はてなキーワード: ベンツとは
ストラテラ、コンサータ、インチュニブ。こいつはドラクエの呪文じゃないぞ。俺たち発達障害者にとってのアルファでありオメガだ。辛いんだ。飲むとアドレナリンが胃の中で大暴れして、食事さえもできなくなる。
ぶっちゃけクスリの効果なんてろくすっぽ感じられない。健常者のフリがなんとか出来るって程度。なのにヤメたら元通り。あっという間に魔法が解けて、ただの落伍者にランクダウンだ。知的障害者ならまだいい。でも、俺たちは健常者と知的障害者の狭間に産み落とされている。社会からは見えない透明人間だから、いつだってセーフティーネットの濁りなき網からこぼれていく。
発達障害者には、常人にはない才能が備わっている、と人は言う。いわく、お前の内なる想像力を引き出せば、健常者どころか超人にだってなれる。いわく、お前は無限の可能性を秘めている。いわく、お前は磨かれていないダイヤモンドだ。シンデレラは意地の悪い姉を差し置いてプリンセスに、野獣は呪いが解けてイケメン王子に最後はなっただろう?You are エジソン and アインシュタイン and スティーブ・ジョブズ、blah blah blah…
ハイハイ、この話はもう終わり。そんな都合のイイ話、あるかってんだ。俺、本で読んで知ってるんだ。海馬とか側坐核とか、脳の一部が常人より小さいだけなんだろう?ようするにただの障害者なんだろう?
ある時、テレビで映画「フォレストガンプ」が放映された翌日、学校でセンセイが俺に言い放ちやがった。「お前は無能なフォレストガンプだな」って。その時は腹が立ったけども、よく考えたら当たってた。そうだよな、映画じゃ主人公のフォレストガンプは知恵遅れだけど、底抜けの優しさと脚の速さで皆から愛された。少なくとも才能があった。卓球だってアメリカ代表になるくらい強かった。
だが俺たちは?チートツールで隠しパラメータを読むまでもねぇ。当ててやるよ、顔面:E・体力:D・知能:D・幸運:E。ゲームならノータイムでリセマラ対象、競馬なら二束三文でデビュー前に売却さ。何かひとつは良いところがあるはずだって?残念、ギリギリ正常であり、かつ真に何の取り柄もないナチュラルボーンの無能だ。
生まれてこのかた、あらゆるコミュニティーで必要とされたことがねぇ。唯一慰めてくれる親は日に日に年老いていく。クラスのみんなは結婚して子供もいるらしい。数少ない俺の友だちは(友だちと言えるのか?)、未だに森の小動物みたいに鼻をヒクヒクさせながら実家に引きこもってやがる。
どこにも属せない俺はどうすりゃいい?最近じゃ、phaとかいうヤツが「持たない幸福論」とか提唱してるそうだ。社会に適合できないはみ出し者は、はみ出し者らしく断捨離して生きれば幸せになれるってさ。それにヨッピーは「明日クビになっても大丈夫!」だって。オイオイ、クビになったらどうすりゃいいんだよ?ブログ記事書けってのか?お前みたいに、パンティー被って裸で渋谷でも駆け巡ったらさ、お布施貰えるのか?
イラッと来たね。そんなことが言えるのは、お前が京大卒だからであり、あるいはお前が元商社マンだからだ。つまりお前らは確かにアウトサイダーかもしれないが、と同時に才能のあるフォレストガンプだからだ。文化資本があるからなんだ。頭がいいからなんだ。人には負けない才能があるからなんだ。ムカつくんだ。
なぁ、教えてくれよ。俺たちの物語には、ハッピーエンドが存在しない。そう言うと、お前らは「誰にだって悩みはあるし、ハッピーエンドの人生を送っちゃいない。まずはその思い込みから脱却しろ」と、ニヤニヤしながら言ってのけるんだろう。それ、病院のセンセイにもこの間言われたよ。でも、それってお前が、医学部卒で4LDKのタワマンに帰ると綺麗な奥さんが笑顔で暖かいご飯を作っており休みの日には子供と遊園地に行き血統書付きのラブラドールレトリバーを飼いベンツを乗り回し悩みをウンウン聞いて薬を処方するだけで年収一千万だからだろう?そう話したら、向こうは押し黙りやがった。
俺も努力すればそうなれるのか?いや、人並みの生活が送れるのか?お前は短期バイトすらロクに受からない人間の気持ちを、頭を横に振られながらゴミを見るような目つきでクビを宣告される人間の余裕を、必死に働いて手取り15万という人間の惨めさを、本当に知っているのか?
発達障害者には隠された才能がある。駄目なところではなく良いところを伸ばしましょう。みんな違ってみんなイイ。ダイバーシティ。人という漢字は支え合ってできています。もう、やめないか?そういう綺麗事。どうせ俺たちは見捨てられる。才能がなきゃ、発達障害者は愛されない。臭いものに蓋をするかのように。まるで最初から存在しないかのように。無能なフォレストガンプに救いは用意されていない。
そこに贖いはなく、最初から天罰だけが与えられている。それでも生き抜くしかない。マハロ・マザーファッカー。みんなくたばりやがれ。
あれは私のベンツですけど
息子へ
1. 人生は幸福も災難も無常だ。いつ死ぬかは分からないので早めに言っておきたい。
2. 私はおまえの父だ。私が言わなければ、誰も言ってくれない。
3. この手紙は私の悲惨な失敗体験から得たものばかりで、おまえの人生に役立つだろう。
今後の人生において、以下のことをよく覚えてほしい。
(1)おまえを悪く扱う人のことを気にしない。私とお前の母親を除けば、誰もおまえによくしてあげる義務はない。だからおまえによくしてくれる人を必ず大切にし、その人への恩を忘れてはならない。
(2)世の中には、居なければ困る人は存在しない。所有しなければ困る物は存在しない。お前が愛しているすべてを失っても人生は何とかなるものだ。
(3)命は短い。今日も浪費しているこの命は、明日にはもう消えるかもしれない。命を大切にしたいのであれば、命を楽しむ時間を増やすとよい。長生きよりも早く楽しむことが大切だ。
(4)愛情は一種の感覚に過ぎない。時間や心境と共に変化する。最愛の人がおまえから離れた場合、慌てずに時間を待つがいい。時間がおまえの心を洗い清め、おまえの苦痛を和らげてくれる。恋に憧れ過ぎないこと。失恋を悲しみ過ぎないこと。
(5)確かに多くの成功者はあまり勉強していない。しかし、これは勉強しなくても成功できることを意味しない。勉強で獲得した知識はおまえの武器だ。人はゼロから富を築くことができるが、何の武器も持たないと無理だ。これを絶対覚えておくのだ。
(6)私の老後はおまえに頼るつもりはない。おまえの老後は私に頼れる訳がない。おまえが成人して独立した時点では、私の責任は終わった。今後、バスに乗るのかベンツに乗るのか、春雨スープを飲むのかフカヒレスープを飲むのかそれは、全部おまえ自身の責任だ。
(7)おまえは自分に信用を守ることを要求できるが、同じことを他人に要求できない。おまえは人に優しくすることができるが、同様なことを人に期待してはいけない。おまえが他人を扱うように、他人がおまえを扱うとは限らない。これを理解できないと人生は苦痛が溜まるばかりだ。
(8)私は26年間、宝くじを買ってきたが、未だに三等賞にも当たっていない。リッチになりたいならば努力して仕事せよということだ。この世にはただのランチなどない。
(9)おまえと私は一回限りのご縁だ。お互いの縁がいつまで続くかは分からないが、共に過ごす時間を大切にしよう。お互い愛があろうがなかろうが、来世にもう出逢うことはない。
世田谷に住んでて、認可に入れない、なんて話を聞くと、ほんと田舎に来ればいいのにって思う
ど田舎じゃなくて、新幹線の駅が通ってて、イオンヨーカドーなどが建ってるレベルの田舎なら、余裕で広い一軒家で、保育園に子供預けて働ける
旦那の実家が田舎で、旦那が実家の近くに戻ると言ったときはすごい嫌だったけど、来てみたら、旦那の両親は喜んで一軒家を建ててくれたし、保育園は待たなくても普通に入れるし、近所の人たちが野菜くれるし、家が広いから漫画とか集め放題で、旦那も趣味部屋作って楽しそう
新幹線ののぞみが通る駅のある町だから、ちょっと新幹線に飛び乗れば都会に遊びにも行ける
快適すぎる
みんな東京に集中しすぎなんだよ
田舎は出産率も結婚率も高いし、バスも電車も座れるし、思ったより悪くないよ
あと工場が多い地域とか、三交代で働いてる人は、都会の一千万クラスの人並みに稼いでると思う
とりあえずベンツ買った、みたいなのよく聞くわ
高校を卒業して、進路担当の先生に勧められるまま地元の工場に就職して働き始めてからもう6年になる。
23歳になった。
世の中に楽な仕事はそんなには無いのは知っているが、零細企業の工場で働くというのは、まぁ、それなりにキツい。
体力勝負だし若い社員が少ないせいで、年配の上司にこき使われる様にして毎日働いている。
若いんだから、という理由でキツい仕事はこちらに回ってくる事も多い。
そんなこんなで仕事を終え、家に帰って両親や弟と夕食を食べる。
大学生の弟が今度彼女とデートしてくると両親に話していて、青春してんなぁと俺は嬉しくなった反面、こう思う。
んー、なんか俺このままで大丈夫なのかなぁ、って。
インターネットでここ最近、所謂「キモカネ」という単語を見かける様になった。
キモいせいで性的な魅力も無ければ、経済力もなく、もう若くない人の事。
三重苦だ。
しかしこういった概念に人を当てはめて、抽象化して判断するのは良くない事かもしれないし、こういう事は個人の問題、という意見もある。
だけれど俺は自分自身に対して将来自分がそういった所謂「キモくてカネの無いオッサン」という存在になってしまうのではないかという危惧感を抱いている。
これは肉体労働系の仕事だから仕方がない事で、そしてコレは全く個人の意見でその上ちょっと極論的でもあるから一般論としては見ないでもらいたいのだけれど、男というのは視野の狭い生き物だ。
話題に上がるのは大体風俗とギャンブルの話ばかりこれに辟易している毎日なのだがこれに加えて、肉体労働系の仕事ではまず自分の見た目に対して物凄く無頓着になる。
まずヒゲを剃らなくなる。ヒゲを剃るために早起きしなくてはいけないぐらいなら伸ばして週一で剃るぐらいが丁度良い。
そして次に顔を洗わなくなる。
うちの工場は粉塵が舞うので人によってはマスクを着用して作業するが、そうすると顔を晒す事が飯を食う時と昼の休憩中ぐらいしかないので、誰も見ないなら良いだろうと、俺のような自堕落な人間は考えてしまうのだ。
そうすると、キモくてカネのないオッサンの「キモい」という条件が完成する。
不潔にしてる奴はキモいのだ。
そして次の問題はカネだ。
カネを自らの欲しいものと交換して得られる幸福感というのは、得てして他人から自分への愛によって得られる幸福感の代替と成りうるので、これを欠かしてはいけない。
うちの会社は金払いが悪い。
俺達は金に飢えたマネー・ドッグスなので金払いさえ良けりゃどれだけこき使われようとも納得出来るのだが、うちの会社の社長というのは安く労働力をこき使おうとしやがる上変な所で見栄っ張りなのだ。
社長が「ウチの会社一部上場したぞう」とドヤ顔で言ってきた時は、これで俺たちの給料も上がる!とまだ若い同期や先輩達と喜んだものだったが、社長がしたのはまず自分のダサイ型落ちのスポーツカーを真っ白の高級ベンツと取っ替えた事だけである。
もし日本が法に縛られていない無法地帯の荒涼たる大地であったならば「白は血が映えるから良い色だよね!!」と叫んで、マチェテを振りかざす気の触れた俺と対峙する事になったであろうから。
それはともかくとして、こういうことがあるのを踏まえた上、6年間も働いているのに未だ昇給しない事も考えると「全く金のない」という事にはならないだろうが、「同年代の中年男性と比べて」金のないオッサン、という事にこのままではなりそうである。
やがて訪れるその瞬間まで人々は悲しみを味わい喜びを噛みしめるのだ。
その様子はまるで狂乱の渦に巻き込まれていくパレードの様で、誰ひとりとしてその宴の列を抜け出す事は出来ないししてはならないのだ。
だがなっていたいのは、自らをキモくて金のない中年だと自称して悲しみに暮れるおっさんではない。
俺はモテなくてもいいし、特別金持ちでなくても良いから(ポップコーンとドリンクを買って映画館で映画が見れて、楽しみにしていた新作ゲームを躊躇なしに買えるぐらいには金が欲しいけれども)ユーモラスなおっさんでありたいのだ。
支離滅裂な怪文書の様になってしまったけれども、自己肯定感さえ持っていればキモカネおっさんから抜け出せると信じていたい。
関東の郊外に中古戸建を買った。もともと住んでいたところのすぐ近くだ。郊外だし子育てのためなのでマンションという選択肢はなかった。職場が近いので、わざわざより都市部に住むという選択肢もなかった。年収は子育て世帯の平均所得よりも少し良いくらい。妻は専業主婦で子供は二人だ。
現預金はほぼなし。生命保険や学資保険、保有証券等は300-400万円くらい。
頭金がないので、住宅ローンは諸費用込みのフルローンを組んだ。
FPさんに相談したところ、子供たちの教育費等を考えると、増田の年収と年齢で頭金なしの場合、無理のない予算は4000万円まで、ということだった。
ただ、増田は今までは借り上げ社宅に住んでおり、家賃負担は駐車場代を含めて2.5万円だった。人生最大の固定費である住宅ローンが過大になるのは避けたいと考えた。
家に対するこだわりみたいなものは特になく、新築がいいとか、リビングは何畳以上とか特段の条件はなかった。
ただ、将来的に夫婦別室で家族それぞれの居室が持てるように間取りは4LDK以上、郊外なので駐車場は2台分以上という条件で探した。
結局増田は中古戸建を買ったらわけだが、その経験が誰かの役に立てば、ということで、子供のスイミングの待ち時間にチラ裏してみる。
2chで有名なこの名言ですが、半年とは言わないが不動産購入も具体的に動きだしてから3ヶ月は買わない方がいいだろう。
不動産は売れてしまったら同じものは2つとないので焦って決めたくなるし、煽ってくる営業も多いが、まだ相場観も基本的な知識もない状態で物件を決めるのはカモになる可能性高い。
3ヶ月くらいは不動産ジャパンやアットホーム、スーモ、ライフルホームズを見て、また実際に不動産屋を複数回って物件見学し、自分の相場観を養うとともに信頼できそうな業者を探そう。
・勉強しよう
増田は住宅を購入しようとしてすぐに、駅近で立地が良い割には価格が安い建築条件付土地に飛びつきそうになった。
逆ひな壇の旗竿地で道路側の土地はすでに売れていたがまだ更地の状態で、上段は駐車場だったので、その状態では日当たりも良かった。
ただ、旗竿地なので道路側と上段に家が建ってしまえば日当たりの全くない四方を家に囲まれた土地だ。
それを納得の上で購入するなら良いかもしれないが、この物件は旗竿地だということを考えれば価格的にも全くお買い得ではなかった。
不動産購入にあたっての基礎知識をまとめたサイトはいくつもあるし、本もいろいろあるので勉強しよう。
また、そういったミクロな部分の知識だけじゃなくてマクロな知識もつけておこう。
「老いる家、崩れる街」なんかを読めば、間違っても市街化調整区域なんかに家を買おうとは思わなくなるだろうし、郊外に購入する住宅に資産価値を求めるのはこの人口減少社会では無理だということもわかるだろう。
無理のない予算で、少しでも資産価値の落ちにくい物件を買おう。
増田が住んでいるような郊外でも、駅から遠い更に郊外へ郊外へと新しい分譲地ができている。そんなところはこの人口減少社会の中では資産価値の著しい減少だけでなく、将来的なインフラの維持も厳しくなると考えるべきだ。
あとは、住宅ローン減税に関してとかな。新築と中古で違うし、中古は条件あるし、新築も長期優良だと5000万円までとかあるしな。
人生最大の買い物をするんだから、勉強するのと慎重に行うのは必須な。
軽量鉄骨は25年だっけな。いくら立派な家でも建物はいずれ無価値になる。車みたいなものだ。しかし、土地は違う。どちらに比重を置くべきかは明白だよな。
ハウスメーカーの家は確かに良いものだよな。安全安心。ただ、プレミアムが乗りすぎだ。セキスイやダイワで建てられるのはベンツやレクサスが買える層だけだ。
パワービルダーだって耐震等級3の良い家が建ちますよ。まぁ、施工業者による出来上がりの差が〜とか言う人はハウスメーカーで軽量鉄骨建ててください。
建売ってさ、売れないとどんどん値段下がるんだよね。あと、分譲地にまとめて作る分安くできる部分もある。
でもさ、建築条件付き土地ってずっと同じ値段でカモを待ってる。
滅多に物件が出ない品川区の人気エリアで新築じゃなきゃ嫌だとか言うなら仕方ないけれど、郊外で建築条件付き土地はなぁ…
土地を買って、その地域の建築業者さんを選んで建てるのはありだと思う。土地探しの難易度高いけど。
ハウスメーカーは割高だし、不動産屋が自社で建築もやりだしたみたいなところは大抵評判悪い。
ネット銀行は審査が厳しい。増田は諸費用分が満額通らなくて減額承認になってしまったので仕方なく地銀で組んだ。そのネット銀行を給与振込口座のメインバンクにしていて、申し込んだ金額は住宅ローンが組める限界の半額程度だったので、よもや通らないなんて考えていなかった。なので仲介業者が保険として審査を出してくれていた地銀でローンを組むしかなかった。
組めるんだったらより低金利の方が望ましいわけで、ネット銀行系の審査は2-3出しておいた方がいいだろう。出し過ぎも何か通りにくい理由があるのではと勘ぐられるのでやめた方がいたけど。
家を買うなんて普通の人は一生に一度のことなので、経験を積めないんだよね。だから難しいんだけど、ある程度勉強して、相場観をつけて納得価格で買えるといいよな。
(この日記は、「副業で風俗レポを連載していたのだが、」https://anond.hatelabo.jp/20171023190844を「俺が編集者ならこう書き換える」という内容に無断で編集したものです。)
お久しぶり~。とにかく更新が滞りがちなこの連載。今回はちょっと趣向を変えて、生まれて初めてアジアンエステに行った日のことを書くぞ。もう六年半も前の話だ。僕のドスケベオイルマッサージ道はこの日から始まったのだ!
某月某日、夜。駅前の商店街を歩いていると、妖しく点滅する立て看板が目に入った。
インターホンを鳴らすと、異様に背の低い白髪の老婆が出てきた。待合室に通され、メニューを渡された。メニュー表には複数のコースが書かれていたが、婆さんは大きな目をさらに大きくして90分一万円のコースをゴリ押ししてきた。僕は気圧されて、よくわからないまま一万円を払った。
部屋に案内されて、ベッドに腰かけていると、小柄な女の子が入ってきた。名前はナナちゃん。第一印象はツンとして見えるが、笑うと一気に表情がやわらぐ。かわいい! 大きな目に長いまつげ。ピンク色のぽってりした唇が印象的。髪は長めで、えり足がスッキリとまとめられている。あらわになったうなじがセクシー。しかし、何より目を引くのはオッパイ。かなりでかい! 上着がパンパンに膨れあがってる。そして、むき出しになった太もも。僕が太ももフェチになったのは、この日がきっかけかも。ミニスカートからのびる二本の素足。た、たまらん....。
ナナ「初めてですか?」
僕 「はい」
僕 「あ、はい」
ナナ「じゃあ、脱いで待ってて」
ナナちゃんが部屋を出ていく。言われるままに服を脱ぐ僕。上半身裸になったところで、ナナちゃんがバスタオルを持って戻ってくる。いたずらっぽい笑みを浮かべながら、僕のズボンのベルトを引っ張る。脱ぐように促しているのだ。恥ずかしながら、僕はすでにビンビン。ナナちゃんがそれを見て、キャッと笑う。腰に白いバスタオルが巻かれると、腹部がふくれあがり、その形状はまるで雪山。
一緒にシャワールームへ。ナナちゃんが全身をやさしく洗ってくれる。「後ろ向いて」「はい、前」「もう一回後ろ」ころころと向きを変える僕。後ろ向きになると、ナナちゃんの手首が僕の足のつけねを通って、さわ~、と尻の穴を通過。最高だ...。タオルで体を拭いてもらい、部屋に戻る。紙パンツを渡されたが、明らかに小さい。無理して履いてみたが、思いっきりハミ出てしまう。ナナちゃんがそれを見てウフフと笑う。
ナナ「・・・やっぱり、あおむけでいいよ。うつぶせ、痛そうだから」
うつぶせだと、いきり立ったモノが圧迫されて痛いと判断されたらしい(笑)それで急遽、あおむけの態勢から始めることに。ナナちゃんが僕のひざの上にまたがると、太ももの感触がじかに伝わる。う~ん、たまらん!
まずは首筋のマッサージ。ナナちゃんが前かがみになると、はだけた胸もとから谷間が見える。膝を動かすたびに、スカートの中もちらり。これってわざと!? そして、ここから先は怒濤の展開。まだ序盤なのに、ナナちゃんが僕の全身にオイルを塗り始めた! 本来はうつぶせでじっくりと肩や腰をもんでから、ようやくあおむけになり、オイルが登場するのは後半なのだ。しかし、ナナちゃんは通常のセオリーをすっ飛ばして、大暴走。おそらく僕の興奮が伝わり、一気にスパークしたのだ! 奇跡のフュージョン。国籍を越えた魂の交感。ナナちゃんの指先が、僕の体の上を縦横無尽に滑走。そのなめらかな滑りは、ロシアのフィギュアスケーター、ユリア・リプニツカヤ選手のようだ。僕はあっという間にフィニッシュ。開始からわずか30分。瞬殺だった...。
本来、こういったマッサージは焦らしてナンボ。ナナちゃんの施術はあまりにトリッキー過ぎた。でも僕は大満足! 最高のアジアンエステデビューであった。
🌑
これは、ある風俗系のサイトのために書いた原稿である。そのサイトが突然閉鎖してしまい、行き場所がなくなった。自分で言うのも何だが、本当に下らない。僕は二年近く、こんな文章ばかり書いていた。この記事は、新しい店を取材する時間が無かったので、苦しまぎれに昔話を書いたのだった。結果的にこの原稿は陽の目をみなかったわけだが、書きながら当時のことを色々と思い出した。
あの頃、実は僕はドン底の状態だった。親から継いだ会社を倒産させた後だったのだ。単なる地元の中小企業だったが、そこそこ歴史のある会社だった。古参幹部の裏切り、横領、大手の参入、理由を挙げればキリがないが、結局は僕が無能だったのだ。すべてを失った。恋人も仲間も、みんな去って行った。絵に描いたような転落人生だ。酒びたりの日々。毎日、目を覚ます頃にはすでに日が暮れかけていた。時計を見るのもつらかった。起きるとすぐに冷蔵庫を開けて、安い缶酎ハイをあおり、またベッドに戻る。酒が切れたらコンビニに行って、缶酎ハイとカップ麺を大量に買い込む。そんな生活が何ヵ月も続いていた。
いよいよ金が尽きてきたので、警備員のバイトを始めた。まわりは爺さんばかりだった。地元では警備員の仕事が高齢者の受け皿になっていた。爺さんたちと一緒に働いているうちに、まだ20代後半だった僕も、老後みたいな気分になっていた。
件のエステに行ったのは、そんな時期のことだった。前述の通り、僕は30分で果ててしまった。そのあとどうしたかというと、ずっと彼女とお喋りをしていた。彼女は色々な話をしてくれた。まだ来日して三年足らずで、日本語はジブリアニメで勉強していると言っていた。なぜか子供の頃の写真を持っていて、それを見せてくれた。山村の風景を背にして、薄汚れたシャツを着て立っている、仏頂面の少女が写っていた。それが彼女だった。話を聞いてみると、彼女は非常に貧しい家に生まれて、家族を支えるために、日本に出稼ぎに来ていたのだった。
僕も自分のことを話した。地元の中小企業の二代目社長。社員は26人。趣味はスキーとテニス、車はベンツを2台所有。どれも過去には本当のことだった。でもすべてを失っていた。僕は彼女に、会社経営の苦労や、幹部に対する不満を、現在進行形の悩みとして語った。彼女の前では社長でいたかった。悲しい見栄だ。話しているうちに、自然と涙が流れてきた。彼女がそっと抱き寄せてくれた。僕は彼女の胸に顔をうずめて泣いた。しばらくのあいだ泣き続けた。あのとき彼女はどんな気持ちだったのだろう。異国で、初対面の男が、いきなり泣きだしたのだ。理由もわからなかったはずだ。かなり戸惑ったにちがいない。
ナナちゃんと話した翌日から、僕は仕事で新しい現場に入った。美術館の警備スタッフだ。スタジオジブリのレイアウト展覧会だった。そこでマズイことが起きた。彼女が客として入場してきたのだ。どうやら彼女は一人で、オレンジのワンピースにスニーカーを履いて、髪はポニーテールにまとめていた。相変わらずちょっとツンとしていて、喋らなければどこからみても普通の若い女性だった。僕はあわてて顔を伏せた。見られてはいけない。彼女の中ではまだ僕は社長なのだ。警備服を着ているはずがないのだ。彼女は食い入るように展示物を見ていた。僕は帽子を限界まで目深に被り、ばれないようにした。
午後になって、今度は外の駐車場ですれ違いそうになり、あわててトラックの背後に隠れた。警備員なのに、僕の挙動は完全に泥棒だった。彼女は僕の前を通り過ぎて、その先の角を右に曲がっていった。彼女は僕の視界から消えた。
数日後に、地面が揺れた。これまでにないぐらい、大きく揺れた。巨大な津波が来て、あらゆるものを破壊した。そう遠くない場所で、原子力発電所が爆発した。日常が奪われ、何日も、何週間も、不安な状態が続いた。
僕はやることもなく、ふと思い立って再びあの店に行ってみた。当然のように閉まっていた。インターホンを鳴らすと、ゆっくりドアが開いた。中からあの大きな目の老婆が顔を出して、「やってませんよ」と言った。
僕 「いつごろ再開しますか?」
老婆「もうやらないよ。おしまい」
僕 「・・・」
老婆「みんな中国に帰ったよ」
僕 「ナナちゃんは?」
老婆「ナナも帰った。モモも帰った。サクラもユキもみんな帰った。日本は危ないから」
当たり前だが、ナナちゃんとはそれっきりだ。僕はほどなく上京して、小さな広告プロダクションに就職した。その後、仕事で知り合った風俗関係者に請われ、メンズエステの体験レポを書くようになった。
最初のうちは、アジアンエステを取材する度に彼女のことを思い出したものだが、最近はすっかり忘れてしまっていた。女性の胸に顔をうずめて泣くなんて、あの夜が最初で最後だと思う。
諸般の事情でサイトが閉鎖されてしまった。原稿が一本無駄になってしまったので、はてな匿名ダイアリーに放流する。
🌑
お久しぶり~。とにかく更新が滞りがちなこの連載。今回はちょっと趣向を変えて、生まれて初めてアジアンエステに行った日のことを書くぞ。もう六年半も前の話だ。僕のドスケベオイルマッサージ道はこの日から始まったのだ!
某月某日、夜。駅前の商店街を歩いていると、妖しく点滅する立て看板が目に入った。
インターホンを鳴らすと、異様に背の低い老婆が出てきた。待合室に通され、メニューを渡される。メニュー表には複数のコースが書かれていたが、婆さんは90分一万円のコースをゴリ押ししてきた。僕は気圧されて、よくわからないまま一万円を払った。
部屋に案内されて、ベッドに腰かけていると、小柄な女の子が入ってきた。名前はナナちゃん。第一印象はツンとして見えるが、笑うと一気に表情がやわらぐ。かわいい! 大きな目に長いまつげ。ピンク色のぽってりした唇が印象的。髪は長くて、えり足がスッキリとまとめられている。あらわになったうなじがセクシー。しかし、何より目を引くのはオッパイ。かなりでかい! 上着がパンパンに膨れあがってる。そして、むき出しになった太もも。僕が太ももフェチになったのは、この日がきっかけかも。ミニスカートからのびる二本の素足。た、たまらん....。
ナナ「初めてですか?」
僕 「はい」
僕 「あ、はい」
ナナ「じゃあ、脱いで待ってて」
ナナちゃんが部屋を出ていく。言われるままに服を脱ぐ僕。上半身裸になったところで、ナナちゃんがバスタオルを持って戻ってくる。いたずらっぽい笑みを浮かべながら、僕のズボンのベルトを引っ張る。脱ぐように促しているのだ。恥ずかしながら、僕はすでにビンビン。ナナちゃんがそれを見て、キャッと笑う。腰に白いバスタオルが巻かれると、腹部がふくれあがり、その形状はまるで雪山。
一緒にシャワールームへ。ナナちゃんが全身をやさしく洗ってくれる。「後ろ向いて」「はい、前」「もう一回後ろ」ころころと向きを変える僕。後ろ向きになると、ナナちゃんの手首が僕の足のつけねを通って、さわ~、と尻の穴を通過。最高だ...。タオルで体を拭いてもらい、部屋に戻る。紙パンツを渡されたが、明らかに小さい。無理して履いてみたが、思いっきりハミ出てしまう。ナナちゃんがそれを見てウフフと笑う。
僕 「あ、はい...」
うつぶせだと、いきり立ったモノが圧迫されて痛いと判断されたらしい(笑)それで急遽、あおむけの態勢から始めることに。ナナちゃんが僕のひざの上にまたがると、太ももの感触がじかに伝わる。う~ん、たまらん!
まずは首筋のマッサージ。ナナちゃんが前かがみになると、はだけた胸もとから谷間が見える。膝を動かすたびに、スカートの中もちらり。これってわざと!? そして、ここから先は怒濤の展開。まだ序盤なのに、ナナちゃんが僕の全身にオイルを塗り始めた! 本来はうつぶせでじっくりと肩や腰をもんでから、ようやくあおむけになり、オイルが登場するのは後半なのだ。しかし、ナナちゃんは通常のセオリーをすっ飛ばして、大暴走。おそらく僕の興奮が伝わり、一気にスパークしたのだ! 奇跡のフュージョン。国籍を越えた魂の交感。ナナちゃんの指先が、僕の体の上を縦横無尽に滑走。そのなめらかな滑りは、ロシアのフィギュアスケーター、ユリア・リプニツカヤ選手のようだ。僕はあっという間にフィニッシュ。開始からわずか30分。瞬殺だった...。
本来、こういったマッサージは焦らしてナンボ。ナナちゃんの施術はあまりにトリッキー過ぎた。でも僕は大満足! 最高のアジアンエステデビューであった。
🌑
自分で言うのも何だが、本当に下らない。僕は某風俗サイトで二年近くこんな文章ばかり書いていた。先の記事は、新しい店を取材する時間が無かったので、苦しまぎれに昔話を書いたのだった。結果的にこの原稿は陽の目をみなかったわけだが、書きながら当時のことを色々と思い出した。あの頃、実は僕はドン底の状態だった。親から継いだ会社を倒産させた後だったのだ。単なる地元の中小企業だったが、そこそこ歴史のある会社だった。古参幹部の裏切り、横領、大手の参入、理由を挙げればキリがないが、結局は僕が無能だったのだ。すべてを失った。恋人も仲間も、みんな去って行った。絵に描いたような転落人生だ。酒びたりの日々。毎日、目を覚ます頃にはすでに日が暮れかけていた。時計を見るのもつらかった。起きるとすぐに冷蔵庫を開けて、安い缶酎ハイをあおり、またベッドに戻る。酒が切れたらコンビニに行って、缶酎ハイとカップ麺を大量に買い込む。そんな生活が何ヵ月も続いていた。
いよいよ金が尽きてきたので、警備員のバイトを始めた。まわりは爺さんばかりだった。地元では警備員の仕事が高齢者の受け皿になっていた。爺さんたちと一緒に働いているうちに、まだ20代後半だった僕も、老後みたいな気分になっていた。
件のエステに行ったのは、そんな時期のことだった。前述の通り、僕は30分で果ててしまった。そのあとどうしたかというと、ずっと彼女とお喋りをしていた。彼女は色々な話をしてくれた。まだ来日して三年足らずで、日本語はジブリアニメで勉強していると言っていた。なぜか子供の頃の写真を持っていて、それを見せてくれた。山村の風景を背にして、薄汚れたシャツを着て立っている、仏頂面の少女が写っていた。それが彼女だった。話を聞いてみると、彼女は非常に貧しい家に生まれて、家族を支えるために、日本に出稼ぎに来ていたのだった。
僕も自分のことを話した。地元の中小企業の二代目社長。社員は26人。趣味はスキーとテニス、車はベンツを2台所有。どれも過去には本当のことだった。でもすべてを失っていた。僕は彼女に、会社経営の苦労や、幹部に対する不満を、現在進行形の悩みとして語った。彼女の前では社長でいたかった。悲しい見栄だ。話しているうちに、自然と涙が流れてきた。彼女がそっと抱き寄せてくれた。僕は彼女の胸に顔をうずめて泣いた。しばらくのあいだ泣き続けた。あのとき彼女はどんな気持ちだったのだろう。異国で、初対面の男が、いきなり泣きだしたのだ。理由もわからなかったはずだ。かなり戸惑ったにちがいない。
この話には後日談がある。翌日から僕は仕事で新しい現場に入った。美術館の警備スタッフだ。スタジオジブリのレイアウト展覧会だった。そこでマズイことが起きた。彼女が客として入場してきたのだ。どうやら彼女は一人だった。僕はあわてて顔を伏せた。見られてはいけない。彼女の中ではまだ僕は社長なのだ。警備服を着ているはずがないのだ。彼女は食い入るように展示物を見ていた。僕は帽子を限界まで目深に被り、ばれないようにした。午後になると、今度は外の駐車場ですれ違いそうになり、あわててトラックの背後に隠れた。警備員なのに、僕の挙動は完全に泥棒だった。
数日後に、地面が揺れた。これまでにないぐらい、大きく揺れた。巨大な津波が来て、あらゆるものを破壊した。そう遠くない場所で、原子力発電所が爆発した。日常が奪われ、何日も、何週間も、不安な状態が続いた。再び店に行ってみると、当然のように閉まっていた。インターホンを鳴らすと、ゆっくりドアが開いた。中から背の低い老婆が現れて「やってませんよ」と言った。
僕 「いつごろ再開しますか?」
老婆「もうやらないよ。おしまい」
僕 「・・・」
老婆「みんな中国に帰ったよ」
僕 「ナナちゃんは?」
老婆「ナナも帰った。モモも帰った。サクラもユキもみんな帰った。日本は危ないから」
当たり前だが、ナナちゃんとはそれっきりだ。僕はほどなく上京して、小さな広告プロダクションに就職した。その後、仕事で知り合った風俗関係者に請われ、メンズエステの体験レポを書くようになった。最初のうちは、アジアンエステを取材する度に彼女のことを思い出したものだが、最近はすっかり忘れてしまっていた。女性の胸に顔をうずめて泣くなんて、あの夜が最初で最後だと思う。ナナちゃん、元気だろうか。