昨今の日本のニュースでは、女性の貧困や保育所不足などの話題がよく取り上げられている。
日本だけでなく、世界的に見ても女性の社会進出には大きな問題がある。
結論を先に述べると、それは政府や企業が謳う女性の社会進出とは、すなわち女性が男性と同等に扱える労働者にしてしまうからである。
言えば、女性を社会や経済のための、使い捨ての歯車にしてしまうからだ。
これの何が問題かというと、女性を常に安価な労働力として消費することに他ならない。
今一度解説すると、労働者とは自身の能力や時間を労働力として換金する、ということである。
単純な意味での労働力とは、それを購入する側にとっては、捨て値でスーパーに置かれているモノ、と例えて差し支えない。
(現代では、経営者以外の労働力は、発展途上国の労働者に置き換えることができるので、ほとんど最安値となる。)
女性の社会進出においては、女性自身が上記のような労働者という立場しか与えられない点である。
すなわち、社会から女性に対して、労働力という安売り以外での、社会への進出方法が明示されていないのである。
なぜなら、男女共同参画という企画は議員に承認された時点で、資本階級に都合が良くなるよう、うまく改変されているはずだからだ。
議員と資本階級に一定の繋がりがあるので、資本階級にとっても便利な法整備がなされているはず、と考えるのが自然だ。
女性がこの安売り地獄から逃れるためには、その個人が社会に供給しうる中で、自身への報酬が最も大きい手段を取るべきである。
わかりやすい手段を挙げると、起業であったり、大学を出ずとも、容姿と態度を磨き上げ、専業主婦として生活できる資本を作り上げたり、となる。
おそらく特別に厳しい境遇に充てられるのは、あらゆる意味での資本が乏しく、新たに構築できず、本人自身も特段有能でない女性であろう。
ただこの条件で厳しいのは男性でも同じであり、純粋に生存が難しいだけなので、この問題の中で考えるのは不適である。
再度要旨を述べると、女性の社会進出とは労働力に貶めるための建前に過ぎない。だからこそ、それに反逆するしか豊かになる道がない、ということだ。
はてなの女性たちはよっぽど優秀な人たちなんだろうなあ。 「女性の社会進出に更なる支援を! 男性も平等に家事育児の負担を!」と叫んでいる。 別世界の住人みたいに見えるわ。 ...