はてなキーワード: 特異点とは
一食おかずに200円を出せば贅沢という環境の中でたんぱく質とビタミンと食物繊維の連合軍と日々戦っている。
当然買い物は客寄せ用だろう日々の激安品のみを狙い打つわけで、食べたいものを食べる生活とは分かれて久しい。
そんな増田にも謎の矜持があり、「玉出で買い物したら終わり」という謎の意識があった。
昔、まだ普通の生活をしていたころにネットで玉出の話題を見てその安さや惣菜のヤバい雰囲気?を語っている場面を幾度か見てきたからだと思う。あとは個人的に丸いロゴが昭和、いや平成初期っぽくて古臭い。イズミヤとかもな。さらに黄色いテーマカラーが古臭さを加速させてしかたがないという偏見。
幸い、ではないが最寄のスーパーに玉出はなく、自宅からの距離的には通うには一歩遠い距離で意識的に避ける必要がなかった。
それでも大阪を回ってみればそこそこ見かける各店舗。そんなある日、玉出の目の前で予定がキャンセルになった。
ぽっかりと空いた自由時間。目の前には謎の店玉出。増田の足は気付けば玉出へと向かっていた。
(玉出とは
https://twitter.com/ikaring63036919/status/1395281116966227970
https://twitter.com/ikaring63036919/status/1395615475376087041
増田の金銭感覚から言えば感性がバグるぐらい安いスーパー、ではなかった。
他店のチラシの特売品ばかり買っている身とすれば通常価格だっただろう品々はそれらには及ばないし、生鮮食料以外の普通の食料品、既製品も普通のお値段。他店にくらべ部分的に安かったり高かったりでごく普通だ。
ひとつ特徴的だと思ったのは、生鮮食料の産地だった。韓国産やインド産やメキシコ産の肉や魚がずらずら並んでいる光景はなんだかカルチャーショックを受けた。産地が明確なのはいいよね。
とはいえ増田の体は業務スーパーのブラジル産の鶏肉で出来ている。その体はアメリカとカナダ産の大豆。卵のサイズを選ばず(ミックス卵)。その体はきっと賃金が安い労働者たちによって支えられていた。
あまり他者を笑える生活をしていないので、玉出のそれもヤバい点というわけではなく興味をそそられる特異点として紹介ということにさせてほしい。こんなものが輸入されているのだなあと本当に新鮮な体験だった。
(魚は本当に金額的にアウト・オブ・眼中なので輸入品のそれらが安いものかすら増田にはわからなかった)
惣菜についてもほうほうこんな感じねという印象で、質・値段ともに強烈なものはなかった。お弁当は平凡そうだが、どんぶり系は見た感じ普段のスーパーより一回り大きい容器を使ってよさそうだった。ただ最近は上げ底絞り底が横行しているので実際はわからない。
焼きそばはお得感があるボリュームで、これは既知の店より勝っていたと思う。
また、寿司にも力が入っており普通の10種盛りのほかに特定のネタだけ数貫ずつバラで売っているのはうれしい。食べたいネタだけつまめるのはありがたそうだ。しかしあの魚の産地の豊富さを思い出すと食指は伸びなかった。
これで値引き率が50%を超えるならかなりサイフに優良と言えるが、時間帯が閉店までまだまだあったので残念ながら値引率はわからない。
これは値段とは別の話として、店内のいくつかの照明がおそらく意図的に高速で点滅していた。頭上のみならばさほど気に障らないが、食品のフィルムにそれぞれに反射して非常にチカチカして値段や品が見づらいわでとてつもなくうっとうしかった。これはなにかサブリミナルな催眠効果を狙っていたのだろうか?少なくとも増田の購買意欲は減少した。
最後に、韓国・中国産の生鮮食料のほか、手書きの韓国語と中国語の張り紙やおそらく人種的に黒人な店員さんが居てこれもまたなんともいえぬ異国情緒があふれていた。何か言うとうっかり差別的になりそうだから深くは語るまい。玉出があった地域的な特色だったかもしれない。外国語の張り紙が効果的で感謝されるようなグッドな施策なのだろう。しかるになんというか玉出には品や店員や客を含めてそういった層があるわけで、非常に懐が深い店なのだなと思いました。
まあちょっと暗めの照明もあいまって独特な雰囲気はあったけれど、風評はネット特有の誇張されたものなのかなと。入ったことがない人は一度入ってみるとちょっと面白いかもしれない。
というわけで増田にとって玉出は常用するスーパーにはなり得なさそうという結論に至った。
しかしこれは喜ばしいことであろうか?
先述のスーパー一覧表で「お値段異常」と呼ばれるサンディすら特売や数点の地域最安値のメーカー品しか買わない増田だ。生鮮食料はサンディでは買わない。
増田が常用しているのは業務スーパーと表にも載っていない地域型スーパーや障碍者支援だろう八百屋などだ。
一ヶ月半をだいたい1.5万円の食費で暮らしている。辛い。値上がりの波も来ている。家計簿を振り返ると10種類以下の品目しか買っていない月が多い。
増田がするべきは「玉出で気兼ねなく買い物できる程度の生活」への脱出なのである。玉出を笑ったり恐れている場合ではないのだ。ああ、しかし、そのための道筋はいずこ…。
次はサンディと同じく「お値段異常」と呼ばれ惣菜が特徴的らしいラ・ムーに機会があったら寄ってみたいと思う。こちらも「行ったら終わり」だと勝手に思っている店なのでいろいろ不安だ。もしそこで安すぎる食べ物があったら増田はその誘惑に勝つことが出来るだろうか。嗚呼しかし、金は命より重いのだ。
努力を質や成果に転換することは非常に重要で、それが無い努力には基本的には意味がない。
それは厳然とした絶対事実であって、我々はその事実を厳粛に受け止めなければならない。質に転換することのない無為な努力に対して、我々は常に自戒しなければならない。
しかし具体的にどうすれば努力が質なり成果なりに転換するのかと言うと難しい。努力の転換、あるいは変換、その神秘さえ分かれば我々は今いる場所よりもずっと遠くに行けることに間違いはないのだけれど。
技術的特異点という言葉はSFの筋書にのみ使われるのではなく、現代において現実味を帯びて語られている言葉でもある。AIが自分よりも優れたAIを無際限に産出し続ける状態へと移行すること、これが技術的特異点である。これが実現すると、AIは無際限に進歩を遂げることとなり、その高度さは到底人間の及ぶところではなくなる。
努力的特異点というものがあるとすれば、恐らくそれは、努力が努力の質に対して向けられ、無際限に努力の質が進歩していくあるポイントのことを指すのだろう。努力を続けることによって、努力の質自体をより良質なものへと転換していくことのできる努力。そんなものがあると良いのだけれど。そんなものが本当に存在するのだろうか。
逆に考えてみよう。短期的に効果はあるかもしれないが、やればやるほど努力の質を下げていくタイプの努力。そういうマイナスの努力というものは実際に存在する。例えば、過度にカフェインを飲んで集中力を高めた状態で何らかの目的に取り組むこと。時にこういう努力は短期的な成果に繋がるけれど、一方でカフェインによって酷使された肝臓やら副腎やらは徐々に彼の努力の足かせとなっていく。つまり、これは努力の質を下げるタイプの努力であると言えよう。このような努力によっては、努力的特異点に到達することは夢のまた夢である。
逆に、努力の質を上昇させる努力というものが存在しているとすれば、それはどんなものであろうか。そして実際に存在し得るのであろうか。
結論から言えば、そのような努力は恐らくは存在している。つまり、先程の努力の逆を考えてみれば良い。体の状態を悪化させる一種の薬剤やサプリメントとは逆に、身体の状態を良くする栄養価の高い食事や深い睡眠、好ましい人間との有意味な会話、適度な運動、適度なストレス、そういったものが人間の努力の質を高めることには論を待たない。こういう努力は、努力の質を漸進させる努力、人を努力的特異点へと誘なっていく努力であると言って相違ないだろう。
とは言え、そのような努力はあくまで補助的であり、また、そのような努力によって漸進される努力の質にも限界はある。そういう意味で、もっと質の高い、努力の質を高めるための努力が必要になっている。
最近分かってきたのだけど、この「努力の質を高める努力」に有力なのは、「脳のモードを切り替えること」だと気付いた(気がする)。
脳のモードを切り替えるというのはどういうことかと言うと、例えば、ある時に文章を書いている。文章に集中することによって、その文章を書いている人間の脳味噌は文章モードへとシフトしている。そのようなモードは、きっと人間が料理モードに入っている時とは異なっているはずだ。
このように、とある事柄に対して集中し、ある種の「モード」へと入り、然る後に、例えば絵を描くことなり将棋の棋書を読むことなりといった別の「モード」へと、脳を切り替えること。
こういう努力の仕方が、恐らくは努力の質を大きく高めることへと繋がっていくのである。と最近になって感じた次第である。
ちょっと話は変わるが、漫画『おおきく振りかぶって』にて、野球選手の故障について語られるシーンがある。野球選手の故障は何故起きるのか、また、どのようにして防ぐことができるのか、という重要な質問に対して、作中で以下のように語られている。
つまり、野球選手は左右の筋肉のバランスが崩れがちであることが、故障の原因なのではなかろうか、と作中では結論されていたのである。
例えば、右投げのピッチャーは当然右腕を酷使する。その結果、左右の筋肉の配置のバランス、あるいは骨格の配置のバランスが、非対称になる。筋肉や骨格のバランスが崩れる。
本作によれば、このバランスが崩れた状態こそが、選手の故障を招きやすい状態であり、少なからず故障の原因となりうる状態なのである。
そのため、右投げの選手は左右の腕に同様のトレーニングを、左右対称的に施すことによって、筋肉の対称性とバランスを保ち、故障を予防することができるのではないか、と作中では仮説が述べられていた。
例えば、テニス選手は野球選手同様に手足を酷使するが、バックハンドとフォアハンド双方の筋肉を鍛えるため、バランス良く筋肉が育ち、故障しにくい対称的な骨格と筋肉を手に入れることができるのである――とも作中では述べられていた。
当然ながら、あくまでこの「左右のバランスを保つことによって故障を回避できる」という説は仮説に過ぎず、検証が必要な仮説であり、すぐに信用することはできない。
とは言えこの仮説においてポイントとなるのは、ある行為をする際に、直接的に使う筋肉以外の筋肉を育てておくことが、時に重要になるのではないか、という主張である。右投げの投手が主に使う筋肉以外の筋肉、例えば左腕の筋肉が、右投げの選手の身体運動において補助的な効果を発揮するのではないか――それも、好意的な効果を発揮するのではないか――という主張。大元の仮説の当否には怪しいものがあったとしても、このような主張は興味深く、特筆に値するポイントであるように思われる。
それを踏まえた上で、話を元へと戻す。
つまり、脳のモードを切り替えて、様々な脳のモードを鍛えることによって、ある物事に集中する際に際立って用いられる脳の部分『以外の』部分も鍛えられ、そのような努力によって、例えば文章を書く際に際立って活性化される脳の部分『以外』の部分についても鍛えることができ、そのような一見直接的に関係なく連関の無い脳の鍛え方が、却って補助的に、ある分野の知的活動に寄与するのではないかということなのである。つまり、文章を上達させたいのであれば、愚直に文章だけを書き続けるのではなく、様々な別分野の努力をすることで、様々な脳のモードを鍛え上げ、文章を書く際の補助的な効果を促進していくことが重要なのではないか、ということなのである。
かつて俗説で、人間は生涯において脳の三割程度の能力しか用いていない、というものがあった。このような俗説は現在否定されているが、翻って、脳はどんな行動をするにせよ『全体的に』用いられるものなのだ、という主張を導くことができるだろう。つまり、文章を書く際に活性化する脳の部位以外の部分も、文章を書く際にはある程度使用されている。となれば、このような部分について鍛えるために、例えば文章を書く以外の努力をすることが有力なのではないか、ということを私は言いたいのである。
絵を描く時には、恐らく脳の中には際立って活性化する部位があり、あるいは将棋やチェスを指す際にも、恐らく絵を描くために活性化する部位とはまた異なって活性化する部位が存在することになるだろう。そうだとすれば、様々な努力のモードを体験することは、脳の様々な部位を活性化させることに繋がる。したがって(あるいは翻って)、そのような様々な部位を活性化させる努力は、絵を描くことでもなく、将棋やチェスを指すことでもない別の行為をする際に、補助的な役割を果たすのではないか、ということなのである。
色々なことに集中して、モードを切り替える努力が、脳の成長には欠かせないのではあるまいか。それらの努力こそが、我らが努力的特異点に寄与する努力ということになるのではあるまいか。
何度か読み返した結果、「話にノれれば俺も十分に楽しめたが、話にノれない要素が多かった」という仮説が今のところ有力。
めちゃくちゃ露悪的に言えば俺に不親切だった。
以下、俺が俺に不親切だと感じた要素
・ふざけた見た目をした超高性能AI
手垢ついてる!
ひたすら人間を馬鹿にしてくるのも手垢! って感じで引っかかった。
本来は崇高なイメージになるが主人公の頭が悪くてイメージングに失敗した、という設定は好き。
ケンタウロスが出てきた時は特に引っかからなかったので俺がうんこたれ蔵に個人的な嫌悪感を抱いている可能性はある。
あれだけ「これ実は意味ないんですよ」「この姿に実は意味がないんですよ」を繰り返してるのは「シミュレーション上で告白しても意味ないんですよ」への導線であり、恐らくそれが最後の主人公の発言に繋がるのだが、読んでいる最中はずっと「シミュレーション上で告白しても意味なくない?」「シミュレーション上で生き返っても意味なくない?」と思っていた。
人生とか世界とかを変える話でなく、主人公のけじめとか魂の慰撫の話だったのだが、その事に気付くのが読んだ後というか、「なんであの話あんな褒められてんの?」と考えた段だったので読んでる最中はずっと駄目な気持ちで読んでいた……。
ただAIを存続させるための恐怖政治として支持しなかった人間の意識のコピーを永遠に拷問する、ってところは本気で無意味では? と思った。
本人との意識の連続性がない自分への拷問、流石に意味なくない……? 2084年の人間の感性が2022年とはかなり異なってる可能性はある。
・ヒロインの設定重すぎない?
正直に言うと、なんかヒロインの設定が重すぎてそれを何とかする話だと思っちゃったんだよな……。
父親の酒代のために客を取らされている女を前に主人公のけじめとか魂の慰撫とかやってる場合か! とは思うがヒロインは死んでるしシミュレーションだしな……。
あと母親が死に対して強い反応を示さなかったのにヒロインの話に強く反応したのはちょっと違和感があった。
多分これが何かを変える話ではないと示す為の導線だったんだと思うんだけど(死の撤回ではなく告白のために動く、と言う事を証明するために死者を出す必要があった)これもヒロインの死が重すぎて何かを変える話だと俺が誤認した、のが恐らく俺の敗因。
作者のせいにするなら、AIが提供する報酬は本来主人公に対する「自己完結した楽園」だったのにも関わらず、その領分から外れた「他者への救済」を報酬の一部に提供しようとしたので読者が誤認してしまった、という形になる。
でもあれだけ他の人が褒めてるという事は俺以外の読者だいたい誤認せずに読んでるんだよな……と思うと責任は俺にあり。
AIがAIでなく真実神であり、提供できるのがシミュレーションでなく本当の蘇生だった場合、主人公は母親の死の段階で挑戦を決意したのかな、みたいなことは少し考える。
ただ遺影持ってるのもセーラー服の女だったので主人公の家庭環境もどっこいどっこいで特段気にしなかった、という可能性はある。いや流石に考えすぎだわ。
・技術的特異点を迎えた後の存在が過去視点からの特異点を特異点と呼ぶことにすごい違和感あるんだけど俺は理系じゃないのでこの違和感が正しいか分からねえ……。
・今気づいたんだけど未成年を殺害しておいて三年以内に出所して娘を殺害する父親何!?
気付いたから書いたけどこれは本質的にいちゃもんであり、話にノれてればあまり気にならない部分なので別にいいです。
おれならこれを入れるね!
・『ヒカルの碁』の成功以降、マイナージャンル少年漫画が急増→青年漫画にも波及
・極論を言うなら『ヒカルの碁』がなければ『サ道』は存在していないと思う
・当時のリアルタイム基準だと『ネギま』もすごかったけど、まあ、やっぱり『GANTZ』かなと思う
・『おやすみプンプン』の背景作画における影響はものすごいと思うけど、水木しげるという怪物が昭和にいるので除外
●岳
・第1回マンガ大賞の受賞作
・M-1グランプリとか、日本ファンタジーノベル大賞とかを見てもわかるように、賞レースの格は第1回の勝者で決まるじゃないですか
・第1回マンガ大賞『岳』、第2回マンガ大賞『ちはやふる』って完璧な流れですね
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/アニメ・漫画のテレビドラマ化作品一覧
・↑これを見れば、いかに『東京ラブストーリー』のドラマ化成功が特異点だったかが一目瞭然にわかる
—————
「じゃあ何を外すか」と聞かれると答えられないので、ベスト50まで拡大しよう
先週だいぶ揉めた「Vtuberがアイマスの『M@GIC☆』を歌ってしまった」のやつ。
にじさんじVtuber15人合唱でデレマス『M@GIC☆』歌唱動画公開予告が出るも、告知ツイに☆とカバーの旨がなかったせいで荒れてしまう https://togetter.com/li/1839785
外野から眺めた感想としては「アイマスの話題を見かける時だいたい排外主義やってんな」くらいしかないのだが、得られた知見として「アイマスって案外嫌われてんな」というのがある。
例えばこちらの動画。投稿者は他人を煽って引っ掻き回して嗤って楽しむタイプのアレで有名な人なので言ってる事自体はあまり気にしなくていいんだけど、問題はコメント群。
アイマスってなんでこんなめんどくせーの
アイマス民ほんとクソ
アイマスに美味しいとこなんて残ってないぞ
オワコンがなんか言ってて草
アイマス怖すぎ
こんな事になるのアイマスくらいでしょ
ただの客の事をPなんて言うからこういう層が増えるんだよ
ほんと声だけはでかいなあの界隈
これを厄介って思うのはアイマスPぐらいだと思う
アイマスにしろアイマスオタクにしろ随分と嫌われてるな。なんかキラキラしてる風のコンテンツかなと思ってたけど、そのファンは意外と排外的だし、その分嫌われてるらしい(当たり前だけど)。
マジかよお前らホントに止めろ。
どれほどアクロバティックな論理のねじ曲げをしてもダブスタなんて言わないから、
なんとか今日をスペシャルケースに、歴史の特異点として隔離してくれ。
主語を小さくしてくれ。
例えば、こんな風に…
「は? 『議員のクレームは圧力』? いや、あの件は特別だろうが。
今まで散々反感を買ってきたフェミニズムのトップが VTuber の文化を軽視し事もあろうに女の子を傷つけ四万筆の署名を無視して警察に連名で直接公開質問状という形でクレームを入れたからこその問題なのであって、ふつうに議員が公的機関にクレームを入れる分には圧力になるわけないだろうが。」
暴走する公的機関に議員が口出しできなくなるなんて、危険すぎる。
圧力なのか、圧力でないのか。決めるのは難しい。すべては程度問題だからだ。
現実には圧力はそこかしこにありふれている。ツイッタラーのリツイートも人気ブコメも、究極的には圧力でありうる。だけど…
「お前がカレー屋のアンケートで『辛口やめろ』って書いたせいで、辛口やめたカレー屋が人気なくなって潰れちまったじゃねえか!! 圧力かけたんだから俺との口論に応じろ!!」って常連が詰め寄ってきたら。
——ただの、変質者だ。
同団体からの抗議については把握されていましたか。また削除の判断にあたって影響はありましたか。
https://news.yahoo.co.jp/articles/70708b863716bde85b27a4ebb92b1a683b29df1c
影響があったか、などはどうでもいい。
圧力が脅威になったか? が問題なのだ。自由意志をゆがめられるほどの、脅威に。
警察が、もし本当に議連に脅威を感じていたのなら… 謝罪するだろ。
県警「質問状にある『性犯罪を誘発する懸念』があるということが削除理由ではない」 …それどころか、突っぱねてるじゃんか。
今二次元のゲームキャラにガチ惚れしそうになってるんだが、感情的に入れ込みすぎて私生活に支障をきたすようになってきた
こないだシリーズ最新作が十年くらいぶりに出たやつで、主人公はほぼリアルタイムで歳食っているので初代の時よりちゃんと老け込んでるんだが
ハードの描画レートとか格段に上がったと思うんだが、上がった分のリソースで「アップになった肌がちょっと汚い」とか「頬がたるんできてる」とか「姿勢によっては腹が出て見える」とかが容赦なく描写されていて
それなのに、それなのに、カッコいい
なんで??
ファッションは十年前とほぼ変わってない
普通に考えて主人公リアタイで十歳トシ取ってるのに十年前と同じキャラってキツいでしょ
実際今作「オッサンになったな…」みたいなこと思わせる演出もある
そもそものキャラデザイン的にも「カッコいいオッサン」としてデザインされたわけじゃないっていうか何ならその逆で、極端な話「マサラタウンのサトシ(35)」的な子どおじ感すらあるわけよ
なのに
カ ッ コ い い
なんで???
最新作とファーストで比較したら最大の違いは結婚して子どもができたという点だけど
子煩悩そうではあるけど絶対子育てにそこまで関与してないだろそもそも子どもと同居してた描写ないし(別居の描写はある)
それがこんなに影響するか??
「背負うもんがある男はカッコいい」っていうやつか??
いやそれ理屈としてはわかるよ、わかるけど、えっ、男って背負うもんがあるだけで本当にこんなカッコよくなるの???
なんで???
オッサンどころか二次元三次元異性同性問わずこんなマジ「……///」とかなったことない
いや一回だけあるわ、全然別のアーティストのライブで「セクシー」という言葉の意味を心で理解したことあるけどそれはマジでその時のそのライブのその一曲きりだった、翌年のライブでは同じ曲でももうあの衝撃は味わえなかった
なんで???
これが恋???
既婚子持ちの二次キャラにこんなマジな恋とか嫌すぎるんだが???
何がこんなにカッコいいの???
体型が変わってないから? 顔がもともと良い?
いやファーストが悪いってんじゃないよ、そうじゃないんだけどでも選べるなら最新作のオッサンがいいです……
なんで???
もうなんか、寝ても覚めても考えちまうっていうか何なら夢に出られたし気がつくとファンアート検索とかしてまう
なにこれ??これが恋???
つーかこれ二次元相手だからまだマシな部分あるけど脳みその壊れ方として危険じゃない??
世の中の人々はマジでこんな感情やりくりして日々過ごしてんの??過ごせるの???
とにかく何でこんなにカッコいいのか(カッコよく見えるのか)を知りたい、できれば何らかの要素に分解して把握したい
十年前よりカッコいいのが本当に納得いかない、納得いかないけどカッコいい
なんで???
こいつが特異点的にカッコいいのか、それとも一般的にオッサンというものは実は条件が揃うと若い頃よりカッコよくなって当たり前なのか
とにかくサンプルが足りない
誰か「若い頃よりカッコいいオッサン」に心当たりあったらください
できたら若い頃とセットで