はてなキーワード: 考察とは
前から思ってたけどダッシュでやってる米作りの基準が謎だったのでそれを書き出すのとともに自分なりの考察を入れておこうと思う。
田植えなんだけど、なぜに手植え?
小さい田植機使えば良いのに。押して植えるやつ。今時見ないけど。
まぁ、農薬使わないのはいいけどさ、酢酸とかやめようよ・・・。
稲刈りもやっぱり手で刈る。
コンバイン使えよって本当に思う。
天皇陛下とかも手で刈るし、他の番組も手で刈るから、もしかして今も農家は手で刈ってるって思ってる人多いんじゃないのかな。
乾燥機使えよ。1日で終わるのに。
まぁ小規模農家なら買っても元取れないから買わないのか・・・?
脱穀がもはや教科書でしか見たこと無い、トゲっぽいのがグルグル回っててそこに稲を突っ込む方法。
脱穀機使えよ・・・と思ったけど、そもそも脱穀機って今時無い?コンバインでやってくれるもんね。
籾摺り機は使うのかよ!
ここで一気に謎になったよ!
ここまできたら臼とか使って風で飛ばすやつを水車で回してとかやれよ!
「うわー、いい玄米ですね」
じゃねーよ
選別してなかったような・・・。
「全体的に小粒ですねー」
じゃねーよ。選別して分けろよ。
精米機も使うのかよ!
炊飯は釜なのかよ!
炊飯器で炊けよ!
福島の他の農家の人はみんな炊飯器で炊いてたよ!当たり前だよ!炊飯器美味しいよ!
内燃機関を使わないっていう縛り?ということに気付いた。
環境に配慮するとかそういうことからエンジン等の内燃機関は御法度、という縛り。
とか思ったら開墾の時に思いっきりブルドーザー出てきてるし、工事するときはショベルカー出てきとるな・・・。
やっぱり謎だわ・・・。
年末調整とか、部屋の掃除や備品の購入とか、夕ご飯を食べるとか、仕事の調べ物とか、いろいろやることはあるが、
YouTubeとTwitterとまとめとしたらばと、更新してもこれ以上最新の情報がなくて、仕方なくYouTubeでおすすめの動画を見た。
愛の物語なんだよってのを見て、そういえばそんな風にイノセントな時代もあったなとふんわりした気持ちになって。
平日も土日も誰とも話さないのもあって自分を振り返る機会がないから、壊れたままになっていた。
こうやって書かないと本当に自分の気持ちとか言葉にすることがないから、自分のために書いている。
平日も土日も誰とも話さないってすごいな。
メンタルケアとして風俗をヘビーユーズしてたが、性欲とか抜きにして人と話さないとさすがに壊れるわ。
とりあえずは、こうやって書けたことで、酸欠だった脳に酸素が行くように、人間であることを取り戻した感があるから、夕飯食べるところからやろう。
人間関係を増やす努力をしてないから、縁は細くなって千切れそうになる一方だけれど、どうしたものかね。
何人か仲の良い人を家に呼べるような人間になりたいな。
調べてみたが、「ソレはどういう場面で起きるのか」「性的搾取を広義化した言い換え」「消費の意味が広いので実質ただの難癖」など、
フェミ目線でもアンチフェミ目線でも「性的消費」という言葉とまともに正対しようとする意思を感じない意見ばかりだったので、真面目に考察してみる。
まず、「性的消費」とは何か、というところに着目する。
せいてき【性的】
( 形動 )
①
性欲に関するさま。 「 -な魅力」 「 -な関心」
②
(男女・雌雄の)性にかかわるさま。 「 -特徴」
しょうひ【消費】
( 名 ) スル
①
物・時間・エネルギーなどを,使ってなくすこと。 「時間を無駄に-する」
②
〘経〙 欲望充足のために,生産された財貨・サービスを使うこと
①+①、②+②では意味が通らないが、①+②=「性欲を充足させるために財貨・サービスを使うこと」、
あるいは②+①=「性にかかわるモノを使ってなくすこと」なら理解できる意味になる。
いくつか例をあげると、直近ではATSUGI社の「ラブ・タイツ」キャンペーンが「性的消費」だと指弾を受けている。
また、「グラビアアイドル」は「性的消費」の対象であり、「漫画・アニメ・ゲームなど架空の女性キャラクターを起用したポスターの掲出」も「性的消費」であるらしい。
ここから、「肉体的な女性らしさを切り取った表現物」がある場所へ現出した瞬間に「性的消費」が行われる(と認識する人々が現れる)のだと考えられる。
「タイツ(を穿いた女性を描いた画像)」や「グラビアアイドル」や「漫画・アニメ・ゲームなど架空の女性キャラクター」が存在している時点では「性的消費」は発生しておらず、「表現物がある場所へ現出」すると発生する。
言い換えると、「セーフゾーンからアウトゾーンに特定の表現物が移動する」と発生する。
こうなると、少なくとも「性にかかわるモノを使ってなくすこと」を指しているわけではなさそうだ。
以上を踏まえ、「性欲を充足させるために財貨・サービスを使うこと」について問題点を考えてみたい。
なお、今回「問題などない」という考え方は今回はしない。
実際に批判が発生している状態で問題などないと言い張ってもただの現実逃避でしかないため、問題はあるという前提で「何が問題なのか」を考察していく。
「財貨・サービス」とは、この場合性欲の対象となる「タイツ」「グラビアアイドル」「漫画・アニメ・ゲームなど架空の女性キャラクター」にあたるだろう。
Aにおける「消費」は経済学的な意味合いであるため、何者かの性欲を満たすと同時にこれらは費消されているということだ。
費消というからには、「タイツ(を穿いた女性を描いた画像)」「グラビアアイドル」「漫画・アニメ・ゲームなど架空の女性キャラクター」から何らかのモノがなくなっていることになる。
一体何が無くなっているのだろう?
表現物であり、物理的に量が目減りしないことを踏まえると、「性的な価値」が無くなっていると考えるのが妥当だろう。
「性的な価値」はこの場合「性欲を充足させ」られない状態になる(質が低下する)か、
ほかに同じ質のものが供給されて需給のバランスが崩れる(希少性が低下する)かすれば減じるはずだ。
先ほど述べた通り、表現物は物理的に質が低下することはない(生身の人間と違って表現物は再度掲出すればよい)が、その代わり同じ質のものは大量に存在している。
(抜くためのオカズが見つからなくて困るということはこの現代ではほぼありえないと思う)
これらのこと総合すると、「性的でない状態の女性を性的な状態に変化させて表現物として切り取り、現出させ、性的な希少性を減じさせること」が「性的消費」であると考えられる。
ここから、「性的でない状態の女性を性的な状態に変化させて切り取り、現出させ、性的な希少性を減じさせること」にどんな問題があるか考えてみる。
まず第一に、この問題は女性にまつわる問題であるということが言える。
「性的でない状態の男性を性的な男性に変化させて表現物として切り取り、現出させ、性的な希少性を減じさせること」が発生した場合は批判が出ないからだ。
つまり、『男性の「性的な希少性」が減じた時は問題だと感じないが、女性の「性的な希少性」が減じた時は問題だと感じる人』がいるということだろう。
問題は、彼らは「タイツ(を穿いた女性を描いた画像)」「グラビアアイドル」「漫画・アニメ・ゲームなど架空の女性キャラクター」当人(当物?)ではないということだ。
ここからは想像になるが、自分ではないヒト・モノの「性的な希少性」が落ちたことを我が事のように批判する背景について考えてみると、
彼らと「タイツ(を穿いた女性を描いた画像)」「グラビアアイドル」「漫画・アニメ・ゲームなど架空の女性キャラクター」は
『女性』という地球を覆う大いなる存在の一端末として同一の存在であると認識している可能性がある。
「タイツ(を穿いた女性を描いた画像)」以下略の「性的な希少性」が減じると、『女性』本体の「性的な希少性」が失われ、ダメージになると信じているのだ。
一般的に、こういう考え方をする人は少ないだろう。
例えば、極端な話として「同性と毎日セックスしないと落ち着かないセックス狂いの男性」に出会ったとする。
この男性との出会いで「世の中の男性はすべて同性と毎日セックスしないと落ち着かないに違いない」と考えるだろうか?
これは一般的な考え方とは言えないはずだ。普通は「そういう人もいるのだな」という考えに落ち着く。
『男性の「性的な希少性」が減じた時は問題だと感じないが、女性の「性的な希少性」が減じた時は問題だと感じる人』たちは、
このような、特定の女性個人に起きている問題を自分の問題だと認識し(自他の境界の喪失)、パニックを起こして批判を始めるのだということが推測できる。
ひとまず、長いので『男性の「性的な希少性」が減じた時は問題だと感じないが、女性の「性的な希少性」が減じた時は問題だと感じる人』を「端末」と呼称しておく。
この「端末」たちの思考をトレースしていけば問題点は明らかだろう。
「端末」たちは、この自他の境界が崩壊している状態が日常化しているため、「それはあなたの問題ではない」と言われても理解ができない。
この大いなる『女性』と「端末」の関係は、「親子」の関係に非常に似ている。
「母親といい子」の関係を守るために、「性的な希少性」を失わせるどころか、『性的』なものはそもそも徹底して排斥されなければいけないということだ。
「自他の境界があいまいで精神状況が『ママの言いつけを守る子供』から脱し切れていない人々の理解を得られないこと」であると言える。
表現物はリテラシーの低い層にあわせる必要があるということだろう。
難しい問題ではあるが、今後も社会が取り組んでいかなければ問題であると思う。
以上
いつからかはわからないけど、だいぶ前から所謂オタ活みたいなのが出来なくなった。
例えば、公式から推しの供給が来たとする。普通のオタクなら喜ぶと思う。
でも自分はそうじゃなくて、供給を目にした瞬間、精神状態が最悪になる。とうとう来てしまった、これを摂取するのがつらいって思ってしまう。いっても推しだから、嬉しいことは嬉しい。けど、しんどさの方が勝ってしまう。
なんだこれ。
オタクになりたての頃は推しの情報があれば飛び付いたし、好きなジャンルの知識を得ることが楽しかった。
公式からの供給だけじゃ足りなくて、二次創作も漁った。pixivはもちろん、そのジャンルの好きな絵描きとか小説書きのTwitterも見ていた。同人イベントにも行ったし、毎日のように推しの考察をしていた。
あの頃は楽しかったな。
今じゃもうpixivも、TwitterのTLさえも見ることができない。考察や感想で溢れかえったTwitterは地獄だ。お気持ちnoteなんてもってのほかだし。
なんでこうなっちゃったんだろう。
オタクで居続けることをやめたらいいんだけど、それが中々難しい。一度オタクになると、どうやって抜け出したらいいのかわからなくなる。たまにオタク卒業しますって人見ると、えっ!?!??そんなんできんの!????!!?!?ってなる。どうやってんの?このままじゃ一生留年だから教えてほしいんだけど。
なんとなく、謎の義務感に駆られてるんだろうなとは思う。
一部のオタクは、いかに貴重な情報を持っているかでステータスを決めてくる。古参は知識をひけらかし、限定グッズを自慢する。一部の話だけどね。
だから自分も、認められる為に相応の知識を持ってなきゃいけないと思い込む。それで焦って、疲れてしまう気がする。
もしかして飽きっぽいのかな。だからオタクになりたての頃だけ楽しかったんかな。
わからん。
今日も明日も、たぶん5年後とかもオタクだと思うけど、ずっとしんどいんだろうな。冷静に考えるときつい。オタクやめたい。
今はもうほとんどTwitter見てないです。見てるのは公式アカウントからの情報ぐらい。
だから多分SNS離れしても意味なくて、ただただ供給が発生することによってしんどくなるんですよ。めんどくさ〜〜〜〜!
現在ソシャゲやってるんですけど、公式アカウントの情報ツイ(イベ予告とかガチャ予告とかね)すら見なくなって、いきなりソシャゲ開いて推し出された時の方がダメージでかいです。心の準備しないとひっくり返っちゃう。
状況の設定は下記のとおり
変数の設定は下記のとおり
あなた以外の参加者にとっては直感的に一番納得感があるかもしれないが、あなたは大いに損する
この食事機会におけるpointRedeemは過去の食事機会におけるpointWillBeGainedであり、
当該の過去の食事機会において他の参加者の負担を軽減し、あなたが建て替えていた金額だからである
言い換えると、ポイントによって他の参加者の金銭的負担を二重に軽減することになり、その原資はあなたが負担していることになる
ある食事機会におけるあなた以外の参加者にとっては各々の参加に基づくpointWillBeGainedをあなたが獲得し、
将来そのポイントをあなたが消費する食事機会に参加するとは限らないため、
pointWillBeGained分の負担の軽減はその食事機会において受けておくべきである
あなたは会計時にpointRedeem分の負担が軽減されるが、
それは過去の食事機会におけるpointWillBeGainedであり、
当該の過去の食事機会において他の参加者の負担を軽減し、あなたが建て替えていた金額であるため、
その分をある食事機会においてあなた以外の参加者に還元する必要はない
しかし、pointRedeemによって目に見えて会計金額が減少するため、
あなた以外の参加者にとっては直感的に納得感を抱きづらい (pointRedeem分も負担させられている気分になる)
単純に会計金額をあなたを含む参加者全員で按分する方法であり、ぱっと見、視覚的に納得感を抱きやすい
しかし、ある食事機会におけるあなた以外の参加者にとっては、各々の参加に基づくpointWillBeGainedの恩恵を受けられるかどうかが分からない
横からで悪いけど、つっこませてもらう。
まずその主張としての「コンテンツの評価を他人が決める」というのはハロー効果として昔から知られていること。
むしろ昔はその風潮が今以上に強かったほどで「偉い学者さんが言っているのだから本当だろう」ということでテレビで健康効果を謳った食品が次の日スーパーで売り切れるなんてことは日常茶飯事だった。
ただ主張していることには同意できる点もあって、”「作品に対してどう思うか」の感情を先導する人間が今後、より重要視される。”というのは同意もできるけど少し違う。
昨今は作品に求められている構造的変化があり、それはよりメタ的な観点における構造の変化。
つまり、これまでのコンテンツ作品(特に娯楽作品)は、その内容にはある種の欲求を満たすように作られていた。
たとえば少し前の時代に表現されていた勧善懲悪の存在などは、それが最後に「悪いこと」として排除されることによって社会的模範を示し、その示される善悪の基準に対して善に沿って生きている人間は「俺は善人だ!」ということをその作品を通してより自覚する。
するとそこで承認欲求が満たされる。
そして重要なのはこの部分の変化で、上記の例では承認欲求を満たす構造は自己完結型。
漫画などの場合は読者が作品を読み、その作品そのものから承認欲求を満たす図式となっていた。
しかし昨今この構造がSNSをはじめとするソーシャルサービスによって変化が生じ、一言で表せば「コンテンツによる欲求充足の構造が自己完結型から他人依存型に変容した」ことが挙げられるのだと思う。
つまりこれまでは作品それ自体から満たされていた欲求が、今後はメタ的、つまり作品そのものから満たされるのではなく、その作品を通じて他者とのつながりを果たすことで満たされることを目指す図式に変容しているのだと思う。
これは作品からの直接的な影響が薄まった、というよりかはむしろ、この増田の主張するように「作品の内容よりも感想の共有が重要だよね!」という風潮の中にあると思われる。何故かといえば、作品からの自己完結型の欲求充足は煎じ詰めればオタク以外にとってはどうでもいいことなのである。
一般人にとってはその内容如何より、作品を通じて他人とつながれる、その結果のほうがずっと欲求が満たされるからだ。
よって今後の娯楽メディアはより現実への透過性が強化されるだろう。
だがそれは増田の言うような個々の個性を殺すことには繋がらない。
増田の主張の問題点は文化的・社会的影響についてを言及していない点と(それと相関と因果の違いについても意識すべき)、”自分の感情が自分から発することがあるのだろうか?”という主張に対してはそこに含まれる随意性 ・不随意性への考察が不足している点(肉体からもたらされる影響を無視し過ぎ!)である。
まとめると「あれ?もしかして自分の感情やら感想って、全部他人に依存してない?」と主張するわけだが、そもそもそれら概念を他人にまったく依存せず表象できるのか?という話で、それはできませんよ、というのが今の科学の見解。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 51 | 9081 | 178.1 | 47 |
01 | 54 | 15400 | 285.2 | 113.5 |
02 | 25 | 2757 | 110.3 | 58 |
03 | 26 | 7098 | 273.0 | 136 |
04 | 13 | 1543 | 118.7 | 153 |
05 | 7 | 1086 | 155.1 | 78 |
06 | 7 | 4210 | 601.4 | 79 |
07 | 23 | 3598 | 156.4 | 97 |
08 | 38 | 6994 | 184.1 | 35 |
09 | 78 | 6286 | 80.6 | 45 |
10 | 148 | 13268 | 89.6 | 46 |
11 | 135 | 13807 | 102.3 | 43 |
12 | 129 | 14752 | 114.4 | 46 |
13 | 78 | 8888 | 113.9 | 46.5 |
14 | 96 | 16863 | 175.7 | 42 |
15 | 173 | 13654 | 78.9 | 45 |
16 | 128 | 10459 | 81.7 | 45 |
17 | 176 | 13911 | 79.0 | 43 |
18 | 183 | 14560 | 79.6 | 48 |
19 | 157 | 16431 | 104.7 | 41 |
20 | 142 | 11518 | 81.1 | 47 |
21 | 96 | 5743 | 59.8 | 34.5 |
22 | 107 | 11839 | 110.6 | 41 |
23 | 97 | 8591 | 88.6 | 45 |
1日 | 2167 | 232337 | 107.2 | 46 |
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例えばトトロや千と千尋とかあんなに老若男女に人気あるのに「なんでこうなったの?」「あのシーンってどういう意味なの?」って聞かれてもわからないだらけだし、
伏線が多い攻殻機動隊やら進撃の巨人やらも話が複雑だからこそ『考察』が盛り上がるわけじゃん?
洋画でも難解だけど名作、みたいなの山のようにある
でも日本のドラマってわかりやすくて1クールのなかで全部話が完結して伏線回収して明朗会計で、っていうのが多くない?っていうか100%じゃない?
悪いことじゃないんだろうけどなんで難しいお話ができないんだろうなー
これは日記です。
腐女子・腐男子やBL(以降まとめて腐界隈と呼ぶ)ってわりと研究・考察対象になるじゃん
本もいっぱい出てるし、増田でも考察がよくあって定期的にホッテントリにも上がる
自分は腐という字を使わなくなって4年くらい?経つCP厨だけど、腐界隈研究の対象ではあるわけですよ
そして、どの界隈もそうだけど、腐界隈はもちろん一枚岩ではない。
研究対象が一枚岩でないことの実感が、自分が研究対象になってから初めて湧いてきたんだよね
いや腐界隈属性以外でも例えば若年女性属性とか日本人属性とかで研究対象にはなってきたけど、そういうのは括りがでかいからそもそも研究されている実感が薄かった。腐界隈属性はその点「自分が研究されてる!」って感覚が生まれる。
私は基本同軸リバで男女CPも女女CPもやるゾーンに存在してるから、話題になってる腐界隈の話にあまり共感できないことが多い。本も出さないし神と仲良い人に嫉妬したこともないから、例の同人女の感情漫画も共感はあんまできない。中綾は萌えます。
でも研究では私のような辺縁?の存在も考えた方がいいわけじゃん、男男CPしか読まなくて固定が基本で即売会に行くのがほんとにメインストリームなのか私のTL眺めてると実感わかないけど、とにかくメインストリームだけ考察してればいいわけじゃないでしょ?学部生の卒論レベルならまだしも。
そんで、界隈を全部拾おうと思ったらめちゃくちゃ大変だから、解像度上げるのを適当なところでやめないとだけど、どの程度でストップするのかの基準も自分で決めないとだし
研究って大変だなあ…
クリストファーノーランの「TENET」は考えれば考えるほどよくわからなくなってくる映画だ。
この映画では大きく分けて4つほど大きなイベントが発生しているが、どのイベントでも複数の人物が各々の思惑で動いているうえ、常識的にあり得ない時間の流れ方が一部に起こり、尚且つ一つのイベントがより大きなイベントの一部であったというような入れ子構造になっていたりもする。人類の命運をかけたヒーローとヒールの一騎打ちだとか、国家総力を手玉にとったクライムアクションとして扱うには話が複合的過ぎる。
それでもなんとかストーリーの流れは把握できてそれなりには楽しめた。生意気を言うと映画作品の出来としてはちょっと言いたいこともあるけど、好事家同士で談義したり一人で考察を広げたりしがいのある作品であることは確かだと思う。
先々週の日曜に初めて観たあと、気になった部分を確認するため先週末に再び映画館に行った。パンフレットはあいにく売り切れていたのでAmazonで注文することにした。
二回見てある程度自分の解釈が固まってきたので言葉にまとめようと思う。
劇中内でいくつか引っかかるシーンがあって、それが集中しているのが冒頭のウクライナ国立オペラコンサートホールでのテロ事件のシークエンスである。
1998年にロシアのミサイル基地から行方知れずとなってしまったプルトニウム241(以下241)という危険物質を、CIAスパイがウクライナ政府関係者に成りすまし入手した。
しかしその情報をリークしたロシア(ウクライナ?)政府がオペラコンサートの爆破テロに見せかけて強奪しようとする。
主人公たちのチームもCIAスパイで、ウクライナに潜入中の仲間の救出と241の保護のためテロの制圧しようとコンサートホールに乗り込む…
といったあらすじである。一見しただけはこれだけでも把握するのが難しく、詳細を解説したいのは山々なんだけど話が長くなるので割愛する。
まずこのシーンでの主人公周りの描写においてその後のシーンと辻褄が合わなかったり奇妙な部分がちらほらある。
主人公は持ち物置き場からウクライナ潜入者のバックパックを探し出し、中から241(観た人はわかるが実際は奇天烈な”アルゴリズム”)を運び出している。だが後々のシークエンスで再び241を見た際に「これはプルトニウムじゃない」とか「プルトニウムじゃないなら(敵に)渡してもいいんじゃないか?」と不可解な発言を行う。
また冒頭部分では度々「黄昏に生きる 宵に友なし」というホイットマンの詩の一節を合言葉として用いているが、その後セイターにそのフレーズを投げかけられた時は「それがどうした?」とばかりに呆けた反応を示していた。セイターは主人公がCIAか確かめるために組織で使われている合言葉でカマをかけたんだという解釈をしている人を見かけたが、プリヤが言うようにセイターは元から241を奪取した主人公を襲撃して横取りする手立てだったので、セイターが主人公の素性に拘る必要性はあまりない。それに外交員という見え見えな嘘で近づいて241のことをまくし立てる主人公を見て、テネット組織の存在を嗅ぎ取れないほどセイターは鈍感でもなければ情報を知らないわけでもないはず。
最後に、コンサートホールから逃げ込んできた主人公と同僚は逃走用のバンに乗り込むが、「違う男だ」という支離滅裂な言葉を浴びせられた後に殴り倒され人気のない列車の車庫基地で拷問を受けることになる。主人公を拉致したこの一味は何者なのか、「違う」ということはどんな男が乗り込んでくることを想定していたのか、様々な点で確信できる情報がなくこのシーンは謎に満ちていて解釈が難しい。
ここで僕がたてた仮設というのは、あのコンサートホールに主人公は二人いたのではないか?というものだ。
ご存じの通りスタルスク作戦でテネットがアルゴリズムを手に入れた後、全てを知った主人公は世界の均衡を守るために過去に戻りテネットを創設することを示唆して物語は終わる。
(ニールが未来の主人公の指令で派遣されてきた未来人で彼がテネットを組織したという説が根強いけど自分はそうではないと思う。長期の逆行自体が危険でリスクの高い行為であり、かつそれだけの逆行を経てもあの若さであるということは幼く経験が乏しいころに指令を受けたことになる。それよりも主人公自身が逆行を重ねて各時代ごとに指示出せば、もし主人公の身に何かあっても誰かが跡を継げるのでよほど現実的ではないか。ニールが「君は物語の中間地点にいる」「僕は過去に君に会って、君は未来に僕に会うんだ」といった感じの台詞(うろ覚えすまん)もそう考えるほうがしっくりくる気がする。重要事件であるフリーポートの件で、回転扉から出てきたマスク男の正体に最初は気がついてなかったりと、事の顛末を知っている未来人とするにはニールは無知すぎる気もするし。)
コンサートホールには何も知らずにただ爆破テロの被害を最小限にすることに勤しみ、謎の男が逆行弾を放つのを目撃してから拷問を受ける主人公Aと、実はテネットメンバーであるウクライナ潜入者とアルゴリズムをコンサートホールから救出するために未来からやってきて奔走する主人公Bがいたのではないだろうか。
このシークエンス中ずっと主人公の傍らにいるジョセフゴードンレヴィット似のCIA工作員(以下ジョセ)がいるが、彼もテネットのメンバーでありアルゴリズム保護作戦の補助と主人公Aの警護が彼の役割だったとする。ジョセは皆で物置に入って防護服から着替えていくところまでは主人公Bの傍らにおり、その後主人公Aがホールから出るのを待ってAと共に車に乗り込んだと考える。「黄昏~」の合言葉はテネット内で使われる言葉でありウクライナ潜入者、主人公B、ジョセ、ニールの間では通じるが、主人公Aは当然そんなもの知らない。
そう考えれば合言葉を使いこなしアルゴリズムをバックパックから取り去った主人公Bの活躍は、主人公視点に立てば物語の一番最後となるためそのあとのシーンの主人公が諸々知らないことにも納得がいく。劇中における物語の始点は主人公Aが逆行弾を目撃するシーンからというわけだ。
そう考えると例の拷問シーンや、カモフラージュのために組織のメンバーは皆服装を変えているのに主人公だけはずっと防護服を着ていることも説明がつく。
「違う男だ」という台詞は主人公Bを捕まえるつもりがAの方を捕まえてしまったということだ。ぱっと見ではジョセがウクライナ潜入者の影武者になったということのようにも見えるが、リスクヘッジとしてあまりいい考えとは言えないし、ジョセが一番最後にホールから出てきてはその意味がないので妥当な解釈ではないはず。あの一味はアルゴリズム強奪という目的以外にテネットに関する情報を掴みたかったのではないだろうか。
(主人公が飲んだ偽装自殺ピルも実は製造にテネットが関わっているのかもしれないと思ったけどどうだろう?普通の毒薬を回転扉を介することであのピルができたりしないだろうか?エントロピーの減少とかよくわかんね)
この説明を聞いて「結局アルゴリズム取られてもう一回タリンで奪取しに行ってんじゃん。逆行してきたんならなんでキエフの作戦失敗するんだよ」とつっこみが入りそうだ。この点は逆行経験者は常人とやや異なる思考をするためなんだと思う。「空ってわかってんだからわざわざ車越しにケース受け渡しするの無駄じゃね?」と一瞬感じてしまったりするセイターが仕掛けた挟撃作戦のまどっろこしさや、ニールの「起こったことは変えられない」という言動からわかるとおり、未来を知っていてその行為が自分にとって不利益になるとわかっていても、最終的な結果に至るプロセスに絡んでくるなら避けようがないし、パラドックスを起こしかねないので避けようとするべきではないと逆行経験者は考える。キエフとタリンの失敗があったからこそスタルスクの戦いが成功したんだと認識しているはずなのだ。
主人公は覚醒後に君はテスト合格者だと告げられるが、安全のために未来から来た主人公はテネットメンバーにも素性を明かしてない
このオペラコンサートのテロ事件はロシア政府とCIAが241をめぐって攻防を繰り広げるという風に説明したが、描写される情報が少ないために鑑賞しただけでは如何様にも解釈ができる。
第一に1998年にロシアから241がなくなった事件の際実際何があったのかはよくわからないし、その後の20年近く241がどんな環境に置かれていたのか、なぜ今はウクライナにあるのかも把握しようがない。CIAが戦っている相手はウクライナの特殊部隊に変装したロシア人なのか?それともロシアに脅しをかけるため241を利用しようとしたウクライナ政府が、ウクライナの部隊を借り出して工作しようとしているのかもどちらか断言はできない。CIA及びテネットも事前にいくつかワッペンを用意していた辺り当人たちもそこらへんはっきりわかってないようだ。
ここからは僕の想像でしかないが、実はこのテロ事件はセイターが裏で仕組んでいたことではないだろうか。
つまりスタルスクの企みから少しでも目を逸らすため、またタリンでの241強奪に繋がる道筋を作るために、コンサートでのテロが引き起こされるよう各要人をセイターが誘導していたのではなかろうか。
アルゴリズムを集めることをライフワークとしていたセイターは241の行方についても常に関心を払っていた。それは主人公よりも先にタリンで241の受け渡しがあることを知っていた部分で顕著に現れている。(セイターのアジトがタリンにあることから、セイター自身がタリンまで241を運ばせた可能性もある)セイターはウクライナで起こった事件の詳細を把握していたはずであり、把握するために自分や部下を現場に派遣していたと考えるのが自然だろう。
アルゴリズムを起動しようとしていた時にセイターはハノイ沖のクルーザーに居たが、このセイターは未来から逆行しやってきた個体である。では順行時間軸上のセイターはどこにいたのか?というと劇中明示されていないのではっきりとはわからない。セイターもキエフにいた可能性は大いにある。
スタルスクに側近ボルコフがいるため、キエフでのテロに一枚噛もうとしていた場合セイター本人が赴いて事態を確認するのは道理にあっている。また物語上の動機付けとしても妥当であるように思える。
僕が思うにセイターはこのテロに、未来から来た主人公を拉致し拷問にかけるという裏の目的を忍ばせていたのではないだろうか。そう考えれば、主人公Bが車に乗り込んだ後の「違う男だ」という台詞とも符号する。主人公Aを捕まえる魂胆だったセイターの手先が、間違えてBを車に招き入れてしまったためにあのようなリアクションになったのではないか。
セイターが終盤しげしげと眺めていたあの銀色のカプセル。あれはタイトルロールで主人公が飲み込むのに失敗したあのカプセルではないだろうか。
主人公に帯同したジョセも主人公Aを逃すためにBを囮にし、かつ主人公Bがテネットに保護されるまで時間を稼ぎ守るという使命を負っていたのではないだろうか。ジョセは主人公に飲ませるための特別なカプセルを携帯しておりそれを飲ませたのだ。
テネットという映画の全編はスタルスク挟撃作戦を内包した壮大な挟撃の戦いとも言えるわけだが、話は劇中を飛び越えて、さらに未来から逆行しながらテネットを指揮していく主人公と、何十年も前から順行時間上でアルゴリズムを集め世界を攻撃し続けるセイターの幾度にも渡る戦いがあるような気がしてならない。テネットのストーリーもまた長年の戦いの一部というわけだ。さらにいえばセイターを操る上位存在である未来人とそれに拮抗する現代人の戦いでもある。
こうして映画という枠を超えた途方もない入れ子構造を想像したとき僕はロマンを感じたし、ストーリーの背景にある物語を観客に思惑させられるノーランの作家性にただただ舌を巻くばかりである。
ブログ用として1か月半前に8割がた書いたものの、そのまま放置してしまった文章をまとめました。気がついたら11月になり世間は鬼滅の刃ブームの真っ只中。完全に時季外れとなってしまいましたがせっかく書いたのでここに流します。
これを書いたあともう一回観に行きました。Blu-rayも特典目当てで買うと思います。
現代の各地に存在する回転扉についての解説や、タリンでクラッシュしたセダンが風力発電所からテネットの研究所へ移動する際に使われていたものと同型ではないか?という考察など、他にも気になる点があるので機会があればどこかに書いておきたいです。