はてなキーワード: ファイトとは
村田パンマンについてはずっと前から気に食わなかったけど、今回最新話でのタツマキとブラストの邂逅のシーンで完全にキレたわ
まずこのブラストの登場シーンが背景ホワイトになってるのが気に食わねえ。ここは、村田が意図的に原作との方向性を変えた部分だと思う。
原作においてブラストは趣味でヒーローとしての役割を貫徹する一種の異常者として描かれており、一種のダークヒーローとしての役割を持っている。一方で村田パンマンにおいて、ブラストはヒーローの化身として全てを救済する完全な理想図、言わばヒーローの青写真として描かれているのだけれど、はっきり言えばこれは村田の解釈の逸脱である上に、「とりあえず原作とは方針逆にして攻めてみました」くらいの浅い作品理解が見え見えになってて辛い
まず原作ワンパンマン106話におけるブラストのセリフ「いざという時に誰かが助けに来てくれると思ってはならない」を、村田は、「強者の心得として」という(余計な)一言を付けてダウングレードした解釈を行っている。
ちがう。全然違う。
第一に、原作ワンパンマンにおいてブラストは純粋に異常者なのである。主人公サイタマがそうであるように、ブラストは一介の人間が趣味でヒーロー活動をしているに過ぎず、その精神の根本には「趣味で楽しいからやってる」という以上の信念が存在していないことは、原作最新話に至るまでのサイタマの発言を見れば一目瞭然である。そして、ポイントはサイタマにせよブラストにせよ、自身が一種の異常者であることを自覚しているところだ。そう、普通の人間はヒーローに憧れて自分を血反吐ぶちまけるまでに鍛え上げて怪人とタイマンで戦ったりしないのである。誰かを助けるためにスタコラ駆けつけたりしないのである。じゃあ何でそんなことをするのか、ヒーローとしての義務感があるのか? 誰かを助けなければならないという強迫的な使命感に促されているのか? 違う。「趣味」なのである。
そんなあやふやな精神条件において何年もの間ヒーロー活動を行い続けることができているブラストとサイタマは根本的に異常者なのであり、また、サイタマ自身が述べているように、そのような常軌を逸した行動の反動として、そもそもサイタマは自分自身の空虚さを日々感じているのだ。強くなりすぎてしまった、と。
その辺の解釈が全く村田パンマンに通っていないことに俺は以前からかなりの怒りを抱いていた。勿論、村田のイラストレーターとしての技術や画力が業界随一のものであることは確かなのだけれど、彼はそもそもジャンプ編集部から何故自身が原作と作画双方を担当する漫画を任せてもらえなかったのかを根本的に理解していない気がする。そう、作品理解や構成が根本的に浅いのだ!
多分村田雄介という漫画家は努力と才能の二本の柱によって自己をブラッシュアップしてきた人間だから、ある種の才能の無い人間の葛藤とかそういうものに無理解なんだろうなと思う。ある種の人間の心の動きとか細かい心の機微といったものに無知なんだろうなと思わざるを得ない。才能がある人間に特有の浅薄さが彼のアイディアからは漂ってしまう。彼にはそういう意味で編集から仕事を受け渡しづらかったんではないかと思う。ハァーーーーーーーーーー。
とりあえず一番最初に違和感を抱いたのは「海人族編」である。同編のクライマックス、自分の腕の中に倒れ込んだ無免ライダーに対して、サイタマがポツリと言うシーン。
村田版と原作ONE版においてそのシーンの描き方の差は顕著である。
村田版:サイタマは笑顔で無免ライダーを受け止める。まるで部活のコーチが選手を褒めるかのように。
ONE版:サイタマは無表情に無免ライダーを受け止める。感情の動きは伺えない。
この時点で二人の作品の理解の深度が全く異なっていることは明らかである(ONEは原作者なのだから当然なんだけど)、そう、先に述べた通りサイタマは日常に空虚を抱えているのでそもそも根本的には無免ライダーの奮闘に感動していないのである。それは、同編ラストシーンにおける「つまんねえな、今回は期待したんだけど」というセリフからも明らかである。
村田に対して言いたいのは、何でそんな感情豊かやねん、という話である。勿論、これと同趣旨のツッコミは散々浴びせられてるだろうから村田にとってはこういう意見は今更なんだろうけれど。でも、それにしても作品の解釈が雑すぎんかね? という話なんです。
他にも、同場面において、背後から一撃を加えたにも関わらず何らダメージを受けたようには見えないサイタマに対して、海人王が沈黙の後に名乗りを上げるシーン。ここも明らかに原作の意図を掴み切れていない浅薄な描写となっている。本編において海人王はサイタマの生物としてのポテンシャルの高さを如実に感じ取っており、やや苦戦したジェノスと比較してさえなお「今までのゴミとは明らかに違う」と述べている。このことからして、海人王はこの時点で自身の敗北を些か覚悟していた可能性が高い。その上で、これまでどのヒーローと相対した時にも発さなかった「名乗り」を上げるのである。
つまりこの名乗りは、自身の敗北の予感を覚えつつも、目の前の強者(推定)に対して敬意を表した「名乗り」だと言えるのだ。自分と同等かそれ以上の生命体を目の前にして、戦闘を開始する前に礼儀を尽くそうとしたのである。敵役ながら天晴な心理描写に俺は感動してしまっていた。でも、当然ながら村田パンマンにおいてはそのような感情の機微が捉えられている様子はない。ガッカリ。
そういった村田パンマンと原作との齟齬は全体的にはそれほど多くないものの、時折というペースで伺えてしまうのである。
例えば地獄のフブキとサイタマが最初に邂逅するシーン。フブキは戦闘においてナイフを取り出しサイタマに切り掛かる。その目尻には涙が浮かんでいる。
この涙は、フブキのナイーヴさの表現であることは明らかなのだけれど、その解釈がONEと村田では幾分異なっているように見える。
村田版:子供が自分の願いを聞き届けられなかったかのような悔しさを滲ませた涙
ONE版:目の前の相手に対する恐怖、そしてナイフという直接相手を傷つける武器によって相手を殺傷することへのストレスを含んだ涙
やはりこの描写からも二人の作品に対する深度の違いが現れているようでならない。村田は普段の仕事はきちんとしてるんだけれど、こういう見せ場みたいなシーンでしょうもない解釈をドヤ顔でブツけてくるからホント辛い。上記の通り、フブキはナイーヴであるため根本的に他者を傷つけることにストレスを感じていることが前後の流れから読み取れる。更には、相手を武器で傷つけてまで自分の地位を守ろうとすることへの葛藤さえもその表情から伺える。一方で村田……ヘイ村田
上記の通りフブキの涙についての解釈が、その表情に関する解釈が、村田パンマンには希薄であるように思われるのだ。
というわけで作品の解釈がところどころ浅いっつーか、キャラクターの人格の根本の部分について村田は読み違えているように思えてならないのだ。いやまあ大体は大丈夫なんだけど、原作ファンとしては「ここが見せ場!」ってなってる場面でやらかすのが村田って感じなんだよな。例えば無免ライダーをナイーヴなファンボーイ的なキャラクターとして描写してるきらいが村田にはあるけれど、無免ライダーはヒーローに対して明るい観念ばかりを持ってるファンボーイじゃなくて、ヒーローとしての自分への失望とか周囲の人間が自分に向ける視線への恐怖(タンクトップタイガーの発言「C級1位の座寄越せ!」などに代表される)と日頃戦っているキャラクターの筈なのだ。つまり、根本的に暗くて弱い人間の筈なのだ。それでも、信念に従って倒されても立ち上がって戦い続けているから彼は魅力的なのだ。
なのに村田ときたら無免ライダーのことを「スパイダーマンに憧れたのでとりあえずスパイダーマンのコスプレしてみた」的なファンボーイとして描いている。ハァー、バカチンが。
まあ勿論繰り返すように全体は丁寧で、仮に褒めるとすればボロス編とかは全面的に良かったと思うんだけど。でもところどころやらかしてんだよなあ村田は。
長くなったけど今回の最新話での蛇足描写もそうで、「強者の心得として」っていうセリフはいらなかったの。
これは俺の作品解釈なのでONEの想像と合ってるかどうか分からないけれど……、恐らく「いざという時に誰かが助けてくれると思ってはならない」というセリフは、根本的にブラストの優しさと厳しさの混じったセリフっていうところは当然村田が解釈しているのと同じなんだけど、根本的にそこには齟齬があるようでならない。
つまりあのセリフは「人を助けるってことは普通の人間にはできない」という意味が籠もってると思うんだよな。
だから、普通の人間にはできないことを期待しちゃいけない、って意味なんだと思う。そしてここで述べた解釈もまた表面的な解釈に過ぎず、裏を返してみればブラストが言いたかったのは次のことだろう。
「人を助ける人間は異常者だ」
ってこと。
繰り返すように、ブラストは趣味でヒーロー活動をしている自分の異常性について幾分自覚的である。「普段は働いていて、これは趣味なんだけどね」と原作において付け足している部分からも明らかであるように、「自分はこんな異常者じみた活動をしてるけど、普段は普通の社会人なんだ」という、既に解消され消化されたであろう葛藤の、単なる痕跡としての「後ろめたさ」を匂わせているのである。そう、ヒーロー活動なんて本来は異常者の行うことなのである。サイタマしかりガロウしかり、本当にヒーロー活動に真面目に取り組んでいる連中なんて皆まとめて異常者なのだ。
そしてブラストは自己意識においてもソフィスティケートされているので自身の異常性を認識している。彼はこう言う。「(自分はちょっとおかしいから趣味の一環で君を助けたりはするけれど、そうじゃない普通の人が君を助けることなんてまずないのだから、)いざという時に誰かが助けてくれると思ってはいけない」と。そしてここには更に裏の意図が込められていて、つまり「誰かを助けるなんてことを考えるのは、誰かに助けてもらいたいという弱者の望みを叶えようとするのは、根本的には異常者の仕事だ。君が、そういう弱者の望みを叶えたり、あるいは、『誰も助けになんて来てくれないのが普通の世の中』に対して忸怩たる感情を抱いているなら、君自身が異常者になって、つまりはただ助けを待ち望むだけで誰かを助けることのない普通の人間から抜け出して、誰かを助ける側に回るしかないんだよ」と。
ブラストはそういうヒーローなのだ。異常者としての、しかしサイタマやガロウと同じく善なる傾向を持つと同時に、冷徹な感情をも持ち合わせるダークヒーローであるのだ。その辺のしっかりとした解釈を、村田は自分の仕事に持ち込んでもらいたい。以上一読者からの意見でした。
男女論を2,3年見てたけど、結論としては車輪の再発明で、男は強くあろうとする姿勢でいたほうがマシなんだよな。
たとえどんなにキツくて泣きごと言いたくなって逃げだしたりしたくなるのもわかるけど、それも込みで、それでもシバいて強くあろうとする姿勢のほうがマシ。その副作用でもちろん死人も女性より多く出るがめちゃくちゃキツイ。
それは人権思想と相反するけど、そもそも男には人権がないから仕方がない。ルール無用の残虐ファイト。そりゃあ建前上はペラペラのポリコレで「人権があることになっている」のでしょうけど、事実オッサンに人権はないので、人権が無いなりの生存戦略が必要。そりゃ人権は欲しいですよ正直。欲しいのは山々だけど無いものは無いのだから仕方がない。
「そっちがその気なら、こちらにも考えがある」の姿勢でなきゃ人生を有利にやっていけない。「強か」というのはそういうことでしょう。
「オッサンにも人権を!」という幻想ベースで人生設計するのは悪手でしょう。残念ながら。それをなるべく人生の早い段階で気づいて戦略を立てるべきなのですが、今の義務教育だと正反対のことをやってそうでこわい。その無責任教育によって本音と建前の寒暖差で具合が悪くなる新卒が続出するわけです。
ポリコレ的に「オッサンには人権がない」という本音を公教育では言えないのか。逆効果じゃないのか。
的確な非公式教育を物心ついた以降のなるべく若い段階で受けられるか否かが人生を左右する。
義務教育で教わる建前上の「オッサンにも人権がある」というのを真に受けてはいけない。
「女は男を養わない」という不満は、「問の立て方自体が誤っている」って話だと思うんだよな。そもそも男には人権が無いから。
メンズリブ、男らしさから降りる、"平等"なら3K労働を女もやれ、女は男を養わない、といったモテないタイプの男女平等思想に基づく展開は、どれも意味がないし必ず負ける社会実験・思考実験に過ぎないものなので、そこにコミットするのは人生の浪費だと思う。筋トレでもしてたほうが有意義だと思う。
建前上の男性の人権を守るための(抽象的で広範な意味での)わずかな福祉リソースによって生かされる男性もいるけどレアケースなので、そこに期待しすぎるのも人生設計的に悪手と思う。その立場の人の成功体験は、あまり参考にしないほうが・・。男女差のない医療保険とかは別の話。
「置かれた場所で咲きなさい」なんだけど、その「置かれた場所」を誤認してしまうと取り返しのつかないことになる。
↑はやくこれになりたい
このゲームApex Legendをプレイしていない人には、大した話題ではないのだが
一人のゲームデザイナーとして、なんとなくモヤモヤしたので文章にして自分の気持ちを整理しようと思う。
キッカケはアメリカの強豪チーム「TSM」のApex Legends部門所属のAlbralelie選手が、「Apex Legends」の競技シーンからの引退を発表したことだ。
youtubeなどで、翻訳をしたいわゆる切り抜き動画など、Apexをプレイしている人たちには馴染み深い、強いプレイヤーである。
彼の引退理由については本人からきっちりとした文章で発表もなされている。
ざっくりというと、今後Apexの将来性には不安を感じているため活躍するシーンを別のFPSゲーム(Valorant)に移すという話だった。
彼の引退については、感情的に言えば、慣れ親しんだプレイヤーのこのゲームでの活躍が見れなくなる「寂しさ」は感じるものの、批判する気持ちはなく、これから別のゲームで頑張ってほしいと切に願っている
しかし、引っかかったのは、彼が「APEXが私にとって沈みゆく船である」と言及したことである。
なぜ多大な時間を費やし、大きな大会で優勝するようなプロの有名選手が「沈みゆく舟」と判断するまでにこのゲームはなったのだろうか?
それについては私自身もFPSゲームの愛好家として実際プレイしている体験を踏まえて整理しようと思う。
(あくまでも自身の頭の整理のために書き、私の意見など正しい保証などない、様々な意見があっていいと思う)
APEXはFPSゲームとしてのCODやBFにはない、大きな特徴として「体力が多く一人を倒すのにたくさんの時間が必要」である。
私個人がよく楽しんでいたCODのチームデスマッチのようなルールでは、3発から4発で死ぬことが多く1マガジンで何人も倒すことができた。
BO4のバトルロワイヤルルール、BLACK OUTでも6発~9発くらいの感覚であったと思う。
何年かプレイをしているうちにうまく捌いて何人もバッタバッタ倒していくこともできるようになり、
そのスピード感に適応できている自分を感じられるのも楽しいところではあった。
しかし、APEXでは最大体力が200に対し、各銃でのダメージが10~20くらいが一般的である。
つまり、10発~20発が必要なことがほとんどで、さらにマガジンには20発~30発しか入っておらず、キルに必要な弾がギリギリなのである。
※クレーバーといった特殊な武器の例外や、LMGといったジャンルのものには例外もある。
また、体力の回復も遅く、回復中は無防備になるため、1対2、もしくは、多人数相手になるとあっという間に不利になってしまう。
その特徴に気が付いていなかったプレイ当初は「当たっているのに倒せない」感覚があり、一度離脱したこともあった。
この特徴で慣れ親しんだCODとは、また別の能力が必要とされていて
CODでは、「より早くエイムする」という能力が最重要な能力となったが、
APEXでは「相手に弾を当て続ける追いエイム」や「相手から打ち返されない位置取り」といったような別の能力を要求されていた
ある意味、APEXは先述した体力が多く、武器のマガジンも小さく、さらには、体力回復も時間かかる
よって回復などを含めながら打ち合う時間は長く、近距離戦になれば打ち合いながら敵の背後とり合うドックファイトのような戦いが起こる
CODやBFなどに比べて、バッタバッタと敵を薙ぎ倒せる感覚は少ないゲームかもしれない
しかし、この「体力が多い」という特徴は、結果的に「一人が多人数に対して無双しにくい」ゲームではある
一人の敵を多人数で攻撃することで、早く倒すことができ、また、相手からの被弾を少なくできるというメリット生まれる。
「協力することで有利になるように作られたゲーム」で、そこがこのゲームの面白さとして気が付き始めてからは復帰し楽しめるようになった。
(これを類まれなるエイム力や立ち回りによる戦術で覆す戦術のAlbralelie選手などもいるが…)
それぞれのキャラクター選択や武器の選択、地形の把握、敵の位置の予想、味方と連携する立ち回り、
状況をしっかり把握して予測しながら話し合いながら判断し、敵との瞬間的な判断の応酬を繰り広げ、優勝したときは非常に気持ちがよい。
私は「体力が多く一人を倒すのにたくさんの時間が必要」という特徴から、
「協力することで有利になるように作られたゲーム」へ体系的に構成しているAPEXというゲームは
一人のプレイングの上手さを求められるゲームではなく、協力の上手さを求めることでよく作られたゲームだと思っている。
さて、私が感じているこのゲームの面白さを長々と語ったが、そのうえでAlbralelie選手も言及している「最近のAPEX」の調整について整理しようと思う。
私がAPEXの調整に疑問を持ち始めたのは、シーズン6で起こったアーマーの調整からだ。
先述を語った理由でもあるが、このゲームは「体力が多い」ことで協力性につながっている。
しかし「全体の体力基本値を減らす」という調整をシーズン6で行ったのだ。
実際に減った体力は、全体から見れば12%くらいであったので、協力性がゼロになることはなかったが
遠距離武器が強くなったり、様々な影響があり、現在は元の状態に戻っている。
調整理由については、各記事などで「赤アーマー(最上位アイテム)が強すぎたという結果からの調整だった」とレベルデザイナーが発言している。
現在は修正されているが、この調整からAPEXの運用は難航しているのではないかという疑問を持ち始めた。
上位のアイテムの調整をするのに、下位のを含めた調整を行うのは理にかなっておらず。
ゲームのコア(と私は考えている)部分が変われば、現在楽しんでいるプレイヤーの体験が変わることを想像するのは容易い
そのほか、シーズン5から既存のキャラクターの大幅な弱体化や、武器の強化と弱体化を繰り返すというなど、
実際にリリースしてから調整を繰り返していることが目立っている。
リリースして、実際のユーザーの状況やデータを見て調整すること自体は決して間違いではないが、
結果的に、強くしたものが弱くなったり、元に戻るという調整結果に陥るということは、
ゲームデザイナーとして厳しく言うのであれば「思慮が足りない」と言わざる得ない
Albralelie選手は愛用しているキャラクターの弱体化など、様々な部分で影響を受けている
勝つことを期待されその期待に応える結果を出すことで報酬をもらっている。
そのために多くの時間を費やしてゲームの研究をしているし、その時間は趣味でゲームをしている私とはけた違いな物で、
それこそレベルデザイナーと同じレベルでゲームを研究しているであろう。
そんな彼が、この「思慮が足りない」調整の数々に対して、どう思うであろう?
日本ではストリームなどの影響もあるが、海外ではApexの任期は大分下火になってきているという記事も上がってきている。
彼が言うApexは「沈みゆく舟」というのは、こういった調整、盛り下がってきているゲームシーンつまり、ゲーム運用の結果なのではなかと思う。
昔と比べ、ゲームはアップデートを続けて新しい要素を増やし、選択が増えることで新しい体験を供給することは、ゲームを長く収益化させること
いわゆるゲーム運用はプレイヤーからも求められていることであり、企業にとっても必要不可欠なことである。
しかし、ゲームに新しい要素を加えるということは、既存の要素を見直さなければならない。
つまり、新しい戦略が生まれれば、古い戦略に勝つことも生まれる。
その一方で、それまで、そこまで強いと思われていなかった違う古い戦略が新しい戦略に勝つようになった。
そうやって、複雑な絡み合いから選択を生み出し、その選択から新しい戦略を生み出して楽しませることをプレイヤーから求められているのである。
この時、ある戦略が一強になってしまう(メタ構成と呼ばれる)のは
ユーザーに選択を与えているが、ゲームのゴールである「勝利」という目標にたいして選択を与えていないことになるし、
私自身もゲームを運用していて「アップデート」と「調整」頭を悩ませる非常に難しく困難な事は感じているが、
これはゲーム運用をするうえで乗り越えなければならない壁であり、そのためのゲームデザイナーであると認識している。
Respawn EntertainmentはTFのころから好きだった企業であり、憧れでもある。
私なんかが見ることのできない、深い視点で物事をとらえているのかも知れない。
これからもその時間が続いてくれることを、ただただ期待するばかりだ。
また盛り上がったAPEXにアルが戻ってきてほしいと願うのは
那須川天心の反応の良さとトップスピードが皇治を全く寄せ付けてなかった。
ただ、あんだけまともに膝食らって倒れない皇治も武尊戦並の耐久力を見せた。
正直どっちも普通じゃないなこれという。
内容的に言って皇治のCMがうまくいって、多分今後も那須川天心にフルラウンド耐えた男という箔がついて行くことだろう。逆に天心はKOできなかったこともあって以前から言われたとおりまるでメリットのない戦いになってしまった。性格的に煽られて引き下がる人でもないし、まあうまくのせられたなと。やっぱ売り込みのうまさって人気商売では大事。
下手。そりゃ何もやってない一般人より強いけど、打撃の技術レベルが二人とも1~2年程度の動き。非常に緩慢で、回り込んでフットワークを使うこともない。スダリオは本来十字、肩固めに移行するポジションでパウンドにこだわったが、普通の選手にはあの古いファイトスタイルでは通じない。真面目に試合のレベルが低くて、20年前の総合レベル。
ぶっちゃけ矢地選手はジークンドーではなく普通に教わったボクシングテクニックを使ったほうがいいと思う。体型が黒人選手のようなしなやかな筋肉のつき方で、武術系のカチカチした動きをするのに向いてない。部分的にジークンドー的なテクニックが見られたものの、違う意味で硬くて、こなれていない感じがした。むしろ変わった格闘技ならカポエイラとかそういうバネを生かした技が使える方にいったほうがマシになるかと。大原選手あまり試合見てないけど、DEEPトップとは言えムラっけがあってすごい強い選手でもないし、このへんで苦戦するようだと厳しいなあと。矢地さんチャンネルは面白いんだけど。
昇侍はDEEPの試合見てもそんなに上手い選手じゃない。コンビネーションもそれほどでもなく反応も悪く、足も使えてない。まあこりゃカマセでしょう。始まる前から朝倉海の勝ちが決まってた試合。
ロープ際で北岡がギロチンチョークにこだわりすぎてるせいで対応されてしまい、延々と塩試合。そもそもギロチンって体の自由を奪ってから締めるバックチョークなんかと違って、上手い人は割と簡単に外しにゆく。実際久米選手はリング際でローリングして二度ギロチンを外していた。打撃は久米のほうがうまいのは明らかだったし、結果的にポイント優勢は目に見えた試合だった。かつての盟友青木真也ならこういう不完全な技は他の保険を考えながら使うと思う。
ほんといい闘い。フロントスープレックスの豪快な投げが決まってホイホイ転がされるかと思っていた試合だったけど、蓋を開けてみると川名選手の体重移動の巧さが光って終始武田に投げを決めさせない。そればかりかリング際でちゃっかり休みながらグラップリングするというベテランぶり。対して武田は若さあふれるゴリゴリのファイトで無尽蔵のスタミナを見せつけた。破れたとは言え修斗王者すげえレベル高いと思った一戦。地味で華はないけど川名選手本当にいい選手。
自分の声が返ってきて自分の発声の仕方がどんな発声の仕方なのかわかるだろ
でも歌が上手くなっても藤原基央に歌声が近くなってもお前は藤原基央じゃない
いつだってBUMP OF CHICKENを歌うお前のままで、そのままのお前で充分なんだよ
お前がしなきゃならない努力は、じゃあバトルクライはどんな背景がある曲で、どんな小節の部分でどうやって緩急を付けて、それがどういう意味をもたらして、聞く人にどう届くか、だ。
藤原基央を目指すのに自分の気持ちいいだけを求めてるなら藤原基央になれるわけがない、藤原基央の人生を追体験した訳でも作曲する時に隣にいて作詞や作曲に苦悩するバンプのメンバーと一緒にいた訳じゃない
それでも、藤原基央にはなれない。
だから藤原基央の歌声にはなれない。なれなくても、お前は必死で歌える。好きな曲を好きなように歌える。
だから、お前はお前のままでいい。
それでいいんだよ。
あと、無理に原曲キーで歌おうとせんでもろて、キーを下げたり、敢えてキーを上げることで歌いやすくなったりもするらしいぞ。
ファイト〜
(タイトルにそれほどの意味は有りません。一応中立的に書いているつもりですが、念のため立場を明確にしておいた方が良いかと)
(この手のニュースを見聞きする度に、考えをまとめておきたいなと思いつつ放置していましたが、ようやく行動に移すことができました。)
コロワイド「お騒がせ会長」が32億円の詐欺被害に 大戸屋買収に暗雲 | デイリー新潮
コロワイド会長が癖のある人物であることについては今更どうこう言う話ではないし、M資金詐欺に引っかかったという話も、真偽のほどを判断するほどの知見は私にはないが、「本当でも不思議ではない」と、私は思ってしまう。
企業法務に詳しい高橋弘泰弁護士は、この被害による大戸屋買収への影響をこう分析する。
「経営トップが詐欺に引っかかったと公にすれば、会社のイメージにとって決してプラスにはなりませんし、株価が上がる要素も全くない。となれば、大戸屋HDの株主が、コロワイドが呼び掛けているTOBに賛同するのでは難しくなるのでは」
である。
この手の話について最初に私が考えをまとめたいと思ったのは、ライブドアによるニッポン放送買収のゴタゴタがあったころなので、随分と昔のことになる。
が、今回上記記事のコメントを見る限り、TOBに関する誤解(と私の考えていること)は、10年以上前から全く変わっていないと言わざるを得ない。
端的に言うと、大戸屋の(大株主ではない)一般株主の立場で考えると、「株価が上がる要素も全くない」ことが真実であるなら、株主は「株式を市場で売却する」か「TOBに応じる」以外の選択肢は考えにくいという事である。
言うまでもなく、TOBは「対価を出すので、株式を売ってください」と宣言する行為であり、「TOBに応じた株主は株主ではなくなる」事が前提となる。
その前提で考えると、仮に大戸屋がコロワイドの子会社となり、「とてつもない企業価値の向上が見込まれる」とするならば、これはステークホルダーの多くにとって大変喜ばしいことである。では、一般株主はTOBに応じるべきであろうか。当然ながら答えは「NO」。TOBに応じた株主は、当然「元株主」となり、その後のTOB価格を大幅に上回って上昇を続ける大戸屋の株価を、指をくわえながら見るしかないからである。
多くの株主がそう考えるのであれば、TOBは成立しないことが予想される。だからと言って、TOBに応じれば企業価値の向上を享受することはできない。ましてや一般株主の立場では、自身がTOBに応じるか否かでTOBの成否が左右されるようなものではない。自身はTOBに応じず、他の株主の応募に期待をする、あるいはTOB価格が引き上げられるのを期待するのが自然な対応となる。
では逆に、大戸屋がコロワイドの子会社となり、「とてつもない企業価値の低下が見込まれる」とするならば、これは大戸屋経営陣、コロワイド、大戸屋及びコロワイド株主等にとって極めて望ましくないことである。
説明の必要はないと思うが、株主にとってそのような状況は避けたいところである。が、TOBに応じて「元株主」となるのであれば、話は全く変わってくる。
企業価値を大幅に落とすであろう大戸屋の姿を残念だと思いながらも、懐が痛むわけではなく、というかむしろ懐は温まったという事で、ちょっとおいしいものでも食べようかという気分にでもなってしまうのではないだろうか。
株主ががっしりとスクラムを組んでTOBを阻止できれば良い、が、失敗した場合は悲惨である。ましてや一般株主の立場では、自分一人の行動がTOBの成否にさしたる影響も与えないというのであれば、とりあえずTOBに応じておいて、脱出の道を確保しておくことを、道義的立場から非難できるものではないと私は考える。
TOBの成否の本質は、「買収された会社の将来が悲惨であればあるほど、TOBには応じざるを得ない」に集約されるといっても過言ではない。
つまり、経営権を巡って「プロキシー・ファイト」をするのであれば、双方で経営のビジョンと将来性を大いに語り合って戦いを交わせばよいのであるが、一度TOBとなれば、「TOBの対価」と「買収後の将来性」を天秤に掛ける以外に、一般株主にとって判断材料となるものなどなく、「TOBの対価」を所与とすると、「買収後の将来性」が低いほど、TOBは成立しやすく、将来のビジョンなど語っている場合ではないのである。
「企業法務に詳しい弁護士」の方は、別に株主へのアドバイスを求められているわけではないので上記のようなコメントでも良いのかもしれないが、私は大変的外れなものだと思うし、株主の方にアドバイスするのなら、「そんなやヴぁそうな人がトップの会社に狙われているのなら、悪くない価格でTOBを出してくれている間に逃げたほうがいいんじゃないの」と言うべきである。
だからこそ、「企業価値の向上」がM&Aのお題目であり、産業政策的にも実際に求められる成果であるのに対して、TOBに関してはその本質が企業価値を破壊する要素を併せ持つため、産業政策としてTOBが企業価値の向上に資するための適切なルールを構築することが求めらる。
(ご参考)
ジャンクボンドの帝王。1980年代のアメリカを吹き荒れたLBOの嵐の立役者の一人。
TOBの破壊的な側面を最も忠実に具現化し、大金持ちになった人。一度大金持ちになれば、一時収監されようと屁でもない。そんなアメリカンドリームの体現者。
随分長くなってしまったので、一旦この辺で。タイトルを「コロワイド株主が考える大戸屋TOBの顛末」としていたものの、顛末までたどり着けなかったので修正。
・TOBが成立してもTOBに応じた株主全ての株式が買い取ってもらえるわけではないというルールはすごくまずいという話
・大戸屋の経営陣がホワイトナイトを連れてくるのは難しそうだという話
・仮に大戸屋がホワイトナイトを連れてくることに成功した場合、コロワイドは急転直下ホワイトナイトに株を押し付ける可能性があるという話
・今後、大戸屋の株価はTOB価格を下回って推移し、TOBが成立する可能性が高い(と私が考えている)という話
・大戸屋経営陣や、従業員有志が「TOB反対」を株主にアピールするのであれば、MBO、EBO、MEBOを目指すのが筋であるという話
・大戸屋経営陣の最後の抵抗としては、「株主優待の異常な拡充」という禁じ手が、実現可能性は別として存在するという話
・「株主優待の異常な拡充」作戦は、コロワイドが先達であるという話(但し、守りではなく攻めに活用したという話)