はてなキーワード: 資質とは
トランプ凍結の件で、「じゃあネットを使って情報発信をやめればいい」と言われるが、お前らそれできるの?
googleもFacebookもAppleもAmazonも、そしてtwitterもすべてが「NO」といってるわけで、もしも仮にこれが一つの政党からやられたら、インターネットすべてを使っての広報が不可能になる。
いつのまにか「ネット企業が完全に独占されてしまった」ことが問題なんだよ。
twitterを凍結された人間が「俺はtwitterをやめる」と言っても、必ず舞い戻ってくるのは、もうそれが生活インフラの一部に近いからだ。
しかし、困ったことに、「公共のネット環境という財産を使って情報配信している」のに「サービスを提供する側への放送法のような強いきちんとした義務を負わせるシステムがない」ということだ。
だから、Appleなんか、アプリの提供を、ばっさり遮断してしまう。
Amazonもばっさりかなり強権的にやった。
トランプ凍結が問題と言うよりは、巨大企業にプラットフォームを独占されている問題である。少なくとも、これら企業から遮断されて、独自のプラットフォームを立ち上げれば解決するということは現実的ではない。
トランプがやられたというのは、不幸中の幸いだったが、「ならばなぜもっと前にやらなかったのか」「他の暴動煽動政治家はなぜ凍結されないのか」「世界各国のテロ組織やテロリストアカウントは元気に活動している」という面から、恣意的な規制であることは間違いない。
俺を誹謗中傷し、個人情報を載せてるアカウントの情報開示は、裁判しないと応じないし、ストーカーアカウントは凍結しないという会社のすることとは思えない。
そういう基準があるというのなら、俺のストーカーのIPをさっさと教えろ。ついでに永久凍結して新垢もすべて潰せ。
そうです。私怨です。
コノヤロー。
追記 トランプなど別にかばってなどいない。問題は「巨大企業がプラットフォームが独占、寡占状態にしており、しかもかなり恣意的に運用されている」ということだ。「SNSなどやらなくても、情報発信はどこでもできる」とか言う人、現代人としての資質がないのではないか? 情報発信としてSNSが使えないということは、はっきり言って、浦島太郎並みのハンデを背負うことになる。これから先、これらの運用が「トランプ以外の罪のない一般市民や、健全なる普通の企業に対して行われない」という保障が一切ないのである。GAFAはじめ、巨大企業に対して課税をかけようとするときに、「そう主張するとSNSでBAN」される事もありえる。「私企業なのだから特定の話題を排除するのは権利」と言われた場合、そういう話を政党として回避せざるを得なくなるし、個人としてもアカウントBANは致命傷になるから行えない。そういう状況を想定した話をしている。
マンション購入時の財テクの記事が目に入ったので、もうちょっと郊外に住む前提で、某ハウスメーカーで家を建てたときに何を考えて、どんな手順を踏んだかをここにメモしておきたい。ただし門外漢なので、間違っていることもあるかもしれない。でもま、親戚にいる現職の大工に大筋いい見立てと言ってもらえたのでそんなに間違ってもいないと考えている。
じっくり検討・契約する前提で、さくさく進めたい人には向いていないやり方かもしれない。子供が小学校にあがる春までには入居したいと考えていたが、その2年以上前から動いていた。現在は居住してもうすぐX年目。
近所のハウスメーカーに行ったり、不動産屋的なところをのぞいたりしてみたが、結果的に総合住宅展示場をぶらぶらしてあっちを見て、とするのがよかった。まだふんわりしている段階なので、ハウスメーカーとしての特徴とか比較するポイントとか教えて欲しい、という話をしているのに、不動産屋を紹介しだして速攻で決めさせようとする営業がいるところは速攻でお断りした。妙な営業に出会ってしまったことで、こちらの要望にそうように、丁寧に接客してくれる担当者がつく、を前提に、住宅展示場内のハウスメーカーを候補にしようと妻と相談。だいたい初回はモデルハウスの設備案内して、希望する家の大きさ、間取りなんかから、イメージが膨らむような話をしてくれるケースが多いと感じた。そのあたりの対応を見ながら、以下整理した方針
−− フロントで細々した要望を聞いてくれるのは営業担当で、コミュニケーションが多層化するように感じた。機能性より、オシャレな家を目指したい人はいいのかもしれないが、住宅設計にも流行廃りがあり、そのサイクルより居住期間の方が長くなりそうなので、機能性を重視するために決めた方針。
− 要望に対して、適切な指摘があるかどうか
−− たとえば吹き抜けの場合、冷暖房の効率は落ちる。開放感と引き換えに犠牲も増えるわけで、そういうデメリットを提示できる担当者かどうか。これは担当者の知見と資質の両方が必要だと思うので、この視点で見ていったとき、若手担当がついたハウスメーカーは選択肢から消えていった。営業と話した翌週に「すいません社内レビューでこういった問題の可能性が……」と提示してきた会社には感心した。
− スケールメリットを一定出せる程度の建築実績があるのかどうか
−− 話を聞いていくと、だいたいどのハウスメーカーもプレカットで、工場で加工した木材をくみ上げる形式だった。そうすると建具も必然規格品を入れることになる(そしてLIXILのすごさを知った、なんでも作ってるのねあそこ)。その場合、一定の実績がある方が品質・価格の面で安定するだろうと考え、年間建築件数の多寡を参考にいれることにした。
−− 最後に現場で仕事するのは大工になるので該当地域に腕のいい職人がいるのか、腕のいい職人がいるのかを確認したかった。ただこれは完全に運もあると思う。担当者に前述の質問をぶつけて、職人の腕について曖昧な回答しかできないところを除外した。
− 安定性
−− 逃げられるとかはあまり無いかと思いながらも念のため、と思い最終候補に残ったところは上司に相談してFORCASを使わせてもらって調査した。上場してるところは一応直近一棟あたりの営業利益などもざっくり確認。決算タイミングに契約すればおまけあるかもということも考えて決算月もメモ。
結果として自分でも納得感のある家ができたので、とてもよかった。問題に感じるのはコンセントもうちょっと増やしてもよかったかな、と思うぐらい。これはまぁそのうちやろうと思う。
上記をそれなりに満たそうとすると必然的に大手の1,2社になると思う。あとは好き嫌いで基準変えればいいのと、担当者ガチャはそこそこあるな、と思う。
僕はあの頃、増田のいう「動物」だった。増田のいうところの”流血沙汰”をおこす”いじめられてた男子”に近い存在だ。
集団に馴染めなかったせいで誰からも嘲笑され嬲られ続ける下等生物だった。
人を人とも思わない冷たい眼差し。人の悲鳴を聞こうが眉を顰めるばかりのしみたれた振る舞い。
頭の中には矜持の欠片すらなく、世俗的な自己顕示欲と、「自分はまともなのだ」「こいつらよりまし」と自認することで安心感を得ることしか頭にない。
彼らは体格もよく運動能力で劣っているわけでもなく、それなりにいい成績を維持するだけの知能はあり、友だちや頼れる大人との繋がりを持っていた。
僕から見れば、彼らが獰猛なヤンキー連中に圧倒的に劣っているとは思えなかった。
その気になって互いに連携をはかれば非ヤンキー集団で自警していくことすらできたのではないかと思う。
でも残念ながら現実では僕やレイプされてこぶつきになってしまうような子は愚鈍な存在として蔑まれただけだ。あのときお前も嘲って笑いものにしてたろうが。
僕の周りには粗暴で高圧的な「ヤンキー」と、相手の人となりで態度を使い分けて人を小馬鹿にして自尊心を満たそうとするしょぼくれた「優等生」しか存在していなかった。
個人個人の心象なんて知ったこっちゃないが、彼らはヤンキー集団と表向きはフラットで友好的な関係を築いていた。
時に彼らはヤンキーたちに混ざって酷い言葉や仕打ちをこちらへ差し向けた。
「公立学校の優等生」なんて小さい街の中流家庭育ちで赤点を取らずに歩んでこれただけで、世間一般からみて別段とりだてて秀でたものもなければ、その性根も身内が良ければ社会(集団)がどうなってっていいという卑しいものだ。
彼らの卒業後は持ち前の小手先の器用さで近隣府県の駅弁大や日東駒専関関同立クラスの大学に進学し阿保みたいなリクスーでリクルートの指南どおり就活とやらをこなして明日無くなっても世間が困るわけでもない会社に身を置いていまに至るって具合だろうよ。
27ぐらいで大学の同級生と結婚して埼玉県だか高槻市だかにお家を買って、そういう人生を辿ってない奴らはみんな馬鹿ですかそうですか。
それで今になって当時を振り返って、あたかも自分たちが唯一正気でいた人間で一番の被害者であるかのように語りだす。
貴方たちはヤンキーが怖かったんじゃないでしょ?ヤンキーや俺らと目線の高さを合わせたくなかっただけだ。
周囲を人の成り損ないと見なして見下してそれが貴方の面子の全てだったから、ヤンキーに向かい合ったり対話するなんて発想がなかっただけだ。
今の時代だと傍観者や観衆もいじめの加害者の一部として見なされるってわかってますか?
当然ですよね、職場で暴力事件があってそれを見て見ぬふりしてたら隠蔽ですよね?じゃあ学校でも同じ理屈が適用されて然るべきでしょ。
立場が下の人間が庇護者ということを盾にして上の人間に行う場合でもパワハラって認められるんですよ。
増田はある教師の弱みにつけこんでハラスメントを行った事件に加担したんだ。それらのこと自体から言い逃れできていいはずはない。
僕だって追い詰められて耐えらなくなって人に迷惑をかけたり、同族嫌悪で自分より酷い扱いを受けている人間を深く傷つけたことがある。
それは自分の資質に起因したものではなくてああいった環境でなければこんなことは起こらなかったし、決して僕だけのせいで起こったことでもないと内心では思ってる。
しかし人を裏切ったり傷つけた事実は確かにある以上贖罪として一生それはわすれてならないしその恥を背負いつづけなければならない。
そこから逃げることはどんだけ御託を並べようが卑怯な振る舞いとして批難されるべきだ。罪から逃げることが容認されれば弱者の居場所なんてなくなってしまう。
増田の様なこんな言い分が同情されまかり通ってしまうことが僕には悔しい。
大して苦役を味わったこともなければ他者への想像力も慈愛もない連中の自己中心的な物言いなんて優先され、弱者が封殺されるようなそんな光景どこでだって僕は見たくないんだ。
僕からすれば群れを成して強者にすり寄り弱者を足蹴にし、命じられた行動を遂行するか与えられた娯楽を共通言語として仲間の選別をすることしか考えていない増田たちのほうが貼るかに動物のようだったよ。
人間の感情とよべるほどに複雑な心の機敏があるのならば、あんなサル山のような統制の取り方なんてできたもんじゃない。
人間なんていつも矛盾を孕んでいるし単純に割り切って行動するなんて無理があるんだ。他者を愛でる気持ちがあるならお前らみたいに損得勘定で人を測ったりしないんだ。
お前ら淡泊すぎて気持ち悪いんだよ。本当に何も考えてないんじゃないかって不安になるわ。
お前らに比べたらヤンキーのほうがまだ人間らしかった。お前らが動物ならヤンキーは原始人かでっかい幼児って感じ。
多様性を尊重するのが大事とか言いながらそんな多様性の無いところに子供を行かせることが理解できない、という話なのでしょうか。
一応その前提で私の考えを書いていこうと思います。
まず多様性を尊重できる人に育つかどうかと、多様性のある環境にいるかどうかはあまり関係が無いと思います。
例えばマルチカルチュラリズムを標榜するオーストラリアがちっとも異文化を尊重できない白人を量産しているのは白豪主義という思想が根強いことだし、アメリカでも未だに黒人差別が根強いのは、かつての奴隷開放運動が尾を引いているからだと聞いたことがあります。日本の在日問題なんかもそうですよね。
多様性が尊重できるかどうかは、究極的には個人の資質や思想信条もあるため、本質的には簡単な問題ではないし、全く無意識のうちに多様性の尊重を欠いた言動や行動をしてしまうこともあるでしょう。
以前Googleのプログラマが「女性にプログラミングという仕事は向いていない」ということを言って解雇されたことがありました。知的水準が高いことが期待されるGoogleのプログラマですら、こういうことをしてしまうわけです。なので、水に放り込めばそれなりに泳げるだろうと言わんばかりに多様性に飛んだ環境に放り込んでみても、うまく行くかはその子の資質次第ということになり、どちらかというとハイリスクローリターンな掛けになる可能性が高いでしょう。
もしも本当に多様性を尊重する子供になって欲しいなら「 多様性を尊重するとはどういうことか」を学ばなくてはなりません。そしてこれは歴史の中で人類が試行錯誤してきたことなので、学校で学べることでしょう。
こういった前提になるものなしに多様性を尊重しろと言っても、よくわからないのではないでしょうか?
セクシャルマイノリティの人権問題に敏感でありながら、教室内で行われるいじめや差別に無頓着な人を見たことがあると思います。
アメリカの黒人問題は悲劇しか産まないと拳を握りながら一方で在日排除などと大騒ぎする人もいるでしょう。
自分たちは差別されている被害者だと言いながら、同じ口で他者を差別している人もいるでしょう。
こういう人々もまた多様性を尊重することは大事だ、と思っているでしょうが、一方で「この問題とあの問題は別」という考えも持っているからこのような矛盾したことをやってしまう。
多様性を尊重する、という上で特に大事なのは一貫性です。そしてこの世界では今も一貫性を追求しています。
ですが、一貫した多様性の尊重をする事は人類が普遍的に実践できるほど出来上がっていません。ですが、今できる範囲で最大限に多様性は尊重できるようになるべきです。
多様性を尊重できるようになるには、まず、世界の現状を理解できる程度の知性が必要です。次に、短絡的に判断しない慎重さも必要です。最後に変化していくことに躊躇しない精神性が必要です。これらの3つは、上質な勉強を基盤にした経験の中で身についていくものです。
これまでの人々がやってきた試行錯誤を勉強によって理解した上で、自分は次に何をするかを考えて実践する、人々と情報交換しながら自分を微調整していき、より良い多様性の尊重を目指していく、ということですね。
最初に書いておくが、これはフィクションだ。たとえ真実に近い部分があっても特定を避けるために変えてある。
こんなご時世に忘年会かよと思われるかもしれない。私もそう思う。人口密度の低い地域ならまだしも、東京のど真ん中で、しかも会社は現代的なウェブサービスのベンチャーだ。このタイミングで忘年会を開くなどという選択肢から最も遠いはずの環境だ。でもしょうがなかった。課長が「忘年会やろうと思ってるんだけど、幹事やってくれない?」と私に聞いてきたから。いくら年が近いとはいえ、「いや、いま忘年会はヤバいっしょw」などと返すことはできなかった。
参加者は部内の社員で合計二十人ほど。ベンチャーだけあって年代は多くが三十代前半以下。部長でも四十代前半といったところだ。たとえ感染しても重症になったり、それ以上になることはまずありえない、ということなのだろう。会社の方針としても特にこうした大人数の会食を制限するつもりはないようで、社内独自の警戒レベルは緊急事態宣言の解除以降はずっと最低レベル。十一月の急増を受けてもこれは揺らがなかった。勤務は仕事柄もあって基本テレワークが継続されており、希望すれば出社も可能だ。心配性の私はもちろんそんな狂気じみた希望など出さず、出社するのはどうしても断れないときだけなので月に一二度といったところ。同僚との食事や飲み会も辞退し続けてきた。こうしたことができる環境なのは非常に感謝している。
幹事を任された私は、課長に伝えられた条件に合うスケジュールや店をピックアップし、いつものように調整さんで出欠を取って、一番人が集まる日にちを選んだ。課長の条件にはなかったものの、店の絶対条件としては「換気の良いところ」を選んだ。私にできるせいいっぱいの対策はそれくらいしかない。それが忘年会の前週だ。緊急事態宣言が出ればさすがに社内的にも忘年会は禁止になるだろうと期待し、あえて直前にした。結果は周知の通りだ。
こんなときに忘年会かよ……とは思いつつも、私はいつもと変わらず幹事の仕事を進めた。なんせ、これは業務なのだ。課長から忘年会の開催を指示され、それに従っているだけだ。もしそこで感染が広がっても私のせいじゃない。後遺症が出ても私は関係ない。妊娠中の後輩がいた。まもなく結婚式だという同僚もいた。持病のある先輩もいた。老いた親と同居している同僚もいた。彼らはどういうわけか、出欠を取るときすべての日を欠席にしなかった。いやたしかに私が「参加してねー」って書いて出欠取ったよ! でも正直言って、おまえら本当にそれでいいのかと思った。その人たちが感染して、どんな結果になっても、私の責任ではない。もし彼らが私に損害賠償を請求しても、私は裁判の席で「課長に命令されました」と、感情のないロボットのように答えるだけだろう。これは私の忘年会ではない。だから私の責任ではないのだ。そう思うと、いや実際間違いなくそうなのだが、気が楽になった。(とはいえ、大学の心理学の講義で習った電気ショックの実験をまったく思い出さなかったといえば嘘になる。)
予定の時刻になり、荷物をまとめた社員がエレベーターホールに集まる。こんな時代でも金曜の夜はどこか浮足立つ。だがそこに並ぶ人々がどこか不安げな表情をしているのは私の気のせいだったろうか。
会社のビルを出て、二十人もの大人数で狭い道を駅前へと並んで歩く。通り過ぎる人々には私たちがどう見えていただろう。「こんなときに能天気な奴ら」「ニュースも見ない愚かな若者たち」「根拠のない楽観主義にまみれ、判断力の欠如したバカどもの行列」。それは私自身が一番、私たちに叫んでやりたい言葉だった。
「増田ちゃ〜ん、今日はありがとね」そんなことを一人で考えながら歩いているとき、課長が話しかけてきた。「今年は忘年会やめる会社が多いんだってさ。でもやっぱりこれがないとなんか物足りないよね」
「はあ」私はむしろこういうのは苦手なタイプだ。「私も本当は感染広がってるしどうかなと思ったんですけどね。でも課長がやりたいと言ったので」
「え?」課長が聞いたこともない素っ頓狂な声を上げる。まるで用意していたみたいに。「別にぼくは何も言ってないけど? 増田ちゃんが忘年会やりたいって言ったんだよね?」
頭が真っ白になる。私が……言ったのか? いやそんなはずはない。十一月の二人ミーティングのときに課長に指示されたから、幹事をやっているだけだ。この全力コミュ障の私が忘年会をやりたいなどと言うはずがない。
「課長が私に、幹事をやってくれないかって言ったんですよ。そうですよね?」
「うん、でも増田ちゃんがいいですよって言ったでしょ? だから主催者は増田ちゃんじゃない? お店選んだのも、出欠取ったのも増田ちゃんだし。何より幹事だし」おそらく課長もこの忘年会のヤバさについて薄々気付いていたのだろう。いや、最初から承知で私に頼んだのかもしれない。何かあったときに逃げられるように。彼の口からは前もって練り上げられていたようなねじれた論理がほとばしった。「ていうかさ、誰が何言ったかなんてどうでもいいでしょ。せっかくの忘年会なのにカタい話はよそうよ」
「つまり」私は言った。「課長はこの忘年会で何が起きても、責任を取らないということですね?」
課長は驚いたような顔をしたあと、笑いながら「責任ってさあ……忘年会の責任って、それギャグ?」と言った。
あたりを見回して部長を見つけると、駆け寄って尋ねた。部長の答えは課長と同じだった。
私は行列の先頭へ走り、みんなに叫んだ。
その後の彼らの様子は書きたくない。
みんなを返したあと、部長と課長と私は会社に引き返し、短い面談をした。この忘年会の件について私を擁護してくれる人は、その会議室にはいなかった。
うちの会社の社員に求められている資質に「決断」がある。増田は幼い子供のように、自ら決断することを嫌がり、責任を放棄し、多くの人々に迷惑をかけた。そんなことを二人は言った。
それが彼らに見えている、そして他の社員にも見えているだろう私の姿だった。
「リスクが低いことに大騒ぎして、迷惑をかけた」。だったらあなたたちが責任を持つと言えばそれで済んだのだ。そんなにリスクが低いというなら、どうして自分が責任を持つと言わなかったんだ?
「決断しろ」。私は中止という決断をした。それは苦しみに満ちたものだった。でも私にはそれ以上の決断などできなかった。どうしてあなたたちは「よしわかった、おれが責任を持って、開催するという決断をする」と言わず、代わりに「こんなときに責任なんて空気読めないこと言うなよ! それより早く酒飲もうぜWowhooo」などという答え方をしたんだ? 「大いなる決断には大いなる責任が伴う」という言葉を知らないのか。私も知らないが誰かが言っていてもよかったと思うんだ。誰かに言っていてほしかったと思うんだ。責任のない決断が尊ばれる職場で出世するのは牟田口みたいな奴だけだ。責任のトリクルダウンなんてまっぴらだ。
最初に書いたように、これはフィクションだ。私の人生にはどういうわけかこんなふうに、週末に何をしていても、愚にもつかないフィクションが頭の中を回り続け、どこかに吐き出さずにはいられないことがある。
だからこれを読んで「これはもしかしてあの人かな?」「うちの職場かな?」と思ったとしても、それは絶対に違う。
でももしそんなふうに思ったのなら、お願いだから、あなたが幹事であってもそうでなくても、どうかみんなのいる前で聞いてあげてほしい。
「それって誰の責任でやるんですか?」と。
フレネミー誘引体質は生まれつきじゃなくて教育の結果だから、今からじゃ難しいけど直せないほど絶対的じゃないと思うよ。逆に、服を替えて脱ダサを目指すのは一見難しくなさそうだけど、自分で買い与えた服を着た小学生の実子をダサいという親兄弟に「ダサくない」と言わせたいなら、悪いけど難易度ベリーハードじゃきかない位に無理な挑戦だと思う。仮にあなたがファッションモデルになったって、きっと評価は変わらない。
かの美人大女優グレースケリーだって、実の父親からの「別に美人じゃない」という評価は覆せなかったんだよ。アカデミー賞インタビューの時だって、ケリーの父は「信じられない。(父が可愛がってる一般人の)姉の方がいい女優になれただろう」って答えてる。ちなみに姉を可愛がってた理由は、父親似でスポーツ好き(グレースは病弱でスポーツ苦手)だったから。モナコ王妃になろうと大女優になろうと、家族を貶すような人に客観的評価なんて関係ない。あんなに魅力的だったケリーも、結局ファザコン拗らせて破局繰り返して王妃になっても冷めた家庭だったと娘にいわれる人生。あなたもファッションの勉強より愛してくれそうな人を探す(自分じゃ難しいなら評判いい婚活業者にでも何社か登録して「絶対見下してこない性根のいい人」とか指定してトライ&エラー繰り返すとか)のにお金と時間かけた方がいいよ。そんなにファッションの勉強して努力する根性がある時点で幸せになれる資質は持ってるから自己肯定感獲得さえすれば幸せになれると思う。
フレネミー誘引体質は生まれつきじゃなくて教育の結果だから、今からじゃ難しいけど直せないほど絶対的じゃないと思うよ。逆に、服を替えて脱ダサを目指すのは一見難しくなさそうだけど、自分で買い与えた服を着た小学生の実子をダサいという親兄弟に「ダサくない」と言わせたいなら、悪いけど難易度ベリーハードじゃきかない位に無理な挑戦だと思う。仮にあなたがファッションモデルになったって、きっと評価は変わらない。
かの美人大女優グレースケリーだって、実の父親からの「別に美人じゃない」という評価は覆せなかったんだよ。アカデミー賞インタビューの時だって、ケリーの父は「信じられない。(父が可愛がってる一般人の)姉の方がいい女優になれただろう」って答えてる。ちなみに姉を可愛がってた理由は、父親似でスポーツ好き(グレースは病弱でスポーツ苦手)だったから。モナコ王妃になろうと大女優になろうと、家族を貶すような人に客観的評価なんて関係ない。あんなに魅力的だったケリーも、結局ファザコン拗らせて破局繰り返して王妃になっても冷めた家庭だったと娘にいわれる人生。あなたもファッションの勉強より愛してくれそうな人を探す(自分じゃ難しいなら評判いい婚活業者にでも何社か登録して「絶対見下してこない性根のいい人」とか指定してトライ&エラー繰り返すとか)のにお金と時間かけた方がいいよ。そんなにファッションの勉強して努力する根性がある時点で幸せになれる資質は持ってるから自己肯定感獲得さえすれば幸せになれると思う。
帝国が負けてファーストオーダー時代にはクローンだけでは足りないので子供をさらったりなどして教育してストームトルーパーに仕立て上げた
まぁここまでも譲歩して分かる設定だとする
不可解な点なのはファーストオーダー時代のストームトルーパーが人間型に固定されていること
人間型以外の宇宙人型のストームトルーパーもいてもおかしくないのに皆無だ
これが一つめの謎
帝国には人種差別主義があって人間型以外は技術職など一部例外除いて起用しない組織だったのだろうか
次に士官
帝国側の士官というのはクローンではなく明らかにエリート層出身なのだが帝国の士官になる道筋というのが若干よくわかからない
ストームトルーパーみたいにクローンでもいいのでは?と思うが統合的な判断力や決断のできるエリート人材としての士官が必要だったのだろうか
仮にそうだとしても士官側も人間型が非常に多く宇宙人型の士官がほとんど描写されていない