はてなキーワード: ゾーンとは
というのも、
キリン、どんな声で鳴くか知ってる?
どんな、声かしらね。
で、エサやり体験、
なんか思わず手まで持ってかれそうになって怖かったけど
それに近寄ってくると顔デカイし!
なんかさ、
このキリンに限らず、
なんか分かってるらしいわね。
ほんと、手をかじられないか、
結構終始怖かったけど、
手は持ってかれなかったわ!
でもね、
ゾウさんのエサやり体験は
それって、じかに手でエサあげたら
手、持ってかれるってこと?
ちょっと怖いわね。
次はヤギさんよ。
キャベツ持ってヤギ園の中に入ると
またたくまに、ヤギさんはキャベツを食べちゃたわ。
ヤギさんもヤギさんで、
心配だったけど、
案外みんな大人しかったわ。
とにかく、手とエサの区別が付いてるのかしら?と終始思った
よい増田を。
キャベツの千切りがたくさん余ったので
飼育係の頃を思い出すにおいだわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張ろう!
もうオタクといえばこんな奴、みたいな人物像が成り立つ時代じゃないんだよね。
出回っているカルチャーが多様すぎるから「お互い分かるネタで盛り上がりたい」って考えは欲張り。
リアルの付きあいだと特にね。それはみんな多かれ少なかれ感じてる。だから
あまり相手の趣味らしきゾーンを狙っていなくていい(どうせハズレ率が高い)し、
「ごめんよく分からんわ」となっても気まずく思う必要はないよ。
共通してそうな趣味ではなくて、実際共有してる環境や過去や現況の話をしとけば十分だと思うね。
それから土9、ジャニーズ主演、漫画原作が王道路線になっていき
果ては少年漫画の実写化のような際物くさい企画をやるのが日テレのお家芸のようになっていった。
結論から言うと、布屋で2メートル5600円の布を断れずに購入し、「あ、私マルチ商法とか笑えないな」と気付いただけの話です。
=====
変な宗教に勧誘されそうになったり、所謂「自己批判」をしかけられた分けではなく、相手はただ布を売ろうとしてきただけなのですが、それすら断れなかったことにショックを受けたので文字にすることで冷静になりたかったのと、
買いたくない布を買うに至るまでのプロセスがテレビやネットで読む「洗脳」のプロセスによく似ていると感じたので、同じような状況に立ったときに思い出して貰えればと思い、初めての増田投稿をしました。
ちなみに2メートル5600円は、布の値段としてはちょっと高いぐらい。
上を見ればキリが無いが、主婦が結構奮発して買うぐらいの物だろう。
布自体は悪い物では無いけれど高級品と言う分けでも無く、老夫婦が趣味でやっているようなお店なので、友達相手の商売ならまあそんなものかなって言う商品。
ただ私はその時その店で何かを買うつもりは無かったし、
お財布事情もその店の想定する顧客では無いと自覚したうえで、もしかしたら掘り出し物が見つかるかもって軽い気持ちで入った。
何度か入ったことがあるお店で、私を囲って最終的に布をレジまで持って行った店主のマダムも悪い人では無いのだと思う。
そう、相手は腰の曲がったお婆さんだった。
ピンクのツイードのジャケットに千鳥格子のスカートで、喋り方もちょっとハイカラなお婆さん。
店員も客もマダムも合わせて四人しか居なかった。みーんなお婆さん。
対して二十代の私が物理的に逃げることは簡単だった。
それなのに、2メートルの白い布を手にちょっと茫然としながら「自分は洗脳される側の人間かも」と恐怖した理由もそこにある。
私はメートル千円未満の安い布を探していた。
火急の用では無く、購入する店にも目星を付けていた。一週間後にはその店の近くを通るので、その時に買えば良いや、ぐらいの気楽さ。
件の店はタイトルでは「手芸屋」と書いたが細かいことを言うと布専門店で、最初は寄る予定も無かった。
私が用があったのは、同じ複合店内の百円均一だ。
と言うか、そもそも買い物をする予定もなかった。
100円均一だって、図書館に行ったら、休館日だったので、手持ち無沙汰になってしまい無理矢理作った用事だった。
ともかく入ってしまった複合店の中で、二店は同じフロアにあり、エレベーターを上って最初に目に入るのが例の布屋なのだ。
高級な布を見るのは楽しいし、時々端切れを買ったりして少し好きなお店だった。
そう言えば白い布探してたんだよな、もしかしてちょっと良いのが安くなってないかな。
ちらっと覗くと、白い布に「1000」の値札がついている。「2800」に打消し線が入っている上に、だ。
お得じゃん!
早速近づいて手にとってみて、がっかりした。
ベルベット素材だったのだ。
でもベルベットが千円なんてちょっとすごいな、冬だからかな、なんて触っていたら、見たことのある─一度レジで話をしたこともある─店主のお婆さんが話しかけてきた。
「良い布でしょう、ベルベットって言ってね、宝石の名前もついてるくらいで、良い布なのよ」
(ちなみに宝石の名前、がどこから来ているのかネットで軽く検索しただけでは分からなかった)
元々店員さんと話すのは苦手では無い。
手触りが気持ちいいですね、なんて言いながら、買うつもりが無いことを、次のように伝えた。
「でも私、スカートを作りたいんです。白い麻とか綿とか…これじゃちょっと違うかな。」
「スカート!良いじゃない。
タックを入れてこう…(手でストンと落とす)いうのも良いでしょう?」
耳が遠い分けでは無いのだが、お年寄りや若者それぞれにあるゾーンみたいなもので時間軸がちょっと違う。
その時その時の自分の世代が正常だと思ってしまうが、今は分かる、十代もちょっとおかしい。
二十代なんて全然若いと思っていたが、いざ突入してみると十代が怖い。
世代の違う人との会話を二人三脚に例えるなら、予期しないタイミングでブレーキをかけたりダッシュしたり、とにかく息が合わないことが多い。
勿論、他の世代からすれば私は「鈍くさい奴」「足の踏込が甘い」とか、いろいろあると思うけれど……
……脱線した。
とにかく、ちょっと話を聞いてもらえないことが分かったけれど、その時はまだ何とかなると思っていた。
勿論千円を超える布を買う気も無かった。
もう一度ビロードが想定と全く異なることを伝えると、マダムは違うコーナーに私を連れて行った。
黒い壁や間接照明とならんで布が飾られている、明らかに高額商品のコーナーだ。
白い綿や麻、混合を探していて、千円のビロードが予算に沿わないと伝えているのに、マダムが手に取るのは四千円五千円の柄物の布ばかり。
あれこれ話を広げていくマダムに、ちょっとやばいぞ、と気付き始める。
挙句に六千円の織物を手に取り、一万五千円が六千円になっている、これが一番お買い得だ、ちょっとそこ(鏡の前)に行って当ててみたらどう?とか言い出す。
もっと高い布もそのお店にはあるのだが、それまでマダムが手に取ったり指さしたりした中で一番高い布を「お買い得」と言って勧めてきた所に、マダムの狙いは親切では無く何かを買わせることにあったと思えてならない。
その後も再三「予算に合わない」と繰り返して、何とかその場を移動しても、相変わらず四千円五千円のコーナーをうろうろするマダムと、私。
この時私はへらへらしていて(癖なのだ)、
会話も
「綺麗ですねえ、見てると欲しくなるけど、高いなあ」
などと肯定から入っていたので、端から見たら購買に積極的な客に見えたかもしれない。
自分のこの態度にも、最終的に断りきれずに買ってしまった要因があると思う。
その後も「どこかの学生さん?」と聞いておいて、別段安いものを見せてくれるわけでもなく、こちらの予算も無視でとにかく買わせようとする。
何度か逃れられた、と思って安い生地のコーナー(一応キルトとか子供向けの柄物とかも置いてあった)(とは言え、そこに置いてある生地もセールになっていることは滅多にない。本当に、冷やかしと同然でとりあえず入ってみただけだった)に行こうとすると、一度は離れる。
けれどすぐに声をかけてきて、「これなんかどう?」と、また良いお値段のコーナーに引き戻され、結局安いコーナーには一歩も入れなかった。
マダムの言葉選びは、いっそ見習いたいところがたくさんあった。
「気安い布も見させて」と苦笑いする私に、三色並んだ布を指して「これなんかもねえ、お値打ちよ。」と百八十度違う言葉をかけてくる。
「へ?ええ、ああ、でもちょっと予算がね。」驚きつつも、なんとか会話を続けようとするのを遮って、
「ええっと、カーキかな。でもちょっと素材が…」
「ねえ、良い色よね。」
と、とにかく相手に選ばせるのだ。
選んだらそれを褒め、自分が手に取った商品は良いですね、と言わせるのだ。
こう言うときに「そのヒラヒラ下品で好きじゃないわ」なんて言おうものなら、「若い子にはそうかもね。じゃあ、こっちはどう?ツイードで大人っぽいわよ」と他の布を出したことだろう。それとも、フリルのついた他の布を持ってきたかもしれない。
実際、最後まで私の希望─白色、麻や綿、千円未満─に一つでも沿っているものを持ってくることは無かった。
そうして私が指差したカーキ色の布を手にすると、マダムはおもむろに言った。
「これにする?」
唐突なその言葉に、ちょっと血の気が引いた感覚が、この記事を打っている今も残っている。
散々「他の布も見るね」と言っては頷かれ引き戻され、一度も自分のみたい物を見ていない。
まだ私は物色すらしていないのに、しかもその布を聞かれたから褒めこそすれ、明確にあることを伝えている計画に照らし合わせる前から、何故、いきなり購入になるのか。
私がどんなスカートを作りたいかおばあさんは聞いてもいない。
しかも散々伝えている「どんな布が買いたいか」に、その布はかすってもいない。
上品なカーキがテカるシャンブレーを片手にレジに持っていこうとするおばあさんにそこはかとなく恐怖した。
この時「この人話が通じないんだ」と恐怖したのが、第一段階だと思う。
洗脳の段階だ。
はっきりノーと言ってその場を去れば良いじゃないか、と思う人もいるだろう。
出来なかったのか?と呆れられれば、私はその人の前では自分を恥じてしまうだろう。
実際、出来たと思う。
自分より弱いおばあさんだったから強く断れなかったのかもしれないし、
へらへらするのが身に付いていて、愛想の悪い態度をして誰彼構わず嫌われたくないと思ってしまうのが、私の悪い癖でもある。
それに、5600円だ。
数十万じゃない。
ハッキリ払えないと言うのが嫌だと言う、妙な虚栄心もあったと思う。
私は普段からまめに洋裁なんかをする人間では無く、知識も低いのに知ったかぶりをしてしまう所があって、この時もなんと言うか見栄を張ろうとしていた。なんとか取り繕って逃げようとしていた。
色々な要素が混ざり合って、最終的に、「向こう見てきますね」と言って逃げようとした私におばあさんが別の布を手にして
「もう、これにしましょうか」
に負けてしまった。
本当にこの時は怖かった。
今も、思い出すと怖い。
しゃがみこんで、泣きそうになりながら、それでもなんでか笑って、なんとか逃げようとあれこれ言ってみるけれど、「何メートル必要なの?」「二メートルです」と答えてしまい、二メートルだと言ったそばから「それならシャツもね、作りたくなるのよ。三メートルあれば足りるかな…ちょっと計算しましょうか」と言われ、「あの、スカートに二メートル必要なんです。シャツには足りませんよね」と言う声が震えそうになったのを抑えてしまった。
結局おばあさんはレジに立っていた店員さんに「三メートルね」と言うので「二メートル!二メートルでお願いします」と訂正しなければならず、最後まで話を聞いてくれなかった。(「これにしましょうか」と言って手にした布もグレーで、他に四色ある中からどれが良い?と言いながら、なぜか頑なにグレーを持っていこうとしていた。もしかしたらグレーが高かったのかもしれない。私は「自分で」白を選んだ。)
この時私は切られた布に申し訳なさすら感じて、一割引に「ありがとうございます」、それなのに(店側がカード会社に売り上げから何パーセントか手数料を支払わなければいけない)クレジットカードで支払ってしまってすいませんとまで言った。
これも、私の癖だ。
レジでも毎回「ありがとうございます」と言い、車の前を通るときは例え相手が無理に横断歩道に乗り込んでいても反射的に頭を下げてしまい後で一人で勝手に悔しくなったりする。
悪いことではないと言ってくれる人もいるだろう。
けれど、今回ばかりはそうは思えなかった。
この癖も、悪徳商法などの洗脳にかかりやすくなる要素の一つだと自覚したからだ。
ここからは、どうして自分が「洗脳されやすい人間」だと自覚したのか、書いていきます。
1.まず一つに、最後まで─そして今でも─私は「断ろうと思えば断れた」と思っていること。
これは、「断ろうと思えば断れた」のに断らず、「自分で選択した」のだから、決断した「自分が悪い」と言う結論を引っ張ってきます。
自己評価が最低になり、何もかも自分が悪いと思い込むと、「被害を受けた」という判断も下せなくなってしまいます。
今回、私の相手は腰の曲がったおばあさんでした。
先にも書いた通り、逃げようと思えば方法はいくらでもあったのです。
それに、5600円も「被害」と言うには大げさな額に感じられます。
何より、私には支払い能力があったのです。これで生活がおろそかになるわけではありません。
これぐらいなら「仕方ないか」と思える「被害」と、「自分が決めたこと」は自分で責任を負わなければならないと言う負い目から来る「自分が悪い」という自己否定。
この二つのせいで、私は(こんな記事を書いておいて何ですが)おばあさんを悪役に出来なくなります。
「買いたくないものを買ったと嘆いているけれど、相手はおばあさんだったんでしょう?無理やり拘束されたり脅迫された分けでもないのに、大げさだよ。人のせいにしてるだけでしょ」
「本当に買いたくないなら、走って逃げればよかったんだ」
「他にも買わないために出来ることはいくらでもある」
「結局、本気で嫌だったわけじゃないんだよ」
今回は布で済みましたが、これが悪徳商法だったらどうでしょう。
額もそんなに高くありません。
あなたが参加した企業家のためのセミナーやIT系によくある「仕事を効率よくこなすための三つのフロー要点」のような、ネットの有名人の講演会で、パソコンを使った遠隔講義に誘われるかもしれません。
日用品なら、高くても数万、遠隔講義なら物理的に囲いこまれるわけでもなく、いつでも逃げられる。
契約しなきゃ帰ってくれそうに無くて怖いし、よく聞く何百万の詐欺事件よりはマシかな、と契約してしまうかもしれません。
けれど、一度契約してしまえば最後、自分を責める後悔が始まります。
今回のことで痛感したのは、「詐欺は金額ではない」と言うことです。(詐欺とまで言ってごめんね、マダム。もう二度と行かないから許してほしい)
あんなにテレビやネットで詐欺や洗脳のニュースを見聞きしていながら、「騙された」ことが辛いのです。
マルチ商法は、買わせた相手のこの気持ちの隙間につけ入り、「元が取れるよ」と売る側に回して「被害者」を「加害者」に変える悪徳商法です。
傷付いた自尊心を補おうためにしたことが、加害者になることでさらに傷付き、負の連鎖を引き起こすことになってしまうのです。
話は戻りますが、先に書いたように、「恐怖」が洗脳の第一段階ではないでしょうか。
相手に話が通じない、もしくは暴力の可能性を示唆されることで、自分が無力だと感じる。
そうなると、なるべく穏便に逃げたいと考えるようになります。まだ逃げたい・この場には居たくないと考えます。
しかし、拒否できなかった自己嫌悪から自分を責めることになり、自信を無くしてしまう。
2.次に、結局「ノー」と言えなかったことだ。
これに尽きるけれど、こんなにショックを受ける程買いたく無い物に、「ノー」と言えなかった奴が是が非でも自分たちの住む沼に引きずり込もうとしているマルチ商法や洗脳を拒否できる分けねーべ。
これは一日経った今もちょっと泣きそうなぐらいショックだった。
まず、店員さんに押し切られて買うと言う経験が無かった。ファースト。奪われた。
それまで店員さんって言うのはひたすら褒めてくれるのをスルーすれば着合わせを一緒に考えてくれたりするちょっと気分良くしてくれる人だと言う認識で、お仕事だから失礼なこともしないし、怖いなんて思ったことも無かった。
けれどマダムは違ったのだ。
考える隙を与えずにガンガン来られたら、そりゃパニックにもなる。
「ごゆっくりどうぞ~」
は、あくまで相手の気遣いで、彼等が売るのは商品そのものでは無くて「豊かな生活」「楽しい買い物の時間」でもあったりするからだ。
お店で気分を害して買い物をしても、悪評が広まれば客も減り、商品も売れなくなる。そんな方法を取ってまで売る物では無く、「ちょっと考えてみます」と言った客は接客を止めるラインでもあったりするからだ。
あの手この手で私たちの思考能力を奪い、言いなりにすることが目的だから。
そこに来て店員さんや通りすがりの人の前ですら「物分りの良い振り」をしたがる私の性格。
「卒なくこなしている」ように見られたい見栄があって、無愛想な態度を取ったりして働く人に敬意を払っていないとかマナーを知らないとか、軽蔑されたくないと思ってしまうのだ。
マダムは私の話を一切聞いてくれなかったのに、いちいち声に振り返り、返事をし、話を聞いてくれない人の話を聞いて何とか会話しようとする私は、そりゃ良い鴨だ。
向こうはこちらの話など聞いていない。
考える時間も与えられず、パニックになり情報が遮断されて追い込まれた中で、頷くしか選択肢が無いと思い込んでしまう。
マダムは悪い人では無いと思う。
半分は天然で、半分は故意だっただろうけれど、それも悪意からでは無く、引き際を知らない人だったのだと思う。
比べるのは嫌だけれど、私の祖母も私の話を聞かない。
一緒に料理店に行くと、いくら私が要らない、食べられないと泣きそうになりながら断っても、自分が子供時代のひもじい思いをした辛さから良かれとどんどん料理を注文し、挙句自分が食べられなかった分を私に「食べれるでしょう」と差し出す。
今はもう必死に粘ることを覚えたが、中学生のころはガチ泣きをしながらご飯を食べたことも、何度かある。祖母は私が泣いていても、見えていないのか全く悪気が無く「食べれるって」と言う。
あっ、こりゃダメだ…。
また脱線した…。
もういい、なんだか書けば書く程自信が無くなって行く…強く生きていきたい…。
…えっと、それで、結局「マダムも悪い人じゃない」と思っている時点で、私は相手を完全に否定して切り離すことが出来ていない。
これが信用していた友人だったらどうだろう。
もう立ち直れない…。
長々と書いておいて、とりとめもなく終わってしまい申し訳ないです。
失ったのはたかだか五千円ですが、受けたショックは一日引きずって消えませんでした。
このショック和らげるため、自分のために一気に書いたので、矛盾やほつれがいくつかあるかもしれません。すいません。
タイトルで「洗脳」とまで書いたのに、結局洗脳された分けでも無く、マルチ商法に怯える妄想に始終し「洗脳」って何ぞや、と思った方もいるかもしれません。
私も簡単に「洗脳」について引用を載せた方がこの記事も書きやすいかな、と洗脳の手順とかを検索してみたのですが、「洗脳はこうしてできる!」「洗脳は簡単に見破れる!」みたいなあんまり仰々しく強気の記事が多くて「どっこいどっこいだな…」と疲れてしまいました。
おススメはテレビ番組「しくじり先生」の辺見マリさん回です。あれ分かりやすかったよね。
この記事を読んでちょっとでも感じた恐怖を追体験し、「もしかしたら私もそういう所あるかも」等と自衛の一助になれば幸いです。
それでは。
今年で25歳。
女性にとっては積極的に恋愛対象として選ばれない容姿であるという自覚はある。
しかし、女性とは友達レベルでの関係は構築できていたのでコンプレックスまみれで童貞をこじらせる奴らと自分は違うと勝手に思い込んで過ごしていた。
同世代が結婚していく波のようなものを感じることが多くなった。
高卒就職組が23~25くらい、大卒と院卒の結婚ピークが27~30ぐらいだろうか?
つい先日、小学校のころ片思いをしていた同級生の女の子が地元の優良企業勤めの男性と入籍したという報告をSNSで見てショックを受けた。
もう自分は結婚もおかしくない年齢になっていたのか。ちょっと前に高校を卒業したような感覚であった。
そこで今までの人生を振り返って暗くなってきたのだ。
結局中高大と純愛を経験することなく、これからは年収や社会的地位が「男の魅力」と不可分なものになるステージに立ちつつある。
打算的、と一言では片付けられない。こんな先が読めない時代なのだから。
容姿に恵まれなかったが平均よりほんのちょっと上ぐらいの給料をもらっている自分には、そういう人生のステージに入ったことは救いがあるのかもしれない。
でも、自分がそういうゲスな異性に需要と供給がマッチするまでひたすら比較されることに耐え、
純愛がしたかった。たとえ、容姿だけでシビアに選別される段階の女性にフラれ続けても、告白しまくればよかった。
そんなしょうもないことを考えて過ごしていたとき、ある出来事が起こった。
たまたま入ったファミレスで、JS5(もうこういう書き方が「その筋」の人には察してもらえるだろう)、つまり女子の
そのとき2人を一瞥して、「いまどきは小学生でもこんなにかわいい子もいるんだな・・・」と思っただけだった。
妙に2人が大人びて見えた気がした。
そして、セルフサービスで飲み物を取りに行くときに小学生の2人がファミレスで何をしているのかと思って何気なく彼女らを見た。
かわいい。
自分があの子たちと同い年のときでも、絶対に付き合うことが出来ないレベルのかわいさだった。初見では気づかなかった。
たぶん、サッカー部あたりの運動神経がいいイケメンの男子と付き合っているんだろうなと思った。
「類は友を呼ぶ」なのか、2人ともかわいい。
自分の席に戻り、食事を食べたが頭の中は隣の2人組とかつて小学校時代にモテていた同級生女子のことでいっぱいになった。
入籍した片思いの子をはじめ、中学や高校でとっくに彼氏を作り処女は捨てているだろうモテていた女の子たち。
経験値を蓄えた今の彼女たちは「目利き」がさぞ上手いんだろう。
かつての同級生と比較しながら、隣の席にいる彼女たちには「清純さ」を感じた。
「清純さ?ハァ?」
彼女らは男を年収や勤務先で目利きしない代わりに容姿で男子を選び、恋愛をするだろう。
その容姿中心の選択や、打算的な性質は成人女性のそれと全く変わらないものだと昔誰かが言っていたのを思い出した。
それでも。
それでも、成人女性にはない清らかさを感じてしまったのだ。目覚めてみなければ分からないだろうが。
そのファミレスでの一件があった後、Twitterなどで必死に「その筋」の人たちのクラスタを探した。
以前、事故的にゲイのアカウントを見たことがあったので、性的嗜好マイノリティであるロリコンも必ずTwitterにいるはずだと思った。
どんな単語でエゴサーチをしたのか思い出せない。しかし、何度も「ロリータ」を求めてサーチしていくうちに、
子役やアイドルを養成する芸能事務所の名前でアイドルがヒットすることが分かった。
そこから先は早かった。
「その筋」で話題になった子役、JSアイドルのライブや握手会に参加するひっそりしたアカウント群を見つけた。
気づいたら何人かの彼らを「愛好家」のリストに登録し、そのリストをチェックするようになっていった。
ターゲットゾーンはJS5~JC2まで。確認してみたらJS5の女の子が一番多かった。最初に抜いたのはJC1の子だけど。
書いていたら我慢できなくなったので、ここまでにする。
そもそもオタク自体もまた彼らの言う一般人と同じくらいには「自分の好きなものだけ許し、嫌いなものは規制し、どうでもいいものはダシにしてやる」くらいの感情的存在だよ、同じ人間だもの。
で、やっぱりそれが個々によって違うから延々争い続けるしゾーンとやらも定まらずに曖昧なままブレ続けるわけで、もう空気とノリ次第で決まりそうだし将来どうなるんだろうねってのが現在。
自由のために全員で不自由になるかのごとく潰し合って全部共倒れになるか、どこかが勝ってその層の好きなものだけが生き残るかって感じ。
ある種の二次元がキャラの容姿や性的な感じを強調し過ぎていて、それが女性にとって不快だからゾーニングしろってのはわかるしある程度共感もできる。
女性はああいうの不快だろうーなー、となんとなくわかる感覚は実はオタク側だって持ってるんじゃないかと思う。
ただ、共感できるけど、そういう「俺に不快なものを俺に見せるな」って場合によっては結構マズくない?とも思う
例えば俺は全然大丈夫だけど、いわゆるオネエタレントが見るだけで不快ってやつはいる、これを「俺に不快なものを俺に見せるな」と言ってゾーニングしていいものか? オネエタレントが若いイケメンを性的に見ることをネタにするような場面ってあるけど、あれってまんまじゃないのか。二次元を見る女性と同じ意味合いで不快な男性もいるんじゃない?
それにさっきの二次元の話は三次元にも適用できる。女性性の消費として例えばAKBやももクロが不快だって女性もいると思う。じゃああれもゾーニングされるべきなのかな? 出演禁止にすべきと。少なくとも行政の関わるイベントには出演させるべきではないかも。
俺には「程度問題」ってのがわからないんだと思う。世の中の多くの人はこのあたりうまく乗りこなして、似たような判断が阿吽の呼吸で出来るんだろう。俺には曖昧すぎてわからないし基準を明確化して欲しいと思う。
コンビニに売ってるエロ本だって、コンビニが誰かから押し付けられたから売ってるわけじゃないだろう。売れるから売ってるだけで、商売だ。
コンビニにはエロ本を売る権利が無いのかな? 普通の売り場から見えない18禁ゾーンを作るってスペース的に無理だと思うし、コンビニに暗幕に囲まれた「18禁ゾーン」が常備されてる状況の方がなんかマズイ感じはするがwでもそっちの方がもっとドギツイエロコンテンツをめいっぱいおけるからある意味ではいいのかも。あれでもこれレジどうすんだ。18禁ゾーン専用の男性店員を付けるか、いや、女性だって買いたい人はいるだろ、トイレみたいに男女別にするか、ってどんどんスペースが足りなくなってくるな。
ビジネスチャンス、儲ける権利を奪うほどの正当性があるものなのかな? 俺達の不快さは。まぁ今のテレビの状況なんかはそうやって出来てきた感じはあるよね。
ツイッターとかにしても、まぁエロ専用のとことか作ればいいんだろうけど、それって結局出会い系とかなんだよな。そういうのは潰す方向だろうし、なにがしたいのかよくわからん。
もともとはネット自体が「隠れる場所」だったような気もするが、いまではネットに上げることは世間に公開することで、ゾーニング議論にひっかかる、新たに「隠れる場所」を作っても一般人にまた占領されて「公開された場所」になるんじゃないかなー、って危惧はある。バカッターとかと繋げられる話だよね。
あとは「性的なものを見せられたくない」って気持ちは男性側(の一部)にもあって、それがアイドル幻想だ。アイドルは恋愛してはならない、うんこもしない。事実上は「隠れてやる」ことで許されている状況も週刊誌による「ゾーニング破り」で「公開され」、悪いのはアイドルということになる。似た構造だ。アイドルの恋愛は、うんこは、ゾーニングされるべきなのか。アイドルは自分の恋愛を結婚を世の中に公開する権利を持たないのか。「俺に不快なものを俺に見せるな」という理由で?
「今日、親戚の法事だったんだけど、忘れて旅行中、アンタ代わりに出て。」
仕方無い。礼服に着替えて車に乗り速攻で法事会場の温泉旅館へ。
激しい腹痛が!
焦る心とは裏腹に、田舎の細い道をトロトロと走る前の車、そして無駄な赤信号。
え、駅までいけばトイレがある。
ダメだ、もう本当に出そうだ!
トイレはまだか? 1秒が1時間に感じる。いわゆる「ゾーン」状態である。
つ、ついにトイレに到着。
個室に入り、革靴を「キュッツ!」とうならせ半回転サルコウを決め、ズボンを光速(高速ではない)で下ろし、便座に座った途端、
ブリブリブリ!ブホッ!ブリビリビチャ!ビチビチモホロビチッチ!
「あぁ、今まで生きてきた人生でこんな幸福感を感じたことがあっただろうか?(いや、ない)」
もう数年前の話なので「ストッパ」なる薬剤もなく、下痢便には今後非常に注意して人生を生きていきたいと感じた、そんな日曜日の出来事であった(了)。
○朝食:納豆卵掛けご飯
○昼食:サンマーメン
○夕食:鳥おこわご飯
○調子
むきゅー!
お疲れだったのか一日中寝てました。
というとってちわせー! な一日を過ごしました。
今までのHaloはなんて言うか「技術」を競う場だったんだけど、
このウォーゾーンは「技術」よりも「エンジョイ」することを重視してる感じ。
特徴的なのは、乱入NPC、ガチャ形式で武器や乗り物やバフが出る(使い捨て)の二つかなあ。
乱入NPCは、対人では全く勝てない僕でも活躍できるし、PCを倒しても1Pなのに、乱入NPCはボスとかだと120Pも貰えるので、そっちを優先した方がよさげなバランス。
アニメーターのあまりにも薄給な奴隷労働が話題になり、このままでは人材が育たないと危機感のある叫びも見られ、そこまで切り詰めているのに大ヒットを出せないアニメスタジオは潰れ、対象はどんどんオタクに特化されて行き、日本アニメは何だか未来のない閉塞感に満ちている。
最近海外のアニメを見ることが多いが、日本より遥かにクオリティが高い。
カンフーパンダやカーズやペンギンズやトイ・ストーリーなどの3D映画をTVシリーズにしたものを見ると、日本のアニメの劇場番クオリティより3Dアニメの劇場番クオリティの方が遥かに美しいと感じる。
対して日本の3Dアニメは不自然な動きや不自然な手の形ぎこちない表情かわいくないキャラ見苦しくても3Dだから仕方ないと甘えているようにすら見える、これはもう勝ち目がないのではないか。
では3Dじゃないアニメはどうかと言うと、こちらもセンスやクオリティで遥かに劣っている。
トムとジェリーやミッキーマウス!やフィニアストファーブや怪奇ゾーンなどを見ていると、背景とキャラがとけこみどのシーンを切り取っても絵になるし話も楽しい。