はてなキーワード: 仲間意識とは
もう少し、自己分析したほうが良いと思う。
もう少し上手く世渡りするコツを覚えるべきだ。
何か自分がミスをしようものなら、「噛んじゃった☆」と自分で自分のモノマネをしたりする。
人に変に真似をされて嫌な気持ちになる可能性が1mmでもあるなら、
自分で「失敗しちゃった☆」とさらけだし一緒に笑ったほうが得だ。
そもそも、からかわれるのが嫌いな奴は、基本的にプライドが高いだけで何もできない奴だ。
俺みたいにな。
真面目にやってるのに上手く出来なかった自分。何か変な行動をしてしまった自分。そしてそれを笑われている。
逆に「利用してやれ」と考えられないか?
自分で自分を話のネタにして、一緒に笑う。自分の失敗も笑いのネタに変えれれば最高だ。
誰もが失敗ネタを持ち、それを共感してもらうことで仲間意識を持ったり「面白い奴だな」と思われたりする。
フェミニズムの人の言っていることが違和感ありすぎたので、そもそも私は何か誤解しているのでは?と思って色々調べてみたものをまとめる。
あくまで主観であり、私のお気持ちの発露と思っていただいて構わない。
調べてみると結構誤解があった。
ちなみに私がしていた誤解は、「フェミニズムは、女性差別の実態の解明や、それの解決のための実証的な研究をする」である。
・実証研究や既存の研究のあり方が男性的なので、これまでとは異なるやり方を模索するためだから。
・そのやり方は模索中であるが、柱となっているルールが「とにかく誰の主観も否定せずに受け止めること」である。
・「これ頭のおかしい人の意見だろ」みたいなのを、フェミニズムの本流の人たちが否定できないのもこれが理由。
・ブコメだと、フェミニストの仲間意識でどんなフェミニストも否定したり非難したりしないと思われているみたいだけれども、それは誤解。
・ただし、量的な実証研究をやっている人も少なからずいる。本流ではないけど。
・しかも、最近の実証中心の社会学や心理学ではなく、「数学をやりたいのならば数学科に行け」と言われていた時代の名残。90年代ぐらいまで。
・ただし、これらの理論研究が全く意味がないと思ってはいけない。
・研究は大きく分けると理論、実証、工学(活用)に分けることができる。
・理論研究は最近軽視されがちであるが決して役に立たないなんてことはない。そもそも実証のための大事な基礎であり、ここを丁寧にやらないとそもそも実証すべき問題がぶれる。
・でも、フェミニズムはここしかやってない。しかもアプローチが哲学からの派生。他はせいぜいユングとかそういうのの名残。
・社会学や経済学、心理学はコンピュータの発展ですごく進歩したのに、女性学だけずっと変わってない。
・あと、ブログやtwitterでフェミニズムの話している人が内容のわりに、言ってることわかりにくいのも哲学や文学が源流のせいかも。
・これはフェミニズムの人の言っていることでなくて、私の主観。
・「保育園落ちた。日本死ね。」みたいに共感で動くことだろう。
・実は、これも必ずしも悪いことでない。
・例えば、保育園の倍率が100倍の場合と落ちた家庭が1組だった場合、前者の方が統計的には大きい問題だろう。
・しかし、これは統計の間違った使い方で「数が大きくなければ問題でない」となってしまう危険性が有る。
・統計を扱う者ならば必ず訓練されるが、ほぼ必ず数の問題で矮小化され苦しむ人が出てくる。
・この見捨てられそうな1組を大事にすることはやりやすいだろう。
・これはどちらもある。
・「女性の権利拡大」ってイデオロギーを実現するための、工学的な学問という人もいる。
・これに拒絶反応を持つ人もいるだろうけど、私はいいことだと思っている。
・「学問が目的を持つことはいいことなのか?」って問いには、例えば「教育をよくしよう」って目的で教育学が存在するような者だと思っている。
・「学問とイデオロギーと組み合わせていいのか?」に関しては、そもそもイデオロギーは学問ぐらいしっかり体系付けて、理屈をしっかりさせてほしい。
・女性の権利拡大だけど、そのゴールが「女性の権利の拡大」か「男女の権利の平等化」かは個人による。
・例えば、男性のみの徴兵制がある国では男女平等ではないと、自ら志願し軍隊に入る女性もいる。
・反対に、女性の徴兵にフェミニズムの団体が猛反対する場合もある。
・むしろ、トランス女性への差別に一番キレたいの主流のフェミニズムやっている人たちじゃない?
・クィア理論という、男女の枠組みにない属性の性から改めて性を見つめ直し理論作りましょうってのが最近の主流。
・暴れている人たちは、フェミニズムのあり方である「否定しない」をやり、かつ最近のイデオロギーの主流である「多様性の見つめ直し」を真っ向から否定している。
・でも、フェミニズムを学べば学ぶほどそれを否定することができない。かわいそう。
・新しいあり方の模索って無理だろ。
・しかも、主流になっているのが哲学、文学なせいで実際に起こっている問題に対する対応力が全くない。
・なのに女性の権利拡張の運動のど真ん中にいるせいで、本当に苦しんでいる女性たちの邪魔。
・先ほども書いたように、理論を丁寧に作っていくことに対しては全く反対しない。
・でも、それが何かを解決するとしたら何千年後だ。
・例えば「夫婦別姓」は、私は賛成してる。「改正による手続の煩わしさの軽減」って実利があるからだ。
・でも、フェミニズムがそれを推奨する理由が「旧来の男性主権的な象徴であるから」だ。個人の苦しみなんて全く捉えられていない。
・先日のグッチのように、「これは差別を象徴している」と「解釈」で糾弾することだけを延々繰り返す未来しか見えない。
・男性の作り出した旧来の学問のあり方を否定し、模索するのは自由にどうぞ。でも、それに今生きて苦しんでいる女性を付き合わせるな!
いや、ケースワーカーと医師に厳重に会うな、連絡先を教えるな、取り合うなと言われて縁は切ったよ。
ちゃんと大人になって大人として俯瞰で両親を判断しようと思って連絡取ってたんだ。祖父と祖母は好きだし、やっぱ兄弟は仲間意識あったしね。
生保って三親等に一応あなたの親戚やばいです保護義務ありますけどどうしますかってハガキ出すんだけど全部(兄弟からも)返信なくてふっ切れたよね!
まあ、吹っ切れても体調が戻るわけでもないんで数年寝込んでるけど今年の正月急に家に来いとかいうメール来てちょっと感情的になってたわ。元増田ごめん
私はライフステージが破茶滅茶人間だと最近自覚した。発端は高校生だと思う。多感な時期に友達を作らず、でも成績はまぁまぁ良く過ごして高校生特有の友達と放課後寄り道だの、制服ディズニーを過ごさず生きた。高校生特有のバカなことも本気で馬鹿なこと思ってたからやらなかった。
みんな将来何になるとか全然考えてなくて話が合わなかった。あくまで高校は通過点で社会の生活の方が長いから、将来のために何かしらがないと駄目だと思ってた。なんてのはただの言い訳で、今思うと私の方が変な高校生だった。
専門学校に行ったんだけどそこから完全に境界線障害になって、人間の好き嫌いが激しかった。全員嫌いな人間だったね。
何が嫌いって、わからない問題点をみんなとわからないね〜って言い合うだけの状況が多々あり、苛々した。解決しないままずっと過ぎてく無駄な時間が大嫌いだった。なんで解決しないで平行線のままでいるんだと私はずっと思っていた。狡いことに、私の職種は姉と一緒で姉に聞けば大抵の疑問は解決されていたので余計に答えがある問題になぜ?という気持ちが強かった。
今思うと、そのわからないねという時間を他人と共有することに意義があったんだろうなと思う。人と共有して初めて受け入れて進めることもある。みんな答えが必要なのもわかって、でもわからないということを咀嚼し、どんなことがわからないかを見極めてた。その時間を仲間と先に共有することが大切なのもわかってたからそうしてたんだと気がついた。
気づいたのは最近。25歳になってからだ。遠回りがバカみたいだと思ってたんだよ。最短で成し遂げたいと生き急いだら境界性障害になってて、果ては人間不信になってた。他人とのなにかの共有は見透かされそうで怖い。
友達が居てもすぐに気に入らないことがあると上手くいかなくなって、全然連絡取らなくなった。高校生からそんなんがあって3ー4回は繰り返してる。専門学校時代仲の良かった友達からはあなたはいつも0か100しかないよねと皮肉を言われた。そこの子とはもう連絡もとってない。そんなことを今も繰り返してる。
私は合理的って言葉が大好きで、何かわからないことがあれば年上に聞くことが専らだ。身近な年上は姉であり、両親。ここら辺に何でも聞けば何でも答えてくれた。だからわからないを共有しなくても答えがそこにあって安心出来た。疑問だけの答えがない共有は私にとって無意味で無価値なものだった。正解か不正解かが私にとって価値のあるものだった。
でも、答えを出すのは簡単だって世の中言うけどその通りで、答えばかり知った過程のない馬鹿な脳みそは同級生と考えることを共有することを忘れた。
形のないものの共有こそが仲間意識を生み、他人の心を開くものになる。でもこれを実感として発見したんじゃなく、後輩同士の会話で気がついた。まだ実行出来てない。他人を見るとわかるが、自分に置き換えるとやったことないことなのでクソ難しい。だから今はわからないの共有ができるように会話のトレーニングを日々積み重ねてる。エアーで。ひとりで。妄想で。いつか同い年の友達がたくさん出来るように…。
インターネットをやっていると、絵柄がこの上なく好みな絵描きに偶然出会うことがある。好きな絵柄の絵描きは沢山いて、リストを作ったりして日々いいねを飛ばしたりRTしたりしている。そのリストの中には画集を出すような有名な人もいれば、フォロワーのとても少ない無名な人もいる。色遣いだったり線の質感だったり、それぞれに個性がある。その中で、この絵描きはなぜこの色を選んだのかとか、画面の作り方とか、表情の描き分けとか、そういう「よさ」を探して少しでも自分のものにしようとする。そして何より、ひとの絵を見るのはとても楽しい行為だ。そんなだから、部屋の本棚は休学以降一冊も増えない専攻分野の参考書の何倍もの画集や同人誌で溢れかえっている。
今年の8月頃だろうか、数年前のアニメに突然ハマって2次創作を漁っていたら、TLにその絵描きは現れた。サッと適当に描いたような、それでいて的確な線。なんでその色を選べるのかわからない美しい色遣い。キャラの心情をうまく魅せる表情の描き方。こういう「好き」を言葉で表現するのが苦手なのだが、その絵描きに一瞬で虜にされた。早く同人誌を出してくれ、と思ったら何と来年のオンリーイベントに出るらしい。PCの前でガッツポーズをした。
その絵描き(以下Aと書く)のTwitterのフォロワー数は加速度的に増えていった。それも嬉しかった。これからもたくさんAの〇〇絵を見られるのだと確信したからだ。しかし、フォロワーが5000人を越えた頃、どうにも不穏なツイートがなされるようになった。どうやら、お題箱などでひどく叩かれているらしい。やれ「フォロワーを増やすために〇〇(ジャンル名)を描いている」とか、「〇〇描くのをやめろ」とか、そういう類のコメントが数多く届いているらしかった。
そして10月頃、Aは筆を折ってしまった。「もう〇〇は描きません。すみませんでした」と、引退を明言した。
Aは、もともと別のジャンルで細々と活動していたらしく、自分と同じ頃に〇〇にハマって活動の範囲を広げたらしかった。結構話数の多いアニメで、完走するのにも時間がかかる。Aはアニメを見進めながら絵を描いていたようだ。自分と同じ時期に同じアニメにハマる人を見ると嬉しくなるタイプの厄介なオタクなので、それもまたAという絵描きを推す理由の一つになっていた(我ながらキモい)。一方的な仲間意識だ。Aの「△△ちゃんすき……」というツイートを見て「それだ!!!!👈」とか言っていた。好きな絵描きが好きなジャンルの絵を描いてくれる、こんなに嬉しいことはない。なかったのだ。
なあ、「すみませんでした」て何やねん。なんも悪いことしてへんやん。
突然現れた推し絵描きは、その人気に嫉妬したアンチに理不尽に叩かれ、たった2ヶ月でジャンルを引退してしまった。
「新しく好きなジャンルができたから活動のメインを移した」とかならよかった。それでもジャンルを好きなままでいてくれるなら、嬉しいことだからだ。
でも、今回の場合はどうだろう。Aは「このジャンルってこんなに厳しいんですか、傍から見たら温かい人たちでいっぱいだと思ってたのに」とツイートしていた。あれだけ「好き」が伝わってくる絵だ。本当に〇〇が好きなんだ。それは見ていたらわかる。イナゴにはこんなに愛に溢れた絵は描けねえよ。
「気にしないで!などの励ましのコメントもはるかに多く頂いていて、それはとても嬉しいけれど、それでも辛いものは辛いんだ」とAは言った。その数日後に、最後の投稿があり、更新はぱたりと止んだ。
100の賞賛を受けても、1の批判で折れてしまう。そういう人も少なからずいるんだ。それなのに、嫉妬か何かわからないが、理不尽な悪口を捨て垢で投げつけて筆を折らせるような、悪意の塊のような人間がこの世界にはいるらしい。本当にクソだ。何なんだマジで。
零細個人事業主の「キモくて金のないおっさん」日本代表の俺のところに、これまたキモくて金もなさそうなおっさんがバイトの面接に来た。
契約社員らしい。
人柄がとてもよい。見るからにまじめで挨拶もきちんとしている。
適性試験の結果も悪くない。
ただキモい。
まずしゃべり方がキモい。
なんとか普通にしようと努めているがデュフフなしゃべり方がどうしても出てしまう。
それに禿げている。
見事に頭頂部まで禿げ上がっている。
禿げ上がっているといってもうっすら数本の毛が残っている。
折からの人手不足で、若干の仲間意識もありぜひ採用したいと思っているのだが、高校生とか大学生とか主婦とかの熟練バイトパートのお歴々の間で「なんでこんなの連れてきた」と、ただでさえ低い俺の評価がますます下がりそうで、あと客受けも間違いなく悪いので、どうしようかと思っている。ほんと真剣に悩んでる。
どうしよう。
全然やる気が出ない
仕事にやる気なんて必要ない(というか、やる気がないことを言い訳にしてはいけない)と思っているし、作業を始めたらやる気は出るものだとも思っている。
今やっている仕事が単にやりたくないだけなのか、それともそもそも仕事自体が向いていないのか。
隣の芝生は青く見えるじゃないけど、同じようなやりたくない仕事についてた同期が最近楽しそうな部署に移動になったのが響いているのかな。
なんとなく同情した仲間意識持ってたけど裏切られてたというか。まぁ一言で言えば嫉妬とか妬みなんだろうけど。
手を上げたもの勝ちなんて言うけど、自分に実力がないことは一番わかってるし、勉強しようにも毎日毎日気が滅入っちゃって帰ったらぼーっとYouTube見てソシャゲするだけの日々にどうやって活路を見い出せばいいんだろうか。
転職したほうがいいんだろうけど、いろんなしがらみがあって動きづらい。
これまでの人生は後悔していないが、流されて生きるだけの人生はそろそろ先が見えてきてしまっている。
匿名の空間では親しい関係というのは構築することは困難である。
そのため、webサービスに仲間意識を持ち、サービスを使っているだけで同じ友達となる。
しかしwebサービスに仲間意識を持てない人たちはそうすることは不可能である。
匿名空間や親しい関係を構築するのが難しいところでマウントの取り合いなのは、そうしなければタメ口を使えなくなるからである。
タメ口が使えなければ私が存在していることをアピールすることは不可能だろう。
webサービスがwebサービスに対して仲間意識を高める方向に進んだことはない。
仲間というのは論理性がないのだ。仲間である一人が傷ついた。次は私かもしれない。
タメ口空間における一つの限界である。webサービスに対して仲間意識を持つユーザーが増えるにつれサービスは理性的ではなくなる。
マウント空間に限界はない。ただひたすら分解されるだけである。
そういう飲み会で騒げる人物は仲間意識が強いのであけすけにそういう話ができるのではないか。
もう一点、「女性を金で買う」ということ。
これは男女の性欲が別物というところから説明しないとならないが、今さら保健体育でもないだろうから割愛する。
一部の女性は風俗まるで人身売買のように感じているようだが(実際人身売買の感覚なのは経営側だけだろう)、客になりうる男からすると対価を支払ってサービスを受けている以上の感情はない。
男の性欲を女性に理解しろとは言わないし、理解できるとも思っていないが。
具体的に説明すると、男にとって恋愛(心のつながり)と性欲(物質的な肉体に対する欲)は個別の物であり、決してニコイチではないんだよ。
女って正しさや常識には敏感なのに高次の理念に考えが至らない人が多いから政治に向いてないと思うわ。
経済的、資本主義的、美人投票的承認構造、低次元の現実観、階級差別、形式主義、非加害者的加害者、無敵の受動性、正しさには敏感でも寛容の意味を知らない
たとえばホームレスや貧困者などの社会的弱者には正しさとして接することはあってもえてしてまじわることはない。非マジョリティーという認識をもってマイノリティーに接する態度。差別はしないが区別はする区別主義者。
自分で空気をつくることはせず男性が醸成した空気には気に入るか気に入らないかで判断して批判してもかまわないという無敵の受動性
イケメンと人が判断する人を自分もイケメンだと無自覚に考える無思考の承認構造
常識や法律、マナーなどには敏感であるが法を超えた仲間意識を持つことはない。
社会全体を考える社会主義、ではなく現存の社会性に準拠した正しさに敏感な社会性主義者。
公正性について考えない。
哲学的態度のなさ。
経験主義。
先日、この掲示板での投稿を見てみて、ほほう世の中にはこんな便利なものがあるのかと思ったので使ってみることにした
書きたいことはあるけど、それの為にいちいち個人ブログを立ち上げたりするのも面倒だし、そうなると書く場所とかってなかなか思い浮かばないしで。こういうものがあるなら使ってみたいなと思ってやりました
信じられんかもしれないがこういう事もあるんだぜ、っていうのを読んだ人に「ほーん、そうなんすか」って気持ちで眺めて貰えたら嬉しい。ちなみに結構長いです
で、本題に入る前に少しだけ注意
今の私は20代の女だ。そして、一応腐女子です。知ってると若干分かりやすくなるかな?と思うので言ってみたけど、まぁそういう人種
何を隠そう、腐女子の方がここで書いた記事を読んで、私も自分のことを話してみたくなったのだ
けどこの腐女子ってことは別にそんな本題には絡んでこない。腐女子だからどうだ~ってことは無いので、ぶっちゃけそんな気にしなくても大丈夫
んで、この話は私が高校生の頃のこと。結構前なようでまだ全然前じゃない気もする。少なくとも数年前に遡るので、元々記憶力が皆無な私の中で抜けてる記憶が多々あるんですよ
だから思い出せない部分は「確かこうだったか…?」って感じで継ぎ接ぎしていくので、多少フィクションも入ると思っといた方が良いと思う。そうじゃないと万が一当時の関係者に見つかった時に「おまえの言い分全然違うじゃねーか!!」って言われても困るし。ごめんよ私の頭がニワトリ以下なために
星の数ほど腐女子なんざ居るだろうけど、万が一ね
前置きが少し長くなりましたが、ここからタイトル通りの本題に入ろうかと思います
記憶を手繰り寄せながら書いていくよ
当時、私は今とは全然違うジャンルに居ました。マイナーなジャンルだったので、数少ない同志様達との距離は他よりも近かった気がする。やっぱ数が少ないと更に仲間意識が強くなっちゃうからね
その中で、私が彼女に会った経緯はそんなに覚えていない。腐女子の繋がり方なんざ、タグやらフォロワーさんのフォロワーさんやらと、とにかく色々あるのだ。とりあえずそういうののどれかで、私は彼女と初めて繋がった
彼女の名前はNちゃん。私より年下で、多分中学生くらいだったと思う。とにかく私より年が下で、妹のような感覚だったのを覚えている
そんなマイナーなジャンルだったからか何なのか知らないけど、当時フォロワーさん同士で「嫁」と「旦那」を決めて更に仲良くなる~みたいな遊びが流行っていた。
この時点で意味が分からない。いや、そもそもコレ意味あんのかな
決め方は適当。特に仲良しの人同士で役割を決めてプロフに書いたりしてた。何でそんな事やってたのかは今思うとわからん。そのジャンルにしか当時居なかったから分からないけど、もしかして腐女子共通の遊びだったのか?
コレ、他の人から見たら意味分かんないだろうな…私も今はやろうと思わないし
でも、今にして思うとコレが最大の誤算だったのかもしれない。こういう役割を下手に決めてしまったから、私はあそこまでにはなってしまったのかも
で、その嫁と旦那という遊びを、私とNちゃんはやることにした。Nちゃんが嫁で、私が旦那。何でそれになったかはあんまり覚えてない。まぁ事の成り行きで?
とりあえず、そこからお互いプロフに嫁とか旦那とか書いて、周りのフォロワーさん達からはあそこ仲良しなんだなーくらいの認識で見られてた(と思う)
勿論お互い他のフォロワーさんとも繋がってたけど、この「夫婦制度」のおかげで私とNちゃんはものすごく仲良しになった。言ってしまえば毎日ラブラブなような日々を過ごしていた、というか
楽しくなかったと言えば嘘になる。いやホントはめちゃくちゃ楽しかった。毎日のようにお互い好きだー!愛してるー!とリプ上でイチャイチャイチャイチャ
外野から見たらキモいだろうが、少なくとも当時の私達は楽しくて仕方がなかったのである
私達の他にも夫婦が居て、その二人と仲良くなったのだ
名前は…ゴメンぶっちゃけあんま覚えてない。アイコンは覚えてんだけどな…あとフォロワーさんってポンポン名前変えたりするからさ…
四人になってからは、更にそのグループで固まっていた気がする。他のフォロワーさんとも皆仲良くしているのに、その四人で居るのは別格だった。要するにグループが出来ていたのだ。誰にも入り込めないような、そんな結束力のあるグループが
多分その頃が全盛期だったんじゃないかなー。楽しかったもんめちゃくちゃ。この四人で、そして私の大好きなお嫁さんが居ればそれで幸せだった
幸せだった筈なんだけど
Nちゃんが他のフォロワーさんと話しているだけで、ものすごく嫌な気持ちになってくるのだ
Nちゃんは私のものなのに、私のお嫁さんなのに、どうして私以外と話したりするの。みたいなことを本当に思っていた。
同時に「お前フォロワーさんと話すな言われても無理だろムチャ言うなや」とも思っていたので、まぁ理性と本能のせめぎ合いが毎日始まった
加えて、Nちゃんには私よりも仲良しそうな神絵師と、リア友でもあるフォロワーがそれぞれ一人居たのだ。私には到底到達のできない画力を惜しみなく使う神絵師とめちゃくちゃ仲良さそうに話すNちゃんも、私には分からないリアルの学校の話をするNちゃんも嫌で仕方がなかった
けど、私は年上で、Nちゃんは年下だった
そのことが、私の嫉妬心を何とか抑えていた
だって年上の女が年下の女の子に対してそんな醜い独占欲を顕にするなんて、到底考えられないだろう。少なくとも私はそうだった。だから全部を隠してNちゃんと一緒に居た。そうすれば、彼女は私のお嫁さんで居てくれるから
ここで一つ言っておくと、別にNちゃんはめちゃくちゃ絵が上手いとか超絶美少女とかいうわけではない。ちなみに何度かリアルで会ったことはあります。ホント本人が見てたら申し訳ない。けど事実だ
神絵師とかじゃなくてもいい、普通の女の子でいい。実際会って話をしたらもっと好きになった。これで私も名実ともにリアルにお友達になれたと思って、めちゃくちゃ喜んだ
ただ、Nちゃんのことがとてもとても好きなだけだったのだ
けれどさすがに、私は少々おかしいのではないか?と思う気持ちが、私を苛み始めていた
だってこんなのおかしいだろう。相手は年下の女の子なんだぞ。年下で、フォロワーさんで、会ったのは数回程度で、そんで、女の子だ
私も女だ
ホラおかしい
もしや私は同性愛者?レズっていうよりバイ?いや、そもそもコレは恋なのか?お互いが一番と決めてしまったから、そうじゃないと嫌なだけなのでは?
そんな事を色々と、延々と考えた
一つ言っておくけれども、決して同性愛をする方々のことを侮辱するつもりは無い
でもね、やっぱ初めてそういう気持ちにぶち当たるとね、こういう気持ちになっちゃうもんよ。しかも高校生だったしね。素直に受け入れるのは難しかったんだ
今なら、好きになる気持ちにやっぱ性別は関係ないんじゃないかなー、と思う。相手が女の子なのを悩むのと同じくらい、女の子とかいうことを差し置いて好きだ!ってなってたから。女の子でも男の子でも、中身がNちゃんならそれは私の好きになったNちゃんなんだしさ
今まで散々推しカプに言わせていた「男とか女とか関係ない!お前だから好きなんだよ!」という言葉が改めて理解できた瞬間であった。なるほど、こういう気持ちなのだな。うんうん分かるよ分かるよ
が、それとこれとはまた話が別である
その時ハッキリしていたことは、この気持ちを決してNちゃんに悟らせてはならないということだった
私が逆の立場なら、とりあえずビビる。ビックリする。そしてその後は、好きの度合いにもよるけど、もしかしたら気持ち悪いってなるかもしれない
そう、ドン引きされて、気持ち悪いって思われるのなんて無理だ。心が壊れる
なので私は、毎日毎日湧き上がる嫉妬心を抑えて、少しでも私の存在を彼女に焼き付けようと日々頑張っていた。もう私以外と話したりしないでほしい、私だけ見ていてほしい、なんて気持ち悪いことを思いながら
そして、私を驚かせる事件が起きる
なんと、旦那のOちゃんが、離れた場所に暮らす嫁のSちゃんに、クリスマスに会いに行ったと言うのだ。リアルで。
聞いた時は「ええええマジで?!」と思った。ウッソだろお前。逆ならまだしも、Oちゃん学生だぞ?!っていう
Sちゃんは既に成人していたかその間近だったと思うので、逆ならまだ分からんでもない。だって大人だもの。けど、Oちゃんはまだまだ学生の身分。多分私とそんな変わんないぐらいだったと思う
しかも結構な距離を離れて暮らしていたと思うのに、Oちゃんは自らの足でSちゃんの元へと向かったのである
もう衝撃とかいう問題ではない。マジで?という感想しか出てこなかった
私は、素直に羨ましいと思ってしまっていた
実際にクリスマスに会って、頬にキスまでして、お互いラブラブで帰って
なんて羨ましいんだろう
私はひっそりとお互いに聞いてみた。もしかして、本当にそういう仲なの?と
二人は、「うん」と答えた記憶がある
私は「そんな事が本当にあるんだな…おめでとう!」と祝福したのを覚えている
羨ましい、羨ましい、私もそうなりたい。他の誰でもない、お嫁さんのNちゃんと
本当は、心底そう思っていた
けど、言えるわけ無かった
だって本当は分かっているのだ。お嫁さんだの旦那さんだの何だのと言いつつ、私達は二人のような関係にはなれないことを。何より、そんな事になったら、Nちゃんのこれからの人生に陰りを落としてしまうと思った。こんな私とそんな仲になったなんてこと、Nちゃんにとっては汚点でしか無いと思った
当時の私は、本当にNちゃんのことを女の子として好きだったのかどうかは理解できていなかった。そもそも喪女だし、人を本気で好きになったことなんかほぼ無いし
しかも相手は女の子。好きかどうか考えるより、この気持ちをどうにかして無くしたいとも思っていた
そうすれば楽になれるのに、と
私とNちゃんの好きが違うことも、私が望んでいることは決して実現出来ないことも、全部全部承知の上だった
だから私は最後までNちゃんに、本当の本当に気持ちを打ち明けることはしなかった
私って気持ち悪い、気持ち悪い、こんな疚しい気持ちがあるなんて、彼女と恋人同士になってみたいと思うなんて、と、毎日考えて自己嫌悪に陥ることばかりしていた
そんなこんなで日々は過ぎていくのだが
陰りは私達以外の夫婦にも、実は見えていた
嫁のSちゃんが、私に頻繁にLINEで相談をしてくるようになったのだ
内容はあんまり覚えていない。確か、Oちゃんの束縛が酷いとか怖いとか、そんなんだったか?みたいなレベル
話を聞いてなかったんじゃなくて私の記憶力が無いだけです。すみません
けど、私はNちゃんのことも好きだが、この二人のこともそれはそれは大好きだったのだ。Nちゃんに向ける気持ちとは全く違うが、二人には二人の幸せを掴んでほしかった
私とNちゃんでは到達できない所に、私の分まで行ってほしかった気持ちもある
二人の存在に助けられたりすることもあったのだ。主に、「そういうことを考えるのは私だけではないのだな」という安心感に関して
そんで、Sちゃんには相談されるけど、同時にOちゃんにも相談され始めた
内容は…とりあえずSちゃんの事ばっかだったな、うん。もう記憶が忘却の彼方だよ
Sちゃんから相談が来ればその後Oちゃんから相談が来る、それが終わればまたSちゃんから……終わらない無限ループである
けど、私は二人に頼られていると思って、必死にお互いの仲を取り持っていた。もう別れる!無理!と言いつつも翌日にはラブラブになっている二人を見て、「良かった、仲良しに戻った…」と安心していたし、私のおかげかと思って嬉しくもなった
しかし
私は大抵、自分の言いたいことを押し殺して誰かと誰かの間に入るのが癖だった
中立で居たいんだよね。どちらかに偏って、一方だけを贔屓にするの好きじゃないんだ。まぁ、他人と争う勇気がない臆病者なのだろうとは思うけど
そしてその降り積もった「言いたいこと」は、押し殺せば押し殺すほど途端に爆発してしまうものであるということを、私はあまり理解していなかったのだと思う
その日は、明日は大事な用事があるから早めに寝よう、と思っていた。何の用事だったかは知らない忘れた。とりあえず、その日の私は十分な睡眠を求めていた
そして眠りについたが、深夜2時くらい
LINEが来た
またかよ。というか今何時だと思ってんだ。と思ったけど、私は話を聞いた。早めに切り上げたらまだ全然寝れるだろ、と思ったから
しかし、思いの外話は終わらなかった
正直寝たくて堪らなかった。そもそも私は三度の飯より睡眠が大好きなのだ。邪魔されてはたまったもんではない
でも今回の話を聞いているとなかなかに切羽詰まった印象を受けたので、出来る限りのことをしてあげたかった。なので私は最後まで話を聞き、きちんとアドバイスをした
ほんと寝りゃ良かったのにね。「今話したいんだろうなぁ…じゃあ今聞いてあげないと」とか思ってたからこうなるんやで自分
Oちゃんは、「ありがとう。○○に話したら何でも解決する。本当にありがとう」と言って、結局Sちゃんとはお別れをするという結論に至ったらしい
まぁSちゃんとOちゃんから同時に別れる!別れない!別れる別れない!の話を連日聞かされていたし、今回ばかりはこの子も懲りただろう…と思ったので、これでようやく終わった…と私は安心して眠りについた
その時刻はもう夜明けだった
翌日、眠りはしたものの、全然十分じゃなかった私のコンディションは酷いものだった
しかし頑張った
そりゃネット上の友達もかけがえのないものだが、リアルだって大事なのだ。
だが、その後私に送られてきたLINEは
「やっぱりヨリを戻すことにした」
というものだった
そこで、堪忍袋の緒が切れた
ハ?私はあれだけ睡眠時間を削って話を一から十まで聞いてお互いが相談したり愚痴ったりしてることを悟らせないように上手く立ち回って、しかしどちらかの味方は良くないからそれも考慮しつつその結論に共に至ったというのに、コイツらはまたこうなったのか?そしてまた今後も私はコレに振り回されるのか?
降り積もった我慢が遂に崩れたのだ
こうなると、私は最早怒りを抑えたり相手を許したりするタイプではないと、自分でも分かっていた
Oちゃんからは謝罪が来た。まぁ怒ったからな私。けど許す気も無かったし、また仲直りした所で同じことが起きるのは明白だった
もう嫌だ
結果的に、私は全てのことをTL上でバラして、そのジャンルから姿を消した
文字通り、全部ブチ壊して
簡単に言うと、LINEの内容全部バラして言いたいこと全部言って一方的に消えた。そんな感じ
そのジャンルから離れる時って、まぁキャラに飽きるってこともあるんだろうけど、私の場合は人間関係が多かったかもしれない
そこにある人間関係が嫌になって、全部ブチ壊して去ってしまうのだ。その時は自分に悪い所などは無いと思っていたけれど、今となってはなんてTL上の方々にご迷惑をお掛けしてしまったのだろうかと自責の念に駆られている
それでも、本当に頭に来ていた。とにかく何か仕返しをしてやりたかった、相手の迷惑な行動を晒し上げてやりたかった。大人気ないと今でも思います。ごめんなさい。
けれどコレに関しては私も我慢の限界だった。ので、謝る気は今も無い
Sちゃんとは、またどこかで会えたらいいねと、若干お互い気まずいまま別れた
Nちゃんとは
正直なところ、あんまり覚えてないんだよね。どうやって別れたっけ
そんで、思いの外アッサリ、いいよって言われたのも
その時、私は本当に、この子と私の好きは最初から最後まで別だったことを実感した
引き止めてほしかったのか?行かないでと、一人にしないでほしいと言われたかったのか、どうなのか私には分からないけど
ただただ、寂しい気持ちが残った
私は彼女が居なければ当時生きていけないくらい、彼女が好きだったけれど
多分、彼女はそうではなかった
私が居なくたって、きっと私じゃなくたって、誰かが一緒に居てくれるのだろう
それを最後に痛感しながら、私はそのジャンルから卒業したのであった
とは言っても、腐女子から卒業できるわけも無いので()相変わらず別ジャンルで元気に腐女子をやっているよ
もうあれから何年も経ってしまったし、あの時の自分について落ち着いて振り返ることも出来るぐらいにはなった
好きの感覚がわからないとは言ったものの、恐らくこれは恋と呼べるものだったのではないかと、今更ながらに思う
あれからジャンルを移行しても仲良しの人を作るのが怖くて、意識的に人を避けていた。フォロワーさんは居るけど、絶対に大事な人は作らないように心がけた。またNちゃんの二の舞になってしまっては自分が困るからである
けどまぁ、続けていればそれなりに付き合いの長い人も出てくるわけで。特定の仲良しさんを作らない!という私の決意は時間と共にどこかへと行ってしまったわけなんですけど
でもそれのおかげで、Nちゃんに向けてた想いを改めて考えることができました
私には現在、お互い別ジャンルをやってるけどめちゃくちゃ仲が良いっていうフォロワーさんが数人居ます。単純な仲良し度で言えばNちゃんと多分変わらない。
でもね、当時彼女に感じていた凄まじい独占欲や愛情はその人達には全然向けてないし、ましてや『そういう関係』になりたいと思ったことなんて一度も無いのよ
だから、ああやっぱりあれはそういう事だったのか、と。
けど今ではその気持ちも薄れてるし、なんといっても昔のことなので、全ては推測でしかない。だから、恋してたのかも、というレベルに留めておこうと思う
私が彼女に今思うことはただ一つ
あの時はありがとうね。今はもう私のことなんて忘れてるかもしれないけど、それでも良いんだよ。幸せになってね。ということだけです。
以上、ここまで読んでくれてありがとうございました。当時のことを振り返りながら書けて楽しかったです。
今じゃネット恋愛もそんなに珍しくないけど、当時は、というかその時の私は自分の感情を本当にアブノーマルだと思って否定し続けていました。今ならまだもうちょっと落ち着いて受け止めることができる…かもしれない
ずーっと自分語りで申し訳ないと思ってます。でもスッキリしたよ。
それでは、閲覧ありがとうございました。
戦争ゲームも終局、日本人チームのうち最も強いチームに我がチームは吸収合併となった。
この強いチームはかつては我がチームを攻撃して来たこともあったし、
別チームも攻撃しており不仲だった時期がある。
戦争ゲームの序盤の局面ではとにかく弱いものを食い物にするという状態だったので、仕方のないことではあるが、
大半のチームがそのルールを守っていたため、同胞攻撃をする彼らはあまりよく思われなかった。
その後ゲームは進み、統一政権ができ徐々に平和なゲーム世界に変わっていった。
日本人まとまろう、とその強いチームから使者が来たのは1カ月ほど前だろうか、
強引で自己中な吸収合併案にうちのチームのメンバーも腹を立てたりもした。しかし
もう他に選択肢は残っていなかった。
うちのチームもずいぶん人が減っており、チーム内のゲームイベントも
そんなわけで先日うちのチームはその強いチームに吸収合併となった。
が、まとまってみて気づいたことがある。
かつて、攻撃をしてきた人がもう随分前にログインが途絶えているのだ。
あの人もこの人も、いつぞやうちを攻撃した人だとわだかまりと不安を感じていたが
今、この強いチームを支えているのは、生え抜きではなく専ら後参加組、吸収合併されたかつての弱小チームのメンバー達だった。
全くの別物とは言わなくとも、かなり面変わりしていた。
課金し高レベルとなり攻撃してきた彼らは飽きたんだろうか。それとも平和になったらつまらなくなったんだろうか。
自分は課金レベルも低く弱い、が悔しさとチームメンバーを守りたいという気持ちだけでここまでゲームを続けてしまった。
もうすぐ始めて1年になる。
思うにこのゲームの魅力は悔しさと仲間意識なんじゃないかと思う。