64のマリオってのはすごかった。新機種を担う任天堂の全力投球だった。
今日指摘したいのは、マリオの動きをジュゲムが撮影している、という構造がすごいという点だ。
すなわちゲームで描かれる世界が誰の視点のものか? という問題へのエクスキューズとしてジュゲムがある。
ジュゲムが撮影していることで、なぜ私たちはマリオを見ることができるのか? という問題を(ゲームの上ではあるが)見事に解決させている。
かつてファミコン時代、私たちはマリオを横から俯瞰して眺めていた。
マリオは左から右へ進んでいく。よく指摘されることだがこれは実は冷静に考えておかしい。
マリオはクリボーをジャンプすることでしかかわせない。横にかわせない。
プレイは勿論快適にできるが、視線の問題は現実的ではない。ゲーム的な表現で言うとリアリティがない。
3Dへのあこがれがゲームの進化とともに現実になるにつれ、よりリアルなゲームが生まれ始めた。
その一つのメルクマールとなったのがニンテンドー64だったわけだが、その旗手ともいえるゲーム、マリオ64はファミコン以来の視線の問題をクリアにした。そう、ジュゲムのおかげで。
現在多くのゲームが3Dの空間を自由に移動できるものになっている。中にはキャラクターの視線そのものでプレイできるものもあるだろう。
しかし一方で、何らの前提もなしにキャラを後方から眺めて操作するゲームがかなりあることは改めて留意すべきだろう。
そのキャラを後方から眺めていられるのはなぜなのか。誰がキャラを後方から眺めているのか。どうして私たちは後方から眺めてゲームをすることが許されるのか。
実はこうした点は、ファミコン時代の奇妙な俯瞰と問題が通底している。視線のリアリティが欠如しているのだ。勿論プレイは快適にできるのだが。
マリオ64のジュゲムってのはそういう意味で作品にリアリティをもたらしている。
この文章、前に読んだことあるなって思ったらコレだった。 任天堂失敗列伝~第四回~「マリオ64の巻」 - 枯れた知識の水平思考 http://d.hatena.ne.jp/hamatsu/20110509/1304900342 カメラの発見 ...
元増田だけど既に同じような部分に言及した人がいたのか。教えてくれてありがとう。 なんの証明もできないけど、もともと知っててパクろうとしたわけではないんだ。
もっとすごいのはアイツの名前、誰に教えられた記憶もないのにジュゲムって知ってることだ。