2019-01-04

からないことの共有

私はライフステージが破茶滅茶人間だと最近自覚した。発端は高校生だと思う。多感な時期に友達を作らず、でも成績はまぁまぁ良く過ごして高校生特有友達放課後寄り道だの、制服ディズニーを過ごさず生きた。高校生特有バカなことも本気で馬鹿なこと思ってたからやらなかった。

みんな将来何になるとか全然考えてなくて話が合わなかった。あくま高校は通過点で社会生活の方が長いから、将来のために何かしらがないと駄目だと思ってた。なんてのはただの言い訳で、今思うと私の方が変な高校生だった。

専門学校に行ったんだけどそこから完全に境界線障害になって、人間好き嫌いが激しかった。全員嫌いな人間だったね。

何が嫌いって、わからない問題点をみんなとわからいね〜って言い合うだけの状況が多々あり、苛々した。解決しないままずっと過ぎてく無駄時間が大嫌いだった。なんで解決しないで平行線のままでいるんだと私はずっと思っていた。狡いことに、私の職種は姉と一緒で姉に聞けば大抵の疑問は解決されていたので余計に答えがある問題になぜ?という気持ちが強かった。

今思うと、そのわからいねという時間他人と共有することに意義があったんだろうなと思う。人と共有して初めて受け入れて進めることもある。みんな答えが必要なのもわかって、でもわからないということを咀嚼し、どんなことがわからいかを見極めてた。その時間を仲間と先に共有することが大切なのもわかってたからそうしてたんだと気がついた。

気づいたのは最近。25歳になってからだ。遠回りがバカみたいだと思ってたんだよ。最短で成し遂げたいと生き急いだら境界障害になってて、果ては人間不信になってた。他人とのなにかの共有は見透かされそうで怖い。

友達が居てもすぐに気に入らないことがあると上手くいかなくなって、全然連絡取らなくなった。高校生からそんなんがあって3ー4回は繰り返してる。専門学校時代仲の良かった友達からあなたはいつも0か100しかないよねと皮肉を言われた。そこの子とはもう連絡もとってない。そんなことを今も繰り返してる。

私は合理的って言葉が大好きで、何かわからないことがあれば年上に聞くことが専らだ。身近な年上は姉であり、両親。ここら辺に何でも聞けば何でも答えてくれた。だからからないを共有しなくても答えがそこにあって安心出来た。疑問だけの答えがない共有は私にとって無意味で無価値ものだった。正解か不正解かが私にとって価値のあるものだった。

でも、答えを出すのは簡単だって世の中言うけどその通りで、答えばかり知った過程のない馬鹿脳みそ同級生と考えることを共有することを忘れた。

形のないものの共有こそが仲間意識を生み、他人の心を開くものになる。でもこれを実感として発見したんじゃなく、後輩同士の会話で気がついた。まだ実行出来てない。他人を見るとわかるが、自分に置き換えるとやったことないことなのでクソ難しい。だから今はわからないの共有ができるように会話のトレーニングを日々積み重ねてる。エアーで。ひとりで。妄想で。いつか同い年の友達がたくさん出来るように…。

  • 正解がないことが世の中にあるかもしれないと考えてみては?あなたが「わかっている」のは、あくまで「あなたにとって」の答えだよ。私たちは同じ色を指して「赤」だなんて言って...

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