はてなキーワード: 童心とは
鬱で家を出られなくなって時間を持て余してたけど、プリパラ見て随分幸せになれたなぁと思う。
1年目は友情の芽生えとすれ違い、2年目は才能と努力、3年目は親の愛と仲間の絆が描かれて、子供向けなのにずいぶん骨格のしっかりしたアニメだったと思う。
らぁらママとグロちゃんの再会やユニコンのファルルやボーカルドールへの愛情、みれぃの努力の勝利にはかなり泣かされてしまったし、SoLaMiSMILE結成や純・アモーレ・愛、Mon Chou Chouには大人げないけど感激のあまり大声上げてしまったりした。
ただ童心に帰って楽しんでいたというわけじゃなくて、なんとなく自分の小さいころやらいまでも抱えてるコンプレックスに重なるところがあるように思えて、まぁそれこそ女児のように感情移入して見ていたわけだけども。
ハマって、劇場版もCDも集めて、最新映画も全コース見に行って、ゲームも筐体版まで遊んで、プリパラおじさんやってるときが、もう月並みだけどとても楽しくて仕方なかった。
これくらい、誰かが前向きになれる仕事をしたいなぁって、少し前向きになれた気がする。
アイドルタイム発表当時は結構不安はあったけど劇場版のエンディングとラストのシーンで「あ、これは大丈夫なやつだ」っていう謎の確信を得て、予想通り今でも楽しめている。
今回はまだテーマこそ「時間」っていうキーワードくらいしか明らかになっていないけど、OPテーマの「Just be yourself」の歌詞にすでに涙。
いまならまだ始まったばかりだから間に合うのでぜひアイドルタイムプリパラを見てください。
「君の名は。」に隠れてあまり話題に上がりませんが、少なくとも界隈ではヒートアップしている気がします。
観に行った友達からはSEが良いとのことでしたが、確かに、といった感じ。
弾がいくつも落ちてきて、時期によって種類も変わるのですが音声ともに視覚描写を変えていくところが丁寧。
爆弾で思い出しましたが、核については必要以上に触れておらず、そういうところもいい。あえて日付をぼかしておいて、視聴者に察せさせる配慮(?)もうれしい。
呉の人からすると、広島に新しい爆弾が落とされたらしい(爆破過程がいつもと違うことと、何やら雲らしきものが見える)・・・くらいの事実認識がおそらく確かに普通なのでしょうなあ。
また、あのときの雲から「あの子」を想起させるところも小気味いい。ほかにも「あの子」をすずが何度も何度も思い起こすシーンがありますが、フラグ回収という意味では気持ちいいし、悔恨の意としてもしつこくない。これも理由がはっきり説明されているからなんだよなあ。
そういえば、後悔のもととなった事故シーンはこの作品の一番奇特な場面だった。あそこで初めて、「ああ、映画を観てるんだぼくは・・・」みたいな、聴覚と視覚がフル刺激されているような感覚が走った。すずの感情起伏もあそこでガラッと変わるし、視聴者側からしてもあれだけ時間をかけて場面を見たからこそ後半への準備ができたのでは。
あと、すずの描く絵はシーンを一気に童心への回帰へと持っていき、そのたびに涙腺が少し刺激されるのは「昔を懐かしむ」人間の定め?でも別に恣意的に場面を挟んでるなあという感じがしないのは、紙自体が貴重だったりする時代背景(つまり紙の出てくるシーン自体が少ない)からか。
この映画、クラウドファンディングでの応援が公募されたことで話題に上がりましたが、そういう意味でもこの映画が作られた理由というのは、「この世界の片隅」を動かしたい(してほしい)・聴覚刺激を加えたい(ほしい)という願望がやはり大きいのだと思う。
戦争を題材にするにあたって、人の恐怖心を駆り立てる轟音はあってしかるべきだし、感情の起伏こそ動きがあってなんぼのもん、だ。
「戦争ものってどうせお涙頂戴か、見てたら気まずくなるんやろ?」って僕は今の今まで思ってましたし、ほかのものは実際そんなのがあるかもしれないけど、コミカル要素がままあって、あくまで日常を実寸大に描いてるこの作品は僕にとっては非常に観やすかった。いやほんとNHKの連続テレビ小説でどれだけ胸糞悪い思いをしたか。本当にこの作品にあえてよかった。戦争に対する思いは描く人それぞれが覚悟をもって確固たるものを抱いていると思いますが、たぶんそれは敗戦直後のすずの叫びそのまんまでしょうし、僕はこの台詞でやっと戦争ものへの全体的な反発から解かれるよな気がするし、なぜ人々はここまで戦争について語るのだろう?というわだかまりまで自分の中でもう少し消化できそうな気さえしてきた。
表面的な感動だけを呼び起こすことなど全くせず、心の底からの(原始的な?)感情を目覚めさせてなお上位な思想を頭の中でくぐらせてくれました。
何度も見よう、とはならないけど、たぶんふとした時にまた呉の風景が僕の頭に戻ってくるのだろうな・・・その時にはもう少し戦争観を成熟させていたいものです。
時間は昼の14時頃,雲のほとんど見られない快晴の青空の下,立ち並ぶアパートのゴミ収集場所として機能しているであろうラックの一番上,天板部に僕は「それ」を見つけた。
僕は上背がある方だが,そんな僕の鎖骨くらいでやや高いラックなので,普段であればさして気に留めないようなスペースだ。
そのラックの前を通り過ぎるとき,視界の端が「何か」を捉えた。
1秒もないような時間の中で情報として飛び込んできたのは,XJAPANのギタリストだった故人HIDE氏を思わせるビビッドなイエロー・ホットピンク,そして巨乳ロリという文字,いや,記号だった。
嘘偽りなく,横を通り過ぎたその瞬間には僕は「それ」が何かを認識できていなかった。
だから,強烈な配色も,そこに書いてあった文字も,果てはそれが本であったかすらきちんとわかっていたかは定かでない。
ただ「何か」があるということを僕の本能が感じ取ったことは真実であり,しかして10メートルほど歩いて脳内の処理が終わった僕は足を止めた。
頭の中にあったのは「それ」に対するwhatではなくhowであった。
まず,一つ目の理由であるが,稀有なシチュエーションであることそれ自体が僕を高揚させた。
助平なコンテンツを摂取せんと思えば電子の海にROCKET DIVEして有料なり無料なりのものを存分に堪能し,己が欲望が具象化した白い恋人を限界破裂させれば良いのだ。
そんな時代に,「その種の本が落ちている」という場面に遭遇することの衝撃を考えてみてほしい。
さながらポケベルを使って連絡を取る人とすれ違ったような感覚である。
既に述べたようにデジタル時代を迎えているわけだから,この領域で最も勢いのある表示形式は動画であると言っても過言ではないだろう。
そうした世相において本に出会うという現実は,既に非日常である今この瞬間を一層特別なものにした。
たしかに動きや息づかいを知覚できる動画は簡単に臨場感や興奮を与えてくれるだろう。
しかし,静止画だからこそ得られる視聴覚を超えた別次元の感覚,シックスセンスやイマジネーションと呼ばれるような扉の向こう側の感覚は,男をイージートゥワッチ・イージードゥダンスな易きに流れた存在から,一皮剥けた存在へと押し上げてくれるはずなのである。
そう,「あれ」には可能性がある。
歴史を振り返ればいつだって流行は最新技術とアナログなものとが行ったり来たりしているように,動画ではなく,パソコンの画面でもない,本との出会いはかつて読書家だった幼いころの僕を,今も電子書籍にはどこか馴染めないでいる幼い頃の僕の名残を呼び覚ましてしまった。
これらの理由から,僕は今臨んでいるこのあまりにもアナログで古き良き光景に魅せられきっていて,趣さえ感じている。
極力性的なものを近づけないようにと努めてきたが,作用には必ず反作用があるもので,そう,有り体に言えばムラムラしていた。
三つ目の理由はそう,春の日差しが心地よかった,ただそれだけである。
とにかく,僕の頭は落ちていたブツが何かを理解すると同時に,どのようにミッションを達成するかに切り替わっていた。
とりあえずということで一度地図アプリなりなんなりで調べものをしている風を装って後退し,目標物が本当に僕の認識したとおりのものであったのかを再確認する。
横を通り過ぎがてら目視し,間違いなく想像通りのもの,それも2冊あることを確認して一度道を大きく引き返す。
近くの個人商店で少年ジャンプがフライングゲットできるのでまずは購入,もちろん手提げ袋をお願いして,だ。
今日の鞄は最低限のものしか入らない小ぶりのもの,したがってターゲットを収納することは能わない。
もしジャンプを買うことでもらえるビニール袋が十分に大きければ収納は可能であり,小さくともジャンプを買うことができるということで,最初の作戦はローリスクハイリターンだ。
結果として袋が小さく作戦は失敗に終わったが,回収のチャンスが人目のないほんの一瞬であることを考えるとすぐに次の作戦に移る必要があるだろう。
思わず上着を脱いだところで,これだ,という閃きが訪れた。
上着の中に包み込んでしまうのだ。
今日着ていたのは薄手ではあるがダウンなので内容物の輪郭もカモフラージュしやすい,古典的ではあるものの効果的な方法だと言える。
これで準備は整った。
あとは人通りのなくなった瞬間を見計らって,計画を実行に移すだけである。
ドクン,ドクン,と胸が高鳴った。
かつて多くの漢たちが同じ死線をときにくぐり抜け,ときに散っていったのだろう。
昂る感情とは裏腹に,頭の中は静かにフル回転し,スパイやエージェントのような気分になる。
最高に,スリリングだ。
かくして雷光の如き手さばきで勝負を制した僕は,興奮冷めやらぬままにしばし歩いた。
アドレナリンが大量に出ているのを感じる。
周囲の音や普段目につかないものがよく見える,今,間違いなく僕の脳は活性化しているのだと断言できる。
中身がどうという話ではない,「道端のエロ本を拾う」という体験を楽しむのだ。
よもや20代中盤にもなりこのようなイベントでここまでテンションが上がるとは思ってもみなかったが,「エロ本を拾う」という事象は男を童心に返し,心身ともに研ぎ澄ませ,スリルを提供してくれ,そして獲物はどんなものだったろうと心を躍らせる,そんな狩猟本能を呼び覚ますはたらきがあるのかもしれない。
ひとしきり歩いて人目を忍べる場所を見つけてから,ついに報酬とご対面である。
上着の包みを丁寧に開き,逸る気持ちを制しながら手に取ったその本。
なんと,2冊ともダイジェストDVDがついているタイプの本であった。
趣とは何だったのだろうか。
そんな暮らしがふとやるせなく感じた時
俺はブルマを履いて股間に電マを当てる。
人は皆うちに秘めた幼気をまとった自分がいる。
正直で活発なその心はまさしく美少女であり、
その存在を実感することは容易いことではない。
美少女が美少女たるのは所作や雰囲気が美少女のそれだからであり、
立ち振る舞い次第でだれでも美少女になれると俺は信じている。
俺たちは自分のなかに居る美少女をどんどん見つけ出すべきなのだ。
密かに皆、軽やかな幼心をまた味わいたいという気持ちに苛まれているから、
美少女を崇めるのだ。そして自分の中に存在することすら気がつかず探し求めている。
自分の中にあるものを自分の外の世界から見つけ出そうとしているからではないだろうか?
俺はいつの頃からか美少女がブルマやスク水を着ている様を見つめるより
自らが美少女と同じ装いをすることのほうが落ち着くことに気がついた。
「わからんな」
「わかりませんか」
「わからん。犯人が『なぜ被害者の部屋にある本棚の本をすべて抜き取ったあと、また戻したか』についてはさっきの君の説明で納得いった。しかし、それでは肝心の犯人がわからんじゃないか。だれにでも出来る殺人だ。被疑者が絞れん」
「それがですね、実はこの本棚こそ犯人をピンポイントで指し示す、最大の証拠品なのですよ」
「どういうことだ」
「それを今から説明します。まずはこのプリントをご覧ください。これは被害者の読書履歴をリスト化したものです。読書メーターからとってきました」
「なかなか残酷なことをする……。なるほど、ミステリ好きという話は嘘じゃなかったみたいだな。翻訳ミステリの有名作がならんでおる。だが、これで何がわかると?」
「注目すべきはこの本です。江戸川乱歩編『世界短編傑作選3』」
「シリーズの三巻だけ読むのが奇妙だと? それはキミ、素人の浅はかだよ。アンソロは続き物じゃない。別に順を追って読む理由などないぞ」
「いいえ、警部。『三巻目であること』それ自体が重要なんです。これが『傑作選2』や『4』だけなら単なる被害者の気まぐれですんだでしょう。しかし、『3』だけ、となるとそうはいかない」
「何が言いたい?」
「もう一度、リストを点ではなく線で眺めてみてください。被害者が読んだ順に」
「『モルグ街の殺人事件』、『白衣の女』、『シャーロック・ホームズの冒険』、『ブラウン神父の童心』……傑作揃いだな。何の変哲もないミステリ読者だが……」
「"新潮文庫"の『モルグ街』、"岩波文庫"の『白衣の女』、"創元推理文庫"の『シャーロック・ホームズ』であることが重要なんです。それにしても、この並び、どこかでご覧になったことがありませんか?」
「ふむ、言われてみればどこかで……『お楽しみの埋葬』、『ジェゼベルの死』、『兄の殺人者』……『切断』? ああ、ポーターのか…………あ!!!」
「お気づきになられたようですね」
「こ、これは……法月綸太郎の『ミステリー塾 海外編』のマストリードリストとまったくおなじ……!」
「いかにも。被害者は法月先生のマストリードリストを律儀にも頭からなぞって読破していたのです。ほら、もっとリストをさかのぼってみて。妙に再読が多いでしょう。古典的名作ばかりなので最初はそれも然りと考えていましたが、種が明かされてみればなんてことない。
『東西ベスト』、『ミステリ・ハンドブック』、『海外マストリード100』……各所のマストリード、オールタイム・ベスト本のリストを手当たり次第に読み漁っていただけなのです。それも、きちんと順番を守ってね。ベスト本のメンツは、特に上位や定番ともなると重複しがちです」
「そうか、やけにホームズやポーやチェスタトンばかり何度も読んでるわけだ。旧訳の『ブラウン神父の童心』を短期間に繰り返し読むなんて、都筑道夫でなけりゃ修行僧くらいのもんだからな」
「もはやパラノイアの域に達していると言ってよいでしょう。ところで、おかしいとは思いませんか? こんな強迫症的な几帳面さを備えていた被害者なのに……この本棚は統一性に欠けている」
「そうか……綺麗に整頓された部屋に、きっちりと収まった本棚だったから一見しただけでは気付きにくかったが……」
「同じ列にポケミスとハヤカワのトールサイズと講談社文芸文庫と普通の単行本をいっしょくたにぶちこむなんて、ぼくですら怖気をおぼえますよ」
「部屋に入ったときの違和感……背筋を伝った悪寒の正体はこれだったのか」
「まともな美意識をもつ読書家なら耐えられない蛮行だ。被害者の性格を考えればなおさらです」
「となると犯人は、A.『被害者が几帳面な整頓好きであることを知っていた』。B.『しかし、読書家の生態には疎い』人物――」
「被害者の交友関係は属していた読書サークル関係に限られていました。本棚にむとんちゃくな読書家はいくらでもいますが、被害者の生態を知ったうえであえてこういう現場を残しはしないでしょう……ただ一人を除いて」
「……恋人、か」
「動機は容易に推察できます。事件当夜に聞こえた罵り合い、あれはおそらく、本を捨てようとした恋人とそれを止めようとした被害者の口論だったのでしょう」
「そうして揉み合ううちに……か。殺意はなかったんだろうな」
「ええ、事故です。恋人も恋人で日頃から被害者にアイドルオタ趣味を揶揄されてストレスが溜まっていたのでしょう。自分の世界に閉じ籠もって、本当の人間を理解しようとしなかったカップルの悲劇ですね」
「やれやれ……本棚にはじまって本棚に終わる、か。嫌な事件だったな……なあ、思うんだが」
「もし、この部屋に本棚さえなかったら、ですか?」
「そうだ……紙の本……大量の書物を収納するための本棚……。なあ、なぜ人は積ん読を犯してしまうんだろうな? なぜ文字を、知識を物理的に重ねて誇ろうとするのだろうな。
バベルの塔を知らぬわけでもあるまいに……」
「罪であるとわかっていても手をださずに入られない。それが人間の業です。アダムとイヴを知らぬわけでもないでしょう?」
「そうだな……わかっている……わかっているが……くそっ! やりきれない……」
「ぼくも同じ気持です……もし彼らがアレさえ持っていればと思うと」
「アレ? なんのことだ?」
「フフフ、これのことですよ(バッ」
「あ、黒いシルエットを燦然と穿つ青白い光!!!それは、君、『kindle voyage』じゃないか!」
「そうです! 『kindle voyage』は名機『paperwhite』の後継機かつ上位機種!!! この艶かしい小さなボディに数千冊を収納することが可能なんです!!!
さらに300ppiの高解像度ディスプレイを搭載! 紙の本と遜色ないリーダビリティ!!」
「なんてこった! 被害者もそれを買っていれば本棚なんていらなかった……事件も起きずにすんだ」
「起こってしまったことはもう変えようがありません……。しかし、新たな悲劇を防ぐことはできるはずです」
「そうだな。本好きを名乗るものならみんな『kindle』を持つべきだ。わたしもさっそく、注文するよ」
「僕たちは前を向いて歩いていかねばいけません、それと、オススメはwifi+3Gモデル。どこでもいつでもストアにアクセス&ダウンロードできて本体価格29180円と超お買い得です。充電アダプタは別売りなので注意してください!」
[MV] On Your Mark / CHAGE and ASKA https://www.youtube.com/watch?v=3Obh9kg6o_U
CHAGE&ASKAの「PRIDE」はJ-POPきっての名曲です。それについては先日、ライヴ聞き比べの記事を書きました(http://anond.hatelabo.jp/20140923002713)。
しかしCHAGE&ASKAには「PRIDE」と肩を並べる、もう一つの壮大なバラードが存在することを忘れてはいけません。それが「On Your Mark」です。この曲はCHAGE&ASKAの15周年記念シングル曲であると共に、アルバム「CODE NAME.2: SISTER MOON」のラストを飾る曲です。また、数億円を費やして宮崎駿にPVを作ってもらった曲でもあります。そのPVは短編映画扱いで「耳をすませば」と並んで上映されたこともあるので、そちらでご存じの方も多いかもしれません。
「On Your Mark」は間違いなくCHAGE&ASKAを代表する名曲で、「SAY YES」や「YAH YAH YAH」が忘れ去られても、この曲が歴史に埋もれてしまうことはないでしょう。相方CHAGEは、数あるASKAの曲のうちでも「On Your Mark」をもっとも好きな曲だとどこかで言っていましたが、それも頷けます。CHAGE&ASKA全盛期を告げる初めの曲が「WALK」「PRIDE」だとして、「SAY YES」「YAH YAH YAH」といった名曲を連発した全盛期を経たのちの「On Your Mark」は、それら名曲群をじゅうぶんに締めくくるに全く恥じることがない傑作だと言えるでしょう。
前回は「PRIDE」のライヴ聞き比べというマニアックな作業を公開しましたが、今回は「On Your Mark」の楽曲分析というこれはこれでマニアックな作業を行ってみようと思います。というのも、比喩に富んだ歌詞に、転調を次から次へと重ねていくこの曲をどう解釈すればいいのか自分自身分からなかったからです。以下、個人的な思い入れで解釈しているメモ書きです。
静かなシンセとピアノから曲は始まります。ASKAは決して楽観的には聞こえない調子で「On your mark」(位置について)と歌います。すると、曲は変ホ長調から嬰ヘ長調に転調し、ベースの八分の「ダンダンダンダン」というリズムが刻まれます。まさに、走り出したがごとくに。
J-POPを分析するときに調性を云々言うのは的外れと言われるかもしれないが、決してそんなことはないと思います。変ホ長調はベートーヴェンが「交響曲第3番(英雄)」で用いた「荘厳の響き」の調性、そして嬰ヘ長調は♯が6つ付いて、複雑で混沌とした響きを持つ。例えば、マーラーが「交響曲第10番」のアダージョで用いたのは嬰ヘ長調である。チャゲアスで変ホ長調の調性を探すと「PRIDE」や「Sons and Daughter~それよりも僕が伝えたいのは」を挙げることができます。ベートーヴェン「英雄」と同じく、どちらも荘厳の印象を私たちに与える曲です。しかしながら重要なのは、「On Your Mark」はこの荘厳の調性からすぐに転調する(=外れる)ということです。すなわち、この曲は、はじめから「英雄」からの「除け者」であり、「PRIDE」のように素朴かつ豪胆に歌い上げることさえ禁じられたものの歌なのです。したがって、「On Your Mark」ははじめからかなりひねくれた性格をもつ曲なのです。この冒頭の転調を聞いて、たしかに私たちはどこか言い知れぬ複雑さを覚えるのではないでしょうか。
埃にまみれた服を払った
この手を離せば 音さえたてない
落ちてゆくコインは 二度と帰らない
君と僕 並んで
「いつもの笑顔と姿で/埃にまみれた服を払」うというのは、強がりの笑いです。いろいろケチをつけられるが、それを「いつもの笑顔と姿」で何気なく払うのです。そして、大切なものを失う時(落ちてゆくコイン)、それは音さえたてません。静かになくなっていきます。「私」はそれさえも「いつもの笑顔と姿」で見送っていきます。
次に出てくる「君」というのは、むろん共に走っている人でしょう。この「君」が男性なのか女性なのかは不明です。つまり友情歌なのか恋愛歌なのか分かりません。周りの友人に尋ねてみましたが、「君」は男性だという意見と女性だという意見ではっきり分かれました。私は「けれど空は青」等につながる男性同士の友情歌だと認識しています。実際、宮崎駿もこの曲を使ってCHAGE&ASKAの二人を主人公としたPVをつくっていますし、CHAGE&ASKA自身のことを歌っていると考えるのがもっとも自然な解釈だと思います。
「夜明けを追い抜」くというのは面白いイメージだと思います。ASKAは「晴天を誉めるから夕暮れを待て」で、今晴天のように売れている自分をみんなチヤホヤしてくれているけど、「夕暮れ」時に誉めてほしいと取れるような歌詞を作っています。また「太陽と埃の中で」という曲もあるように、ASKAにとって太陽とは特別なものです。朝の冷たい風を切り、太陽という「絶対」に向かって自分の力で進んでいくのです。灼熱の太陽でもなく、沈みゆく太陽でもなく、夜明けの冷たい太陽というところが面白いところです。この冷たさが、決して順調ではないレース(On your Mark=位置について)を予感させます。
ところで、完全な偶然だと思うのですが、PVと同時上演された「耳をすませば」に、まさに「夜明けを追い抜いていく自転車」の描写がありますね。気になるところです。
On Your Mark いつも走り出せば
On Your Mark 僕らがそれでも止めないのは
夢の斜面見上げて 行けそうな気がするから
(夢の心臓めがけて 僕らと呼び合うため)
このサビに入ると、また転調し、調性はイ長調になります。Wikipediaによれば、「陽気で牧歌的」であると同時に「輝かしくはあるが、非常に攻撃的」であり、「気晴らしよりは、嘆き悲しむような情念の表現に向いている」という。調性の特徴にあまり拘るのはよくないかもしれませんが、この両義性は重要だと思います。それについては後述します。
AメロBメロの比喩の激しさに比べるとサビは解説的になっていて分かりやすいと思います。風邪にやられて駄目になりそうになるけど、「夜明けを追い抜く」ように、「僕ら=君と僕」は「夢(=太陽)」が頂上にある「斜面」を見上げて、いつか「夢(=太陽)」に行けそうな気がするのです。
答えを出さない それが答えのような
針の消えた時計の 文字を読むような
まだ若すぎる
調性はまた嬰ヘ長調に戻る。
この歌詞で面白い所は「心」の存在する位置です。通常、「心」というものは、個人のうちにあるものです。しかし、ここでは、「心」とは、「僕ら(=君と僕)」の二人が共有している「場」なのです。だから、二人はある程度「全てを認めている」といってもいいような深い関係にあることが分かります。
そんな「心」にある「小さな空き地」。この空き地からは、「NとLの野球帽」で歌われたような、工業地帯にある寂しげな空き地を思い浮かべます。そうした空き地は、基本的には大人たちの目の届かないところにある子供たちのテリトリーであり、遊び場です。一番の歌詞にある「そして僕らは いつもの笑顔と姿で埃にまみれた服を払った」というところにも感じるものですが、どことなく童心にかえっているような気がします。そんな秘密の遊び場で、二人は喧嘩をしてしまいます(「互いに振り落した 言葉の夕立」)。「夕立」という言葉から、たんに喧嘩をしていることだけではなく、「空き地」で喧嘩が終わった後に「夕立」に打たれながら無言で立ち尽くしている二人がいる、という場景を私は思い浮かべます。
その場景が次の「答えを出さない それが答えのような/ 針の消えた時計の 文字を読むような」という言葉につながっていきます。二人は夕立に打たれ髪がびしょ濡れになりながら、互いに見つめ合います。二人とも、本当はお互いのことを分かり合いたいと思っています。しかし、二人は何も言いません(「答えを出さない それが答えのような」)。時計の針が消えてしまい、永遠に続くような気まずい沈黙があります。「永遠の謎」がそこにはあります。相手が何を考えているのか分からず、また自分自身が何を求めているのかも分かりません。やはり、「全てを認めてしまうにはまだ若すぎ」たのかもしれないのです。
以後、サビが多少の変化を伴ってリフレインされる。分かり合うことなど不可能なのかもしれないけれども、それでもOn Your Mark(位置について)! 「走り出」すしか解決方法はないのです。
曲のラストは、冒頭と同じようなピアノとシンセの静かな曲調になります。ここでは調性はイ長調である。最後に歌われるのは
そして僕らは
です。この「そして僕らは」というのはきわめて両義的です。というのは、そこにあるのは希望だけではなく、苦しみや失敗も内包されているからです。イ長調の調性が「牧歌的」であると同時に「嘆き悲しむ情念」であることが特徴であるように、僕らの行く道は「希望」であるのか「失敗」であるのか、最後まで種明かしされることはありません。しかし、決して「僕ら」は走ることをやめません。ここに「On Your Mark」のもっている奥深さがあると私は思います。行く先がどうなるのかは決して分からないけれども、苦しみを背負って、夢を目指していつまでも走り続けるのです。
コメントをもらってジブリPV版について思ったことがあるので付け足します。
「On Your Mark」のPVは、ご存じのように原発事故や放射能事故を主題としています。その主題設定も手伝って、近年ふたたび注目されています。宮崎駿は「タイトルや歌詞をあえて曲解し悪意に満ちた映画に仕立て、いつか来る未来に生きる」ことをイメージしてPVを製作したと言います。どう「曲解」したらこの歌詞から原発の話になるのか今まで分かりませんでしたが、その答えは「夜明け」という言葉にあることに気がつきました。「夜明け」というのは「太陽」の出現を意味します。ところで、「原発」という装置は、原子の核分裂反応から巨大な力を得ています。太陽は原子の分裂ではなく融合によって光り輝いており、厳密には太陽と原発の力は全く異なるものではありますが、しかしながら、原発は「地上の太陽」と形容されることも多く、文化的コンテクストにおいて原発と太陽は密接に結びついています。宮崎監督が「原発」をテーマにすべく「曲解」したのは、まさに「夜明け」という言葉に他ならなかったのではないでしょうか。「On Your Mark」の歌詞だけを見れば、正直なところ、反核運動よりも原発肯定に親和性を持ちます(すなわち、吉本隆明の立場に近いのではないか、と私は思います)。宮崎駿はそれを見越した上で、「原発事故が実際に起こった世界でもOn Your Markと言うことは出来るのか?」と問うたのではないでしょうか。映像を見れば分かる通り、宮崎監督は「できる」と考えたのでしょう。しかし、当時と今では世界が違います。今の私たちはまさに宮崎監督のつくった世界の中にいるのです。その世界において、私たちは「On Your Mark」を聞いてどう感じるのか、「On Your Mark」と言うことができるのかと、再び考える時にあるのではないでしょうか。
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大雪の中、正月に帰省すると、実家暮らしの姉と姉の幼馴染の友達がいた。
久しぶりと、愛想良くあいさつをしてくれたが、
姉の友達は、28才の看護師、最近になって良く遊びに来ては、一緒に酒を飲んだりしているらしい。
姉と姉友がキッチンで夕飯の支度をしていた。
しばらくして姉友がビール瓶とチューハイのおかわりを持って来た。
『弟が寂しがってるから姉友ちゃんも飲んでなよ』
と聞こえ、
姉友は僕の隣に座ってビールを呑みだした。
ほろ酔い気分の僕は緊張もだいぶ解けてきたのでいろいろ話かけた。
しばらくして姉友との会話にも慣れてきた僕はさらに積極的になってみた。
僕『姉友さん、彼氏作らないの?』
姉友『仕事が忙しくてね、1年くらい前には居たけど!それからはあっちの方もご無沙汰』
といきなりの下ネタトークw
僕は童心に返って、小学生の頃のように冗談半分で、姉友の太ももを触りながら
『姉友さんは、綺麗だからその気になればいつだって出来ますよ』
姉は、ビール片手にニコっとして、拒まなかった。調子に乗った僕は手を伸ばし、パンティの上から陰部をまさぐってみた。すると少し眉間にシワをよせて、 声を漏らさない様にガマンしていた!
「夕飯出来たよ!」
あわてて手を元に戻すと、姉が料理を運んできた!
姉は僕の前に座り、話ながら食べ始めた。
僕はまた手を伸ばして、姉にばれないように、ゆっくり摩って見た。
すると姉友は、触りやすくなるように足を開いてくれた。顔を見ると今度は平然としていたw
さすがに、触り続けてるとバレてしまうかもと思い、触っては休み、と繰り返していると
姉友がトイレに行きたいと言い席を立ち、しばらくして用を達して戻って来ると、僕はまた手を伸ばしたw
すると、先ほどとは違う感覚が。モジャモジャした物 が!指を少し下にやるとヌルヌルしたワレメ!
姉友はパンティを脱いでいた!
僕はドキドキしながら、姉友の表情を伺ったが 平然として姉と話してる。
その頃には、夕飯もほぼ完食、姉が後片付けしようとすると、
姉友『私も手伝うよ』
姉『いいよ!飲んでて、すぐ終わるから』
姉友は僕を見て、ニッコリ微笑み、今度はマンコが僕の側から見える様に片膝をついて指でオナニーし始めた
『弟君がエッチな事するからトイレで脱いで来ちゃた!ドキドキするね』
と僕 の耳元で囁いた。
僕は、直ぐに指を中に入れかき回した。マンコはこれでもか!とゆうくらいに濡れていた。
姉友は、自分の口を手で押さえ声を殺し、感じまくっていた。
今度は、姉の手が僕の股間に近づきファスナーを下ろし、僕の皮かむりのチンコを取りだし、やさしく剥いてフェラしてくれた。
初めての快感に身が震えるような感覚に悶えながら、姉友のお口にいっぱい放出してしまう僕。
『弟君、いっぱい出たね。気持ちよかった?』と姉友。
本当は最後までしたかったし、姉さえいなければ、そのまま普通にできてたと思う。
結婚する前にもう一回会ってやっておけばよかったと激しく後悔。
よかったらどうぞ。
ディズニーランドとかUSJにある「主人公は君だ!」的なアトラクション
自分にとって少なくとも名前変更ができる作品よう配慮された世界は、そういうものだ
しかしこの意識がオタク仲間には「幼稚」だとか「意識が低い」みたいに思われてかなしい
現実が充実してないから虚構にマジになるんだ、そうなっちゃいけない
そんなことしてる奴は底辺中の底辺、クズなオタクの中のさらにクズみたいなさ…
仕方なくこんな幼稚な虚構の世界に身をおかされている、っていう共通意識、あれはなんだ…?
ディズニーランドで勇者になるみたいに、フィクションの世界を愛してはいけないんだろうか…
そこで得られる興奮、楽しさ、童心にかえったように感じるわくわく感
水曜までの仕事が間に合わなくて、家だと集中できないのでネカフェのブースにノーパソ持ち込んで作業をしている。
店員さんが不審がってこそこそ話しているのが背後で聞こえるけど、声を殺しても涙が勝手に出てくる。
作業ははかどってたんだけど。
泣いてしまうまでは。
FFが好きで、ニコ動でFFのオーケストラバージョン作業用BGMを聞きながら作業していたらすごくテンションが上がって開放的な明るい気持ちになった。
そのことをFacebookに投稿したら真っ先にコメントをくれたのが、もうかれこれ1年ぐらい好きで好きで、本当に今まで生きてきた中で一番好きになった男で、でもどう考えてもわたしに望みはない、のだけど友達ですらいられなくなるほうがずっとつらいので好きだと言うのはやめておこう、と決めた相手なのだけど、いつもと別に変わらないはずの他愛ないfacebook上でのやり取りが何だかよくわからないんだけどBGMとあいまって起爆剤になってしまったみたいで、作業しながら突然涙があふれてきた。
FFは子どものころからずっと愛着を持っていた趣味(と呼べるほど高尚なものなのかどうかわからないけど)だから、音楽を聞くと文字通り童心に戻れる気がする。
すごく素直な気持ちになる。
気持ちにしているふたとか、常識とか、世間体とか、見栄とか、相手に迷惑かけちゃいけないと思うことで自分を守ろうとする臆病さとかずるさとか、そういうのがいつの間にか全部きれいに取り払われていて、ただ、やつのことが好きで大切でどうしようもない、という気持ちだけが自分の中に残っていた。
やつと飲みに行った帰り道は、いつも世界が輝いて見える。
今まで付き合ってきた彼氏には一人もこういう感情を抱いたことはなかった。
「かけがえのない存在」とは、こういう存在のことを言うのだと思った。
向こうはどうか知らないけれど。
こんなに波長が合って、気兼ねなく何でも話せる相手と今までわたしは出会ったことがなかった。
そうだ、こういうのが恋っていうんだった、と思った。
言えば関係が終わる可能性のほうが高いから言わないでおこう、と思うんだけど、自分で決めたんだけど、友人に話すと口を揃えて「言ったほうがいいと思うよ」と言う。
言わないと、次の恋に進めないよ、と。
それもそうなんだけど。
でも今はこいつのことを失いたくない。
しんどい。
「泣くな、はらちゃん」の人も片思いをしているらしいが(見てないけど)片思いというのはつらい。
胸が張り裂けそう、ってほんとだな、と思った。
生まれて初めてきちんとした「恋」をしている。ような気がする。
つらいんだけど、でも友達ですらいられなくなるぐらいなら、やっぱり言わないほうがいい。うん、そのほうがいい。
ここまで書いて気づいたのだけど、「彼もあなたのことが好きかもしれないじゃん!()」みたいなのは求めていないので、やめてください。
ただ吐き出したかっただけなのです。本当に。
その日、仕事が長引いて終電に間に合わなかった私は先輩に車で家の近所まで届けてもらった。
ここで大丈夫ですよ、と送ってもらったお礼も伝えて下りた場所は家までまだ少しある。
いつもの駅はちょうど反対側だったから最近あまり通っていない道だ。
川づたいに延びる土手をテクテク歩く、昔はよくこの土手で遊んだなあ。
坂の上から寝っ転がってクルクル回りながら「あ、あ!あ、あ!あ、あ!あ、あ!あ、あ!」とかしたっけ。
小さいの頃のことを色々思い出してノスタルジックな気分になる。
時刻は深夜、昔と何一つ変わらない場所に、夜ハイな私、水面は街頭を反射してキラキラきれいだ。
辺りをぐるりと見回してみたけど誰もいない、今がチャンスだとばかりにバックを置いて横になる私。
と、こんな風に書くとまるで生粋の頭の悪い子なのだけど、もちろんそこに至るまではためらいもあった。それもおおいに。
でも子供のころ楽しかったことが大人になるとできないのは何か嫌だというか、もう半ば意固地になってしまい暴挙に及んだ。
つまり「あ、あ!あ、あ!あ、あ!あ、あ!あ、あ!」である。
いざやってみると恥ずかしさもあったけれど、童心に帰れた気がして少しの満足感もあった。
河原の部分まで転げ落ちる。
そしてふと顔をあげ。
あ、人がいる。
寝転がる私とそれを見る男性というのは遠くからシルエットだけ見てみればさぞシュールな光景だったろう。
私は光の速さで服を整えさっと起き上がったが何もかも手遅れだった。
どこかのスナイパーみたいに全身に草を散りばめた前衛的なファッションの私にその若い男性は明らかに笑いを堪えている。
もういっそ川に飛び込みたい、走って逃げたい。でもそうもいかず足の指先から頭の先まで真っ赤に染まった私はそこから動けずにいた。
いっそトコトコとすぐ側まで歩いて来たその人を川に突き落としてやろうかとも考えたけど、たぶんご近所さんだろう足が付く。
気まずい空気が流れる。
笑いながら通りすぎていってくれれば良かったものを変に律儀なのか
その男性は立ち止まって、さっきまでの吹き出しそうな顔はどこへやら今にもごきげんようなんて言いだしそうなポーカーフェイスを装っている。
髪に絡まった葉っぱをできる限りの上品な仕草で取り除きつつ私は「こんにちは、お散歩ですか、じゃあさようなら」なんて
適当に会話を済ませて一刻も早くこの状況から抜けだしたいと頭の中で会話をシュミレートしていた。
が、
「楽しそうですね」これが男性の第一声だった。
後から考えればこの人なりのフォローだったのだろう、でもこのときそれを言われた私は正直恥ずかしすぎて涙ぐんでいたと思う。
大の大人がスカート履いてああああ言ってればそれは楽しそうに見えただろう、でもそこは武士の情けでしょう。
毛を逆立て顔を真っ赤にしながら押し黙ってしまった私に
少し挙動不審となった男性は、昨日引っ越してきたばかりで近所を歩いていた、そこの建物に住んでいる、近くにコンビニはないかみたいなことを身振り手振りで聞いてきた。
コンビニはあるけど駅の近くなので私の帰り道と同じ方向だ、ゆっくりと腕を上げ向こうの川岸を指して、私はあっちとまるっきりデタラメを言ってしまった。
そのままバックを拾って振り返らずに家まで帰ったけれど、あの人は橋の方までUターンして行ったのだろうか。
後日よくよく思い出してみると相手はいいお年頃の男性だ。恋愛上手なお嬢様ならこれも出会いのひとつにしてしまうのかもしれない。
でもやっぱりあんな出会いは嫌だなあ。