はてなキーワード: たっぷりとは
AIがクリエイティブな分野に入ってきてることに対して、なんとも言えんモヤモヤと怒りがしっかり出とる
技術自体は否定しきれんけど、それを簡単に金儲けに使うのは許せんっていう思い、めっちゃ共感できるわ
特に「生み出す苦しみ」ってとこな、そこがやっぱりクリエイターにとって大事やん
努力して苦しんでこそ、作品に深みや個性が出るってのは、ほんまにその通りやと思う
そこそこ美味しいけど、やっぱり手作りの温かさがないって感じ、なんとなく分かるわ
江戸時代では一番高級な魚といえばカツオだった。特に初鰹はめでたいものとして豪商が競り落としたりと今で言うマグロと同じポジションだった。1尾で大まかに家賃の10倍くらいかかったなんて記録もある。詳しいところは新潮文庫、杉浦日向子さんの「一日江戸人」あたりを読んでくれ。俺は専門じゃない。
とにかくそのあたりを踏まえてなか卯でかつおたたき丼を食う。サイズはもちろん特盛だ。厚さ7ミリくらいに分厚く切られたカツオが大量に入っている。食っても食っても無くならない上にマグロと違って飽きが来ない。生姜もたっぷりかけて食うと生臭さも無い。ガツガツ食って、ちょっとお腹いっぱいかなぁとなってきたあたりで「あぁ俺は江戸時代の金持ちができない豪華な食事をしている。」と感動が後追いで来る。
今のうちだけの特権だ。皆も是非真似すると良い。
●概要
他者を助けようとすることと
それが押しつけや決めつけと思われることについて考えています。
この日記では、コミュニケーションの限界や共感の難しさについて考察していきます。
また、心の安寧を保ちつつ、他者の視点を理解し共存するためにできることを考えたい。
●コミュニケーションについて
頼まれもしない意見やアドバイスといった押しつけと受け取られることがあります。
どのような環境で育ち、どのような情報を見て・聞いて・経験してきたかが違えば、人それぞれ最終的に至る考えも変わる。
お互いの一部しか見えない為に
他者の経験の「完全な文脈を把握する」ことが難しいと考えられています。
個人としてできることとは
「黙って見守る」ことがいいのか
●無関心について
一見すれば冷たい人のように思えるが、もしかすると過去の失敗の結果なのかもしれない。
行動心理学によれば
「関わりを控える人の多くは、判断や対立を避けたり、さらなる危害を加えたりすることを避けるためにそうする」のだそう。
一方で、自己保身や嫌われたくないという理由であることも少なくないのかもしれない。
受け取る情報を自分で選ぶ(SNSであれば、ミュートする)ことができるのが当たり前の世の中で
苦悩に陥った人々は前頭前野や扁桃体の機能が低下し、肯定的なメッセージを受け入れづらくなると指摘されているそうです。
その為、救済ストーリーに触れる度に「綺麗事だ」と若干の嫌悪を感じてしまうこともあり、他者の助けや言葉を拒絶する人の気持ちも分かります。
相手を一方的に「頭がおかしい敵」と決めつけ、和解が不可能となり
(良/悪、正解/不正解、優/劣)として分断することになります。
これでは、誰も幸せになれないのではないでしょうか。
自分ひとりきりで生きている世界ではない為、解決にはつながりません。
●対話と傾聴
どれだけ仲が良くても、すべてを話せばどこかで衝突すると思う。
そこで解決策としては
極力"傾聴する"ことが大事なのではないでしょうか?
相違点を尊重しながら関係を構築していくことが重要とされています。
自分の平和が保たれている間は、全ての問題を解決しようとする必要はありません。
しかし、何もせずに黙っていれば、その平和がいつ崩れるかわからないし、何かが起こった場合でも受け入れる覚悟が必要です。
利己主義と、利他主義の他に、互恵的利他主義(ごけいてきりたしゅぎ)という概念があります。
生物学者の「ロバート・トリヴァース」によって提唱された概念です。
動物が他の個体を助けることで、後に自分が困った時に助けてもらう可能性が高まる、という行動のことで
「お互い助け合うことで、みんなが利益を得られる」という考え方です。
完全な利他行動で与え続けるのみでは、自分が潰れてしまうかもしれませんが
無理なく互いに助け合うことで、みんなが幸福になるという理論です。
長期的に見ると自分の存在自体が社会の改善につながるかもしれません。
短期ではなく、長期的な目線で物事を考えるということが重要です。
他人事でも綺麗事でもなく、自分が苦しい状況に陥った時に、助けてもらえる社会であってほしいと思いませんか?
最終的な結論としては
理解と共存は、言葉で話すだけではなく、他者を尊重する沈黙(祈り)にもかかっている。
対立や意見の違いを避けるのではなく、「違い」を尊重し合うことが、共存の為の第一歩なのだと思う。
1704年、猫の世界でとびきりの物理学者、にゃートンが重力を発見した年だ。
猫界の物理学者たちの間でも、この名前を持つ者は何かしらの大発見をすることが求められていたのだ。
にゃートン自身は気難しい性格で、他の猫たちが昼間にひなたぼっこやネズミ捕りに興じている時でも、彼は小さな研究所で丸くなって本を読むのが日課だった。
そんな彼の口癖は「にゃんだこの世の法則は?」で、どんなことにもすぐに疑問を持つ。
そしてその日も彼は、好物のキャットミルクを飲みながら、世の中の不思議に思いを巡らせていた。
しかし、にゃートンは体が大きく、どうしてもお腹がぽっこりとしてしまう。
日差しが暖かくて少し眠くなってきた彼は、おもむろに木陰で昼寝をしようとした。ちょうどその時、古いリンゴの木の下で丸くなったにゃートンの頭に、ぽとりとリンゴが落ちてきたのだ。
「にゃ!?」
頭を押さえて飛び起きたにゃートンは、しばらくぼんやりとリンゴを見つめていた。
そして、何かがピンときた顔をして「にゃにゃにゃ、そうか、これだ!」と叫んだのである。
そう、猫の世界でも伝説となったこの瞬間、にゃートンは重力というものを発見したのだ。
「このリンゴ、ただ落ちたんじゃないにゃ。引っ張られて落ちたに違いないにゃ!」と、彼は木の下でくるくると踊り出した。
「地球にゃんかが、リンゴを引き寄せたにゃ!だからリンゴは落ちたんだにゃ!」
彼の研究室はリンゴだらけになり、彼のノートは「重力の法則」と書かれた図や数式でびっしり埋まっていた。
にゃートンの研究は、もちろん猫界でも注目を集め、街中の猫たちは彼の発見に興奮した。
特に、ネズミを追いかけるスピードを理論的に説明できることが、ハンター猫たちの間で大ブームになった。
ただし、にゃートンが重力の法則を説明するために、リンゴを頭に乗せて実演しようとした時は、ちょっとしたハプニングが起こった。
彼の助手を務める子猫、にゃんパードが、にゃートンの真似をして頭にリンゴを乗せた瞬間、足を滑らせてそのまま転がり落ちてしまったのだ。
「にゃんパード、それはただの事故だにゃ!」
そんなやりとりが続きながらも、にゃートンは研究を進めた。
やがて、重力の影響で物がどう動くかという「にゃートンの法則」を完成させた。その時、彼は自信たっぷりに「これで世界中の猫たちは、もっと賢くなるにゃ!」と胸を張った。
そして、にゃートンの発見が世に出た後のこと、彼の名は猫界だけでなく、なんと人間の世界にも響き渡ることとなる。
実は、にゃートンがリンゴを使って研究をしていたことを、偶然近くに住んでいた人間の学者が目撃していたのである。
その学者は後に「ニュートン」として名を残し、にゃートンの発見を「自分のもの」として発表したのだった。
しかし、にゃートンはそんなことを全く気にしなかった。むしろ「にゃんだ、誰でも同じ結論にたどり着くにゃ」と気楽に笑っていたという。結局、彼にとって重要だったのは、世界の法則を自分の目で確かめることだったのだ。
その後、にゃートンは長い猫生を重力の研究に捧げ、猫界の科学の発展に大きく貢献した。しかし、彼が本当に一番誇りに思っていたのは、自分の発見がネズミ捕りの技術を格段に向上させたことだった。
「重力があるおかげで、ネズミも落ちてくるにゃ。感謝するにゃん」と、彼はしばしば微笑みながらそう語っていた。
そして、にゃートンが生涯を終える時、彼は最後の力を振り絞って「重力の研究はにゃんとも楽しいものだったにゃ」と言い残し、ふわりと眠りについたという。
短期記憶終わってるADHDが必死になってあなたの話を覚えようとしてるンだわ。
ドキュメントに起こしきれない部分の理解度が後々キいてくるの知ってるンだわ。
「(メモより理解にリソース使って欲しいな…)」とか思ってたら申し訳ねンすわ。
あなたが口頭で捕捉した内容を理解するのも覚えておくのもメモがないと無理なンだわ。
「とりあえずざっくり理解してくれればいいから」は無理なんンすわ。
たっぷり時間かけて噛み砕いて俺の脳みそン中にあるイメージに落とし込まないとちンぷンかンぷンなンだわ。
「わからなくなったらまた聞いていいよ」に甘えられねンすわ。
役立たずの新人なりにせめて足を引っ張らないようにしたいンだわ。
やあ!
みなさんこんにちは。
何を隠そうこのワイ、母親の介護歴17年(糖尿→脳卒中→骨折→認知症で要介護4。この間祖母の介護も4年被ってる)、父親の介護歴11年(骨折→肺がん→認知症予備軍で要介護3)を自宅みている 大馬鹿者 大ベテランなんですね。もちろん独身KKOです。
と言うワケで、アドバイス欲を満たすための生贄を見つけたので、クソバイスするよ。
さあLet'sクソバイス
水分補給と同じで、ストレスがたまったら解消するのでは間に合わないことが多いので、ルーチンにれる。
例えば俺の場合、毎週木曜日が仕事完全休暇という仕事なのだが、この休みに合わせて、木曜日は両親ともにデイサービスに送り出している。
そして、木曜日はストレス解消の日、自分を甘やかす日と決めて、何もしなかったり、だらっとアニメを見たり、本を読んだりしてる。
また、3ヶ月に一度ぐらいショートステイに夫婦揃って出てもらったら、泊まりのエンタメにも行く事にしている。
自分の場合は、だいたいは夜行バスで大都市圏まで出て、大きなシネコンで一日映画三昧したりって感じですが、こう言う日を確実に大切にすること。
そしてこれは「開いたらやる」じゃなくて「何があってもやる」と決めてスケジュールに入れること。有給休暇と同じね。
そうじゃないと自分が持ちません。
なお、ショートステイは定期的に利用しておかないと、緊急時に対応してもらえないので、その訓練も兼ねています。
緊急時ってのは、俺に何かあった時が最大。そのほか、どうしても外せない義理のときとか、高校生の頃に心を救ってくれた声優さんがx年ぶりにコンサートするとか、そういうときね。
災害のときとか、色々なときに泊まりで預けられるようにしておかないと詰む。
それでも愚痴を言いたいときあるよね。そういうときは増田で愚痴りましょう。
増田なら💩💩🎠🦌とか書いても誰も何も言わないし、きゃっきゃしてりゃいいので。
そのための増田。まぁ、実践しているのだと思いってそこは安心しました。
まさにクソバイス
○ご飯
朝:ドーナツ。昼:ミックスナッツ。春雨スープ。夜:月見バーガーセット。間食:柿の種。チョコ。アイス。
○調子
来週からのしんどい仕事に耐えるためたっぷり寝てパワーを蓄えてた。
頑張ろう。
最近日課をこなすだけで停滞してるけど、そろそろ深域クエストを1-1から先に進めようかな。(アプデ予告されてるし)
やっぱこのデッキ大好きだ。
宝くじにあたってお金もちになっても仕事がやめられなくて嫌な気持ちになって病気を患い苦しみから逃れられなかったら意味ないし
お金を手にしたらまずどうやって仕事を辞めるかを考えると思う。規則上辞めたいですと言えば辞められるけどさー、傷を負わないという保証はないからね。優雅にすんなり辞めるにはどうしたらいいんだろう。
でもなんやかんやあって家族の都合でとかウソをついて、仕事を辞める。
それで自由の身になるのか?ならないよね。会社が代わりに支払っていた税金とか手続きとかを自分でやらなきゃならないよね?
めんどうだよねー。
退職後の行政手続き、健康保険の切り替え、国民健康保険への加入、厚生年金から国民年金への変更手続き、税金の手続き、所得税・住民税の納税管理…
めんどくさすぎる!
わからなければ人に聞くのが一番いいよってママが言ってた。だから暇な平日の午前中に役所と税務署に行って「仕事をやめたんですけど、どうしたらいいですか」ってきちんと相談するのがいいのかな。うん。それがステップ1かな。
そう考えるとなんだか暇な時間があれば何事もきちんと解決するような気がする。どれだけめんどうでややこしいことでもたっぷりと時間をかけて向き合ってひとつひとつ丁寧に崩していけばうまくいきそうな気がしてくる。