮脂を抑制する、私は効果なかったけど効果感じてる人もいるのでいちおう記載。
・枕カバーを毎日変えろ、めんどいなら毎日新しいバスタオル引いとけ。
・顔は絶対触らない、ニキビ跡汚い爪でほじらない、頬杖つかない、ニキビ潰さない。
・極力運動習慣をつけろ、ただし運動後即シャワー→スキンケア、ベタベタの汗放置は肌に悪い。
・顔に髪がかかるのは論外。髪って肌にとってすっごい汚いので。
この辺りはプラシーボと眉唾もあるが効果がある人はあるので一応記載。
・乳製品抜く/グルテンフリーを心がける/油っこいもの食べない/お菓子(糖分・砂糖)取らない
・食物繊維多めに取る
男女問わず肌ガチャハズレ民は適切な治療法や対処法の存在を知らないがために5年10年も費やしてしまった同志が多い。ここに私がこれまで集めたニキビ治療の一部を記した。
私は普通の皮膚科と普通のスキンケアで5年費やしてもあんまり綺麗にならなくて試行錯誤+美容皮膚科導入してやっとちょっと汚いかな〜レベルに収まった人間だ。さっさと美容皮膚科行きゃよかった。
ある方が「遺書だったもの」というブログ・エントリーを公開してはてなブックマークで注目を集めています。
https://kirimin.hatenablog.com/entry/2024/09/04/001242
一読しただけで大変な状況の中ご本人が精一杯頑張ってきたことが伝わってきました。
普通の人は不登校になったあとに就職したり(それもB社側からの打診で正社員に!)、アメリカ出張、趣味でイラストや競技プログラミング、といった活動は出来ません。
なにより踏みとどまるという意思を持たれていることが一番素晴らしいと思います。
ブログの内容について、アドバイス、というより考えてみるきっかけを提供できればと思い、以下に書いておきます。
"アドバイス"という言葉は上から目線のニュアンスがあるため私は嫌いですが、分かりやすさのためにあえて"アドバイス"と記載しております。
"アドバイス"の手がかりとして、世の中の多くの人たちと異なっている点を特徴として捉え、そこに着目して述べていきます。
多くの人は、自死を取りやめた場合は遺書を公開しません。ここが最大のポイントです。
他にも、元カノの話や学校で友達を作りたかった話、インターネット掲示板、会社の同僚との関わりなど、コミュニケーションについて多く言及していることもかなり特徴的です。
心理的な安定のためには、インターネットで構わないので、コミュニケーションの場への参加を増やしてしてみると良いかもしれません。
私も同世代で、2005年~2007年ごろには2chで政治家をおちょくるコラージュ写真を作って遊んでいたので、当時の雰囲気は知っています。当時と似たコミュニティはもはやほとんどなく、ネット掲示板よりもLINEのオープンチャットあたりのほうが雰囲気が近いかもしれません。
仕事やそれに近い競技プログラミングの能力・モチベーションでご自身の価値をはかる表現が目立ちます。
仕事への情熱はご自身の能力開発、社会貢献、金銭獲得のために素晴らしいことです。
一方で能力・モチベーションで全人類のトップに立つことは出来ない以上、どこかで自分の能力に見切りをつける必要があります。
それが今なのかな、と漠然と感じました。
人には能力の限界・投入できる時間の長さの制約があり、その制約のもと各自それぞれのペースで頑張るしかなく、他に選択肢はないため、ある面で人より劣ることを認めざるを得ません。
しかしだからといって人間として価値がないとか、死ぬべきだということは論理の飛躍です。
劣ることを認めたうえで、それがどうした、自分が死ぬ必要はないじゃないか。むしろ優れた人たちが素晴らしい社会を作ってくれてありがたい、と感謝すればよいと私は思います。ご自身にもその気持があるはずです。その証拠にA社のリーダー、B社のプロダクト、元カノ、といったものを称える文章があります。これは称賛の気持が奥底にあるからだと思います。
というより本当は人間という存在自体が自他に価値を評価される必要がなく、各自勝手に生きて構わないと私は思います。評価という行為自体が発生しないのが通常の状態であり、仕事では給料の分配という特別な目的のために上司が評価するという例外的なシチュエーションが発生していると私は理解しています。つまりそもそも職場以外での「自己評価」は必須ではないと私は考えています。
そのうえで、それでもなお自己評価が必要であれば、いくつもの会社で働くことができ、しかも先方から声をかけてもらっているというのは素晴らしいことだと思います。普通の人には声をかけませんよね。仕事の以外の面に目を向けると、イラスト、VR、他の投稿ではお母様にテレビゲームを教えたりと多方面に活動している点が素晴らしいと思います。競技プログラミングで高レート帯の方々はこうした活動と両立できるのでしょうか。ほとんどNoだと思います。総合的に見れば特別劣っているように私には見えません。
この点は次の第3の特徴に続きます。
文章には「多くの人から嫌われ、失望され、迷惑をかけながら生きていたくない。」と書かれています。
しかしきりみんさんは、嫌われている人・失望されている人・迷惑をかけている人に対して、死ねとは言わないと思います。そういう人柄だと文章で分かります。
それなのに自分に対して厳しいのはダブルスタンダードで、ご自身を不必要に傷つけているように見えます。ご自身に対して厳しすぎるダブルスタンダードを持つ理由は何でしょうか。ダブルスタンダードを持つメリットはあるのでしょうか。これについて考えると楽になれる部分があると思います。
きりみんさんは、自分より仕事ができない人に死ねと言わないと思います。競技プログラミングが下手な人に死ねと言わないと思います。その理由は劣っていても死ぬ必要はないとご自身が理解しているからです。そうであればきりみんさんが死ぬ理由もないと私は思います。
一般職に就けば、女だから、と重い荷物を持ったりするようなキツい作業からは外れ、必然的に楽な仕事が回ってくる
一般職に就けなくてもYoutuberや配信者として生活すると、女だから、とチー牛やオッサンの囲いにチヤホヤされる
エロ売りなんかして、続きはFANTIAで!!みたいなことをするとバカスカ金が飛んでくる
ここまで金を稼ぐ方法について言及してきたが、金を使う方にしても優遇されているように感じる
レディースデーはよく見かけるが、メンズデーを見かけることはほぼ無い
バイキングなんかは大人料金、子供料金、シニア料金で区分すれば良いのに、大人(男)、大人(女)で区分され女のほうが料金が安い場合が多い
デート代を割り勘するのか、男が払うのか論争は目にすることが多いが、女が払う、という選択肢が議論に挙がっていないことが多い
自分が修羅場のときに相手に気を使わなきゃいけないのはちょっとめんどくさいかも
機嫌が悪くなったり当たり散らしてるわけじゃあるまいし疲れてるときは気を使われるのが普通ではって思う
でも怖がられる、疲れてる顔をしてると指摘されるっていうのが、いつも機嫌よくしていろって意味じゃないなら、増田のことが心配なのにうまく甘えられてないんじゃないか、疲れてるよ〜〜忙しいよ〜〜〜って相手に甘える選択肢もあるんじゃないかなとは思う
あとたぶん夫さんは稼ぎのことはあんまり考えてないんじゃないかなあ、一緒にいられる方が嬉しいタイプのように思えるので、自分が稼がなきゃならないのにって気負って殺伐とするのは相手からしたらなんで?って感じるかも
元気なときは自殺するくらいなら今の環境を投げ出して生きればいいじゃんとか、どうせ死ぬなら豪遊とか短絡的に幸せなことをしてからでいいのにとか漠然と思ってたんだけど、現況を壊す勇気がないから自殺するんだなあって。
みんながみんな一緒じゃないと思うけど、俺の場合は自分という存在がかなり不明瞭になっていて、そんな"自分"を保てる唯一のコミュニティに少しばかりの拒絶をタイミング悪く突きつけられた瞬間に『死ぬこと』が気楽な選択肢になった。
俺は小学生中学生の頃に軽いいじめを受けた経験があったり、生涯にわたって自分でやり遂げたものがない。だから常に自分に自信がない人生で、最近とある出来事から少しずつメンタルが壊れていって、その過程で気づいたのがアイデンティティの重要性だった。
俺は、小中学生の自分、高校生の自分、大学生の自分、社会人の自分が少しずつ違う。何かしら鎧をまとい、その場しのぎで自分をこしらえた。その反動は、強い反抗期だったり、落ちぶれそうな同期に対する態度だったり、様々な場面で発露していたと思う。セックスに溺れた時期があったんだけど、それも自分を表現する一環だった。
ただ、そんななか、家族といるときの自分はおそらく"素の自分"だったはずで、壊れかけたメンタルがようやく上昇指向となり、もちろんその根源であり拠り所は家族といるときの自分だったんだけど、日曜日にものすごい勢いで妻に否定されてしまった。
世の中にいるヤバイ奴。暴力的だったり、奇想天外な行動をするやつだったり。それが対外的な行動であるものは全部『自分がここにいること』の証明だ。誰しも拠り所とする"自分"はどこかにあるわけで、大小に関わらず唯一のミュニティから拒絶されることで発狂する。
以上ここまでアルコールにほぼ溺れていない自分が書いた文面で、俺はこれから少しずつ他人を試しつつ、自分に価値がないことを証明しながら自死への扉を開いていくのだろう。今日はその第一夜に過ぎない。はじめてアルコールを含みながらしごとをして、壊れていく自分を見据えながら。
その女性たちを正規雇用で雇ってキャリアを作っていれば、今の人手不足は無かったんじゃないんですか?
全世代の女性を氷河期世代のように都合よく使い捨ててきたのが男性ですよね。
やめる選択肢はないの?
今日はまた、クソみたいな一日だった。
アラームが鳴ると同時に、目の前に広がる現実が、魔法の世界とはまったく違うことを思い出させる。
出勤途中、電車の中で人々がスマホをいじっているのを見て、ふと寂しさを感じた。
魔法の世界では、仲間たちと冒険の話をしながら移動していたのに。
ここでは、誰もが無関心で、ただ時間が過ぎるのを待っているだけだ。
昨日のプロジェクトの進捗が遅れたせいだ。
魔法があれば、瞬時に解決できた問題なのに、ここではただ我慢するしかない。
心の中で「魔法があればなぁ」と呟きながら、なんとか仕事をこなす。
昼食は、コンビニの弁当。財布には1000円しかないから、選択肢も限られている。
あの頃は、魔法で料理を作ってもらったり、仲間と一緒に宴を開いたりしていたのに。
午後の仕事も終わり、帰りの電車に乗ると、またしても遅延。イライラが募る。
この世界では、ただ待つしかない。周りの人々は、スマホに夢中で、誰もが無表情だ。
ようやく家に帰り着くと、疲れ切った体をソファに投げ出した。
夕食を作る気力もなく、冷凍食品を温めるだけ。
夜、ベッドに入ると、魔法の世界での冒険が夢に出てきてくれることを願ったが、結局、現実の厳しさに押しつぶされて眠りについた。
おいおいおい404040代代代以降以降以降中年中年中年齢化齢化齢化対し対し対しガガガチチチ危機危機危機感感感持っ持っ持った方た方た方いいいいと思と思と思
少化少化少化少化少化止子止化子止化子止化子止ま止 ま
でもでもでも困る困る困る今今今子ど子ど子どもももこれこれこれかかか生ま生ま生まれるれるれる子ど子ど子どもももじゃじゃじゃないないないんんんだだだ
若者若者若者少数少数少数派派派かかかららられかれかれからとらとらとててて大切大切大切ささされるれるれ
またまたまた若さ若さ若さあるあるある外国外国外国どこどこどこででで好き好き好きななな土地土地土地暮ら暮ら暮
でもでもでもおおお前ら前ら前らはどはどはどう
掃い掃い掃い捨捨て捨てるるるほどほどほどにいにいにいるるる
まっまっまったくたくたく効果効果効果ななない少子少子少子化対化対化対策策策だだだけでけでけでははは国が国が国が崩壊崩壊崩壊すすするるるのはのはのは明白明白明白
国国国を維持維持維持すすするるるにににははは自由自由自由ととと義人個主主人主義義はあはあはある程る程る程度制度制度制限し限し限していていていかなかなかなければければければいけいけいけないないな
この国この国この国残さ残さ残されれれたたた選択選択選択肢は肢は肢は222つ
①己①己①己の得の得の得放棄放棄放棄子ど子ど子どももも若者若者若者徹底徹底徹底的に的に的に支援支援ピ援
②移②移②移民と民と民と難民難民難民大量大量大量にやにやにやっっってててくるくるくる社会社会社会受容受容受容難民難民難民移民移民移民民移民移民移
日本人は高齢化に対してガチで危機感を持ったほうがいいと思う日本人は高齢化に対してガチで危機感を持ったほうがいいと思う日本人は高齢化に対してガチで危機感を持ったほうがいいと思う
おい、40代以降の中年。高齢化に対して、ガチで危機感を持った方がいいと思う。
でも困るのは今の子ども達や、これから生まれる子ども達じゃないんだ。
また、若さがあるので外国でもどこでも好きな土地で暮らすこともできるだろう。
でも、お前らはどうだ。
掃いて捨てるほどにいる。
まったく効果のない少子化対策だけでは国が崩壊するのは明白だ。
国を維持するには自由と個人主義はある程度制限していかなければいけない。
この国に残された選択肢は2つ。
この2つしかないと思う。