はてなキーワード: 論理の飛躍とは
おまえの書くこと長文になればなるほど牽強付会だらけ。
→ブーメランじゃん
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分解するな。焦点一部にあてるな。
→焦点当てるか当てないかにどうしてこだわってるんだ?当てたのはお前が「返す」という言葉を使ってる時点で、何か投稿があったら返し続けると解釈できることをお前にもわかりやすくなるように強調してるだけで、当てても当てなくても解釈内容自体は変わらんのに。
ちなみに、相手のレベルに合わせて返す、の否定は、相手のレベルに合わせずに返す、だよ。どっちにしろ「返す」ことには変わりないのに、お前は「独自解釈」だっていう。そうすると排中律を肯定してることになるんだけどそれはいいのか…?
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そういう態度を常識が無い誠意もないっていってるんですが。
→どのように解釈するかという意味での態度についてはそれを説明なしに誠意の有無に結びつけるのは論理の飛躍だね。授業料が納付されてないからって無説明だと論理の飛躍に当たることをすることに対する落ち度はどう考えても説明しない側にあるだろうよ。どう転んでもそれにより生じた飛躍に対してアホと言われたことに対して、授業料云々言ったところで逆ギレでしかないわ。そんなん許してたら世の中非論理的な主張の押し付けが罷り通る事例であふれるぞ。対価が無かろうが主張するなら論理的に行うのは義務。その義務を果たしたくないならそもそも主張することを諦めることだ。
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あ、ごめん単に論理的にしゃべる知性がないのか。
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まるごとを素直に受け止めることができないくせに「(俺だけは)~と解釈できる(というか絶対解釈する)」のカッコ部分を抜かしてしゃべるの傲慢のいたりだよね。
→お前がそう解釈できないって考えるならお前には日本語が通じないってことだろうな
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→日本語理解できない独りよがりにはなんでも独自解釈に見えるだけです
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そんで法文も「~と解釈できる」ってさぁ……。
→俺はお前の発言についてはいつそれが言われたかもお前にもイメージできるように極力発言全体を引用するようにしてるが、お前はまたそうやって「〜」で丸々省いた説得力低いぼんやり引用するのな。もうちょっと全体をきちんと引用してくれれば自分でもそんなこと言ったかどうか判断できるけど、そんな引用じゃ思い当たるものも思い当たらないな。人の記憶力に寄っかかりすぎなんだよ。参考URLについてそれなりに手間をかけてとかぶうたれてるけど、手間が報われないから怒ってるならそれこそ手間をかけただけのわかりにくいプレゼン作るような仕事できないやつの不満でしかないし、手間を掛ければ認めてもらって当然だという態度こそ不誠実だよね。
俺は「俺が支離滅裂だから自分も支離滅裂に書いてやった」と言い訳してる対象のお前の書き込みについてもどう支離滅裂かひとつ前のトラバで具体的に摘示してるが、お前は終始一貫具体的にどう支離滅裂か言わないしなあ。ほんと自己評価高えのなんの。
相変わらず同じトラバの内容なのに饒舌に反論するところもあればスルーするところはあからさまにスルーするし。
無職と社会人経験のくだりやスタンド店員エアプ発言はお前のミスって認めてくれたかな?
ボリューム層が特定の年代の無職なら統計でも無収入にピークがなきゃおかしいってのは俺の早とちりだったわこれは認めよう。(俺がこう自分から言ってなかったら未だにそれが論理的に必ずしも成り立たないことに気づけてなかったんだとしたらやっぱバカってことだけどな…)
地方国立大に通っていた四年間のアルバイトと、新卒を鬱で退職してから元バイト先に拾ってもらい、フルタイムのパートで二年ほど。計六年ほど、個別指導の講師をやっていた。
俺が働いていたのはSAPIXとかみたいなお受験予備校じゃなく、「町の塾」みたいなとこ。
小三くらい(小一とか小二は受け入れてはいるけど見たことない)から高三までを受け入れていた。
お受験予備校は月謝は高いし指導も厳しい(からどうせ続かない)し、「月謝も安いし、定期テスト対策と『やってる感』のために取りあえず放り込んでおけばいいや」的なスキマ産業である。
わざわざそういうところを選んでくる親と子だから、総じてレベルは低かった。公立中学校の定期テストでいうと五科目200~350/500点くらいの層だ。
まあ中には勉強に楽しさを見出したりしてグングン伸びる子もいた。
様々な理由(本当は塾なんて行きたくないが、親が強く勧めるから家から近い/楽そうなところを選ぶ等)から稀に元から勉強ができる子も来た。
だが大部分、体感七割くらいはそもそも勉強が嫌で嫌で仕方がなく、さらに三割くらいはもう手の施しようがない子だった。
働き始めたばかりのころは、あの手この手を使って算数数学なら理論や方法論を、現文なら文章読解のコツを教え込もうとした。
だがこれは一部(先に触れた伸びる子と元々できる子)を除いてほとんど意味をなさなかった。
塾に通うペースはだいたいの子は一日2~3hを週二回程度、多い子だと週三、少ないと週一だ。
コマに空きがある講師が割り振られるから毎回俺が見られるわけでもない。
するとどうなるか。
だいたいの子は自学自習なんて一切しない。塾に行って勉強してるんだから塾以外で勉強する必要がない、と本気で思ってる。なんなら親すらそう思ってる。
だから次にあったときは俺が必死こいて教えたことをすっからかんに忘れている。この徒労感ったらないぜ。
それでも覚える→忘れるを繰り返し繰り返し行ったらいつか定着するんじゃないかと信じた。結果、半年経ってもすっからかんだった。
思うに、「こうして・こうして・こうなる、ってパターンを理解して覚えて、別の問題に応用する」ってのは、やつらの脳みそには高等すぎるんじゃないか。
まあたしかに俺の教え方が悪いのはそうかもしれない。だが俺もバイト/パートながらに書籍を読んだり教育者に話を聞いたりした上でいろんなアプローチを試せるだけ試したんだ。少なくとも指導中の反応は良かった。でも全部忘れる。
宿題にプリントを持たせてみても、答えを全部写すのはまだマシで大概はやってこない。それを責めすぎると辞めてしまう。
加えて学校の授業なんて一切聞いてないし、予習復習なんて一回もしたことがない。
あ、授業を聞いてないつっても別に授業中ずっと漫画読んだりスマホいじったりしてるわけでもないんだ(まあそういうやつもいるが)。
とりあえず教科書とノート開いて、なんか書いてるフリしてずっと上の空みたいなイメージ。結構前に「真面目系クズ」って概念が流行ったがだいたいそんな感じだ。
んで義務教育で教わることが頭に入っていないことを、子はもちろん親すら問題視していないんだ。だって親もそうだから。
じゃあどうしたかって話。
俺の働いていたとこみたいな小規模塾では大概「定期テストの点数アップ」がアピールポイントになっていた。
だから数学だろうが現文だろうが定期テストの範囲をひたすら暗記させる。
語呂合わせもバンバン使う。本質じゃないって問題視される「みはじ(はじき)」とかもフル活用する。
それでも湯水の如く抜けていくけど、微かに引っかかった残滓みたいなので少しばかり点数が上が……ったらいいな、って感じ。
んでこのレベルの学力の人間はお前らが思っているよりもずっと、ハチャメチャに多いわけ。
そもそも大学進学率自体が6割くらいだし、まあ短大とか専門とか含めた高等教育進学率は8割くらいあるけど、義務教育過程で学ぶことを歯抜けがなく概ね身につけている、って言えるレベルの人間は2割もいないんじゃないか?
自分の名前が漢字で書けたら合格、ってレベルの私大があるって信じられるか?
そんでそういう奴らでも入れる、学力が優先されないとこに就職する。
手に職系ならいい。だがそうじゃないとこも多い。そして若いうちに子ども産んで、同じような子を再生産するわけだ。
生活が苦しくなるとこういう暮らしの下層にいるやつらから皺寄せの打撃を受けるじゃん。
こういうやつらは自暴自棄になっての通り魔や道連れテロみたいなのよりも、カネがありゃなんとかなるって短絡的発想からの強盗とかが増えるんじゃないかってずっと思ってたし実際そうだった。
(次のトレンドは身代金誘拐じゃないかって思ってる。監視網が発達したいまリスキーもリスキーだが、たとえば裸の写真でも撮ってそもそも警察沙汰にさせないってパターンじゃないかと。まあ勝手な予想だ)
ITでもなんでもいいんだけど、もしお前らが就職や転職するとき、to C の業務があるならこのレベルの人間の相手をするって覚悟したほうがいい。老婆心からの忠告だ。
追記:
思った以上に伸びていて驚いた。読んでくれてありがとう。想定よりもずっと「そんなの知っとるわい」ってブコメが多かった。
きっかけってほどじゃないが、はてなやXを見てると「中学で習っただろ」みたいな発言をしょっちゅう見かけるので、中学で習ったことをずっと覚えてるやつなんてほとんどいねーんだよ、って思いから書いた。衝撃を受けるってほどじゃないかもしれんが、そんなやつがいっぱいいるのか…って思ったやつも少なくないんじゃないか? 塾講師経験者(かなりいて笑った)から概ね共感を得ていたようだったのも知れてよかった。
なお俺自身も地方公立から受験したクチだ。勉強は嫌で嫌で仕方がなかったが、他にやりたいことも特技もないので仕方なくやっていた。なので別に塾講師になって初めてこんなやつらがいるのか! って知ったわけじゃない。ただ地方の一エリアとはいえ、色んな学校の色んな年齢で満遍なくこういうやつらはいることを示せるので取り上げた。
強盗云々は論理の飛躍があったかもしれん。すまん。やらなきゃいけないってことになってるもんを適当にスルーし続けて、そのまま大人になって適当に生きてるやつらに俺が我慢ならんだけかもしれない。
トラバでもらった、
要するに、「世間には想像以上にバカが多いから、知能レベルを低く見積もったアプローチをしないとマスにはリーチしないぞ」ってこと?
これがだいたい俺が言いたいことだ。いまは役所で働いてるんだが、窓口に来る大人が言ってることを理解しない、すぐ忘れる、書類も不備だらけで最初のうちは本当に困ったが、なんとか帳尻を合わせてやっている。ストレスを吐き出したかった。
なぜ主権者と思うことが政府と思い込むことになるのか、論理の飛躍としか思えないが。
何も真似させないことは虐待だなんてのも、虐待の要件として聞いたことがない。そうであるなら都合がいいというお気持ちでしょ?
一方元増田で言いたいことは結局「違法行為(になりうるもの)をやればと言ってしまうのはたとえ自己責任でならとか条件付けて言っててもそんなの関係なく異常でしょ」であり、私はそれに即して言ってるだけだ。俺はそんなこと言うのは憚られるので正常。
あと、許されてる(権利者が罰せよと国家権力に請求しないこと)と、その行為が違法行為であるかどうかは独立事象なんでそこんとこよろしく
riyanorie 京阪神のパンのレベルが高い話は昔から言われてたし、いきなり陰謀論や洗脳に結び付けるのは論理の飛躍では。データでいうなら都市別パン消費量は神戸と京都は上位で、こだわりが強いだろうとの推測は容易に成立する
相手が消費量の話をしているんだから、消費量に近いデータを使って議論しようぜ。孫引きしてる総務省統計局の家計調査の地域別ランキング(https://www.stat.go.jp/data/kakei/5.html)に地域別の購入量が掲載されてるだろ?
孫引き元の記事に合わせて2018年から2020年の年平均購入量を見てみると
全国平均 | 45,465g |
京都市 | 54,611g |
東京都区部 | 48,414g |
ここから人口あたりの消費量を概算して議論していくのが王道だろう。
あえて年間消費額で議論したいなら、まずは物価水準を補正するべき。家計調査のデータから、パンの購入金額を全体の食料購入金額で除すると、同様に2018年から2020年のデータでは
全国平均 | 32.7% |
京都市 | 40.0% |
東京都区部 | 31.8% |
となり、食料購入額の割合としては1.25倍程度の差があることが分かる。
そしてもう一点。All Aboutの記事や元の統計資料では「東京都市部」じゃなくて「東京都区部」となってることに気づいたか?統計データは用語を正確に定義しているのだから、いい加減に扱ってはいけない。
食べログのスクレイピングの件もだが、適当に思いついたデータをネットから引っ張ってくるのではなく、データにどんな意味があるのか考えたほうがいい。今のままではオカルト退治どころかミイラ取りがミイラになってる。
「神戸のパン屋は東京に比べて圧倒的に美味い」みたいな話が盛り上がっているが、現状単なるオカルトであり信憑性は低い。
食べログで「神戸市 パン」と検索すると545店舗が引っかかる。「神戸のパン屋が東京より美味い」と言っている人は、この中の何店舗に行ったのだろう? 評判のいい店だけをピックアップしていたら美味いのは当たり前で、本当は
という手続きで検証しなければ「神戸のパン屋は東京よりも美味い」ことは証明できない。
また、人間の感覚というのは大変に曖昧なもので、先入観によっても味は変わる(参考 : https://agri.mynavi.jp/2019_03_12_62258/)。「神戸のパン屋は美味い」という先入観を持って食べると、それだけで美味く感じたりするということだ。
これは味覚に限らない話で、例えばクラシックの世界でも、ストラディバリウスやグァルネリといったオールドヴィンテージと現代の楽器に有意差がないことは、ブラインドテストにより何度も証明されている。一流の音楽家が聴き比べをしても差はないし、弾いても差はない。にもかかわらず、オールドヴィンテージはいまだにクラシックの業界ではありがたがられているのだ。神戸のパンも大規模ブラインドテストを実施してみたら同様の結果が出るだろうし、出ても「それでもやっぱり神戸のパンは、東京のパンより美味い」という説が唱えられ続けるであろう。
「神戸市 パン屋」で食べログを検索すると、各店舗に点数がつけられている。これを集計しスクレイピングして平均点をとったところ、3.2547点だった。
「東京都 パン屋」で検索すると5000件近くがヒットしてしまうので、先方のサーバーに迷惑をかけないためにもう少し細かいエリアで集計してみよう。
東京のエリアは私が思いつきで抽出しただけだが、一部足立区など低いエリアがあるものの、渋谷区、港区の平均点は神戸市を上回っており、優位な差がないことが分かる。
もちろん食べログの統計情報に高い信頼性がないのは言うまでもない。だがそれを言い出すと一個人の個人的な体験のほうがはるかに信頼はおけず、「食べログの点数で主張をするバカ現るwwww」的な反論をするのなら、より信頼性の低い個人の主観も否定されるか、食べログの統計情報よりも個人の主観が正しいことを証明しなければならないだろう。
こういう話法はまんま陰謀論的な話法であり、強弁されると論破することはできない。オカルトはこういうマウントの隙間に入り込んで勢力を拡大していく。
確たる証拠もない主張を行い、それを否定すると即座に「人間として瑕疵があるお前には理解できないのだ」という主張に切り替えてくる、これは論法として卑怯であり、真であると証明したいのなら、やはり統計的なテストを実施しなければならないのだ。
もっとも個人にここまでのことを求めるのは、実質的に不可能であることも事実だ。私の話法も「無理な要求を突きつけて相手の口を塞ごうとしている」と取られてもおかしくはない。
なのでデイリーポータルZさんあたり、どうですかね……? 検証記事、バズると思うのですが……!
riyanorie 京阪神のパンのレベルが高い話は昔から言われてたし、いきなり陰謀論や洗脳に結び付けるのは論理の飛躍では。データでいうなら都市別パン消費量は神戸と京都は上位で、こだわりが強いだろうとの推測は容易に成立する
2人以上世帯を対象としたパンの年間消費額は神戸市が38,435円、東京都市部が36,154円と、2,281円しかない。全家庭が2人世帯だと仮定しても、1人年間1,141円の差であって、神戸市民と東京都市部民は、月にパンをひとつ多く食べるかどうか程度の差しかない。この程度の差で「こだわりが強いだろうとの推測は容易に成立」などしないだろう(データはこちらを参照 : https://news.allabout.co.jp/articles/o/28209/)。
「お前が 『好き』 と感じたことと、それが 『良い』 かどうかは別問題」
はてなにおける文章力あるなしの定義は、まさしく 「好き」 と 「良い」 を混同した状態となっております。
言葉の定義について後で揉めたくないので最初にここをハッキリ書いておきますね。
話し言葉に近づけた表現をするなら以下のようになるでしょうか。
はてなにおいて 「文章力がある」 「文章力がない」 という言葉が使われている場面の多くが、単にその文章の好き嫌いを語っているように感じます。
言っているはてなー本人が 「読み手に伝わりやすい良い文章」 とは何かを正しく認識できていないことによって想起している問題です。
文法が正しい。誤字脱字が少ない。無意味な造語が少ない。対象の曖昧な代名詞が使われていない。複数の読み解き方が可能な文章となっていない(意図してそれを行っている場合は除きます)。論理の飛躍がない。過剰な頻度で同じ話を何度も繰り返していない。こういったマイナス要素の少なさこそが、良い文章を形作ります。
契約文書や法律文書は、甲乙による呼び名を代表とした堅苦しい表現が使われています。これらは一般的には読みにくい文章となりますが、それぞれの表現が指す範囲を明確にする必要があり、かつ冗長にならないようにすることを最優先する必要があるために、独特の表現を使った文章となっています。
日常会話において法律文書のような表現を用いれば、伝達において齟齬が生じやすくなるでしょう。逆に契約書に砕けた表現を多用すれば、あとで揉める原因となるでしょう。
シチュエーションごとに適切な文章表現を選び出す能力は 「文章力」 の最重要の構成要素です。
「文章力」 の構成要素を羅列し見れば分かる通り、 「個人が好ましいと感じたか」 は 「文章力」 との関係性が極めて薄いのです。
過剰にヘイトを煽るような表現を多用して判断力を下げる文章が世の中にはありますが、それを書いた人間の目的が相手を感情的にさせて判断力を下げることであったならば、それはその目的にあった文章となっています。
自分の好き嫌いを基準に 「文章力」 を語るはてなーにはそういった視点さえも欠如しています。その証拠に、自分本位の好き嫌いの基準のままで文章の良し悪しを判断し 「文章力がある」 「文章力がない」 という表現が多用されているのを非常によく見かけます。
このような謝った言葉の濫用は、全く持って言葉に対して不誠実と言えるでしょう。
ですがそれらが悪意や、善意のなさによって生起していると考えるべきではないように思います。
単純に、 「文章力」 というものを正しく認識する機会に恵まれることの難しさが原因だと私は考えます。
高校までの教員の中に言語の研究において論文を何本も書き上げた経験がある人がどれほどいるのでしょうか?
大抵は大学に通い教員免許を取る過程において少し齧った程度のままで、その後は現場の忙しさに翻弄され、学生たちのしょうもないてにをはの間違いを如何に効率よく正していくかばかりが頭を支配することでしょう。
そして多くの日本人はそうした教員から受けた言語教育だけを、言語に対して深く触れた体験だと感じ、そこに言語能力というものの天井を感じてしまうのです。
虫かごに入れられたノミの話と同じように、人間は下手に天井を感じるとそれ以上を目指さなくなります。
正しい言語力というものを、単にセンター試験の国語で満点を取れるだけのものであると思えば、そこからの百分率で言語というものを考えるようになる。
ですが実際には言葉というものはもっとずっと複雑でいくらでも工夫のしがいがあるものなのです。
それを知らない人達が安直な好き嫌いで 「文章力がある」 「文章力がない」 といった表現を使っているのは非常に悲しいことです。
ですが、これは現代社会における教育コストの問題であり、一個人が過剰に憂いても仕方がないことなのです。
それでも吐き出したかったのでここに垂れ流させていただきます。
お目汚し大変失礼致しました。
真面目な話をできる場所が無くて寂しい。
私自身は別に真面目というか単に興味のある事について語り合いたいだけなのど、一般的にはマジメで退屈、拗らせてるとか一蹴されてあまり興味を持たれないような話。
美とはなんぞやとか、美味しいメシを定義できるのかとか、世界平和は果たして実現できるのかとか。
古代ギリシャ人が暇すぎて哲学を始めたように、暇な時にふと考えるような素朴な疑問みたいな事について話し合いたい。
日常生活で周りの人間に真面目な顔してそんな事を言い出したら、雑に流されるかキチガイと思われて終わり。
だからネットとかで気楽にやれたらいいなって思う。私に近い内向的な人も多いはずだし。
しかし色んなサイトはあるけれど、どうにも喧嘩腰な人が多い。5chの哲学板は(5ch自体)過疎らしいし。
一面的な正論や、正論ですらないリリックを並べ立てて正論感を競い合いたい訳ではない。なにか正しい感のある事、雑な一般論風の言葉でそれっぽくまとめてもらいたい訳ではない。
これはどういう事なのか、なぜそうなのか、世の中に出回るこの考えは果たして妥当なものなのか。
事実と規範の混同に、論理の飛躍に気を付けながら、とある疑問に対して「それはなぜ?」を繰り返す、要は哲学がしたいのかもしれない。
そこらの人が思いつく疑問なんて昔から議論されてるだろうし、哲学書を読むのも悪くはない。
でも私は車輪の再発明が無駄だとは一切思わない。書いてある事を読んで、へーそうなんだで終われば必ずしも納得は伴わない。
私はこれまでの人生でニーチェやハイデガーの陰気ながらも前向きな思想に近い価値観を形成してきたけれど、思春期に彼らの著書を読んでも多分何言ってんだコイツとしか感じなかったと思う。
他人と話し合う事で互いに自分では気づかなかった視点を得て、自分一人じゃ足踏みするばかりの疑問を吟味したい。
時に理屈から離れて互いの実感を伴った価値観を交えて、永遠に答えなんか出ないだろう疑問について、それでも誠実に考えを深めたいな。