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2018-05-03

人権侵害被害者日本国象徴だというのはいかがなもの

ご無沙汰しております。昨年、「憲法第二条改正論」というエントリーを書いた増田です。

今日憲法記念日なので、憲法二条改正論について、あらためて書いておきたいと思います

まずは、昨年と同様、日本国憲法二条引用から始めましょう。

皇位は、世襲のものであつて、国会議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

昨年のエントリーで指摘しておいたように、皇位世襲のものとすることには、二つの点で問題があります。一つは、皇嗣として生まれてきた者や、彼の配偶者にさせられた女性に対して人権侵害を引き起こすということ、そしてもう一つは、天皇にふさわしい資質を持たない者が天皇になる危険性を孕んでいるということです。

昨年のエントリーでは、皇嗣配偶者に対する人権侵害については少ししか触れませんでしたので、今日は、その点について、もう少し踏み込んで論じておこうと思います

まず、もしもあなたが、天皇制に関心があるにもかかわらず、Ben Hillsさんが書いたPrincess Masako Prisoner of the Chrysanthemum Throne: The Tragic True Story of Japan's Crown Princessという本をまだお読みではないならば、ご一読を強くお奨めします。藤田真利子さんが訳した『プリンセス・マサコ:菊の玉座の囚われ人』という日本語版も、第三書館から出版されています

藤田さんも「訳者あとがき」の中で述べているように、Ben Hillsさんのこの本は、さまざまな読み方ができると思いますしかし、どんな読み方をしたとしても、この本を読んだ者は、原書サブタイトルで謳われているとおり、the tragic true story悲劇的な真実物語)をそこに見出すでしょう。多くの国民は、小和田雅子さんという一人の女性を襲った悲劇について、あまりにも無関心すぎると私は思っています

雅子さんを襲った悲劇は、皇位世襲制と無関係ではありません。もしも皇位世襲のものではなかったならば、雅子さんも、これほどの苦痛を味わうことはなかったでしょう。雅子さんを襲った悲劇について単純に語ることはできませんが、強いて論点を一つに絞れば、それは、人格否定されて「産む機械」たることを期待されたという点に集約されるでしょう。

雅子さんが愛子さんを出産した3年後の2004年(この時点では悠仁さんはまだ誕生していない)に、雅子さんの配偶者記者会見で語った言葉を覚えておられる方も多いでしょう。

誕生日の会見の折にもお話しましたが,雅子にはこの10年,自分一生懸命皇室環境適応させようと思いつつ努力してきましたが,私が見るところ,そのことで疲れ切ってしまっているように見えます。それまでの雅子キャリアや,そのことに基づいた雅子人格否定するような動きがあったことも事実です。

徳仁さんは、「人格否定するような動き」が具体的に何を意味しているのかを明らかにしていませんが、おそらく、「やはりもう一人ほしい」という湯浅利夫宮内庁長官(当時)の発言念頭にあったものと思われます

おそらく皆さんは、2007年に、「女性は産む機械」だと柳澤伯夫厚生労働大臣(当時)が発言して、激しいバッシングが起きた事件を覚えておられることでしょう。湯浅さんの発言も、柳澤さんの発言と軌を一にしているにもかかわらず、バッシングが起きなかったのはどうしてでしょうか。国民の多くも、雅子さんを「産む機械」としか見ていないからではないでしょうか。私たち国民は、もう少し、雅子さんに対する加害者意識を持ったほうがいいのではないでしょうか。

「やはりもう一人ほしい」と湯浅さんが発言した背景にあるのは、皇位世襲制です。現行の天皇制を維持するためには、皇族に嫁いだ女性の誰かが男子出産するということが不可欠です。したがって、湯浅さんという個人非難することはできません。非難しなければならないのは、憲法二条です。そして、その条項放置している私たち国民です。

皇室典範第一条を改正して女性天皇女系天皇を認めれば、皇嗣配偶者に対するプレッシャーを緩和することができる、という反論も予想されますが、それは根本的な解決ではないと申し上げておきましょう)

ここで、日本国憲法第一条を引用してみましょう。

天皇は、日本国象徴であり日本国統合象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

今日エントリーでは、天皇ではなく、皇嗣配偶者人権について述べたわけですが、天皇日本国象徴であるならば、彼の家族たちも、日本国象徴に近い地位にあると考えていいでしょう。したがって、日本という国家は、人権侵害被害者によって象徴されているということになります(なんだか、むしろそのほうが正しいような気がしないでもありませんが)。

憲法二条が現行のままだとすると、雅子さんを襲った悲劇は、悠仁さんの配偶者となるであろう女性にも襲いかかるでしょうし、さら未来男性皇族たちの配偶者についても同様でしょう。

2016-07-27

http://anond.hatelabo.jp/20160727134525

酒は所詮、酔いがさめるまでの暴力性が増すくらいでレベルが低い。酒は、大麻のように精神世界がどうこうみたいな大麻主義者みたいのも少ない。大麻には、大麻エバンジェリストみたいな連中は何人もいるし、第三書館みたいな思想本は何冊も出ている。

社会を混乱させたい連中は、それを望んでいるんだろうが、大麻解禁なんて、ろくでもない結果しか想像できない。

2008-11-16

大麻取締法を叱る

ポール・マッカートニーがまた日本に来る(一九九〇年)そうだが、よく来る気になったものだと思う。

ポールはご存知のように大麻所持で前回の来日時、何日間か拘置所入りになったすえ英国へ帰された。

拘置所にはいったことのある友人の話では、日本拘置所では、大小便をするたびに

看守に報告して便器に水を流してもらわねばならない。小便のときは、「便水!」と叫び、大便のときは、「ロング!」

と叫ぶのだという。そういう話を聞いていたので、拘置所ポールはどうしているのだろうと案じていたら、

新聞に、「ポール、”ベンスイ”と叫ぶ」という記事がのっていた。これには笑った。

 ところで、当時の世論というのははなはだあいまいだったように思う。

これが日本人タレント大麻事件であればマスコミは飛びついて、「芸能人の甘え」だの

芸能人の思い上がり」だのとクソミソに叩く。が、相手はそこいらのタレントではなくて、元ビートルズ

ポールマッカートニーなのである。日本人論理としては、ポール・ファンの女の子の、

ポール、かわいそう」というものから、せいぜい「日本に来る以上、日本法律は守るべきだ」くらいの、

はなはだ歯切れの悪いものだった。

 しかしはっきり言ってあの事件は、日本という国が世界中に対して露呈した「国の恥」なのである。

僕がポールだったら、二度と日本のような遅れた国には来ない。

あの事件のときにマスコミ世界の趨勢と学術的な根拠に立って、大麻云々を語るべきだった。

事実間題として大麻取締法というのは、高校校則に「股火鉢を禁ず」

という条文が残っているのと同じくらいのアナクロ法なのである。

 我々は小さな頃からマンガや読み物で、

 「恐るべき麻薬とりことなった××は、いまや廃人と化し」

 といったような表現を見聞きして育っている。

また日頃の情報の中でも「人間やめますか」といった政府広報に行く先々で接するし、街を歩けば大麻の絵のポスターがあって、

「見つけたらすぐ届けましょう」みたいなことが書いてある。そうした情報が頭の中でゴチャゴチャになって、

大麻麻薬=悪」という固定観念ができている。

こうした情緒的な固定観念論理でつき崩すのはむずかしい。事実僕も何冊かの資料を読むまでは、そうした観念でもって

大麻を見ていた。ただ僕の場合は「それが悪だから興味がある」といった反応である。

たいていの人の場合は、自分が悪に加担していない、そのおかげで安心する、という自己安全弁のために悪というものを必要とするのだ。ところが、悪の放つ匂いにひかれて大麻のことを調べてみると、これは非常にガッカリする。

大麻というものには、害毒もなければ取り締まるべき理由も何もないのだ。以下にそれらの要点を述べてみる。

資料としては主に第三書館の『マリファナ・ハイ』『マリファナ・ナウ』『ドラッグ内面への旅』

チョコレートからへロインまで』などのシリーズ及び『麻薬ロードを走る』『FIX』などの反麻薬犯罪の書を並行して読んだ。

まず第一に、大麻というものには一切害毒がない。アメリカ諮問機関が数年にわたる調査の結果、

マリファナに関する大部の報告書を大統領あてに提出している。その他、公的学際的なレポートも多数存在するが、

従来の有害説はすべて現在では否定されている。

内臓系統への弊害、精神的なものへの弊害、肉体的精神依存性など、すべて実験リサーチによって否定された。

大麻有言説には以上のものも含めて8つの論点があるが、その中で否定派の一番大きな支えになっていたのは

「踏み石理論」と呼ばれる物である。これはつまり大麻に害がないとしても、

この大麻を始めてしまったものはより強い刺激を求めヘロインコカインLSDなどに移行していく、というものだ。

この踏み石理論すらも大統領へのレポートでは完全に否定されてしまったのだ。この「踏み石理論」はたしかに一見説得力がある。

しかし現実の数字はそれを否定している。

それは当然のことなのだ。人間というものは常に強烈な刺激を求めてエスカレートしていくわけではない。

たとえば酒を例に取ってみる。踏み石理論でいくと、一度ビールを飲んだ人間は、

さらに日本酒ウイスキーー、ウォッカヘとエスカレートしていくはずだ。が、現実にはそんなことは起こらない。

僕などは大酒で肝臓をこわしたほどの酒飲みだが、飲むのはいつも日本酒だった。

ウオッカなら日本酒の三倍のアルコール度があるが、だからウオッカをとはならない。

踏み石理論が通用するのは大多数の中のごく一部の人であって、それすらも原因は「物」ではなくてその人個人の「精神的欠落」にあるのだ。こうして学術的に有言論が否定されてしまうと、アメリカという国は対応が早い。

今、アメリカの州法ではほとんどの州が大麻所持を解禁している。罰則のある州でも、販売目的で大量に所持していた場合で、

それに対する罰も日本でいえば「立ち小便」に相応する扱いのうなものだ。

ヨーロッパでも動向は似たようなものだし、デンマークスペインなどは全面的に解禁している。

インドでは数千年にわたる大麻吸飲の習慣があるから、州立のガンジャショップ大麻を売っている。

そんな情勢のもとでポール逮捕されたのだ。世界中の人が首をかしげ日本を見ているにちがいない

「しかし、法律法律だ」と言う人がここでたくさん出てくるだろう。ところが、もともと日本には大麻取締法というものはなかったのだ。大麻を吸うということ自体がほとんどなかったわけで、一部の木こりなどの間で「麻酔い」という言葉があった程度だ。

大麻取締法敗戦GHQ押しつけによって成立したものである。このときもほとんど検計らしきものは何もなされずに立法されている。つまり本家本もとではとっくの昔に悪法となっているものが日本ではいまだに生きている、というこなのだ。

こんなもので検挙されて一生を棒にふる大学生若者がたくさんいるわけで、その理不尽さの度合いにおいて大麻取締法は

現代の「お犬さま」条令である。歴史の流れを見てくると、理不尽法令というのは山ほどある。

かつてのヨーロッパではコーヒーが禁止されていた。煙草もそうだった。違反した者は死刑にされた時代もあった。

近いところではアメリカ禁酒法がある。そうしたアナクロを我々は笑うことはできない。大麻を持っていたせいで刑務所に入れられるのも、コーヒーを飲んでギロチンの露と消えるのも本質的には同じこなのだ。

個人を侵犯する悪法は変えていかねばならない。悪法であっても法は法だ、というので守る姿勢というのはわかる。

現に僕自身、をこわすほど酒は飲むが、非合法ドラッグはいっさいやらない。悪法にひっかかるのがくやしいからである。

ただ悪法を変えたいという意志はある。変えるためには「時代の空気」というものが絶対に必要だ。

我々がコーヒーを飲み煙草を吸っているのも、この「時代の空気」が根拠のない法を駆逐してきたからだ。

この空気を作るためにこうしてひとつひとつ誤解を解いていかねばらない。

コーヒーにしろタバコにしろ大麻にしろ、悪法にはひとつの共通した点がある.

それは「国家が法でもって個人の領域にまで踏み込くる」ということである。

これに対しては意外なことに、ジミー・カーター大統領時代に名言を吐いている。

つまり、ドラッグに対すはの健康の悪化をもって最大のものとする。国がそれ以上の罰を課してはならない、というものだ。

つまり、大酒を飲もうがヘロインを打とうが、国はいっさい手出しをしない。そのかわり、それで体が悪くなったり死んだりしても、

それはあなた個人の罰ですよ、ということだ。これは非常に明快で、卓越した意見である。個人の快楽にも苦痛にも国は介入しない。

ただ、その結果、他人や社会に害をなした場合は、これは法でもって取り締まる。国と個人の関係というのはこうあるのが理想だろう。

ただし、一方では、アメリカという国はいまの状態では「こうとしか言えない」のかもしれない。

この明快な論理アメリカという病める国が、苦しまぎれに吐いた「きれいごと」なのはないか。

新聞を見ていたら、コロンビアマフィアブッシュ大統領暗殺計画を練っている、という記事が出ていた。

アメリカ側は、威嚇のために軍艦を二隻コロンビアに横づけした。コロンビアという国はアメリカヘのコカインの輸出で成り立っている。このボスを制してコカインアメリカヘの流出を断とうとしたものだから、国家規模の殺し合いが始まった。

一方では南アメリカ全体は、コカインが生む金で日本の車や電化製品を買っている。この衝突が鎮静しないと、

日本商社もまた困るのである。ここに先のカーター発言を持ってくれば問題は何とか解決する。

要するに麻薬そのものに関する取締法を一切なくしてしまうのだ。そして正常のルートコロンビアコカインをつける。

これをやられると、麻薬を資金源にしている世界中ギャングは、ちょうど禁酒法がなくなったときのような大打撃を受ける。

大半は正常な企業形態をとって、利潤は減るが普通の「商売」をせざるを得なくなる。

暴力団の力は弱まり、一見すべてはうまくいくかのように見える。だが、子供たちはどうなるのか。

現にいまアメリカイギリスでは小学生がへロインを打っているのだ。問題はとても複雑でむずかしい。

かといって日本大麻取締法がナンセンスなのも事実で、へロインと大麻を同次元で語る論法はまちがっている。

とりあえずはポールがまた捕まらないことを祈っておく。  中島らも 「こらっ」 より引用

2008-03-10

この記事を読んで…

この記事を読んで

http://anond.hatelabo.jp/20080310200613

「でもエロゲでも媚薬の効き方が人によって違う所に萌えるのになあ…」と考えたりした僕は本当に筋金入りのダメ人間だと思うので思う存分ののしってください……orz

それはそうと、薬物と人生について深い考察をした本に、第三書館という怪しい出版社の本があります。

チョコレートからヘロインまで ドラッグカルチャーのすべて」

http://www.atc.ne.jp/seikindo/zenhoui/zenchocolate.htm

未見でしたら、ぜひおすすめします。紹介者はアレですが、本は真面目な本です。

 
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