はてなキーワード: マイルドヤンキーとは
さっき地下鉄で帰宅中に、ベビーカー連れの親子に散々嫌がらせをしていった中年男性がいて、胸糞悪くなった
19時過ぎに電車に乗ると、ベビーカー2台, お母さん2人, 2~4歳くらいの子供3人が、電車の席3シート分くらい使って座っていた。
少しベビーカーが場所を取っていたが、5人分で3シートなら全然問題ないレベル。
とくに泣き叫んでいるわけでもなく、ワイワイ親子団欒していた。
ちょっと狭いけど、その横が空いていたので座った。
スマホの電池も切れてたし、なんかはてぶでストレス発散には瞑想と運動がいいとか言ってたから、何も考えずに瞑想っぽく座っていた。
すると反対側に立っていた男が、突然こちら側にきて、お母さん達のほうに手を突き出していた。
瞑想中だった俺はとくに振り向きもせず、ぼんやりみていたので、何をしているかわからなかったが、
「ああ、子供のお父さんなのか、何かお菓子でもあげてるのかな。俺が隣に座ってしまったけど、大丈夫だったかな」
とか思いながらスルーしていた。
数駅過ぎて、その男が電車を降りようとしたとき、ベビーカーに男の足がかかり、ベビーカーが倒れそうになった。
子供がいる座席側に倒れそうになって、子供が圧迫されそうになっていた。
あっぶねーな、とか思ってたが、男は謝罪もせずドアの前に行ってしまった。常識がない奴だな、とか思っていると、ドアの前で男がお母さん達に向かって指を指している。
初めは、知り合いに向かって、なんか示しているかと思っていたが、よく見ると中指を突き立てて見せつけている。
ここでようやく、その男が悪意を持って一連の行動をしていたことに気づいた。ベビーカーにつまづいたのもワザとだ。途中、手を突き出していたのも、おそらく去り際と同じく中指を突き立てていたのだろう。
めちゃくちゃ胸糞が悪い。子連れや妊婦に嫌がらせをされるという話は聞いたことがあったが、目の前で実際に見て、マジでこんな糞な奴がいるのか、と呆然とした。 お母さん達は何も抵抗せず、子供の身を案じていた。抗議しようにも、子供になにかされたら、という思いで何もできなかったんだろう。そんな守るべき立場の人に向かって、嫌がらせをしていくとか本当にありえない。ここまで終わってたか、日本。
フィンランドに住んでたことがあるんだが、本当に子連れにやさしい社会だった。
電車やバスは、ベビーカーを連れた親子連れは無料になるし、ちゃんとベビーカー用のスペースも用意してある。フィンランドのバスは前から乗って真ん中から出る方式だが、ベビーカー連れの親子の場合は広い真ん中の出口から乗ることができる。降りるときは、ベビーカーを降ろすのを他の人が手伝ってくれる。だから公共交通機関にはベビーカーを連れた親子が多かった。 こういう経験をしていると、本当に日本の糞さを痛感する。
一番の原因は、国民性ではなく、人口過密と交通公共機関のキャパシティだと思う。人が過密していると誰だってイライラするし、問題も起こりやすくなる。 普通の自転車を電車に持ち込んだ経験ってある? フィンランドだと持ち込めて、ちょっと電車乗ってから別の場所でサイクリングすることも簡単だった。すごい快適。自転車持ち込めるくらい余裕があると、ベビーカー乗せててもそんなにイラつくことはないだろう。
もちろん国民性とか民度も原因だとは思う。日本人は、他人に迷惑がかかることを極端に回避する国民性で、レジで会計手間取ってるだけで迷惑かけてしまってると感じてしまうレベル。
他人に迷惑をかけないが身にしみすぎて、個人の事情よりも水知らずの他人のほうを重視せざるを得ないようになっている。
たまたま周りに不利益を被る形になったとしても、たまたま自分がその事情・立場になってしまっただけで、他の人がそうなる可能性もある。だからこそお互い様で、許容しあうという考えが少ない。
少し話はズレるが、日本人の気遣いが色々な変化を経て、いびつなものになってる気がする。
初めは、一人のちょっとした気遣いから始まり、その行為が良いと評判になると、みんながそれをし始める。ここまではすごくいい話。 それがいつの間にか、みんなが守らならければいけないマナーになり、守らないと批判されるようになる。 別にその気が無かった人も、集団的な価値観により、それを守らなければいけなくなり、我慢し始める。こういう人は、守っていない人を見ると非難をし始める。 こういう社会になると、本当に生きづらい。
さらに、我慢してた人が、我慢しないほうが自分の得になる、と気づいておかしなことになる。今の日本はこれが進み始めてる気がする。保育園建設反対運動とか、マイルドヤンキーとか。
なんか僕よく分かんないんですけど、それは口にすれば僕を倒せる魔法の一言なの????
そういうつもりじゃない……???って言おうとしてたらそれ捨て台詞だからやめてね???
そんでもってそう返すと「そういう返答自体がお前の地方性を浮き彫りにしている」とでもいうの?でもそれ苦しい返しだよね?
(アウトロ)
一応言っておくとなあお前、いわゆる「地方アゲ」叩きをほのめかした上でYENTOWNをアゲてんだよ
もしそういうのじゃないレベルで地方臭を感じたなら言ってくれよ
いつでもアンサー返すからよ
ヒップホップ・ラップがいま再び台頭しようとしている!!!!!!!!!!!!
火をつけたのは「フリースタイルダンジョン」のブレイクだろう!!!近年、フリスタ文化の静かな熱狂を体感していた増田だったが、この番組のヒットによってフリスタ文化を知るようになった人が増えたように思う!!!!!
ここにネットラップの台頭を付け加えてもいいし、少し前になるが田我流などのスマッシュヒットを補足しておいても良い!!!いずれにせよ、様々な面でヒップホップが新たな流行を迎えようとしている!!!!!
こんなツッコミが聞こえてくる!フリースタイルとは下らないプロレスである!!!
大して嫌いでもない相手を無理矢理ディスり、色々あって最終的には和解へといたる!!!
これは「自己と世界との間に見せかけの距離を設定した上で和解へと導くそのからくり」ではないか!!!!!!!!!
あるいは、最近流行のヒップホップとは結局のところいわゆるマイルドヤンキー文化である!!!
あるいは、彼らが大事そうに提示するマリファナとは結局健康志向の裏返しに他ならない!!
果たして健康志向の文化が面白かったためしがあるだろうか?!?!?!?!?
あるいは、ツイッターのアニメアイコンの連中を見れば分かるように、ヒップホップは彼らによって「再領土化」されてしまった!!!!!
無論そこから脱領土化のラインを見定めて言祝ぐことは可能だが、しかしいずれにせよつまらないものになってしまったと。!。!。!。!
これらの言説に頷く面はあるし、他方認識を正したい面もある!しかし、ここではその道をとらない!!!!
YENTOWNというグループがある!!あえて詳しく説明しないほうが楽しいと思うので、いくつか動画を貼っておく!!!!
https://www.youtube.com/watch?v=bQIPF2wwM34
https://www.youtube.com/watch?v=3TWgJFrhbw8
ご覧いただければ分かるように、「キメたもん勝ちの世界」である!!!
この「キメる」は先ほど述べたように、最終的に健康志向に回収されるものではない!!!単にキメたくなったからキメるのだ(実際どうなのかは知らないが)!!!
あるいは、フリスタに見られる「対立—和解」構造であったり、地元志向であったり、女をはべらすなどといった紋切り型がここでは華麗に退けられている!!!!!!!!
人間、どうしようもなくメチャクチャなことがやりたくなったときはメチャクチャやるのだ!!!!!(怒)そんな気分にさせられる!!!!
予定調和的な物語にうんざりしている人、退屈なコミュニケーションに飽き飽きしている人、そして何より、自由を強く求めている人にはこの音楽を強く勧めたい!!!!!!!!!!
死にてえ
うまくいったと思った面接で祈られるのもくるし
こうやってつらいつらい言ってても高々十社とかしかうけてないわけで
世の中には五十社百社うけてそれでも前を向いてるやつがいて
それなのにこの程度でへばってるあたりが死ぬべきっすよね
精神力忍耐力すら足りてない
国立理系の院まで行ってこんなんじゃ養育してきた税金を毎日のクソに変換してるようでゴミ
いっそ障害者認定された家族ごと世の中から消える方が人様のためだと言われるんじゃないか
研究も進まないし
交際? なにそれ?
それでも一応存在はする周囲とかに大企業がスタンダードみたいな言い方をされたりするわけで
そんな期待をさせてきたことがもう何本首吊りすればいいんですかって
マイルドヤンキーとやらにもなれそうにないし
ああ、適当に死ねば? って声が聞こえますねごめんなさいごめんなさい
いわゆる鬱病でもないし
かといって健康体でもないし
こんなだけど楽しいことがあれば喜ぶんですよ
悲しい面だけなんてできないんですよ
「死ぬべきだ」って話はわかってるし
望めば「あなたはそのままで生きていていい」ってお言葉が各所からもらえるのだって推測できる
甘いね
へどが出るほど甘いだろ?
軟弱なんだろって?
銃殺されるようなこともしてない
人を殺しも殺されもせずに死ぬべきだとか死にたいだとか言って延々と過ごしてる
開き直って収監されるレベルの犯罪者になれば何か変わるんだろうか
阿呆のざれ言?
大体ナイフを握って怯んでなにができるってんだよ
度胸くらい身につけろよ
はあ
死にたくて生きたい
といっても勤労はすばらしいという話じゃないし、ゲイツやジョブスやアインシュタインの話でもない。
・アメリカをタバコ畑から世界大戦の勝利の立役者に変えたもの。
どれも、「日当三千円払えば大喜びで働いてくれる大量のカッペ」が成し遂げた躍進じゃなかろうか?
この資源が埋まってるのは、テレビ、冷蔵庫、車が村に数台で、赤ん坊が死にまくって、子どもも川で死にまくるど田舎。
若者が村に錦を飾る夢を見て、大雑把な計算で都市に出て、昼夜を問わずめちゃくちゃ搾取されたから国は成長したんだよ。
この資源が湧き出す時代なら、政治家も起業家もちょっと巡り合わせがいいだけでバカでも務まる。
これらの資源は中国ですら枯渇気味で、今の埋蔵量が多いのはインドやバングラディシュだよね。
靖国で英霊に感謝の気持ちを伝えよう!と訴えてくださる方に質問です
現代科学の初歩的な共通認識では、脳の活動が停止すると意識も消滅するとされています。
つまり英霊に感謝の気持ちを伝えようとするなら、英霊の皆さんの脳活動が必要となるということでよいかと思います。
ところが英霊の皆様は亡骸になられて久しく、脳活動どころか脳組織そのものが失われて70年、構成していた分子もおそらく地球上に散逸している状態です。
このような状況で、英霊のみなさんに感謝が伝わるとするのは、あまりにも根拠が薄弱なのです。
どれくらい薄弱かというと、水素水でいうと、H800Oくらいであると思います
それにくらべれば、体組織が保存されていたキリストの復活のほうがまだましです。それでもH300Oくらいイッてると思いますすけど。
それでもなお、靖国に英霊へのマジ感謝を訴えたくなるのですから、皆さんには何か理由があるはずなのです。
というわけで拙案ですが、みなさまの理由をある程度分類させていただきました。
ご自身の当てはまると思うものに丸をおつけください。あるいは下に属さないご自身のカテゴリを教えて下さい
1.科学では計り知れない領域があるよ。英霊の皆様はそちらにおわしますよ。その領域は水素水くらい神聖だよ(紅茶キノコ派)
4.そんなの信じてるわけねぇけどw、他人を従わせる快楽が目的なんで(マイルドヤンキーリーダー派モコモコ団)
5.いたずらです。あとでテッテレ~奏でる(バラエティっ子派)
6.俺が童貞派遣社員なのは、国民の靖国神社への感謝が足りないせい(アイアムアヒーローにときどき登場派)
> たまにテレビで昔のヒット曲を振り返る番組とかやってるの見ると、80年代辺りはいい曲だなって思うのが多い。
http://anond.hatelabo.jp/20160523225722
ひとつは、生存者バイアス。長年残って今でも紹介される曲は、優れた作品だけ。
ちなみに、80年代歌謡の流れを汲むアーティストもたくさんいるし、いい曲もたくさん書かれてるけど、テレビやオリコンチャートなどの表舞台に登場しない。
つまり売れてない。誰もがCDを買う時代じゃなくなったので、少数派が聞く音楽が、市場価値を持たなくなっている。
アイドルとかアニメソングとか演歌とかの固定客がいる音楽のほかは、マイルドヤンキー層に好まれる、誰にでもわかる簡単な歌(EXILE、西野カナみたいな)しか売れなくなってるから。
逆に、今80年代のニュアンスを徹底的に研究して曲を作っている人は、ゲーム業界とかアニメ業界とかの音楽担当に多い。
あとは、K-POPとか台湾とかタイとか、アジアの各国も日本の過去のアイドル歌謡を徹底的に研究し尽くして、取り入れてるよね。
結婚して楽しいぞーwwwwww系の2chまとめを見てて違和感を感じた。
なぜ楽しいか説明がマッタク無い。子供かわいいとか、家に人が居て幸せとかだ。
多分、嘘は言ってないんだろうけど、なぜ楽しいかがマッタク説明されない。
だって、そういう奴が炎天下パチンコとかやってんだろ?脳タリンだから幸せだけを見れる。
俺はこういうのが実際理解できない。
というのも、多分俺に感性が無い。
俺みたいな奴は結構いるんじゃなかろうか。小中高大学とまったく人付き合いが面白くも無く、まったく学校生活が面白くなかった奴。
映画や漫画みたいな青春はジョークだとしても、その100分の1も面白くもない。友達とゲームだのしたこともなく。休み時間も一人で読書してたような奴。
そういう奴は多分もとから、理解する感性が無いんじゃなかろうかと思う。
で、俺は高学歴になってエリート職になってみて。8割くらいはまともな奴だけど、2割くらいは俺みたいな奴が居ることに気がついた。
いや、その8割って奴も半分くらいは「リア充的な感性を持っているフリ」している奴らだと思った。
皆頭がいいし心も根はいい奴ばかりで、なるほどこれが知的エリートの当然だよなって思うんだけど。
この人達がはたして小中高と楽しめたのか疑問だった。
高校は一応全国トップレベルの高校だったが、それでも一部のドラマとか見ない陰キャラとしか友達になれなかった。
正直、小中の頃のクラスメートは動物園の動物、もっと悪くいうと、障碍者学級に正常な人が突っ込まれた気分だった。
少なくとも日本社会はそういう中流から下流の層にマッチした社会が作られている。
高学歴には高学歴の社会があるが、世の本流はドキュン用、いわゆるマイルドヤンキーってやつか。そういう層に向けた社会だ。
俺みたいなダイブ知能の高い奴にとっては、動物園の管理みたいで生き辛い。
でも、世のボリューム層がマイルドヤンキーなら、マイルドヤンキーに都合のいい社会になっていく。
特に、女がドキュン大好きだから、ドキュンがいい女を若い内抱きまくって、ドキュンが繁栄する。
まるで、民族浄化(占領した国の女を妊娠させまくって民族を追い出す的な)みたいだ。
世の学歴社会に乗ってなんとか俺みたいな奴らはサバイバルしてるけど。
そうだよなあ。自然にとっては、俺みたいな馴染めない奴は不自然だから、なんらかの淘汰があるべきだわ。
俺みたいなのが世の大半になったら滅ぶわ人類。
これを代償する圧力って当然あるわけで。
それがドキュン圧なのかな。
週末に首都高乗ろうとしたら、入り口の電光掲示板に4月から料金が変わりますの案内。
は?ナニソレ。ドライバーの中では常識?そんなニュース全然聞いたことないんだけど。
それでどうやら調べてみると、まずは車種が普通と大型の二種から、軽・二輪、普通車、中型車、大型車、特大車の5種に分かれるらしい。
それぞれで料金が異なり、普通車の場合は最低区間が500円から300円に値下げするも、上限金額が930円から1300円まで伸びるとのこと。
ついでに現金は一律以下の通り。
軽・二輪 1,070円
普通車 1,300円
中型車 1,380円
大型車 2,040円
特大車 2,600円
軽と二輪車は値下げだからラッキーだけど、これでまた都心と郊外の距離が離れて郊外のマイルドヤンキー化が更に強くなりますね。
でも、その表題が「4月(予定)からの首都高の新たな料金(案)について」みたいに括弧書きだらけでいまいちはっきりとしないんだよね。
世の中には「コミュ勢」とでも言うべき層がいる。
「コミュニケーションが一般人がもてる最大の価値である」、「コミュニケーションを通じて自分の認識の正しさを再確認したい」、「コミュニケーションを通じて自己表現や自分の価値を発信したい」、「コミュニケーションを通じたコミュ内のカーストゲームが人生そのものである」といったような思想、信条を持つ人。
そして、その数や割合はびっくりするほど多い。
かといってこの「コミュ勢」のコミュニケーション能力が高いということはなく、どうも、その能力とは無関係らしい。思想、心情なので当たり前といえば当たり前だけど。
問題は、この「コミュ勢」というのが、社会的にも自己認識的にも、言語化されてなく認識されていないところだ。
例えば、適当な最近流行りのアニメのファンコミュを覗いてみると、半数以上が「コミュ勢」だということも少なくないように思う。
「作品Aが好きなので見ているだけで利益だ」という人間と、「作品Aについて語るというコミュニケーションで何か利益を得る」という人間は、全く別の人種なのだ。
後者はコミュニケーションの中で、自分の有能さを確認したり、ブームとの一体感を得ようとしたり、孤独を埋めようとしているのであって、作品Aそのものは、後者の中で重要ではない(重要だと本人が思い込んでいることは、往々にしてありうる)。
前者の価値観で言うと、作品を生み出したクリエイターは、自分が夢中になれる宝物を生み出してくれたので、リスペクトの対象だ。
しかし、後者の価値観で言うと、雑談のネタを作り出してるだけなので、消費対象であって、リスペクトの対象ではない。極端な話、名作映画も、ベッキーの離婚話も等価だ。その話題に注目する集団(コミュ)が発生して、そこで(擬似的にでも)会話ができればそれで良いのだから。
ぶっちゃけ、今の時代「ヲタク」だと自己認識してたり世間から言われている層の、過半数が、後者の「コミュ勢」なのじゃないか?
思うに「リア充」と呼ばれる人たちあるいは「マイルドヤンキー」と呼ばれる人たちは、「コミュ勢」である自覚があるし、自認もしている。彼らは生活の中でいろんなイベントがあるけれど、たとえばカラオケに行ってもバーベキューにいっても、それそのものが、一番大事なことだとは思っていない。「そこへ誰と言ってどういう関わりを持つかが大事」だと認識しているし、公言している。
そういった彼らの態度は、たとえば「本物のバーベキューファン」からすれば、「バーベキュー蔑視」「にわか」みたいに否定されるかもしれないけれど、でもそれは、彼らリア充マイルドヤンキーの思想信条や普段の言動とは矛盾してない。彼らは最初から「ダチが大事だし、良いダチがいれば何しても楽しい」と言ってるわけだからだ。なので、その点に関して、彼らは誠実であると思う。
一方、オタクコミュで後者が忌避されるのは、彼らが彼ら自身を「コミュ勢」だと認めない点にある。彼らはコミュ参加の手法として「作品ファン」「サブカルファン」を装う。
自己批判も含んで告解するけれど、リア充もしくはマイルドヤンキー的な生き方というのは、増田では馬鹿にされるけれど、それはそれで大変だと思う。彼らは「語るテーマやいっしょにする遊びそのものではなく、誰(=友達)といっしょにするかが重要だ」というスタイルを持っている。それは逆にすれば、語る内容や一緒に過ごす遊びそのものの魅力と切り離して、自分の友人や人間関係を維持する宣言だからだ。つまり俺(の人間的魅力と気遣い)とお前(の人間的魅力と気遣い)で、俺とお前の関係を構築維持する、ということであって――それってかなり偉業じゃないだろうか? 少なくとも自分は趣味というコアを除去して友人関係を維持するというのは負担が大きいと感じる。
非常に露悪的に表現するならば、Webのオタク界隈で暴れている「コミュ勢」などというものは、「コミュで他人と関わることが至上だと考えているくせに、リア充グループに入れなかった落ちこぼれ」「ヲタク界隈でだったらマウントできると勘違いした自意識が肥大した無能」であるとすら言えると思う。
そういった考えを元に展開すると、「にわか」という罵倒語の存在は、ある作品のコミュにおいて、コミュ勢とコミュ勢の勢力争いとして生まれるように思われる。「このコミュは俺が先に目をつけて縄張りにした場所(作品愛とは無関係)なのだから、あとから参入してきたお前らはおとなしく俺の下につけ」的な話なのだろう。
一方、ただ作品を愛してるだけの人にとっては「作品を愛し鑑賞するという価値観以外を持って、コミュから利益を得ようとするなよ」としか、その手の騒ぎにたいして思いをモテない。