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2024-08-04

東浩紀

東浩紀の伝記を書く。ゼロ年代に二十代を過ごした私たちにとって、東浩紀特別存在であった。これは今の若い人には分からいであろう。経験していないとネット草創期の興奮はおそらく分からいかである。たしかにその頃は就職状況が悪かったのであるが、それはまた別にインターネットは楽しかったのであり、インターネットが全てを変えていくだろうという夢があった。ゼロ年代代表する人物を3人挙げるとすれば、東浩紀堀江貴文ホリエモン)、西村博之ひろゆき)ということになりそうであるが、彼らはネット草創期に大暴れした面々である。今の若い人たちはデジタルネイティブであり、それこそ赤ちゃんの頃からスマホを触っているそうであるが、我々の小さい頃にはスマホはおろか携帯電話すらなかったのであるファミコンはあったが。今の若い人たちにはネットがない状況など想像もできないだろう。

私は東浩紀の主著は読んでいるものの、書いたもの網羅的に読んでいるというほどではなく、酔っ払い配信ほとんど見ていない。しかし、2ちゃんねる(5ちゃんねる)の東浩紀スレ古参ではあり、ゴシップ的なことはよく知っているつもりである。そういう立場から彼の伝記を書いていきたいと思う。

1 批評空間

東浩紀は71年5月9日まれである。「動ポモ」でも援用されている見田宗介時代区分だと、虚構時代のちょうど入り口で生を享けたことになる。國分功一郎は74年、千葉雅也は78年生まれである。國分とはたった3歳しか離れていないが、東が早々にデビューしたために、彼らとはもっと年が離れていると錯覚してしまう。

東は中流家庭に生まれたらしい。三鷹市から横浜市引っ越した。東には妹がおり、医療従事者らしい(医者ではない)。父親金沢出身で、金沢二水高校を出ているそうである(【政治番組東浩紀×津田大介×夏野剛×三浦瑠麗が「内閣改造」について大盛り上がり!「今の左翼新左翼左翼よりバカ!」【真実幻想と】)。

東は日能研でさっそく頭角を現す。模試で全国一桁にいきなり入った(らしい)。特別栄冠を得た(らしい)。これに比べたら、大学予備校模試でどうとかいうのは、どうでもいいことであろう。

筑駒筑波大学附属駒場中学校)に進学する。筑駒在学中の特筆すべきエピソードとしては、おニャン子クラブ高井麻巳子福井県実家訪問したことであろうか。秋元康結婚したのは高井であり、東の目の高さが分かるであろう。また、東は中学生時代うる星やつらファンクラブを立ち上げたが、舐められるのがイヤで年を誤魔化していたところ、それを言い出せずに逃げ出したらしい(5ちゃんねる、東浩紀スレ722の555)。

もう一つエピソードがあって、昭和天皇が死んだときに、記帳に訪れたらしい。

東は東大文一に入学する。文三ではないことに注意されたい。そこで柄谷行人の講演を聞きに行って何か質問をしたところ、後で会おうと言われ、「批評空間」に弱冠21歳でデビューする。「ソルジェニーツィン試論」(1993年4月であるソルジェニーツィンなどよく読んでいたなと思うが、新潮文庫ノーベル賞作家を潰していくという読書計画だったらしい。また、残虐記のようなのがけっこう好きで、よく読んでいたというのもある。三里塚闘争についても関心があったようだ。「ハンスが殺されたことが悲劇なのではない。むしろハンスでも誰でもよかったこと、つまりハンスが殺されなかったかも知れないことこそが悲劇なのだ」(「存在論的、郵便的」)という問題意識で書かれている。ルーマン用語でいえば、偶発性(別様であり得ること)の問題であろうか。

東は、教養課程では、佐藤誠三郎ゼミ所属していた。佐藤村上泰亮公文俊平とともに「文明としてのイエ社会」(1979年)を出している。共著者のうち公文俊平だけは現在2024年7月)も存命であるが、ゼロ年代に東は公文グロコムで同僚となる。「文明としてのイエ社会」は「思想地図」第1号で言及されており、浩瀚な本なので本当に読んだのだろうかと思ったものであるが、佐藤ゼミ所属していたこから学部時代に読んだのだろう。

東は94年3月東京大学教養学部教養学科科学史科学哲学分科を卒業し、同4月東京大学大学総合文化研究科超域文化科学専攻に進学する。修士論文バフチンで書いたらしい。博士論文ではデリダを扱っている。批評空間に94年から97年にかけて連載したものをまとめたものである私たち世代は三読くらいしたものである博論本「存在論的、郵便的」は98年に出た。浅田彰が「東浩紀との出会いは新鮮な驚きだった。(・・・)その驚きとともに私は『構造と力』がとうとう完全に過去のものとなったことを認めたのである」という帯文を書いていた。

郵便本の内容はウィキペディアの要約が分かりやすく、ツイッター清水高志が褒めていた。「25年後の東浩紀」(2024年)という本が出て、この本の第3部に、森脇透青と小川歩人による90ページにわたる要約が付いている。森脇は東の後継者と一部で目されている。

東の若いころの友達阿部和重がいる。阿部ゲンロンの当初からの会員だったらしい。妻の川上未映子は「ゲンロン15」(2023年)に「春に思っていたこと」というエッセイ寄稿している。川上早稲田文学市川真人によって見出されたらしく、市川渡辺直己の直弟子である市川鼎談現代日本批評」にも参加している。

東は、翻訳家小鷹信光の娘で、作家ほしおさなえ1964年まれ)と結婚した。7歳年上である不倫だったらしい。98年2月には同棲していたとウィキペディアには書かれていたのであるが、いつのまにか98年に学生結婚と書かれていた。辻田真佐憲によるインタビュー東浩紀批評家が中小企業経営するということ」 アップリンク問題はなぜ起きたか」(2020年)で「それは結婚の年でもあります」と言っており、そこが根拠かもしれないが、明示されているわけではない。

そして娘の汐音ちゃん生まれる。汐音ちゃん2005年6月6日まれであるウィキペディアには午後1時半ごろと、生まれ時間まで書かれている。名前クラナドの「汐」と胎児聴診器心音ちゃんから取ったらしい。ツイッターアイコンに汐音ちゃん写真を使っていたものの、フェミに叩かれ、自分写真に代えた。汐音ちゃんは「よいこのための吾妻ひでお」 (2012年)のカバーを飾っている。「日本科学未来館世界の終わりのものがたり」展に潜入 "The End of the World - 73 Questions We Must Answer"」(2012年6月9日)では7歳になったばかりの汐音ちゃんが見られる。

96年、コロンビア大学大学入試に、柄谷の推薦状があったのにもかかわらず落ちている。フラタニティ的な評価によるものではないかと、どこかで東は推測していた。入試について東はこう言っている。「入試残酷なのは、それが受験生合格不合格に振り分けるからなのではない。ほんとうに残酷なのは、それが、数年にわたって、受験生家族に対し「おまえの未来合格不合格かどちらかだ」と単純な対立を押しつけてくることにあるのだ」(「選択肢無限である」、「ゆるく考える」所収)。いかにも東らしい発想といえよう。

2 ゼロ年代

東の次の主著は「動物化するポストモダン」で、これは2001年刊行される。98年から01年という3年の間に、急旋回を遂げたことになる。「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」はその間の論考である

東はエヴァに嵌っており、「庵野秀明はいかにして八〇年代日本アニメを終わらせたか」(1996年)などのエヴァ論も書いている。その頃に書いたエッセイは「郵便不安たち」(1999年)に収められた。エヴァ本をデビュー作にすることも考えたらしいが、浅田彰に止められたらしい。だからサブカル本を出すというのは、最初から頭の中にあったのだろう。

「いま批評場所はどこにあるのか」(批評空間第Ⅱ期第21号、1999年3月)というシンポジウムを経て、東は批評空間と決裂するが、それについて25年後に次のように総括している。「ぼくが考える哲学が『批評空間』にはないと思ってしまった。でも感情的には移転があるから、「お前はバカだ」と非難されるような状態にならないと関係が切れない」(「25年後の東浩紀」、224-5頁)。

動ポモ10万部くらい売れたらしいが、まさに時代を切り拓く書物であった。10万部というのは大した部数ではないようにも思われるかもしれないが、ここから動ポモ論壇」が立ち上がったのであり、観客の数としては10万もいれば十分なのであろう。動ポモフェミニストには評判が悪いようである北村紗衣も東のことが嫌いらしい。動ポモ英訳されている(Otaku: Japan's Database Animals, Univ Of Minnesota Press. 2009)。「一般意志2.0」「観光客哲学」も英訳されているが、アマゾンのglobal ratingsの数は動ポモが60、「一般意志2.0」が4つ、「観光客哲学」が3つと動ポモが圧倒的である2024年8月3日閲覧)。動ポモ海外論文でもよく引用されているらしい。

次の主著であるゲーム的リアリズムの誕生――動物化するポストモダン2」までは6年空き、2007年に出た。この間、東は「情報自由論」も書いていたが、監視否定する立場から肯定する立場へと、途中で考えが変わったこともあり、単著としては出さず、「サイバースペース」と抱き合わせで、同じく2007年に発売される(「情報環境論集―東浩紀コレクションS」)。「サイバースペース」は「東浩紀アーカイブス2」(2011年)として文庫化されるが、「情報自由論」はここでしか読めない。「サイバースペース」と「情報自由論」はどちらも評価が高く、この頃の東は多作であった。

この頃は北田暁大と仲が良かった。北田は東と同じく1971年まれである。東と北田は、2008年から2010年にかけて「思想地図」を共編でNHK出版から出すが、3号あたりで方針が合わなくなり、5号で終わる。北田は「思想地図β」1号(2010年)の鼎談には出てきたものの、今はもう交流はないようである北田はかつてツイッターで活発に活動していたが、今はやっていない。ユミソンという人(本名らしい)からセクハラ告発されたこともあるが、不発に終わったようである結婚して子供もできて幸せらしい。

その頃は2ちゃんねるネットの中心であったが、北田は「嗤う日本の「ナショナリズム」」(2006年)で2ちゃん俎上に載せている。北田は「広告都市東京」(2002年)で「つながりの社会性」という概念を出していたが、コミュニケーションの中身よりも、コミュニケーション接続していくことに意味があるというような事態を表していた。この概念を応用し、2ちゃんでは際どいことが言われているが、それはネタなので心配しなくていいというようなことが書かれていた。2ちゃん分析古典ではある。

東は宮台真司大澤真幸とも付き合っているが、彼らは北田のように鋭くゼロ年代を観察したというわけではなく、先行文献の著者である。宮台は98年にフィールドワークを止めてからは、研究者というよりは評論家になってしまった。大澤は日本ジジェクと称されるが、何を論じても同じなのもジジェクと同様である動ポモは彼らの議論を整理して更新しているのであるが、動ポモも「ゲーム的リアリズムの誕生」も、実際に下敷きになっているのは大塚英志であろう。

宮台や大澤や北田はいずれもルーマンであるが、ルーマンっぽいことを言っているだけという印象で、東とルーマンも似ているところもあるというくらいだろう。しかし、ルーマン研究者馬場靖雄2021年逝去)は批評空間に連載されていた頃から存在論的、郵便的」に注目しており、早くも論文正義門前」(1996)で言及していた。最初期の言及ではないだろうか。主著「ルーマン社会理論」(2001)には東は出てこないが、主著と同年刊の編著「反=理論のアクチュアリティー」(2001)所収の「二つの批評、二つの社会」」ではルーマンと東が並べて論じられている。

佐々木敦ニッポン思想」(2009年)によると、ゼロ年代思想は東の「ひとり勝ち」であった。額縁批評などと揶揄される佐々木ではあるが、堅実にまとまっている。類書としては、仲正昌樹「集中講義日本現代思想 ポストモダンとは何だったのか」 (2006)や本上まもる「 “ポストモダンとは何だったのか―1983‐2007」 (2007)があったが、仲正は今でも読まれているようである。本上は忘れられているのではないか。この手の本はこれ以後出ていない。需要がないのだろうか。

佐々木の「ひとり勝ち」判定であるが、そもそもゼロ年代思想土俵を作ったのは動ポモであり、そこで東が勝つというのは当たり前のことであった。いわゆる東チルドレンは東の手のひらで踊っていただけなのかもしれない。懐かしい人たちではある。

北田によると、東の「情報技術公共性をめぐる近年の議論」は、「批評が、社会科学的な知――局所から全体を推測する手続きを重視する言説群――を媒介せずに、技術工学的知と直結した形で存在する可能性の模索である」(「社会批評Introduction」、「思想地図vol.5」、81-2頁)ということであるが、ゼロ年代の東はこういう道を歩んでいた。キットラーに似ており、東チルドレンでは濱野智史がこの道を歩んだのであるが、東チルドレンが全てそうだったわけでもなく、社会学でサブカルを語るというような緩い営みに終始していた。宇野常寛などはまさにこれであろう。

佐々木ニッポン思想」と同じ2009年7月に、毛利嘉孝ストリート思想」が出ている。文化左翼歴史をたどっているのであるが、この頃はまだ大人しかった。ポスコロ・カルスタなどと揶揄されていた。しかし、テン年代佐々木命名から勢いが増していき、今や大学メディア大企業裁判所を押さえるに至っている。しかし、ゼロ年代において、動ポモ論壇と比較できるのは、非モテ論壇やロスジェネ論壇であろう。

非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田消息が分からなくなり、小谷野2017年から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会包摂」(2021年教育Permalink | 記事への反応(13) | 17:44

2021-03-08

必読書コピペマジレスしてみる・やっぱりオススメの21冊編 (1)

思い出してどうしても書きたくなったので書く。

前回→ anond:20210301080225

小野不由美魔性の子

ベストセラー十二国記シリーズエピソード0なのだけれど、独立して読めるのでこれにした。

この作品に魅了された理由は二つある。一つは、二つの異世界出会うことで起きる惨劇SF的に面白いということ。こちらの常識が向こうには全く通じず、逆もまたしかり。ホラーではあるが、コミュニケーション不全の悲しみもある。作中の大量死の原因は、たった一つの誤解が原因なのだ

もう一つは、主人公の未熟さが残酷なほど明らかになっていくことだ。ある意味ファンタジーに逃避しようとする読者に喧嘩を売る態度で、後述するが僕は作者に喧嘩を売られるのが好きである

ヤスミナ・カドラ「昼が夜に負うもの」。

貧困による家族との別離恋愛もつれや政治的立場の相違によってばらばらになっていく幼なじみ人妻による少年の誘惑、昔の知人との思いがけぬ場所での劇的な再会などなど、個人的に好きな要素が濃密に詰め込まれている。それは安易な娯楽に堕しそうでいて、何とか踏みとどまっている。

カミュ小説では背景に過ぎなかった人々を主役にしているのもいい。「異邦人」のアラブ人はまったくの他者というか、理解できない原理で動く人格を描かれない、あるいはそもそも持たない存在だったように記憶している。

同著者の「カブールの燕たち」も面白かった。イスラーム原理主義者により公衆面前で恥をかかされたことで、妻は夫を軽蔑し、憎むようになる。タリバン政権下の苛烈描写は読んでいて苦しく、告発の書としても読めるのだが、同時に、ストーリー自体オペラのように派手なのだ。わざとだろうか?

小松左京「果てしなき流れの果に」

壮大な時間空間の中で行われる追跡劇で、歴史改変タイムパラドックス進化の階梯など、テーマスケールが大きすぎてこの長さでそれをやろうとするのは完全な蛮勇なんだけど、でもたぶん小松左京作品では一番好き。この作品にはエピローグが二つあり、そのうちの片方は比較的序盤に現れる。失踪していたある登場人物が帰ってくる場面だ。これを、小説最後まで読んでからもう一度読むと、深いため息が出る。本当に果てしない旅を経て、帰ってきたのだなあと。

扱われた科学技術は古びるかもしれない。未来世界女性観や社会描写も今では受け入れられないかもしれない。でも、表現しようとしたテーマは古びていない。SFはいだって宇宙時間の果てに手を伸ばそうと愚直なまでの試みなのだ

フリオコルタサル「石蹴り遊び」

冒頭で、パリのどこを歩いていてもお互いに出会ってしま恋人の話で始まったので、どんなロマンチックな話になるのかな、と期待したのだが、友人が服毒自死未遂したり恋人赤ちゃんが死んだりしてもひたすらマテ茶や酒で飲んだくれている、こじらせ芸術家ワナビを含む)たちのお話だった。

しかし、この作品には仕掛けがある。通常の順番通りに読む「第一の書」という方法と、著者に指定された順番で、巻末にまとめられた付録の章を挟みながら読む「第二の書」という方法、この二通りで読めるのだ。第二の書では章の番号が飛び飛びになり、まさに石蹴り遊びのようになる。そこでは第一の書で省かれていたいくつかの事実や、登場人物の秘めた行動原理が明かされる。そればかりか新聞から脈絡ない切り抜きや、この本の著者と思しき人物の晦渋な文学論を含んだ独白が含まれ、そこでは一貫性を過剰に求め、受動的にしか読もうとしない者が批判される。要するに読者に喧嘩を売ってくるわけだ。

読者に喧嘩を売る芸術が好きだ。なぜなら偉大な作家と同じ土俵に立てた錯覚を持てるから

シドニー=ガブリエル・コレット青い麦

「ダフニスクロエー」並にこっぱずかしいイチャラブもの。誰だって一緒に育ってきた少年少女が迎える性の目覚め的なシチュエーション萌えしまう時期があるのだと思う。もっとも、村上春樹作品場合、一緒に育ってきた幼馴染の男女は不幸な結末を迎えるのが常套なのだけれど。

少年人妻に誘惑され先に性体験をするというのも、王道でいい気もする。とはいえ、昨今は少女が先に目覚めるパターンも読んでみたいと思うのである

沢木耕太郎深夜特急

北杜夫の「どくとるマンボウ航海記」とか妹尾河童インド旅行記にしようかとも思ったが、終着地のロンドンについてからオチが笑えたのでこれにした(興味があったらこの二つも読んでください)。

元々はデリーからロンドンまでバスで行けるかどうかという賭けが旅のきっかけだが、「一人旅海外は二十六歳くらいがちょうどいい、それよりも若い経験値が少なすぎて、あまりにもすべてを吸収してしまおうとする」なんて趣旨のくだりがあり、初めての一人旅を読んでそうかもしれないとうなずいた。

少し前の時代旅行記面白い。今では身近なフォーケバブがすごく珍しいものとして書かれているし、天然痘が根絶されていない時代の怖さもある。一方、アフガニスタンイランが今ほど物騒ではなく書かれており、政変を身近な危険として感じることができる。

それはさておき、ほんと、スマホができて一人旅はずいぶんと楽になった。

アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ夜間飛行

強くてかっこいいことや、くじけずに挑むことに背を向けていた自分が気に入った数少ない強い人間物語。「星の王子様」が気に入った人は、ぜひぜひこちらを読んでほしい。いや、星の王子様子供向けに感じられた人や、表現が簡潔すぎたり抽象的過ぎたりしていると感じた人にこそ読んでほしい。あの物語の背後にあった、サンテグジュペリ飛行機乗りとしての経験がそこにある。

ウラジーミルソローキン「青い脂」。

はるか未来の、中国の影響下にあるロシア。そこでは文豪クローン物語執筆させることで、謎の空色物質を生成する、錬金術プロジェクトが稼働していた! この神秘物質をめぐって繰り広げられる陰謀の周囲には、ロシア文豪文体パロディあり、フルシチョフ×スターリンのイチャラブセックスあり、ナチス同盟を結んだ並行宇宙ソ連あり。

筒井康隆高橋源一郎矢作俊彦を足して三で割らずに、ロシア権威文学暴力セックスでぶっ飛ばす。ちなみにラストは爆発オチループオチだ。

筒井康隆残像に口紅を

章が進むごとに使える文字を一つずつ減らしていく趣向で、たとえば最初の章から「あ」の含まれ言葉を使えなくなっている。表現の自由と不自由について体を張って考える作品であり、使えない文字が増えるにつれ、新しい表現開拓しなければならない。その中で語られる文学論や自伝は、片言だからこそ重い。また、使える文字制限がある中での官能表現も、表現の自由について鋭く問う。

筒井康隆のすごいところは、狂っているように見える文章を書く才能だ。それがなんですごいのかっていうと、正気を失った人をそれらしく演じるのがとても難しいからだ。というのも、精神を病んだ人のなかにも、本人の中では一貫した理屈があり、全くのでたらめではないからだ。また、倫理観の壊れた人間を書くのがめちゃくちゃうまい。かなりグロ耐性のある自分も「問題外科」だけは気持ち悪くて読めなかった。これも、人間常識についてかなり深く考えないとできないことだ。

ちなみに、ジョルジュ・ペレックの「煙滅」はイ段の文字を一回も使わないで翻訳された小説で、これもただの遊びにとどまらない。語りえないホロコーストという事件モチーフにしていて、あるべきものが不在なのにそれが何かわからない居心地の悪さをテーマにしている。これが気に入ったらオススメしたい。

レフ・トルストイアンナ・カレーニナ

ドストエフスキーヤバいやつだが、トルストイもそれ以上にヤバいやつだ。家庭を顧みずに財産を国に残そうとする狂信者だ。正直、妻や子供たちがかわいそうだ。後期の「光あるうち光の中を歩め」もはっきり言って宗教の勧誘パンフレットであり、読んでいて内容が完全に予想できる。ヤバい新興宗教パンフレットのほうが何が書いてあるか予想できなくてある意味でまだ興味深い。

しかし、そんな将来そこまで頭の固くなる人間不倫の話を書いたのだから面白い。確かに、清純な愛を貫くいい子ちゃんカップル不倫カップルの対比はわざとらしい。けれども、まじめカップル愛情の細やかさと、一時の感情に負けた罪のあるカップル、どちらも美しい文章で書かれている。物事は正しくあるべきと考えている人間が、罪を犯してしまう悲しみを描いているのがいい。

これは、プロット道徳に完全に屈従させてしまう前のトルストイのすばらしさが詰まっている(そういうわけで好きな長篇の順番は年代順に「アンナ・カレーニナ」、「戦争と平和」、「復活」)。

あ、今思い出したけど、ソルジェニーツィンも好きだったんだった。

星新一「つねならぬ話」

作品根底には人間性への諦念が横たわっているのだけれども、初期の頃はそれが明確な暴力となって描かれていた。表現淡々としているが、殺人人類滅亡なんてよくある話だった。けれども、このころになるともっと表現が静かになっていった。悟りを開いた、というのとは違う。間違いなく諦念はある。けれども、苦い絶望とはまた別の感情がこもっている気もする。非SFのものが多いのも面白いので、星新一の芸風に飽きた頃に改めて手に取ってほしい。

続く→ anond:20210308082031

2020-10-31

日本学術会議会員任命拒否についてイタリア学会による声明

http://studiit.jp/

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日本学術会議会員任命拒否についてイタリア学会による声明

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 日本学術会議が推薦した第 25 期会員候補者 105 名のうち、6名が菅総理によって任命されなかったことについて、

明確な理由説明はなく、説明要求を斥けることは学問の自由理念に反すると同時に、民主主義敵対するものであり、

これに断固として異議を唱えます

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 《説明しないこと》こそが民主主義に反する権力行使国民に対する暴力)であり、主権者である国民説明責任を果たすことが

民主主義の基本だからです。

情報公開制度古代ローマ時代イタリアの地で芽生えました。イタリア学会としてこれを看過することはできません。

必ず説明責任が果たされることをイタリア学会の総意として要望します。

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令和 2 年 1017

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イタリア学会会長

藤谷道夫慶應義塾大学教授

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理由

 イタリア学会は「日本におけるイタリア学の発展と普及に寄与することを目的としている。」(イタリア学会会則第 3 条)

イタリア学を通じて学び得た知見を社会活動適用することは、学会目的に適う実践行為判断し、

今回の声明を発した理由簡単説明したい。

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 菅首相は「(学術会議の会員は)広い視野を持ち、バランスの取れた行動を行ない、国の予算を投じる機関として国民

理解されるべき存在であるべき」だと述べた。これをテキスト解釈にかけると「国の税金を使っている以上、国家公務員

一員として、政権批判してはならない」という意味になる。ここには 2 つの大きな誤謬が隠されている。

学問国家従属する《しもべ》でなければならないという誤った学問観であり、国家からお金をもらっている以上、

政権批判をしてはならないという誤った公民である

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 学問は、国家や時の権力を超越した真理の探求であり、人類資するものである与党資するものだけを学問研究

なすことは大きな誤りである学問研究によって得られる利益人類全体に寄与するものでなければならず、

時の政権のためのものではない。

判りやすい例を挙げれば、日本西洋から数学物理化学を始め、あらゆる分野で多大な恩恵無償で受けた。

万有引力定数や相対性理論発見したのは日本人ではない。その恩恵利益を受けながら、その使用料は払っていない。

なぜなら学問成果は全人類共通善として無償で開放されているかである

日本国には受けた恩恵人類に返すべき義務があることは言うまでもない。

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 国からお金をもらっている以上、政権批判をしてはならない」というのは手前勝手な考え方である

公務員政権の《しもべ》ではないかである公務員国民全員の利益のために働く。

政権が間違った判断をすれば、それを国民のために批判することは、むしろ公務員義務である

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古代中国では臣下君主に行ないを改めるよう諫言することは褒むべき行為とされた。

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翻ってイタリアの地、古代ローマ時代には、時の政権勝手な振る舞いか国民を守るための公的機関である

護民官が設置されていた。現代公務員匹敵する護民官は、時の権力批判牽制するために作られた

驚くべき官職である

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 次に、菅首相憲法 23 条が保障している「学問の自由」の意味理解していない。「学問の自由保障とは、

学者学問良心に従って行なった言動評価は、まずは学者うしの討論に委ね、最終的には歴史判断に委ねるべきであり、

間違っても《時の権力者》が介入すべきではない、ということである。」(小林節慶應義塾大学法学部名誉教授

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権力学問世界に介入する事例は西洋史に無数に見出される。

1632 年ガリレオ・ガリレイが『天文対話』を完成させた時、ローマ教会検閲を行ない、教皇ウルバーヌス 8 世と

イエズス会士はこれに激怒し、同書を禁書にした。

ガリレオローマ異端審問所で証言するよう出廷を命じられ、翌年、6 ヶ月にわたる裁判を受けさせられた。

ガリレオ自分の誤りを認めさせられ、異端審問官の前で研究放棄するよう宣誓させられた。

そしてフィレンツェ近郊で残りの 9 年の生涯を軟禁状態で過ごすことになる。

教会の決定に疑義を挟むことなどあってはならず、時の権力に反する主張は時の権力判断によって封殺された。

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 「今回、菅首相は、特定学者言動について《広い視野を持っているか》《バランスの取れた行動であるか》

について自分権限判断した」と告白し、その結果、《国の予算を投じる機関(の構成員)として国民理解され

存在ではない》と認めたのである

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問題は、仮に菅氏が高い実績のある学者であったとしても、同時に、《首相》という権力者の地位にある間は、

そのような判断を下す《資格》が憲法により禁じられているという自覚がないことなである

にもかかわらず、高い実績の学者たちが全国から会議に集まるために 1 人につき月 2 万円余の交通費を用意する程度の

ことを逆手にとって学術会議に介入しようとするとは、《選挙に勝った者には何でも従え》という、政治権力者の思い上がり以外の

ものでもない。」(小林節名誉教授

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 私たちが最も問題とするのは、《説明がない》ことである憲法 63 条は「答弁または説明のため出席を求められた時は、

国会に出席しなければならない」と義務付けている。この趣旨について政府は「首相らには答弁し、説明する義務がある」(1975 年の内閣法制局長官

見解を示している。

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しかし、菅首相官房長官時代から記者会見で「指摘はまったくあたらない」と木で鼻を括った答弁を繰り返して憲法無視してきた。

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世界で初めて情報公開制度を始めたのはイタリアである。「執政官就任して(前 59 年)、まずカエサルが決めたことは、

元老院議事録国民日報編集し、公開する制度であった。」(スエートーニウス『ローマ皇帝伝』第1 巻「カエサル20

これが民主主義への第 1 歩である

それまで国民元老院でどんな議論を、誰がしているか知る術もなかった。

議員私利私欲談合を行なっても、知る由もなかったが、議事録速記され、清書されて、国民に公開されるようになったおかげで、

貴族権力は大いに削がれた。隠れての不正ができなくなったかである

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 一方、その時代から 2000 年以上経った今の日本では、安倍政権下で情報は秘匿され、文書改竄捏造、削除され続けてきた。

かに日本では民草に説明をするなどという伝統も習慣もなかった。江戸城で開かれる老中会義の内容が知らされることもなければ、

人事異動プロセスも民草には窺い知ることもできなかった。

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おそらく安倍菅首相が目指す世界はこうした江戸時代のものなのであろう。人事で恫喝して従わせる手法は、一種の《暴力》とみなされる。

紀元前 5 世紀のアイスキュロス作品『縛られたプロメーテウス』には権力の何たるかが活写されている。

この劇は二人の登場人物プロメーテウスを連行する場面から始まる。

プロメーテウスは絶対君主であるゼウス意向に逆らって、天上の火を盗み、人類に与えたために、

暴君ゼウスから罰を受けて、スキュティアーの岩壁に磔にされる。

この時、彼を連行する 2 人の登場人物名前に作者の意図が巧みに織り込まれている。

二人は Kra/toj(クラトス)と Bi/a(ビアー)という名だが、ビアーの方は劇中で一言言葉を発しない。

ギリシャ語でクラトスは「権力」を、ビアーは「暴力」を意味する。無言の暴力を用いて他者を従わせるのが権力であるという寓意である

ギリシャ語のビアーやイタリア語の violenzaは単に武力による物理的な暴力だけではなく、圧力強制意味する。

ビアーのように《説明しない》ことが権力(クラトス)なのである

.

同じく、カフカの『審判』では主人公ヨーゼフ・K は、ある日見知らぬ 2 人の男の訪問を受け、何の理由も告げられず、逮捕される

(この 2 人の男はまさに「クラトス」と「ビアー」を暗示している)。

その後、何の説明もなしに、有罪とされ、「犬のように」処刑される。この小説でも《説明しない》ことが権力であるとして描かれているが、

これが現実になったのが、ソヴィエトである

ソルジェニーツィンの『収容所群島』にはまさに何の《説明もなしに》逮捕され、強制収容所に連行される日常が記録されている。

逮捕するのは決まって深夜である。深夜に訪れることで逮捕者を恐怖させる効果を狙ってのことだが、

また同時に、近隣住民が翌朝、隣人が忽然といなくなったことを知って恐懼するよう仕向けるためでもある。

これが不安をかき立て、恐怖を蔓延させる。いつ自分逮捕されるか人々は戦々恐々とし怯えるようになる。これによって国民心理的権力によって完全に支配される。

まり、《説明しない》ことこそが権力行使であり、国民を無力化させる手法なのである。こうして国民は恐怖と不安から権力に従うようになる。

なかに権力忖度し、取り入る者が出て来る。

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こうした事例から民主主義いかに「説明すること」にかかっているかが判る。

説明情報公開民主主義を支える命であり、それを破壊する手段は《説明しないこと》、《情報を秘匿する》ことなである

たかが 6 人が任命されなかっただけで、ガリレオを持ち出すのは大げさであり、学者はそうした政治的な喧噪から離れて研究をしていれば、好いではないかと思う人がいるかもしれない。

ましてや一部の学者の話であり、自分たちには何の関係もないと思っているかも知れない。

しかし、問題本質は、時の権力が「何が正しく、何が間違っているかを決めている」点において、ガリレオ裁判と変わりない。

科学分野の基礎研究予算は削られ続ける一方で、軍事研究には潤沢な傾斜配分がなされる今の日本にあって、

また軍事研究に手を染めない学術会議方針を苦々しく思う自民党政権においては、杞憂で終わらないことを心得ておく必要がある。

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実際、すでに文科省は今月17日に行われる中曽根元首相の内閣自民党合同葬義において弔旗を掲揚し、葬儀中に黙禱するよう、

国立大学都道府県教育委員会日本私立学校振興・共済事業団、公立学校共済組合などに通知を送っている。

公金は自民党のためのものではなく、国民のためのものである

国民全体の奉仕者である公務員を、自民党のための奉仕者に変えようとする暴挙は許されない。

かつて次のように臍をかんだマルティン・ニーメラーの轍を踏まないためである

(文責:藤谷道夫

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ナチス最初共産主義者攻撃した時、私は声を上げなかった。

なぜなら私は共産主義者ではなかったから。

社会民主主義者が牢獄に入れられた時、

私は声を上げなかった。

なぜなら私は社会民主主義者ではなかったから。

彼らが労働組合員を攻撃した時、

私は声を上げなかった。

なぜなら私は労働組合員ではなかったから。

ユダヤ人が連れ去られた時、

私は声を上げなかった。

なぜなら私はユダヤ人ではなかったから。

そして彼らが私を攻撃した時、

私のために声を上げてくれる者は誰一人残っていなかった。

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通常の娯楽に加えて、(古代ローマ人の労苦に満ちた厳しい生活を陽気なものにしてくれるものに、

凱旋式があった。

(中略)民衆は大喜びで拍手喝采していた。だが、部下の兵士たちから将軍に向けて罵詈雑言を浴びせる習わしがあった。

将軍の弱みや欠点、愚行の数々を公衆面前であげつらうのである将軍高慢ものぼせ上って、

自分を無誤謬の神(絶対に正しい偉い人間)だと思い込んだりしないようにするためである

例えば、カエサルには、部下たちがこう叫び立てていた。「禿げ頭の大将よ、他人奥さんたちを物色してんじゃねぇぞ!

あんたは商売女(淫売女たちで)で我慢してりゃいいんだ!」1現代独裁者たちに対しても同じように言うことが

できたならば、きっと民主主義にとって怖いものは何もなくなるだろう。

(Indro Montanelli, Storia di Roma, Rizzoli, Milano, 1969, pp. 141-142)

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犬儒派キュニコス派)のディオゲネース(前 400/4 頃-325/3 頃)は、

世の中で最も素晴らしいものは何かと訊かれたとき

《何でも言えることだ(言論の自由 parrhsi/a パッレーシア)》と答えた。」

ディオゲネース・ラーエルティオス『ギリシャ哲学列伝』69~

2018-10-22

anond:20181022181451

言及どうもです。

彼らは、単純にphilosopher(=知恵を愛する者)ということでいいんじゃなかろうか?

『「知」に対して極めて能動的な人間』、というより、『新しいことを知ることが好き』、ただ単に好きって感じで。

から、はたから見ると、増田も『知らない話題に対しては、無知な者として、目を輝かせて知識を吸収する』スタンスで行けるといいのではないか?と思う。

そう、そこなんだよね。

俺が「怪獣映画を見ること」を苦に感じたことないように、彼らにとって

『新しいことを知ること』はまったく苦じゃなくて、むしろ何よりも楽しいことなんだろうな。

から知識毎日のように流し込んでも頭でっかちにならずに教養として心身に身に付くのだろうな。

彼らにとってはソルジェニーツィンを読むのもゴジラを観るのも同じ『新しいことを知ること』なのかもしれない。

コンプレックス邪魔になるのは、良く理解できる。

自然体で「philosopher(=知恵を愛する者)」として振る舞えてる人達への劣等感や羨望みたいなのは正直あるよね(笑)

ああ、彼らには「おし、勉強するぞ!」って喝を入れる感覚すらなくてこれが自然体なんだ!って気付いた時には震えたね。

多分、「地下室の手記」を読むとハマると思うが、それが上のような態度を身につける為に良いのかは、考えてしまうところ。

実はこの土日で奮起して古本屋で有名な哲学書やらロシア文学をしこたま買い占めてきたよ(笑)

地下室の手記」はなかったけど、カラマーゾフの兄弟罪と罰は買ってきた。

ソルジェニーツィンも何冊か買ったし、デカルトやらカントやらあるだけ買ってみた。

古本屋の店主はすげえ偏屈そうなオッサンだったが、購入ラインナップを見たら笑顔になってた。

何度もお礼を言って店を送り出してくれた。彼も「philosopher(=知恵を愛する者)」なのかもしれない。

手始めに薄いゴーゴリ外套」を読んだけど、思ったより易しくてすぐ読了した。

すっげーヘンテコな話だったけど、不思議な後味が残って楽しめたよ。どんどん読むぞ。

教養の有無と人生の充実

社会人になって数年。最近痛感するのが教養の有無と人生の充実の相関だ。

年収が高く役職持ちな人はみな教養持ちだ」、といった次元が低いことが言いたいのではない。

教養のある人物はなんというか、充実感に満ちており有意義に生きていて感性も見た目も若い気がする。

趣味も多いし、フットワークも軽い。何歳になっても好奇心知的探求心が衰えないのだろう。

少しでも気になった事があればその日の帰り道で専門書を買って熟読、海外だろうが平気で現地に赴いたりする。

常に勉強を欠かさないし、当人は「勉強」を苦を伴うものと思っておらず、むしろ楽しんでいるのだ。

類は友を呼ぶのか、周囲の家族や友人も相応に知的な人が多く、頽廃的だったり怠惰人間はあまり見受けられない。

当然、教養のある人はそれ相応の社会的地位についていることも多い。

社会的地位を獲得した後に付け焼き刃で教養を身に付けたのだろうか?いや違う、幼少期からの習慣の積み重ねだろう。

こういった知的な態度を有する人たちに接すると、無教養・無学な自分コンプレックスを非常に刺激される。

教養のある人達の会話はありきたりな雑談の途中で話題が予想しない箇所に飛ぶのだ。

姫路城改修から池田輝政の功績に飛んだり、クリミア半島からソルジェニーツィン著作に飛んだり。

ベラスケスやらサルトル、後期コルトレーンの話が出たこともあったが、無学な自分ではちんぷんかんぷんだ。

こちらが話題に参加できないでいると「あ、興味ないよね〜。うんちく晒してごめんごめん。」とすぐに平謝りし、

それ以降はグッと敷居を下げた会話(ワールドカップやらジブリアニメ、近所の旨いラーメン屋の話など)を展開してくれる。

こういう出来事が何度かあると、彼らはそのことを覚えているようで配慮からハードル高めな話をあまりしてこなくなる。

その「優しい配慮」が、かえって悲しいような悔しいような不思議感覚自分の中に呼び起こさせた。

上記の行動は、彼らの衒学趣味由来の嫌味や当てこすりだろうか?私にはあまりそう思えない。(ゼロではないだろうが。)

第一、こんな何処の馬の骨分からん小僧マウンティングしたところでなんの得もない。

なんというか彼らの「知」に対する基本的スタンスは、自分のそれと一から十まで

まるで異なっていて、そのほころびに自分勝手につまづいて痛がっているだけなのだろう。

痛がっている自分を見て彼らは「まずい!」と察し、ほころびを取り除くために

平易な話題シフトしてくれいているのだ。その気遣いが余計に胸に刺さった。

加えて彼らの凄いところはジャンルの垣根を設けずに、気になったら徹底的に探究する姿勢だ。

自分子供の頃から怪獣映画が好きなので彼らとの酒の席でシンゴジラ話題が出た際に、

第五福竜丸被爆事件からゴジラ誕生した、田子の浦港ヘドロ公害からヘドラが生まれ

バイオテクノロジーの隆盛からビオランテが生まれた、シンゴジラは言うまでもなく津波原発である

といったような感じで社会問題ゴジラ怪獣の密接な繋がりを時系列簡単に話した。

すると彼らは決してバカにする事などなく、「それでそれで」と少年のように目を輝かせて聞いてくれる。

ありがとう勉強になった。もう少し調べる。」とその場でアマゾンを使い、DVD解説本の購入を済ませていた。

うーむ、この人たちには逆立ちしても敵わないなぁ、と帰りのタクシーで溜め息が漏れた。

(次に会った時には彼は初代ゴジラはもちろん、宇宙大戦争やらサンダ対ガイラまで鑑賞済だった。これには舌を巻いた。)

彼らは目の回る忙しさの合間を塗って絶えず教養を身に付けているのだ。多忙な彼らの何倍も時間を有している自分には教養がない。

自分も彼らのような「知」に対して極めて能動的な人間になりたいが、どうやったら彼らに少しでも追い付けるのだろう。

なんにでも興味を持つ知的探究心。古典から新書まで常に読書を怠らない継続力。そして読書で得た知見をすぐに実行してしまう行動力

自分のように怠惰で流されるままに生きているような人間では彼らの足元にも近付けそうもないが頑張ってみよう。

ソルジェニーツィン、読んでみますね。あ、ドストエフスキーすら読んだ事ないからまずはそこからか。

2008-12-15

稲葉先生はわかっているはずなのに

http://anond.hatelabo.jp/20081213141956

これにも関連しているけれども。

常野さん、こんなことばっかりしてたら、英語圏であろうが日本語圏であろうが「一流」になんかなれっこないよ。こんなことしてる暇があったら、論文書いて投稿するとか、知り合いの編集者さんに原稿読んでもらって、企画きちんと立てて売り込んで、とにかくちゃんとやろうよ。ちゃんとやろうと思えばやれる人なんでしょうあなたは。今だって語学教師としてはそれなりの自負があるんでしょう。だったら研究者として、あるいはライターとして、まともな仕事をしようよ。

ネットジャンキーブログがやめられないんだったら、こんな下らない煽りじゃなくて、それ自体活字にできてお金を出して読んでもらえるようなコンテンツをきちんとあげようよ。

http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20081214/p1

稲葉先生は確かに御親切で、常野氏にこう説かれているのだろうとは思うけれども、それはあまりにも相手に対して残酷だと思います。常野氏はもう31、分別がある年齢です。自分能力も見えてきた年頃の人間が、精一杯考えて、自分がもっとも目立てる手法を選んだのがあの自爆テロだったのですよ。31ですよ、いい大人じゃないですか。そんな人間が、

ブログを通して出てるんです、入っていいでしょう」

とまで幼稚な詭弁を口にしたんですよ。傍から見たらどうみても「みっともなさ」の極致です。でもそれは、常野雄次郎という人間が、現実に持っている存在感、レトリック能力、それを最大限駆使して、自分でもっとも適切な言動だと思って選び取ったものですよ。しかし、確かにこれが彼にできる精一杯のところでしょう。

常野氏の新しいエントリーで、

最後にあずまんへ個人的なメッセージ

「煽る」っていうのはこういうことだよ。

前回のやつは本当にウルトラ絶対に煽りじゃないです。

というわけで、今すぐ姜尚中電話しろ!

井口先生じゃいい人すぎるから。

http://d.hatena.ne.jp/toled/20081215/p1

こう書いている。姜尚中ですよ。東さんと今回の件でなんの関係があるのか。要は、常野氏は論壇の有名人なら誰でもいいのか。次は黒柳徹子でも呼ぶのか。みのもんたか。これを読めばよくわかるように、常野氏はもう言論人として真面目に名を成そうとかそういう努力は、投げちゃった人なんですよ。彼がいま考えているのは、「論壇」の「顔役」と絡みたい、それで目立ちたい、しかしそのために自分言葉を磨く、そういう努力は一切しない、そんなことです。なんでこうなるのか。彼がもう自分能力を見切ったからですよ。本人がそうである以上、他人がどうこう言っても詮無いことです。稲葉先生エントリーコメント論で書いていますが、

私信よりもこうしてブログに書いてくれる方が百万倍うれしい。アクセスが増えるから。ただ、これはあずまんにも再三お願いしたことなんだけど、リンク貼ってくれませんか。Nさんの件で経験したんだけど、稲葉さんに紹介されるとアクセスすごいんだよ。できれば、↓にお願い。

なんというアクセス乞食の成れの果て。でも、もう常野氏には手段を選ぶ余裕はないのです。31ではもう、過去の彼のように、不登校ネタを売りにすることは無理がある。そもそも不登校なんて珍しくなくなってきている。彼は彼の売名欲的上昇志向を(敢えてここでは成功妄想とは言わないですが)支える手段が、齢31にしてなくなってしまって、難しいポジションなのですよ。

いや、こういうことはもう、稲葉先生は百も承知でしょうね。その稲葉先生に対して常野氏は叫び続ける。

僕は本気で「一流」になりたいと思ってる。しかもその素質があるような気がする。ただ努力を怠っている。勉強をサボっている。何かやっても、とんちんかんな方向に行ってしまって、進歩しない。それについて悩んでいる。

僕は「一流」になりたい。ちやほやされたい。500年後の図書館に本を残したい。強い願望です。

赤の他人からこんなこと言われても困りますよね、誰だって。常野氏のこの発言を目にしたら、大人なら誰でも思うでしょう。

努力を怠っている。勉強をサボっている。」自分でもそうわかっているような人間が、なんで「一流」になれると思うのか、素質があると信じられるのか?

夢見る中学生じゃないんですから。いや、こういうことを言うと真面目に勉学やスポーツ芸術に励んでいる中学生に失礼だ。たとえ素質があっても、なにかの分野で「一流」とみなされる存在になることは簡単なことではない。つい易きに流れるのが人間でしょう。でもそれを省みて、また頑張ってみるのも人間で、多くの人はそうやって一流とまでは行かずとも準一流、二流くらいにはなる。常野氏は31にしてその入り口にさえ立っていない。立つことはできない。彼は立たないことを売りにして生きてきたからです。

登校拒否系」の常野氏は、言論人である東さんに対して、言論人志望者としてまともに対することをしなかった。東さんの発言を批判したいなら、普通に一人で大岡山に行って、「東さん、あなたの発言にわたしは異論があります、それについてはこのような形でまとめてきました、この場は東さんが責任を持たれている講義の場ですからここですぐ対応をされるのは難しいでしょうから、自分ブログでもこの意見発表しようと思います、よろしければご覧になって下さい」と言わなかったのか?代わりに常野氏はどう言ったか。

あずまんと波長が合いそうなネット右翼の諸君もたくさん来たらさらに楽しくなると思うよ。

糾弾会みたいなのは今回はやめとこうね。

こう言ったのです。誰がどう見てもこれは威嚇であり、脅迫です。東さんがこんなことを書いているのが来ると知らされて、友好的に対応するはずがない。学生になにかあったらどうするか、考えるのが当然です。それを見越して常野氏はこう書いたのです。後から言い訳はなんとでも言えるが、「そんなつもりはなかった」と後から言うのは脅迫者の常套手段です。

なぜこう言ったか?結局は常野氏が避けたのですよ、まともな議論を促すのを。彼は自ら望んで、「下らない煽り」に終始したのです。

それはなぜか。常野氏はもう、まともな言論人志望者であることさえかなぐり捨てているのですよ。彼はとにかくアジテーターとして目立って、名を売って、「ちやほやされたい」だけなのです。つまり、かつての不登校児が自分の無様なプライドを慰撫したいだけなのですよ。

言論のプロを目指すことは、悪いことではないでしょう。それならば、質の高い議論をする、そのことで少しずつ自分存在感を高めることが王道でしょう。それをしたならば、図書館に五年なり五十年なり、その議論は痕跡を残すでしょう。その道を目指さない常野氏は、もう、負けたんですよ。そしてそれをいうならば彼は、これまで勝とうとしたことがない人生ですよ。それで「とんちんかんな方向に行ってしまって、進歩しない」でいないはずがない。それでなにか成果が上がれば、それは奇跡です。稲葉先生くらいのキャリアをお持ちの方なら、そんなことはもう、見えている。でも稲葉先生はこう呼びかける。

常野さん、こんなことばっかりしてたら、英語圏であろうが日本語圏であろうが「一流」になんかなれっこないよ。こんなことしてる暇があったら、論文書いて投稿するとか、知り合いの編集者さんに原稿読んでもらって、企画きちんと立てて売り込んで、とにかくちゃんとやろうよ。ちゃんとやろうと思えばやれる人なんでしょうあなたは。今だって語学教師としてはそれなりの自負があるんでしょう。だったら研究者として、あるいはライターとして、まともな仕事をしようよ。

ネットジャンキーブログがやめられないんだったら、こんな下らない煽りじゃなくて、それ自体活字にできてお金を出して読んでもらえるようなコンテンツをきちんとあげようよ。

常野氏を擁護する人は、いろんなことを言う。例えば東さんだって、柄谷さんの法政講義に潜り込んで、それでデビューのきっかけをつかんだという。でも東さんは、ちゃんと潜り学生なりの作法を踏んで、威儀を整えて、ソルジェニーツィンについての原稿を見て下さいと持って行ったわけでしょう。そのときの東さんは、柄谷さんに「彼の原稿なら読んでみよう」と思わせるだけのアピールをしたんでしょう。これは卑屈とか取り入るとか言うことではない。真っ当な手順を踏むと言うことです。

かたや、常野氏はなにをやったか。

あずまんと波長が合いそうなネット右翼の諸君もたくさん来たらさらに楽しくなると思うよ。

糾弾会みたいなのは今回はやめとこうね。

と事前に煽り、当日自分は、

ブログを通して出てるんです、入っていいでしょう」

といじましい嘘をついたのです。そして自分は最初、この経緯を隠して、常野氏の取り巻きは東さんを「ださい」だのなんだの罵った。「はてサ紅衛兵」は今回は東さんをリンチすることには失敗したようですが、その代わりにこういうかばい合いは発達しているのですね。でも、こういうデビューをする「言論人」なんてありえないでしょう。

あずまん、そうとう男を下げちゃったな。今回。

そこで僕から超ウルトラスーパーCの挽回策を提案します。

僕をゼロアカ優勝者にしてください。

知らない人のために言うと、講談社から10,000部の本が出せるというコンテストです。

そしたら、みんな思うと思う。あずまん、大人だなって。器として。これだけのいきさつがあった上でそうしたら。思わん?

常野氏のはなしは、なんでもやっぱりここに戻ってくる。目立ちたいよう、お金が欲しいよう、みんな僕のことをかまってよう(涙)。僕の話を聞いてくれよう、だからみんなで押しかけるよ。

どこまで虫がいいんだろう(呆)。教室を騒がせてここまで迷惑をかけた相手に、なお自分の売名への協力を呼びかける。もともとこれが言いたくって、東さんに絡んだんだろう。でもこれは、常野氏がもう他人が見えなくなっている、他者の心情を忖度できなくなっていることを実証しているだけですね。「これだけのいきさつがあった上で」「大人だなって」思わせるとかいうのは、正々堂々論陣を張って批判された場合であって、なんで「プンスカ、プンスカ、ピュー!」とか東さんをいかにも戯画化して書いていたアジテーターがその当の相手にまともな対応を期待できるのか、わからない。まして、SF大会なんかから何年も東さんに粘着しているストーカーまで同行して、これは嫌がらせ以外の何者でもない。まして常野氏はなおもこうも書いている。

糾弾っていうのは、たんに相手を傷つけるためにやるものではない。そうではなくて、相手に自分が間違っているということを自覚させることが重要とされる。だからそれは愛情憎悪が複雑に絡み合った興奮から始まる。

けど、僕は歴史修正主義者に対して1%の希望も持っていない。必要なのは、対話でも説得でも論争でも、まして糾弾ではなく、暴力だ。

これはまたはっきりとした脅迫だなあ。「自分が間違っていると言うことを自覚させる」ために必要なのは「暴力だ」そうですが。常野氏にはもう、良心なんか残っていると期待はできないね。

稲葉先生d:id:NakanishiB氏にも「まとまった原稿を書いて持ち込む」ことを勧めるけれども、自分が書きたいように書ける自費出版同人誌に書いてなおパッとしない人に、いまさら広い土俵に連れ出してもなにもできないでしょう。かつてNakanishiB氏は小田島隆さんにもその悪文をたしなめられていましたが、残念なことだけれども、文章を書く力があまりにも独特な発達を遂げた人は、もう、まともな文章は書けない。

id:gerlingがこれもコメント欄に書いていたけれど、

> それ自体活字にできてお金を出して読んでもらえるようなコンテンツ

そんなものできないから東とかはあんな惨めな真似をしてるんですよ。

これは東さんではなく、常野氏やNakanishiB氏への当てつけに読めてしまう。人が悪いなあ。東氏の本はお金を出す人に読んでもらえているでしょう。それへの真っ当な批判なら、またそれにもお金を出す人がいるでしょうが、

ブログを通して出てるんです、入っていいでしょう」

こういう人には誰もお金を出さない。常野氏は、この先、どうのたうち回って「一流」の夢を断念するまで足掻くのでしょうかね。それまで、いろんな人に迷惑をかけそうですが。

ここまで書いたら、このエントリーよりもっとうまく書いてあるエントリーを見つけました。

http://d.hatena.ne.jp/Lapis-lazuri/20081214/1229247856

 
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