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2024年3月23日@名古屋DIAMOND HALL 2024年3月24日 GRAPEVINE Almost There extra show @なんばHatch
自分の誕生日に好きなバンドのライブを観るのが昔からの夢だったのでGRAPEVINEでその夢が叶えられて嬉しかったし何より友達の強チケ運によりアニキ正面最前列でライブが観れる事に…!!本当に有難い…;_;
大阪は田中さんがトロミのある白シャツにピンクのパンツで正直似合ってなかった…笑 骨格ストレートなんかな?アニキはデニムっぽい生地のジャケットと半袖(名古屋では暑かったのかジャケット途中で脱いでた)亀ちゃんはハンチング復活してた。
以下、印象に残った曲の感想など。
·一曲目から雀の子でぶっ放してくる所がバインらしい。サビのぐわーって渦巻く様なアニキのギターが気持ち良い。お金は貯まって連れは増えたらしいです(歌詞変えてた)名古屋は味噌煮込みうどん、大阪はかすうどん食わしたろかでした。
·2曲目がNeo Burlesque!大阪帰りの新幹線で友達とそんなに古くない曲だと思うって話てたのに調べたら真昼のストレンジランドで普通に古かったの笑った。私達の「昔」の感覚が狂っている…笑 好きな曲なので嬉しい。
·マダカレー近年、割とやる気がする(アナスカ再現ライブは置いといたとしても)この曲はアニキのギターが割と原曲通りな印象。アニキのギターソロ最高。
·それは永遠、ライブだと期待値超えてこない感じなんだけど(好きな曲なので期待値が高いせいもあるけど)その理由が大阪で分かったのは大きな気付きかもしれない。理由は書かないけど…。亀ちゃんの作曲能力はすごいなぁとしみじみ感じる曲でもある。
·TOKAKU、アニキが指にスライドバーを嵌めたままギター弾いてたんだけどスライドバーを嵌めながらあのギターが弾けるの凄すぎる…!!美しささえある運指に見とれてしまった…。
·ねずみ浄土、前より演奏がぐんと良くなってる気がする。相変わらずアニキのギターが気持ち良い曲。
·停電の夜、田中さんがジェスチャーしながら歌ってるのめっちゃボーカリストって感じでカッコいい。ともすればダサい感じになりそうなのにめちゃくちゃ似合ってる。あと歌に感情がのってるのが良い。
·アマテラス、ギターソロの後の「さながらAI生成するフロウ〜」を歌いながらあのギターを弾く田中さん凄すぎる…。3ピースでも充分成立するギターの腕と音感を持ってるな…。わだしょ並なのでは…?
·Loss(Angels)、歌詞が好きだからライブでじっくり聴けて嬉しい。あとこの曲みたいなアニキのギターソロがすごく好きなので(けして派手ではないけれど一音一音を大切にする美しいソロ)内心爆発的に興奮していた(興奮する曲でもないので表面上は我慢してたけど…)
·実はもう熟れ、名古屋では爆踊りしてたけど大阪では最前列だったので微妙に恥ずかしくなって控えめに楽しんだ笑 思ったより皆静かなんだよなぁ…。この曲の口上は封印した(by名古屋)そうです。私は特に気に入ってなかったので別になくても良いかな…笑
·Glareは何度聴いても最高!!!毎回やって欲しい曲の一曲。サビで田中さんになりきってアウトロでトリップするの楽し過ぎる。この曲聴くと亀ちゃん天才…って毎回思う笑
·Scare、普段聴く選択肢にはあまり入らないけどライブで聴くと気持ち良い曲だなぁと聴く度に思う。
·超えるも個人的には割とやってる様に感じてるけど実際どうなんだろう?でも曲にHAPPYな空気感があってライブで聴くと自然とニコニコしてしまう。
·Reday〜、大阪ではイントロ部分をアニキと田中さんが向かい合ってギターを弾いてて、割とギリギリ迄向かい合ってたせいで田中さんが歌い出しギリギリになって横向きで歌ってたのちょっと面白いなって思いつつふとアニキを見たらアニキも超ニコニコしてて「可愛っ…!!」ってなってしまった笑 大阪は最前列だったのでアニキが前に出てきた時近すぎて直視出来ない!!って思って全然見れなかったけど(2回目はちょっと離れてたからガン見しました^-^)後で友達にその話したら友達が「アニキは絶対にファンを見てないから私は見た」って話してて確かに…!!ってなった笑 がっつり見なかった事を後悔…笑
·SEX、名古屋では演奏が「これ正解…?」って言う感じがしたけど大阪はすごく良かった。
·E.nは名古屋が阿、光について、Alrightで大阪が阿、
shame、Armaだった。私は光についてはもう本当にお腹一杯でアレなんだけど笑 亀ちゃんのシンバルですぐ光についてだと察してしまって隣に立ってた友達の方を見たら目が合って笑った。言葉は発せずとも通じ合うものがあった瞬間…笑 shame個人的に好きな曲なのでめちゃくちゃテンション上がって一人だけ盛り上がっていた…笑 アニキのギターが最高に気持ち良い〜!!Armaも大団円って感じですごく好きなのでアンコールは個人的に大阪に軍配上がってました。
·田中さん「重大発表があります!…もう発表されとるけど…御堂筋線が伸びました!笑」って話してる時から亀ちゃんがめちゃくちゃニヤニヤしてたの笑った。「うちには箕面の王子がいるので…!」って紹介から亀ちゃんの笑顔が爆発してて可愛い。亀ちゃんが「御堂筋線沿線おめでとうございます」とマイクで喋ってた。ちょっと前の亀ちゃんの誕生日ライブ以来?にライブで喋ってるの見た気がする。「箕面に帰るとお帰りなさいお坊ちゃま〜って迎えられますから」って田中さんが言ってて笑った。
·田中さんがMCしてる時に黙々と練習をするアニキ笑 TOKAKUの練習かな? と思う感じの運指だった。
·ギターチェンジの時にアニキが足元をいじっててローディーさんが隣で待ってるの気付いてなくて、少し経ってからはって気付いて「…すみません照笑」って言ってたのほっっんとーに可愛かった…!!歳下のローディーさんにちゃんと敬語使ってる所もポイント高い。
·名古屋には来る予定決まってないっぽかったけど大阪は決まってて良かった!!(28日現在)
これ毎回書いてる気がするけど、私は結局ずっとあの件が心の隅にあって田中さんを人としてはもう好きになれそうにないんだけど…やっぱりGRAPEVINEの音楽は本当に大好きなんだよなぁ。正直あれ以来前よりバンドに対する情熱的なのは少なくなってる自覚はある。けれどやっぱり最高なんですよ、GRAPEVINEの音楽は。なので8月も楽しみです。
1.雀の子
2.Neo Burlesque
4.EVLL EYE
5.マダカレークッテナイデショー
6.それは永遠
7.TOKAKU
11.Ophelia
13.Loss(angels)
14.Goodbey,Annie
15.実はもう熟れ
16.Glare
17.Scare
18.超える
E.N(名古屋)
21.阿
22.光について
23.Alright
E.N(大阪)
21.阿
22.shame
意外と現実的なところに文字数制限があって引っ掛かっちゃったので前後編にします
【前編はこちら:milet 5th anniversary live “GREEN LIGHTS” に寄せて(深読み注意)【前編】】
書きたいことは大体書けたのでアンコールはサクッと
もう行かなきゃって、ミレイ(みれい)に歌ってるみたいですよね。
どんな目の色してたか考えてるって、もう直接欲しがってないところが切ないです。
覚悟してても、迷いはあるという複雑で重層的な感情が伝わってきます。
まるで全ての時間軸のmiletさんの目が未来を見据えているような
そんなイメージを持ちました。最高です。
はい、ここまでタラタラたらたら勝手な解釈を展開してきましたが
おわりの時に流れる音源だけど、まさにここからの未来を見据えているかのような選曲ですよね。
こんな記事を書きたいように書いてるくせに何言ってんだって感じなんですが。
最終日の「もう良い加減さ、見たいように見るのは、辞めなきゃね」という言葉には痺れましたね。
MCで話す内容は事前にある程度決まっていると思いますが、この言葉は用意されたものでは無いという印象が強かったです。(もちろん邂逅の曲中の言葉もですが)
この4日間の公演で、大阪公演でのお客さんの反応が(良くも悪くも)この言葉につながってるはずなので、やっぱり4日間でなければいけなかった。
そう考えると、この公演をこの奇跡的な成功で終えられたというのは、たくさんのスタッフの想い、演者の想いが結実した結果だと思います。本当にありがとうございました。
結果から振り返ると、なにか神の力に導かれたかのようにも感じちゃいますね。(ニケ神ですかね)
この言葉は確かにその通りですが、それでも世界は自分が見たことでできていると思います。
なので、このことばに含まれている意味について、想像して発展させたいです。
私なりの、いま現在時点での解釈としては次のようなことが含意されているのだは無いかと思います。
ただ、これに関しても答えがないことなので、各自よく考えてみると面白いかもしれないですね。
「あくまでショーとして公演を楽しんだ」というスタンスと書きましたが
実際のところ大阪初日では、演出などから「もしかしたら引退してしまうかも」と、とまどいはありました。
ただ、アンコールのツアー発表とかグッズ紹介の感じで「あ、そういうことか」と思いました。
とはいえ、横浜初日で「言葉で伝えるのって難しいね」ってアンサーがあった時にホッと安心して、そのあとの時間は多幸感で満たされてました。
つまり何が言いたいかというと、4公演行けて良かったああああああああああああああああああ
どうしても過度な心配だったり批判の意見というのは提出したくなっちゃうし、受け止める側の衝撃も強いから目立っちゃう。
「ここが良かったよー、好きだよー」とか簡単な感想だとしても、良い感想で薄めてくのも大事だなって感じました。
最終日、邂逅で感情が溢れて詰まってしまった時、陽ちゃんとよっちのコミュニケーションで音を繋いでいたそうです。
無音と音があるんじゃ印象が違いすぎる!この瞬間を見られた人羨ましい!
推測ですが、2020年のGreen Lightsでも同じように「はっきりと思い出せない過去と同化する」ことをテーマにしようとしていたのではないでしょうか。
エニエニまででテーマてきには一区切りついてるので、当時はそこまでしか考えてなかったけど
コロナ禍を経て、戦争もあって、その先が見えるようになったよっていうことだったらかなりアツい。
初ホール・アリーナってさ、その公演自体が目標になっててもいいじゃん?
でもmiletさんは自分がパワーアップするためにこの公演に臨んだんだよね。
そういうところ、志が高くて好きです。
「みんな」じゃなくて「だれか」に対して歌っている楽曲のうち、
もう会えない人について歌った楽曲がマッチするんだと思いました。
とはいえ、過去に作った曲の歌詞がいまの心情とここまで重なるということは
本物のシンガーソングライターということだと思います。
その時のいろいろな思いを曲に込めて、それが普遍的なテーマになって
なんどでも歌い続けることができるって、すごいことですよね。
あらためて思ったのが、もっと楽曲に思い出を重ねていきたいなって思いました。
たとえば次にこのGREEN LIGHTSの中から何か演奏されたとき、このツアーで聴いた時の感情が一瞬のうちに蘇りますよね。
(日常で聴いて思い出すかもしれないですが)
ライブの定番曲が盛り上がるっていうのは、音とかノリはもちろんですが
意味や文脈が重なって盛り上がるってこともあるなぁって、思いました。
Wingsを聴いて、意図を考えて、思い浮かんだのがこの楽曲でした。
この曲の歌詞を見てみると、飛んでるのは「You」なんですよね。(だから応援ソングなんですね)
細かいところかもしれないけど、miletさん自身も飛翔しているイメージがあったのでとても驚きました。
期待したいのは、いつかまたライブでFly Highを演奏してもらうこと。
力強く地を踏みしめてるmiletさんが、さらに未来のmiletさんに向けてFly Highを歌っている姿を想像すると胸が熱くなります。
横浜初日のときにホールを使って映画のライブシーン前後の撮影がありました。
たぶんみんな「まんまやんけ」と思ったはず。(とても素敵でしたという意味です)
端の端の端でも参加できて、実質クランクインに立ち会えて嬉しかった。
いまmiletさんがブログを書いてるって見て、またちょっと安心した。
ここまで見てきたように、私はこの公演をコンセプトライブだと思って楽しみました。
今後miletさんがどんなふうにSNSで発信しても(急に明るくなったり、暗いままだったりしても)
Green Lightsのチケットや、当時の他の中止になったライブのチケットとかをローソンで返金しているところを思い出しました。
返金額を見て、こんなお金いいから、感動をくれよって思ってたかも。
このときの気持ちですら完全に思い出せなくて、さらに寂しくなり涙。
ここまで長々と「自分との同化」をテーマに据えてましたが、突然の別解釈。
コロナ禍で中止になったGreen Lightsとそこからの自粛期間。
このファンに直接届けられない期間のうちに、ファンが離れていってしまう不安を歌っているという解釈。
miletさんはコロナ禍を経ても、より一層人気のアーティストになりました。
でももしかしたら、コロナ禍でなければ今もまだ活躍していたアーティストだって大勢いたと思う。そして亡くなった人も、大勢いる。
そんな思いを全て背負って歌っているという解釈。
あ、以上です。ありがとうございました。
先日AnimeJapanというアニメの展示会に行きまして、忍たまのブースで山田先生と土井先生の紙製お面を配ってたんですね
「どちらか好きな方どうぞー」みたいな感じで
土井先生ほしいじゃないですか、自分イケメン好きの女子ですし、そもそも土井先生が好きだし
でも山田先生に悪いなっていうか、「んまあ、気分悪いわねえ!(伝子さん)」みたいに思わせるの嫌だなっていうか、配ってる人に「ああ~やっぱり土井先生選びますよね~女性ですもんね~土井先生が初恋の人だったりするんです?ははぁ、まあそうですよね~」みたいに思われるのが嫌で結局もらわずに立ち去った
思われないだろうけどもさ、なんか申し訳ないというかいたたまれないというか
とあるアニメのグッズ買うときも好きなキャラ(例に漏れず顔が良い)ばっかり選んでしまった
物販のスタッフさんも慣れてるから「イケメンばっか選びやがるな、わかりやすい女(プークス)」とか思わないだろうけど、なんだかとてもいたたまれない
自分の嗜好を見透かされるのが嫌というか、「へえ~そういうご趣味ですか(鼻で笑う)」って思われるのが嫌というか
気にしてないだろうけど嫌なんだ
とか言いつつ、私がスタッフの人だったら接客対応しながら心の中で「うわー!私もこのキャラ好きです!買ってくださってありがとうございます!」「あっ、このサブキャラお好きなんですか!?わかる~!お目が高い!」「おお!今回初めてグッズになったこのキャラのアクスタをお買い求めに!グッズ作った人も喜ぶと思います!もっと出てくれたらいいですね!」とかついニコニコしてしまうめんどくさいオタクになりそうなのでその点に関しては猛省します
こういう風に育てた親は子の製造責任を取りつつ、孫の権利を守るべきだと思う
問題は妹よな
やっぱり家族みんな仲良くしなさい以外の結論は出ないが、どうしてもなら姉ではなく親と話あうべきだと思う
『えっ、子ども(孫)が心配なのわかるけど、姉ちゃんばっかり優先するのどういう事?』ってな
成人するとか未成年とか社会人とか学生とかどうでもいいよ。そんなの姉も一緒なんだし
そのまま親に伝えたらいいんじゃないでしょうか
成人するまで大学出るまで面倒みればあがりってのが幻想なのよくわかるよね
ことについて私はちょっと怒っていた
正確には黄金頭さんは野生のギャル曽根や食べ盛りの運動部員他…までちゃんと想像していて、なんか救われたような気持ちになった
https://goldhead.hatenablog.com/entry/2024/03/16/171118
私自身は私の持つマナーや常識や、自信を持って他人のマナーをどうこう言えるほどに誇れる自身の品位なんかの問題でなく単に他人に「この人間は社会をやれてない」と思われたくないがための必死で卑屈な小心ゆえに、
かつ自分が空気を読めない部類の人間であることを知っている不安から状況を深読みしすぎるゆえにお店のきりもりや他の客の感情のことを勝手に考えてこの条件なら一人1.5人前程度はいいだろう…などと余計な思考を巡らせて実際そのように行動しているタイプなので
最初あの話題が盛り上がりかけたとき一人での来店なら1皿追加、二人なら3皿くらいまでいいかな…などと考えていたのだけど、正直自身でも「適切」で「常識的」な範囲は実際何皿なのか?ということはわからなかった
だからブコメが盛り上がるうちにそれはおのずと浮かびあがってくるものだろうと思って追っていた
こんなにも「常識的な範囲」「迷惑でない範囲」ということを知っているだろうブクマカがいるっぽいんだからそうならないはずはないと
しかし実際ブコメでこの件の価格でのやり方なら○○皿が適切だろうという具体的の例示がなくて、でもじゃあ実際何皿ならいいかな?という素朴な疑問もなく、ただただ件の人を愚かだマナーがない品位がないハックだバグ(ハックとバグこれらはさすがにびっくり、全然違わない?と思った)だ店への嫌がらせだというコメントばかりあったからだんだんモヤモヤしてきた これが分からない私という人間も、果たして非常識で迷惑な側として斯様に断じられるのだろうか?
中には「知人なら距離を置くかも、嫌かも」「夫がこういうことをしたら指摘するかも」というようなことを書いている人も何人もいたけど、
えっ、いや、そこでなんで「わたしの思う常識的な食事量の人が欲を出している」想定をするんだろう、そこは「旧知のギャル曽根」か、あるいは「もえのあずきくらい日常的に食べることをこっちもよく知っている夫」を想定しないと思考実験にならなくない?と思った
実際無名時代のギャル曽根がお好み焼き店?だかで出禁(この辺はまさにお店の裁量だろう)を食らった話をかつて本人がしていたと思うけれど(その後和解はされたようだ)、
無名時代の大食い人間が近くにいたらこの人たちはそうやって自分の常識で黙ったまま相手を断じて勝手に軽蔑したりするんだろうな……って気持ちになってなんだか暗くなった
(まあ現在のギャル曽根さんはきっと自分自身で学んできて自分に課したルールに従ってお店ではバランスよく加減しながら大食するだろうタイプの人だとは思いますが)
私は人生において幼稚園から一緒の無二の友人がhttps://anond.hatelabo.jp/20240320101739この増田のようなタイプ(友人の両親もそう)で、
病院にも行って体に問題はないとわかったもののとにかく日常生活において人より大食してエネルギーをとらないと動けなくなるタイプの燃費の悪い高級車みたいな人間もいることを知っているから、悪意やハックなどという意識がなくてもそのくらい食べる人間はいるし、そういう人間について自分の思う範囲の「常識的な食欲・食すべき量」は当てはまるものではないということを知っていたから自然とそういう想像をした
私が今回のことですごく嫌だったのは、「大抵の人間は似たような食事量のはずで、だから自分の知っているまあ常識的な範囲の皿の数以上を食べ放題で頼む人間の行動は、必ず悪意か欲得づくである」というごく「自然」な発想に基づいて、たくさんの人が件の人や食べ放題で同メニューを大食する人をマナーがない、迷惑だと非難している点だった
(50皿同種のものを頼むのさすがに私もだいぶどうやろ…って思うけど、3皿が基準の人ならそれ以上だし5皿が基準の人ならそれ以上になればもうそれでその人は「非常識」「迷惑」な人の範囲に入っちゃうんだよね?
ルール内にはそれだけ幅があって、でも誰も自分のそれを語らない、そんな調子であるならばこの話は「ルールになければ何をしてもいいのか」がテーマでもなければそれで紛糾する以前の話なのではって私は感じたんだけど……)
まあ発端の人についてだけ言うのなら書き方がイキリっぽいとこもあったり読み手に勘違いさせたりわざとしたいのかなって感じもあったりでそういう気持ちも理解できるけど、
「食べ放題で悪意や欲得づくでなく大食する人」を自分のとなりに置く想定もしないほど自分に想像力がないのに、その小さな想像力で実際にはないかもしれない悪意を見出してはその想像力の及ぶ範囲での「常識」を正しいととらえて他人の品位を論評することについてなんの衒いもない人がたくさんいることについては本当に悲しくなった
「知っている飲食店でご飯やキャベツのおかわりがなくなった、回数が少なくなった。これもこういうバカがいたからだろうな~」といったブコメもいくつか見たけど、確かに中にはそういうお店もあるかもしれないが、
ほとんどの場合は普通に原価高騰の状況で削れるところから削っているだけだと思う……なぜなら家族が飲食店で働いていてそういう状況の複数の店の話題をたくさん聞いたから……
実際には状況や原因がわからない現実の事象について、似た場所で何かが起こったらそこから答えを引っ張ってきて当てはめて、自分の思いたいような嫌いな悪人を想像して納得するの、あんまりよくないと感じる
こういうのも上に書いたのと同じで、自分はそうではない(ここ大事)から堂々と他人マナー違反を咎めたり人の間違いを指摘するのって結局気持ちいいからそういう欲求に負けてしまうことって情けないことに結構あるけど、
実際それってすっごい意地悪なことじゃないかと思う
なにかあったときに外側の人や状況について「悪意」や「迷惑」の方からまず想像するの、なんかしんどい
(まあ私もこの増田でだいぶやっていると言えるので情けないが、違和感や怒りや非難の表明はせめて世間や常識に基づいてのものではないごく個人的なものとしたいと思う感情からこの増田は書く)
黄金頭さんが怒りたいのもそういうところだったんじゃないのかなって勝手に私は受け取って思ってしまったので(多分違う上に話題に出してごめんなさい)、「回避能力高ければそもそも触らない」っていうのも違うんじゃないかなって
(このエントリのブクマで見たコメについてhttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/smart-flash.jp/sociopolitics/278501/1/1/)
自分のエネルギーを多量に消費しようが返ってくるものが苛烈であることが確実であろうがそれでも怒らなきゃならないこと表明しておかなければならないことが時には個たる人間には生じるもので、このことは本当にそうだったんだと思う
その後車いすと映画館の話題でも侃々諤々があり、似た無理解と構造があると感じた
自分が多数の側にいると思われるとき、その自分の想像できる範囲の常識や普通って実際のところかなり狭いということはいつもよく自分に言い聞かせておかないといつでもどこでもすぐさま傲慢な人間になってしまうということについてよく考える
できてないけどやっていくしかないんだよな…
”べつに上のツイート全部が嘘の書き込みであったとしても、思考実験の材料にはなる。そして、おれはこう思った次第である。あんたはどうだろうか。”
私も空気読みができる人間でも社会的に強い側にいる人間でもないので
今回の件では今回のようなこととは他のあらゆるシーンにおいてもこのような状況は生まれ、誤解されたり断じられたりが数多発生していることへの想像に自分の意志とは関係なく脳のリソースを使い、
なんだか自分や他の立場の人が置かれている状況や場を想像しては悲しくなったり不安になったりして上のようなことをいろいろと私は考えました
ブクマを戦争や闘争やプライドの場と思っているのでない限り、ただ素直にこれに応えればいいだけなのだと感じた
(私は3皿かなあとか俺は5皿くらいかな?…とかも普通に答えてよくない?いろんな人の「だいたい」知りたかったよ…黄金頭さんのエントリのブクマは200ブクマ超えたあたりでしんどくて読むのやめちゃったから書いてる人いるかもだけど)
0か100かのブコメがたくさんで落ちこんだよ……
銀髪イケメンチュパカブラに恋する運動万能女子高生のボーイミーツガールの0話
「お隠れした人間を詮索するのはやめなさい」
人がお隠れすると、人ならざるものになるという
でも、久しぶりに会ったお姉ちゃんが、なんか変…?
昔のボードゲーム人気ボードゲーム「大将軍するめ」の話題をふる少女
誘ったのは大浴場、そこで少女は寝湯と断頭台を合わせたような場所にうつ伏せになる
という夢を見た
なかなか設定が奥深そうで面白かったが続きは見れなそう
他の要素をできるだけ書くと
チュパカブラっつーか蚊にお隠れしてた
「そのキスの仕方やめてほしい」(チュパカブラの長い舌で舌だけを吸うキス)
あと蚊がいっぱいいる湿地帯で超人テニスワールドカップとかもあったけど、その辺の話の筋は分からなかったので断念
お姉さんは元々嫌なやつ、ほんでお隠れする前の銀髪イケメンチュパカブラに憧れてた
でも久々にあったら雰囲気がだいぶ違ってたんだよな
よく覚えてないけど女子高生はあるラッパーにそのことを詳しく聞くってところで話は切れた
供養
法律を改正して同性婚を認めれば済むので、憲法を改正する必要はない。
憲法24条1項が同性婚まで保障しているかは議論の余地があるけど(保障している、と判断した札幌高裁の判決は相当踏み込んでる)、国会が同性婚を法制化した場合にそれを最高裁が違憲と判断することはまず無いんだから、さっさと法律で同性婚を認めて良いんだよ。
法律を改正すれば済む話についてわざわざ憲法を改正するなんて戦後一度も超えられていないハードル(万年与党の自民党が長年党是として掲げているのにできていないこと)を超えなきゃいけないとか主張する増田はおかしいよ。
「憲法は同性婚を認めることを憲法上要請している(国に義務付けている)わけではないが、国会が立法で同性婚を法制化することは禁じていない」という穏当な解釈すら受け入れられない事情が増田にあるの?
それは嘘。
札幌高裁は「両性」は男女という二つの性に限らない、なんて判示してない。増田のリンクした判決要旨にもそんなことは書かれてないし、判決の全文にも書いてない。憲法24条1項が同性間の婚姻についても、異性間の場合と同じ程度に保障しているとは書いてあるが、同時に民法の規定について「憲法24条を受け、両性つまり異性間の婚姻を定めた」と書いたり、24条について「その文言上、異性間の婚姻を定めている」と書いているのでむしろ「両性」は男女二つの性のことだとはっきり書いてある。
増田は同性婚が認められるためには男女以外の組み合わせが「両性」に含まれないといけないと考えているし、そのことから札幌高裁は両性が男女に限られないと判断したに違いないと考えちゃったんだろうけど、それは早とちり。
そんな理屈付けしなくて良いよ。最近同性婚について判示してきた下級審は同性婚が認められていないことが合憲だと判断した判決も含めて、同性婚を法律で定めることができることを前提として判断している。
両性の合意のみに基いて成立”は“親など本人以外の合意が要らない”という意味で両性が“男と女”を強制しているわけじゃない、というのが憲法学者の見解なので
というのも同じく的外れ。憲法24条1項は男女の結婚を保護しているが同性の結婚をわざわざ禁じてまではいない("男と女を強制していない")ので立法で同性婚を認めることはできる、と解釈するのに「両性」に同性ペアを含める必要はない。赤坂正浩は同性婚の法制化は認められないという考えで喋ったようではあるけど、増田が反応している意見とは噛み合ってないよ。
あまりにも多すぎて取り上げられないので。
自己の意見ではなく憲法学の通説的な見解はこうだって紹介してるものに対して「わたしの考えた最高の見解」が数多く。別にいいけど。
それに対して岸田総理は「憲法は同性婚を想定していない」と発言し、はてブやX他のSNSなどで、主にリベラル左派からの批判が集まっている。
婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
この「両性」というのは「男女」という二つの性を指すというのが政府見解、それに限らないというのが今回の札幌高裁の判断だ。
少なくとも同性婚に関して言いますと、これは議論がありますが、日本国憲法の場合には二十四条で法律上の婚姻が尊重されるべきであるという規定があって、そこには婚姻は両性の合意に基づくということになっていますので、通常の解釈は、法律上の結婚は男性と女性と、両性というのはそういう意味だと。
もちろん、ラジカルに、両性というのは二つの性ということなので、男性と男性、女性と女性というのも解釈上あり得るというごくごく少数の説がありますが、一般には日本国憲法の現行規定で同性の法律上の婚姻を認める制度は設けられないことになっているんだと思う
憲法24条は(略)同性のあいだの結合をも『家族』とみとめるほどには革命的ではない
婚姻の自由については憲法24条が保障しているが、近年議論され始めた同性間の結婚まではカバーしていないというのが通説である
近年(2017年)においても憲法学会の通説では同性婚は憲法の保障するところではない、とするのが憲法学会の通説であり、政府見解は正しいと思われる。
どちらかというと札幌高裁の方が憲法解釈を変えようとしている、と理解した方が良いだろう。
ちなみに高橋先生は芦部門下として憲法学のスタンダードだった「芦部憲法」の補訂を行っていた人物で、戦後憲法学の本流と言っていい。
また、樋口先生はよりリベラルな立場で、立憲デモクラシーの会代表として安倍政権の事実上の解釈改憲(厳密に言うと政府は解釈改憲はしていないという立場。ややこしいが。)を批判しており、同会はその後市民連合に発展的解消をしている。
憲法24条1項は文言上両性間の婚姻を定めているが、個人の尊重がより明確に認識されるようになったとの背景のもとで憲法24条を解釈することが相当である。(略)
社会情勢の変化により憲法解釈を変更すべきとのこと。まぁ分からなくもないが裁判所がそれを言うのはどうなんだろう。
例えば有名な尊属殺重罰規定の違憲判断について、最高裁は「社会情勢の変化」などは理由にせず、「目的に対する法定刑が重すぎる」ことを理由にしている。(社会情勢の変化に対応するのは立法府との判断だろうか)
同性婚を可能とする国は多く、国連自由権規約人権委員会は、同性婚を享受できるよう指摘している。国民に対する調査でも同性婚を容認する割合はほぼ半数を超えている。
地方公共団体により実施されているパートナーシップ認定制度は自治体による制度という制約があり、本件規定が異性間の婚姻以外について一切手当をしていないことに鑑みると、 同制度によって同性婚ができないことによる不利益が解消されているということはできない。
法の支配とはかなり異なる考え方で個人的には危険なことを言ってるように思えるが、最高裁はどう判断するのであろうか。
(各国の状況で憲法解釈が変えられるなら9条周りは解釈改憲し放題だし、世論の動向で憲法解釈が変えられるなら刑事司法関係の人権保護上かなり危険だろう)
国会には立法の裁量があるが、同性婚を許さない本件規定について、国会の議論や司法手続において憲法違反であることが明白になっていたとはいえない。同性婚立法の在り方には多種多様な方法が考えられ、設けるべき制度内容が一義的に明確であるとはいい難い。同性婚に対する法的保護に否定的な意見や価値観を有する国民も存在し、議論の過程を経る必要があることも否めない。そうすると、国会が正当な理由なく長期にわたって本件規定の改廃等の立法措置を怠っていたと評価することはできない。
この場合、国側は裁判には勝っているという理屈で最高裁に上訴できない。
今回の場合は賠償が認められなかった点で原告側が上訴してくれたから最高裁の判断が仰げるものの、原告側が「違憲」判断が出たことに満足して上訴しなかったら議論が宙ぶらりん(高裁での違憲という裁判結果は残るが政府はそれに拘束されない)になってしまうところだった。このシステムも妙に思える。
そして、最高裁の判断のないこの時点で政府が憲法解釈を変更するというのはまさに行政府による「解釈改憲」となる。(いわゆる戦争法案のときは、政府は「解釈改憲をしていない」と位置づけていたにも関わらず、樋口先生たちだけでなく立憲民主党や共産党もそれを強く批判していたはずだ。それに比べても今回はド直球の解釈改憲になる。)
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_65f17930e4b01707c6d2759b
◯想定していない以上制限もしていないわけだから、憲法解釈でごちゃごちゃいうよりも通常の立法措置でOKなんちゃう
◯想定していないがだからダメというわけではないでしょ。だいたい両性っていうのは本人同士が決めるものって意味だし。
(他にも複数あったけど全部取り上げるのはめんどくさい)
条文読み直してみてね。「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立」するんだよ。
両性の合意がない以上、それに準ずる制度は作れたとしても憲法上の婚姻には該当しないって理屈付けしなきゃ無理。
「まっさらな状態だから自由に可能なものだと立法できるじゃん、みたいな間違った意味に取る人が市井には出てきちゃうでしょ」
ごめん、本当に出てきちゃったね。こんなに読解力に欠ける人が多いとは思わなかったんだ
◯コメントにある両性以外の同意を法制化したら憲法違反になるよ。両性の同意のみなんだから。だから同性婚推進の方々は両性の意味をこねくり回している。
◯ここでの「同性婚を想定していない」は、結婚は異性の間でしか認識しない、同性婚というものはその存在を国は認知しないという意味であることの説明がいるんじゃないの。
そうでないと、同性婚については想定されてない、まっさらな状態だから自由に可能なものだと立法できるじゃん、みたいな間違った意味に取る人が市井には出てきちゃうでしょ。
“両性の合意のみに基いて成立”は“親など本人以外の合意が要らない”という意味で両性が“男と女”を強制しているわけじゃない、というのが憲法学者の見解なのでは。/
両性というのは二つの性ということなので、男性と男性、女性と女性というのも解釈上あり得るというごくごく少数の説
ですね、独自解釈ありがとうございます。