はてなキーワード: リードとは
私もそう書いたと思いますが?元記事のどこを読んでも「低くなっている」というソースはない、と。
なのに、結論で引用する言葉が「集団生活の体験が『減って』」「他人の評価を気にする若者が多く『なっている』ことが原因」だから、一記事の中でまるで論理が通ってない、信用するに足りないと指摘したわけで。
肯定感に関する質問の文言を見れば分かりますが、日本語で「自分は価値のある人間だと思う」と聞かれて「Yes」と答えるのは妙に難しいのではないでしょうか。これ、たとえば質問文が「自分は価値のない人間だと思う」だったら、他国との違いってそれほどでるんでしょうかね。「今の自分に不満がある」「辛いことがあったら乗り越えられない」に「はい」と答える人が、他国と比較して有意に多いのかどうなのか。
そういう分析もせず、安易に「日本の高校生は集団生活の体験が減って他人の評価ばかり気にするからダメだ」みたいな方向に読み手をリードしようとする記事の作り方が、あまりに粗雑で「信用に足りない」ということです。
男が女よりも偉い、ということになっていた昔の「男社会」においては、男は能力限界くらいまでバリバリ働いていたということだよ。
今まで男女平等を求め続けて来た女が、今更、男社会の方が良かっただなんて言い出さないでほしい。
それから、女の経済力や発言力が増えてくると、男はそれに比例して委縮していくからね。
恋愛や結婚は、女から動かないと子供は作れないよ。ブスな女でも、積極性さえあれば恋愛や結婚することはできるということの裏返しだけど。
ブスでも、自分から男に告白したり、男をリードしたり、プロポーズすることが出来るようになったという点については、フェミニズムの功績の一つ。
ペット業界が拡大し、ペットと呼ばれる子たちの地位が確立してきたとはいえ、世間はまだまだ「ペット」だ。
わんこやにゃんこ、鳥さんや亀さん、うさぎさんや蛇さんに、蜘蛛さんやハムスターといった(他にもまだまだ)子たちが世間からみんな「○○さんちの家族」として見なされてるとはいえない。
ツイッターに書けばいいのかもしれないし、匿名ではないブログに書けばいいのかもしれない。
でもなんだかそんな気分になれないのは、やっぱりそういう方々の目に触れてやいのやいのと言われるのが嫌だからだろうなぁと思う。
でも、それは現実を受け入れたとかではなく、上手に上手に現実逃避しているからなのだと思う。
生後二ヶ月弱で我が家にやってきたダックスさんは、やたらとお鼻と胴が長い、手足の大きな女の子だ。
途中からメキメキとぷくぷく育っていったのだが、これは甘やかしたのが悪かった。
とても柔らかい体つきだったし、小さな頃にヘルニアの手術をしているから抱き上げるときは慎重だった。
彼女は植物にアレルギーがあるので、おうちでゆったりと過ごす温室わんこだ。
朝起きて、ごはんを食べ、運動がてらにわたしの脱いだ靴下をあちらこちらに運んで隠すお仕事をする。
それが終わると夏は涼しいところ、冬はストーブの前に陣取りいびきをかいて寝て、暇になるとちょこちょこと短い足を動かしてわたしのところに来ては抱っこをねだる、甘えんぼさんだった。
調整しても調整しても首輪抜けをするので、なにかコツがあったのかもしれない。
窮屈なリードから解き放たれた彼女は実に楽しそうに駆け出していく。
だけど、名前を呼ぶとすぐに振り向いて、近づいてきてみたり遠のいてみたりと、わたしたちを焦らして弄ぶのだ。
これは小さい頃の話で、晩年は耳も聞こえなかったし、目も見えてはいなかった。
ヘルニア、目、耳、とさまざまなところが悪かったのだけど、彼女はとても頑張り屋さんな子なので、手術の麻酔が覚めると同時にわたしたちを探してすぐさま立ち上がる!なんてこともやってのけた。
それがとても頼もしかった。
亡くなる前日、彼女の息は既に浅く、苦しそうだった。
毎日わたしの隣で寝ているため、わたしもまたそんな苦しそうな姿を見守っていた。見守るしかなかった。
彼女はプライドが高いわんこなので、足腰が立たなくなっても自らトイレに向かおうとした。その彼女が、トイレにも行けず、その場で排便したという事実があの日わたしにある程度の覚悟を持たせたとおもう。
明け方の4時頃、1度彼女は立ち上がり、大きく息を吸って倒れ込んだ。
見れば、ぷにっとした黒い下唇にかかるように舌がちろりと出ていた。
これはまずいと思ったわたしは何を考えたのか、口を開けて、その舌の位置を整えた。
なにがどうなったのか分からないけれど、彼女はいきなり深く息を吸って目を覚ました。
もしかしたら気道確保になったのかな?なんて今になって思う。
その時点で時刻はもう朝の五時だった。
彼女は相変わらず呼吸が苦しそうに横たわっていた。
急変したのは朝の八時半で、いきなり噦くでもなく嘔吐したことにわたしはパニックになった。
わたしの動揺のせいか、出勤前の妹が仕事を休んでついていてくれた。
九時を過ぎたあたりで、わんこが短い痙攣を起こした。収まったあとで、上半身だけ起こすように抱き上げると、わんこはまた大きく息を吸った。あれだけ浅かった呼吸が深く穏やかなものに変わっていた。あれだけパニくっていながら、死に向かう彼女を見てわたしの頭はいやに冷静だった。
大きく吸った息を吐き出して、彼女の体は力なくぐだっとなった。抱き上げて息がないのは分かっていたけど、昨晩のようにわたしは口を開けてぺろんと出た舌の位置を整えた。
もしかしたら昨夜のように吹き返すかもしれないと思ったかもしれないし、もうちゃんと分かっていたのかもしれない。
あまり長くそばにいると、タイミングを見失うだろうという言葉に反論ができなかった。
火葬車で迎えにきてくれて、家の前で焼いてもらう。そうして、お骨上ができて仮位牌も頂けるという業者に半べそ状態で電話した。
確か、正午頃に電話をかけたのだが、向かうのが夕方になるという。
忙しいということはそれだけみんな家族を失ってるひとがいるのだなと思った。
火葬車が来る時間までは、体を拭いたり爪を切ったり、毛をカットしたりした。
生前どうしても切らせてくれない毛玉が取れて、よかったとおもった。
アイスノンで背中とおなかと頭を冷やすわんこの横に寝そべって2時間くらいわたしもお昼寝をした。
お前、そんな状況でよく寝れるなと思うかもしれないけど、眠れない日が続いていた上に前日は一睡もしてなかったので寝れたのだ。
わんこと手を繋いで寝たのだけど、どうしてもおなかに置いてあるアイスノンが冷たくて手を引っ込める、はっと気づいてまた手を伸ばす。そんなことを繰り返した。
業者のおじさんが何だかやたらと明るいひとだったのだが、多分、それくらいの方がいいのかもしれない。
お線香を上げさせてもらって、扉が閉まるのを見た。
1時間半から2時間くらいかかるから、家の中で待っていてくれと言われたのだが、なかなかそうもできなかった。
ただ、おじさんが火の調整か確認のために、炉の小窓を開けたときに、燃え盛る火の真ん中に横たわるわんこの姿と肉の焼ける匂いが今もまだ忘れられない。
ちょうど他のひとか死角になっていたからそれを見たのはわたしだけだ。
後ろにわたしがいると気付かず、小窓を開けてしまったらしいおじさんが少し申し訳なさそうな、労るような表情をしていたのが印象的だった。
そのあと家の中で何をするわけでもなく待っていると予定より早く、おじさんがインターホンを鳴らした。
お骨、直接拾うかい?
本当は頭から順にケースに入れて持ってきてもらい、玄関先で、というのがスタンダードらしいのだが、炉から直接拾わせてもらうことになった。
お骨は綺麗に並べられていて、おじさんが部位ごとに、これはアバラで、これは喉仏で、と教えてくれた。
お尻のほうから拾ってね、という言葉にならい、母と妹が拾う中で、わたしは最後の頭蓋骨と喉仏を任された。
頭蓋骨も喉仏も綺麗に形を保っていた。
頭蓋骨はすくうように拾ってと言われたのだが、最後の最後、みんながわたしらしいと笑ってくれたが頭蓋骨がちょっぴり崩れてしまった。
思ったよりもカサカサでサラサラだったのだ。これがあの子の頭なのかとちがう方向に意識を飛ばしてしまったのが原因だろうと思う。箸使いは上手い方なのに……。
生前服を嫌がったわんこなのに、亡くなってからやたらときらびやかな服を着ているみたいでなんだか不思議だった。
きっと火葬の間に書いてくれたのだろうと思った。
話は変わるのだが、わたしはペットの火葬業者、特に移動式火葬車を持っている業者には不信感があった。
わんこが亡くなってホームページを閲覧し火葬業者を探しているときも不安は凄まじく胸の中をぐるぐるしていた。
けれど、わたしは最終的に直感で業者を選んでしまった。口コミもなく、高くもなく、これといって特筆すべきところのない業者だったのだが、ここを選んでよかったと思えるところに当たってよかったとおもう。
今、明日の初七日を前にして、これを書こうとおもったのは少しでも落ちつけるだろうかと思ったからだ。
ストーブの前に彼女がいないこと、眠るとき隣に彼女がいないこと。日常すべてに違和感がつきまとう。
所謂オタクというもので二次創作にも手を出しているわたしにとってツイッターは都合のいい逃げ場所だ。黙っていてもぞろぞろと情報は流れてくるし、リプがくればリプればいい。恰好の逃げ場所だ。ちがいない。
アジタケーサカンバリン的な死生観を持つわたしにとって、死後の世界の想像は難儀だ。
虹の橋のお話がとても素敵だ、だからこれを信じて生きていこうと思ったところで、理屈っぽいわたしは「飼い主って……え、じゃあ順番的におかんが亡くなったらおかんがわんこといっしょに行っちゃうの?わたしは?」などと思ったりするので、こういう時ほんとうに自分の性格を憎らしく思う。
VIPだったのかオカ板だったのか思い出せないのだけど、死後案内場所のお話だ。
ひとは死後、自分が信じた、あるいは自分の中で印象に残っていた死生観の世界に行くらしい。
スレ主は確か、宗教だとか天国地獄だとか、そういうものではなく、なにかのアニメだか漫画だかで見た「死後案内場所」のようなところにたどり着くんだとか。
そこで、これからどうします?と自分の過去を遡ったりしながら今後の身の振り方(?)を決めるらしいけれど、わたしもわんこはここにたどり着いていたらよいなぁと思った。
「さて、ここからどうする?」
「天国に行く?」
「虹の橋に行ってみる?」
自ら地獄に行きたがることはそうそうないとは思うのだけど、でもこうして選択肢があればそれがいいんじゃないかなとおもう。
うちのわんこはなにを選ぶだろう。なにを選んだんだろう。
残された人間はそうして自己満足で生きていくしかできないのだ。
辛い、悲しい、なにより寂しい。
それでも、どうにか生きていくためにはこの感情を抱えるにしても乗り越えるにしても何らかのきっかけが必要なのだ。
これからもわたしは自己満足で彼女に水をあげ続けるし、大好きだったシーザーのビーフ(まぐろ入り)を供え続けるだろう。納骨を合同にするか個別にするか不毛な悩みに頭を抱えるだろうし、毎日毎日飽きもせず話かけて、飽きもせず写真を取り替えるのだろうと思う。
辛い記憶を振り返りたくはないけれど、それでも毎日毎日思い出していないと記憶が朧気になってしまうことは祖母の亡き後思い知っている。
なんだか、とりとめなく支離滅裂な長文になってしまったけど、残しておきたかったのです。
断滅論の権化であるわたしが言っても違和感なのかもしれないけれど、それでもどうか、彼女が死後案内場所で自分が「このコースいいな!これにしよっかな!」と思えるところを選べますように。
ペット業界が拡大し、ペットと呼ばれる子たちの地位が確立してきたとはいえ、世間はまだまだ「ペット」だ。
わんこやにゃんこ、鳥さんや亀さん、うさぎさんや蛇さんに、蜘蛛さんやハムスターといった(他にもまだまだ)子たちが世間からみんな「○○さんちの家族」として見なされてるとはいえない。
ツイッターに書けばいいのかもしれないし、匿名ではないブログに書けばいいのかもしれない。
でもなんだかそんな気分になれないのは、やっぱりそういう方々の目に触れてやいのやいのと言われるのが嫌だからだろうなぁと思う。
でも、それは現実を受け入れたとかではなく、上手に上手に現実逃避しているからなのだと思う。
生後二ヶ月弱で我が家にやってきたダックスさんは、やたらとお鼻と胴が長い、手足の大きな女の子だ。
途中からメキメキとぷくぷく育っていったのだが、これは甘やかしたのが悪かった。
とても柔らかい体つきだったし、小さな頃にヘルニアの手術をしているから抱き上げるときは慎重だった。
彼女は植物にアレルギーがあるので、おうちでゆったりと過ごす温室わんこだ。
朝起きて、ごはんを食べ、運動がてらにわたしの脱いだ靴下をあちらこちらに運んで隠すお仕事をする。
それが終わると夏は涼しいところ、冬はストーブの前に陣取りいびきをかいて寝て、暇になるとちょこちょこと短い足を動かしてわたしのところに来ては抱っこをねだる、甘えんぼさんだった。
調整しても調整しても首輪抜けをするので、なにかコツがあったのかもしれない。
窮屈なリードから解き放たれた彼女は実に楽しそうに駆け出していく。
だけど、名前を呼ぶとすぐに振り向いて、近づいてきてみたり遠のいてみたりと、わたしたちを焦らして弄ぶのだ。
これは小さい頃の話で、晩年は耳も聞こえなかったし、目も見えてはいなかった。
ヘルニア、目、耳、とさまざまなところが悪かったのだけど、彼女はとても頑張り屋さんな子なので、手術の麻酔が覚めると同時にわたしたちを探してすぐさま立ち上がる!なんてこともやってのけた。
それがとても頼もしかった。
亡くなる前日、彼女の息は既に浅く、苦しそうだった。
毎日わたしの隣で寝ているため、わたしもまたそんな苦しそうな姿を見守っていた。見守るしかなかった。
彼女はプライドが高いわんこなので、足腰が立たなくなっても自らトイレに向かおうとした。その彼女が、トイレにも行けず、その場で排便したという事実があの日わたしにある程度の覚悟を持たせたとおもう。
明け方の4時頃、1度彼女は立ち上がり、大きく息を吸って倒れ込んだ。
見れば、ぷにっとした黒い下唇にかかるように舌がちろりと出ていた。
これはまずいと思ったわたしは何を考えたのか、口を開けて、その舌の位置を整えた。
なにがどうなったのか分からないけれど、彼女はいきなり深く息を吸って目を覚ました。
もしかしたら気道確保になったのかな?なんて今になって思う。
その時点で時刻はもう朝の五時だった。
彼女は相変わらず呼吸が苦しそうに横たわっていた。
急変したのは朝の八時半で、いきなり噦くでもなく嘔吐したことにわたしはパニックになった。
わたしの動揺のせいか、出勤前の妹が仕事を休んでついていてくれた。
九時を過ぎたあたりで、わんこが短い痙攣を起こした。収まったあとで、上半身だけ起こすように抱き上げると、わんこはまた大きく息を吸った。あれだけ浅かった呼吸が深く穏やかなものに変わっていた。あれだけパニくっていながら、死に向かう彼女を見てわたしの頭はいやに冷静だった。
大きく吸った息を吐き出して、彼女の体は力なくぐだっとなった。抱き上げて息がないのは分かっていたけど、昨晩のようにわたしは口を開けてぺろんと出た舌の位置を整えた。
もしかしたら昨夜のように吹き返すかもしれないと思ったかもしれないし、もうちゃんと分かっていたのかもしれない。
あまり長くそばにいると、タイミングを見失うだろうという言葉に反論ができなかった。
火葬車で迎えにきてくれて、家の前で焼いてもらう。そうして、お骨上ができて仮位牌も頂けるという業者に半べそ状態で電話した。
確か、正午頃に電話をかけたのだが、向かうのが夕方になるという。
忙しいということはそれだけみんな家族を失ってるひとがいるのだなと思った。
火葬車が来る時間までは、体を拭いたり爪を切ったり、毛をカットしたりした。
生前どうしても切らせてくれない毛玉が取れて、よかったとおもった。
アイスノンで背中とおなかと頭を冷やすわんこの横に寝そべって2時間くらいわたしもお昼寝をした。
お前、そんな状況でよく寝れるなと思うかもしれないけど、眠れない日が続いていた上に前日は一睡もしてなかったので寝れたのだ。
わんこと手を繋いで寝たのだけど、どうしてもおなかに置いてあるアイスノンが冷たくて手を引っ込める、はっと気づいてまた手を伸ばす。そんなことを繰り返した。
業者のおじさんが何だかやたらと明るいひとだったのだが、多分、それくらいの方がいいのかもしれない。
お線香を上げさせてもらって、扉が閉まるのを見た。
1時間半から2時間くらいかかるから、家の中で待っていてくれと言われたのだが、なかなかそうもできなかった。
ただ、おじさんが火の調整か確認のために、炉の小窓を開けたときに、燃え盛る火の真ん中に横たわるわんこの姿と肉の焼ける匂いが今もまだ忘れられない。
ちょうど他のひとか死角になっていたからそれを見たのはわたしだけだ。
後ろにわたしがいると気付かず、小窓を開けてしまったらしいおじさんが少し申し訳なさそうな、労るような表情をしていたのが印象的だった。
そのあと家の中で何をするわけでもなく待っていると予定より早く、おじさんがインターホンを鳴らした。
お骨、直接拾うかい?
本当は頭から順にケースに入れて持ってきてもらい、玄関先で、というのがスタンダードらしいのだが、炉から直接拾わせてもらうことになった。
お骨は綺麗に並べられていて、おじさんが部位ごとに、これはアバラで、これは喉仏で、と教えてくれた。
お尻のほうから拾ってね、という言葉にならい、母と妹が拾う中で、わたしは最後の頭蓋骨と喉仏を任された。
頭蓋骨も喉仏も綺麗に形を保っていた。
頭蓋骨はすくうように拾ってと言われたのだが、最後の最後、みんながわたしらしいと笑ってくれたが頭蓋骨がちょっぴり崩れてしまった。
思ったよりもカサカサでサラサラだったのだ。これがあの子の頭なのかとちがう方向に意識を飛ばしてしまったのが原因だろうと思う。箸使いは上手い方なのに……。
生前服を嫌がったわんこなのに、亡くなってからやたらときらびやかな服を着ているみたいでなんだか不思議だった。
きっと火葬の間に書いてくれたのだろうと思った。
話は変わるのだが、わたしはペットの火葬業者、特に移動式火葬車を持っている業者には不信感があった。
わんこが亡くなってホームページを閲覧し火葬業者を探しているときも不安は凄まじく胸の中をぐるぐるしていた。
けれど、わたしは最終的に直感で業者を選んでしまった。口コミもなく、高くもなく、これといって特筆すべきところのない業者だったのだが、ここを選んでよかったと思えるところに当たってよかったとおもう。
今、明日の初七日を前にして、これを書こうとおもったのは少しでも落ちつけるだろうかと思ったからだ。
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アジタケーサカンバリン的な死生観を持つわたしにとって、死後の世界の想像は難儀だ。
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ひとは死後、自分が信じた、あるいは自分の中で印象に残っていた死生観の世界に行くらしい。
スレ主は確か、宗教だとか天国地獄だとか、そういうものではなく、なにかのアニメだか漫画だかで見た「死後案内場所」のようなところにたどり着くんだとか。
そこで、これからどうします?と自分の過去を遡ったりしながら今後の身の振り方(?)を決めるらしいけれど、わたしもわんこはここにたどり着いていたらよいなぁと思った。
「さて、ここからどうする?」
「天国に行く?」
「虹の橋に行ってみる?」
自ら地獄に行きたがることはそうそうないとは思うのだけど、でもこうして選択肢があればそれがいいんじゃないかなとおもう。
うちのわんこはなにを選ぶだろう。なにを選んだんだろう。
残された人間はそうして自己満足で生きていくしかできないのだ。
辛い、悲しい、なにより寂しい。
それでも、どうにか生きていくためにはこの感情を抱えるにしても乗り越えるにしても何らかのきっかけが必要なのだ。
これからもわたしは自己満足で彼女に水をあげ続けるし、大好きだったシーザーのビーフ(まぐろ入り)を供え続けるだろう。納骨を合同にするか個別にするか不毛な悩みに頭を抱えるだろうし、毎日毎日飽きもせず話かけて、飽きもせず写真を取り替えるのだろうと思う。
辛い記憶を振り返りたくはないけれど、それでも毎日毎日思い出していないと記憶が朧気になってしまうことは祖母の亡き後思い知っている。
なんだか、とりとめなく支離滅裂な長文になってしまったけど、残しておきたかったのです。
断滅論の権化であるわたしが言っても違和感なのかもしれないけれど、それでもどうか、彼女が死後案内場所で自分が「このコースいいな!これにしよっかな!」と思えるところを選べますように。
欧米が人権団体の圧力で手をこまねいてる間に、中国ではクローンでも人民監視技術でもなんでも好き放題だ。
そして自分がそれら技術を享受するだけの善良な人民だという誤解に満ちた自惚れがあるなら、それは全く問題ないんだ。
むしろ世界をリードする我が国TUEEEEEEEEEEEEEEと言ったもんだ。
そんな折に国家主席が変わって、下手すりゃ人権派や卑屈外交野郎になったらどうするよ。
たかだか国家主席が変わった程度では何も変わらないのかもしれないけど、やっぱりもしもを考えると怖いよ。
だからこのお祭り騒ぎみたいな時代を少しでも長引かせるためにも、もう無期限独裁で良いんじゃねって思う気持ちも分からなくもない。
なおやさんはどっちだったのだろう
良いテックリード、悪いテックリード http://tannomizuki.hatenablog.com/entry/2018/02/22/180410
どっちでもいいけど、そろそろ表舞台に復活してほしい
支離滅裂な文章になってしまっているので訳が分からないかもしれない。ただただ、僕の状況を思い出しながら書き連ねただけの文章。
まず、僕の状況から説明する。某都道府県のトップレベルの進学校に通っている地方国立大理系志望の受験生。判定はセンターで無事爆死して、出願大の二次試験で満点かそれ以上の点を取ってやっとボーダーに乗るか乗らないかのところ。なお、私立大はMARCHを受験はしたけれど受かっても行けない。親が行かせてくれない。現役ではダメ、と言われたため国立に受からなければ浪人。早慶ならいいと言われたが残念ながらそのレベルには達せなかったため受験をしていない。
こんな所に書き込みなんてしてないで、最後の最後まで諦めるな、って言われても残念ながら、この状況でいけると思えるほど強靱な意思を持ち合わせていない。
どう言っても敗者の言い訳にしかならないから気にせず言うが根本的に高校選びから間違えたと思っている。
親、周囲の「できる限りレベルの高いところに行きなさい」という言葉の言いなりにしかなれなかった自分が悪い。自己分析が不十分で、頭のいいやつがいっぱい集まればその中での序列が更にできる、ということに気づけなかった自分がただ悪い。
僕は一小一中の地元の学校に通って成績でトップに位置していた。先取りをして進める勉強は楽しかった。トップに居れることの快感からだと高校に入学して気づいた。
高校の内容を学習し始めてからは進度が遅くなって中学卒業の時点での進度はぎりぎり高校二年の内容に入るか入らないかくらいだった。先取り学習の進度が実際の学年に追いついてしまった事が少し怖かった。
高校で様々なテキストを渡されて気づいた。常に渡された教材を解き続けることで勉強していた僕は一学年分の教材を渡されてどこから手をつければいいか見当がつかなかった。
今思えば、そんなの最初から片していけばいい、ということくらいすぐに思い至る。でも、当時の自分は通学時間も、周りにいるメンバーも大きく変わった状況で混乱していたのだと思う。
そして、高校にぎりぎり、滑り込みで入学した自分は多分周囲から1歩か2歩出遅れていた。そこで勉強を始められていたら今が違っていたかもしれない。
僕はどうしたらいいか分からなくなって勉強をやめた。やめたと言うよりはしなくなった、が正しいかもしれない。表現はともかく勉強時間はゼロに等しくなった。
勉強時間が無くなった僕と初めから少しリードしていて少しでも勉強時間を確保した同級生。格差なんて一気に広がった。
模試の全国偏差値が初め65あったものが2年の夏には30まで落ちた。校内偏差値なんて気にするものではないと言うけれど、数字があるのなら気にしてしまう。
トップであることが勉強のモチベーションになっていたような人間にこの状態から受験勉強を普通に始められる、と思う方が失礼だがどうかしていると思う。
偏差値が最低を記録した2年の夏頃から鬱の様な症状などの心の方の不調が出た。特に親にも言わず、言えず、病院にも行かなかったから断言はできないが鬱だったと思うし、自律神経もおかしくなっていたと思う。2年の夏休み明けから学年が変わるまでは、大体保健室にいた。
3年に無事進級してからは受験が迫ってきたこともあって荒療治に出た。自分を勉強せざるを得ない状況に置いた。塾の授業の出席状況は親に筒抜けだったし、塾の希望制の特訓に参加したりもした。
はじめの頃は机に向かうだけで吐き気頭痛腹痛のオンパレードだった僕も調子に波がありつつも、休憩を挟みながらも一日机に向かえるようになった。
ちょっとやれば成績は上がる。その通りだった。V字回復とまでは行かなくとも『へ』の字をひっくり返したくらいの傾きで成績は上がった。模試の全国偏差値が55になるくらいまではすぐだった。秋以降になると伸び悩んだがまだモチベーションがあった。
冬になってセンターが終わった。数学で序盤にミスを連発したため数学だけで約80点を落とした。この時点で出願した大学に受かるのは絶望的になった。
僕は、進学と浪人、どちらでも選べるようにしたいと出願大のレベルを下げる事を親に提案した。親は僕の提案を認めて次の日学校で先生に候補の大学を出して貰いなさい、ということを言った。
次の日、先生と面談して幾つか候補の国公立大学を出してもらって親に見せた。そこで、意訳するとこう言われた。
意訳ではある。もしかしたら違うことを意図して言葉を発したのかもしれない。でも、受け取る側の僕はこう受け取った。びっくりした。同時に今年度の試験に対するモチベーションがゼロになった。
昨日と言っていることが違う。訳が分からなくなって僕はその日の話し合いを打ち切りにしてふて寝した。もしかしたらその場で真意を問うて意思疎通を図るべきだったのかもしれない。そうは言っても、センターが思わぬ結果に終わってショックを少なからず受けた受験生がそんなに冷静でいられるか。否である。
自分の事は、他の誰よりも自分が分かる。僕は勉強の事で大きなスランプに陥ったから、そしてまだ完全に回復したわけではなくて状態に波があるから、どちらの選択肢も用意したくて提案をした。僕にだって無駄に高くはあるがプライドのようなものもある。出来ることならできるだけ上位の大学に進みたい。でも、心身の状態がそれを許さないことも起こり得る。最悪の事態にならないためにも避難先を用意したかった。
出願を行ったのも自身であったから勝手に出願先を変えることもできた。しかし、しなかった。できなかったのかもしれない。そんな親の言いなりになっている僕が悪いと言われるのならそうなのであろう。
親は自身の体験から僕に苦労して欲しくないと思って様々な事を言ってくれている。そのことには感謝しているし、言う通りにすれば一般に言われるような幸せが訪れるのかもしれない。
でもその途上で僕の人生が絶たれたら?親が辿った時代と現代は事情が変わっていたりもする。親は親で、僕は僕だ。その先にあるものが万が一にも僕の幸せでなかったら?全てとはいわなくとも多くのモノが無に帰すのではないか。
僕はリスクを減らしたかった。ぎりぎりまで行きそうになったことがあるから分かる。もし、もう一度心が壊れたら多分ダメ。理系だから院にまで進学もするつもりでいる。大学と別の院に進もうと思えばそれもできる。そういう選択肢も教えてもらった。先延ばしにして猶予が欲しかった。自分の体制を整える猶予が。
残念ながらその機会は失われた。僕には、高い確率でもう一年死にそうになりながらやる道しかない。もう腹は括った。やるからには自分が許す限りやってやろう。
書いてみるとこうすれば良かったのではないか、というのが出てくる。でもそれは客観的に見た最善策であって当時の選べる最善策ではなかった。勉強の悩みなんて親に話せるはずもなかった。もし、話せたのなら理解もされただろう。日本語は通じるはずである。しかし、そんな事を許すような親ではないと思っている。僕から見るとそう見える。
他の人から見れば何をやっているんだ、と言われそうだが僕がその時に尽くせるベストを尽くした結果である。
内容が飛躍するが、親への不満、入試の仕組みへの不満、何より自分への不満がとにかくある。
もちろん、親に関しては自分へ金銭、時間の投資をしてくれた事への感謝もある。けれどもいつかは不満を、一覧にしたものを、突きつけたい。突きつけられるようになりたい。自分の意見をきちんと突きつけられるようになりたい。
出る杭は打たれるような所ではあるが打たれてなお出ていよう。自己で決定ができるようになろう。
かなり長い文章になってしまったから、最後まで読んでくれた方はいないかもしれない。もし、ここまで見た方が、この文を読まれたのであるならば感謝を伝えます。ありがとうございます。
タイムを競う競争競技、技術や表現を評価する採点競技がほとんどの冬季競技の中で、チーム
同士が対戦し明確な点数により勝敗が決まるのは元増田の言うように他にアイスホッケーくらい。
観客視聴者にできるのは結局のところ応援するだけというのはかわらないが、カーリングは
試合中に解説を聞いてるだけで居酒屋野球談義くらいの話はできるようになる。
見慣れていないとスロー再生でも4回転かどうか、ダブルコークかどうかよくわからない、
解説や審判の言うままに見ている。着地成功したかコケたか以外は素人目に判別しがたい。
アイスホッケーもパックが非常に小さく素早い。おかげでスピード感と迫力が出るのだが
カーリングは目に優しい。
方向速度回転見極めながら声かけあってデリバリーする過程を10秒以上かけてじっくり見て
いられる。
試合展開が早くすすんだりコンシードによって短く終わることはあるが、ポイント制の競技で
ラリーがひたすら続いたりデュースの応酬で時間がかかったり野球のように延長回で双方0点
の息詰まる攻防が続いたりしない。
延長になればシンキングタイムも追加されるが、どちらかが点を取れば終わる。ブランクゲーム
が続いて延長し放題とはならない。
盤面見れば状況がわかる。何なら途中でトイレタイムで抜けても問題ない。
民放だとエンド交代にCM挟んでリードの何投かを抜かされてしまうのがやや残念。
男子はストーンが貯まったハウスを一気にクリアできる爽快感、予測しきれない盤の変化の妙味。
女子はそれができないからこその混雑した局面で正確なショットが求められる緊張感。
採点競技は審判が絶対、アイスホッケーも格闘をブレイクさせる審判は重要。
カーリングでは双方の選手たちが主体となって点数も決定し、どうしても微妙な時だけ
メジャーの出番が出て来る。
大抵の冬種目はヘルメットやゴーグル、タイツ等が必須のため、選手の顔と名前を一致させるのが難しい。
カーリングは顔周りに余計な装備がない上、一投ごとに正面アングルで放送されるため顔がよく分かる。
冬種目の中でも屈指の露出量であり、個人種目が競技・採点合わせて数分で露出終了のところ、一試合3時間程度を最低9試合は放送される。
ピンマイクがついているおかげで試合中の声掛けがよく聞こえる。キャラクターがわかるし、試合の緊迫感も伝わる。
敵側の声も、言語は不明でも焦っているのか落ち着いているのかくらいは分かるので問題ない。
今回は特にだけど、風や天気など自然の影響がないため、選手の実力が勝敗に直結する。公平性への安心感がある。
ジャンプ競技のように風向きがしょっちゅう変わって不運だったね、というのは見る側もつらい。
同じレーンを交互に使うから、対等な条件下でやっているなーと納得できる。
全くケガが無いとは言わないが、冬季競技はケガどころか死にそうな種目ばかりで怖い。
試合数が多いこともあるが、1試合の中でも大抵は挽回のチャンスが来るので、たった一つの少々の失敗が4年間の終了を意味しない。
転倒、不慮の交錯、その他、数十秒から数分の中におきる1つのちょっとした失敗ですべてが終わる競技が多いので、見ていてありがたい。
当然勝敗に直結するミスもあるが、概ねそれは長丁場の試合における大きなドラマになる。
団体種目は他にもあるが、基本的には個人得点の積み上げだから、類似するのはキーパーがいるホッケーくらいか。
リード、スキップ等の投擲順における役割、投擲の中でスイープする人など、役割分担の中で進むので、
おしえてくれ。
大抵の冬種目はヘルメットやゴーグル、タイツ等が必須のため、選手の顔と名前を一致させるのが難しい。
カーリングは顔周りに余計な装備がない上、一投ごとに正面アングルで放送されるため顔がよく分かる。
冬種目の中でも屈指の露出量であり、個人種目が競技・採点合わせて数分で露出終了のところ、一試合3時間程度を最低9試合は放送される。
ピンマイクがついているおかげで試合中の声掛けがよく聞こえる。キャラクターがわかるし、試合の緊迫感も伝わる。
敵側の声も、言語は不明でも焦っているのか落ち着いているのかくらいは分かるので問題ない。
今回は特にだけど、風や天気など自然の影響がないため、選手の実力が勝敗に直結する。公平性への安心感がある。
ジャンプ競技のように風向きがしょっちゅう変わって不運だったね、というのは見る側もつらい。
全くケガが無いとは言わないが、冬季競技はケガどころか死にそうな種目ばかりで怖い。
試合数が多いこともあるが、1試合の中でも大抵は挽回のチャンスが来るので、たった一つの少々の失敗が4年間の終了を意味しない。
転倒、不慮の交錯、その他、数十秒から数分の中におきる1つのちょっとした失敗ですべてが終わる競技が多いので、見ていてありがたい。
当然勝敗に直結するミスもあるが、概ねそれは長丁場の試合における大きなドラマになる。
団体種目は他にもあるが、基本的には個人得点の積み上げだから、類似するのはキーパーがいるホッケーくらいか。
リード、スキップ等の投擲順における役割、投擲の中でスイープする人など、役割分担の中で進むので、
おしえてくれ。
増田なりにお金のかからない方法で雰囲気変えようと試みた、っていうのは理解した。が、それで雑木林や墓や公園はやっぱり違う気がする…
大人しい子なら、わざわざ会話を盛り上げなくてもいいのではと思うよ。付き合い浅い時に会話がないと沈黙が重く感じちゃう、っていうのも分からんではないけどね。
男がリードすべきとか言うつもりは無いけど、大人しい子を相手に選んだのは増田なので、やっぱりもうちょっと気にしてあげて欲しかったかなとは思う。彼女も「もう無理別れる!!」ってなる前にこうしたいとかこれはちょっと、とか言うべきだったとも思うけどね。
現在、フィギュアスケートの男子シングルは世界ランクワンツーが羽生と宇野、今回五輪に出る田中刑事も15位。女子シングルに至っては、世界ランク15位以内に日本女子が5人も入ってる。これは、メドベデワ、ザキトワを抱えるロシアの5人より多い。フィギュア女子はスター不在とか言われてるけど、正確に言えば、全員強すぎて際立って最強ってのがいないだけ。
つまり、現在フィギュアスケート最強は日本といえるんだが、ペアとアイスダンスは全くパッとしない。ペア世界ランク25位の須藤オデ組は男性が日本国籍じゃないし、五輪に出てる須崎木原組は世界ランク38位。アイスダンス14位の村元リード組の次は53位だ。
フィギュアスケート自体競技人口が多い競技ではないけど、少なくともシングルは地方大会にそれなりの人数が集まり、全日本の枠を争う程度には人口がある。
でもペアは、地方大会じゃもう誰もいない。「ペアでやってる」ってだけで自動的に全日本に出れるレベル。そんで、全日本に出てくるのも3組や5組くらい。
その人数でも世界ランク50位以内には入るんだから、大したものだとは思うけれども。世界的に見れば、シングルよりペアのほうが人気あるからね。
仲良くしてた同僚がいて、当たり前だけど2人は対等で、だから例えばご飯行くってなると、
「ここに行ってみない?」って店の提案をほどよく交互にするような感じなんだけど
その同僚は、彼氏がいる時期といない時期で、結構その立ち位置が変わってしまう。
彼氏がいる時期は、私といる時も「彼女モード」になるというか、「女モード」になるというか
「どこでもいいよー(○○クンが決めて的な)」「どこかいいとこない?」って感じの人になる。
例えば店に入る時、どっちかがドアを開けて「二人です」って店員に言う、その役も
彼女に彼氏がいない時期は適当に、私も彼女もどっちもがやるんだけど、
彼氏がいる時期は、ほとんど私に先に行かせて、その役をやらせるみたいなこと
彼女は彼といる時は、そういう、男性にいろいろやってもらったりリードしてもらうのが普通ってことなんだと思う
使い分けしてるってことじゃなくて、自然と、彼氏がいる時期はそういうモードになるって感じなんだよね
俺はゆりもこ派、
より正確に言えば
ゆりもこを成立させる
「黒木智子となかまたち」
が尊い派なんだ。
つづいさん?へーって思ってたけどそれが今はよく分かる。
ページを捲る手がしんどい。
推しが尊いというか、推しが尊い様態を成立させている場が尊い。
これはなんで尊いのか、
って時々考えるわ。
がピークだ、
そういう意見をよく見る。
確かに「まとまり」的な意味ではあれでいっちょ上がりかもしれない。
しかし俺は、
そういいたい。
つかの間の運命が終わると、
そんな感じが尊いんだな。
そう思うわ。
<h3>o- ****秘技コメント全返し*****</h3>
>>はややーよりはややー
はややーってなんだよ!!
>>うちもこ派だが気持ちは同じだ。だけど(ここからうちもこ語り)、うちもこにはまだまだ先がある。他のヒロインと比較して「好きな人いる」とまでの自覚さがあるのは、大きなリードだと思う。
性癖こそ違えど、志は同じだな。
うちもこがあるからこそゆりもこが光るし、ゆりもこがあるからこそうちもこが輝く。
そういう話だよな。
>>お、同志よ 俺もゆりもこ派だ 早くもこっちはゆりちゃんをあだ名で呼んで、修学旅行以前の表情豊かなゆりちゃんに戻してほしい このままだとゆりドンと握撃が止まらない|12巻発売前なのに知ったかする奴来たな
でももこっちはゆりちゃんをあだなで呼ばないほうが尊いのではないか?とも思う。
そこは意見の違いだな。
あさま山荘みたいな話だわ。
>>ガチ目の社交不安障害漫画から3学年目でこうなってるっていうのがいろいろすごいよね
あの時期があったからこそ今の尊さが有るよね。
しょっぱなからいまのをみせられても、?だと思うわ。
見とけよ
>>ネモクロ派だけどどの関係も尊いししんどい。初期のもこっちは良かれと思ってやったことが全部裏目に出てたけど、今は奇行が良い方向に転んでて読んでるだけで多幸感が凄い。凄い。
もうなんか、キャラがいて、なんか喋って・・・尊い。しんどい。みたいな。
増田ばっかりかいている俺みたいなのにも誰しも有る数ヶ月の尊い日々、
そういうのがギュッとつまってると思うわ。
>>レズは全てを浄化するからな。これだけ政治的に正しくなった社会でこの期に及んでまだ男が好きな女って意味わかんない
たしかにそうだな。男は男と、女は女と恋愛するのがいいみたいなことを漫画キャラが言っている画像を見たことが有るが、一理あるわ。
>> ネットで大人気は大抵なんJで大人気の言い換えだからな。それで売れてるんなら良いけど、わたモテ売れてるって話あんま聞かんのよな。アニメ化で以前の数分の1位しか売れてないって聞いた時可哀想だったな。
でも、それでもいい。黒木智子となかまたちの尊い関係が続いていけるならそれでいい。
そう思える。
内さんいらないって
そういうゾクゾク感があるよな。
こっちの方がほんきでやってる感ある。
>>(わたモテってどっちだ、どっちの話だ)というところからいつも始まる