はてなキーワード: 判別とは
大学の講義がリモートになった影響は良くも悪くもこれからもっと出てくると思う。
まず、来年度の講義は今年度の録画でよくね?となる。1年であまり変化しない分野に限るけど。あとは討論や質疑だけリアルタイムでやればいい。
録画講義を活用することで講師はいまよりもずっと多く複数の大学の講義をかけもちできるようになる。
そもそも学生の数も物理的制限が大幅に緩和され今の10倍くらいの人数を大学は受け入れられるようになる。
まあ今のCourseraとかMIT Open Coursewareに近づく感じ。所属や学位の概念は残るので棲み分けはされるだろうけど。
設備や試料が必要な研究はどうしようもないとしても、ゼミや自宅PCでできる研究はもうリモートで回ってるし。
よくわかんないけど人類の知性が向上するならそれもまたよしという気がしてる。
講師は自分の講義が録画かどうかは大学側にも受講する学生にも伝える理由は特にないことに気がついた。
https://rail.hanshin.co.jp/search/shinkaichi_u1.pdf
この時刻表って、毎日見てても違和感を感じる。以下、私がそう思う理由。
(追記)この時刻表は「新開地」という駅の梅田方面へ向かう電車の時刻表です。この先で、電車は阪神線と阪急線の2方面に分かれます。
みんなどっちを選ぶ?
毎日早起きだけして、昼前には設定判別終えてあとは遊んで過ごすっていう生活サイクル
閉店まできっちり打ち切るのは月に平均5,6回だけ
パチスロ自体は楽しいもんだから閉店まで打ってても体力的には全然平気
みんなならどっちを選ぶ?
都知事選の開票立会人をやってきた。なかなか出来ない経験なので備忘録がてら書き残す。開票立会人とは、開票で不正がないかチェックするため、候補者が本人の同意をとって届け出るもの。私もその依頼があるまで存在すら知らなかったが、勉強のためと思い引き受けることにした。ちなみに報酬も少なくない額もらえる(1万数千円)。
やることは、1,投票箱を開ける前に封印を確認する。2,集計した票の束に判子を押す。3,疑問票の判断結果に判子を押す。4,最終的な開票録に判子を押す。5,すべての票を収納した箱の封印に割印を押す。これくらい。あとは、開票所内をウロウロしてるだけ(不正がないかチェックも含めて)。特に2は、500票ごとの束に押すのだが、全部で数十万票ある訳で、こんなに判子押す機会など金輪際ないだろというくらい判子マシーンとなる。
数時間の仕事なのだが、全体通して感じたのは、疑問票が多いということと、選挙の不正は無理だろうなということ、そして選挙は民主主義の根幹であるということ。
無効票については、選管は基本的に一票でも無駄にしない、という方針とのことなのでなるべく誰かの候補に入るようにしている。ただ、法律上無効とされている基準に抵触したら無効票となってしまう。例えば、「♡」や「○」マークは無効。しかし句読点の「。」は有効。その判別で判断が分かれる場合もある。あと、敬称は有効だが、その他は不可。例えば「小池百合子さん」はOKだが、「小池百合子女帝」は他事記載でNG。また、「○○へ」もNG。さらに、余計なことまで書いている票も多かった。桜井票の裏に長文でヘイトな文章を書き連ねているものも見かけたが、これは当然無効。桜井候補は好きではないが、それでも貴重な1票が減る訳でもったいないなあと思った。ちなみに日本語ではない言語で書いても読み取れれば有効となる。過去にはアルファベットやハングルなどでも有効票となったケースもあるらしい。
これらは選管が勝手に決めているものではなく、過去の裁判所の判例などをもとに積み上げてきたものをベースに判定しており、判例集や事例集を置いてある一角があって、専門のスタッフが最終的な様々な職員と議論して判断を下していた。このプロセス自体は非常に信頼が置けると感じた。ただし、疑問に思うこともあった。それは誤字に関してだ。一字以内の誤字は基本的にはどれかの候補者に入るのだが、「山本一郎」や「山田太郎」は一字誤字として認めるのに「山本一太」は当該人物が有名人であるため他人の氏名と判断され無効となる可能性が高い。しかし、誤字の人名が有名人ではない場合は有効票となる可能性が高い。事実、「池田ゆりこ」と書かれた票は「小池百合子」にカウントされていた。
ただ、そうした疑問票は機械の読み取りや人の目によるチェックからはじき出された票たち(全体の数%)で、大多数の票は機械の読み取りによって仕分けされ、さらに人間の目でチェックされ2重に枚数カウントもされる。全体で100人近いスタッフが衆人監視のもとに開票作業を行うなかで、選挙の大勢を左右するような不正は起こりえないだろうという信頼を持てた。そうしたこともあり、集計された票が立会人の前に束になってやってくる際、本来的にはここで1つ1つチェックする権利はあるが、私はノーチェックで判子を押した。(選管スタッフから“円滑な進行”をという催促もあったし)
手書きで候補者名が書かれた1票1票が、100枚の束となり、それが500票の束となり、その束に立会人らが判を押して、判子が押された束たちが集積所にどんどんと積み上がっていく様子を眺めていると、これら1つ1つが有権者の意思表示であることを実感できた。特に香港のニュースを目にした後だと、より一層自由選挙の尊さ、有り難さを噛み締めざるを得ない。はてなーの皆も伝手があれば立会人をやってみてほしい。伝手がなくても、自分の選挙区の開票所なら観覧することができるので行ってみてほしい。
正直、特筆すべき対策はなかったです。スタッフはマスク・手袋着用、スタッフ同士の間隔をあける(人数減らしたらしい)程度。疑問票に関する議論はぶっちゃけ密に近い状態で喧々諤々していた。ただし、選挙区によるかもしれない。あくまで私の行ったところの話。
“選管スタッフから“円滑な進行”をという催促”という部分が気になる。その「催促」の強度次第だが、文面上では邪推の入る余地を感じる
圧力っぽいのを感じたのは、最初の説明会のときに「スタッフと機械で何重に確認しているので信頼してもらって、円滑な進行にご協力ください」と言われたことと、判子を押す際に運び役のスタッフが行列を成すので早くさばかなきゃという気持ちになる、というくらいです。あとは私が勝手に判子を押さなきゃここにいる100人近い人(と自分)の拘束時間を長くしてしまう、という気持ちになりました。ノーチェックとは書いたけど、いくつかの束をバラバラめくっても何も言われなかったし、もっと抜き打ちでチェックをしても多分制止されなかったと思う。意思の強い人なら全チェックしてもいいけど、なかなか難しいかも。
疑問票選り分けで任意の人を緩く、以外を厳しくする人もいるという話
機械で弾かれた票は、リジェクト係という担当が、振り分けていくのだがリジェクト係自体は複数名いるので、特定の候補をゆるくするにはそのスタッフ全員をコントロールしないといけない。だから、実質上は不可能に近いという印象を持ちました。
疑問票係のところに言って、職員同士が話あってるところに口を出すことは出来ました。ただ、判例やガイドラインを出されると引き下がらざるを得なかったです。
「前のヤツがチェックしてるからヨシ!」
私も判子を押してる間に猫の顔が頭をよぎりました…
私は以前、とある陣営の手伝いを1回だけしたことがあったので依頼が来て承諾した、という感じです。候補者は必ずしも全開票所に開票立会人を立てる必要はないので、いない陣営もありました。
公職選挙法で開票立会人は3人以上10人以内と決まっていて、3人に満たなかった場合は選管が選任することになっているそうです。その場合は、選管側からコンタクトできる人に依頼がいくみたいですね。
なので、どこかの陣営でボランティアや寄付をして「立会人やってみたい」と言うか、選挙管理委員会に開票立会人をやりたいので欠員がある場合はやらせてほしいと言えば、いつか機会が回ってくる気がします。
リジェクト係が♡マークを追記しまくってことごとく無効票にすることは出来そうな気がする。特定の候補者への肩入れは出来ないかもしれないが投票の正当性は失われそう
同じことを最初思っていたけれど、作業台の上には赤鉛筆かボールペンしかなく、リジェクト係はお互いの手元を見れて、さらには立会人や選管スタッフが後ろを徘徊しているし、報道や観覧席から望遠鏡で覗いている人もいる状態なので、係員全員が悪意を持つか細工した道具を持たない限り不可能に近いと思いました。
開票立会人のことを知らないというか、どうやっているのか知らない人って選挙行ったことあるのかって思うレベル(絶対見れるじゃん…)と思うんだが、それとも東京の選挙会場が特別なの?
立会人には2つあって、投票立会人と開票立会人。前者は候補者が出すのではなく、選管が各投票所に置くもの。私がやったのは後者です。投票立会人は、投票所にいつもいるので存在を知っていたが、開票立会人は知らなかった。
一般に鏡は透明な板に金属層を形成して作られる。この層はしばしば弱く、化粧鏡のような普通の鏡は光の入射面と逆側に鏡を形成することで層を保護している。英語ではこの透過面側を第二反射面などと呼び第二面鏡などと称する。
透過面を設けることによるデメリットとしてはたかだか透過率4割だか6割だかの余計なガラスを通るので至極当たり前に画質が低下しガラス表面での余計な反射による干渉まで発生する。そこで反射面保護より画質が優先する場合や金属層側を反射に用い逆側を余計な光の放出先に使う場合など金属層に直接光を入射させる使い方がありそのような鏡を第一面鏡(ファーストサーフェスミラー)などと呼ぶ。
いわゆるマジックミラーやビームスプリッタの類は当然どっちから見ても銀色に見えるわけだが使い方としては第一面鏡として設置する場合が多い。
というのも実はマジックミラーは効果が対称な光学素子なのである。光が電子的ダイオードのように一方向にしか通らない特殊な加工というわけではなく単に反射光:透過光の比が7:3もあれば人間の眼の能力では暗くて見えないだけなのであった。従って超高感度デジカメとかで見れば普通にシコってるオッサンは見えるし「見えない側」の光量が強く比が3:7とかになると普通に肉眼でもただのサングラスへと成り果てるのだ。
それを防止するため観察側の部屋は徹底的に暗くし見える範囲で反射率をギリギリまで上げ(膜厚を厚くするだけだからむしろ簡単である)又マジックミラー号はお天気の悪い日や高感度一眼レフを持って歩いてるキチガイオタクが発見された場合は撤収となるのだが「暗く」するためには先に書いた「余計なガラス層があり6割とか4割も光が吸収される」のは好都合である。
この辺が分かってしまっているプロが盗撮用マジックミラーを設置すると第一面が被害者側に来るのでペンを当ててみるなどして簡単に判別が可能である。第一面鏡は反射面の前に何もないので鏡に手を置いたときにどうしても5mmばかり浮いて見える現象が起こらないのである。
しかしそんなものはセオリーであって技術的に金属膜が形成されている方からしか光が入らないわけではない。単に素材の分だけ逆側が暗いだけである。別に第二面側を明るい側にすることは可能だし結果的に明るさの差が十分縮まれば両方見えるのだった。
じゃあご足労頂いて見た目とか声とかがそれっぽい人弾きますね。
じゃあご足労頂いて(ry
(本気で女を採りたくない場合、女っぽい名前を弾くという手もあります。)
じゃあご足労(ry
逆算する手間が増えるだけなので普通に書いといて欲しいんですけど…
(流石に無理筋やろ…)
禁止されたとしても有利な属性持ちの人は自己アピール欄に上手にそのこと書くようになると思うんよね。「男子バスケットボール部で活躍し」とか「もうすぐ卒業なので」とかね。なんなら就活テクとしてアドバイザーがそう指導するようになると思う。
面接でも自分から言うことは禁じられてないんだから、有利な属性持ちならガンガン言ってく事が就活テクの基本になるよね。老け顔の新卒なんかは特に言わんと見た目で判断されて落とされかねんし。結果言わない人は面接官から(あっ…)て思われて結局疑心暗鬼バイバイよね
応募殺到してる大企業なら手間が増えすぎて諦めるんじゃないかって思ってるのかも知れないけど、面接回数1回増やしてその1回を業者に投げるだけの話
あとはリクルートが入力情報とか顔写真を元に性別年齢人種あたりを予測するAIを開発して提供しそう
特定のコンテンツを死ぬほど掘り下げるわけではないが、Twitterでボクっ娘漫画が流れてくるとフヒッフヒヒッと最悪の笑い声を上げながら閲覧してしまう受動的☆オタクの小生、21歳、学生。(それはもはやオタクではなくただのキモなのでは?と思うが、この話を掘り下げるとつらい気持ちになるので割愛する) 小生は女性器を保有しつつジェンダーが非常~にXに近いQで、漫画の中の彼女たちのように、自分のことを「僕」「俺」「それがし」「拙者」「小生」と称することに憚りが無かったし、むしろ「私」という一人称に抵抗があった。恋愛対象や性的指向は両性に亘り、「18歳のナオンのケツを一生触りたい」という願望と「異性と愛し合って子どもを設けてみたい」という気持ちを両立させながら元気に暮らしていた。
ある日、冷やし担々麺を食いながら、ふと小生は思いを巡らせた。
「俺は高校のころ、Twitter上で同期から『[俺]の言葉遣いはこじらせ銀魂腐女子っぽいし黒歴史になりそう、後々過去ツイ見てジタバタしそう』と言われていたし、そうなることを自分もどこかで願っていた・・・が、思春期過ぎても一人称に変わりは無かったし、このまま母親になっても俺でいるんだろうか・・・だとしたら、先輩ボクっ娘ママを探さなければ・・・・・・ん?一人称が『僕』や『俺』の母親って現実でもコンテンツ上でも全然存在しなくないですか?」
それは、かつて片目をつむったまま遠くの小指を凝視し、自分の盲点をはっきりと認識した感覚に似ていた。想像の盲点だ、視野が広がるとはこういうことだ。うわ~、こういうときに粋な考察をササッと出せるようになるためにも、ジェンダー論しっかり学びたい!という明るいお気持ちに包まれた。しかしながら、まず何も学んでいない状態で結論を出してみて、大いに勉強をした後でファースト・粗野・考察を見返すのもきっと面白いだろうなあと思い、小生はここにそのプリミティブな思想を書き留めておくことにする。以下にはもう、本当に野蛮で無知で最悪な文章が綴られているので、有識者はたたかないでください。
1. 「僕/俺」と「私」の非対称性、「あたし」
そもそも「僕/俺」と「私」、使う人間の層はどう分かれているんだろう?
成人男性は「僕/俺」と「私」の両方を使うことができるが、まだ幼い少年が自分を「私」と言っていると、相応に作為性を感じる。対照的に、女性は若いうちは「僕/俺」の使用が(かろうじて)認められるが、加齢していくにつれて「私」の求心力が極大に近づいていく。ものすごい非対称だな。う~んこれはいったいどういうことなんだろうね。無学なのでわからん!
これは勘ですが、大人(または人間)のデフォ一人称が「私」なのでは?そして、「僕」や「俺」という男性一人称は、男性側が女性と差別化を図るために生み出した切り札のようなもの?二次性徴以前は、男女の体や性格が未分化であり、しゃべらなければ見分けがつきにくい。そこで、素早く同性or異性の判別をして固いホモソーシャルを築くために、少年さんサイドが「私」とは異なる固有の一人称を保有しているのではないだろうか。一方、少女側にもホモソーシャルを築きたいという欲が強い人間がおり、彼女らは「あたし」や「うち」などの一人称を駆使し、多くの友達と連帯し、大概「気が強い」と思われている。男らしい一人称(や女らしい一人称)というのは、未分化な少年少女たちがホモソーシャルを築くための最初の一歩として獲得するものではないか?
思春期に入り、体が性別に沿う姿に分化すると、このような一人称でのジェンダーの探り合いは不要になっていく。ただまあ、精神は連続的なものなので、しばらくは男女両陣営が幼少期に獲得した一人称を保持している。成長に伴いフォーマルな場というものにブチ当たることによって少しづつこの傾向を修正され、多くの場合就活のときに決定的に一人称が「私」に統一されるでござるなあ。(なぜ、フォーマルな場所では一人称が「私」に統一されるのか、それについては勉強によって解明したいと思いました)
男性一人称は本来少年に与えられたもので、それゆえに男性一人称にはどこか瑞々しく未熟な感じが出るのでは。そして、少女が「僕」を使うことで、この若さを維持・増幅しつつ一定の倒錯を生み出すことができる。輿水幸子(デレマス)が自称する「カワイイボク」という概念は、性別の観点から見れば矛盾しているが、若さ・幼さという点においては「カワイイ」と「ボク」が加算的に働いている。うわ~かわいい!最高!いじめたい!
一方、一人称が「私」の少年と言うと、どこか神々しいというか、メカニックというか、そういう・・・人間らしさの希薄性が強調される。あ~中性的でぼんやりした美少年か、エッチだ!ちんぽしごきたい!
【加筆】「あたし/うち」は、「異性と同性を区別する」というよりむしろ「自身のジェンダーを強調する」目的で使われているという点で「僕/俺」と対照的なんではないでしょうか。だから一生使っても問題ない(幼稚さが出にくい)し、オカマのみなさんにも愛用されていることが伺えます。
上記の小生の仮説から考えると、母親というキャラクターと男性一人称はものすごく相性が悪い。(これは持論ですが)母であるということは、その人が異性とセックスをできたということの証左になり、すなわちこころの性が女であるという暗黙の了解が働くよなあ。なおかつ、母親は子を産み育てるという社会的責任を負った存在なので、「心身共に成熟した人間である」という前提が追加で発生している。(本当はそうでもないよね)
この場合、男性一人称の母親というのは「未熟な少年の言葉」でしゃべる「成熟した女性」となってしまい、なんの相乗効果も生まれず、ただただ独特の気持ち悪さを発してしまう。キモすぎて多くの人間の想像の視野に入っていない。(思春期以降の女子が「俺」を使っていると腐女子っぽくてキモいというのも同様の理屈だと思います) 自分の子供に向かって「よしよし、俺はこっちだよ~」と呼びかける母親、なんか嫌じゃないですか?ちなみに小生の性癖にはとても刺さります。
※あと、なんとなく思いが廻ったので加筆しますが、"男性一人称の母親"への抵抗感の発生は、男性と女性とでメカニズムが若干違うのでは?まず男性の場合、母親はどう転んでも客体、すなわち消費されうるキャラクターである。男性が母親というキャラクターに求めているものの第一は「母性」「包容力」なので、自分たちと同一の一人称を用いてこられるとその両方が感じられなくなってしまう、つまり萎えが発生してしまうのでは。一方"母親"が自らの主体となりうる女性の場合はというと、心の中に[母親は成熟した女性であるべき]という縛りが発生していて、男性一人称の母親の存在はこの信条に悖ってしまい、憤りにつながるのではないか。まとめると、"男性一人称の母親"は、男の信仰・女の義務感の両方をくすぐる最悪の概念であるかもしれないということだ。
3. 小生の意見
Twitterで「僕っ子 母親」を調べたら「子供に悪影響出そう」「痛い」みたいな意見が出ていて、それは至極まっとうな感情だと思う一方、小生は悲しいよ。どうして『弟の夫』『きのう何食べた?』みたいにゲイが子育てに関わる話は☆多様性☆の印籠のもとに迎えられるのに、一人称が「僕」の母親は痛いという風潮は変わらないんだろう。かつては同性カップルによる育児も子供への悪影響が懸念されていたが、今ではその心配が杞憂であったことが分かりつつある。おい、ここに多様性、多様性が落ちてるぞ。良いインターネットさん、仕事の時間だよ。インターネットに迎えられなければ、小生が積極的に声を上げていくべきなのだろう。僕が僕として授乳できる社会ができたらちょっと嬉しいかな。
あと、子供を産んだ時点でジェンダーが女であるというのは偏見だぞ。最近SOGIとかいう言葉が流行り出して小生は感極まっている。性自認、性的指向、性表現は相異なるものであるということが認知されつつある。「自分をなんとなく男寄りだと思っているバイの母親」は存在しうる。存在しうるんだよ。多様性ファンならあらゆる可能性を尊重しよう。
とはいえ、「一度出産を経験するとこころの性が女に全振りされる」という現象が存在する可能性もなくはないので、本当にそういうことがあるのかは今後勉強したい。
小生からは以上です。
どうせほとんどの読者は高校数学さえ理解していないのだから、何を解説したって数学の本質的な理解は無理なのかもしれない
彼らには、以下はどれも同じに見えている
虚二次体の有限次Abel拡大は、1のべき根と、楕円モジュラー函数の特殊値と、虚数乗法を持つ楕円曲線の等分点の座標で生成される。
Xを位数q=p^mの有限体F_q上のn次元非特異射影代数多様体、Y=X×_{F_q}(F_qの代数閉包)とすると、
#X(F_q) = ∑[i=0, 2n](-1)^i Tr(F_q, H^i(Y, Q_l))。
Cをダークマターの作用を持つN次元クリスタル、Xをそのアトラクターとすると、XからCへの次元変換Fは、固有なファクター方程式
F = F_1 ⊕ ... ⊕ F_N
を満たす。
発言はすべて たぶんで 条件が変われば変わる それは みんな同じ
たぶん あげるよ もらえるとおもった たぶんあげるよ 殺されたくないから
ジャンと同じ なぐられたくないから
ほしかったんだろうね あげるよ
むかしもあった おいらがとくいとする ちょっとむずかしいプログラム それしかできないけど それはできるというもの
それでお金を稼いでる
できないから もらえるとおもった
とか
そうだね もう なるべく みないようにする そこまでな 出演しているから そのテレビ局見ないとかはおかしい
でもまぁ 写ってるから チャンネル変え用 を こっそり 自分ひとりのときにやる そりゃしょうがない
テレビの視聴の機会がついているといけないから ながしっぱにして 部屋を移動する そりゃしょうがない 顔認識で やろうとするから お面をおいておく そりゃそうがない
おめんを 判別しようとする
おまえ じぶんがやったこと いってみ?
よりよいこんてんつをつくるためには 視聴者が 視聴していないことを知られたくない装置がじゃまだからのりこえたい って 言ってみて
私が高校生の時には電車通学をしていたが、電車内等における痴漢行為が、犯罪であろうが条例違反であろうが、どうでもいいと思っていた。
なぜなら、自分より年上であるとみられる人間から身体を触られて、それが「犯罪である」とされていたとしても、その人にとってはなんの抑止力にもなっていないことを目の当たりにしていたからだ。
犯罪であることが、抑止力にならないとして、「犯罪だからやってはいけません」という語句が通用しないのであれば、犯罪であろうがなかろうが痴漢行為をするのがその人たちなのであると思っただけのことである。別に私は立法に興味はない。
同級生と一緒に帰りの電車に乗っていて、かなり空いていて、私は同級生の女子とおしゃべりをしているにもかかわらず、私のふとももをさわってきたので(全員、立っている)、同級生と一緒であったがために私は勇気を出すことができたので、その人が電車が駅に停車をして降りていく際に同級生ともども一緒に降り、痴漢本人に声をかけ、ホームにいた駅員に「この人痴漢です」と伝えた。
その痴漢の人は、おとなしく言われるがままに通報され、私はそのあと警察署に行き被害届を出した。
私の友達で、痴漢行為に対して逮捕をしたことがある人はいないし、もしかしたら知り合いに経験者がいるのかもしれないけれどこの経験について誰かと話して共感しあったことはない。別に共感を求めたこともない。
…と、強がりたくなるくらい、被害届を出す行為は苦痛であった。
制服を来た高校生である自分が、降車した駅の最寄りの警察署の取調室で、男性の刑事二人に具体的な行為について調書を取られることは苦痛であった。(友達は、先に帰っていた。)
このことの苦痛について、「なんで苦痛なの?」と男性から聞かれることすら苦痛である。
私は、すでにうけた苦痛について、同じ原因となる苦痛を再度受けたいと思わない。
しおりさんの電車内での痴漢行為についてのブコメ、「ああ、このブコメは女性によるものだな。」と思えるものがたくさんあった。
普段、ブコメをしている人が男性であるか女性であるかを気にしていなかったけれど、この件に関しては性別が見えると言っていいほど判別つく気がした。
そして、いまなお私は「どっちでもいい」と思ってしまう。
けど、AnonymousDiary に初めて書き込んだ。
痴漢が犯罪であろうが、逮捕されようが書類送検されようが有罪になろうが無罪になろうが条例違反だろうが罰金だろうが、どうでもいい。
うんざりするほど、思考停止せざるをえないほど、痴漢が元気だ。
そして、痴漢行為についての単なる事実についての女性たちの告白に対して「どこの国だよw」といったような書き込みを誰がしているのか。そういうことを言う人間像がさっぱり想像つかないのだが、私が遭遇した痴漢というのはほとんど無個性な身なりをしていたので、痴漢は見た目でもわからないし発言からもわからないなと私は思う。
まあ、ほんとにどうでもいいと思ってしまう。それくらいただの日常である。
そして、これまで私はこういうことについて何かを主張しようとしてきたことはないけれど、
身近にいる人に痴漢の体験談などをすると、たいてい、「そういうことは許せない」と口ではいうが、その人はそう言うだけで何も行動はしない。
求めていないから構わない。
私は主張をしようとしてきたことはないけれど、
たとえば、ポルノビデオの視聴時間や、売上や、タイトル本数などの統計による国別の比較によって、どれだけ私たちの国が性的なことにお金を使っている国民であるという単なる事実の可視化は必要なのかもしれないと考える。
私は、決して日本や日本人というものをおとしめたいのではなく、
ただただ、毎日高校生が電車で通学しているだけで精液をかけられたりスカートを切られたり膣に指を入れられたりすることが常態化しているのが異常であるということの共通認識が存在していないことがこの社会の異常性の最もわかりやすい例だということを伝えたい。(だが伝わったためしがないからこんなどうしようもない文章になるほど体がこれまで傷ついてきた。)