はてなキーワード: 無味無臭とは
最近だと
なんて発言もあって、これは自身の体験からしても、深く深く同意するところである。
ぶっちゃけ炒める油の種類を変えたら、世界が変わったと錯覚するレベルで美味しくなった。
ピーナッツ特有の芳しさ・コク、そしてほのかな甘さが、こんなに中華を美味しくするのかと驚いたよ。
ちなみに落花生アレルギーがあるとか、そんな高い油使えないという人は、大豆油が次善と言われている。
そもそも、本来の伝統的中華は油ではなく脂、つまりはラードを使うらしい。
しかし本場中国でも最近は健康面からラードはちょっと…ということで、その代わりとして登場したのが、このピーナッツオイルと大豆油だったと。
そんな歴史的経緯もあってか、ピーナッツオイルで作る中華を美味しさで上回るのは、多分ラードだけなんだろう。
そう思わずにはいられないくらい美味しくなるんで、是非試してほしい。
少なくとも青椒肉絲、回鍋肉、麻婆豆腐、麻婆茄子は間違いなく旨かった。
以下余談。
油の味に対する影響がどれだけ物凄いかは、中華をオリーブオイルで作ってみるとよーく分かる。
オリーブオイルの話が出たついでに言うと、カレーでニンニクと唐辛子の風味を油に出す系のレシピの場合、個人的に油はオリーブオイル一択。
グレープシードオイルの無味無臭でサラッとした風味がベーシックではあるけど、これは味的につまらないから。
油の「濃さ」が、カレーをグッと愉しくしてくれる感じ。
転職先面接で、定年退職まで働くイメージがなかった企業、それも全然違う役職に応募してしまい、ミスったーって思いを全く取り繕わなかったら普通にお祈りされてしまった。
リクルーター経由ならどこがダメか感想をいただけるのだけど、完全に無味無臭のお祈りメールから「こいつとは一緒に働きたくない」という書いてない文脈を読み取ってしまう。
...やっぱりそれでもいろんなことを考えてしまう。
悔しい‼って思い、メガベンチャーなんて言われてたけど普通に判断スピードは大企業のそれでもう全然そういう会社じゃないんだなって色褪せた思い、
どーせダメだからって最後の質問で給与を聞いたら、逡巡した後で非managerで700万円って答えてくれて、の後紹介された連載記事を見てこれでこれかーって素直に思ってしまった思い、
お前もべっつにそんなに強くないだろ、むしろ雑魚だし、たった一人技術だけで上がりじゃなくていろんな部署に声をかけて人を巻き込む力が多かれ少なかれあって事業に貢献してそれやでって思い。
ソシャゲで巻き上げる力やっぱりやべーなぁって思い。
色々なものが積み重なった。
八王子市歯科医師フッ化水素酸誤塗布事故(はちおうじししかいしフッかすいそさんごとふじこ)とは、1982年(昭和57年)に東京都八王子市で発生した医療事故である。歯科治療用のフッ化ナトリウム(NaF)と間違えて、歯科技工用かつ毒物のフッ化水素酸(HF)を歯に塗布された女児が死亡した。
1982年(昭和57年)3月19日、八王子市内にある歯科医院の院長である歯科医師X(当時69歳)は、虫歯予防薬が少なくなったため、助手である妻Y(当時59歳)に注文するように依頼した[1]。Yは、虫歯予防用のフッ化ナトリウムのつもりで「フッ素」と市内の歯科材料会社に注文したが、注文を受けた社員は歯科技工に用いるフッ化水素酸と解釈してその日に同院へ配達した[1][2]。その際、毒物及び劇物取締法に基づいて受領書への押印を求められたが(フッ化ナトリウムであれば不要の手続きである)、Yはその違いに気付かず印鑑を押して瓶を受け取り、その瓶を診療室の薬棚に入れた[1][2]。Xも、従来使用していたものとは瓶の大きさやラベルが違うことに気付いたが(容器の外側には「フッ化水素酸」等と表示されていた)、前年の暮に取引を始めた新しい業者から納入されたもののため、違うメーカーのフッ化ナトリウムが届けられたと判断し、使用しやすいように従来使用していたフッ化ナトリウムの瓶に移し替えた[3][4]。
4月20日午後3時40分頃、市内に住む女児(当時3歳)とその母親(当時33歳)が、虫歯予防のためのフッ化ナトリウムを塗布してもらうために、同院に訪れた[5][6]。Xは、「八王子ではフッ素の塗布が義務付けられている」といい、フッ化ナトリウムと勘違いしたフッ化水素酸を脱脂綿にしみこませ女児の歯に塗布した[5][6]。その直後、女児は口から白煙のようなものと臙脂色の唾液を出し、「からい」と訴えて仰け反った(フッ化ナトリウムは本来無味無臭である)[5][6]。Xの指示で、女児の母親と同院の助手の女性が女児の体を押さえつけ、再び液体を塗布したが、女児は悲鳴を上げて暴れだし、診察台から転がり落ちた[6]。腹痛を訴え床を転げ回る女児を母親が抱き上げると、口の周りが真っ赤にただれていた[6]。Xは、初めての反応に対して特殊体質によるものだと判断し、強心剤を注射した上で119番通報した[6]。女児は救急車で近所の病院に搬送されたものの、症状が重篤であるため東京医科大学八王子医療センターに転送されたが、同日午後6時過ぎに死亡した[6]。
Xが女児に付き添い医療センターに向かっている間にYは違和感を持ち、女児の歯に塗布した薬品を自分の歯につけたところ、強い刺激を感じ歯茎が荒れたため、うがいをして吐き出し、薬を間違えたと判断して、Xに無断で容器などを洗い自宅の焼却炉で焼却処分した[1]。同日に、八王子警察署が業務上過失致死の疑いで家宅捜索に入り、診療室内の薬品や焼却炉内の灰を押収した[1][7]。
4月21日、司法解剖により口の周りの皮膚がただれているなどの急性毒物中毒と考えられる特徴が確認された[6]。同日午後9時頃、女児の通夜の席で遺族から詰め寄られたXは、高血圧性脳症を起こし倒れた[4][5]。
4月23日、警視庁科学捜査研究所が治療時の容器などを分析した結果、フッ化水素酸が検出された[1][7]。
9月28日、東京地方検察庁八王子支部はXを業務上過失致死で起訴した[8]。
1983年(昭和58年)2月8日、Xが治療ミスを全面的に認め、3850万円の慰謝料を支払うことで遺族との示談が成立した[9]。
2月24日、Xは東京地方裁判所八王子支部で業務上過失致死罪により、禁錮1年6ヶ月、執行猶予4年の有罪判決を受け、この第一審判決が確定した[10][11][12]。
親の夢は絵に描いた餅
霞が関は俺には無理な口
親は力で支配しがち
裸で熱湯の湯舟に放置
飯は床にぶちまける措置
強いられる意図の察知
進学先は名門じゃなきゃ平手打ち
泣けば口に布つめる処置
見て見ぬふりのゲスな父
もしくは二人がかりのリンチ
帰りたくないそんな家
いつも警戒親の奇襲
まずい飯並みに無味無臭
憧れた緑川光
将来進路ひどく幼稚
求められる社会的地位
言えるわけない胸の内
努力足らぬとムチとムチ
壊れていく俺の気持ち
順位下がる成績表
夢は妹にバトンタッチ
飛びついたのはブラック企業
俺は親の夢叶えるマシン
生きる意味なし痛ましい
過労死より少しマシ?
そのキレイゴトじんましん
積もる憎悪を持て余し
咳払いなどぶちまかし
まるで配信者の生きざま
自由の身なんと素晴らしい
財布の中身は清々しい
ネットで使い回し
それ奪ったのが荒らし
気にしていない金の貧富
望んだのは居場所の補修
悔いる俺無様リタイヤ
余命刻むタグホイヤー
アバターに食い込む錆びたワイヤー
迎えられないニューイヤー
審判で決する雌雄
二度消される罪人囚
それを喜ぶかつての友
少し前に問題になってた「娘の友達」って漫画が気になったので読んでみた。
ストーリーに起伏はあるんだよ?主人公がピンチになったりハッピーになったり。エッチなシーンもある。
でも読んでいても全く感情が動かされない。
普通読んでて詰まらない漫画はつまらん!って感情が湧いてくるんだけどそれもない。
なんだこれ?!逆に凄いぞ!って思った。
ぜひ読んでみてくれ、と言いたいけどそんな体験させるために買えとも言えないよな
https://www.cmoa.jp/title/204417/
メイカさんは押しころせない
試し読みで何話か読める。娘の友達とはジャンル全然違うけど同じ感想の漫画。
砂を食べてるような感覚になれる。
紅白に出場し、縄跳びダンスで世と間を賑わせ話題になったNiziU。全員が日本人のグループだ。
「メディアのゴリ押し」「TV作られた人気」「金積んだ」といろいろ言われてるが、
そこには流行の発信地と朝のテレビの特性など、いろんなものが重なって断絶が起こっている。
2020年の1月にオーディション番組「Nizi Project」は、朝の番組スッキリ内でHuluコンテンツのダイジェストとして始まった。使い回しの映像だ。
9時台というのは、ワイドショー番組の主要なニュースの解説が終わり、収納術だの料理の裏技だの無味無臭なコーナーが流れるか、小さな特集や密着取材が流れるような時間だ。
この時間にTVをつけてる主婦層は、基本的に朝のチャンネルは固定している。
多少興味のないコーナーがあっても、ゴールデンタイムとちがってわざわざザッピングすることもない。
50代以上はNHKか羽鳥ショーに合わせてる人が多いが、30代40代の比較的若い層はスッキリ率が高い。(視聴者年齢層調査で確かスッキリが一番若かったはず)
ここで、毎週なんとなく流れるオーディション番組をながら見していた主婦層が、少しづつ興味を持ち始めた。
選考基準が歌やダンスの能力を高く求められるところも、ながら見のなかでもわかりやすかった要素だ。
歌もダンスもラップも明らかに近年の日本のアイドルとは格段にレベルの違うような子がたくさん出ていたのだが、
この主婦世代だと、SPEEDのようなダンスや歌唱力を思い出して懐かしんでたりするのだろうか。響かせる高音とダンスに憧れた少女たちの世代だ。
この「Nizi Project」は、最終韓国審査で「プロと同じメイク、衣装、ステージで審査を行う」という仕組みがあった。
画面の見栄えのインパクトはもちろん、参加者の高いパフォーマンスも相まって
J.Y.Parkの肯定感あふれる審査コメントはあるが、出来栄えによってランキングが発表されるシビアさのバランスもなかなか考えられていた。
次の子はどんなコメントをもらうのか?何位になる?キューブはもらえるのか?どんどん気になっていく。
ここで一気に「スッキリを見ていた主婦層の子供」を取り込みつつ、SNSを中心として話題を作っていく。
デビューメンバー発表のときは、トレンドが虹プロのメンバー名で埋まった。朝10時から昼の時間だから、そりゃ見てない人は見てない時間だ。
自宅時間を過ごすティーンを中心とした若い世代にも火が付き、オーディションがYouTubeで無料配信されていることも効果を発揮して
プレデビュー曲「make you happy」から、10代の若い人やインスタ、Tik Tokでダンスを真似する流行が起きる。
虹プロの版権を持つ日テレはこの機会を逃すまいとバンバンNiziUの特集をしはじめる。しばらくはTV出演が日テレ独占状態だったからだ。
ここでスッキリから追ってる主婦層や、SNSで広がりを感じている若い層はなんとなく流行を受け入れるが、
日頃そんなものを見てない人々からは「突然やたらとTVで出てくる知らんアイドル、人気絶頂って言うけど初めて聞いたぞ」と言い出す。
もうTVや事務所がわざわざなんの実績もない新人に巨額の投資と機会提供をしてムーブメントを作る時代は終わった。
そこまでの影響力は既存メディアに残ってないし、リターンも少ない。
少しでもYou Tubeやインスタで起こった他所のムーブメントを引っ張り上げることがメインになっている。
芸能人がこぞって虹プロファンを名乗ったのは、あの時期TVはリモート出演ばかりで仕事が少なく単純に時間があって視聴した人と、
あのムーブメントに乗っかって少しでも話題になるために必死だったという側面もある。サッシーはそのへんうまく仕事にしてた。
JYPも当初はここまで日本で人気になるとは思ってなかったというコメントをしていた。いろいろ偶然が重なって起こったのだ。
「デビュー前に紅白が決まった」といって触れ込んでいたが、あの触れ込みはより断絶を深くさせていった。
プレデビュー曲は本来デビュー曲になる計算だったと思うのだが、おそらくコロナで簡単に帰国できずおもうように日本で活動ができなかったか、
もしくは、あまりにも最終審査が視聴されすぎて曲に新鮮味がなくなってしまったがために、急遽デビュー時期を変更したようにも思える。
ミイヒの激ヤセ問題+休養から明ける期待も含めて、遅くした結果かもしれない。
インディーズバンドが人気曲出して売れたようなものだ。youtuberが武道館埋めるような時代だ、デビューがいつだろうとなんだろうと関係ないとも思える。
それなのに「デビュー前に紅白!」とやってしまったせいで「デビューしてないのに決まってたなんておかしい!」と憤慨する人が続出した。
今、TVがリーチしにくい若い層に強い影響力を持ち、その親世代からも好感を持たれるNiziUは企業にとって貴重な存在だ。
109も化粧品メーカーもコカコーラも全部の曲にCMタイアップがついていく状態だ。
ここで現在まで日本で最大の人気を誇っていた坂道はたいへんだというネット記事が出ているが、秋元グループは実は競合ではない。
坂道系のコアファン層が30~50代男性だが、NiziUは男性のファン層を強く持っていない。
NiziUファン層は10~20代女性で、女性アイドル好きな女性、よりファッションやSNSなど流行に興味のあるOLや学生である。
実は、ここと競合するのが現在のモー娘。だ。パフォーマンス重視に舵を切り、女性専用のライブ席を設け、着実に女性ファン層を増やしていた。
モー娘。は今後苦戦を強いられていく可能性がある。虹プロはASAYANみたいなものだったから、余計に悔しいだろう。
NiziUはここから男性コアファン層を持たずに、どうやって今後も人気を維持できるかが正念場だ。
日本のアイドルは、80年代から今現在に至るまで、男性コアファン層+ライトファン層+あこがれ女性層+世間で構成され、
男性コアファン層が出資する金額や熱量はそのアイドル達をお茶の間に押し上げてきた。
その層なしにして、今後もNiziUがヒットを継続していけるか、今後に注目したい。
踊れなくても口パクでも運が良ければ大人数のグループの中でヒラヒラアイドルになれる時代から、
一定水準のクオリティを求められるグループが増えていけばもっと音楽番組を楽しめるなと思いながら、眺めている。
ここまで書いたが、実は、私はNiziUのファンではなく、自分の推しがNiziUファンというだけである。NHKで語ってる姿がかわいかった。
かなり火力の強いことを言う。
私はコミュニケーションのツールとして同人誌を作っているオタクが嫌いだ。正直言って憎い。
オタクとしての歴はそこそこ長いと思うが、私はこれまであまりオフでの交流を行ってこなかった。ぽつぽつと作品を投稿して、信頼できる解釈のオタクだけをフォローする。
ネット上での交流は当然あるし、仲良くなれば会ったりもするが、同人誌即売会を交流の場だと思ったことはなかった。本を出したことがないからだ。
「原稿きつすぎる」「原稿やってないけど遊びに来てる死んだ方がいい」「原稿?なにそれ知らないですね……」
こう言って本を出すことに苦慮している様子のオタクはツイッターを見ればいくらでもいる。私はそのたびに、悪意からではなく純粋に疑問だった。
小規模ジャンルのオンリーならともかく、そんなに時間がないなら原稿が完成してから参加するイベントを選べばいいのでは?
そんなにギリギリの状態で本当に自分の満足のいくものが書けるのか?
自分が本を出すようになって初めて分かった。彼女たちは、同人誌即売会をコミュニケーションの場だと考えている。だから「そこに参加するために」本を出さなければならない。
まず初めから動機が違うのだ。私は同人誌とは、「自分の書きたい、書かなければ気が済まないものがあって、どうしてもそれを形にして残したいから」作るものだと思っていた。
私が初めて出した本はカップリングでもなんでもなくてただ自分の思う推しはこれだ、という解釈を煮詰めて小説にしたものだった。原稿が書きあがってからこれをどうしても活字にして残したいと思って、それから読みたいと言ってくれる人がいたので、イベントに参加することにした。
それが正しいと言いたいわけじゃない。ただ周囲を見たらどうやら多くのオタクはそうではないようなのだ。
即売会を通してできたフォロワーを見ていて思うのは、彼女たちは作品や推しへの愛情よりも、そこを通して発生するコミュニケーションに重きを置いているようであることだ。
「○○さんの小説読みました」「新刊楽しみにしてます」「天才じゃないですか?」「○○さんの書くAB最高です!」「好きです」「マジでよかったです」
そこにおいて発生するのは自己への肯定であることが初めから確約されている。作品を書けば、本を出せばたくさんの人に肯定してもらえる。同人界隈において作品は「交流のためのツール」としての一側面を持つことは確かである。
だからこれは単純に比重の問題だ。初めに原作やキャラクターへの熱情があって、そこに交流が付随するのか。初めにコミュニケーションと肯定への欲求があって、そのために同人を活用しているのか。
本当なら「利用」と呼びたいくらいだ。後者、『コミュニケーション同人』のオタクは交流の機会を確保するためにイベントに参加し続けなければならない。
もちろん一般参加という手段もあるが、そこでの奇妙な一体感を味わうためにはサークル参加しかない。
結果、「書きたいものは決まってないけどとりあえず参加する」という事態が発生する。
この話がどうしても書きたくて、作品として出力しなければ気が済まない! という熱意は存在しない。そのためギリギリのスケジュールでしか書けなくても、本来よりも低くなってしまったかもしれないクオリティに疑問を抱くことはない。
それは同人活動の本当に誠実な在り方なのだろうか? 私は甚だ疑問に思う。
二次創作は自分の推している作品に対する熱意や解釈をぶつける場じゃないのか。私の小説に送られてきた感想を読んでも分かる。この話に本当に感動したわけじゃなくて、フォロワーだから、仲良くしておきたいから「○○さん天才です〜」と言っている人のことは分かる。
コミュニケーション同人をやっているオタクは全員同じだ。作品にも感想にも"味が無い"。
どうしてこうも無味無臭なのか分からないけれど、それは本来第一に優先されるべき場所に「作品への熱情」が乗っていないからなのではないかと思う。
もちろん、それを好きな気持ちが確かにあることは否定しない。だが二次創作を通して交流を求める気持ちの比重がデカすぎるのだ。
そのキャラクターについての解釈を詰めようという気もない。だから時間の経過とともに原作時間軸の創作が減っていき、パロディや転生もの、オメガバースや異常性癖ものといった「オリジナリティ」を演出するための要素に縋るしかなくなる。目新しいものを書くにはそれしか手段がないからだ。
もちろんどんな作品も二次創作である以上、原作からは明確に隔絶したただの妄想である。それを充分に自戒とした上でなお、それでも原作に寄り添った解釈の二次創作を書くことはできるし、できるだけそう努力すべきだと思う。
だってキャラ崩壊みたいな創作はどのジャンルに行ったって同じことができてしまうから。エロは特にそう。
私はどちらかと言うと、キャラクター解釈をきちんと詰めた、原作の物語の穴を埋めていくような二次創作が好きだ。解釈に厳しすぎて読めない作品が多くなってしまう厄介オタクである自覚もある。だからこそ、コミュニケーション同人をやっているオタクが許せない。
ネット上で信頼できる解釈の人とだけ繋がって、ひたすら自分の好きなものだけを書いていた時には気付かなかった。無味無臭の同人誌は買いたくないけど同じ界隈の人たちと○○さんの同人誌ここがよかったよねという話になることが多いから圧を感じる。
このジャンルを抜けたらもう深い交流を持つのはやめて本当に好きな作品にだけ感想を送って本当に信頼できる作家の本だけを買いたい。
もう本当に、ただの愚痴だけど。そうやってどのジャンルに行っても似たり寄ったりの作品を量産して、同じく似たり寄ったりの感想を送ったり受け取ったりし続けているコミュニケーション同人のオタクに思う。
そんなことをしていて虚しくならないのか?
そろそろネタバラシ。みなさん色々と言及してくださってありがとうございました。すでにお察しの方もいる通り、この記事は炎上を目的とした嘘増田です。
先日二次創作者を呪いたい自称漫画家の増田を読んだとき、私はすぐに虚言だと思った。他者への攻撃性・嫉妬感情・自己矛盾の三連コンボ。こんなの誰にだって書ける、ということを証明したかった。炎上しそうな要素をたくさん詰め込んだら案の定学級会になってウワ……と思った。
あんなもんは要点さえ掴めば簡単に書ける。頼むからこういうしょうもない増田にコメントをつけることの不毛さを分かってほしい。「チキ増」が二次創作者を呪うというのなら、私はお前を呪いたい。一刻も早く増田起点の学級会がこの世から滅ぶことを願っている。