横だけど、要するにBLを見たゲイが気分悪くなることが問題なんだよね。それをBLの「作品の質」と絡める部分は無理があるよな。
あなたがBLを好んで鑑賞する人間で無い以上、そのジャンルに内在する論理には口出ししえないよ。能を見た西洋人が「人間の表情はそんなお面とは違うから、お面を外して演技するようにして、次のステップに進むべき」というくらい見当違い。
実際、お面を外して演技する能が新しい進歩になりえる一方で、全然そうでない可能性もかなり高い。同様に、事実に近いゲイの描写が、BLというジャンルにおける「作品の質の向上」につながる可能性も勿論あるが、全然そうならない可能性も高い。
誤解しないで欲しいのは、「事実に近い=作品の質」という図式がおかしいと言っているのであって、題材にされているマイノリティ側の憤慨そのものを否定する気は毛頭ない。もっと違う角度で主張すればよかったと思う。ゲイにとって、どう、どれくらい苦痛であるか、とかね。
だからよ、ゲイと、ゲイから抽象化されたパターンやイメージと、そのパターンやイメージから作られたBLとあるわけよ。
この場合ゲイとBLは直接には関係ない。とこれで三回くらい言ってると思うんだけど。
世の中には(民法では)中間登記省略というのがありまして、A→B→Cと土地が移転した場合、A→Bの移転とB→Cの移転は別物として考えて、A→Cへ直接移転したと書いてはいけないことになっているんです。AはCに土地を取り返す訴えを提起できない。
社会常識を反映した法である民法でそうなっているということは、間接的にしか関係のないもの同士で争うことは、争いたい気持ちはともかく、現実にはナンセンスだということになる。よろしいかな?
ネット上の処女論争で重視されているのは、実際に性交の経験があるかどうかではないように思う。論点になっているのは処女性、対象女性あるいは女性一般の貞操観ではないか。(かんなぎ騒動の時のような一部の基地外を除く)
今まで顔やコミュ力を重視して異性と奔放に遊んできた女が、歳をとってから収入や性格等重視の安定した落ち着き先を探してる様を見て、気分が悪くなった人が大勢居るのだ。その要領の良さや節操の無さ「なんかばっちぃ気がする」を批判するために真逆の存在として持ち出しているのが“処女”じゃないかと。
今35歳の僕は学生の頃から、社会では女性が不当に差別されているので改善しなければ、といった空気を吸って生きてきたように思う。86年に男女雇用機会均等法が施工されており、女性の社会進出に関るニュースがよく流れていた。女性の地位について改善の必要はあっただろうけど、旧来の家庭観を否定する流れのなかで貞操観や慎み深さといった美意識までドブに捨てられていた気がしてならない。
“来るべき新しい社会では男女対等、女性らしさとか求めるのは差別”といった錦の御旗と、過去の差別を過大に喧伝したのが、こんな馬鹿げた状況を引き起こした要因だと思う。
まあ何にせよ、彼女達が望んだとおり、女性が自立できるようになった。社会構造上の問題は色々あるにせよ、少なくとも努力して結果を出した人間が一人で生活できないような差別はない。とすれば男女で生活する際には共働きが原則で、出産育児の一時期を除いて負担は平等であるべきだ。しかし現実には「男性に求める年収は最低○○○万円」とかいう年収の低い、歳をとったおばさんが“婚活”とかいう似非流行を紹介するテレビで頻繁に現れるわけだろう?それでなくても専業主婦希望とかいう女性が大勢居る。男女が対等な社会はどうなったのかと。
もう、こういう風潮が続いてきたからには、男女それぞれ同等の経済力をを持って結婚するか、もしくは男性側が経済力と男性らしさ、女性側が若さと女性らしさと貞操観を持って結婚するしかない。前者が新型と言われてきた家庭で後者が旧型の(少なくとも父母の代に理想とされた)家庭だ。
前者を標榜してやりたい放題やってきて、歳をとって経済力もない女性が節操も無く後者を選択しようとするのだから、そんな奴が山ほどいるのだから、馬鹿にもされるさ。貞操観を問う声が大きくなっても当たり前だろう。
こういうのからエスカレートして根底で暴力を肯定しているとか言われそうでめんどくさいけど、
一応言っておくと別に暴力を肯定しているわけじゃないからな。
あくまで後の人生に強く影響を与えるほどじゃないだろうって意味。
あなたの場合は、大声上げられただけで恐ろしくてトラウマになる!ってことなのかもしれないけど、
境界線がどこにあるかは知らないってのはそういうことで、あなたの場合それは境界線の向こうなんだろう。
求職中のプログラマ。職業訓練を受けようかと考えている。理由は特にスキルがないから。
汎用機以外を知らないというのはスキルがないに匹敵すると考えていいと思う。
何を受けるのがよいだろうか。いまいちぴんとこない。
給付期間を引き延ばしたいわけではない。
ただ将来的に自分でも勉強ができてスキルを高めていって、自分の価値をあげていきたい。
未経験でもかまわないところを探して転職してしまうのが一番なのだろうか。
やりたいことがあるわけではなく、やった分のお金がもらえて人間関係が普通なところを求めているだけなのだけど、
やはりやりたいことを探したほうがいいような気がする。
物作って売るとかあこがれる。ふぅ。なんか疲れた。しんでいいよ、おれ。
元増田です。
先程BLとBL業界というものについて認識の齟齬があったようですが、私はBLという言葉を『創作物そのもの』として扱っております。
その上であれば、私の意見は了解して頂けるでしょうか?
いやしかし、それとは別に、貴方の正当性について今回言っていることは間違っている。
正当性を認めさせることに正当性はない、と貴方は仰っていますが、
創作をしているということは、その創作物に対する批判を覚悟しなければならないということです。
その上でしかも、創作のテーマの渦中にある人から意見を貰っておいて、「貴方の意見に正当性はないので斥けます」
などと言う作家さんが、いらっしゃると思いますか?
そんな訳がありません。
正当性を認めるのが、むしろ当然です。
「ラッテ・ディ・スゥォチェラ」を下ろしてみました。
アブサンと並ぶ薬物系...。もとい、薬草系のキツいリキュール。
特徴としてボトルに書いてある飲み方が既に狂っている。
「 Su qualunque tipo di gelato da servire "alla fiamma"」
お好みのアイスクリームにかけて”火を付けろ”
↑因にマジ。
〜T.H.
甲高い声で怒鳴られた。
原因はキャベツを使っていないことが原因らしい。
会社でストレスがたまっているせいか、いつにもまして、口調がきつい。
マジでぶん殴りたくなる。
口でいい返せば100倍になって返ってくる。
女どもDVを非難するが、こういう状況で耐えたことがあるのか。
こういう状況で我慢できないならDVを非難するな!
言葉で罵られ圧迫される夫の身にもなってみろ!
分からんかな。BLはゲイから抽象化されたパターンやイメージに興味はあるが、ゲイそのものと関わりたい訳ではない。そうなるとその関係は間接的なものであるとしか言えない。
BLがゲイをワンクッション置いて回避しているのに、何でゲイがBLに直接喧嘩を売りに行くのが正当化されなければならんの?
「描く」ということは抽象化されたパターンやイメージに関することで、現実に関することではない。まさか芸術家とジャーナリストの区別もつかんか?
悪い言い訳というのは、問題を直視したくないので他人や環境や病気などのせいにしたり、
責任の追及から逃れるために耳当たりの良い失敗の原因をでっちあげたりすることで、
これは確かにあまり褒められたことではない。
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それは、問題の原因を明確にすることで、再発を防止するような言い訳である。
これは問題を反省し解決しようという態度なので、良い言い訳だといえる。
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これら二種の言い訳があるというのに、世間ではよく、言い訳をなんでもかんでも悪者扱いしているきらいがある。
言い訳を頭ごなしに叩くのではなしに、それが良い言い訳なのか悪い言い訳なのかを探る余裕が欲しいものだ。
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もちろん、誰かに良い言い訳をする時は、そうであることを明示したほうが良い。
例えば、「今回こういう原因で失敗したので、今後はこういう対策をします」という具合に。
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しかし、これは重要な場面では既に行われてることだし、くだけた場面ではいちいち丁寧に明示するのが面倒くさい。
元増田です。
失礼しました「よく考えもせずに」というのは失言でした。
また、確かに貴方の意見の通りです。
私にしろいつも死にたいなどと思春期に考えていたわけではないですしね。
というより、自殺について考えたことはあっただろうか……忘れてしまいました。
とにもかくにも、失礼しました、加えて、意見をありがとうございます。
君の言う「BL業界」とそいつの言う「BL業界」、および君の言う「BL」とそいつの言う「BL」の定義が一致しているとは限らない。
元増田です。
BL業界ということばは決してBLという言葉とは直結しません。
貴方の行ったことは『訂正』ではなく『歪曲』です。
因みに、まあ私は真っ当なゲイではないのですが(そのケが、あるかもしれないというレベルです、ああ悩ましい)。
まあその個人意見とBLという創作物を結び付けるな、という意見には多少無理があると思いますよ。
ひとまずそのことに関してはhttp://anond.hatelabo.jp/20091027230834で述べています。
必ずしも両者に関係がないということは、ないでしょう。
頭悪いゲイって悲惨だなと思った。
ゲイなら頭くらい良くないと…!
ああこれはオタクならせめて頭良くないと!っていう感覚にも似ているな。
オタクは原理的には自分の意思で止められるが、ゲイはやめられないな。
その点同情の余地がある。
元増田です。
なるほど、一理あると思います。そのことは覚えておきたいです。
しかし、先に述べている通り、私が示した例は無料で提供されているpixivというスペースで無料で閲覧できる創作物のことについてであり、
元増田です。
まあその業界について私は一切関知しておりません、ご了承ください。
ただ、多少の偏狭さは認めます。
まあ多少偏狭になっても、創作者さん方の想像性に寄与できればな、あるいはゲイの方々との相互理解を深めるきっかけになるのでは、と思い元記事を書きました。
しかし、ゲイの方々と創作者の方々との間で多少なりの相互理解が生じるのではないか、という考えについて貴方は否定されているようですね。
どうも理由としては、そもそも創作物そのものと、実際のゲイの方々を取り巻いている状況というのが直結しないから、ということを挙げられているようです。
しかし私にはそうは思えません。例えば、あるゲイの方がとあるBL創作物を偶然目にして、その内容に怒りをもったとします。
そしてその創作物の作者に文句を言ったとします。「ふざけるな! この内容はデタラメだ」
そのことに対し創作物の作者が
「まことに申し訳ありません、
仮に次同じテーマで作品を描く機会があるならば、できる限りの取材をすることを約束します。
それでも貴方のご判断に添えなかった場合は申し訳なく思うことでしょう」
などと謝罪を申し入れた場合に、最初文句を言ったゲイの方も、多少なりに溜飲を下げることになることが予想できます。
つまり、良い作品を作るために実情について取材をすることが無意味であるなどということは、必ずしもないのです。
私が言っているのは、この例で挙げたような距離感が、緩やかな速度であれ縮めばいいな、ということなのです。
ご理解して頂けたでしょうか。