はてなキーワード: オフとは
メイクとはあまり縁の無い生活を送ってきたけど、最近になってようやくほぼ毎日するようになった。
個人的に感じた、続けるためのこつを書いておく。
(あまりメイクしない=自分の顔を鏡でまじまじ見る習慣がない)
・眉や顔の産毛はこまめに手入れする
・ファンデーションが苦手なら、おしろい(ブレストパウダー、ルースパウダー)で充分
・口紅は紅筆で塗り、ティッシュオフしたら粉を付け、更に塗り重ねれば一日もつ
・目元メイクしてる感を出すのは「アイシャドウ>アイライン>アイマスカラ」
「人物評価を国公立の2次試験に」で話題の教育再生会議なんだけど、そのメンバーって、出産したらお辞めなさいの曾野綾子先生だったり、現行憲法は「国家のアイデンティティを喪失しており、大日本帝国憲法を再評価し、自主憲法の制定が必要だ。あ、皇族は男系継承が絶対な」でおなじみの憲法学者、八木秀次先生だったり、それはそれは香ばしい先生方が名を連ねてる(まあ文科相が親学の人だしね)わけですが、その中に一人、素敵な方がいらっしゃるじゃないですか。
この佐々木先生ですが、かの有名なイオンド大学の名誉博士号をお持ちで、下村大臣とも古くからのお友だち。で、下村先生を招いての自社グループ50周年式典では、映画「祈り」を上映されているとか。
心の働きが遺伝子に影響を与える事を確かめている中でも「笑い」が眠っている遺伝子をオンに変える事が証明された。その他にも、「愛」や「感動」などのポジティブな心の働きが眠っている遺伝子をオンに変え、「祈り」が遺伝子に影響を与える事を研究している
筑波大学名誉教授、村上和雄博士を取り上げたドキュメント映画。お祈りすることで、ポジティブな遺伝子をオンにしたり、ネガティブな遺伝子をオフにしちゃったりするらしい。お、おう……。
こんな人たちが「国公立大学の入試では学力だけじゃなくて、人物評価しようぜ〜〜」と叫んでいらっしゃるというこの状況どうなの?
例えば今季加入した一塁手ナポリ。ジョン・ファレル監督は言う。「彼は今季メジャーの打者で一番、投手に球数を投げさせているんだ」。1打席あたり平均4・58球。同様に新加入のドルーも4・12球と多い。地味な記録ながら、レッドソックスが今季投げさせた球数、2万4840球は両リーグ最多だ。
「こうしたアプローチは教えてできるものではない。オフはこの点を重視して打者を選んだ」と指揮官は胸を張った。地道かつチーム一丸の攻撃。この日の7回の逆転劇も四球からだった。
まあ、明らかなカット打法は高野連がだめだ、って後出しじゃんけんで決めたけども、
こういうのとの棲み分けはどうするつもりなんだろうね。
イチローが打ちに行って打てなそうだからカットしてわざとファールする、ってのとどう違うか?最初からの構えからなのか?
一体どうするつもりなんだろうな、高野連は。何も考えてないんだろうけど。
タイトルと中身が違い過ぎる点も気になる。想像だけど需要のある方へ流れてきた感じがする。
余談だけど、
http://numbers2007.blog123.fc2.com/blog-entry-2679.html
この回の妙に詳しい医学的な注釈が、何となく作者の出自を感じさせておかしかった。
注釈:内服薬、そして副作用の面から考察すると、これはテオフィリン系の薬剤であると考えられる。この薬剤は気管拡張作用があり、副作用として手先の震えやしびれ感、吐き気などが出現することがある。血中濃度を測定し、内服量を調節することもある。
注釈:上気道炎後に長引く咳が続いていると、咳喘息を疑います。咳喘息とは、喘鳴が明らかでなく、咳嗽のみを症状とする喘息を指します。病態や治療は慢性の喘息と同じであり、気道反応性の亢進(気道過敏性)が診断の根拠となります。喘鳴(「ヒューヒュー」「ゼェーゼェー」という音が、聴診器を使わずに聞こえる状態)が明らかでなく、咳のみを症状とする状態です。
日村さんは受診し、テオフィリン系などの気管支拡張薬に加え、恐らく吸入薬の気管支拡張薬(β刺激薬)を処方された可能性があります。こうしたβ刺激薬は、血圧をさらに上げ、特に短時間作用型β2刺激薬 short-acting beta 2 agonist(SABA)を連用したりしますと、心臓にはさらに負担を掛けることになります。
普段の高血圧に、咳喘息+気管支拡張薬の連用などが加わると、高血圧性心不全になりやすい状態となります。日村さんは、このような高血圧性心不全の状態に陥ったと考えられます。
全力で寝ていたのだが、かさりとものが落ちる音がして目が覚めた。
足元には青いビニール袋。
何処かで見たような……ああ、そうだ、座った時に女性が下げていたやつだ。
左隣に座ってる女性のものということに寝ぼけた頭ですぐには思いいたらず、
ぼっ〜と真ん中あたりを見つめるようにしてようやく思い出した。
渡さないとな……拾おうとかがもうとして、左の女性の様子が尋常がないことに気づいた。
一人シーソーゲーム?どんな船を漕いでいるのかというような感じで
左へ右へ前へ暴れまわっていた。
すわ、体調が悪いのかとも思ったが電車居眠り歴15年を誇る私にはピンとくるものがあった。
仕事や古くは大学からの帰り、ようは完徹して36時間勤務を終えた夜だ、
眠ろうとする本能と寄りかからずに体を垂直に保とうとする理性がぶつかり合った時
こんな風になることを俺は知っていた。
さて、どうしよう。一番いいのは目の前で手を振るなりして
反覚醒まで持っていき、生理反射に任して荷物を手首の動きに合わせて
手繰り寄せて貰うことだが、私の足元の荷物は少々大きい。
そもそもそんな器用なことができる技を私は持ってないし、生理反射に残念ながら
そういう動作はインストールされとらん。
起こすのは論外だ。誰とも知らない豚のようなおっさんが
そもそも船を漕いでいる時点で私は肩をもたれかかるほど気を許すに値しなかったのだろう。
人が頭をちょこんとかけるにはいい感じのポジションで寝てたのにですよ。
立てた鞄と肘で電車の揺れをしっかりガードしながらですよ!?……盛大にいびきはかいてたかもしれないが。
それにこの状態で起こされるのは頭にバケツをいきなり
浴びせられるのと同じくらい苦しいのだ。辛いのだ。
覚醒に至って世界が微睡みの真綿から冷徹なコンクリートへ姿を変える、
その変化をコンマ一秒で体験したとき、胸の血管の何処かは必ず切れている。
楽園よ、グッバイ。
押し込もうと思ったが、不知火ちゃんが半目で睨んでいる気がしたので辞めた。
そんなことを考え続け……飯田橋から江戸川橋の間だ……最終的に
自分の左足、つまり彼女の右足元に荷物を寄せてそのままにした。
日本の電車における治安率はハラスメントを統計から除外すれば世界最高水準だ。
この通勤時間に置き引きする人がいるはずもなかろう。
そう思いつつも不安だったので、池袋までの間、荷物をずっと見つめることで
それが変な行為と客観的に見られるであろうことは降りてから気付いた。
あの時、俺はどうするのが正解だったのだ?
一人くらいは真意を汲み取ってくれなかったかな。
まだ最寄り駅は遠い。俺はずっと考えている。
エアコンなんかは自分でオン・オフできるし、エンジンが温まってるかどうかについてはタコメーター見れば把握できる。でもハイブリッド車は静かでEVとHVの切り替わったタイミングが分からない。ずっとディスプレイのEVランプを見てるわけにもいかん。
車が思うように動かないことに慣れてどうする。怖いだけだろ。
この動揺に、私は屈服する。
調子が狂い、道の途中で行き詰る。
彼らの間で搾り取られる。
新顔が出現し、内部へと追い込んで、私の手を取る。
泣きなさい、少年よ、泣きなさい。
涙は、心に響く見世物だ。
泣きなさい、少年よ、泣きなさい。
孤独な夜に、おまえに取り憑いた恐怖。
彼は秘密にしている。
泣きなさい、少年よ、泣きなさい。
彼は秘密にしている。
彼らが用意する新しい環境は、
全てをひとつへと束ねる。
鞭の一打ちでオフへと切り替わり、
おまえが自分を吸い込ませようとした
泣きなさい、少年よ、泣きなさい。
涙は、心に響く見世物だ。
泣きなさい、少年よ、泣きなさい。
孤独な夜に、おまえに取り憑いた恐怖。
泣きなさい、少年よ、泣きなさい。
深海のなかで一人きり。
さあ、また新しく始めるよ。
彼は秘密にしている。
泣きなさい、少年よ、泣きなさい。
彼は秘密にしている。
少年よ、泣きなさい。
匿名という点、中々信憑性に欠けるものだと重々承知しておりますが、小心者の私をどうかお許しください。
またクリエイター奨励プログラムに関しては他の方々により多くの記事が作成されていますので、私の方からクリエイター奨励プログラムに関して一部省略する場合があります。
参考までに・・・
http://anond.hatelabo.jp/20120526042556
(※なおこの記事はクリエイター奨励プログラムが改正される前の記事なのでご注意ください。)
私は過去にボカロ楽曲のニコカラを作成していました(以下ニコカラはボカロ楽曲のものとして記述します)。
ある時からニコカラの認知のされ方、ニコカラ界隈のあり方が変わり始め、私は嫌気が指し投稿をやめました。
そのある時というのが2012年4月ごろからです。クリエイター奨励プログラムのスコア交換が始まったごろからです。
しばらくして私の気持ちが落ち着いて来ましたのでここに記事を残そうと思った次第であります。
またニコカラの観点からクリエイター奨励プログラムのお話があまり出ないというのもあります。
クリエイター奨励プログラムに100件ほど登録し、トータルで50万円ほど頂きました。
単純計算で1件5000円という額になります。しかし内訳を言いますとピンからキリまでです。
半分以上を占めるのが1曲(オンボーカル/オフボーカルで)2件でトータル30万円。
大元の楽曲の人気が爆発し、練習に使う方、歌ってみた生放送で使う方が増えたのが一因です。
その楽曲が10万再生を軽々と突破したのちにニコカラも追従するように10万再生突破しました。
一時期ボカロカテゴリのランキング上位にそのニコカラ2件とも入ったほどです。その月に1曲2件で15万円。
その後再生数の伸びが落ち着いてきたため次第に額は10万円5万円というように減っていきました。
ニコカラに使うフォントやエンコード用にパソコンを新調しました。
残りは生活費の一部に充てました。
早くできたニコカラほど視聴者を獲得し再生数を伸ばすことができる今です。
様々なツール、支援ソフトの普及、PCスペックの上昇などなど...によってニコカラが一時間掛からず出来てしまうのが現状です。
創作性のあるものを作ろうと思えばもっと時間は掛かりますが、ある程度作り方は決まっています。
有名Pの新曲が出る→動画・音源DL→歌詞起こし→タイミングの設定・入力→文字色など→動画に文字を乗せる→投稿。
曲に合わせて色とフォントを変える。それだけで違ったように見えるのです。そこに創作性はあるのでしょうか。
しばらくして上記のようなことが起こり2件で15万円。その他楽曲合わせ合計20万円を頂きました。
その2件、時給に換算したら・・・と考えてみると、こんな美味しい話はないなとその時思いました。
こんなに貰えるなら働くの馬鹿馬鹿しいなと考えたのも事実です。
ただある歌詞をワイプさせるだけのことなんて正直、誰でもできます。
暫くして月数千円となり、汗水流して働いて得たお金の大切さに改めて気づくようになりました。
ニコカラは許諾を取っていない又は事後承諾、黙認です。中には事前にしっかりとお話を通している方も居ます。
またクリエイター奨励をしているかどうかは他の人には見えません。
ボカロPさん始め関係の方、どうかニコカラまで目をやってください。創作性の欠片もない物に作品の価値奪われていませんか。
ニコカラ使う方。そのニコカラはちゃんと許諾されているものですか。
ニコカラ作ってる人がどれだけ懐に入っているかは目に見えませんが、ある程度推測はできるかと思います。
ネトゲは有限のコンテンツをいかにプレイヤーに消費させないかが最も重大なので(遊び尽くされたら過疎って終了)、プレイ期間はオフゲに比べてどうしても長くなるでしょ。
パズドラに艦これと、スマホやブラウザでプレイするゲームで大ヒットが出ている。
しかしプレイせずに言うのも何だが、個人的には何がそんなに面白いのか理解できないし、かなり微妙な気分だったり。
元々TVゲームを買ってもらえないで育ったせいか、オフゲすらあんまりやらないので、オンゲになったらますますやらないというか、ネトゲでそれなりにやり込んだタイトルはECOとルーセンだけだったりする。
でも正直な所、それでもうお腹いっぱいというか、コリゴリという感じなのだ。
2009年に無料化されたのをきっかけに始めたECOだが、MMOではこれ以上簡単に遊べるタイトルなんて存在しないと言われているのに、実際には馴染むまで何年もかかり、死ぬほど苦労した。それどころか、何度やめようと思ったかわからない。
主に苦労したのはレベリング。同じ敵を何千何万ひたすらクリック、そんなことを毎日何時間もやって、いや、そこまでやっても中々上がらない。というか社会人の1垢1PCでは無茶苦茶に時間がかかって、周囲のプレイヤーには追いつくどころか引き離される一方。オフゲしか知らなかった自分からしたら、MMOなんて狂ったゲームだと確信させられたタイトルだ。
今でもチャットと攻防メインで遊んではいるけど、2PC3PCも養殖もPTも憑依落ちも嫌いなのでメインキャラ2人くらいしかおらず(3次JOBカンストにいたっては1人だけ)、それ以上育てる気もない(クエ経験値が今の10倍くらいになればやるかも知れないけど)。
ルーセンは2次でゴードンに移住した段階でクエの難しさについていけず、ウィズになる遥か手前で投げ出した。
主にボッタ価格のガチャに課金して強力なレアアイテムを装備しまくらないと、ソロではクエをこなすのが苦行にしかならないバランスだったからだ。
ただでさえ廃プレイだけでもめんどいのに、廃課金までさせられてたまるかとなった。
ネトゲのジャンルの中ではプレイヤースキルが最も不要とされるMMOでさえ、この体たらくだ。
これがパズルやストラテジーやアクションになったら、楽しさ以上にストレス発生源になるのは目に見えている。
何より可能な限りソロでサクサクプレイしたい自分にとって、ネトゲそのものが合わないと言っていいのかも。
しかし世の中は、長時間延々遊ばせ、しかも協力プレイが最も効率良くなるオンゲ主流になりつつあるようだし、もはやその流れは止められないだろう。
この気持ちはどっから来るんだろうって、やっぱり自分への不甲斐なさ。あーなんでこんなにうまくいかないんだって。
自分の理想像を先に作って、そこに向かうか。もしかしたらそれが一番の俺の得意とすることかもしれない。
・課題は先に終わらす。終わらないと落ち着かない。
・常に5分前行動しないと気が済まない。待ってる時間は考え事してる。
・物事への準備がすさまじく万端である。
・後輩にはすぐに奢る。奢らないと落ち着かない。
・彼女はいる。とても面白い彼女で、結婚はしたくないらしい。今が面白いから付き合う感じ。将来のことはお互い考えない。今をどうするかを追究する。もしくは!別に彼女はいなくても、後腐れない関係が築けるような人が何人かいる状態。
こんなこと書いてんのは気持ち悪いことは百も承知だよ!
あ、気づいた。自分ののんびりしたところは長所ではあると思ってたが、それこそが上のようになるのを妨げていた。のんびりはオフのときだけやれば良い。そこでのーんびりして、あとはシャキッとしてる。あ、本当にこれは理想だ。
絶賛ばかりですが正直な感想を申しますと、「おもしろくなかったけど、何度か観たい映画」というところでした。
批判的な感想をあまり目にしないので、この一週間、絶賛に対して指摘したい部分を時々考えました。それを時間書けずに一発で書きます。荒くてごめんなさい。
・ストーリーに波がない。
「生きねば」と書いてあるポスターや、ボロボロに燃えてしまった後の戦闘機っぽいものと、それを見て呆然と佇む主人公の絵に、
「戦争に揉まれながら、どんな恋や葛藤があるのかな〜!」と思ってしまいますが、はじめからわかってた展開をただ踏まえてるだけな気がしました。
予告編では泣けましたが、本編では泣こうとおもっても、、、、?なかなか泣けない。
とにかく長いです。一緒に行った人は寝てました。最後のユーミンの歌の、長い長いPVみたいでした。
幼少の頃から非凡な存在として描かれていて、そのままです。しかもお坊ちゃま。
人格も優れている主人公がどんな壁を経験して、奮起するドラマなのかと思いましたが、、、右肩上がりのまま、、、右肩上がりにフライ。
これは厳密には違う指摘ですが、菜穂子と再開する避暑地の重要なシーン。
あれも「なんで今は仕事しないの?オフでも飛行機のこと考えてるキャラが何してんの?」と内心思いながらでした。しかも、これも長い。
それを消してくれる説明も無かったような気がします。
・SEが口
これはなんかの朝のニュースでやってたのを着替えながら見たので知ってましたが、どうやらSEのほとんどは口で人が作ってるようです。
でも、それが耳障りなんです。なんの意図があったのか知らないので残念ですが、その意図を知らない私からすると違和感で集中できないのです。
途中から、製作者側が「今回のSEは人の声が作ってるんですよ」とドヤ顔で言ってたらと思うと、それをどうやって論破するか。。。そんな怒りの妄想に集中力がいってしまいました。
・庵野秀明の声
幼少期が終わって、いきなり声が変わります。それで「『ジブリの主人公の声をエヴァ監督の庵野秀明が担当』なんていうニュースを何かで見たが、これか・・・」とその時に思い出しました。
とにかく、びっくりするほどスムースな口調で人間らしさゼロ。10のテンションで話してきたキャラに対して、4くらいのテンションで返す主人公。しかし、相手は自然に10のテンションを保ったまま会話している不自然さ。
例えて言えば、片方は大男が体をうねらせて豪速球を投げているのに、それを受け取る主人公は直立不動でボールをキャッチし、腕だけ動かして投げて緩いボールを返している感じ。その不自然なキャッチボールはラストの一言まで続きます。
製作者の意図としては「理系の人っぽさを出したかった」ということですが。理系独特のドライさってのは違うと思います。
成功に仲間や上司が昂ぶっている時にタバコ吸ってどっか見てたり、菜穂子が王子様アピールしてるのに「晴れてきました」とかいってるだけで理系っぽさは出たと思います。
その点、同じ理系でも今放映中の福山雅治のやつとかは、たしかに理系っぽい感じはします。
百歩譲って、理系な人が抑揚のない声で話すとしましょう。でも、見る側としては少なくとも僕は違和感で集中できないんですね。不自然なコミュニケーションを意図的に作ってドヤ顔してる制作側に本当にいらっとした。
ヒロインが嫁入りするシーンで、嫁が高橋留美子の漫画のキャラにしか見えない。
そもそも、結核の嫁が病院抜けだして来て嫁入りを済ませるっていうのはとてもむずかしいと思う。
ただの美談ですよね。ちび上司が普段と違ってお祝いしてる方が胸を打たれました。
これは単純すぐり僕の勘ぐりでもあるのですが、いちいち飛行機とか鯖の骨とかに「美しい・・・」とかいうところに、デザインに対して強いこだわりを思っていたジョブズを投影させてたのかなって思っちゃいました。
シンプルに美しい見た目=優れてる、という考え方を持っている二郎アピールが多いんですよね。
もしジブリもジョブズに敬意を表すなら、普通に「敬意あります」とか言えばいいんであって、作品にわざとらしく言わなくてもいいんじゃないでしょうか。
とにかくうるさいんですよね。忘れた頃に出てくる。「また!?そんな(にデザイン好き)なの?」みたいな
でも、まあ、ジョブズが話題になる前からsimple is the best的な価値観はありましたので、あんまり強気で言えることじゃないです。
以上を踏まえて「風立ちぬ、傑作!」みたいな空気は、なんかつっこみたくなります。
「ジブリがやったことならすべて良し!たとえ理解できなくても良しと言う!白も黒と言えば諸手を上げて黒に賛成」みたいなダサい空気です。
確かにジブリの過去作は素晴らしかったです。でも、今作はどうでしょう。ほんとうにそうおもってますか?と。いや、過去作も実は「良さげ」雰囲気だけの作品だったのかも… ?
なんちゃって、それは言いすぎな気がしますが、否定なんかしたら自分がバカっぽい立場になるって思ってませんか?
僕もそうゆうのが怖いのですが、これを書いた反響とかを楽しみたくてネットに書きました。
以上です。
ちなみに、個人的に一番良かったシーンは、幼少期の夢の中で雑誌に出てた有名なイタリアの設計士と出会い、刺激をうけるところです。
あの夢の中には、生まれや、能力や、物理法則すらも超越した、ピュアな(実現したい世界としての)夢だけでした。
そしてあの空間にいる間は、「自分のヴィジョンは世界の偉人と共有できる程のものなんだ」という高揚感は、とてもこんなことを言うのは憚られますが、僭越ながら共感できました。
色々文句もありましたが、終わってみると、確かになんだかスッキリした映画でした。
それが何かは、わかりません。それが不思議な魅力でしょう。
自分はジブリと育ってきたような年代で、現在は「アラサーw」と自虐を言う時期に入った年代です。
「風立ちぬ」は今回の作品で初めてです。
一番好きなジブリ映画は「もののけ姫」。理由は興奮するからで、メッセージ性などはあまり気になりませんでした。
一番心躍った映画は「バトルシップ」。一番泣いたのは「アイ・アム・サム」。という単純な人間です。
しかしあちらは業界の頂点、こちらは底辺なので、ほとんど似て非なる境遇だ。
それで頂点羨ましい妬ましいというならまだ話は簡単だが、正直損しているのか得しているのか誰か教えてくれという感じだったり。
いとこは旧帝卒で、業界の中堅からスタートし、数年前にトップ企業に転職した。
気になる収入は、時給に換算するとなんと6000円。1分100円の計算だ。
大学のサークルで出会った専業主婦の奥さんと幼稚園通いの子供が2人いて郊外のマンション暮らし、都心一等地の勤務先まで電車一本、しかもフレックス制の10時出社なので満員電車の苦行は無い。
転職後は周りに頭悪い奴がいないどころか、頭良い奴ばっかりなのが嬉しいと言っていた。
確かに自分やいとこのいる業界は、自分より出来る奴に囲まれて圧倒される方が、出来ない奴に囲まれて腐るよりも快適なので気持ちはわかる。
「お前の時給6000円の価値は何だ、どんなバリューがあるんだ、少なくとも会社はそれだけの結果を見込んで報酬を払っているんだから、ぬか喜びさせるなよ?」
と常にプレッシャーを掛けられ、追いまくられているらしい。
それで平日は午前様だったり泊まりだったりで、家族とは奥さんとメール電話がせいぜい。
休日は土日とも休めているものの、土曜日は一日中寝てるだけ、日曜日のみ子どもと遊ぶ。
「俺は今1分100円の生活してるから!仕事と家族以外に時間を割く余裕なんてねーから!!」と常に殺気立っている。
一方の自分の話は正直どうでもいいが、まあありふれた地方住まいの独身底辺社畜です。
駅弁卒の30代で一応正社員なのに、時給はたったの2000円。正規雇用でこの歳になってそんなヤツいねーよって感じ。自他共に認める重度のコミュ障でぼっちだから仕方ないのだが。
一度それでメンヘラになりかけてからは、定期的に医者やカウンセラーの所に通い、諌められながら生きている。「認知行動」なんちゃらとかいう治療も込みだったと思う。
やむなく実家に寄生し、勤務先もクルマで片道数分の場所にしてもらった(というか偶然そうなった)。
部下1人の部署を運営しているけど、2人ともやる気ゼロ。数年来の部署の目標は
ということで、完全9時5時だけ達成。それ以外のモチベは基本なし。
オフタイムは食う寝る遊ぶに明け暮れている。仕事は人生のついで、いや遊びですら人生のついでかな。
まあ遊びではあるものの、幼少の習い事も学校の部活で覚えた趣味も、当時はとても不本意な結果に終わったので、それを取り返すべく先生に師事という、前向きなのか後ろ向きなのか正直よくわからない活動に勤しんでいる。
養う家族がいないのは楽どころか、それはそれで結構辛い。何かに打ち込まないと「俺の人生一体何なんだ」感に苛まれるというか、人生クソ過ぎてやっていられない。
打ち込んだ所で未来なんて見えないけど。
結婚はできるならしたいけど、自分にマッチする女を見つけるなんて、社会性に問題がある自分からしたら砂漠で雨が降るまで雨乞いを続けるくらい無理ゲーに感じるので、最近は何も頑張っていない。
いずれにしても両極端な人生だと思う。
時代のせいなのか、ウチの一族の問題なのか、その両方か。
物心ついた頃、よく覚えていないけどきっと多分その頃から女の子になりたい、可愛くなりたいと思っていた。
背の順に並ばされると必ずクラスで一番前になる背格好や小学校に入って少し経つくらいまでよく女の子にも間違えられた容姿もそれなりに影響していたのかもしれない。
幼稚園に入る前あたりの自分の写真を見ると全部首をかしげてニコニコして映っている。そのポーズをとると可愛く見えると思っていたから例外なくそうしていた。
両親はそういう行動を取る息子のことをさして気にはしてなかったようだ。「男の子なんだからしっかりしなさい」と言われるようなこともなかった。
しかし幼稚園に入ってから、どうやら男の子はそういうことをしては変に思われるのだということに気がついた。
でもぼくは最初はあまり気にしてなかった。18cmのお気に入りだった赤い靴を履いてたらなぜか色々言われたりもしたけど、そこまで気にすることは無かった。
その当時ぼくは男の子にしては少し長めの髪型にしていたのだが、ある日幼稚園の同学年の男の子がぼくの髪をハサミで切り落とした事件が起きた。
その時は悲しくて泣いてしまったけれど、その時に男の子が可愛くなりたいと思うのはダメなことなんだなとようやく理解した。
それ以来、ぼくは表向きには一切そういうことは考えないように、そして他の男の子達が好むものを好きだというようになった。
好きな色は赤より青を、好きなテレビ番組はカクレンジャーを推すようになった。
ちょうどその頃から好きなものが何なのかよくわからなくなってきた。いろいろどうでもよくなった。
そしてぼくも遅ればせながら中学校に入っていわゆる第2次性徴の時期を迎えた。そして好きな子ができた。相手は女の子だった。背が高くてちょっと同学年の中では少しませてて、ぼくの仲のよかった女の子だった。その時もしかしたら自分のことを同性愛者なのではないかと思っていたぼくは、差別的な言い方になってしまうけど正直少しホッとした。
かと言って、じゃあ告白するかとなるとそれほどでもなかった。一緒によく遊んだけれど。
付き合わなかった理由は、はっきりとしない。でもなんとなくその時にぼくは彼女の彼氏には似合わないなと思ったのは記憶にある。
他の男の子ならもしかしたらそこで釣り合うようになるべく格好良くなろうと努力するのかもしれない。
でもぼくはそれをする気が起こらなかった。格好よくなろうという気にならなかったのだ。
しばらくして彼女は他のイケメンの男の子と付き合うようになった。ああ、これはお似合いだなと他人事のように思った。
お察しの通り、その頃になっても相変わらずぼくの身長体重はクラスの一番前に並ばされるくらいの低空飛行を続けていた。
確か中学入学時は140cm37kgだったし、卒業するときも160cmまでしか大きくならなかった。
でもその頃のぼくは一気に身長が伸びてガタイがよくなっていく周りの男の子たちを見ながら、この低空飛行状態を望ましく思っていた。もしあんなにガタイがよくなってしまったら、可愛くなくなってしまう、それだけは避けたいと誰にも言わなかったけど内心はそう思っていた。
容姿ももちろんもう女の子に間違われるようなことはなかったけど、あまりゴツゴツしておらず中性的な顔を保っていた。
元から高かった声も少し声変わりした(と小学校の時から仲のよかった女の子には言われたけれど、一般的に言われるような声が出しづらくなるとかそういう明らかにわかる変声期というのはぼくにはやって来なかった)けど甲高いままだった。顔を上に向けるとなんとなく喉仏らしきものが見えるかなという程度で、喉仏が目立つということもなかった。足も23.5cmでそこまで大きくならなかった。
遺伝的要素に感謝する一方で、高校に入学してから一気に身長が伸びたいう母親の話を聞きながら、そのことを恐れる日々が続いた。
中学校に入学した時、ぼくは自分の部屋にネット回線を引き、パソコンを手に入れた。
そのうちぼくは夜更かしをして女装している人達のHPを観るようになった。可愛らしい人もそうでない人もいたけど、どの人も楽しそうにしているのが印象的だった。時々オフ会なんてものをやってて、友達もいるようでいいなと思っていた。当然ぼくにはそんな秘密を共有できる友達はいなかったから羨ましかった。
そして写真を見ているうちにこれはぼくのほうが絶対に可愛くなるとの確信をもった。単純に年齢の問題もあるけど、それを差し引いても。
そしてその日ぼくは初めて母親が若かった頃着ていた服を着た。やっぱりどうしようもなく古臭かったけれど、初めてのワクワク感で曇った目にはとても可愛らしく映った。そしてそのままぼくはオナニーをした。
そこからの転落は早かった。
中高とそんな生活を続けたぼくは、東京の大学に入学し一人暮らしを始めた。家族の目を気にする必要のない空間と恐ろしく持て余した時間と家庭教師のバイトで生活費とお小遣いを捻出しても少し余るくらいのお金を手に入れ、趣味に恐ろしく拍車がかかった。
ぼくはずっと欲しいと思っていたものをその時に一気に揃えた。
周りの女子大生が買っているような(安い)ブランドの洋服、バッグ、靴、メイク道具、ウィッグ…資金難になりながらも安いものを中心に通販で買い揃えていった。幸い高校生で急成長するという懸念はどこへやら、165cm52kgで成長は止まってしまい、足の大きさも24.5cmで止まってしまった。女性の体格としては大柄なほうではあるけれど、それでも普通のお店で手に入る大きさの服や靴を買えばよかったのでその面ではすごく助かった。
そしてある程度まとまった暇な時間が出来るたびに、ぼくは鏡の前に立って女の子になるようになった。
もちろん最初は鏡の前におてもやんが出来あがるだけだった。それも悲しくて、女性向けファッション誌を買って研究してみたり自分の顔に何度も塗りたくって練習するようになった。ちょっと痩せすぎててほっぺたに肉が無いなと思って笑顔を作る練習をしたり、ちょっとごはんを沢山食べるようにしてみたり、やれる範囲でいろいろやってみた。
そんなある日、奥二重の目をアイプチではっきりさせてやって黒髪のウィッグを被ってみたら、鏡の前に劣化版松井玲奈(ファンの方々申し訳ありません)が出来上がった。あ、凄く可愛い、と自分で思った。
その場ですぐにオフホワイトにブルーのボーダーが入ったワンピースにベルトをしめてカジュアルなバッグを持たせて帽子をかぶらせてみた。鏡の向こうの「玲奈ちゃん」はえ?って感じでちょっとポカンとしていたけれど、ちょっと顔が赤くて贔屓目だってわかっていてもとても可愛らしかった。
それから「玲奈ちゃん」はいろいろなことを経験した。ビクビクしながら外出もしたし、学校の大学祭でメイドさんになったりもした。酔っ払ってネットに少し画像を上げたりもした。知らない人に可愛いねと言われた。凄く嬉しかった。一人エッチもしたりした。「玲奈ちゃん」でいるとその間はニコニコしていられたし、幸せだった。
もう「玲奈ちゃん」とのお付き合いも5年くらいになる。ぼくも24歳になった。昔はある程度の年令になったら限界を迎えるだろうしその時には別れようと思っていたのだけれど、結局ズルズルと続いてしまって関係を持ってしまっている。むしろ、社会人になってお金に余裕が出てきた分、玲奈ちゃんも貧乏女子大生からそれなりな社会人さんって感じになってきて、これはこれで可愛いかななんて思ってる。なんというか、本当に業が深いなって自分でも思う。
結局今まで彼女を作ろうという気も起こらないまま、そして作ることもないままズルズルと来てしまった。いくら「玲奈ちゃん」が可愛くてもぼくの客観的なステータスは24歳男性・会社員であるということには変わりない。数年したら結婚したらどうかとかそういう話にもなるだろう。その時にはぼくは「玲奈ちゃん」に『ごめん、一緒にはいられない。別れよう。』って言わないといけないのだろうか。そうだよな言わないといけないんだよな。
その時に「玲奈ちゃん」はなんて言うだろうか。
「わかった、いいよ」って言ってくれるだろうか。「ずっと一緒じゃなきゃヤダ。一生玲奈になって。」って言うだろうか。
いつか言わないといけない時が来るというのはわかってはいるのだけれど、悲しくて向き合えなくてまだずっと言えてない。
追記
これ酢豚ちゃんに載せてほしい。