はてなキーワード: 君子とは
https://anond.hatelabo.jp/20230427000424
これを見て思ったのは、差別とかいじめのような人権侵害行為ってやっている人はそれが正当な行為だと思っているということなんですよね。
どこぞのハカイダー(95年版)のように「貴様が正義なら俺は悪だ!」という認識でいじめ(人権侵害)やっている人なんてほとんどいないと思います。
例えば今も差別扇動を続けている暇アノンの連中も「俺たちは身の程知らずの女性にこの世の摂理を叩きこむ」みたいな虚妄を信じ込んで仁藤さんなどへの人権侵害を続けていますし。
暇アノン自身は女性差別を「正当」だと思っているのは火を見るよりも明らかです。
それにいじめとか人権侵害の理由などというのも理屈と膏薬は云々でしかないんです。
仮に元増田がバッシングしている「被害者」の人格が変わり聖人君子になったとしても、多分増田の娘とかは新たな理屈をつけていじめを続けると思います。
特に学校の教室の人間関係というのは一度固定化されるとそれが覆ることはないですし。
身もふたもないことを言うと、どんな理屈があれ集団で相手を痛めつけた時点でもう言い逃れができないレベルでアウトです。
世の中には自分とは全く合わない人も大勢いますが、そういう人と時には自制とかもしながらなんとか落としどころを探ることが必要ですな。
まあすべての人がそういう処世術を身につけるようにするような方法を体系化して、それを教育現場で提示するのが必要だと思います。
優れた者同士の友情は虚飾がないため水のように淡い、ということわざ。
「君子の交わりは淡きこと水の如し」とも言う。
膠(にかわ)や漆(うるし)で固めたように強く結びついた友人のこと。
范式という人が、はるか遠く離れたところに住む張元伯とたまたま出会い、友誼を結んで二年後の再会を誓いあった。
その約束の日に、范式は鶏を殺し、黍を炊いてご馳走を作り、張元伯を待っていた。
周囲は「千里も離れているのに二年も前の約束のために来るものか」と言っていたが、はたして張元伯はやってきた。
この故事から、必ず約束を守るような信義で結ばれた友情のことをいう。
貧しいときに出来た友人のこと。
「貧賤の交わり忘るべからず」は、たとえ成功しても貧しいときの友人は大切にしなければならない、という意味。
「二人が心を合わせればその鋭さは金を断ち、その言葉は芳しい蘭の花のように周囲に影響を与える」という言葉から「金蘭の交わり」とも言う。
一緒に竹馬で遊んだ幼馴染、子供の頃から仲のいい関係ということ。
「竹馬の友」とも言う。
「縞」は「縞帯」で白絹の帯のこと、「紵」は「紵衣」で麻の着物のこと。
季札という人物が子産に縞を贈り、子産が返礼として紵を贈った、という故事から、親交の深いことを意味する。
琴の名手であった伯牙という人が、自分の音楽の最大の理解者であった友人が亡くなると、琴の弦を断ったという故事から、心の通い合った親友のことをいう。
周回遅れ。
支援するのにお金は必要だけど、それを言い訳にもらえるお金をもらえる限り取り、どう使ったかは残してないのは良くないと思った。
一方で、勧善懲悪の創作じゃないんだから、一切合切の支援活動をしていないという訳ではなく、「何の支援してないんだ!」と叩くのは筋が悪いと思う。
世界に善と悪しか存在しない人には、わかりやすい悪の組織として遠慮なく叩けるものがあるのは歓迎なんだろうと思う。だからその「役」を当て嵌めたがって喜んでる人たちがいる。
でも「してる」と「してない」の間の「このくらいしてる」のグラデーションに関しては意識していないといけないし、当事者の片方もそこまでは言ってないように見える。
あと過去、「自立支援」と言う名で支援の梯子を外された(つまり「助けるのやめるね、自助でよろしく」と言われた)ことがあったのを知っているから、「自立を目的としない」という言い分も実態に沿ってると感じる。
だから、叩きたい人が叩き放題みたいになってるのは嫌だと思う。っていうか勧善懲悪の創作の悪役ではなく生きてる人間相手なので、ほんとマジ自粛した方がいいのでは。
その一方で、(以前見たものに同意だけど)口の悪さとか、人としての浅さみたいなのは「弱者支援しててなんでこんなに視野が狭いの……?」と思ってしまうことがある。でもまぁ支援する人が全て聖人君子じゃなきゃいけない訳じゃないし、そもそも人間だもんな。『支援が必要な女性』側からしか世界を見てなければ、男性は全員(100%)犯罪予備軍に見えたりもするだろう。それでも、支援してるだけで、なんの行動も起こしてない私より立派な人間であることに変わりはないと思う。
ただ、私より立派な人間でも、支援はしてても、それに便乗して、過剰に支援金受け取るのはやめて欲しいと思う。偉いことしてるならそれに関わる何してもいい、とは思わないんだ。
昨日クラウドファンディングが(実質)終わった、X68000 Zというレトロパソコンの復刻版がある。
https://www.4gamer.net/games/656/G065657/20230118041/
TwitterでX68000で検索をかけるとすぐにわかるが、ヤバい奴しかいない。
当時使っていた連中の年齢を考えるとまあ仕方ないかとなるが、もっとやばいのは関係者や開発者(エミュレータ含む)まわりまで揃いも揃ってそうだということだ。
関係者や開発者だからといって聖人君子であるわけもないし、同じ年代だし、で当然なのかもしれない。
それは当時の年代のプログラマのTwitterを見れば分かる。
思い出はやはり思い出のままが一番。
なにがダサいかって?
だってアンタら、漫画家目指したりユーチューバーなろうとしたりしたこと、ないでしょ?
ある程度の大人になると、たとえ自分が体験したことがない事象に対しても経験則やら見聞なんかで大体の見当をつけることができるようになって、そうして見立てたことはそこまで大きく外れることなくおおよそ当てることはできると思うよ。
だけどだよ?
じゃあさ、たとえば働いたことがないニートが日中働いてるアンタに向かって「働くことは簡単じゃない」ってしたり顔で言い放ったら、オタクらどうする?
苦笑いして鼻先で笑いながら「働いたこともないヤツが何言ってんの?」って100%言うよね?
だいたい、リスキリングとか称して勉強し直したところでポンコツ脳みそが煙あげるだけの中年とは違って、10代20代なんてのは何かに成功する可能性をまだまだ秘めているわけだ。
漫画家になりたい子は寝る間も惜しんでマンガ描いて、賞に何度も何度も投稿しては落選して、投稿サイトに投稿しては酷評されて、この道が簡単じゃないことを一番知ってる。
ユーチューバーになりたい子は何本も動画あげたところで再生数が3ケタにも満たなくてこの道が難しいことを一番知ってる。
今日明日の共通テストを受けず、就職もせず、自分が君子さまにでもなった気でいる大人たちからすれば"夢物語みたいなこと目論みながら遊んでプラプラしてる”風にしか見えない若者と対峙する機会がこの先あるかもしれない。
だけど決してわかった風な、知ってる風な説教なんてしないほうがいい。
「どうせ食えてないんだろ?」と幾ばくかの小遣いをスッと渡してやる大人のほうが、断然カッコいい。
文中敬称略
暇空茜さんはTwitterを使っています: 「そしてみなさん、怖い話をしましょう よく聞いてください 「12月30日の18時に、俺は12月31日に有識者会議に触れる事を予告しました。このツイートが証拠です」 「12月31日に告発と山本一郎記事2本が出て、”村木厚子さんは素晴らしい”」です わかる人につたわれー あははは」 / Twitter
◎(文春オンライン)仁藤夢乃さんとColaboをめぐる騒動、「本当の問題」は何だったのか #1(https://bunshun.jp/articles/-/59413)
まずColaboはバスが傷がつけられた、これは暇空茜がバスの写真を公開したからだ。情報公開請求で女の子が傷つく。(正確には税金チューチュースキームが傷つく)という主張を行い、11月29日に憲政史上に残る甚大な事を行った。
こともあろうに国会議員か秘書が議員会館を借りて、提訴すると言って記者会見を行った。暇空茜が反論できないよう、十分に時間を遅らせた。
これは暇空茜が巨悪であり反社だとでっち上げるためだった。東京新聞の望月衣塑子はこのでっちあげに参加してでっち上げ記事を書いた。
http://korekichi.com/archives/19907910.html
という目的があった。これは12月28日までは確実にそうだったと考えられる。
なぜなら、文春オンラインの記事では東京都が問題だと言っていたからだ。
そして、監査結果に対する声明が2転3転しているが、消された内容からすると「東京都にこういうでたらめな会計処理でいいと飲ませたのだから合法で問題ない」という内容だったと解される。
当初は監査の結果もそうなるはずだった。
さらに文春オンラインの記事は東京都に問題点をずらすようになっていたことから、このように整理すると整合性が高い。
以上のような布陣には都議会議員、国会議員、東京都議会議員、厚生労働省も関与している。とくに都民ファーストはそう。
なぜ厚生労働省が関与しているか。有識者会議の意見として暇空茜を悪魔化しているからである。これはプロパガンダである。有識者会議で名前がなくてもこの問題は誰でも暇空茜以外イメージできない以上、厚生労働省は税金チューチュースキームに関与しているということになる。
美しき政治主導である。公式HPで人権侵害をやるというのはとんでもないことであるが、厚生労働省には選択の余地がないのだろう。都合が悪いことはすぐ黒塗りにする割に、これは出しっぱなしというのは全くありえない。
しかもこれは「仁藤夢乃らをなだめる」か「仁藤夢乃らを騙して時間を稼ぐ」ということ目的があった。厚生労働省「が」である。
この辺はへな・ちょこおの動画で推理されているが、ここでこれをつかう。
なお、この中でもあるように、そもそも郡司真子がぱっぷすはデタラメ実績がない団体で、でAV新法などに不適切な団体ということが指摘されている。とうぜんヒューマンライツナウも問題があるということになる。
さらにコラボが問題があったことはすでに指摘されているということになる。すべてこの団体はつながっているからだ。にもかかわらず仁藤夢乃らをなだめる目的は当然あったものと思われる。
ところが監査結果でたところ、実際は、ラストのところで一気に覆る。暇空茜の指摘を一切無視しているにもかかわらず、唐突に言い始めるというおかしな文章になっている。
最も一般市民の指摘にハイハイ言うのはおかしいということもあるのかもしれないが、本来これだけの不正を指摘して、一切説明がない、暇空茜に感謝もないというのもおかしい。
なぜなら、監査に問題がなければ今度は東京都が責任を負うからだ。
確かに、監査に問題があってもなくても東京都は責任があるが、ここで問題がないとした場合、今後ずっと東京都は税金チューチュースキームに加担するため持たないという判断がなされたのだろう。
やまもといちろうの「取材」を信じるなら、東京都の下の人間は監査結果をたぶん知らずひっくり返されたのでビビったのだろう。しかし、28日というタイミングでこれをやったのは、東京都の上層部が厚生労働省に問題を丸投げするためだったと考えられる。
この原因は、言うまでもなく暇空茜の認知プロファイルのパワーラッシュである。すべての団体に問題がある異常な状態を放置すれば東京都は知事のクビすら危うい。言うまでもなく小池百合子は自分の責任を丸投げして逃げるタイプである。
したがってColaboがまともに処理できない(可能性は60%以上)と判断し、責任を転嫁した。最初はColaboに対しては12月28日に監査で問題がないと発表し、またcolaboは記者会見して訴訟すると脅しただろう。そういう説明をして仁藤らをなだめていた。
それを悪用し、局長レベルで監査結果を変えたのは知事が了解していなければありえず、責任は絶対に取らない小池百合子は年末の期日設定だと議員、厚生労働省が動けないことを奇貨として丸投げしたのである。もちろんダメージは負ってもそのほうが軽い。
次にJBPressのやまもといちろうの記事はおかしなことになっている。
今度はCoalboがおかしいと言い始めている。今までと違うことを言い始めている。じゃあ文春オンラインは何だったのか。
やまもといちろうが「取材」しているとは信じられない。取材しているなら、エコーニュースRについては全く取り上げないのは理解できない。
暇空茜が指摘するようにColaboを爆破して延命しようとしうことだろう。
これを仕掛けているのは若草プロジェクトなのは仕方がない。ここは各団体を顎で使っている以上、ここを延命させることが必須だ。
何しろ有識者会議に出ていた連中、ヒューマンライツナウ、ぱっぷす、Colabo、BONDプロジェクト、若草プロジェクトの関係者全員、及び望月衣塑子のような東京新聞の女性記者のような連中が全員公金を横領する目的ででっち上げを行っていたからだ。そうなると村木厚子の信用も厚生労働省の信用もガタ落ちになる。最も政治主導で税金チューチュースキームを実施しなければクビになれば、もう天下りもない。55歳になれば昇給も停止する。なんの希望もない官僚にとっては政治家と有識者会議の言うなりになるしかない。こういうデタラメをやっていた連中は与野党とも同じである。
したがって、若草プロジェクトを延命させろという指示を受けて厚生労働省も動いているのだろう。
しかし、やまもといちろうはいちおう他の3団体にも触れている。
これはColaboを爆破するだけではなく、最悪の場合、他の3団体も爆破するという指示を彼は受けているのだろう。
東京五輪招致委員会も解散して清算団体となり、証拠を隠滅した。
同じことをやる可能性はある。
ところが更にNoteを出してきた
暇空茜の動画では村木が有識者会議で突如として肩書を変更していることを指摘したからである。
https://note.com/kirik/n/n6ae065db9a2f
ただ、colaboに限らず(重要)、この手の若年被害女性の問題は、はっきり言えば境界知能の女性や、親の虐待、子供同士のいじめの延長線上など、包摂のしようがない世界の女性の問題です。
これも凄まじくひどい。NoteでのっけからSioを頭がおかしいとして扱っている。
この証言は山本一郎も想定外だったということだ。ただし、彼はナニカの末端に過ぎないので、Sioの告発はなにかグループがやっている可能性はある。これは信頼性が高いだけではなく、信頼性が高い情報が出てきたタイミングがおかしいのである。
こういう問題を解決するのに、各省庁が担当集めて足りない人員やりくりしてどうにかしようとしてるんですが、まあ税金つかみ取りになるような利益相反はやめようね、左翼は排除しようね、というのは良いとしてですな。
「で、どうしたら解決するんですか?」
このNoteは当初は3団体を活かすつもりだったが、4団体ともアウトになりそうだという事をさらに想定したと思われる。
しかしながら、少なくとも税金チューチュースキームを壊滅させることが基本であるということは言うまでもない。結局NPOに任せるとかいうスキームは崩壊している。
なぜなら、こんなでたらめな公金横領で所得保障などができない可能性があるからだ。
また、ジェンダー平等や男女共同参画なんてなんのいみもないので学者は馬鹿ということだ。上野千鶴子以下、人文学、社会学は大学でやる学問ではない。ここも無駄だ。
そのうえ、女性記者も女性議員も無駄だ。何しろニュースとして報道ができない、「問題だと思わない」(社民党大椿ゆうこ)
これは女性はマスコミや新聞記者には向いていない。例外的に杉田水脈が存在しているということだ。
こう言われても女性差別には当たらない。なぜなら、この事件をまともに扱えないこと自体が女性は向いていないという証明にしかならない。
さっそくこれらの新聞社の人に聞いたところ、返ってきた答えは総じて「新聞社の記事考査のプロセス上の問題」とか「社会的に認め得る証言者が不在」などの返答でした。つまりは暇空茜さんが大勝利したにもかかわらず、社会的に不思議な人過ぎて記事として触れないぞということのようです。
つまりマスコミは権威とコネでしか報道しないバカということが証明される。裏を取らないからね。購読料泥棒でしょう。
また、AV女優を頭の悪いバカとして扱っている事自体、やまもといちろうの性差別意識がある。これはナニカグループの総意だろう。そうやって女性や障がい者を利用してうまい汁を吸うんですね。
さらに言えば左翼ではなく、極右人脈が左翼に入り込んでいるというのが正確なので、ここでもやまもといちろうは虚偽の発言を行っている。
今回の事件は非常に問題が多い。弁護士や公認会計士も絶対に唯では済まされない。厳罰をもって望むべきだろう。
国会議員もパリテとかジェンダー平等などという国民と一ミリも関係のない馬鹿なことに金を使う人間は処分する必要がある。
なので杉田水脈が正しい。彼女のような政治家は男性をみても居ない。すべてが正しいとは言わないが、少なくともぱっぷすやHRNがインチキなことはずっと発言していた。
このように1/1までの流れを見て、山本一郎の記事で何が書かれたか、何がかわったか、監査結果の内容を考えると、Colaboを爆破するということになるだろう。
当然困難女性支援法という女性を拉致して二度と脱出できないようにして公金を横領するスキーム、人身売買、性搾取スキームを法律で定めるのが目的である。クォーター制やジェンダー平等、アファーマティブアクション、女子学生の不当な優遇、パリテなどというデタラメをやった結果がこれだ。
それはさておき、仁藤夢乃は逃げてほしい。稲葉、だがてめーはだめだ。熊本県民が女に責任を負わせて逃げるなどとは男が廃る。見苦しいにも程がある。士君子たれ。ちゃんと仁藤を守り、証言すべき。男尊女卑なのはなんのためか。こういうときに男がクビを差し出すためだ。
今年もまた、多くのVtuberが「里帰り」なんてやってるらしい。
せっかく都会に出てきたのに、なんでまだ田舎と縁を切れないんだろうね。
親とも縁を切れていない、とも言えるかもしれない。
その親は毒親成分が皆無なのかね。そんなに聖人君子の下で育てられたのか。
もし、少しくらいの毒は許しながら親と付き合っている、というのなら
あれ?「里帰り」という行為は、毒親の存在を助長するんじゃね?(暴論)
里帰りをした話とかは本当やめてほしい。
そういう回だけは本当に冷めるから。
スパチャする手が鈍くなるわけよ。
せっかくなので雑な事をもっと書いておこう。
Vtuberみんな、少なくともマイクラはやめろ。Winゲームからも遠ざかった方がいいんじゃない?
配信に使う機器はMacの方が圧倒的に優れているようだ。MacやLinuxで出来るゲームも多い。
ASMRは基本的に「伸びる」コンテンツだが、Winを使った(と思われる)ASMRは全く伸びていない事にも気づくべき。
VRChatに関わるのもやめた方がいいんじゃないかな。Vketも時期尚早だ。なぜAppleGlassが出るまで待てないのか。
私はクトゥルフ神話TRPGをよく遊んでいる。その卓のためにKPやPLに集まってもらう、いわゆる野良卓がほとんどだ。野良だからだよ、タイトルの原因はそれだよと言われたら、固定の身内を集められない己のコミュ障を省みるしかないのだけど。とにかく、そういう趣味がある。
昨今のクトゥルフ神話TRPGは秘匿HOが渡されるタイプのシナリオが多い(と感じる)。だが私が今回舌打ちしたくなったのはそちらではなくて、PLが自分の探索者に積んだセルフ秘匿、いわゆる設定だ。
タイマンシナリオなら、どれだけややこしいPCでも KPはそのキャラシに目を通しているわけだから、ある程度「そういう感じね」と事情を汲んでRPができる。だが2PL以上の複数人シナリオとなれば話が別だ。その設定を積んできたPLとキャラシを確認したKPは呑んで動けるが、そのどちらでもない他PLはめちゃくちゃ困る。どこまでがシナリオに提供された要素なのか、どこまでがシナリオクリアに必要な情報なのか、自分の探索者は相手に近寄っていいのかどうなのかも判断できない。
とか言ってるが、要するに気に食わないのだ。
TRPG、とくにクトゥルフ神話TRPGは協力するゲームだと思う。言い換えれば、どんな結果になったとしても仲良く遊ぶゲームだと私は思っている。
なのに先日、こちらは情報共有しよう、探索者同士が仲良く(少なくともPL同士は朗らかに)なれたらいいなと思って話しかけているのに、「そういう設定積んできている、そういうキャラだから」というだけで冷たくされて、一方的に嫌われたので、クソだった。その設定が開示されたのは卓が終わる間際で、私の探索者には一切の非がなかった(何もしていないのだから当然だ)。要するに、まったく不必要な嫌悪を示されていたのだ。
相手は「そういうキャラだから」の一点張りで、中の人からの「ごめんね私はそんなこと思ってないんだけどコイツも内心はこれこれこうでだからこのように来てくれたら緩和できるはずで」なんてフォローもなかった。「私、こいつ(自探索者)の女だから〜」なんてヘラヘラしてやがった。クソの上塗りである。探索者どうこうではなく、コイツは自分のことしか見てないんだなとまで思った。他人に興味持てないならCoCすんなカス。ひとりでシコシコオナニー型創作でもしてろ。
自分の探索者がお気に入りなのは分かる。誰だってそうだ。自分が作ったキャラなんだから、自分が好きなのは当たり前だ。だからこそ、一緒に遊ぶひとが不快に感じないよう、最低限の作法があるだろう。
それは少なくとも、他の探索者を一方的に嫌う設定を積んでくることじゃないはずだ。もしどうしてもそれがやりたいのなら、事前に他PLに相談するとか、シナリオ的に言えないのならKPにそれとなくフォローを入れてくれるよう頼んだおくとか、探索者からは言えなくてもPLとして共有しておくとか、いろいろやりようはあったはずだ。それをサボった時点で、私は「ああ、コイツ嫌いだな」としか思えないのだ。
オンラインセッションだと実感しづらいが、共に卓を遊んでいるのはNPCではない、生身の人間なのだ。そのPCがどれほど聖人君子だったとしても、中の人は決してそうではないはずである。だとしたら、自分のやりたいことを一方的に好きなだけ押し付けるなんて、よくないことだ。それを受け入れてもらえるようにする努力を欠かしてはいけないはずなのだ。
私はクトゥルフ神話TRPGを仲良く遊ぶゲームだと思っているから、少なくともその卓中では感じた苛立ちを表に出さないようにする。それを感じさせた奴にも話を振るし、積極的に情報共有するし、その探索者が死にかけたら庇いだってする。だけど、それだけだ。そのように振る舞うのが卓の作法だと思っているだけで、中の人を含めてその探索者のことが嫌いになってしまったから、二度目はない。卓終了、即ブロックだ。
そういったことはなるべくしたくないし、されたくもない。そんな自戒の意も込めたタイトルであった。
仲良くなれないセルフ秘匿積むな。
追記: 1日経ってスマートフォンで読み直してみたら非常に読みにくい文章(1文1文が長く、文脈を掴みにくい)になっていたため、可能ならPCで読んでもらえるとありがたいです。また、節もつけて多少読みやすくしました。文章自体は改めていません。簡単に趣旨を要約すると「騒音問題での近隣トラブルは戦争になることもあり、それは自分が直面する可能性もある(※騒音問題のトラブルが必ず戦争になるというわけではない)」です。
長野市の遊園地の問題で近隣トラブルになっていて、どうやらじいさんがクレーマーだとして叩かれているらしい。
自分は長野市の住民でもなんでもないが、昔の激怒していた自分を思い出して体中が震えだしてしまったのでここに吐露して発散していく。長野市の件については、その裏にある事情は知らないので、自分はそれが良いとも悪いとも見当もつかないが、外野が好き勝手に述べてじいさんを罵倒したり「クソ自治体」みたいな発言をしているのがとにかく気に食わないのでここで色々と述べていこうと思う。また、自分はじいさんの擁護者ではない。
まず子どもが集う施設というのは、NIMBY(我が家の裏には御免)というカテゴリに属する施設である。これは誰がなんと言おうが、子どもが集う施設というのはもうそういうものである。NIMBYとは、社会全体には利益を与えるが、その近隣住民には損害を与える施設のことだ。こういうものはたくさんある。基本的には「社会全体のためにお前が我慢しろ」という施設になっている。また、補償がないことも多い。子どもが集う施設に関する補償は特になにもない。「子どもの声」を「損害」扱いという部分で怒りを抑えられなくなる人もいるだろうが、いったんそういう考え方の人がいると思って飲み込んでほしい。「騒ぐ子どもの声量は大きい」と「大きい音に耐えられない人もいる」という2点については、誰しもそれぞれ同意できるはずであり、「世の中には、騒ぐ子どもの声量に耐えられない人もいて、そういう人は損害だと感じていそうだ」というふうに、客観的な視点で読み進めてほしい。実際そういう人は存在している。
話がややそれてしまったが、なぜ騒音問題に子どもがつくと大きなトラブルになるかというと、「子どものためにお前が我慢するべきだ」という強制が働くからだ。こういう考え方を「子どものことを考えろ主義」といい、詭弁の一種である。
子どもを抜きで考えた場合、騒音問題は「騒音に悩まされて可哀想に」という話から始まる。ここでは明らかに「騒音を我慢するべきだ!」というようなことは言えないだろう。しかしそこに子どもが入った途端、「子どものためだからね。めでたしめでたし」という概念で上書きされる。しかし、騒音問題自体はなくならない。「騒音問題の話はどこに消えた?」である。
子どもは当然守られるべき存在だが、「子どものことを考えろ主義」をその親が使ってくると非常に厄介である。簡単に例えよう。
あなたが限定品が欲しくて、あるお店でその限定品のために並んでいたとする。あなたは限定品を無事手に入れることができたが、その後ろに並んでいた親が急に「それはうちの子どもが手にするべきものだ」「お前が大人のくせに限定品を得ようとしたために、子どもはひどい目に遭う。子どもが可哀想だ。全部お前のせいだ」と強硬に主張してくる状態のようなものである。(あくまで例えであって、騒音問題と同等の主張であると言いたいわけではない)
別の例で例えると、ベビーカーで子どもを載せて電車に乗る行為は問題ないが、ベビーカーを振り回して席取りをしようとしている親だったり、「ベビーカーを持っているのでそこに座らせてもらっていいですか?」というように尋ね、断ると「子どもがいるんですけど……非常識ですね……」と言ってくるような、子どもを使って権利を主張してくる大人たちがいるということだ。彼ら彼女らは「我々は少子化に対抗する戦士であり、それに抵抗する存在は邪悪である」という信念を持っている。
こういう行動を起こす人々は「子持ちの人」というカテゴリで括られるべき存在ではない。彼らは容易に「子持ち全体に対する挑戦をされた」というように論理をすげ替えようとする。そして「子どもがいるのに酷い」「こうやって少子化が広がっていくんだ」という論理を使っていく。ミサンドリストがフェミニストと名乗るようなものである。普段は人を攻撃するが、都合が悪いと子供を盾にして自らを守り被害者になろうとするという、文字通り子どもを盾にするのである。彼らにとっては、子どもとは、自分に利益をもたらす便利なツール・グッズ・免罪符でしかない。
誤って解釈してほしくないが、子どもは大切なものである。「子どもを排除せよ」と言っているわけではない。容易に論理を捻じ曲げられるので注意しなければならない。小さい子どもに罪などは一切ない。子どもではなく、その親と戦っているのだ。
そして、実は「子どもの出す騒音」それ自体は、それほど大きな問題ではない。子どもの騒音は確かに問題であって長期間続けば耐えられなくなりノイローゼになりかねないという状態になり、たいへんきついものだ。ただし、事をより大きくするのはそれに対する適切な対応が全くなされないことにある。『「子どもが出している騒音」にクレームを出すクレーマー vs (可哀想な子ども+それを守る善良な大人たち)』という構図そのものが、騒音を出している側のロジックによる考え方であり、これがこの構造のまま大衆化されると、非常にテキトーな扱いになる。「子どもの騒音に端を発する問題」という形で、その周辺の問題も含めて、すべての問題の焦点が「子ども」になっていく。しかし、子どもが悪いわけではない。子どもが悪いわけではないというのは、何度でも言っておく。その親が悪いのだ。ここは間違えてほしくない。本当に簡単にすり替えてくるからだ。
実際の問題は、子どもの出す騒音について「なんら対策をしない」「対策をしようともしない」「それを指摘する側に問題があり『異常』だと周りに噂を流す」だったり、わざと嫌がらせをするだったりである。長野市で言えば多くの車の長時間のアイドリングや、盆栽の踏み荒らしなども発生していたらしい。こうなってくると、もはや子どもの騒音というのは問題ではなく、大人 vs 大人の、れっきとした権力闘争の構図であると思う。(※注意: 長野市の問題については自分は意見を持たず、どちらの側にも立たない。じーさん側に問題がないとは言っていないし、子どもが可哀想であるのはそのとおりだと思う)
子どもを盾にする人側のロジックでは、「キチガイがまた『大したことでもないこと』でクレームを入れてきた」という観念を抱えているため、対話は不可能である。そもそも最初は当然対話をしようとしている。(また、クレーマー側でも意味不明なクレームを入れている場合も多くあるはずであり、自分は常にクレーマーを擁護したいわけでもない)
「子どもを育ててるだけなのに、クレームを入れてきて迷惑だ」vs「ふつうに暮らしているだけなのに、騒音を解決しようともせず、当然のように我慢を強いてきて迷惑だ」という状態になってしまうと大変面倒なことになる。どちらも正義だと思っている。これは戦争である。
これについて、刑事でも民事でも事件化はできず、自治体も警察も非常に難しい対応を迫られる。「対応」とはいうが、実質何もできないのである。ただ「犯罪がないかどうか」「合法かどうか」しか見れないのだ。よって、合法下での自力救済しかない。法はあなたを守ってくれはしない。誰もあなたを守ってくれはしない。あなた自身の力か、金の力しかない。日本では、騒音問題は「それは運が悪かったですね。我慢してください。それが法ですから」ということになっている。社会とはそういうものだ。
「そんなところを選んだお前が悪い」「引っ越せ」という、思慮に欠けた意見も散見される。当然そういう場合もあるだろう。ただし、こういうのは事前にわかるものではないし、引っ越すには尋常ではないお金がかかる。持ち家であれば尚更で、下手すると数千万円単位で金が変わってくる。つまり、人生の中でもかなりの上位に上がってくる最強最悪のトラブルである。嫌いなやつのためだけに数千万円は普通は払えない。数千万円は言い過ぎかもしれないが、ただ引っ越すだけでも、引っ越しというものは50万円だったり100万円かかるものだ。月に2万ずつ貯めていたとしよう。4年の努力を捧げることになる。嫌いなやつのために。普通は我慢ならないだろう。
そして、トラブルが悪化すると、人生で最も嫌いな存在が自分のすぐ近くに住んでいるという状態になる。「考えないようにする」ということができなくなる。騒音で存在をすぐに思い出し、精神が持っていかれる。「殺す」か「殺さない」か、そういう考え方が頭にのぼってくる。これはジョークや笑い事ではない。精神が奥深くまでやられる。絶えず戦闘モードになる。戦時下という気持ちだ。あとはもうやるかやられるかだ。どちらも異常になる。人はいとも簡単に狂う。自分だけではない。相手が『「自分が死んでくれればいい」と思っている』と思うようになる。
「死ね!!!!」と絶えず言い合っているのに離れられない関係というのは、歪んだ親子か、近隣住民以外には人生においてそれほどない。会社なら簡単ではなくても辞められる。家は簡単には辞められないのだ。
もし少子化対策のためというならば、社会全体でなんとかしなければいけない。「ミクロな個人単位の我慢で解決すべき」という結論は誤っている。それは子育てする側からみてもそうであると思う。ここでは、「子育て側の方が悪」のように見えてしまう論理展開をしているが、子育てしている親は窮屈な思いを抱えているはずであり、れっきとした社会問題であると捉えるべきだと思う。しかし、現実的には、社会はそう簡単に変われるものではないため、個々で見れば自衛するしかない。
「近隣トラブルが戦争」というのが理解できない人や、「結局子育てする側が我慢しろってこと?」という理解になってしまう人は、せめて平和に家で暮らすことができているという幸運を噛みしめるべきであり、自分の子どもの周りでそういった話を聞かないという場合は、人知れずして我慢している人がいるのかもしれないことを知っておくべきだと思う。「静寂」「平和」は贅沢品である。いい人は、同じ目にあっても「まあ子どもだからしょうがないですよ」「いやいや!子どもは騒ぐのが仕事ですよ」と言えるのだろう。それはたいへん立派なことだと思う。ただしそれは余裕があっての論理や、他人事であるからそう言えるだけであることを忘れてはいけないし、強制できるものではない。全員が聖人君子になれるわけではない。
これはアンモラルがどうのとかそういう話ではない。あなたもそうなればわかるかもしれない。
ただ、そうなってから気付いても遅いのだ。「そんなところを選んだお前が悪い」のだから。
そして残念ながら、今の社会に解決できるほどの余力はない。ただ「そんなところを選んだお前が悪い」のだ。
でももしそうなったとしたら、自分もあなたと同じように苦しんだことを覚えておいてほしい。身の周りの誰もがあなたを理解してくれなかったとしても、世界にはそういうことをわかってくれる人はたくさんいることを覚えておいてほしい。それだけで心の荒みはやや緩和されるだろう。
ただこの話は、伝えたい人には伝わらない話でもあると思う。この話を見て「自分や自分の子どもが他人にそんな思いをさせてるかもしれない……大丈夫かな」とすぐに心を痛めた人に心を痛めてほしいわけではない。そういう人たちには、ただ「子育てを頑張ってください」とだけ伝えたい。この話は「はあ?身勝手。黙ってろ。うるせえな」と、気にもとめない「子盾の親」たちに伝えたい話である。伝わらないだろうけど。
つまり、運が悪ければ、そういう人と戦争することになる、ということだ。そしてそういう人たちもまた、「我々」と戦争することになる。