はてなキーワード: 場の空気とは
最近は、35歳定年説は嘘だ!って声に反して、危機感覚えたweb系だとか問わずに、シコシコSEやPGやってる奴らがコンサルとかプリセールスの方によく流れてくるけど、ハッキリ言ってマジで迷惑だから来ないでくれないかな。
つーかマジでハッキリ言うわ、迷惑だから業界から消えてくれ、もしくは一生下流でシコシコやっててくれ、仕事なくなるまでフリーランス(笑)とやらでやってて、年食って40くらいになって仕事なくなったら、生活保護でも受けて隠遁でもしててくれ。
俺も技術者上がりだから、気持ちはわかるけれどもね、まず君らエンジニアって、思考回路からして致命的に世間ズレ起こしてんのよ。
君らITエンジニアは、「コミュニケーション能力」というのを、邪教の如く嫌って、単語唱えられただけでお経や聖書の一説食らった悪魔や妖怪の様にもがき苦しんで発狂するけどね、
例えば、よく開発の現場とかでは、論理思考と称した手垢のついたUMLのチャートみたいな、いちいち明確な意味を筋道立てて言わないと気が済まないしそういう風に相手は聞けないと悪いっていうあの感じあるでしょ。
お前あんなの、ユー子とかIT業界外でやったら、というか、一般人相手にやったら、ハッキリ言ってヤクザや警察の取り調べとかみたいな、言葉尻掴んで脅迫してるか、喧嘩を売ってるようにしか聞こえないからな、ヒョロガリやキョロ充そのものの恰好してるようなのが行ったら、何してくるかわからない感満載のサイコな不審者みたいにしか見えないからな、言っとくけど、気に入らないこと一言でも言ったら出刃包丁で〇されそう見たいな怖さを相手に与えてるように見えちゃうわけ。
大体これを客先でかまして出禁食らうとかいう、会社の教育を疑うようなこと、必ずやらかすわけよ、大学からしてパソコン以外の知識だけ磨いてきました、みたいな技術上がりって
もっとひでえのは、何をトチ狂ったのか「可哀そうなIT音痴のキミ達に、この道のプロである私がナーチャリングしてあげる」みたいな態度やるやつ、Web系上がりに特に多いけど、
こんなもん、客先どころか、普段の私生活からこういう態度取ってて、よくぶん殴られたり暴力振るわれなかったなって思うよ、まぁ、パソコン以外友達がいない、昔ならそもそも職につけてるかどうかも怪しい様な〇達〇害みたいなのでも食えちゃうITって業種がすべては罪なんだろうけどね
あとな、場の空気読めよ。客だって内心無理ってわかっててそっからどう落としどころ探っていくかのようなのがコンサルや技術営業の商談というか、世の中のマトモだろうが怪しい仕事だろうが、ビジネスの流れの基本なんだが、その場でハッキリと無理だのできないだの技術がわかってないだの、挙句の果てに「技術力を図るためにわざとやってるんでしょ?」とか見たいな、誰もが思ってても口に出しては決していけないようなこと、平気でズバズバ暴言放言連発するからな。
あのね、開発の現場とかオペの現場とかならそういうの普通だったんだろうけどね、他業種のお客様の前どころか、商談の席でそれやったら最悪訴訟モンになんだぞ?わかる?
私生活でそんな態度取っててよく今まで五体満足で生きてこられたよな、都会のゲーセンとかでやったらマジで不良に頭カチ割られるんじゃないのって思うわ、ホント
つーか、ここ4~5年こんな奴らしかこの業種に来なくなったんだけど、俺がいたころも相当ひどかったけど、今こんなレベルしか上がってこないってどんだけ人材不足なんだよIT業界
ウザさとか迷惑さのレベルが、合コンで張り切ってイニシアチブ握ろうと喚く、プレデターやエイリアンみたいな顔したブスとか、痛々しいくらいウケてないのに動物園の檻の中で奇行をしてエサ貰ってるチンパンジーみたいなウェイウェイ真似してるキョロ充と相席になった時くらいの迷惑度な訳、商売あがったりなんだよ、そういうのが来られると。
結論、コミュニケーション能力がない奴が、技術一本で最上流の工程がメインの仕事をやりたいだなんて、寝言は土日祝日に休み休みいってください、というか来ないでください、ぶっちゃけ消えてください。
じゃあどこ行けっていうんだって?生活保護でも貰って大好きなパソコンと向かい合ってたまに勉強会にでも出てたら?別に仕事としてお金もらうだけが、ITエンジニアってわけじゃねえんじゃねえの?
その代わり、仕事でやっててごはん食べてるプロの大人たちの間に入りたいなんて、バカなことほざくなよな、どこの業者から金もらってやってるのか知らんが、IT系ブログだってキャリアアップと称して、煽り立てんじゃねえぞ、プリセールとかコンサルってのは、作〇所でも精神病院でも幼稚園でもないからな。
これを書いている人は、この3月で大学を卒業し4月から社会人生活を始める。
と言うと、世の大半の人は、人生最後になるかもしれない春休みを友達との旅行などで謳歌しているのだろうと思われるかもしれない。
しかし、卒業旅行や送別会などに全員が行く訳などなく、自分はこの1ヶ月半地元に帰り実家にいた。理由は至ってシンプルだ。あまりにもメンタルがやられてしまい卒業旅行に行く気になれなかったからだ。
ゼミやサークルどこに行っても弄られるキャラを演じる中で、表面上は笑いながらも精神的な負債が少しずつ蓄積されていき、今年の2月のゼミの飲み会でその負債が爆発した。あまりにもしんどすぎた。
その癖に、弄る側の人間は弄られて人はいつも笑いになって美味しいと勘違いしているのだろう、卒業旅行や送別会に行かないと言う連絡をすると「なぜ来ないんだよ?暇なら来いよー」と勝手に暇だし行けるだろという圧をかけてくる。何故卒業旅行に行くことが当たり前と思っているのか、そのスタンスを疑問視したくなった。
はっきり言って面倒この上ない。
行きたくないものに行かないという選択肢すら出来ないのかと思ってしまった。
かと言って本当のことを言って、雰囲気を壊してしまうのも憚られる。さらに、悩みとして打ち明けたとしても、弄られキャラのためにネタにされ、本当の悩みであってもまともなアドバイスを貰えることなんてない。大学生活最後の春休みに、わざわざ精神を削ってまでこいつらの相手をするほど穏やかではなかった。
こういう理由があって、実家に帰ったものの、親と妹が冷戦状態、愚痴を自分にぶつけてくるような状況、さらにはストレスや悩みから全く離れた生活を送っていると思われ、そのような類の話をしても「そんな訳ない」とすぐに遮られる。
大学生活の中で、本当に精神が落ち着くのは、一人暮らしをしている家の中だけだったが実家に帰ってもそれは変わらなかった。
ただ、大学の知り合いと1ヶ月以上離れたことでかなりメンタルが回復した。これほどまでにリフレッシュするのかと初めて帰省の良さを知ったほどであった。
おかげで明後日に控えた、社会人生活のスタートを問題なく切れそうであるのだが、始める上でいくつか言っておきたいことがある。
1.弄られて直ぐに拗ねる奴に弄る資格はない。
小学校の時、「自分が嫌だと思うことは相手にするな」と教わったはずだ。にもかかわらす、守れない輩が多すぎる。ゼミ同期にも精神科通いのクソメンヘラ女がいるが、ツイッター上でメンヘラ垢まで作って、人生辛いとしてるのに、ゼミでは弄る側になる。この矛盾が見てて痛々しすぎる。
2.弄られている役の人の中には悩みがあっても言えない人がいる。
弄られる役の人も、人間である以上悩みを持っている。だが、その悩みを打ち明けたとしても、笑いのネタにされてしまうことも多々ある。そのため、言わないで自己解決を図ろうとする。このやり方で上手くいくこともあれど、どこかで躓いてしまう。(実際に今回の自分がそうだった。)
弄られる側の人の中には、人に本音をあまり言わない方もいるが、リアクションがおかしいなどいずれ表情に変化が出るものだ。周りでその変化に気づいた方がいたら、是非真剣に話を聞くように受け入れることをお願いしたい。
3.弄られる側の人は怒りたくても怒れない。
弄られる内容や弄ってくる人によっては、反撃したいことも多々あるが、やり返したところでその場の空気が変になることくらい誰でもわかる。普段と全く違うリアクションを取っているわけだから。その異常を覚悟してリアクションを取るくらいなら、少々自分が傷付いても全体の笑いになればいいと思ってしまい、いつも通りのリアクションを取ってしまう。この少しの傷が蓄積されるとやがて取り返しのつかないことになってしまう。そうならないためにも嫌なことに対しては嫌と言っておくことも時には必要である。相手に直接言うのが難しい場合には、間に人を介するなどするのもアリだろう。とにかく、取り返しがつかなくなってはもう遅い。
4.辛くなったら休む
無理して弄られるキャラを続けてもやがてガタが来る。その場合には直ぐに休んで1人でいるか、若しくは全く別の関係である友達に会ってみることをお勧めしたい。
4月から社会人として仕事が中心になる生活が始まってしまうが、この文を1人でも多くの方が読み、1人でも弄られるキャラの人の救いになり、1人でも愛のない無責任な悪口や弄りを止める人が増えることをささやかながら祈っている。
彼は無能だ。周りの彼に対する人物評という相対的な評価、生み出した数字という絶対的な評価、どちらの評価軸で考えても無能言って差し支えないだろう。
おまけに外見もあまりいい方とはいい難い。清潔感を損なっているわけではないが、なんとなく自分が異性だったら避けて通るような雰囲気だと思う(もっと具体的に説明できるが、この場にはふさわしくないだろう)。
で、ホントによくイジられている。職場の会話は多い方だと思うが、仕事の話を除いた彼の会話は、ほぼ彼をイジる話題が発端だ。
彼はというと、時に場の空気を読んでたどたどしくも三枚目に徹し、時に聞こえなかったフリのような生返事を返し、時に無視していた。
彼が居ないとき、盛り上がる話題があった。彼がいかにダメかという話題である。
「○○君、成長どころか退化しているくさくな~い?」
「○○、そんなことも知らないの? 子供じゃないんだからさ……」
「書類を読んで一発でわかるって、○○には別の才能があるんじゃないか?」
そして締めの言葉が、
「まぁ、○○だからな……」
僕はいつも、この会話へ普通に参加しつつ、でもなにかモヤモヤしたものを感じる。
できるだけポジティブに考えるなら、「まぁ、○○だからな……」で終わらせず、会社として、無能を有能へ教育するために「じゃあどうするか」と続けるべきではないのか。
そんな事を考えて、僕は頭を振る。
「思いついたプランを何個か列挙して、良かったものを試してみよう。もちろん仕掛けるのは君だ」
そんなことを言われたならたまったものではない。
いや、本当にたまったものではないのは、一番地位の低い人間を失うことだ。そして、順位が変動した結果、自分がその地位へ落ちてしまうことだ。
分かっている、周りの非情な連中と僕、根本で考えていることは同じだって。
でも反面、周りの「私は○○よりは優れた人間だ」とふんぞり返っている人間より僕は優れている、という自負もある。
無能を積極的に攻撃する人間より、僕のほうが断然マシな人間である。
そんな自負によって、結局僕も彼をダシに心の安定をはかる。
なんて醜いのだろう。
僕が欲しいのは弱者からの信頼よりも会社や業界からの信頼だってはっきりしているが、彼がイジりに対して言葉に詰まっているとき、彼だけミスを許されず当然のように残業しているとき、彼に話しかけられた時だけ変わる態度を見たとき、もし僕が彼だったら、と考えると泣いてしまいたくなるような罪悪感を感じる。
彼は何事についても、努めて考えないようにしているふうに見える。多分、考えすぎると鬱になってしまうのが分かっているのだろう。だから、僕が代わりに彼について考える。まるでダメな人間から這い上がっていく漫画の主人公みたいに。どうすれば彼をバカにしている彼女を黙らせられるか。どうすれば彼を荷物と考える上司に計算間違えを認めさせられるか。
でも、いくら考えても現実的なビジョンは描けない。彼は単純に、全く成長しない無能だった。
「思いついたプランを何個か列挙して、良かったものを試してみよう。でも、彼はきっとどのプランも半笑いでごまかして、手を付けないだろうね……」
有能に見える有能にお願いがある。あなたの支配しているコミュニティのパワーバランスを揃える努力をして欲しい。力に差があるのはお互いに辛い。
有能に見える無能にお願いがある。無能を使って自分の相対評価を上げないで欲しい。その場では笑っていても、誰かはきっとあなたから離れる事を考えている。
無能に見える有能にお願いがある。謙虚に振舞うのは美徳だし、静かに暮らしたいのも理解ができる。ただ、あなたが有能を示すだけで救われる存在がきっといる。
無能に見える無能にお願いがある。自分の力で、周りとの力量差を埋めて欲しい。できないならば、自分に合った環境へ静かに去って欲しい。
なーに変なことを考えてるんだろう。それで片付けられない日々が、また来週から始まる。
アメリカじゃファッションなのにってよく聞くけどファッションだから良いとか悪いじゃない
眉間に皺寄せる人も口に出さないけど態度変わる人も全否定してる人もいるし
ファッションってたぶん日本のピアスぐらいの感じで言ってると思うけどタトゥーはタトゥーだし
デザイン・サイズ・場所でインプラントや日本での和彫りと同じぐらい差別的な偏見もある
若い子がやりたいって言ったらステレオタイプで親はたしなめるものだし出来ないし
アーティストや有名人で無いとか見た人がそれを知らないとそういう目で見られることも少なくない
日本で聞くようなアメリカでもレベル低い人がする認識だっていうのはさすがに違うけど
レベルではないけど職業で許される範囲に偏りはあってそれがいいイメージ悪いイメージ両方の職業にあるから
タトゥーする事がレベル低いとかじゃないけどどっちにしても堅実なイメージはあまり持たれないのはそうだと思う
あくまで初対面でだけど
何かメンタリティ強く見せなきゃいけない見せたい人って偏見はみんな自覚無くあると思うし
日本でも映画やドラマ見てればどういう偏見かなんとなく分かると思うけど
タトゥーの人間はそういう風に描かれる事少なくないしアナーキーに見せるためにメイクで足したり
元々ファッション自体でどんな人間か判断される部分もあって日本よりファッションの意味が強くて厳格だから
TPOや職でトゥーマッチだって場の空気読めない人間扱いもあるし
ファッション自体を理由に評価は下げられないけど言い方変わるだけだから
もっと相応しい別のキャリアがあるっていうのは日本のご縁が無かったに通じる
ファッションだから評価に晒されるし直接は言わないけどいない所やSNSじゃ物凄く言われてたりする
基本は主張の社会だしファッションだけどベーシックではないから意味や理由があると考える
日本でもポイントのタトゥーと背中の和彫りで印象が違うのと同じでデザインやサイズは大きいし
日本ではただのライトなデザインでもアメリカではそうじゃないと思われる
でもタトゥーは文化を担う一つでファッションだけじゃなくいいなって所も本当にたくさんあって
偏見もあるけど寛容さも同じくらいあるしそこが日本には足りなくてアメリカと比べて理解ないのもそうなんだけど
私はファッションの持つ開放感では全然日本だから(自由度じゃない)
ファッションて言葉の意味をそんな日本での自由やポジティブな意味であまりにも取り過ぎ
それが凄くもやもやする
夢いっぱいで日本の外はユートピアぐらいで言われると私も日本よくなってけばいいねってつい言ってしまうけど
その後若干の自己嫌悪になる
嘘も悪い事も言ってる訳じゃないしアメリカがそうじゃないって事でもないけど
立場のある(特に日本に来てるような)ショーやメディアが社会でお手本でいる役目から配慮も凄い強いし
求められてる所もあるし
言ってしまえば上澄みだけを日本で見ているなら素晴らしいって思うだろうし
メディア含めて低い所の話通じないヤバさも日本は比較にならないし
上の人たちの意識や意欲の高さはその切実さから生まれてる所もあるから
簡単に向こうが上とか言うの失礼でしょって思う
タトゥーが手放しで肯定されてる社会みたいな誤解もスターがガンガンに入れてるのを見てスターだからいれてるのをスターなのにいれてるって見てるからで
イメージによってはデザインや入れ初めにファンがショック受けるのもあるけど
そういうスターたちが番組で同じようにガンガンの一般人に「あなたのタトゥーステキね」って声かける姿も珍しくなくて
偏見持たれるファッションや髪でもそうだけどスターの役目での視聴者へのメッセージの意味もあって
「それは差別になる/あり得ない」って聞くと思うけど
それも言ってる感覚としてはお手本になる人をモデルとした良い人間に許される範囲での事で
そこに含まれない現実の問題は表してないし自分の言葉や行動が差別だってわかってて開き直って相手を差別されるべきようにする人間もそこにはいるから
分からないとそのままに平均的な感覚に受け取ってしまうだろうし
何が差別・偏見になるのかの正しさ以上に自分の中の理想的な社会をそこに見てしまうのかな
それは原宿の文化生見て日本をファッションの自由の国って思う子と同じで
完全に間違ってるわけじゃないって意味でも
日本に来るそういう子たちのタトゥーやファッションが旅行者だから許容されるのも同じで向こうもそうだから
長く住んでも文化が違う国出身の相手だとそれあるし保守的な人も別の国の話ならどこか関係ないと思っていつもよりスルーする
自分の周りに影響するとそうじゃないけど
それは本当の意味で受け入れてるわけじゃなくて
もしかしたら何の偏見にもあわず思い通りの生活を送れるかもしれないし
それでいいのかもしれないし
書いたような事言うのは簡単だけど別に自由じゃないよ日本と同じだよって言いたいわけじゃないし
そう見えると思うけど
むしろ比べられないのにって
比べたけど
もし日本より酷い偏見や差別の問題があってもそれが自由がない事じゃなくて
だけど日本で見てるアメリカの問題の山とアメリカでの山は同じに見えて違う
日本から見てアメリカも自由ないんだって思ってもアメリカの自由だったりするし
それは逆もだし
話聞いたり見たりしてもし思ってたのと違ってもそれは元々想像してた単位が違うからで
そこで定規で測ってみて数が小さく出てもそれが重さでの数の大きさを否定するものじゃない
わけわかんないかな
説明難しい
アメリカの赤を日本の赤だと思って見ると赤じゃないって思うかもしれない
だけどそれは赤なんだよって
日本とアメリカそれぞれの土地で赤のキレイさもキレイって言葉のイメージもそれぞれ違って
アメリカの赤のキレイさを日本の赤のキレイさと思ってる人には色の違いを説明したいし
それを知らないままアメリカは赤キレイなんだよねって言ってたらアメリカの赤がどんな赤か知ってから言って欲しい
書いた話はそういう意味
それでその人がキレイじゃないと思ってる日本の赤に似てる所があってアメリカはキレイな赤じゃないって思われるのは嫌だけど
アメリカの赤を勘違いされたままアメリカの赤はキレイって言ってる気持ち悪さも嫌で
そういうのを言いたいけどうまく言えなくて
長く書いてもこんなだし
日本もキレイな赤になればいいねって言って流す自分に落ち込む感じ
読み返しても伝わらなさそうだな
伝えられるなら愚痴でこんなの書いてないんだけど
嫌になる
って擬態語?(擬音語ではないよね) 最近漫画でよく見かけるようになった
急に冷めるシーンとか相手に呆れるシーンとかしらけるシーンとか
あと相手の言う事にはっとして納得するシーンとか主にネットで連載してるようなコメディ漫画で結構見るんだけど
わーこれ若い人の新しい文化だな~~!!!ってめちゃくちゃ思ってる 新しい漫画用の表現が生まれる黎明期を目撃してる気する
好きか嫌いかは今のところは別としてこれからだんだん馴染んでいくようになるんだろうか
私はもうそんな若くないのでこの「すん…」の正しい用法が複数の漫画読んでても未だにわかってないんだけど
誰か若い人か詳しい人で知ってる人がいたら教えてほしい
↓追記↓
すごいたくさん教えてくれてる人がいる!ありがとうございます
昔から「しーん」「シーン」は沈黙を表す表現として数多くの漫画で見かけるけれど
突拍子もないことを言った人や世間知らずだったり常識外れな行動をした人にあえて沈黙と遠い目で反応するコマとか
あまりのことに相手に呆れたり急に真顔になってしらけたりして「あっそう…」みたいな感じで黙っちゃう、
みたいなシーンのときにギャグっぽい表現として使われてる感じ(pixivコミックとかでよく見かけます)
ポイントは「急に黙る」だと感じてるんだけど、ブコメにもあるけれどトラバの
>むかしから、「うんともすんとも言わない」って表現あったじゃん? あの「すん」が単独で使われるようになったんさ。
>「すん」の意味とは?
冷たい態度をとるさま。
内心では関心がありながら表面的に関心のないふりをするさま。
しなやかで、張りのあるさま。
用例
「すんとした表情で見られる」
「いつも彼女はすんとしている」
というのを読んで
あーなるほど言われてみればだよねと思った わかってみれば納得って感じの表現なんだなあ
「うんともすんとも」を思い浮かべない状態では画面に描かれている言葉は人物の能動的な行動を表していると思えるので
「何も言わないで静まり返っている」みたいないわゆる「シーン」と同じような表現とは思わなかった
現状ではそこから一歩進んでその描かれてる「特定の人物」が「急に黙る」
元は古くからある表現でも創作物とかツイートで見かけるようになったのはごく最近だから
それまでは一般的ではなかった表現だってことだよね(昔からあるのを私が観測してないだけかもしれないけれど)
たくさんの人が使うようになる最初のきっかけはなんだったんだろう
広がるということは多くの人の腑に落ちる表現だってことだよね すごくおもしろいです
あと「しゅん…」「シュン…」は「しょげかえって黙ってしまう」というニュアンスがあるので「すん…」とはちょっと違うかなあ
それから昔からある方のカタカナの「スン…」は登場人物が静かに鼻をすすりながら涙ぐむ、というときの擬音語だと思うので
最近広まってきた方のひらがなの「すん…」とは基本的には多分使われ方の違うものだと思うのでした(作者の意図にもよるでしょうが)
↓追記2↓
>言葉として前からあったかというより、それが擬音として膾炙したことが時代性なんではないか。
描き手の方っぽいブコメも読んでなるほどなー!ってなってます 教えて下さってありがとうございます
私の言語化があまりうまくなくて的確な説明ができてなかったんだけどまさにこういうシーンで使われてるな!
っていう読み手の感覚としてもぴったりな説明がブコメやトラバにいくつかあったので引用してエントリを終わります
>すん は興味がなくなり落ち着いた様子を表してると思うけどな 賢者状態からエロ要素を抜いた表現だと思う
>キャラクターが「しゅん…」とした時にできるようなすっと下がるような間を描きたいけれど別にしょげているわけではない、
というときに使うよ/正規の意味はしらないよ雰囲気だよ/平仮名でもカタカナでもいいよ
>「シーン…」は状態。「すん…」は変化。つまり沈黙の状態が「シーン…」で、沈黙への以降が「すん…」。/個人的にはこんな認識。
>すん【スン、すん…、スンッ】 類義語または語源:しゅん、シーン ①言動・感情などの激しさ、勢いが急速におさまるさま。
②感情・場の空気などが冷めるさま。一気に消えるさま。 という認識
このあたりの感覚が「すん…」が使われる状況の「感じ」として
日本人はなんでもガブガブ飲もうとする。日本酒もビールもそうだが。
そういう嗜み方ではアルコール特有のまずさを感じやすく、酒が本来もつアルコール以外の醸された部分の味わいを感じにくい。
本来の酒は、ワインやウィスキーを想像したら分かるが、小さなグラスでちびちび飲んで風味を味わうものだ。
そして、酒は嗜好品なのだから高いものを飲むべきだ。安いものになるほど風味が乏しく、アルコールのまずさが全面に出てくる。
高いものを、自分で調べて買って、家で少しずつ飲むのが一番いい。
飲食店でなんとなく出てくるような安酒をその場の空気でゴクゴク飲んでいると酒が嫌いになるのは自明だ。
ただ酔いたいだけならストロングゼロを飲んでいればいい。
M-1終わった直後は上沼恵美子と立川志らくにムカムカしてたんだけど、もう一回見直して考え方が変わった。
・上沼恵美子(3点)
ジャルジャル、トムブラウンが低評価なことから今までにない形の漫才を自分が笑えたかどうかに関係なく評価するのは苦手。
立川志らくの99点以降バランスの崩れた採点となったのが残念。
・松本人志(2.5点)
客ウケと会場の空気を重視した採点傾向。
点数の振れ幅が大きいほうだがウケ重視の採点なので茶の間とのかい離が少なく、見てる分にもストレスが溜まらない。
悪く言えば可もなく不可もなくという感じ。
・サンドウィッチマン富澤(1点)
爆発したというコメントを残した霜降りと人間力がといったかまいたちの点数が変わらないなど不可解な点がある。
点数の振れ幅もコメントの説得力もないのでここにいる意義が感じられなかった。
・立川志らく(4点)
客ウけと革新性を重視した採点傾向。
これまでにない試みをやっているかどうかという目線が強い。ジャルジャル、トムブラウンの結果から上沼恵美子とは対照的な評価軸。
評価軸が明確で納得感はあるが、コメントが無骨すぎることと最初につけた見取り図の基準点85点を忘れている感はある。
・ナイツ塙(4.5点)
技術力、客ウケ、新しさ、人柄をバランスよく取り入れた採点傾向。
コメントを聞いても採点根拠が明確かつきちんと差もつけれており、M-1初審査員でここまでできるのは現役バリバリかつ経験値の違い。
・中川家礼二(3点)
明確ではないがおそらく間や表現力と客ウケを重視した採点傾向。
かまいたち、ミキとしゃべくりの評価が高いが会場が爆発した霜降り、和牛が上回ったことからも空気感も点数に反映されている。
ただ、サンド富澤同様点数の振れ幅はもっと大きくしてほしいところ
・オール巨人(3点)
コメントも的確で基準もわかりやすい、普段から劇場で若手のネタをしっかり見ているため新しい笑いへの理解力も高い。
惜しむべきはやはり点数の幅の狭さ。
偉そうに書かせてもらいました。
個人的に下位二人は松本とサンド富澤なんだけど、松本はさすがに外すことはできないので、
次回はサンド富澤をみちょぱに変えればベストな審査員になると思う。
【追記】
個人的には採点基準に独自の視点がありそれが明確に示されており、
かといって採点基準を明確にするのは競技化につながるので反対で基本的に審査員は好き嫌いで点数つけていいと思います。
あとであれこれ語れるのもM-1のいいところですよね。
立川志らくさんのことはTBSのひるおび!というお昼の番組のコメンテーターとしてしか知らないけど
あの人がコメントをするとなんかちょっと場の空気が奇妙になるんだよね
一緒に出てる出演者やスタジオのお客さんの反応がなにか気を使ってるというか
話が面白くないとかすべったとかそういうのとは違うと思うけど
なんだろうね
最近のM-1がつまんないのも、審査員批判が起きるのも、全部原因は同じ場所にあって、「あれが芸人の実力が反映されないクソシステムだから」だと思う。「芸人の実力が反映されない」というのが審査員のせいになりがちなんだけど、実際はそうでもなくて、俺はあの暗い声でボソボソ喋る落語家もリアルタイムで見ていてそう悪い評価はしてないと思った。確かにいわれてる通り高得点を大袈裟に付けすぎてたとは思うけど。
原因はごく単純に、順番で会場の空気が大きく変わるのに、それを単純にランダムで決めてることだと思う。作ってきたネタがトリに映えるようなものだったり、一発目のあの空気じゃ絶対にダメなネタだったとしても、一発目を引いてしまったらそれで終わりだ。芸人からしたら納得感はないだろう。結局「運」じゃん。順番くらい芸人本人に選ばせろ。
『M-1グランプリ2018』で立川志らくは何をどのように審査したのか。
http://memushiri.hatenablog.com/entry/2018/12/04/213330
あの聞いている方がハラハラしてしまうような態度は何だったの?
審査員という立場にいる人間が、不必要に場の空気を変にすることが果たして適切だったのか。
文章化するとまともに見える?当たり前だよ、言い方や態度が関係なくなるから。
適切な内容と適切な伝え方、二つが揃って初めて適切な審査と言えるんじゃないか。
以下、想定問答集
過酷な賞レースであると同時にエンターテイメントショー(…であることに異論はないと思う)
だから審査員側から積極的に変な空気を作り出すのはおかしいし、フェアじゃない。
例えばオール巨人師匠は本来もっとズバズバ言う人だけど、ちゃんとM-1向けに出力を調整していた。
それは漫才師側の心構えであって、審査員が伝え方を考えなくていい理由にはならない。
あなたが強いのよ。
逆。せっかく内容が適切なのに伝え方に問題があったらもったいないと言っている。
誰も内容を否定していない。
じゃあその人たちについても同じ主張をします。
・昔はもっとキツかった。やっさんvsダウンタウン知らないの?
そういう時代もあったんですね。
・Twitter見ろ。ちゃんと若手のことを考えているぞ→https://twitter.com/shiraku666/status/1070233712640458753
この優しいツイートだって、M-1の時と同じ調子で言われたらやっぱりウッとなるでしょ。
芸を生業にする人にとって「場の空気」は重要なもの。志らく師匠がそれを知らないはずはない。
だからこそ点数と一致しないコメントを出したり、誰かを意識したような態度を取ったり、
そういうことはしてほしくなかった。
富山出身の友達がいるんだけど、語尾に「~や」「~やろ」とか関西弁っぽく話す
多分富山の人はそう話すんだよね?ひとりしか知り合いいないからその辺知らない
で今日、別の友達の知り合いの大阪のやつと4人で飲んでたんだけど、富山の友達が話すたびに
「似非関西弁きっしょいねん~!やめろや」とか言って富山の友達は困惑気味
自分のところの方言をナチュラルに話してるのになんだこいつとか思って
しかも初対面できっしょいとかあり得ないだろ?
沖縄県民の人に「なんくるないさ~」とか言っても別に何も言わないよね
たぶん本土の人がおれらの言葉おもしろがってるなくらいのこと思ってるくらいで
特になんとも思ってないと思うんだよ