はてなキーワード: ゼロ歳児保育とは
誰でも無認可より環境が良く安全で安い認可保育園に入りたいのは当たり前だから仕方ないよ
同じように困っている競争相手を憎むより、自分は何の苦労もなくゼロ歳児保育を利用しながら保育園なんていらないと主張してる子育て支援少子化が専門の自民党の杉田水脈でも憎む方がまだ建設的では
阿部総理が素晴らしいと絶賛して極右政党から自民に連れてきた人だけど、本当に総理は人を見る目が無いとしか言いようが無い
待機児童、待機児童っていうけど 世の中に『待機児童』なんて一人もいない。子どもはみんなお母さんといたいもの。保育所なんか待ってない。待機してるのは預けたい親でしょ
私はだから預ける親が悪いとは一言も言っていません。自分もゼロ歳児(実質1歳)から保育所に預けて働いてきましたので
(基本的人権が守られている上に)そこにさらに女性の権利、子供の権利を言い募ると、それは特権と化してしまう
「保育園落ちた」ということは「あなたよりも必要度の高い人がいた」というだけのこと。言い換えれば「あなたは必要度が低いので自分で何とかしなさい」ということなのです
子供を家庭から引き離し、保育所などの施設で洗脳教育をする。旧ソ連が共産主義体制の中で取り組み、失敗したモデルを21世紀の日本で実践しようとしているわけです
旧ソ連崩壊後、弱体化したと思われていたコミンテルンは息を吹き返しつつあります。その活動の温床になっているのが日本であり、彼らの一番のターゲットが日本なのです。
これまでも、夫婦別姓、ジェンダーフリー、LGBT支援-などの考えを広め、日本の一番コアな部分である「家族」を崩壊させようと仕掛けてきました。今回の保育所問題もその一環ではないでしょうか(産経ニュース2016年7月4日)
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荒川区のゼロ歳児保育が酷すぎる件について(駒崎弘樹) - BLOGOS(ブロゴス)
家庭の事情が多様化する中で、一律17時まで、というのはあまりに柔軟性がないからだ。
あなたの生育歴なんぞ知らないし、親子の絆のために預かるのは17時まで!もおかしい。
それはおかしい。
しかし、私はこの記事のエビデンスというキーワードにひっかかりを覚えた。
この記事の筆者は保育に関連するNPO法人の方であるようだが、いわば現場の方がここでエビデンスというキーワードを持ち込んだことに違和感を感じるのだ。
逆にエビデンスさえあれば、一律17時でも問題ないのだろうか。
3歳に満たないこどもを預けて働くことに風当たりが強かったのは過去の話である。
しかしいろんな現実や環境から、こどもを預けて働くことに社会の理解は広がった。
それは保育の現場の努力であり、過去の母を中心とした親たちの努力の結果だろう。
だからこそ思うのだ。
「預けて働くことのこどもに対するリスク」にちゃんと目を向けてはどうか。
#保育園入れて のハッシュタグを見たときも感じたことだが、好きで家庭から「長時間」離れたいこどもは少ない。
(あえていないとは言わない)
夜遅くまでお迎えがこない、これはストレスになりうることは素人でも想像できる。
「親子の絆がー」といわれたとき、
家族で過ごす時間の大切さは、どんな家庭で自覚した方が良いと思うのだ。
そのために奔走するのは必ずしも母親でなくても良い。父親でも祖母でも良い。
考えて話し合って、それでも19時まで必要となるならそれで良い。
3歳までは専業、が「正義」だった。
勿論今では違う。
しかし、フルタイムでこどもを遅くまで預けることが「正義」でもない。
そこをどうか履き違えない社会であってほしい。