はてなキーワード: DESとは
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1日 | 2230 | 270312 | 121.2 | 48 |
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■彼女に「増田くんは理解がない」と言われたからこっちから別れたら修羅場になった話 /20210313155429(42), ■「存在がセクハラおじさん」は誰にも救えない /20210312143341(26), ■たぶん、初めての性被害は3歳。同じ歳の男の子から。 /20210311231824(16), ■中国製を使わないことにした /20210313070156(16), ■「助けてもらった人は、実はそれほど助けてもらったという感覚はなく /20210313045027(12), ■シン・エヴァンゲリオン感想(ネタバレ有り)庵野と安野によせて /20210312155300(11), ■遠距離恋愛の交通費 /20210310165101(11), ■みんなの貯蓄額を調べたよ /20210313105517(11), ■キモい人間は存在そのものが不愉快だよね。 /20210313131032(10), ■やっぱり「寿司の国」が差別というのは分からん /20210312091629(9), ■若者のすべて /20210313014012(9), ■ここ10年くらいで日本人って発達障害増え過ぎじゃね? /20210313095710(9), ■ただの田舎の駅前の安いそば屋なのに妙に気になる /20210313020018(8), ■説明しよう!derとdesを! /20210312170851(7), ■anond:20210313162232 /20210313162650(6), ■複数の男性に暴行を受けました。騒いで殺されても、海に流され津波のせいにされる恐怖があり、その後、誰にも言えませんでした・・・。 /20210313154900(6), ■男嫌いのはてブすべてにはてなスターを立てる勤勉すぎるW氏を救いたい /20210313091551(6), ■30歳だが人生に飽きた /20210313235019(5), ■借金やバイトまでして私大理工系通ってる奴wwwww /20210313085239(5), ■手繋ぎゴール、全員桃太郎の再評価 /20210313094818(5), ■「ポルノを子供から隔離しろ」とかいうけど隔離している欧米諸国の方が犯罪における性犯罪の比率が高いのはどう説明すんの? /20210313101807(5), ■「かわいい人にかわいいと言うのは、僕としては結構ありえない」で、(一部の)男が怒ってる意味が分からない /20210313121204(5), ■anond:20210313161207 /20210313161637(5), ■家賃収入で生きていく /20210313173704(5), ■ダブルスタンダードの何が悪い /20210313174359(5)
「Land der Sushis(寿司人の国)とLand des Sushi(寿司の国)のニュアンスの違い」だとか。
https://twitter.com/jonuit/status/1369432732707733509
そんなん日本人にわかるか!というかドイツ人だってみんながみんな理解してるわけじゃないでしょ。
でも、あれだ。「知らないは罪」。今の世の中ではこの微妙な違いを知らないと差別者扱いされるわけだ。
コードが山ほどあって、それを知識として持ってなければならないんだ。
で、そういう知識を身につけられるのに有利なのは、やっぱ教育環境に恵まれてる上流階級ってわけだ。
彼らは無知ゆえに差別者のレッテルを貼られ、職を奪われ、退学させられ、あるいは住居を追い出されかねない。
「ぶぶ漬けでもどうどす?」と言われて、腹減ってないけど折角すすめてくれるんだから食べないと悪い、
ドイツ語におけるder/die/das、これは英語におけるtheやbe動詞も真っ青な過労詞。
今回は問題とされた"Land der Sushis"に限定して説明しよう!
ここでのderは属格(~の/of)として使われているのだけれど、属格のderは複数形につくもので、単数形ならdes (男性名詞の場合。寿司はそう)になる。
そしてSushiは英語でもそうだけど、基本的に単数形で使われる。特に料理名としては。
なのでTwitterやブコメの指摘にもある通り"Land des Sushis"なら問題なく"寿司の国"と訳せる。
しかし複数形で扱っている"Land der Sushis"の場合、料理の種類としての寿司ではなく、複数形で数えられる"何か"をSushisと呼んでいる形に聞こえる。
つまり適切に和訳すれば"Land der Sushis"は"寿司達の国"という意味になってしまう。これを日本人(あるいは選手本人)=寿司、という言い換えであるとネイティブは感じたわけだ。
これが差別なのかには踏み込まないが、そのような批判が発生した理由については納得いただけたんじゃなかろうか。
なにか自分に都合が悪いこと、直面するのがとても恐ろしいことが起こった時。私たちはそれに対峙するか、逃げるという選択肢を採ることができる。
たとえば自分が不祥事の当事者になった時に、周囲からの追及を逃れようとして、雲隠れしてしまうことも逃避の一種だ。
だが、どこにも逃げ場がなくなった時にはどうすればよいか。
自分自身を消せばいい。
自分自身の力で世界を変えることができないのなら、怖れの苦しみを逃れる手っ取り早い方法は、それを感じる意識を消すことだ。
どこにも逃げ場がなくなって、服毒自殺を図ったり、睡眠薬等のオーバードーズを起こすということは、自分自身の情動をやりくりするための戦略だ。それは魔術じみた子供だましに周囲からは見えるかもしれないが、本人にしてみれば、立派な戦略なのだ。
そんなことを言ってた哲学者がいなかったけか。サルトルだったと思うんだが。
La multiplicité des conduites émotionnelles
Suivant les formes prises par l'émotion, la transformation revêt des formes différentes : l’anéantissement des objets (et parfois de la conscience) pour la peur, l’uniformisation de la structure du monde pour la tristesse passive. Le moteur de l’évasion est l’impossibilité de confronter un objet dans le premier cas ou d’adapter les moyens face à la disparition d’une des conditions de l’action dans le second.
情動が採る形態によって、変容は異なる形態をおびる。怖れにたいして、対象の無化(時には意識の無化である)、受動的な悲観にたいして、世界の構造の画一化といったように。逃避を動機づけているのは、まず、対象に対峙できないこと。さらには、行動するための条件が無くなってしまった状況に適応する術を失ってしまうこと。
http://www.cnam.fr/servlet/com.univ.collaboratif.utils.LectureFichiergw?ID_FICHIER=1295877018192
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https://insights.ovid.com/crossref?an=00006324-201901000-00007
SIGNIFICANCE
Many manufacturers are currently marketing blue-blocking (BB) filters, which they claim will reduce the symptoms of digital eyestrain (DES). However, there is limited evidence to support the proposal that DES results from the blue light emitted by these devices.
zakinco アホくさ。はいどうぞ。「軍慰安所はどこの国にもあったの?」http://fightforjustice.info/?page_id=2425
米軍やほかの軍隊の場合でも、軍の周辺に来た女性たちを集めて、いわゆる売春婦として管理することはありましたが、その場合にも米軍が集めたわけではなく、米兵が何人いるから女性が何人必要で、だからこれだけ女性を調達して来いなどということを軍がしているわけではありません。米軍は物資や食べ物は豊富なので、戦場のなかでも人が集まってくる。それを管理するということであって、日本軍と同じとは言えないでしょう。
フランス軍は慰安婦を送り込んでいた(調達していた)、と Christian Benoit 中佐(兵と娼婦 "Le soldat et la putain" の著者)は言っています。
Prostituees et soldats, le couple indissociable de la Grande Guerre
On fait aussi venir des prostituees. (We also bring in prostitutes.)
なので、zakinco さんの思いとは反対に、事実にもとづけば、日本をフランス、ドイツと比較することは意味があるんじゃないかな。
Fight for Justice にはエビデンスないし、訂正しないのかな。でも正しい情報に訂正してってお願いすると、反省していないって話になって、うやむやに終わるんだけど。
フランスが大変なことになってるけど、定評のあるシャルリー・エブドは、この暴動についてどういう立場をとってるんだろう?
移民が悪い移民追い出せってことも言いそうだし、マクロン氏ねも言いそうだけど
翻訳で読んでみても、何かのたとえ話なのか皮肉なのかさっぱりわからん
Fabrice Nicolino - 21/11/2018
いいえ、それは興味があるので、それは少し存在しなければならないので、タイトルを作成しません。今や普通の破壊の記録は存在せず、論理的にはレーダーと血痕の光の下を通ります。しかし、ここでは2つの簡単な例があり、教訓は明らかです:世界の工業化はロワレに、Mardieでは敵である、私たちの友人Mardiéval(le-castor-enerve.fr)は巣の近くにカメラを隠していますオスプレー、魚を食べるラプター。もちろん、一方では、そのような自然の不思議に技術を導入するのはうんざりです。一方、私たちは、過去2年間、シルバとレダの(ミス)性的冒険を続けることができました。ライブ。そしてそれは豪華でした。ロワレ郡議会は 代わりに道路偏差を課す。Latingy木材の野蛮人は仕事であり、一世紀以上の古い樫、どこ私たちの鳥は彼らの習慣木から数十メートルを刈り始めました。2番目の例では、セーヌ・エ・マルヌのVillevaudéに行きます。そこではPlacoplatre社がGratuel木材を攻撃し、19ヘクタールの森林を削る石膏を探しています。私たちは団体としか話せませんでしたか?恋人でないミレーユ・ロペスの椅子のアデンカ(adenca.over-blog.com) - ローカル?何ではない?行政とその関節アームDriaaf(農業と林業の地域的な方向)はPlacoplatreに直面することを好む。途中で不正者が補償を呼び出す 環境を破壊すると、あなたは他のどこかで一種の生態学的同等物を作り出さなければなりません。彼らは言う。自然は機械部品のセットではないので、この「補償」は意味を持ちませんが、この場合はVillevaudéにいくつか追加しました。Placoplatreは、何百年もの間存在し、それを必要としない州の森林を「補償する」ことを決定しました。ユーモア、ない?
原文
AUX CÔTÉS DES BARBARES, DU LOIRET À LA SEINE-ET-MARNE
Par Fabrice Nicolino - 21/11/2018
Non, ça ne fera aucun titre, car pour intéresser, il faudrait que cela existe un peu. Or la chronique de la destruction ordinaire n'existe pas et passe logiquement sous la lumière des radars et des limiers. Voici pourtant deux cas simples, dont la leçon est limpide : l'industrialisation du monde, voilà l'ennemi !À Mardié, dans le Loiret, nos amis de Mardiéval (le-castor-enerve.fr) ont planqué une caméra près du nid de balbuzards pêcheurs, rapaces dévoreurs de poissons. Bien sûr, d'un côté, c'est dégueulasse d'introduire la technologie auprès de telles merveilles naturelles. De l'autre, on a pu suivre, ces deux dernières années, les (més)aventures reproductives de Sylva et Reda. En direct. Et c'était somptueux. Seulement, c'est à peu près râpé, car le conseil départemental du Loiret vient d'imposer au lieu une déviation routière. Les barbares du bois de Latingy sont à l'oeuvre et ont commencé à tronçonner des chênes plus que centenaires, à quelques dizaines de mètres de l'arbre où nos oiseaux ont leurs habitudes. Le second exemple nous entraîne à Villevaudé, en Seine-et-Marne, où l'entreprise Placoplatre s'attaque au bois Gratuel, à la recherche de gypse pour y raser 19 hectares de forêt. A-t-on seulement parlé avec les associations - l'infatigable Mireille Lopez préside l'Adenca (adenca.over-blog.com) - locales ? Que non. L'administration et son bras articulé la Driaaf (direction régionale de l'agriculture et de la forêt) ont préféré traiter en tête à tête avec Placoplatre. Avec en plein milieu ce que les margoulins appellent la compensation. Quand tu détruis un milieu, tu dois créer ailleurs une sorte d'équivalent écologique. Qu'ils disent. Cette « compensation » n'a aucun sens, car la nature n'est pas un ensemble de pièces mécaniques, mais en l'occurrence, à Villevaudé, on en a rajouté. Placoplatre, dédaignant des lieux de forte diversité, a décidé de « compenser » dans des forêts domaniales en place depuis des siècles, qui n'en ont nul besoin. Humour, non ?
こういうブコメがあった。
バカロレアの哲学問題に比べれば、日本は青少年を子供扱い。 - ko2inte8cuのコメント / はてなブックマーク
フランス(って書いてないけど、「バカロレアの哲学問題」って言ってるから、それが毎年話題になるフランスのことだと思う)の文系バカロレア「bac-L」は、「誰でも受かる」ことで有名です。確かに問題そのものは難しいかも知れないが、採点基準はとても甘いのでしょう。そう言う意味では確かに大人なのかも知れないけどね。比較に出すのはどうかなぁ。
フランスから帰国後しばらく経つ私であるが、久々に調べてみよ、と思った。
今年のbac-L哲学問題は以下の通りだったようです。翻訳は私訳です。ますだにフランス語が堪能な人がいるとは思うけどそんなに多くはないとは思うけど、ファクトとの対照という意味で、原文併記しておきます。
(参照:BAC 2018 SÉRIE L SUJET ET CORRIGÉ PHILOSOPHIE)
Souvent nous ne savons pas ce que nous souhaitons ou ce que nous craignons. Nous pouvons caresser un souhait pendant des années entières, sans nous l’avouer, sans même en prendre clairement conscience; c’est que l’intellect n’en doit rien savoir, c’est qu’une révélation nous sembledangereuse pour notre amour-propre, pour la bonne opinion que nous tenons à avoir de nous-mêmes; mais quand ce souhait vient à se réaliser, notre propre joie nous apprend, non sans nous causer une certaine confusion, que nous appelions cet événement de tous nos vœux; tel est le cas de la mort d’un procheparentdont nous héritons.
Et quantà ce que nous craignons, nous ne le savons souvent pas, parceque nous n’avons pas le courage d’en prendre clairement conscience. Souvent même nous nous trompons entièrement sur le motif véritable de notre action ou de notre abstention, jusqu’à ce qu’un hasard nous dévoile le mystère. Nous apprenons alors que nous nous étions mépris sur le motif véritable, que nous n’osions pas nous l’avouer, parcequ’il ne répondait nullement à la bonne opinion que nous avons de nous-mêmes. Ainsi, nous nous abstenons d’une certaine action, pour des raisons purement morales à notre avis;mais après coup nous apprenons que la peur seule nous retenait, puisque, une fois tout danger disparu, nous commettons cette action.
SCHOPENHAUER, Le monde comme volontéet comme représentation,1818.
3問目は長くて訳すの大変なのでご容赦ください。ショーペンハウエルみたいです。日本のセンター試験でショーペンハウエルの文章そのものが出るか、と言うと、出ることもあるかも知れませんが、まあ出ても4択問題だと思うので、確かに問題は難しいですね。
さて、確かにある意味難しい、難しいが、しかしこの試験は誰でも受かる。つまり、ちょっとウケ狙いなところがあることが否めません。多分これは「太陽は西から昇るか東から昇るか」と言う試験にしたとしても、おそらく受験者の点数分布は変わらないと考えられます。どうせ誰でも受かると言う状況下にある場合、問題文そのものの難易度に意味があるのかどうか不定になる、と言うある意味哲学的問いかけなのかも知れん。。。
いずれにせよそう言う試験な訳で、フランス人は誰もがこう言うレベルにある、と言うのはちょっと。そうは思えません。比較に出すのはちょっと間違いだと思います。
ところでフランスではバカロレアがセンター試験みたいなもので、一般の大学はこれ以外に試験はありません。しかし一部のエリート希望の人は、準備学級を2年こなした上で、グランゼコールを受験します。グランゼコールの哲学は、本気で解くことを要求されます。こう言うとき、問題の難易度について論じる意味が出てくるのだと考えれます。
グランゼコールの一つ、高等師範学校の2015年の入学試験は「説明せよ(Expliquer)」。この一問だけで、試験時間は6時間だったとのこと。
まあ、なんと言うか、ここまでくるとねぇ。
【カトリーヌ・ドヌーヴが署名した記事の翻訳の件】お返事を拝見しましたが、いろいろ問題点が残っているようです。目下時間的余裕を欠くためにぶっきら棒な指摘の仕方をすること、ご寛恕ください。テクストを読む際に、まして翻訳する際に当て推量はマズイですので、以下の諸点を改めてじっくり検討されるますように。(元記事: http://www.lemonde.fr/idees/article/2018/01/09/nous-defendons-une-liberte-d-importuner-indispensable-a-la-liberte-sexuelle_5239134_3232.html)
参照サイトのhttps://fr.wikipedia.org/wiki/Galanterie は、la galanterieというきわめてフランス的なものを適切に説明しています。けれども、その内容の一面だけ取り上げて、「恋愛のお作法に乗っ取った男性からの誘惑の手順」というふうに「恋愛」や「誘惑」に直結させてしまうのは行き過ぎです。なぜなら、①そもそもフランス語圏の日常社会生活で言われるla seductionの意味するところは、日本語の「誘惑」よりずっと広く、一般的である。②男性が別に何らまったく誘惑の下心なく女性にドアを開けて差し上げる、席を譲る等のレディ・ファーストも、そこにごく淡い艶(つや)が伴っていれば立派なla galanterieである。③la galanterieをめぐって、それは男女同権原則を何ら妨げることなく男女関係を文明的にする作法なのか、男性優位のパターナリズムの表現なのか、という議論が頻繁に行われているという文脈がフランスには存在する。
■agression machisteについて:
前項の(3)からも分かるように、agression machisteは、(外見に反して男尊女卑を含意している)パターナリズムの押し付けを指しており、問題のテクストの賛同者たちによれば、la galantrieは agresssion machisteではない。ある種の「痴漢行為」はagression machisteの一つと言えますが、agression machisteすなわち「痴漢行為」ではありません。
■s'autonomiserに関して:
「自立」と「自律」は区別する必要。autonomieは「自律」です。また、現状の日本語では、「自立する」とは言いますが、「自律する」とは言いません。
■une conception substantielle du bienについて:
これの改訳例として私が「実体論的な善概念」としておいたのを「善の本質的な概念」に直しておられますが、それでは意味を成しません。この言葉は、哲学的で少し難しいのですが、まず間違いなく、道徳律をたとえば「他者の自由を妨げない」ことというように「否定的」な形式で考えるのでなく、「これがが善だ」というように実体論的に(あるいは、本質主義的にと言ってもいいでしょう)考える、そういう善概念を指しています。あとに出てくる哲学者のRuwen Ogienが世間の道徳を批判するときによく使う言葉でもあるようです。ですから、「実体論的概念」「本質主義的概念」と、「本質的な概念」はまったく異なります。ゆえにここは、せめて「本質主義的な善概念」とでも訳しておかないといけません。
■misogynieについて:
これは「女性嫌い」「女性蔑視」であり、「女性差別」の元になり易い性向ですが、「女性差別」と混同するわけにいきません。
■la liberte d'offencerについて:
「この概念が攻撃しようとするのは(神や国家指導者のような)『権力』『権威』とそれをアンタッチャブルなものにする空気」と断定(推量?)するのは早合点です。テクストに、Le philosophe Rugen Ogien defendait une liberte d'offenser... と書いてあるのですから、固定観念に囚われず、Ruwen Ogienの哲学思想を念頭に置いて理解しないといけません。そうすると、「人の気分を害する自由」あたりがやはり適切なのです(「中指を立てる自由」は論外)。
■la liberte de dire non a une proposition sexuelle ne va pas sans la liberte d'importuner :
「『ウザがられる自由』が男たちの側にあると解釈するのは…」無理ではないですよ。それどころか、その自由を相手(←ここでは男性)に認めるからこそ、女性の側がそれを「ノン!」と突き返す自由が生きるわけです。「ノン!」と拒否することがimportunerすること、ウザがられることではありません。なお、こういう間主観的関係が成立するのが男女間に限らないことは言うまでもありません。
■Pour celles d'entre nous qui ont choisi d'avoir des enfants, nous estimons...:
これを「子供を持つことを選んだ人々のために」とか、「私たちの中で子供を生むことを選んだ人達のために」と訳すのは、当該テクストの文脈の中では明らかに誤訳です。"Pour"はここでは、En ce qui concerne や quant aの意味なのです。著者(たち)は、私達のうちで子供を持つことを選んだ者についていえば、私達の考えはこれこれだ…、と述べているのです。
以上。
Je travaille en tant qu'ingénieur dans le domaine informatique, mais j'ai réussi à le conserver pendant 2 ans.
Il n'est pas une telle chose comme toujours la confiance en soi, de se sentir même que ne naît pas la confiance en soi de la vie Nante, l'excellence de mes collègues.
Si vous ne le faites pas pour désespérée en réponse à l'désigné pour assignation, nous travaillons tous les jours avec le sentiment de bien pas étrange.
Pourtant, au Japon, je pense que le Japon a beaucoup plus de compétences que les CTO dans ce domaine.
À l'avenir, mais je pense que si vous pouvez contribuer à la société du Japon au Japon, le Japon visible de l'extérieur est dangereux.
Ce qui est mauvais, premier aspect de la politique.
Politique
Abe de Toka vers le bas, toujours contre qu'il ya des gens stupides que la foi aveugle du Parti libéral-démocrate, que la démocratie est pas pleinement fonctionnel.
Cette autre partie n'est pas non plus bonne. Parti de l'espoir? Quelle est cette dame comme ce disciple de Ru Ooshiba? Rou Koike?
Plus vous ne l'avez pas, le stupide sera couvert de katakana et de psychologie. Vous idiots, vous les gars dites ça. J'aime katakana de toute façon, j'aime la psychologie, 100% je ne dis pas de grandes choses. Qu'est-ce que les dépenses de Y? Ne réparez pas ce que vous appelez normalement katakana.
tout ce que je pense d'abord parce qu'ils ont terminé le système politique, la politique n'a reçu futile national tout à fait à court terme, surtout qu'il est la cause de l'échec est de ne pas recevoir les personnes âgées. Nous n'allons donc pas attaquer uniquement le PLD.
Il est trop fatal que la politique ne soit pas rationnelle et qu'il soit impossible d'inclure la politique qui devrait être faite. Parce qu'il se termine par poppiness si je ne peux pas voter.
Malheureusement, la tendance à changer le système politique ne se produira probablement pas si elle échoue.
Les quelques dernières décennies, je pense que les hommes politiques dans les politiques préférentielles âgées + baisse du taux de natalité ignoré, a été jusqu'à ce qu'une distorsion accélère du taux de natalité en déclin et vieillissement de la population.
Vieillissement de la population du Japon est dans une certaine mesure, il y a aussi une partie qui est présent naturellement dans le monde du faible taux de natalité et vieillissement de la population, je ne « s ce qui se passe dans les phénomènes naturels.
Il n'y a pas d'avenir qui mettrait toute l'énergie nécessaire pour rendre la taxe au vieil homme en franchise d'impôt sur les soins médicaux. Toka grande quantité d'impôt sera utilisé pour le vote des personnes âgées de commodité des politiciens, mais il était déjà trop tard quand je devais me parler Let « s quit bientôt il y a 10 ans, sans correction de cours de Murda, et jusqu'à présent Je vais politiser sur la même route.
Un politicien âgé ne pense pas à une politique de court-circuit, l'avenir. Les citoyens se complaisent dans la politique économique immédiate.
L'herbe pousse maintenant, alors que l'effondrement de la nation est devenu une réalité.
Je Coulez le navire japonais dans les 20 ans après Lorsque vous atteignez cet état déclin du taux de natalité et vieillissement de la population est maintenant de rythme. Il y a deux ans, je pensais avoir 30 ans.
J'ai complètement abandonné la politique japonaise. Le divertissement défait n'est pas drôle. Je dis que c'est japonais, mais je ne l'aime pas. Abandonner signifie accepter les échecs.
Ensuite, l'aspect de l'entreprise.
Avez-vous eu une entreprise ailleurs que d'enchérir? Je n'ai pas de morceaux de créativité. Il n'y a plus d'éthique.
Qu'est-ce que c'est, Mercari ou DeNA ou une entreprise morale ou quelque chose est un péché social. Je viens de confondre la société, n'est-ce pas? Le pays et le pays ont appris à ne pas connaître l'éthique.
L'éthique des Japonais est inférieure à celle des Japonais.
Mais bon déraillé, passe accident devant les yeux, les caractéristiques nationales prennent des photos fool smartphone ne jamais minorité est dangereux.
Même s'il n'y a de service que là où l'argent est impliqué, ne dites pas l'hospitalité comme si c'était le caractère national des Japonais.
Ce n'est pas une minorité d'être une société complètement individualiste et les gens sont troublés et aident les gens.
A cette époque, de nouvelles activités créatives naissent de l'un à l'autre. C'est à un rythme impensable au Japon. Bien sûr, mais il y a beaucoup de savoir si des affaires suspectes devient l'argent, du tout que la société japonaise sans cerveau ne pouvoir copier une entreprise meilleur tiers.
Donc, presque aucune entreprise ne veut travailler au Japon.
Et la chute de l'entreprise. Presque pas de compétitivité internationale. Même les grandes entreprises seront écrasées.
Par cette population vieillissante est prêt, il ne peut pas contribuer encore à l'ancienne demande intérieure de l » homme ne peut pas voir l'avenir Une fois que vous devenez plein de personnes âgées.
Il n'y a pas de personnes dont le taux de natalité est en déclin. Il semble que les jeunes soutiennent le PLD en pensant positivement qu'il s'agit d'un marché de vente complet.
Il n'y a qu'une seule personne qui ne soit pas simplement une politique d'une population vieillissante déclinant la natalité. Ton avenir est sombre.
Étais-je si stupide que je pensais retourner au Japon? Quoi? Il est certain qu'au moins le champ de vision et l'expérience ont été beaucoup plus bas qu'aujourd'hui.
J'ai vu il y a deux ans leur propre maintenant, je ne sens rien, mais une autre miséricorde.
En effet, il est visible qu'il va s'effondrer dans quelques autres décennies En effet, il ne sera pas possible de revenir au Japon.
Pourquoi dois-je monter à bord d'un navire en train de couler? Mes parents peine de génération Nigekiri, devrions-nous défendre votre propre.
A l'origine, j'ai décidé de ne pas faire des enfants de l'avenir incertain de la société, pas moi-même. Je pense que ce choix était juste.
Maintenant, les politiciens, si vous les gars ne sont pas stupides, il va avoir une activité de faillite intentionnelle.
Il est bon que vous soyez seulement intéressé à être inspecté. Je ne sais plus.
À tout le moins, essayez de faire en sorte que les citoyens japonais travaillent dans le monde. Si l'obstacle de visa de travail tombe en panne, alors vous serez en mesure de le faire si vous avez des compétences en anglais.
J'ai eu beaucoup de difficultés. Bien qu'il soit inférieur à l'indigène, je travaille sans problèmes.
花言葉の起源は不明な点も多いけれど、それなりに考えて作ってると思うよ。
西欧の文化史的伝統を知らないと適当につけたものと思われてしまうのかもしれん。
1819年頃に出版されたシャルロット・ド・ラトゥール『花言葉』 (Le Langage des Fleurs)は、最初期の花言葉辞典である。
ラトゥールは独自の花言葉を270超のリストにまとめているが、その命名手法の特徴は、大きく2つに分けられる。
第一は、その植物の外形や香り・色・生態といった植物の性質・特徴を言葉で表現しようとする観察重視の姿勢。たとえばブラックベリーについて、自らの観察をもとに「人目を避けるように生え、ひとたび口に含むと苦さだけが残る」とまとめた上で、花言葉を「嫉妬」と名付けるような手法がその例である。
第二は、西欧社会で草花が積み重ねてきた文化史的伝統を、一つの単語に凝縮して形容しようとする文化史重視の姿勢である。例えば古代ギリシアの伝統を参照しながら月桂樹に「栄光」の花言葉をあてたり、聖書の記述をひいて「オリーヴの花言葉は平和」などとする。
ラトゥールの著作においては、花の中でもバラに重要な位置が与えられているが、これも文化史的伝統を重視した結果とみなされている。バラは「花の中の花」と称されるほど西欧文化において重視されてきた花の一つで、伝承や神話がとりわけ豊富だからである。
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016081000346&g=spo
【パリAFP=時事】2008年北京五輪の男子体操銀メダリスト、フランスのトマ・ブエル氏が、リオデジャネイロ五輪で8日、金メダルを獲得した日本の体操選手について「小さなピカチュウたち」とやゆする投稿をツイッターに行い、批判にさらされている。
twitterで発言した、とのこと。時事-AFPとなっているのでAFPの当該記事を探す。
http://www.afpbb.com/articles/-/3096985
また、体操男子の五輪メダリストで、体操種目の解説者を務めているトマ・ブエル(Thomas Bouhail)は、日本の体操選手らを「小さなピカチュウたち」とやゆし、ツイッター(Twitter)上で多くの批判を浴びている。
なんかちがわね?
まあとにかくtwitterで言ったかtwitterで批判されてるかしてるわけで、実際どう言ったのだ。
信用できるかどうか判断しかねるが、Le Huffington post(たぶんル・ウファントン・ポストとか読むねん)によると
http://www.huffingtonpost.fr/2016/08/10/consultant-france-tv-excuses-pikachu_n_11421454.html
JEUX OLYMPIQUES - "On dirait un petit manga, il y a tous les petits personnages qui sont contents (...) on se croirait dans les dessins animés, des petits Pikachu de partout": ces propos du consultant en gymnastique de France Télévisions Thomas Bouhail dimanche 7 août au soir à propos de gymnastes japonaises ont suscité de vives réactions sur les réseaux sociaux.
訳してみると
オリンピックゲーム - 「マンガみたいに、ちっちゃい子たちがうれしそうにしてる(...)アニメみたいだよね、ちっちゃな(orかわいい)ピカチュウでいっぱいだ」このFrance Télévisionsの体操の解説者Thomas Bouhailの8月7日日曜日の夜の体操日本代表についてのコメントがSNSで炎上している。
フランス語よくわからないが、réseaux sociaux = social networkだそうなのでたぶんこれはSNSでいいかと。「炎上」は適当に意訳したがこんなもんでしょ。
リンク先からテレビ映像視聴可であり、なんとなくだけど、確かに上に書いてあるようなことを言ったのだと確認できる。
映像中の体操女子日本代表の喜ぶ様子は、日本では若い女の子のよくする動きだけど、欧米の十代後半以降の女性の振る舞いとしては到底見ることもないようなものではあるようには見える。全体として、発言者の意味するところは「子供みたいだ」というところだろう。そこに有名な日本の「カワイイ」の象徴であるところのピカチュウを乗せた感じか。だから一部2chなどで反応としてあった「黄色人種を揶揄した言葉か?」は、あたらないと思う。悪意があるようには思われない。しかしそれを「バカにしてる」と取ることは、当然可能だろう。あと、最後に「tac tac tac」と言っている。ちょっとこれも小ばかにした感じかも。
取りようによっては、彼は(フランスにはほんとにたくさんいる)日本のアニメオタクで、これまでアニメでしか見たことなかったような動きを、実際の日本人女子がしているのをみて喜んだ・・・のかもしれない。
20minutesを見ると、実際に炎上しているというtwitterコメントが掲載されており
単純な話ではないような気がしてる。
ちょっと考えてみてる。
フランスの漫画家ジョアン・スファール Joann Sfar は、シャルリー・エブドに2004年夏から2005年9月まで"Mon cahier d'éveil"(僕の情操教育ノート)という作品を連載していた。
その後、今年1月のシャルリー・エブド襲撃事件を受けて、ハフィントン・ポスト フランス版ブログに"Si Dieu existe" というイラストエッセイを発表。以下はその連載第2回、"Un concert pour Cabu"の日本語訳である。
イラスト部分は実際にハフィントン・ポスト フランス版でご覧いただきたい。
http://www.huffingtonpost.fr/joann-sfar/dessins-sfar-cabu-hommage_b_6658718.html
なお、ページ番号は連載第1回からの通し番号となっている。
これはお葬式じゃない。
13
カブっていう大した奴
いま君は泣いていないけど、それは君が砂漠みたいに乾いちまったからなんだ!」
14
それは本物のイスラム教じゃない。
みんなが正しい、そしてみんなが間違っている。
というのもイスラム教徒は信者をとりまとめる最高機関を持ってないからだ。イスラム教に教皇はいないんだ!
それゆえに独裁者達や過激派は、論破されることもなく、イスラム教を不当にも自分のものにすることができてしまう。
フランスでは、人道的なイスラム教徒を代表する人たちがテロリズムに対して抗議したけれど、その抗議の正当性は、世界的に認められたどれかのイスラム教の機関から来ているわけではなかった。
このところ僕は、「"イスラム教を改革する"必要があるんじゃないか」とみんなが口にするのを聞いている。
数え切れない程のイスラム教徒はいるけれど、彼らが信奉する戒律について、正当性があるのか無いのかを一刀両断で決めてしまえる「誰か」は存在しない。
15
「"バチカンII”ってアラビア語でどう言えばいいんだろう?」
目下のところ、僕は神経過敏になっている。
「もうしたよ」
16
僕たちがその姿を絵に描く権利があるにせよないにせよ、ムハンマドは剣を持ったただ一人の預言者だ。これは圧倒的大多数のムスリムの、寛大で平和な日々からとても隔たりがある。
逸脱した暴力は、この独特なイメージ、武器を持った神の使者のイメージの下に結集しようとしている。
そうだね、改革が必要だ。でも改革をもたらすのは誰だろう?フランスにはそのための充分な手立てがない。イスラム教を和らげるためにムスリムが声を上げるなら、その運動はペルシャ湾岸から起こらなければならないだろうし、そうすれば豊かなオイルマネーを活用できるに違いない。
もちろん、敵は原理主義者だ。そして今日、僕たちの言うことを聞いてもらうには、とてつもないイマジネーションと力強い声が必要だ。
僕はムスリムに心から敬意を表する。今日の暴力の第一の犠牲者はムスリムだ。そして、「コーランが推奨する聖戦は、何よりもまず心の中の悪魔と戦うことだと考えなければならない」と発言する勇気をムスリムは持っている。
それでも自己批判しろという声がムスリムには突きつけられている。
18
僕は、夜明けの光に照らされた雨の中のカブ夫婦の姿を思い出す。シャルリー・エブドの訴訟中のことだった。最後にカブへ挨拶したのは僕の映画の撮影の直前だった。僕たちはオデオンのそばのイタリアンレストランに居合わせたのだった。
僕が最後にヴォランスキと食事をしたのは半年前、サン・ジェルマンだった。
3週間前、僕はおばと会いにリュニベルシテ通りへ行ったのだけど、その時、サン・ペール通りの角で、20メートル離れたところにヴォランスキを見た。彼は僕を見ていなかった。僕は急いでいたので、彼を抱擁しには行かなかった。
19
カブを見る時はいつも連想的に、トレネの歌を聞かなければいけないぞ、と思ったものだ。僕はトレネのシャンソン全集を持っている。フレモー版だ。
「君はこんな時にも自分について話そうとしてるのか」って?
そうさ。ストレスを感じたワンコが自分のキンタマをなめて安心しようとするように、僕は自分のスタイルにしがみついて、昔の手帳に書いた話を自分に繰り返してみなければならない。そこに一つの意味を見つけるために。立っているために。僕はシャルリーをやめた。ハリケーン・カトリーナの日だ。ロマンチックで自己防衛的な理由だった。洪水に沈んだニューオーリンズ、それはもう僕にはひどすぎる出来事だった。
そして僕は私小説的なものやフィクションへ避難しようとして、時事ネタときっぱり別れようとしたが、やり損ねた。
ニューオーリンズの音楽が死んだカブのために演奏されている。それは僕の記憶を呼び起こす。僕は洪水の泥に埋まったファッツ・ドミノのピアノのことを考えている。
21
「シャンソンが好きなのかカブに聞いた。カブは答えた。トレネが好きなのだと。」
カブの友人達はブラッサンスの仲間達に似ている。ヒゲを生やし、肘に革をあてたコーデュロイを着ている。もちろん、彼らは涙で目を赤くしている。彼らは反レイシストの、反狩猟の、反闘牛の、古株の活動家だ。気のいい男子たちで、勇敢な女子たちだ。移民の為に、書類の無い入国者のために、そして誰もがこの国が立派だと感じられるように、彼らはずっと暴れ回っている。
今日、僕は、このとても優しくとても過激な人たちが、警察の活動のおかげで安心させられてしまっているのを見る。
22
マダム・カブは僕に語る。カブはなんでも引き受けて、絵でもポスターでも描いたし本も書いた。ある日彼が罪悪感を感じたのは、フライドポテトの移動販売のトラックの店先に絵を描く時間が無いことだったそうだ。
フレッド・マヌーキアンと楽団は続けてキャブ・キャロウェイの「ミニー・ザ・ムーチャー」を演奏する。
僕に起きる可能性のあること、僕を守ってくれるかもしれないことの中で一番美しいもの――
聴衆に挨拶するや、カブの兄弟がファンファーレを鳴らし、僕はマヌーキアンの楽団とファンファーレにサンドイッチみたいに挟まれているのに気付く。僕が描いているのは、オフィクレイドの音色が僕の真っ正面で鳴った時のエモーションだ。すまない、僕はずっと泣いている。オーケストラのおかげで泣き顔は隠れたから、僕は運が良かった。
P13. カブ Cabu(1938ー2015)、P18. ヴォランスキ Wolinski(1934-2015) いずれもシャルリー・エブド襲撃で殺害された漫画家。
シャルリー・エブドの漫画家達については鵜野孝紀氏のコラムが詳しい。http://books.shopro.co.jp/bdfile/2015/01/bd-19.html
P12.フレッド・マヌーキアン Frédéric Manoukian Big Band のリーダー。
P13.カブの兄弟 Michel Cabut氏。 https://youtu.be/ZX7rZCpl0x4?t=2m23s
P18.「僕の映画の撮影」 スファールの2本目の実写監督作"La Dame dans l'auto avec des lunettes et un fusil"と思われる。2015年夏公開。
P20.「手帳」 スファールはcarnet(手帳)というイラストエッセイのシリーズを刊行している。"Si Dieu existe"は11冊目の"carnet"となった。
P21. ジョルジュ・ブラッサンス Georges Brassens(1921-1981) フランスの歌手。https://youtu.be/84SMQ4Gyz5o
なお、このコンサートはテレビとラジオで放送され、ラジオ音源をFrance Interのサイトで聞くことができる。
http://www.franceinter.fr/emission-un-cabu-extraordinaire-soiree-speciale
さて、巷で話題のシャープ99%減資ですが、一部報道で累積赤字の一掃と言っていますが意味がわかりません。
シャープの利益剰余金はまだマイナスになってないし、これまでの赤字は利益剰余金と相殺できていたので。
債務超過がどうこうと言っている記事もありますが、債務超過じゃないし、減資は資本金から資本剰余金に科目間で振り替えているだけなので、株主資本の総額としては減資しようがしまいが影響はありません。
債務超過に陥っている会社は例え減資しても債務超過は解消しません。
そもそも100%減資でない限り株主にとってはいくら減資しようが特に影響はありません。むしろメリットがあるくらいです。資本金は配当できないけど資本剰余金は配当できるので。
だから「この減資は投資家への重大な裏切りで~」とか的外れですんで気をつけてください。まあ現状を打開できない責任は当然あるわけですが。
あと「一度限りの延命措置で~」とかでもないです。一度限りでしかないのはそうですが、株主資本自体は変わってないので別に延命でもなんでもないです。
減資でデメリットがあるのは債権者、つまりはたくさんお金を貸してる銀行ですね。資本金は会社法的には債権者に対する最後の返済手段として維持しなければいけない金額ですから。
減資は債権者が不利で株主には有利な手続きであるため、株主総会決議は必要ではありますが、債権者がOKと言っていれば特に問題とはならないでしょう。
ただ、この後DESがあったり優先株の発行が行われた場合は既存株主が希薄化の影響を受ける恐れがありますが、何のために減資したか考えればしばらく増資はないんじゃないかと思います。
中小企業になると何が変わるかと言うと、税務上の優遇が受けられること、これに尽きます。会社法上は大会社のままだし、金商法上も特に影響ないですから。
中小企業の税制優遇はいくつかありますが、シャープの場合で最も恩恵を受けられるのは「繰越欠損金控除」でしょう。
繰越欠損金控除は、過去9年間の赤字を将来の黒字で補った場合に、その補った部分は法人税が課税されないというものです。理屈上は、企業がトータルで黒字になった場合に法人税を課税するのが公平なので、これに制限を掛けるのはおかしいと考えることもできるのですが、政治的な判断から過去9年の赤字に制限されています。
更に資本金1億円超の大会社は、赤字の出た翌年度以降の黒字について、単年度につき黒字の65%までしか控除できません。例えば昨年200億円の赤字を出して、今年100億円の黒字となった場合、繰越欠損金控除は100億円の65%の65億円しか使えず、35億円については法人税を支払うことになります。残りの赤字135億円については翌年度以降の利益と相殺していくことになります。この制限は昨年までは80%だったのが今年厳しくなり、さらに2年後には50%になる予定となっています。
中小企業の場合、9年間の制限はありますが、65%には制限されず、前述の例の場合100億円まるまる控除を受けられ、今年は法人税を納める必要がありません。だから今後少しでも利益が出せるようになった場合に、キャッシュを確保するために現状多額の繰越欠損金のあるシャープが中小企業となるメリットは大きいと考えられます。
中小企業になると欠損金の繰戻還付も受けられるようになるけど、これは前1年に納付した法人税の還付だから、欠損続きの今のシャープにはあんま関係なさそうです。
法人税の軽減税率や減価償却の優遇や交際費の一部損金算入はシャープくらいの規模だとあってないようなものでしょうが、研究開発費の税額控除の拡大は割と大きいかもしれません。繰越欠損金のある間はそもそも法人税がないので税額控除はしようがないですが、今後業績回復の兆しが見えたときに、新たな研究開発を行うと、それにかかった費用の数%を法人税の減額とすることができ、大企業よりも中小企業の方が税額控除の枠が大きいため、このへんでも中小企業の恩恵が受けられるんじゃないかなと思います。
あと外形標準課税の対象から外れるのも大きいかもしれません。赤字でも資本割はかかってしまいますから。
ざっと計算したら3億円くらいは節税になるんですかね。ただ今後外形標準課税の拡大があるかもしれないとのことですからどうなりますかね。
L'analyse de la boite noire contenant les enregistrements des voix dans le cockpit apporte de nouveaux éléments cruciaux dans l'enquête sur le crash de l’A320 de la compagnie Germanwings, mardi dans le Sud-Est de la France. Selon une information initialement rapportée par le New York Times, l'un des pilotes se trouvait en effet hors du cockpit au moment de la descente de l'avion.
Le point sur les huit scénarios considérés par les enquêteurs
«Au début du vol, on entend l'équipage parler normalement», en allemand, «puis on entend le bruit d'un des sièges qui recule, une porte qui s'ouvre et se referme», a déclaré une source «proche de l'enquête» à l'AFP. Cette source n'était pas en mesure de dire si c'est le commandant de bord ou le copilote qui avait quitté la cabine de pilotage.
«Il essaie de défoncer la porte»
Ensuite, celui-ci «frappe doucement à la porte et il n'y a pas de réponse», précise une «source militaire» citée par le New York Times. «Puis il frappe plus fort et il n'y a toujours pas de réponse. Il n'y aura jamais de réponse. On peut entendre qu'il essaie d'enfoncer la porte», précise la mêle source.
Ces nouvelles informations, que la compagnie Lufthansa, maison-mère de Germanwings, n'a pas confirmées, permettent de réduire les hypothèses sur les causes du crash, mais posent aussi de nouvelles questions. «On ne sait pas pourquoi il est sorti, mais une chose est sûre, à la fin du vol, l'autre pilote est seul et n'ouvre pas la porte», conclut la source anonyme du journal américain.
Le copilote entré récemment dans la compagnie
Une source proche du dossier a indiqué à l'AFP que le copilote était entré «récemment dans la compagnie» allemande Germanwings (filiale de Lufthansa), «fin 2013 avec à son actif quelques centaines d'heures de vol». Une autre source évoque «300 heures de vol». Sa nationalité n'est pas connue avec précision. Lufthansa avait précisé que le pilote, quant à lui, avait «plus de 10 ans» d'expérience et «plus de 6.000 heures de vol».
Selon le journaliste de CNN Richard Quest, si l'un des pilotes quitte le cockpit, il doit systématiquement être remplacé par un autre membre d'équipage de manière à ce que deux personnes soient présentes en permanence dans le poste de pilotage. Les éléments rapportés par le New York Times n'indiquent pas si c'était le cas au moment du crash.
Références
Cour de cassation
chambre sociale
Audience publique du jeudi 12 février 2015
N° de pourvoi: 13-21975
Non publié au bulletin Cassation
Mme Goasguen (conseiller le plus ancien faisant fonction de président), président
SCP Gatineau et Fattaccini, SCP Masse-Dessen, Thouvenin et Coudray, avocat(s)
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Texte intégral
LA COUR DE CASSATION, CHAMBRE SOCIALE, a rendu l'arrêt suivant :
Vu l'article 4 du code de procédure civile ;
Attendu, selon le jugement attaqué rendu en dernier ressort, que Mme X... a été engagée par l'oeuvre de perfectionnement de la Loire en qualité de psychomotricienne ; que le contrat ayant été transféré à l'association PEP de la Loire, la salariée était, en dernier lieu, affectée sur deux établissements distincts, l'un situé à Firminy et l'autre à Grand-Croix ; qu'elle a saisi la juridiction prud'homale d'une demande en paiement de frais exposés pour effectuer le trajet entre ces deux établissements ainsi qu'en paiement de dommages-intérêts ;
Attendu que pour débouter la salariée de ses demandes, le jugement retient que les dispositions contractuelles ne prévoient pas la prise en charge par l'association des frais de carburant engagés pour les déplacements entre la résidence habituelle de la salariée et ses différents lieux de travail, et que l'intéressée n'apporte pas la preuve d'un engagement de cette dernière de rembourser ses frais de déplacement pour se rendre à Grand-Croix ;
Qu'en statuant ainsi, alors que la salariée demandait le remboursement de frais exposés pour le trajet entre les deux établissements auxquels elle était affectée, le conseil de prud'hommes a méconnu l'objet du litige dont il était saisi ;
CASSE ET ANNULE, dans toutes ses dispositions, le jugement rendu le 27 mai 2013, entre les parties, par le conseil de prud'hommes de Saint-Etienne ; remet, en conséquence, la cause et les parties dans l'état où elles se trouvaient avant ledit jugement et, pour être fait droit, les renvoie devant le conseil de prud'hommes de Lyon ;
Condamne l'association PEP 42 aux dépens ;
Vu l'article 700 du code de procédure civile, la condamne à payer à Mme X... la somme de 3 000 euros ;
Dit que sur les diligences du procureur général près la Cour de cassation, le présent arrêt sera transmis pour être transcrit en marge ou à la suite du jugement cassé ;
Ainsi fait et jugé par la Cour de cassation, chambre sociale, et prononcé par le président en son audience publique du douze février deux mille quinze.
Moyen produit par la SCP Masse-Dessen, Thouvenin et Coudray, avocat aux Conseils, pour Mme X...
Le moyen fait grief au jugement attaqué d'AVOIR débouté Madame Véronique X... de ses demandes tendant au remboursement des frais exposés pour ses déplacements et au paiement de dommages-intérêts.
AUX MOTIFS QUE selon les dispositions de l'article L.3261-3 du Code du travail, « l'employeur peut prendre en charge, dans les conditions prévues à l'article L.3261-4 du Code du travail tout ou partie des frais de carburant engagés pour leurs déplacements entre leur résidence habituelle et leur lieu de travail par ceux de ses salariés : 1° Dont la résidence habituelle ou le lieu de travail est situé en dehors de la région d'Ile de France et d'un périmètre de transports urbains défini par l'article 27 de la loi n° 82-1153 du 30 décembre 1982 d'orientation des transports intérieurs ; 2° Ou pour lesquels l'utilisation d'un véhicule personnel est rendue indispensable par des conditions d'horaires de travail particuliers ne permettant pas d'emprunter un mode collectif de transport ; que dans les mêmes conditions, l'employeur peut prendre en charge les frais exposés pour l'alimentation de véhicules électriques ou hybrides rechargeables et permettre la recharge desdits véhicules sur le lieu de travail. Le bénéfice de cette prise en charge ne peut être cumulé avec celle prévue à l'article L.3261-2 du Code du travail» ; que l'article L.3261-47 dudit Code précise : « La prise en charge des frais de carburant mentionnée à l'article L.3261-3 du même Code est mise en oeuvre : 1° Pour les entreprises entrant dans le champ d'application de l'article L.2242-1 du Code du travail par accord entre l'employeur et les représentants d'organisations syndicales représentatives dans l'entreprise ; 2° Pour les autres entreprises, par décision unilatérale de l'employeur après consultation du comité d'entreprise ou, à défaut, des délégués du personnel s'il en existe » ; que les dispositions contractuelles entre Madame X... et l'APEP 42 ne prévoient pas la prise en charge par l'employeur des frais de carburant engagés pour les déplacements entre la résidence habituelle de Madame X... et ses différents lieux de travail ; que Madame X... n'apporte pas la preuve d'un engagement de son employeur de rembourser les frais de déplacement pour se rendre à Grand Crois ; que lors de la réorganisation de l'entreprise signifié à Madame X... par courrier du 21 juin 2010, par lequel il était bien précisé deux lieux de travail différents, Madame X... aurait pu demander à son employeur l'application des dispositions de l'article R.3261-15 du Code du travail : « Le salarié qui exerce son activité sur plusieurs ces différents lieux et entre ces lieux et la résidence habituelle du salarié peut prétendre à la prise en charge des frais de carburant ou d'alimentation électrique d'un véhicules engagés lui permettant de réaliser l'ensemble des déplacements qui lui sont imposés entre sa résidence habituelle et ses différents lieux de travail, ainsi qu'entre ces lieux de travail » ; que cette demande n'a été faite qu'en novembre 2010 ; qu'en tout état de cause, la prise en charge des frais relève d'une disposition unilatérale de l'employeur ; qu'en l'espèce, pour la prise en charge des frais de déplacement domicile/lieu de travail l'APEP 42 a confirmé à Madame X... que la faculté ouverte à l'employeur de prendre en charge une partie des frais engagés par le salarié, ne présente aucun caractère obligatoire pour l'entreprise ; qu'en conséquence, la demande de Madame X... de paiement de ses frais de déplacement n'est pas fondée.
ALORS QUE Madame Véronique X... poursuivait le remboursement des frais exposés au titre des trajets effectués entre les deux établissements auxquels elle était affectée ; qu'en statuant sur les frais exposés pour les trajets entre la résidence habituelle de la salariée et ses différents lieux de travail, le Conseil de prud'hommes a méconnu l'objet du litige en violation des articles 4 et 5 du Code de procédure civile.
ET ALORS QUE Madame Véronique X... soutenait que le contrat de travail transféré à la PEP 42 prévoyait le remboursement des frais de déplacement et que le contrat régularisé avec la PEP 42 à l'occasion de ce transfert constituait un simple avenant n'emportant pas novation du contrat initial en ce qu'il prévoyait le remboursement des frais exposés pour les trajets ; qu'en omettant de répondre à ce moyen déterminant des écritures d'appel de la salariée, le Conseil de prud'hommes a entaché sa décision d'un défaut de réponse à conclusions en violation de l'article 455 du Code de procédure civile.
ALORS encore QU'en application de l'article R.3261-15 du Code du travail, le salarié qui exerce son activité sur plusieurs lieux de travail au sein d'une même entreprise qui n'assure pas le transport entre ces différents lieux et entre ces lieux et la résidence habituelle du salarié peut prétendre à la prise en charge des frais de carburant ou d'alimentation électrique d'un véhicule engagés lui permettant de réaliser l'ensemble des déplacements qui lui sont imposés entre ces lieux de travail ; qu'en se fondant sur les dispositions des articles L.3261-3 et L.3261-4 du Code du travail, relatifs aux seuls déplacements entre la résidence habituelle et le lieu de travail, pour rejeter la demande de la salariée, le Conseil de prud'hommes a violé lesdits articles L.3261-3 et L.3261-4 du Code du travail par fausse application.
ALORS de plus QU'en application de l'article R.3261-15 du Code du travail, le salarié qui exerce son activité sur plusieurs lieux de travail au sein d'une même entreprise qui n'assure pas le transport entre ces différents lieux et entre ces lieux et la résidence habituelle du salarié peut prétendre à la prise en charge des frais de carburant ou d'alimentation électrique d'un véhicule engagés lui permettant de réaliser l'ensemble des déplacements qui lui sont imposés entre ces lieux de travail ; qu'en reprochant à la salariée de n'avoir pas demandé l'application des dispositions de cet article dès qu'elle avait été informée de son affectation sur deux établissements différents, le Conseil de prud'hommes a violé l'article R.3261-15 du Code du travail en y ajoutant une condition qu'il ne prévoit pas.
ALORS QUE la renonciation à un droit ne se présume pas ; qu'en reprochant à la salariée de n'avoir pas demandé l'application des dispositions de l'article R.3261-15 du Code du travail dès qu'elle avait été informée de son affectation sur deux établissements différents, quand cette circonstance, fût-elle établie, ne pouvait caractériser la renonciation de la salariée à se prévaloir du droit au remboursement des frais de trajet exposés, le Conseil de prud'hommes a violé l'article 1134 du Code civil.
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