はてなキーワード: スリリングとは
予算のせいじゃ絶対ない。
演技やCGの安っぽさのせいでもない。
脚本がつまんねえ!
まじで何を思ってこんな突っ込みどころ満載のクソみたいな脚本書いたんだろう。
誰もこの脚本のクソさを指摘しなかったのか?
「僕はごく平凡な陸軍少佐。新人研修を終えたばかりでドジばっかりさ!だけど実は無線の傍受ができるしヘリもエース並の操縦テクで銃も百発百中なんだ!もちろん血清だって作れちゃうよ!」
いくらテレビ局をジャックして探しても、逃げたサルは二度と捕まらないだろ、なんてね。
でもこれは、ご都合主義とかお約束ってもんで、そんな上手く事が運ぶかよーなんて突っ込みながらも、主人公たちの豪快な活躍は見ててスカっとするもんだ。
感染列島への突っ込みは主人公たちが無能すぎてイラっとする類のものだ。
見てて一切スカっとしないしスリルも感じない。
観てない人のためにいかに登場人物がバカか分かるシーンを紹介しよう。
未知のウィルスでパンデミックが起こりかけて、病院は患者でパンク寸前!
そこにWHOから凄腕の美人医師が送られてきて、さあ対策会議が始まったよ!
それは何か?
それは何をするのか?
それはどこから来たのか?
それはどう殺すのか?
と書き込む。
これだけでも「なに当たり前のこと言ってんだ?」と混乱するが、一旦タメを作った後で自信満々に
「これを言い換えると」
と言いながら
それは何か? → ウイルスの正体
それは何をするのか? → 感染者の症状
それはどう殺すのか? → 治療法
「このようになります」
と、抽象的な概念(笑)をより具体的で分かりやすい形に言い換えて説明してくれちゃうのだ!
これから国家存亡の危機に立ち向かうって場面で、突然作文の授業だからね。
いや、この後でさらに具体的な状況分析が続くならいいけど、これが会議の中身の全部だからね!
こんな調子の「え、この人らバカなんじゃないか?」が延々2時間続くわけ。
きっとこの脚本書いたやつは相当頭悪いんだろうと思って経歴を見たら、こいつ大学に入学するのに25歳までかかったらしい。
なんと7浪。
そんなになる前に、自分は勉強に向いてないなって気づかなかったんだろうか。
でも大学名だけ見たら京大だから、きっと学歴厨には効果絶大なんだろうな。
そのせいで誰もゴミ脚本にゴミだって意見できなかったんだろう。
映画業界はアニメ業界と違って、ヤマカンがゴミゴミ言われてんのとは真逆な現象が起きてるんだろうね。
さて、批判ばっかりでもつまらないから、どうやったら少しは面白い脚本になったか考えてみる。
そんで物語全編の長さを1週間程度で起きた話にする。
そうすれば登場人物がヘボで無能で、パンデミックを防げずに1000万人も人を殺したとしても納得がいく。
設定上、症状が出てから1日で死ぬ上に、もともと演出がヘボくて時間の経過はテロップのみで表現されてるのだからシーンを撮り直す必要もない。
ただ、テロップで何日経過、って書かれてるとこの文章を差し替えるだけの、予算とスタッフにやさしい脚本上の変更だ。
つーか、もう完成しちゃったけど、今からでも変更できんじゃないか?
時間が切迫してるってだけで、観てる人はスリリングに感じるはずだ。
作中で明らかに浮いてる野良研究者がウィルス発見するシーンも、これなら納得できるし、一気に輝くシーンになる。
世界中が全力で探してるけど、12時間やそこらじゃ、さすがに見つからなかった。
だけど野良研究者が徹夜で顕微鏡覗いていたら、たまたま、本当に奇跡的に見つけた。
カタルシスだ!
世界中の研究者が何ヶ月もかかって見つからなかったウィルスを、ヘボい研究者が普通に顕微鏡で覗いて見つけるって、アホか、なんでそんな脚本書いたんだよお前。
感染力を大幅に増強したのだから、一般人も致死性ウィルスに怯えきって防護服、防護眼鏡、防護マスクの完全装備で街を歩くような描写を入れられる。
それでも感染は止まらないんだから、安心して登場人物に賢い行動をとらせられる。
防護眼鏡なんて普通持ってないから、水中メガネで代用することをテレビを通して呼びかけるシーンを入れたら、さらによくないかな。
みんながウィルスに怯えながら、ゴツゴツした不格好な格好をしながら、それでも満員電車に乗って出勤するシーン入れよう。
これが物語開始から3日目で、正常化バイアスのせいで異常な行動とってるって表現だな。
全ての観客が突っ込んだ、なんでただの勤務医がウィルスの発生源を探しに国連に加盟すらしてない謎の田舎な国まで出かけるんだよってのも、
ばっさり削れって思うけど、どうしても入れたいなら、4日目くらいのエピソードにしよう。
最初の感染者の親父が菌を持ち込んだってのが判明するのが、4日目の午前中。
たった一晩で感染者が日本全国で100万人を超えて、政府が慌てて非常事態宣言、海外への渡航が禁止される直前って設定だ。
そんで、その国への最終便のチケットを確保。
周りは散々、「なんでお前がいくの!?」とか「民間機じゃなくて政府専用機で自衛隊とかが行くよ!」とか説得するが、主人公は一喝。
「それでまた1日対策を遅らせるのか!ウィルスが恐くて会議室から出てこない政治家どもが当てになるか!!!」
とかなんとか熱いセリフ叫んで飛び出していくようにしよう。
翌朝、主人公が現地についた頃にやっと、政府は要人専用機を準備し終わって隊員派遣を決定だな。
野党与党のグダグダな責任のなすりつけ合いと保身のための工作の結果、対策が遅れたってことだな。
で、現地で主人公が感染源を特定した所に、要人専用機がやっと到着。
やっぱり観客に散々突っ込まれた、なんで東京が地球滅亡後の廃墟みたいになってんだよwでも病院には電気きてんのかw
ってのも、これくらいの速度で事が進めばリアリティが出るぞ。
死ぬことが分かりきってる100万人が病院にも入れず外で暴動だよ。
どうやったって鎮圧不可能。
インフラ病院などの拠点は自衛隊が守るにしても、銀座の街は無理だろね。
そうやって一日で荒れ果てた街を、飛行機から主人公が眺めるわけよ。
これが6日目。
で、ここらでヒロインも感染して、次の日に死んで涙ながらにお終いって感じか。
「増田をナメてもらっては困る……
増田はねェ 増田たちが8年もかけて 罵倒のために練り上げてきた日記なんだよ
「禁を破るぜ…………(アダルト)」
「オオォッ 恐ろしい光景だアーッッ 双方明らかに罵倒したがっているッッ
手を出せば必ず炎上させることができる状況ですッッ」
8年間今日この瞬間までホッテントリにも入れなかった 増田を信ずる」
「増田たちはケチでしみったれなんだ あれもこれもどれも全て_____差し出す者にしかブクマはくれないよ」
「増田的見地から言うなら 確率が30万分の1以下でも0パーセントを100パーセントと解釈していいらしい
つまり……それが起こる可能性はあるって言いだす増田がいるんだ」
「俺の罵倒は後退のネジをはずしてあるんだよ…」
http://anond.hatelabo.jp/20140722143610
ブコメにも幾つか挙がってるけど、神童・元増田に対して「お勉強ができる」
特に数学の素養があったなら、高校の数学なんぞは適当に済ませて
アマチュア無線の免許を取るなり、プログラミングを始めるといった
元増田の年齢は知らんが、四半世紀前なら「マイコンBASICマガジン」等のプログラミング投稿雑誌があったし、
そういう世界では、小中学生でも大人と同じ土俵に上がれたから、
飛び級で大学に入って腫れもの扱いされるよりよっぽどスリリングな体験ができただろう。
現代ならGoogleプログラミングコンテスト? ロボカップ等のロボットコンテスト?
「我こそは神童でござい」などと踏ん反り返る暇があったら、年齢無差別のバトルに飛び込んで
コテンパンに打ちのめされてきたらいいのだ。
…以上は、元増田と同じく
親バカ上等。
何年ぶりかなぁ、10年ぶりくらいかな、いつ見ても良い映画だね。
脱税を摘発する国税庁捜査官の映画だなんて、よく思いついたなぁと思う。
おそらく、金融やら経済などのそういう社会を描いた多くの作品の先駆けと言えるだろう。
冒頭からエンディングまでスリリングな展開が見ているものを飽きさせることなく続いていて、脚本もよく出来ている。
ともすれば複雑な内容になりがちな世界の話なのに、単純で分かりやすい。
ところで見ていてふと気が付いたことがある。
今から27年も前の昭和バブル時代の作品だから当然なんだけど、喫煙シーンがばんばん出てくる。
で、この当時、今で言う喫煙休憩なんてなかったと思う。
デスクには当然のように灰皿があったんだよな。
今ではそんなの絶対あり得ないよね。
ところが、近年は喫煙するのは定められた喫煙所でするのが当然になっており、喫煙者がそこへ追いやられた結果、喫煙休憩などという言葉が生まれたわけだ。
そして、非喫煙者から「喫煙休憩は喫煙者だけの特権であり不公平だ」などと責め立てられる時代になってしまった。
まー何はともあれ、名作ですね。
いやディベート教室程の準備期間とかねーし。つーか俺元増田じゃないかんね?
ちょっと見かけた話題に乗った程度なのに資料がホイホイ出てくるもんかよ。
匿名日記のバカのおしゃべりさ。wikipediaにプラスアルファじゃ上々じゃあないか?
つーかそうまで言うならお前は日本の性犯罪の量刑相場は国際的に妥当だっていう資料とか持ってるんですよね?
へえ!裁判員制度ってのは法律を覆して量刑決められるんですか!??初耳です!
バカに教えてあげると、
裁判員によって出されてる量刑は全て、君の憎む現行法の範囲内です。
「そんな法律無いけど俺がムカついたから死刑!」とかやってみたいよねw
残念でしたバカくん。
あーそこんとこはこのトラバhttp://anond.hatelabo.jp/20121005173537とか見てね。
俺は裁判員になった時に法で決められた量刑範囲を崩せるとは思ってないよ。流石にw
それ以前の話で、「何故死刑は最大刑として挙がっていないのか、その量刑範囲って正当か?」というとこが出発点だから。
だからさ、法律っていうのは威嚇効果があるとか再犯防止とか更生効果とかを考慮されて決められるものじゃん?
何だっけ、一般予防と特別予防と犯罪への応報だっけ。
そういう観点から見て強姦の最大刑が死刑は重すぎるとか軽すぎるとかっていう話をしてくれ、ということよ。
「被害者の生命が失われていない限りは加害者の生命を以て応報するのは刑として重すぎる」とかさ。
そう小説なのだよ。ホントはコンクリを引いてこようと思ったんだけど以下略。
もうちょっと理論武装をしなよ。お前は全然理性で物事考えてないよ。
怒鳴り散らすだけで何にも実のあること書いてないじゃないか。
自分があまりにもモノを考えられないからって、そしてそれを自分で受け入れられないからって、のんきそうに見えるっていうだけの理由で他人に八つ当たりするのはやめてくれないかな。
うーん。とりあえず「日本弁護士連合会編 国際化時代の女性の人権」とかは見つけたけど、ちょっとしっくりきませんねー。ちょこっとした記述だし根拠として弱いな。
うんうん。
それより歳食ってそうな人間に教えるのはすげえだるいんだけどね。
じゃあ別にバカの話に付き合ってくれなくってもいいんですけどw
まあそう怯えんなよw
裁判員制度導入以来性犯罪に対する量刑相場は厳罰化の傾向にある。つまりシロートの心情が大いに刑罰に影響してくる時代というわけだ。
それこそ心情や感情をねじ伏せるぐらいの論理性や妥当性を備えてないと、六法丸暗記一つ覚え系バカはPCの検索機能に取って代わられてオシマイでしょ。お呼びじゃありませんよ。
へえ!裁判員制度ってのは法律を覆して量刑決められるんですか!??初耳です!
バカに教えてあげると、
裁判員によって出されてる量刑は全て、君の憎む現行法の範囲内です。
「そんな法律無いけど俺がムカついたから死刑!」とかやってみたいよねw
残念でしたバカくん。
っていうか、「身体のこれこれを損ねるという点がナントカ説に基づいてこれだけの量刑に値する」とか何とかくらい言ったとしてもwikipediaに負けるしね。
吠えてるだけとか完全に論外っしょ。
ここちょっと真剣に何言ってるかわからないから日本語で書き直してね。
出典が欲しいならあげるけどw
思い出せないんじゃなくフィクションであることを隠す為にぼかしてたとは。
君との会話は予想を下回る驚きの連続でとってもスリリングだわ。
は?
お前みたいなパータレな衝動や感情が俺にもあることは俺が認めてそう書いてんだよ!!
なんで「見抜いたぞ!」みたいにドヤ顔で書いてんだよ!w
いやー、バカってすげえわ。
俺とお前の差は、
「ボクチャンがむかついたから法律を変えるべきだもん!」とか言い出すか、
の違い。
わかったかバカ。
新密度には階層があり、最も親密な関係でのみ行われるのがセックスだ。たぶんそれはセックスがリスキーなもの(妊娠や病気、そもそも裸を見せるということ)であるという避けられない性質がるからだ。人間のもっとも私的な場面がセックスだろう。
生まれてきたとき、私たちは公私の「公」の中にいる。何一つ隠さず、家族に頼り、生きている。その後出会う他者(外)で「公」を経験する。「公」の中で出会った他者と恋人関係になり、「私」を共有することとなる。恋人は将来家族になりうるから。そういえばセックスは家族を作るためのものだし。
友人はおおよそ「公」の域を出ない。その友人とセックスしてしまうことは公私混同するというか、プライベートをパブリックなものとして公開するような危うさがあると思う。
なんか自分でもよくわからなくなってきた。あと、セックスは秘め事でなくなったらロマンスがなくなってネバついたマッサージ(あるいはスポーツ)のようなものになってしまうと思う。なんだかそうなったらもう夢も希望もないじゃないか。しちゃいけないから、したいっていうのが肝なんだろうな。
そもそも友人とセックスするのが一般化したら、断るのが大変だ。友人/セックス出来る(しい)友人/恋人、という区分けになる。それなら結局あんまり変わらないんじゃ..?
性的なものはタブーになりがちだ。タブーは所詮タブーであって、破ったって現代日本じゃ罰せられないものも多い。タブーを破るのはスリリングでそりゃもうアガるけど、同時に十字架も背負うことになる。たぶんこの十字架が道徳や社会通念の正体だと思う。(だから罪悪感これぽっちも抱かないような人間には道徳なんて通用しない。)
セックスは楽しいけど、これだけ理屈こねたくなるような代物だ。享楽的に生きるのってイカしてんなーと思うんだけども、ちょっと私みたいな小市民には手に負えない。
僕はニートで、ニートというのはとてつもなく暇で人恋しいので、1日10時間くらいネットを見ていました。
2chのお気に入りスレに入り浸り、くだらないレス付けた後に更新ボタンを連打して、
それでも返事が無いようならば、はてブの人気エントリーを上から順に見て、なんとなく為になった気分になったら、
2chまとめサイトで人気のスレッドを軽く見て、時間が経ったらお気に入りスレッドを再度巡回してくだらないレスをつけ、
寝る前に「ああ、また虚無的な一日を過ごしてしまった……死にたい……」と思う日々が続いていました。
神様はなかなか助けてくれないし、このままではいけない、もっと為になる事を何かしなくては……
と思ってはみるものの、気がつけばネットサーフィンをしている……。
そんな僕ですが、ついにネットと上手に付き合う方法を発見したので、その手順を紹介します。
1.FireFox以外のブラウザをアンインストールしましょう。2chブラウザもアンインストールします。
2chはアドオンのchaikaとか使って見るようにしてください。お願いします。
僕は友達がいないのであまりやっていませんが、twitterとかを頻繁に見ている人は、twitterクライアントもアンインストールしましょう。
webでも見れるし、多分すてきなアドオンもあると思うのでそれで見ましょう。
IEは簡単にアンインストールできないっぽいので、ショートカットを根こそぎ消してみましょう。
2.FireFoxのアドオン、LeechBlockをインストールします。
制限時間を越えると、ネットが見れなくなるという恐ろしいアドオンです。
僕はめんどくさいので制限時間が過ぎると全サイトが見れない設定にしましたが、
設定画面は英語なのでちんぷんかんぷんですが、ググったらすぐに日本語の解説が見つかります。
これが最大のポイントで、僕は2時間ごとに15分見ていいという設定にしました。
24時間ごとに60分という設定も試しましたが、長いスパンで設定するのは中毒者にとってあまり良くないようです。
きっと一気に60分ネットを見たら、すぐにLeechBlockをアンインストールして、引き続きネットの海に浸り続けてしまうでしょう。
ネットに入り浸る時は大概、見たい記事を見た後に、ズルズルとショーモナイ情報を見続けるものだと相場が決まっています。
で、これをやると、15分という時間が勿体なくて、見たい情報を見た後にFireFoxをすぐ閉じるようになります。なるはずです。
ブラウザの右下に残り時間が表示されるので、ネット閲覧に時間制限というゲーム性が加わって、なんとなくスリリングな気分が味わえます。
そして、もし仮に15分経ってしまったとしても、2時間後にはまた見れるのです!
1日ネットが見れないとなると、それはもう途方もない長さに感じられて、
とても我慢できそうになくたって、1時間45分ならなんとかなるでしょう! なりますよね!
というわけで、もうやった事あるかもしれませんが、
http://anond.hatelabo.jp/20110707195830
初音ミクLAライブを受けた感想の多くは、初音ミク現象や初音ミクの海外進出などについて触れるのが主眼であり、ライブ自体への言及は意外と少ない。その中でも以下のエントリーはライブそのものに焦点を当て、その演出や音楽、聴衆の反応を報告している。既に日本からの参加者による様々なリポートが出ているが、外国人が見たミクノポリスを外国人向けにどう紹介しているかを知るという意味でも興味深いものである。
urlは以下の通り。
http://blog.animeinstrumentality.net/2011/07/anime-expo-2011-detox-and-brief-thoughts/
アニメ・エキスポ2011に関する私の第一報で言及したように、今年のミクノポリス・コンサートほど私を大混乱に陥れたイベントはなかった。ミクノポリス・コンサートは私の通常の経験領域を遥かに超えたものであり、そこから出てきた私の脳裏には回答よりも疑問の方がたくさんあった。まず、歌声合成を売り物にした演出の構想そのものが既に危険に満ちている。たとえ選曲が拙くなかったとしても、技術的な問題によってコンサート自体が台無しになるか、あるいは馬鹿げた振り付けによって、どんなボーカロイドのコンサートも決して完全にはなり得ないのではないか?
こうした質問に回答するうえで最も適切な人間とはいえない私は、おそらく聴衆の反応という意見に従った方がいいのだろう。私が見た限り、聴衆は完全に夢中になっていた。全体の意見はおそらく熱狂的な「イエス!」だろう。私が最初にいた見晴らしのいい張り出し席からは、聴衆が心から公演に参加し、そうすることによって彼ら自身の刻印をボーカロイド現象全体に刻み付けているのを見ることができた。コンサートの間、彼らはケミカルライトを爆発的なロックの時は熱狂的に、もっと優雅な曲の時はゆるやかに、あるいはミクや彼女の仲間たちが登場した時にはリズムなど気にもかけず興奮して動かしていた。
で、私は? どういうわけか私はヴァーチャル・ディーヴァという観念を完全に受け入れるための心理的ハードルを突破できなかった。他の多くのコンサートが有しているある種の感情一体化と同じものがミクノポリス・コンサートになかったのが問題の一部にある。と言うのはつまり、私が思うにこのコンサートに人々が参加し楽しんだ理由は一つだけではないのだ。
そこにいた人々はテクノロジーを目撃したのか? ミクと仲間たちが投影スクリーンを通じて生命を得るのを見るのは、一種のどえらい光学的な楽しみとして間違いなく極めてスリリングだった。聴衆に一息つくほんの僅かな余裕しか残さずに一つの曲から次へと素早く遷移したのは、目もくらむような効果をもたらした。ボーカロイド・キャラは、時に特定のキャラに対応した色の光の塊から実体化することで、興奮を高めた。例えばピンク色の光が巡音ルカのステージ登場の先触れとなったように。キャラの髪の毛や衣服が、彼らがステージで踊るたびにどれほど見事に揺れていたかに言及することなしに、技術面での議論を終えることはできない。中でも衣服は、懇願するような「炉心融解」の際にリンが身に着けていた黒と白のドレスや、「moon」でのミクの優雅な服装を含め、極めて魅力的だった。彼女らの服と髪はどれもキャラの動きと一緒に跳ね、揺らぎ、羽ばたき、その見栄え全てをまるで生きているかのように仕立てていた。もしテクノロジーの展示が目的なら、ミクノポリスは確かにこれらの高い期待に答えることで成功したと言えるだろう。
人々は単にミクと仲間たちを見に来たのか? それはおそらく最も説明力に乏しい説だろう。ミク自身は、その上にファンたちが彼らの(Kylaranが書いたヴァーチャル・ディーヴァから引用するなら)「歌や動画という形式の小さな物語を書き込み、それが回りまわって単なるキャラを超えた生命を彼女にもたらす」ための一片の白紙に過ぎない。ミクと友人たちが、いかに彼らの人格の多くをクラウドソーシングと数百ものその解釈から効果的に得ているかを見れば、何人かのファンは単に彼らの最も好きなボーカロイド・キャラに属するある特定の性質を見せる特定の歌を聴くために参加していることも充分にあり得るだろう。
だが私にとっては、焦点はもっぱら音楽にあった。つまり私がミクノポリスで主に注目したのは、たまたま情報伝達手段としてボーカロイドを使った作曲家たちのショーケースとしての音楽祭という側面だった。そしてこれまた、いかに多数の調べるべき曲があったことか! ミクノポリス・コンサートは23の楽曲[ママ]を含んでおり(文末にセットリストあり)、例えば古典的なryo(supercell)の歌「ワールドイズマイン」から、不明瞭な英語で歌われたwowakaの「ワールズエンド・ダンスホール」のような最近の曲まであった。ボーカロイドが人間を上回っている切れ味という点から、例えば「裏表ラバーズ」やcosMo(暴走P)の「初音ミクの消失」といった、どちらの歌も呼び物となっているミクが歌詞を速射砲のように歌う部分があり、どの人間にとっても明瞭に発音するには速すぎるため単なる人間には歌うことができないような曲の演奏を見るのも、一層興味深い。
しかしボーカロイドがステージ中央に陣取り注目を集めている一方、ミクと仲間たちを囲む人的要素の方が遥かに興味深いことに私は気づいた。コンサートの前に聴衆はダンスロイドによる型通りの演目を見たのだが、ボーカロイド現象が単にボーカロイド曲に合わせて踊るのが好きなだけのファングループを発生させたという事実に私は魅了された。彼女らが音楽に同期して動くやり方は、リズムとメロディーの視覚的側面をもたらし、歌を単なる聴覚上のものにとどまらずより多くのレベル全体にかかわるものとして表現している点で、実に楽しかった。彼女たちがコンサートの残り時間においてステージ近くにいなかったのは残念だった。人間のダンサーとミクが並んで演じる場面を見たかったのに。
ステージ上にいた人間の演奏家たちもまた素晴らしかった。ミクはエレキギター、ベース、パーカッション、キーボード、及び弦楽器の奏者たちを紹介するために時間を割いた。特にエレキギターはソロ演奏を通じてかなり目立っており、コンサートのボーカル部分からは失われていた名人芸の要素をもたらしていた。彼のリフは「StargazeR」の間奏において活力を高めるハイオクとなり、彼が見せるテクに私はずっと夢中になった。だが何より私が印象を受けたのは弦楽器とキーボードの編入だった。特に彼らが締めの「ハジメテノオト」で表現した驚くほど崇高なメロディーは、ボーカロイドの過去を作り上げてきた感情をもたらしながら、一方でその希望と楽観に満ちたやさしい音によって未来への道案内も務めていた。
そもそもこれほど多くのファンをノキア・シアターに連れてくるのに、唯一の尊大な理由があったとは思えない。テクノロジーの融合、キャラ/人格、そして丸見えになった音楽、さらにはその全ての体験が極めて刺激的だった。ボーカロイド技術はまだ音楽業界を支配するには程遠いし、そして現時点でのその化身は、まだ音楽の心臓部に横たわっている本物の人間ならではのある種感情的表現に取って代わる能力を持たない。これら全てを踏まえると、ボーカロイドはこれまでも、そして今のところなお、単に物珍しい存在にとどまっている。だが私は変化の地鳴りを感じている。予め歌声を調整された歌手の蔓延は、我々がヴァーチャル・アイドル界に後数歩まで迫っていることを意味しているのだろう。変化の風が人間の歌手を完全に吹き払ってしまうのか、誰にも分からないが、現時点で私はまだ人間の歌手が負ける方に賭ける準備はできていない。少なくとも今のところは。
1. Project Diva desu
2. ワールドイズマイン
3. えれくとりっく・えんじぇぅ
4. 恋スルVOC@LOID
6. ぽっぴっぽー
8. 裏表ラバーズ
9. パズル
11. 1/6
13. 初音ミクの消失
14. 右肩の蝶
15. 炉心融解
16. Just Be Friends
17. ワールズエンド・ダンスホール
18. from Y to Y
19. サイハテ
21. SPiCa
22. 愛言葉
24. ハジメテノオト
http://anond.hatelabo.jp/20110707195830
初音ミクLAライブ、外国人感想その2「再生の約束」フリーダム訳
http://anond.hatelabo.jp/20110708223459
初音ミクLAライブ、外国人感想その3「ミクノポリスのボカレタリアートたちよ、団結せよ!」
http://anond.hatelabo.jp/20110709211718
初音ミクLAライブ、外国人感想その4「仮想の歌姫:初音ミクの人気と未来の音色」
http://anond.hatelabo.jp/20110710234300
初音ミクLAライブ、外国人感想その5「オレはAXには行ってないけど、まあとにかく……」
http://anond.hatelabo.jp/20110711212701
初音ミクLAライブ、外国人感想その6「ミクノポリス:7月のクリスマスと世界征服」
http://anond.hatelabo.jp/20110712205546
初音ミクLAライブ、外国人感想その7「AX11:ミクノポリスの印象」
http://anond.hatelabo.jp/20110713211501
初音ミクLAライブ、外国人感想その9「アニメ・エキスポ:初音ミク」
http://anond.hatelabo.jp/20110715222900
初音ミクLAライブ、外国人感想その10「アニメ・エキスポ2011(抄訳)」
http://anond.hatelabo.jp/20110716194029
初音ミクLAライブ、外国人感想その11「世界は彼女のもの:初音ミクはいかにして全てを変えたのか」
http://anond.hatelabo.jp/20110717201147
初音ミクLAライブ、外国人感想その12「アニメ・エキスポ2011でのボーカロイド体験」
http://anond.hatelabo.jp/20110719031316
初音ミクLAライブ、外国人感想その13「ミク:日本のヴァーチャル・アイドルとメディア・プラットフォーム」
ようやく、原発事故も収束の兆しが見えてきたのだろうか。ぼくの知り合いでも東京から脱出した人も多くいて、感受性が強いというのはたいへんだなぁ、と冷静を装っている。このへんはもはや「誰をどれくらい信じるのか」というイデオロギーにも似た問題であり、ぼく自身としては「さすがに東京で死人が出るほどの事態になれば政府も『逃げろ』って言うでしょ、常識的に考えて」と思っているので、自宅で淡々と週明けの仕事を待っているという状態だ。ガソリンがないので週末の日課になっていた映画のレイトショーにも行けない。そもそも上映しているのかどうかも知らないけれど。
それまで意識していなかったけれど、震災当日にほうほうのていで帰宅してからというもの、ぼくはテレビに釘付けだった。通勤中はラジオとTwitterで常に情報を入れていたし、寝室でもUstreamでNHKとTBSを2窓で開いていつの間にか眠りにつくという有様だったのだが、今日、それが途切れたとき、猛烈に不安になった。終わってしまう、と思った。
ぼくは完全に、震災報道中毒になっていた。不安と恐怖を摂取することに慣れてしまい、あまつさえ快楽さえ覚えていたのかもしれない。以前は震度3などという地震がくれば文字通り震え上がっていたぼくだが、毎晩余震に揺すられるうちに「今回は警報が間に合ったな、今回は外れだな」などと緊急速報を値踏みしたりしている。
ネット上にはさまざまな情報が流れている。政府の中途半端な情報開示に憤る人、独自の論で不安をあおる人、美談に触れて涙する人。そうした人々を追いかけ、共感したり、ひとり嘲笑したりしている。
思えば911のときも3日間くらいテレビに貼り付いたが、あのときはすぐに日常に戻ることができた。言うまでもなく、それは対岸の火事だったからだ。
今回、東京は絶妙な距離感にある。最悪の事態が発生すれば、ぼくの日常が吹き飛ぶかもしれない。幸い今のところ身近な人に具体的な被害が出ていないこともあって、この事態がたまらなくスリリングなのである。
仙台空港が飲み込まれていく、あの壮絶な津波の映像が、スペクタクルのプロローグでしかなかったなんて、あのとき誰が思っただろう。
「町は壊滅しています」「死者・行方不明者が1万人を越えることが確実と見られます」なんと魅惑的なセリフなのだろう。
新幹線で数時間の土地で原発が爆発するなんて、誰が想像しただろう。
そのスリルに拍車をかけるのが、計画停電だ。信号機が消え、交差点を徐行するバスやタクシーの緊張感たるや、まるっきりスクリーンの中だ。エレベーターが止まって自室の7階まで階段で上がる経験なんて、もう二度とできないかもしれない。うきうきしてしまう。
今の刺激に慣れてしまえば、あとは倦怠の日々が続くだけだ。聞くところによれば、計画停電は夏すぎまで続くのだという。面倒でたまらない。経済だって下降するだろう。そんななかで、いったいいつまで被害者の冥福を祈ったり、知らない土地の復興を祈ったりすればいいというのだ。原発の処理には数年かかるというじゃないか。2万人も死んだっていうじゃないか。それを忘れることなんて、できるわけないじゃないか。
冗談じゃない。もう何も楽しめない。もう何も楽しめない。
うん、俺のは「勢い」としての話だよ。
スリリングな距離だからこそ熱狂して自分の糧になってくと思うんだ。
だけどそんな熱の上限も歳を取るにつれて下がってくような気がするんだよね。
何でもそうだけどさ若い時が一番、盲目的に奔走できるし、許される時期だと思う。
idつきブログの方で「この増田、実は俺が書いた記事なんよー^^」ってわざわざ明かすアホが出てきたから。
と聞いて、ハイ、ここではまちちゃん思い浮かべたヤツ。
お前は何もわかっちゃいない。
ああいう半分自己言及ってか自虐ってか、自分をネタにした記事で笑いをとるのは全然オッケーなんだよ。
多少ギャグとして寒かろうが、ちゃんと「仕掛け」が施してある。サプライズがある。名前を明かす必然性がある。
ダメダメなのはそれを見て「名前バレがクールなのか!」とか勘違いして我も、と晒しちゃうヤツ。
普通に考えてさ。不特定多数に向けたジェネラルな記事とかネタとかネタとか2chからのコピペとかひっぱってきて
「実はこれ俺が書いた増田ですた(`・ω・´)」っつわれても「へぇそうですか、おじょうず」以外返しようがないでしょ?
何? どうコメントしてもらいたいの? 笑いをとりにきてるの? 感心してもらいたいの? 褒めてもらいたいの? 貶めてもらいたいの?
ねぇ俺は何て反応すりゃいいの? てめぇ、増田なめてんのか!
ってか、バレても良い内容なら最初から自ブログの方に書いとけよ。俺が読みたいのは匿名でしか書けないよーな、
増田でしか読めないよーなスリリングなウソっぱちなんだよ。全く。そういうやつに限ってネタ増田は芸の無い流行のテンプレ改変だったりしやがる。いつまでもねらー気分でいやがって。そんなんで立派なはてサヨになれると思ってんのか。ふざけんな。丹田に力こめろ。さけびながら増田やるんだよ!
しかし人間下には下がいるもので、もっと最悪な馬鹿も増田で息してたりする。
つい昨日か一昨日もいたね。別に誰とはいわないけど。
はまちやの真似するような並のボンクラっつうのは所詮は二番煎じだから、
(はまちやに倣って)年末にまとめて「俺が書いた増田まとめ」とかなんとか寝ぼけたエントリ出すのがせいぜいだ。
そういうヤツらはまだ増田がいかな場所であるかは一応心得ていて、
奥床しくもいくら反響があったとて、その場でid晒すような恥知らずなことはやらない。話の分かるやつだ。だから貴様らはブクマインフレ時代になっても5users稼ぐにも四苦八苦するのだがそれはまぁいい。増田とはそういうボンクラどものために存在するのだ。
だが、ウケバレするような屑は違う。ハイエナだ。ただのアクセス乞食だ。
非難する上であーだこーだ理由づけしてやる必要もないぐらいだ。ヤツらは増田たる資格がない。
タイトルの通り。正しくは日本製のRPGかも。よく知らんけど海外のゲームは鬼畜なのが多いらしいし。
ニコニコ動画にアップされた、RPGのBGMを集めたメドレーには自分の思い出を高らかに語るコメントが寄って集り、アップされる素人による実況プレイでも主に使われてるのは日本製のRPG。これはプレイ時間が長いからシリーズ化しやすいとか、忙しくないからゆっくり話しやすいという事情もあるのだろうけど。本当にRPGばかりなのかは知らない。アカウントはとっくに削除したし。日本製のRPGの代表作であるドラゴンクエストの続編が発表されるだけで株価が上がったらしいけど、それほどまでに多くの人が求めるほどの魅力が、日本製のRPGのどこに隠されてるのか、自分にはわからない。
ただつまんないって言うだけでは、面白いと思ってる人の納得が行かないと思うので、自分が「ここがつまらない」と思うところを列挙していきます。
プレイヤーの技術不足もあるから、どのゲームも最初はできることが少ないのはみんなそうなんだけど、そもそも序盤は解禁される要素が少ないRPGは特にそれを顕著に感じる気がする。
ランダムは言わずもがな。戦闘自体対して面白くないのがまた腹立つ。シンボルだと避けられそうで避けられないのが逆にストレスになるし、もし避けられたとしても、その後のボス戦で必ず詰まってしまう仕組みになってる。戦闘自体が「嗜虐心を満たすため」に思えて嫌になることもあるが、それはプレイ中気にならなくなることが多いので、「moon」的な問題提起はしたくない。
RPGでは、敵に攻撃するために使用するのが「たたかう」というコマンドだけ。タイミングもほぼ一定で決まっているし、あとは結果を待つだけで、技術介入の余地がほとんどない。祈るだけだ。「たたかう」を早く選択するためにボタン連打とか最高につまらない瞬間だと思う。このあたりは「戦略性」が面白さなんだと思うけど、それはそれほどスリリングに感じない。
もし敗北という形で詰まってしまったとしても、プレイヤーの駒が数値によるステータスで制御されている以上、取れる対策といえば装備を確かめるか、駄目そうならレベル(能力値)上げといった程度のもので、そこに発展性を感じない。リソースもいくらでも増やせてしまうし。話を聞くところによれば、ポケモンも対戦による全国大会は育成をかなり徹底するらしいけど、運が非常に絡むらしく、運頼りなんてそれ本当に楽しいの?とお節介ながら疑問を呈さざるを得ない。確かに万人向けの作品で低レベル攻略ともなると緻密な戦略も要するだろうが、制限プレイする趣味は無いし、面白くも感じない。
これはRPGに限らず、途中セーブのできないゲームのほとんどに言えることかも。まず、自分は要求される全タスクを一度に攻略できるのが「クリア」だと思ってる。ボス戦において何回も敗北したとしても、一回の勝利で以前に積み重ねた敗北の意味の全てが消え去ってしまう。そのステップが本当にクリアできるのか判然としないまま、次のステップに進めてしまう。大抵はリプレイ機能など用意されておらず、戻ることも出来ないし、戻る必然性も必要が無い(面倒な二度手間を踏む)以上、そのデータではそのまま進めていくしかない。本当に攻略できていたのかは、いわゆる「2周目」で明らかになるが、条件が異なるし、どこか気持ち悪さがぬぐえない。
これは江川達也的な「誰にもクリアできるから」ということではなく。「クリアできない」という技術不足が拭えなかったら諦めるしかないのだけど、問題はその一線を越えてからで、これもセーブ機能に起因することで、セーブがある以上、技術さえあれば何度もプレイすれば必ずクリアできてしまい、後ろに戻ることはない。セーブのあるゲームはセーブしないと長すぎる。
これは余談だけど、『ゲームセンターCX』みたいに、本来通しでクリアするべきものをコンティニュー使いまくりで果たしてクリアと言えるのかも懐疑的。『カイの冒険』の裏面とかいわゆる「改造マリオ」みたいな、極限まで難しく難易度調整したものをリトライ連発で一回だけクリアして歓喜というのは、あまり理解できなかったりもする。あれは一面一面解いていくという感覚なのだろうか。リトライするのはいいのだけど、成功(完遂)率は確実に上がってるの?
もしかすると、RPGを好んでいる彼らはゲームとしてではなくて、謂わば「デジタルコミック」みたいなものとして楽しむのが普通なのだろうか。だとしたら、それを積極的に否定するつもりはないけれども、ゲームというメディアで語れる漫画のような物語に、そこまで良質なものが多いのだろうか。自分は最近、そうは思わなくなってきた。それはRPGをまともにやってないからだろうか。
まあとにかく自分にとってRPGは楽しくない。その理由をあえて考えるとしたらこんな感じかな、と書き連ねてみた。色々勝手に文句つけて申し訳ないところだけど、最後に、自分のやったRPGについて。
FC版『DQIV』は2章、『MOTHER』は5つ目のメロディを手に入れた所、『ポケモン赤緑』は豪華客船抜けた後ぐらい、『FF6』は味方キャラが7人くらい出た辺り、『FF7』はdisc2に行く前。『ゼルダ』もいくつかやったけど、どれも3つ目のダンジョンあたりで飽きる。一番最近にやった『大神』(をRPGというのか分からないけど、俺はRPGだと思う)も、途中で完全に飽きてしまった。
クリアしたのは、シミュレーションRPGの『FFT』だけか。あれは崎元仁と岩田匡治の曲がツボに入りまくってたから続けられたのかもしれない。
もし自分に合いそうなRPGがあったら是非紹介して欲しいです。
最近はあまりゲーム自体やってなかったりする。新品で張り付いてやるということも少ないし。なんかそっからしてどっかおかしいな。
特に好きなジャンルはないけど、一番好きなゲームは『斑鳩』。ひたすら練習した分だけ上手くなれるゲームだった。2面で半泣きになって、2ボス倒して歓喜で叫んで、3面で2面以上に頭を悩ませて、4面で絶望して頭を抱えて、チェイン繋げてS++で越えられたときは鳥肌が立って、初めてノーコンティニュークリア(いわゆるALL)したときはちょっと涙ぐんでしまった。この感動はRPGのようなジャンルでは決して味わえないと思う。
ゲームセンターにはたまに行くんだけど、『三国志大戦』とか『カードビルダー』とかカード系のはコレクトでお金がかかりすぎるし、『QMA』も一時期賢者になるぐらいハマってたけどカード無くしていい機会とやめちゃったし、格ゲーはRPGやってる友人にまるで勝てないくらい苦手だから好きじゃない。音ゲーはノウハウがつく気がしない。つまり、シューターってことになるのかな。
SLGも、果てないレベル上げという点ではRPGと共通してるかもしれないけど、自分のノウハウ次第で上がり幅が違ってくる点が好きだったりする。まあSFC版『シムシティ』でもメトロポリスになったぐらいで面倒になって飽きちゃったけど。苦手な理由として飽きっぽいってのもあるかもしれないね。