はてなキーワード: スリリングとは
ニコ厨の自分がニコニコに通う理由を考えてみると、「見に行くたびに変化があるから」かもしれない。
人気の動画はコメントがどんどん変わってく。コメント職人が現れて面白いものを見せてくれたり、タグやら市場の商品までころころ変わってネタが仕込まれたりするから行くたびに違った楽しみが見つかる。
まだ再生数が少ない頃に目をつけた面白い動画が次に見た時には再生数やコメント、マイリスト数が一気に増えているという喜び。
お気に入りの動画が○万再生突破!○万コメ達成!と祭り状態になってるのを見る嬉しさ。
いつのまにか投稿者のコメントも変わっててコメントとやり取りしてたりなんかして、さらにリクエストに応えた動画を上げてリンク貼ってくれたりしてるともう大喜び。
お気に入りだけど人気のない動画。再生数とコメが増えてるんじゃないかと変化を期待して見に行く。…まあ全然増えてないんだけどね。それでも行かずにはいられないんだなこれが。
あとは削除関係。いかにも削除されそうな動画を見つけた時、それがいつ削除されるか気になってちょくちょく確かめに行く。これはなかなかスリリング。消された事にいち早く気づいて「消された!」と一番乗りでコメントしてみたり。寂しいけど妙な達成感がある。
消されて久しいお気に入り人気動画の跡地には動画は見れないにもかかわらずお悔やみコメントがついていく。さらにタグや市場にも変化があったりする。時々思い出して見に行ったりして、小さい変化を見つけて自分と同じ思いの人がまだいるんだなー嬉しいなーと感動なんかしちゃったりして…。
…そんな感じで行くたびに色んな変化があるから、それを見のがすまいとリピーターになってる気がする。
ニコニコは変化するギミックを随所に上手く仕込んでいて、頻繁に通いたくなる上手い仕組みを作ってると思う。
削除された動画の跡地がある事すらアクセスが1つ増える理由になってるんだから。
そのせいでリピーターだけでどんどん固まっていき、新規の人間に対して敷居が高くなってる&一度離れたらついていけなくなるので出戻りにくいという弊害を産んでいるんだろうけど。
そんな事をhttp://anond.hatelabo.jp/20080726032400のリンク先を読んで思った。
うおお、なんかえらいことになっている。
「『いじめっぽい香り』へのネット上での敏感さ」ってなんだ?おまえはネットじゃなかったらもっと「いじめっぽい香り」がする言動をおおっぴらに肯定して見せてるのか?
そんでそんで、もし悪口を顔の上に流された方々が、不快な思いを感じていたらば、軽い気持ちで書いた事をここでお詫びします。
「そんでそんで」ってまじめな話するときに使う言葉じゃないよな?初めから謝罪する気なんかさらさらないんだろ。「不快な思いを感じていたらば」って、相手が不快じゃないって宣言してくれたら言い放題言ってもいいと思ってんのか?おまえはリアルでも相手が「いいから、気にしてないから」って言ってヘラヘラ笑ってくれてたらいつまでも人を指さして「ハゲww」って言い続けるのか?
もし自分がその場に居合わせて、同じ様な状況に立たされていたら、どう感じただろうかを想像した結果、「面白く」思うだろうと感じたのですね。悪口陰口を言われてるのにそう感じるのはなぜだろうと思ったら、ふと、コメントがネットで守られているように、会場に居る人は、そこの人達に守られているからかな、という思いつきがでました。
なんで小声で「ハゲww」って囁きあってゲラゲラ笑ってるような奴らに守られてるだなんて思えるんだ?想像力が絶望的なまでに貧困なのか、自分が「ハゲww」くらいで笑ってしまえるような安い人間だってことをこんな変な理屈を捻り出してまで否定してみせたいかのどっちかだろ。どちらにしろ低級な人間であることに変わりはねぇ。
顔の見える同士の場所では、ネット的な傷つけ合いはまず起きないと思う。特に今回のようにニコ動に興味を持ってる人同士が集まればなおさら。「ハゲww」というストレートな言葉の表示は、周りの人達が声で笑ってくれること(「w」よりも豊かな声のニュアンス)で、柔らかく砕いて伝わるのかも。
そもそも「ハゲww」ってコメントを書いたやつの顔は見えないし、顔が見えてるのに集団で一人をゲラゲラ嘲笑するとか余計にタチが悪いわ。
罵倒語として「ハゲ」と「死ね」にそんなに差があるとも思えないけどな。
まあ結局すべて、話を人づてに聞いた自分の思い込みに過ぎないので、説得力はないわけですが。
わかってんなら書くな。
顔の見えない言いたい放題の安心感と、顔の見える人達と一緒に見る安心感、そのブレンドされた空間に、危険スレスレのスリリングさを感じたのかもしれない。そして、その内容ではなく空間の在り方自体が今までにない刺激を与えてくれそうだと思って、書いた記事です。
おまえもそこに加わってゲラゲラ笑いたかったんだろ?そう思ってんなら最初から正直にそう書けよ。
もちろん、そこに混じって「一緒に笑いたかった」という類の羨ましさでは無いこと、誰かがほんとに犠牲になって傷付く楽しさなら、やめたほうがいいと思うことは、記しておきます。
「やめたほうがいいと思うことは、記しておきます。」ってなんだ?「やめるべき」でも「やめたほうがいいと思う」でもなく「やめた方がいいと思うから書いておく」って?おまえ結局そんなこと心の底では微塵も思ってないんだろ?会場に行って「ハゲww」って囁いたりゲラゲラ嘲笑したりしたかったって思ってんのに、「いじめっぽい香り」に異常に敏感なはてなのネクラどもに絡まれて面倒くさいから適当に詫びてみせただけだろ?
ナンバーガールというバンドは、向井が中心にこそいたものの、各メンバーが確実に「自分のプレイ」をしていた。演奏技術などもまあまあにあったと思うが、ザゼンボーイズの面々には及ばないだろう。だけどその分、いいようの無いスリリングがあった。たった4人の普通の男女のどこにあれほどのエネルギーがあるというのか。
一方のザゼンボーイズも、演奏技術も高く、スリリングさ、テクニック、独創性、どれをとっても一見ナンバーガールより高いところにいるかのようにみえる。確かにそうに違いない。確かに違いないのだが、ライブを見ていてもナンバーガールに見た「どこまでも突き進めそうなカンジ」がない。非常に頭の悪そうな言葉だが、ナンバーガールのライブはこの形容が一番しっくり来ていたと私は思う。ザゼンボーイズのほうが演奏においてはフリーキーではある。それでも、そのフリーキーささえ、向井が決めたことになんだろうと思うと、フリーキーではなくても個性があふれ出ているナンバーガールの演奏に身を委ねたくなる。
この四人なら、どこにでも行ける-。そう思わずにはいられないOMOIDE IN MY HEADは、ザゼンボーイズには奏でることはできないのだろう。