はてなキーワード: 資質とは
ご無沙汰しております。昨年、「憲法第二条改正論」というエントリーを書いた増田です。
今日は憲法記念日なので、憲法第二条改正論について、あらためて書いておきたいと思います。
まずは、昨年と同様、日本国憲法第二条の引用から始めましょう。
昨年のエントリーで指摘しておいたように、皇位を世襲のものとすることには、二つの点で問題があります。一つは、皇嗣として生まれてきた者や、彼の配偶者にさせられた女性に対して人権侵害を引き起こすということ、そしてもう一つは、天皇にふさわしい資質を持たない者が天皇になる危険性を孕んでいるということです。
昨年のエントリーでは、皇嗣の配偶者に対する人権侵害については少ししか触れませんでしたので、今日は、その点について、もう少し踏み込んで論じておこうと思います。
まず、もしもあなたが、天皇制に関心があるにもかかわらず、Ben Hillsさんが書いたPrincess Masako Prisoner of the Chrysanthemum Throne: The Tragic True Story of Japan's Crown Princessという本をまだお読みではないならば、ご一読を強くお奨めします。藤田真利子さんが訳した『プリンセス・マサコ:菊の玉座の囚われ人』という日本語版も、第三書館から出版されています。
藤田さんも「訳者あとがき」の中で述べているように、Ben Hillsさんのこの本は、さまざまな読み方ができると思います。しかし、どんな読み方をしたとしても、この本を読んだ者は、原書のサブタイトルで謳われているとおり、the tragic true story(悲劇的な真実の物語)をそこに見出すでしょう。多くの国民は、小和田雅子さんという一人の女性を襲った悲劇について、あまりにも無関心すぎると私は思っています。
雅子さんを襲った悲劇は、皇位の世襲制と無関係ではありません。もしも皇位が世襲のものではなかったならば、雅子さんも、これほどの苦痛を味わうことはなかったでしょう。雅子さんを襲った悲劇について単純に語ることはできませんが、強いて論点を一つに絞れば、それは、人格を否定されて「産む機械」たることを期待されたという点に集約されるでしょう。
雅子さんが愛子さんを出産した3年後の2004年(この時点では悠仁さんはまだ誕生していない)に、雅子さんの配偶者が記者会見で語った言葉を覚えておられる方も多いでしょう。
誕生日の会見の折にもお話しましたが,雅子にはこの10年,自分を一生懸命,皇室の環境に適応させようと思いつつ努力してきましたが,私が見るところ,そのことで疲れ切ってしまっているように見えます。それまでの雅子のキャリアや,そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です。
徳仁さんは、「人格を否定するような動き」が具体的に何を意味しているのかを明らかにしていませんが、おそらく、「やはりもう一人ほしい」という湯浅利夫宮内庁長官(当時)の発言が念頭にあったものと思われます。
おそらく皆さんは、2007年に、「女性は産む機械」だと柳澤伯夫厚生労働大臣(当時)が発言して、激しいバッシングが起きた事件を覚えておられることでしょう。湯浅さんの発言も、柳澤さんの発言と軌を一にしているにもかかわらず、バッシングが起きなかったのはどうしてでしょうか。国民の多くも、雅子さんを「産む機械」としか見ていないからではないでしょうか。私たち国民は、もう少し、雅子さんに対する加害者意識を持ったほうがいいのではないでしょうか。
「やはりもう一人ほしい」と湯浅さんが発言した背景にあるのは、皇位の世襲制です。現行の天皇制を維持するためには、皇族に嫁いだ女性の誰かが男子を出産するということが不可欠です。したがって、湯浅さんという個人を非難することはできません。非難しなければならないのは、憲法第二条です。そして、その条項を放置している私たち国民です。
(皇室典範第一条を改正して女性天皇と女系天皇を認めれば、皇嗣の配偶者に対するプレッシャーを緩和することができる、という反論も予想されますが、それは根本的な解決ではないと申し上げておきましょう)
今日のエントリーでは、天皇ではなく、皇嗣の配偶者の人権について述べたわけですが、天皇が日本国の象徴であるならば、彼の家族たちも、日本国の象徴に近い地位にあると考えていいでしょう。したがって、日本という国家は、人権侵害の被害者によって象徴されているということになります(なんだか、むしろそのほうが正しいような気がしないでもありませんが)。
憲法第二条が現行のままだとすると、雅子さんを襲った悲劇は、悠仁さんの配偶者となるであろう女性にも襲いかかるでしょうし、さらに未来の男性皇族たちの配偶者についても同様でしょう。
マニュアル接客は、低コストで一定のサービス品質を担保するための仕組み。
安い給料でワン・トゥ・ワンのサービスを本気でやれる人なんて存在しないと思うよ。
それをもって日本的なおもてなしとか美徳としているなら勘違いだと思う。
高い金を払って、高コスト・高品質なサービスを受けたらわかるのでは。
国際線のビジネスクラスとか、五つ星ホテルとかだとそれこそきめ細かいサービスで、全然違うと思うよ。
自分は北米在住経験があるけど、日本以外だとマニュアル接客すらできない、自己流の店員が多くてマネージャーが苦労するって聞くよ。
これはファーストフードとかのケースだけどね。
自己流のサービスが顧客から高く評価されるかどうかは、本人の資質、モチベーション(多くの場合給与レベル)に大きく左右されるから、
クオリティコントロールが難しい。ただ、北米ではチップの文化があるから、それがモチベーションとサービス向上につながってる面はある。
海外からみると、日本はどこにいってもチップすらないのに、高いサービス品質を出せるほうがすごいって言われることのほうがほとんど。
イクメンっていう言葉の響きは気持ち悪いなと思うんだけどさ、良い父親であるかどうかってのは資質の問題であって善悪で断じても仕方ないだろうという気がしている。
俺には小学生の子供達がいる。発達障害があるんで2歳から療育に取り組んでいる。
遠い病院や療育施設に通ったり、自宅で自分で療育したりとかいろいろしてきた。
ただ、料理はほとんどしないので、所謂イクメンと言っていいのかわからないけれど、家庭を蔑ろにするタイプではない。休日は子供達の用事でほとんど埋まってしまう。
このことは大変ではある。ただ、嫌なのかと言われるとそんなことはない。何故なら子供達が好きなので。
独身時代の自分を知る人には変わったと言われる。自分としては実は変わっていない。
独身時代は趣味が一番大事なものだった。だから没頭した。他はどうでも良かった。
今は子育てが一番大事で他はどうでも良い。自分の中で大事なものが変わっただけで自分自身は何も変わっていない。
子供たちを大事にする一方で親や妻への配慮は足りないんだろうと思う。大事なものはいつもひとつだけで他に配慮が足りないのは変わっていない。
別に責任感とかそういうので子育てをしているわけではない。子供達が好きなだけ。好きになるのは努力ではなくて、自然とそうなっただけ。好きなものには自然と力が入るもんだ。
だから世の中の奥さんの夫に対する溢れる怨念を聞いてもその夫が悪いとは思えない。
自分だって自然に子供を好きになれなかったら独身時代と同様に趣味にかまけていたのかもしれない。
良い父親になれた人はラッキーなだけで偉いわけではないんだよな。
全部バランス取れている嫌われる勇気な人が理想なんだろうけど、なかなかそう上手くはいかんよね。
父親に責任感の下での理想的なあり方を求めるよりも、子供を好きになってもらうためのメソッドを考えた方がいいと思うの。
どうしたら良いかはお前ら考えろや。
知り合ってすぐに海外青年協力隊に参加して海外からメールくれた18歳男子は大人っぽかったなぁ。(普通に友達です。)
そこらの子供っぽいおじさんより、しっかりしてた。
若いうちに考えることが多いと人の成長って凄いんだなと思った。家庭も複雑だったけど夢があってキラキラしてたわ。
若いっていいな、というより、ここまでしっかりせざるを得ない環境の圧に負けずに育つ人間て、資質なのかな。
私も頑張ろ。
雌雄を決するのは雌が劣ってるって意味だからNGだし、奥さんも家内も亭主も主人もNGらしい。なるほど。
昨今世間では男女差別に厳しい。そんな中で、『母』という言葉が不用意に濫用されている。例えば『母性』は子供を包み込むような資質で、『父性』は忍耐や規範や責任を教えるような資質を指すらしいんだけど今どき『女らしい』『男らしい』って表現が男女差別だと叫ばれるのだから母性や父性も明らかに男女差別に当たるのでは!
と本気で思ったわけでは一切ないのだけれど、日本語ってけっこう『母』って熟語が多いからどんどん『親』に変えてみようと思ったわけですね。
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・母性本能 → 親性本能 父性と母性が一緒になったようで分かりにくいね。母性は親性にするとして、父性をどうするかという課題が残る。社会性でいいんじゃないですかね(適当)。
・母校、母港 → 親校、親港
母港が母なのは、女性名詞のあるヨーロッパ系言語で船が女性名詞だからだという。航空母艦とか。男は女たる船に乗っちゃうぜってことだし、女は港で待ってろってことでしょ。ほらほら職業差別じゃん。航空母艦(空母)も空親にしなければなりませんね。
これは異論なく親集団に変えてもいいのでは?なんで母なんだろう。父集団はないのにね。これも女性名詞のせいなのだろうか。ちょっと調べてみたら英語だとPopulationまたはParent Setって言うらしいからまさに親集団だった。やったぜ。
・母数 → 親数
ほぼ母集団と同じ。母集団の総数が母数らしいので、親集団になったらその総数は親数ということになるでしょう。
・分母 → 分親
数学からの参戦多いな。まぁ、多分これも母数に対する子の数って感じで分母分子って言ってるんでしょう。真面目に考えると母に対する子の数ってだいたい一対多になるわけだから不適切だよね。分親にしても二対多だけどね。いやもっと母親が複数いるような複雑な家庭なのかもしれない。一夫一妻制が始まったのなんて歴史を振り返れば最近の話だしね。とりあえず分親って文字にすると『親分の分親』とか言って回文作って遊ぶ世界線が見える見える。
・母音(母韻) → 親音(親韻)
数学に負けていられないと国語からの参戦。分母分子の関係と同様に母音子音の関係なのだから親音でいいじゃんと思ったんだけど頑張って調べたら明治初期は『母音⇔子音』ではなく『母音⇔父音』と言われることもあったらしいので『親音』にしてしまうのは少し憚られたけどほら今明治じゃないから。平成も終わろうとしてるから。
・母体 → 親体
母親の体、という意味で使う母体はそのまま母体でいいと思うんですけど、『あの市民団体の母体はもともと極右企業だった』みたいな使い方の時は親でいいのでは?まぁ分かるよ。子どもが産まれてくるのって母からだもんね。いやでもほら父だって精子提供してるからこれも親体でいいと思うんですけど(提案)。
・母屋 → 親屋
母屋というのは、離れとかある屋敷のメイン部分を指すので、これは女性差別というよりは男性差別と言えなくもないかもしれない。いや、主に家にいるのが女性だから母屋になった、と考えるとこれは家内や奥様と同じ理由で女性差別だからやはりここは親屋にするべきそうすべき。
・母国 → 親国
母国語とかもそうだけどなんで自国は母なんだろう。これも生まれ育った生家を母屋っていうのと同じように、生まれ育った国を母国って言うのであれば、女は自国から出られないって意味で女性差別だからやはりここも親国ということになるでしょうそうでしょう。
・母指球 → 親指球
手足の親指がくっついてる付け根のところのことです。自転車乗る時にペダルを踏み込む位置は母指球がいいらしいよ。普通に考えて親指は『親』指って言うのにその付け根が母指球って言うのおかしいからぜひとも親指球に変えるべき。いよいよ難癖みたいになってきましたNe☆
・雲母 → 雲親
雲母って言うのは鉱石のことで『うんも』って読むんだけど、中国では『雲の湧き出るところにある鉱石』と言われてるから雲を産む母という感じで雲母になったらしい。じゃぁ『母体』のときと同じ理由で雲親でオッケーということで。ちなみに日本だと『割るとキラキラ光る』って理由で『きらら』と呼ばれていたので『雲母』は『きらら』って読むしGoogle日本語入力だとちゃんと変換もできる。ほら雲母。言葉って適当なんだなって思えてきてこの雲親ってのもありな感じしてくるよね。よね。
■例外
乳母は調べてみたら、母の代わりに乳をあげる人が原義らしいので父の乳は出ないので乳母は乳母で良いということになります。
・母刀自 → 母刀自
『おもとじ』って読んで母を敬って言うことばだからそのままなんだけど誰も知らないよね。
・水母 → 水母
一生懸命調べたけど、なんでクラゲを水母って書くか分からなかったのでそっとしておきましょう。水上機母艦の略で水母って言う場合は水親にしましょう。
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というわけで母という言葉がいかに差別用語として使われているかをご理解いただいたかどうかはさておいて、なんだかよくわからないけど母って言葉は多くの言葉に使われているんだなぁと思って感心しました。熟語じゃないけど母なる海とか母なる大地とかもですね。
他にもあったらぜひとも親に変えていただければと思います。
兄が通ってた精神科の先生に「ご家族や親類に他に自殺者はいませんでしたか」って聞かれて、あ、そこ関係あるの?って謎だったの。医学的には関連が大きいとされてても、いやいや独居してたらもう個人の資質っしょ!自分も兄弟にあたるけど関係ないってことを証明したかった、てのはありました。最初だけ。生きるモードが軌道に乗ってからは何も考えてないよ
上野御徒町に、吉池という店がある。一階は魚屋、地下1はスーパー(とパン屋)、地下2は酒屋と荒物屋である。
我が陋屋からは電車で一本、月に一度ぐらい気の利いた魚が食いたくなった時に買い出しに行く。無論上野である、しばしばインバウンド共が己と活ガニを自撮りしようとして河岸声の親爺に止められている風景を見るのはご愛嬌だ。しかしそれよりよく見るのが近隣住民の年寄り衆(婆さんというほどしょぼくれてはいないが、マダムと呼ぶには雑気ない)。イメージよりは地元民という奴がこの辺には多く隠れている。
さてこの店、数年前に本店を改築し、さらに昨年ごろにレジを入れ替えた。当節はやりのセミセルフ式(レジ入力を店員がやり、支払だけ専用機でやるタイプ。客が時間をかけるのは支払いで、これを複線化するので全体の時短につながる)である。
これが入って最初の買い物の時はちょっとしたカオスだった。レジ=金を払う場所、という固定概念は強固なものなのである。年寄り衆(連中は説明にまた時間がかかる)を筆頭に時短につながるはずの新システムは、行列生産機と化していた。まー年寄りだから仕方あるまい、と思ってこちらも位の列に並んで会計を済ます。
その次の月である。年寄り衆はどうなったか。何のことはない見事に適応していたのである。あまつさえ、うち結構な数は現金ではなくスイカやらパスモやら、何らかの非現金決済を活用しているではないか。ついついレジで財布を取り出してしまうこちらとは利用頻度が違うのである。
さて、ここまで来て
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180418-00000058-sasahi-life
話はここへ帰結する。
バカか。
よほどこのアフロBBAの方が老人を侮っている。適応できるかどうかはひとえに個人の資質にほかならぬ。年寄りの全員が全員機械も使えぬ阿呆だと断じる根拠は何だ。無論、当方もn=1の話をしている。だがBBAが賢しらに書き立てる「お年寄り」はほとんど観念上のものだ。更に言えば、全員が全員そうだという話ではない。
反テクノロジーを謳って暮らしていくのは結構。勝手にしろ。しかしそれを正当化するのに勝手に「弱者様」を設定して無遠慮に世間を殴りつけることが正当な行いだろうか(反語、為念)。現実も見ていないような馬鹿が記者面を晒すな。
最初に断っとくが、「だから財務省(=行政)もマスコミも喧嘩両成敗」という、更にくだらない詭弁をしたいのではない。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180419-00000081-sph-soci
この意見を主張する人は財務省やテレビ朝日と本質的にはおんなじ、しかも始末の悪いことに無自覚な性差別的な連中であるとしか思えん。
なぜそこで「例えば取材対象との間にセクハラ防止ガイドラインを設定する、あるいは『女性記者であるから』ではなく本人の資質から判断し取材させるよう、
マスコミ業界全体で取り組むようにしろ」ぐらいのことが言えないのか。
結局のところ、「女性は『オンナ』売ってナンボでしょ」という、ゲスい考えが根本にあるから「存在できなくなる」等と言う詭弁が出るんじゃねえのか。
その他大多数がこの古市氏の発言に賛同してたからひとまず納得はしてたが、Twitterでも同じようなこと言ってるのがいて、しかもそれが1000以上RTやいいねされて戦慄したので書いたわ。
まあ、以下の意見からすれば今後廃れる手法ではあるんだろうがな。
https://twitter.com/grossherzigkeit/status/986771547804200961
自爆営業が出来るほど忠実な犬コロに効率的な作戦考えてやれば最高じゃん?
そして作戦を考えるのは経営者の仕事でサラリーマンの資質とは関係ない
いや、言いたい事はわかるよ。「サラリーマン自身がもっといい作戦を考えろよ」っていいたいんでしょ
ところが兵卒に自主的な判断をさせると往々にして戦線が崩壊するんだよ。生死がかかってるとどうしても自分の生存が最優先になって大局的な判断なんて出来ないもん。
だから提督の話はしてないし、旧日本軍が最強の軍隊だったとかいう話は一切してないからね
ケアマネ選びの参考にしてほしい。
(※追記…今回は所謂「居宅ケアマネ」のみ。施設ケアマネや小規模多機能型ケアマネは除く。)
まず前提としてケアマネになるのはそれほど難しくない。
実務(介護職だったり相談援助業務だったり)経験を積み→筆記試験合格→研修受講→ケアマネになれる。
試験もここ数年は合格率が下がっているが、言うほど難しくない。
ケアマネという仕事に限らずだが、重要なのは、ケアマネになってからだ。
それでは以下、参考に。
追記…信頼できる口コミや紹介があればそれはそれで良いと思う。でもそういうツテがない人や、紹介されても自分とは合わなかったけど今更断れないってことのないようにやはり情報として知っててほしい。
因みにケアマネがいるところは「居宅介護支援事業所」という。(デイサービスや施設系もこのシステムでチェック出来る)
この公表システム…介護保険サービス事業所は毎年必ず入力しなければいけない。
にも関わらず、一般の人々にあまり認知されておらず活用されていない気がする。
慣れていないと少し使い辛いかもしれないが、その事業所にいるケアマネの人数や経験年数、受け持ち件数や前年度の退職者数なんかもわかる。
この時の主なチェックポイントとしては、
・ケアマネの入れ替わりが激しくないか(退職者数が多くないか)
退職者が多い事業所は言うまでもなく、何かしら問題がある。そういう意味では求人をチェックしてみてもいいかもしれない。
「同一法人のサービス事業所は何か」とも重なるが、法人(会社)によっては利用者に不必要なサービスを入れられる場合がある。それが嫌で辞めてくケアマネも少なくない。
(同一法人のサービスだと連携が取りやすいといったメリットもあるにはある)
(特定事業所「集中減算」というものもあり、これを取っている事業所は止めたほうがいいと思うが、公表システムでは分からない)
ケアマネの人数が多くいたり、経験年数が5年以上の主任ケアマネと呼ばれる人がいたり、24時間連絡が取れる体制を整えていたり…と、いくつかの要件を満たしているはずだ。
(でも正直、主任ケアマネだから出来るケアマネとは限らない。経験年数があれば簡単な研修を受けるだけで主任ケアマネになれる。そして今回の制度改正で居宅介護支援事業所の管理者には主任ケアマネしかなれなくなった)
※追記…加算を取っていなくてもフットワークが軽くいつでも対応してくれるケアマネも居る。利用者や家族にとっては良いケアマネだが、本当にお疲れ様です。
もし医療ニーズが高いなら看護師資格を持っているケアマネを…(福祉系出身のケアマネが医療知識に乏しいことも課題になっている)
障害サービスや生活保護など介護保険以外の福祉制度に詳しい人をと思えば社会福祉士を…
ケアマネは介護職経験が全くない人でも取れる資格なので、介護の実技的アドバイスが欲しければ介護福祉士を…。
もちろん資格を持っているからといって、その方面で優秀とは限らないので、目安程度に。
ただ注意点として、公表システムはあくまでも年一回の入力義務なので、
新規開設事業所がまだ載ってなかったり、既に廃止した事業所が載っていたり、情報が一年前から変わっているおそれもある。
※追記…このシステムの情報をもとに実地指導や監査をしている自治体もあるので、虚偽の報告はしていないはず。もし掲載情報と異なる場合には、直接聞いてみて、納得いく回答でなければその事業所はやめといたほうがいい。
各自治体には『地域包括支援センター』というのがある。
そこでこんなケアマネを探してるけど居ないか、と聞いてみるのもいいかもしれないが、
包括にも地域差があるので、①の方法と組み合わせて、包括に紹介された事業所を自分で調べてみるといい。
※追記…基本的に包括はその地域の情報収集に長けているはず。行政直営型と委託型があるので、委託型だともしかしたら系列法人のサービスを…となるのかもしれない。あってはならないことだが。包括が紹介する事業所は良くも悪くも包括との繋がりを大切にしているとも考えられるので参考程度に聞いてみる価値はある。逆に包括に嫌われているケアマネは例え人柄が良くてもやめといたほうがいいと思う。
①でも書いたが、主任ケアマネかどうかとか、経験年数とかよりも、自分と合うか否かは重要。
正直、自分と合う合わないとか言わせないのが専門職だと思うが…それでも「この人はなんか苦手」っていうのがあると思う。
・他のサービス事業所(デイサービスやヘルパーさん達)、病院などと連携がきちんと出来ているか
個人的には、ケアプランを蔑ろにするケアマネは『無し』だと思う。
※追記…ケアマネの選び方について検索すると②や③についての記事はそこそこある。でも①の活用について記載のある記事を私はまだ読んだことがないので書いてみた。③にいく前に①や②を参考にしてほしい。
※追記…「選べるほど近くにケアマネがいない」という地域も確かにある。そういう時こそ①の公表システムを活用してほしい。ケアマネのサービス提供エリアが載っている。勿論、家に近いほうが何かと便利だが、そこを優先して苦手なケアマネと我慢して付き合うというのは本末転倒だと思う。(それでも近くにケアマネ居ない人は本当にごめんなさい。包括に相談してみて)
因みに提供エリアにも関わらず、遠いからという理由でケアマネは断ることができない。「利用者受け持ち件数が35件を超える」等の妥当な理由があれば別だが。
また、事業所によっては交通費を支払えば担当になってくれるので、お金を払ってでも担当してほしいケアマネがいれば聞いてみては。勿論、その地域に強いというケアマネも居る。でも本当に出来るケアマネは自分で地域開拓していく人だと思う。
本当はもっと書きたいことがいっぱいあるけど、ここでやめとく。
「ケアマネに色々要求するなら介護報酬上げて」と言うケアマネも、まずは自分のスキルがそれに値してるか考えてほしい。
介護保険って公費なんだよ…不必要なサービスを入れるレベルの低いケアマネほど介護報酬のこと言う気がする。
疑問を感じたら、ケアマネか管理者に聞いてみて、納得のいく対応でなければケアマネを変えてみては。
ただ、何人も変えて、それでも納得いかないのならば、ケアマネだけが問題ではないのかも。
因みに、ケアマネが煩わしくなったら、
『マイケアプラン』や『セルフケアプラン』といって自分でケアプランを作って介護保険サービスを使うことも出来る。
以上の内容は個人的考え及び経験が大きく影響しているので、重ねてになるがあくまでも参考程度に。
追記…色々書いたけど、ケアマネへの介護報酬は全額介護保険から出る。自己負担は今のところ無い。自治体や要介護度、加算で異なるが、1人の利用者で月3500円〜10000円くらいがケアマネに入る。これが多いか少ないかは人それぞれだろうが、現在の介護給付費が増大しているのは高齢者が増えているだけではなく、ケアプランを作る「ケアマネの資質」と「そのケアマネを選んだ利用者や家族」にも少なからず原因がある、ということも頭の片隅に入れといてほしい。
勿論、介護サービスを使わないと、どれだけケアマネが動いても1円も入らない月もある。本当にお疲れ様です。
知識や経験が無くてもアナタにとっては良いケアマネなのかもしれないし、その逆もあるだろう。介護は辛いだけじゃないはず。本当はおこがましいのは重々承知で私の知識と経験をフル活用して、1人ひとりの相談援助したい。拙い長文読んでくれた人、ありがとう。
素敵なケアマネに巡り合って、ハッピー介護ライフを送ってほしいと心から願っている。コメントにも為になること書いてくれてる人いるから読んでね。
特定されるから言えないけど、ネットで知り合った友人が、軽い障害もってて、
就職先は立派な処ばっかりだったんだけど、すぐ休んじゃって、
職場の愚痴と、体調の不良と、家庭の事まで愚痴られてしまってて、
しかも、彼女の障害である機能しにくいような、苦手な雑用をさせられていたようで、
休みもたっぷりあるし、普通だったらすんなり入れるような会社でもないのに、
うちの会社に入ってた人は彼女より若くて、彼女と同じジャンルの障害だけど周囲にも見えるように配慮してそのうえで
しっかりお仕事もする凄いいい子だったんで、
うちの会社に来てる子は、ちゃんとやってるよ、と行ってしまいそうでした。流石に言えなかったけど。
今 働けなくても、いずれ働けるんだったら全然いいんだよ
本人の資質もあるだろうが、楽な部署で退屈な仕事を続けると能力スキルが追いつかなくなる
結果、働けない人はずっと働けない枠の席に座り続けるんだよ
一方で長く客先で仕事してる技術屋の中高年がここへ来てどんどん降格されてる
1人や2人じゃない
客先で不祥事を起こしたとかそんな話全くないのに、よく分からない評価基準でけっこうな降格者が出てる
顔触れ見ると積極的に現場営業するような人はいない、そんで年齢的にもう転職とかかなり厳しい人たち
文句も言わない、出て行くことも出来ないと踏んだ上で支出削減目的での降格だと思うわ、見るからに
そんなことしときながら、働けない人にも手厚い優しい会社です、だってさ
優しいの意味を履き違えてるよ
長年、客先で、居心地悪い思いしながら、それでも技術屋として仕事して売り上げ上げてきたような人たちへ
そんな待遇してるの見てて
この会社で働き続けたいって思う若手がいると思ってんのかな
実際、離職者も増えてる、それも力のある働き盛りの中堅から若手がだ
この会社は終わりに向かってると思う
仮に10年後に存続してるとしても、全く別物になってると思う
思ったことを書きますが、他人の適当な意見なので、ほどほどに流して聞いてください。
人にNOと言えない自分も、全てを引き受けてから無理だってなって逃げたり引き受けたことを潰したりする自分も、自分の事を理解せずにいる自分も。
受精卵の時点で卵腐ってた。
そんなことはないと思います。
総理大臣だろうと社長だろうと、あなたと同じ環境に放り込まれたら潰れると思います。逃避するしかなくなると思います。
ちょっとずつ歯車の噛み合わせが悪かったせいでしんどい状況が積み重なって、しんどい状況だからこそ前向きな決断ができず、よりしんどい状況を積み重ねてしまって……。
どこかで踏ん張らないと、状況は改善しない。それはその通りです。
でも、闇雲に背伸びをして明日から別人のような生き方をしようとしても、色々なしがらみがそれを邪魔するのでとても難しい。
閉塞感というか手詰まり感があるのもよく理解できるつもりです。(私にも経験があります)
もう一度言いますが、状況が厳しいのは、あなた個人の資質に問題があるからではありません。
もちろん、過去のあなたの選択が今の状況を生み出した側面がまったくないということはできませんが、たまたま悪いタイミングで処理しきれない問題が積み重なったり、周囲の人間のサポートが上手く機能しなかったりといった外的要因が今の状況を作ったと考えても過言ではないと思います。
運が悪かった。身も蓋もない言い方ですが、それが本質でしょう。
しんどい要素が積み重なってしまった状況を、一気に好転させるのはなかなか難しいことです。
私見ではありますが、あなたの場合、とにかく背負っているものが多すぎるように思われます。
これがあなたの一番の願いなのは良く分かりますが、もう少しこの理想を分解して考えてみることはできないでしょうか。
それを箇条書きにして、優先順位を付けるのです。
お母様を悲しませたくない
恋人を傷付けたくない
妹さんに負担を掛けたくない
友人に迷惑を掛けたくない
恋人に、妹さんに、友人に、赤の他人に、ダメな自分を見せたくない(プライド)
美味しいものが食べたい
お金が欲しい
自由が欲しい
時間が欲しい
働きたくない
体力を使いたくない
安定した仕事が欲しい
恋愛がしたい
キーワードは「諦める」です。
例えば「お金」であれば、あなたの幸福にとって本当に不可欠なお金がどのくらいなのか。
必要以上の「お金」を求めていないかを、他の願望とのトレードオフを意識しながら見つめ直してみるといいと思います。
極端な話ですが、日本には生活保護の仕組みが備わっていますので、最低限生きていくのに必要な水準以上の「お金」を我慢して、それ以上の贅沢を「諦める」ことができるのであれば、代わりに「働きたくない」という願望を叶えることが可能となります。
逆に、どうしても幸福のためにある程度のお金が必要であると思うのであれば、そのために「働きたくない」という願望を「諦める」必要がある。
「諦める」というのは「苦しさを受け入れる」ということと同義です。
自分がなぜその苦しさを受け入れているのか。それを自覚しないまま、漠然と踏ん張るのは誰にとっても辛いことです。
より大切な何かを守るため。その「何か」が具体的に何であるかを強く意識することで、初めて人間は苦しさを乗り越えるために踏ん張ることができるのだと思います。
何かを諦めること。その覚悟を決めることができれば、その分だけ他の願望を実現することに近づくことができる。
だから、どの願望があなたの幸福にとってより重要かを冷静に判断した上で、辛くてもそれ以外の願望を「諦める」決断をすることが、幸福への近道だと私は考えます。
また、もしも信頼できる人がいるのであれば、積極的に心の内を晒していくことができるとベターです。
勇気のいることだとは思いますし、相手に負担を掛けたくないという心情も理解できますが、人間は誰しも他人を頼りながら生きているのですから、必要以上に気を使う必要はないという割り切りも大切です。