はてなキーワード: 保育所とは
就学前のお子さんがいる世帯で、一番気になるのは認可保育所(地域型や認定こども園等も含む)への入所が従来とどう変わるかだった。
しかし、自治体と施設を運営している法人(個人も含め)には大きな変化が2点あった。
②施設への委託費ではなく、児童(の保護者)単位での給付費の代理受領となったこと
①については、26年以前は入所選考と言っていたものが、支給認定と利用調整の2つに分かれた。
旧制度では、児童福祉法により、保育園は様々な理由で保育所を使う必要がある人に、自治体が「措置」として、保育所に入所させるという形だった。
新制度では、子ども子育て支援法により、幼稚園も含めて、保護者(支給認定保護者)がどれくらい教育・保育を受ける必要があるのか「支給認定」を自治体に申請して、支給認定証を受け取り、各保育所へ申し込み、施設と「契約」する形になった。
しかし、実際には待機児童と呼ばれる保育所に入る必要があるが、入れない児童がいる。
その場合には、自治体は「利用調整」を行える法律になっている。
つまり、従来は「措置」で自治体が選考基準を決めて、振り分ければよかったものが、全員が入れる前提の制度になったため、「支給認定」のみになったはずが、実際には入れない児童が生まれる現状があるので、「利用調整」を行う必要があるという制度である。
大して変わっていないと思うかもしれないが、「支給認定」は幼稚園を使うだけの子どもにも行う必要がある。
また、「支給認定」は法律上の基準等があるが、「利用調整」には法律上の基準がなく、自治体ごとで設定する。
このことにより、「措置」時代から使用していた自治体ごとの基準(現在の「利用調整)と、「支給認定」の基準にズレが生じた。
これが結構難題で、本来であれば、「支給認定」を基に「利用調整」を行うはずなのに、旧制度時代に作ったトリッキーな基準を無くすこともできないため、自治体職員が混乱する事態になっている。
いままでは、入所児童数から換算して、自治体から施設運営法人へ概算払いを行い、実際の月別の児童数等を確認(途中入所や退所は自治体でわかる)して、清算する方法が一般的だった。
新制度では、入所している児童ごとに給付を行い、それを施設が代理受領している方式になった。
(この方式自体は、介護保険制度で行われており、健康保険制度でも一部行われている。)
しかし、そもそも保育所等を運営している法人は、事務職員が少ないため、新制度になって、毎月の給付費の請求事務が発生したため、事務量が増大した。
子ども子育て支援新制度は、介護保険と異なり、介護報酬にあたる「公定価格」の改定等だけでなく、職員への処遇改善など、様々な給付・補助が多く、また改定されまくるため、毎年、自治体も施設も職員が混乱している。
上記の2点から、今後の子ども子育て支援新制度(いつまで新制度っていうのか謎)は、制度設計の基になったと言われる介護保険制度のようになっていくと思われる。
運営数が多ければ多いほど、②の事務負担を集約化、軽減できる。
今まで以上に、法人間のM&Aが行われていくと思われる。
①については、法人が大型化すると、園の運営が効率化を超えて、硬直化したりするので、しょうがい児保育や医療的ケアの必要な児童にとっては、難しい時代になるのかもしれない。
介護保険制度では、各サービスごとの給付だが、保育所では、通常の給付費+αのα部分が少ないため、運営法人としてほ旨みがない。寧ろ医療リスクや事故リスクを考えると避けたいのが本音と思われる。
さてはて、これで認可外施設にも保育料無償化を推進したら、どうなることやら…
介護保険に置き換えたら、給付対象外の有料老人ホームに入った人が払う、毎月の施設利用料(家賃)を無料にするということ?
どうやって管理するんだ、これ。
そもそも、大企業は企業内保育所も含めて、認可外保育施設の保育料も無償化という話が出始めてから、積極的に認可外保育施設を設置し始めています。
(企業主導型保育所は、平成30年度時点では、施設種別では認可外保育所です。)
認可外保育所は、認可制度の範囲外ですが、逆に言えば自由度が高いとも言えます。
もし、この傾向が顕著になってくると、現在認可外保育所を運営している法人は、認可保育所だけでなく、大企業が運営する認可外保育所との競争にもさらされます。
認可保育所は、ある意味、国の庇護の下ですが、認可外保育所は自由競争です。
認可外保育所の動向についても、今後気になるところです。
取り留めもなくてすいません。
想像だけど、採算が合わないのかもなって思う。
例えば住居にして5戸分とかのスペースが保育所になったとして、タワマン内に保育園作ろうとしたら1戸大体4千万くらい?×5で2億かかる。
大体普通のファミリータイプとして広さは1戸大体60平米〜くらいで300平米。
対して、普通に保育園建てる場合の建設費用の平均が、今1平方メートル29.8万円(文末にエビデンスあり)で、これにさっきの300平米をかけて8940万円。
同じ広さの保育園を作るとしてもタワマン内は倍以上の費用がかかる計算。
ごめんね、なんかもうすごくざっくりとだけど。
あーでもこれ300平米必要な根拠と園児の人数と補助とかの採算の話とか全然入ってないな。
まあでも大きなタワマンで幼児が何人いるのかもよくわかんないけど、一人頭1.98平米は必要っていうのは法律で決まってるから、300平米あったら151人も収容できるな!
じゃあ半分としてタワマンで1億、普通に建てる場合で5000万円かあ…まあコストは結局タワマンの方がずっとかかるのか。
まあでも70人保育できる保育園で開園費用が5000万円しか違わないんだったら、予算があるなら不可能ではないのかな。
そうするとやっぱり障壁は、保育園併設ってことになったら、ただでさえ日照権の問題とかでタワマン建てるの大変なのに、近隣住民の反対がさらに激しくなるとかそういうコストも高くなるとかかなあ。
子育て世代を顧客にできるとかそういう面から見て、タワマンを作る側がどう考えるかとかかもね…
https://www.nikkei.com/article/DGXLASFS23H4W_W5A021C1EE8000/
おれおとうさんだから
映画館に通うのやめた
おれおとうさんだから
週末のジム通いやめた
おれおとうさんだから
飲み会行かない
おれおとうさんだから
朝6時に起きて
きみを保育所に送る
お風呂入れて
寝かしつけして
力尽きて寝る
週末は
平日のぶんまで
家事して
料理して
家族サービスしてる
セックスどころか
オナニーもしてない
めっちゃ減った
週1もしてない
友達とも遊んでない
でも おとうさん
映画館には行ってないけど
ストレンジャーシングス
めっちゃおもろい
めっちゃおもろい
あとradikoも聴いてる
めっちゃおもろい
ジムは
昼休みに行ってる
めっちゃ捗ってる
週三で行ってる
記録伸びてる
あとこれは予想外だったけど
マジでいい
もう長いこと皮膚科に行ってない
飲み会は
正直減ったけど
行きたい飲み会なら
帰宅後
仲の良い友達とは
別に平気
オナニーは
正直
もっとしたいけど
めっちゃ腰を振っていると
未来を感じる
ああ
マジでいま
21世紀なんだな
って思う
保育所の送り迎えも
予防接種も
きみが寝てから爪を切るのも
行ってないけど
きみが寝ない夜は
きみを抱っこしながら
ゆらゆら揺れる
lofihiphop chillpop
ゆらめいて
こんな夜がいつまでも
続けばいいのにって
いつも思うよ
疲れてきたころ
もうひとふんばり
するために
選ぶのは
もちろん
揺れてる君の dancin'shadow 瞳 くぎづけ
ドアの前 クラクション鳴らせば夜が始まる
Give it to me all of your night
昨今の日本のニュースでは、女性の貧困や保育所不足などの話題がよく取り上げられている。
日本だけでなく、世界的に見ても女性の社会進出には大きな問題がある。
結論を先に述べると、それは政府や企業が謳う女性の社会進出とは、すなわち女性が男性と同等に扱える労働者にしてしまうからである。
言えば、女性を社会や経済のための、使い捨ての歯車にしてしまうからだ。
これの何が問題かというと、女性を常に安価な労働力として消費することに他ならない。
今一度解説すると、労働者とは自身の能力や時間を労働力として換金する、ということである。
単純な意味での労働力とは、それを購入する側にとっては、捨て値でスーパーに置かれているモノ、と例えて差し支えない。
(現代では、経営者以外の労働力は、発展途上国の労働者に置き換えることができるので、ほとんど最安値となる。)
女性の社会進出においては、女性自身が上記のような労働者という立場しか与えられない点である。
すなわち、社会から女性に対して、労働力という安売り以外での、社会への進出方法が明示されていないのである。
なぜなら、男女共同参画という企画は議員に承認された時点で、資本階級に都合が良くなるよう、うまく改変されているはずだからだ。
議員と資本階級に一定の繋がりがあるので、資本階級にとっても便利な法整備がなされているはず、と考えるのが自然だ。
女性がこの安売り地獄から逃れるためには、その個人が社会に供給しうる中で、自身への報酬が最も大きい手段を取るべきである。
わかりやすい手段を挙げると、起業であったり、大学を出ずとも、容姿と態度を磨き上げ、専業主婦として生活できる資本を作り上げたり、となる。
おそらく特別に厳しい境遇に充てられるのは、あらゆる意味での資本が乏しく、新たに構築できず、本人自身も特段有能でない女性であろう。
ただこの条件で厳しいのは男性でも同じであり、純粋に生存が難しいだけなので、この問題の中で考えるのは不適である。
再度要旨を述べると、女性の社会進出とは労働力に貶めるための建前に過ぎない。だからこそ、それに反逆するしか豊かになる道がない、ということだ。
女性が活躍する社会と言いながら、子どもはお母さんと居たいから待機児童なんかいないと言い出す政治家、需要に対して少しずつしか増えない保育所、本音では仕事やめて専業になって子供育ててパートで働いて介護もしてほしいのが見え見えだ。
今の介護してる世代はまだ専業が多いけど、これから未婚中年や共働き夫婦達の親が要介護になってきたら介護施設も阿鼻叫喚の争奪戦になるのだろう。
共働きを推奨するなら専業主婦に依存せずに社会で育て介護出来るように早くすればいいのに。
専業主婦の簡単な仕事の延長でしょ?って感じにアホみたいに安い保育士と介護士給料をまともにして離職を防いだら人手不足も解消だろうが、さっさと何とかしろよ。
誰でも無認可より環境が良く安全で安い認可保育園に入りたいのは当たり前だから仕方ないよ
同じように困っている競争相手を憎むより、自分は何の苦労もなくゼロ歳児保育を利用しながら保育園なんていらないと主張してる子育て支援少子化が専門の自民党の杉田水脈でも憎む方がまだ建設的では
阿部総理が素晴らしいと絶賛して極右政党から自民に連れてきた人だけど、本当に総理は人を見る目が無いとしか言いようが無い
待機児童、待機児童っていうけど 世の中に『待機児童』なんて一人もいない。子どもはみんなお母さんといたいもの。保育所なんか待ってない。待機してるのは預けたい親でしょ
私はだから預ける親が悪いとは一言も言っていません。自分もゼロ歳児(実質1歳)から保育所に預けて働いてきましたので
(基本的人権が守られている上に)そこにさらに女性の権利、子供の権利を言い募ると、それは特権と化してしまう
「保育園落ちた」ということは「あなたよりも必要度の高い人がいた」というだけのこと。言い換えれば「あなたは必要度が低いので自分で何とかしなさい」ということなのです
子供を家庭から引き離し、保育所などの施設で洗脳教育をする。旧ソ連が共産主義体制の中で取り組み、失敗したモデルを21世紀の日本で実践しようとしているわけです
旧ソ連崩壊後、弱体化したと思われていたコミンテルンは息を吹き返しつつあります。その活動の温床になっているのが日本であり、彼らの一番のターゲットが日本なのです。
これまでも、夫婦別姓、ジェンダーフリー、LGBT支援-などの考えを広め、日本の一番コアな部分である「家族」を崩壊させようと仕掛けてきました。今回の保育所問題もその一環ではないでしょうか(産経ニュース2016年7月4日)
少子化のデメリットはよく語られるけどメリットを語る奴が少なすぎる。
なんなんだお前ら。
「うんこって肥料になるから実は凄いんだぜ!健康状態も分かる!」と私が言ったら
「くっさ。うんこマンくっさ。うんことか臭い時点でゴミ!うんこ信者死ね!」とか騒ぎ出すの?
そういう人種に見えるよ。
まあいいや人格攻撃でレス乞食するのはこれぐらいにして少子化のメリットとりあえず挙げてくね
・遺伝子的に劣悪な子供が減るよ→無理に子供を産ませようとするから産まれなくていいガキが産まれる現象の裏返し
・子供の平均的なスペックが高まるよ→上に上げた理由のとおりだね
・つまりは将来の日本を担う人間が優秀になるよ→AIや産業ロボットに仕事を奪われるようなクソ雑魚ナメクジとかこれ以上増やせる時代じゃなくなりそうだよね
うわー
やらない理由がねー
中国はその点がよく分かってたんだねー
流石は先進国ー
芸術祭や音楽祭をやるのは、観光客を呼んでお金を落としてもらうためであって、芸術家を育てるためではないと思う。
瀬戸内芸術祭には行ったことがあるけど、ほとんどの場所が入場無料で、有料なのは直島の美術館や、既に名が売れている芸術家の作品だけだったように記憶している。
あれは芸術家の支援というより町おこしイベントだ。ああいう芸術祭に作品を出すことで有名になって売れっ子になる人もいるかも知れないけど、特に役所が旗降り役の芸術祭では、基本的に出展する芸術家に対して「作品を発表する場を提供してやるからありがたく思え」というスタンスではないかと思う。
やっぱり芸術は音楽でも美術でも贅沢品なんだと思う。大成するかどうか先の読めない芸術家の卵に税金を使うぐらいなら、最近問題のいわゆる非正規雇用の人々の貧困問題対策とか保育所の充実とかに使ってほしいと思う。
そもそもアートはアーティストになりたい人々と実際にアーティストとして成功する人の差が激しいジャンルだ。正直一部の才能や名声に恵まれた人以外に対するニーズはない。
だからそんな割りの悪い投資を税金を使ってすべきではないと思う。できれば昔のヨーロッパみたいに芸術に理解のあるお金持ちが「こいつは凄い!」と見込んだ芸術家のパトロンになるみたいなのがあれば良いけど、今時のお金持ちって芸術方面に投資する気があるように見えない。
申し訳ないが基本的にアーティストは自助努力と才能と運次第だと思う。それに生きてるときは全然評価されなかった作品が作者の死後に評価されることもあり得る。貧困生活に耐えてでもアートの道一筋で頑張るか、他の仕事をやりながら趣味としてアートをやるか、アーティスト志望者はほとんどこの二択から生き方を選ぶしかないんじゃないの?
マジレスすると、
なし崩し的に家事は旦那の分までさせられるしさ→家事ができる・する意思のある男性もいるし、特に今の20代には家事分担の意識がだいぶ浸透してる(全員ではないが)ので、家事=女の仕事という図式は崩れ始めてるんじゃない?(家事したくない男性と結婚する女性という意味で言ってるのなら、女性も結婚するまで家事しない人とは気づいてなかったとか、それを含めてもしたいと思える結婚だったのでは。)
義実家参拝も追加されるしさ→義実家参拝は夫側にも追加されるよね。
恋人のままいるほうがよっぽどいいじゃん→好きな人と家族になる手段が結婚だと思ってるんだけど、結婚したからって子供もたなきゃいけないわけじゃなくない?
共働きでやっていくとしても妊娠出産っていうデリケートなときにガチで稼いでサブで家の事してくれる人間はめちゃくちゃありがたいし→言ってしまうと子が生まれても独身気分でぷらぷら遊びまわる男性もいるよね。ていうか前述の「家事は旦那の分までさせられる(夫は家事をしない)」と「サブで家の事してくれる人間(夫は家事をする)」って矛盾してない…?子供持った男性は自動的に多少なりとも家事をすると思ってる?個人の意識でかなり差があるよ。
ていうか一人の収入で子供育てられる世の中じゃないしさ→そう?女性でも稼げる職はあるし、保育園入れる地域とか保育所完備した職場なら無理でもないんじゃないかな。もちろん共働き家庭より不自由や苦労は多いと思うけど。今シングルマザー多いけど、みんな頑張って暮らしてるよ。
今は寛解に向かわれてるとのことですが、それでもこの先ずっと薬が必要なのですね。
妄想の症状も人それぞれというのも調べてだんだんわかってきました。
地域の保健師などと繋がることの重要性おっしゃるとおりと思います。
ただ、子育てについては「母親などの手伝いが得られないか?」と本人に聞くなどその程度の立ち入りのようで保育所まではすすめられていないようです。
私も本人と旦那さんへ保育所への入所を検討してはと以前に提案しました。「私が育てられないと決めつけないで」と言っていましたが、その後「自身の心身の健康を一番大事にしてほしい」と強調して考えてくれるようになったと思います。
本人が役所での手続きなども自分であまりしたことがないため、保育所探しは保健師など誰かが間に入らないと難しいだろうなあと外から見ていて感じます。
今日、twitterのタイムラインに以下のツイートが流れてきました。
「待機児童、待機児童っていうけど世の中に「待機児童」なんて一人もいない。子どもはみんなお母さんといたいもの。保育所なんか待ってない。待機してるのは預けたい親でしょ。」
引用終わり。
この方を知らなかったので調べてみると、現在は自民党で衆議院議員だそうです。
上のツイート、ただの言葉遊びとも思えますが、ツイートした人の立場とタイミングが良くない。
まずタイミング。
地域にもよりますが、今は認可保育園・無認可保育園共にもっとも入園数が多い4月入園の結果が出始めている時期です。
保育園へ預けることを希望している親は、まだ結果がわからなくて毎日不安でそわそわしていたり、期待していた保育園に入ることができず不安な気持ちになっているところかと思います。
待機児童問題についてはセンシティブになっている時期です。この時期に特に必要がないのに親たちを刺激する意図がわかりません。
次に、立場。
その方が、女性の仕事復帰に罪悪感を抱かせ呪いをかけるような発言をするのはいかがなものでしょうか。
「私も子供を預けて働いてきた親ですけど。苦労は人一倍知っています。拙著を読んでくださいね。」
引用終わりです。
驚くべきことに、自身もゼロ歳児クラスから子供を預けて働いていたようです。
それでいてなぜ、同じように働こうとする母親の罪悪感を感じさせるような発言をするのでしょうか。
保育園に預けて働いた親たちが払った税金も自分の賃金や活動費用を構築していると想像ができないのでしょうか。
(個人的にはtwitterという閲覧フリーのSNSでの発言に異議を唱えられて、拙著を読めという態度もどうかと思いますが、本筋ではないのでこれ以上言及しません)
「保育園落ちた、日本死ね」論争は前提が間違っています 日本を貶めたい勢力の真の狙いとは…
http://www.sankei.com/premium/news/160702/prm1607020006-n1.html
以下、引用です。
「ですから「保育園落ちた」ということは「あなたよりも必要度の高い人がいた」というだけのこと。言い換えれば「あなたは必要度が低いので自分で何とかしなさい」ということなのです。
たぶん、このブログに書かれている保育園とは「認可保育所」のことかと察します。保育所には認可保育所のほかに、無認可(認可外)保育所もありますし、待機児童が問題となっている大都市には「認証保育園」なる制度も登場しています。また、民間のベビーシッターも多く存在します。
自分で何とかできる部分は自分でやらないことには社会は成り立ちません。何でも税金におんぶと抱っこでは、日本は潰れてしまいます。「自助・共助・公助」の順番を間違えてはならないのです。」
「前述の「朝まで生テレビ」において、多くの女性論客は「保育所を義務化すべきだ」と主張しました。残念ながらこの主張は多くの日本人女性に支持されています。その背後に潜む大きな危険に誰も気づいていないからです。
子供を家庭から引き離し、保育所などの施設で洗脳教育をする。旧ソ連が共産主義体制の中で取り組み、失敗したモデルを21世紀の日本で実践しようとしているわけです。
労働組合に牛耳られたごく一部の特殊な学童保育所などでそういった保育が行われていることを公務員時代に目の当たりにして問題意識を強く持っていましたが、それが数年でここまで一般的な思想に変わってしまうとは本当に驚きです。
旧ソ連崩壊後、弱体化したと思われていたコミンテルンは息を吹き返しつつあります。その活動の温床になっているのが日本であり、彼らの一番のターゲットが日本なのです。」
以上、引用終わり。
まず、前段の発言です。
東京都などの保育園激戦地域では、無認可保育所にも入れない人が多くいるのが現状です。
現在の保育園激戦区では、いくらお金を払っても預ける保育所がない、という事態が発生しているのです。
(ベビーシッターと保育所は環境と機能がことなると考えますので、同列としません)
衆議院議員の方がこのような現状もわからずに発言をしているのでしょうか。
後段の発言については、自身も保育園に子供を預けていたからの発言とは思えません。
朝まで生テレビの彼女の出演回については拝見していないのでわかりませんが、個人的には「保育所を充実させるべきだ」という意見は多くあっても「保育所を義務化すべきだ」という意見が多いという印象は受けません。
日本には三歳神話も根強く残っている印象もありますし、自分の手で子どもを育てたいという親も多いです。
保育所を洗脳施設と称するこの記事は、保育園で働く保育士さんたちを侮辱しているようにも感じます。
世の中色々な意見がありますし、思想や主張は自由です。しかし、現職の衆議院議員の方の発言としては配慮に欠けるように思います。
好きに発言して選挙に挑めばよいと思いますが、比例でも出馬しているのであれば、党の意見に合わせた発言をされた方がよいのではないでしょうか。
じいさんは無口な人だった。水道工を定年するまでやっていて、頑固な職人気質。
両親が共働きだった俺は保育所に通っていて、婆さんが迎えに来れないときはじいさんが会社のマークの入ったオンボロ軽トラで迎えに来てくれていた。
小さい頃、俺はじいさんが苦手だった。じいさんからはいつもタバコの匂いがしたし、保育所であったことを話しても「ほうか。」「ほうね。」と一言二言しか返してくれないじいさんより、婆さんが迎えに来てくれればいいのにと思っていた。
じいさんは野球が好きで、オンボロ軽トラではいつもラジオがかかっていて、広島東洋カープの情報が流れていた。
ある日じいさんが珍しく「カープの練習を見に行こう。」となぜか俺を連れ出した。家の近くにカープの二軍練習場があって、そこに期待の若手が入ったらしい。
野球がよく分からなかった俺は苦手なじいさんと二人きりは嫌だなぁと思いながら、さりとて嫌だ嫌だと泣きわめくのもなんだか悪い気がして、大人しくじいさんについていった。4歳でも、それくらいの分別はついたのだ。
オンボロ軽トラで行った練習場で、カープの若手がノックを受けていた。カープと言えば猛練習の名の通り、動けなくなろうがノックにさらされ続ける選手をみて、子どもながらに「死ぬんじゃなかろうか」と心配になったのを覚えている。
じいさんは珍しく「あのキャッチャーは凄い。」「よう打つ。」「凄い選手になる。」と教えてくれた。
野球にぜんぜん興味の無かった俺は、あまり気のない返事をしながら、隣の遊園地につれていってくれればいいのにな、と思っていた。
去年、子どもが産まれた。とても可愛い。絵本を読んであげると喜ぶ。
いつの間にか立派なカープファンになった俺は、子どももカープファンにすべく英才教育を施そうと思う。
そうして初めて、俺はじいさんに愛されていたことに今更気付いた。
じいさんは孫を喜ばせたかったのだ。無口で、何を考えてるか分からないじいさんはじいさんなりに、俺を愛してくれていた。
自分が親になって初めてわかったとき、もうじいさんはこの世にはいなかった。
今なら分かる。4歳の子どもをじいさん1人でつれて歩くのがどんなに大変か。トイレの粗相をするかもそれない。目を離せばどこかに走り出すかもしれない。水分補給だって常に気にかけておかないといけない。そんなのを連れ出すのは60過ぎのじいさんにはきっと骨だったはずなのだ。
もっとあの時喜んであげれば良かった。ぜんぶ今更だが。
じいさん、カープは強くなったよ。今年は三連覇出来るかもしれんよ。
愛してくれてありがとう。気付けなくてごめんよ。