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2020-12-10

anond:20201209202741

多様性尊重するのが大事とか言いながらそんな多様性の無いところに子供を行かせることが理解できない、という話なのでしょうか。

一応その前提で私の考えを書いていこうと思います

まず多様性尊重できる人に育つかどうかと、多様性のある環境いるかどうかはあまり関係が無いと思います

例えばマルチカルチュラリズム標榜するオーストラリアがちっとも異文化尊重できない白人を量産しているのは白豪主義という思想が根強いことだし、アメリカでも未だに黒人差別が根強いのは、かつての奴隷開放運動が尾を引いているからだと聞いたことがあります日本在日問題なんかもそうですよね。

多様性尊重できるかどうかは、究極的には個人資質思想信条もあるため、本質的には簡単問題ではないし、全く無意識のうちに多様性尊重を欠いた言動や行動をしてしまうこともあるでしょう。

以前Googleプログラマが「女性プログラミングという仕事は向いていない」ということを言って解雇されたことがありました。知的水準が高いことが期待されるGoogleプログラマですら、こういうことをしてしまうわけです。なので、水に放り込めばそれなりに泳げるだろうと言わんばかりに多様性に飛んだ環境に放り込んでみても、うまく行くかはその子資質次第ということになり、どちらかというとハイリスクローリターンな掛けになる可能性が高いでしょう。

もしも本当に多様性尊重する子供になって欲しいなら「 多様性尊重するとはどういうことか」を学ばなくてはなりません。そしてこれは歴史の中で人類試行錯誤してきたことなので、学校で学べることでしょう。

こういった前提になるものなしに多様性尊重しろと言っても、よくわからないのではないでしょうか?

セクシャルマイノリティ人権問題に敏感でありながら、教室内で行われるいじめ差別無頓着な人を見たことがあると思います

アメリカ黒人問題悲劇しか産まないと拳を握りながら一方で在日排除などと大騒ぎする人もいるでしょう。

自分たち差別されている被害者だと言いながら、同じ口で他者差別している人もいるでしょう。

こういう人々もまた多様性尊重することは大事だ、と思っているでしょうが、一方で「この問題とあの問題は別」という考えも持っているからこのような矛盾したことをやってしまう。

多様性尊重する、という上で特に大事なのは一貫性です。そしてこの世界では今も一貫性を追求しています

ですが、一貫した多様性尊重をする事は人類普遍的実践できるほど出来上がっていません。ですが、今できる範囲で最大限に多様性尊重できるようになるべきです。

多様性尊重できるようになるには、まず、世界の現状を理解できる程度の知性が必要です。次に、短絡的に判断しない慎重さも必要です。最後に変化していくことに躊躇しない精神性が必要です。これらの3つは、上質な勉強を基盤にした経験の中で身についていくものです。

これまでの人々がやってきた試行錯誤勉強によって理解した上で、自分は次に何をするかを考えて実践する、人々と情報交換しながら自分を微調整していき、より良い多様性尊重を目指していく、ということですね。

そういうふうに考えるならば、いきなり実践するよりも、まず学ばせてから、というアプローチも間違いではないと思います

 
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