はてなキーワード: 突っ込みとは
こう言うと二次元と三次元の区別が付いてない人間みたいだし俺も普段はこんなこと言わない。
二次元でしか抜かない人間がいるのも知ってるし、三次元に興味があるけど二次元で発散してちゃんと我慢してる奴らが沢山いるのも知ってる。
ロリがギリギリまで見せてる深夜アニメやモロに見せてるエロアニメなんていくらでもあるけどそれ買ってる連中までマークしろとは思わない。
だけどこのアニメは違う。
こいつは"ガチ"だ。
幼い体が好きなだけじゃなくて、幼い精神性まで好きな連中が本気で作ってる。
説明しよう。
このアニメの主人公は小中学生4人だ(突っ込みが入りそうだから先回りすると兄ちゃんはモブだ。ねーちんもモブだ)。
1 耳年増な小学1年生
4 普通の中1
この組み合わせが完全にキてる。
体が大人の小学生は普段はその身の丈にあった落ち着いた振る舞いをしているが中身は子供だ。
そして体が小学生の中学生がその外見のせいで舐められていて、その状態に長く留まっている内に中身まで子供のままというのもエロい。
そしてこういった集団に囲まれることで普通の中学生であるということが埋もれずに輝く。
中学生だらけの空間に普通の中学生がいても人間は何も思わない。
100万円の商品を詐欺師に売りつけられそうになって「じゃあ80万、いや50万、もういい30万でいいよ」と言われたら揺れ動くぐらいに人の判断基準はグラグラだ。
女の子動物園があふれた現代において、ただ女子中学生であるという事の価値を我々は忘れ始めている。
このアニメはそれを思い出させてくれる。
ロリだけど生理は終えているであろうがもしかしたらまだ終えていないかも知れないというそのアンバランス。
本当に素晴らしい。
だってそうだろう、羊水は初潮終えたての新品で子に恵みを与える乳房は豊満、母体として余りに完璧ではないか。
それなのに心はまだ穢れを知らず透明感の有る危うさを主成分としているんだぞ!
最高じゃねーか!
このアニメの魅力(ロリのロリとしての素晴らしさ)に惹かれている人間はガチのロリコンだ。
そいつが二次元にだけ興味があるならいいが、ただアニメの円盤を買ったかどうかで二次元にしか興味がないと言い切れる保証なんて無い。
器:皿(麺用)と椀(つけ汁用)をご用意願います
http://anond.hatelabo.jp/20150717111517
そこは「作品内での突っ込みどころ」であって「作品外で作者をバカ呼ばわりするのに適切な例」ではない。
アホな設定の人物をアホに描いているからといって作者がアホにされるわけではない。
そういうこともわからないのでどちらかというとアンタがアホに見える。
http://anond.hatelabo.jp/20150720121022
これ書いたんだけどさ。クッソ恥じかいたわ
まあぶっちゃけ本読んだ勢いで書いたから、テキトウだったんだけど。
そもそも流行ってないのかよw
ナンパ系ツイッターをフォローしまくってて、そこそこ聞くワードだったから普通に流行ってると思ったら、ナンパツイッターっていう一部だけかw
なるほど~やっぱり、ナンパ師とかそれにはまってる女とか一部なんですね??
女は男をキープして~とか、そりゃバブル時代のアッシーメッシーとかじゃねーの?って正直突っ込みたかったんだけど。やっぱそんな女って今じゃレアですよね?
友達から彼女のこととか聞くと、「彼女とか面倒くさい、別れる」「週3で新しい女食ってる、全部ナマ。看護婦はゆるい奴ばっかでビビル。」系の話しか聞かないし、どっちかっつーと男のほうが薄情じゃねーの?みたいに思ってましたw
女性のほうが、ずーっと彼氏ばかり見ている。(俺の観測範囲なので、裏でどうなってるのかは知らないけど)
この本読んで、正直イヤーな気分になったんだけど。
どっちかっていうと、俺の女に対するイメージは、
バブルの頃と違って、最近の女性は男に1万でもおごってもらえると悪いな~って感じじゃないかな。
働く大変さとか知ってるみたいだし。そもそも女性のほうが将来への不安とか大きい傾向あるから、本来クソビッチみたいになれないし。
病気なのは仕方ないけど、ナンパ師ってそういう病気の女を狩ってるだけにしか思えない。それを自慢されてもちょっと心が痛いわ。
自分が医者として仕事するとき、普通に患者さんに優しくするし、そういうやさしさと同じやさしさを感じる。
だから、そんな、男を食い物にしてる女が多いみたいなことを言われて、ビックリした。いやだなー引っかかりたくないなーと。
俺は、風俗嬢が普通に好き。特定の誰が好きとかないけど、風俗嬢との付き合いでしか女付き合いできない。
あと、飲み屋の女の子とかかな。やっぱ、金払ってアドバンテージアリじゃないと、付き合えないタイプだと俺は思う。そこをゆがめてヤリチンになるのは無理だと思う。
いや本当は風俗ですら付き合いなくて、二次元とかアニメとかSSとかそういう系でしか女とはまともに付き合えないけどさ。
合コンも盛り上げるのはできるし連絡先交換もするけど、デートに誘うとか、そっからセックスするとかそういうの無理。王様ゲームでキスしても、悪いなーいやだなーってなる。
これで、お見合いで結婚するんかなーとか思うけど。付き合うとか多分一生ないなーと思うけど。
これはこれで多分男のあり方として普通かなって思う。俺みたいな男も多いだろ実際。草食系っていうのかね。
会話を盛り上げたり笑わせたりみたいな、話の中心になったり、相手の話したいことや知りたいことを話したり。そういうのは普通にできるとは思ってる。
女相手にはできないけどさ。女相手でも、普通に盛り上げたり、話したそうなことを誘導してあげたりはする。ってか、ミラーリングとか、恋愛工学で言われたようなことはしてる。話のスピードをあわせるのはしてないけどさw
恋愛工学で学んだ、「あと10分後に出るけど、少しおちゃしない?」みたいなのはできてなかったから。そういう時間区切りは今後利用しようとは思うけどさ。
なんか、正直勢いだけで女叩きみたいな感じで書いちゃったけど。
躁病で買い物しまくっちゃう人ばかりを嵌めて商品を買わせる催眠商法みたいな詐欺あるけどさ、それににてる。
「たくさん訪問販売しまくれば、躁病の人に当たる。その人にじっくりオラオラ押せば絶対買う!」
こんなこと言われてるように感じる。
状況がはっきりしなので、現時点での報道、主に以下の二つのソースに依存。
http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20150720/CK2015072002000095.html
http://www.47news.jp/CN/201507/CN2015072001001513.html
47NEWS(共同通信)の記事にははっきりしない点もあるが、『川遊び中に倒れた小学生の男児が左手に重いやけどを負っていた』は気になる。火傷を負ったから相当な電気が流れたはずだが、この男児は死亡していない。
さて、死亡せずに火傷するような電気を浴びようと思ったら、一番簡単な方法は火傷する部位に限定して電気を流すことである。
つまり、この男児が左手で電線を握った状態で倒れた、と考えると一応辻褄は合う。
電気というのは極が最低2つないと流れない。理科の時間にやったように、直流の場合は+極と-極。電気柵の場合、電線側とアース側となる。アースって何かと疑問に思う人もいるかも知れないが、文字通り大地、地面のことである。地面は電気をよく通す導体である。
電気さくの原理は、電線に電気を流しておくと、動物がそれに触ったときに、
電源装置の電線側端子~電線~《動物の体》~地面~電源装置のアース側端子
という経路で電気が流れてビリっと来て「うわっ」とびびって動物は近寄らなくなる、というもの。
参考:http://www.getter.co.jp/electric_fence1.html(イラストがかわいい)
参考:http://kitaharadenboku.com/cyoujyuu/power.html(記述が詳しい)
つまり、空中浮遊して移動する動物がいたら、体が地面に触れてないので電気は流れず、電気さくでは防げないことになる。
閑話休題。最初から電線が水中にあったのか、陸上にあったのを掴んで水中に転落したのか、はたまたもっと違う状況だったかは不明なので立ち入らないが、とりあえず火傷した男児が電線を掴んだ状態で倒れていたとすると、
という経路で電気が流れることになる。これはこれで危険だが、人間が感電死する場合、胸部を通過した電流が心筋を誤作動させて心臓を止める、というのが圧倒的1位である。この経路なら、手の火傷で済んで命に別状なかったとしても説明は付く。
で、大人二人が亡くなっているのは、たとえばこの男児を助け起こそうとしたときに、
という経路で電気が流れて、この際に運悪く心臓近くを十分な量の電流が流れてしまった、という状況や、もしくは男児が掴んでいる電線をはずそうとしたとか、電線を踏んでしまったとか(この場合の経路はなんとも言えないが、こういうのでたまたま心臓近くまで電気が通ったというパターンも考えられる)、そうやって感電した、と考えれば辻褄は合う。
一応補足しておくと、
人間の体、特に皮膚は絶縁度が高く、乾燥していれば1万Ω程度はあり、これなら仮に100V電源に触れても流れる電流は10ミリアンペア程度で命に別状ないことがほとんどである。
参考:https://nippon.zaidan.info/seikabutsu/1999/00268/contents/039.htm
ところが、この絶縁機能は水濡れで簡単に低下する。今回のような水遊びをしていたケースでは皮膚の電気抵抗はほぼ期待できないレベルまで下がっていたと推測される。人体内部の抵抗は慣習的に500Ωで計算することになっているので、皮膚の電気抵抗がゼロだった場合、100Vでも200mA(とても危険)が流れることになる。
平成21年に淡路島で起きた死亡事故は、法令上の電気さくでなく、「100Vの電気が剥き身で流れている電線」の事故で、電気的に言えば家庭用コンセントに金属製のドライバー突っ込んで感電死した、と大差ないぐらいの危険行動だった。
電気さくメーカー各社はそんな危ないものではなく、感電死などの事故をさけられるように工夫した電源装置を作っている。
今回、中日新聞は100Vが流れていたと書いているが、これはまず考えられない。記者が現場に到着した時点で電気が流れていたとは考えにくいし、流れていても近寄って電圧を測定できたとも思えない。もちろん、たまたまテスターをもった記者が現場近くにいて、警察が駆けつけて現場保全する前に到着し、修羅場となっている事件現場をガン無視して電気さくの電線をわざわざ測定したら100Vだった、という可能性もゼロではないが。
また、47newsの記事に『家庭用コンセント(電圧100ボルト)と変圧器を介してつながっていたことも判明』とあるので、これは普通は「電気さくには100Vは流れていなかった」というニュースである。
変圧器というのは電圧を変えるための装置であり、電圧を上げるものも下げるものもある。この文章は、例えば充電中の携帯電話のバッテリーが発火した事件を報道する時に「充電器の電源が100Vだった」と書くのと大差ないレベルで「いや報道すべき事は他にあるだろ」としか突っ込みようがない。
例えば使用状況が悪くてコンセント側(1次側)の電気がそのまま電気さく側(2次側)に流れる、という事態もあり得なくもないが、なかなか考えにくい。
分かりません、としか答えようがない。47newsの記事にある「変圧器」が何か分からないからである。
電気屋が「変圧器」と言ったらそれは普通は変圧器(トランス)単体のことなのだが、この記事は訂正前は『変圧器は付けられていたが、作動していなかった可能性もあるとみられる』という、電気屋的には謎としか言いようのない一文が入っていたので、執筆した記者にあまり電気の素養が無いことはほぼ確定している。
よって、
などの場合が考えられる。もっと言うと、コンセントでも200V用とかあるので、警察の人や記者が誤解していて、100Vでなく200Vだった可能性すらゼロではない。
お手上げであり、続報を待つしか無い。
これも分かりません、としか答えようがない。上記の状況のいずれかが不明なためである。その他、この家の受電状況とか漏電ブレーカーが付いてるのか付いてないのか故障していたのか否か等、分からないことが多すぎるためである。
お手上げであり、続報を待つしか無い。
はてブホットエントリーの30選(http://gathery.recruit-lifestyle.co.jp/article/1141321068543131601)がイマイチ感性に響かなかった(普段読書しない人向けか?)ので、俺選してみる。
【反省会】
今期はうしとらとデュラくらいしか見ていないので、気に入って録画を残していたアニメをみている。
響けユーフォニアムはとにかく全てに隙がなくいいアニメだった。
淡々と進みながら涙が出てくる最終回はみればみるほど味が出る。
初期からの主人公や部員たちの成長がじわじわとしていてとてもいい。最初に戻るといろんなことの変化を実感して、
自然に書ききった手腕を誉めたくなる。
端々で感じるスタッフの青春への愛と作品にかける思い入れも素晴らしい。
ジョジョは一部のまとまりのよさと熱さはやっぱり別格だよなーと久しぶりにみても本当に面白くて止まらない。
二部も止まらないうっかり消している話などがあると、自分を殴りたくなる。
あの突っ込みどころしかないのに面白いし熱いから突っ込むのが野暮な力業は今の漫画家も見習うべき。
さてクロスアンジュを見るかと思ったが消していたのを思い出した。
サムネイルがヤバい事が多かったからつい!家族にみられたらヤバいからつい!とか!当時の自分のアホーと悶絶して現在に至る。 クロスアンジュのDVDなんて危険なものは持てないがみたくて仕方ないので映画化してほしい。
今期ではうしとらが見返しアニメになるんだろうなー、伏線回収が本当に素晴らしい漫画だったから、最後をみてから見直すのは楽しすぎるだろうなと今から楽しみ。
自分は障害者として生まれてきた。自分を産んだ時、自分の親は、まだ次の子を作れる年齢だった。
自分はほっとけば数歳で死んだのに、親は自分に手術を受けさせ、助けた。手術がよほど大変だったのか、親は次の子を作らなかった。
自分の障害は遺伝性ではない。親が手術を受けさせずに自分が死んでいれば、親は次の子を作ったはずで、その子は健常者だったはずだ。
社会全体で考えれば、自分が生まれてきたために、社会は健常者を一人失い、障害者が一人増えた事になる。
社会に迷惑をかけるべきではない、というのは、小学校で教わる道徳の基本だ。自分は生まれてきた事によって、健常者を一人奪い、障害者を一人増やし、社会に損害を与えた。社会に迷惑をかけた。自分は、生まれてきた事自体が罪だった。罪を一生かけて償わなければならない。
補足2:
「すごいデタラメな論理で清々しい程に突っ込みどころしか無い」と書かれている方他、間違っていると思われる方は、どのへんが間違っているのか教えてくれませんか。少なくとも、自分は真剣に悩んでいるので。
ブクマ出来るなら増田でもトラバ出来るでしょう。「間違っている」という結論だけを書くことは誰にでもできます。理由を説明して下さい。
補足の要約:
「死んでいい」とは言ってない。「死ぬべき」とも言ってない。「生まれてくるべきではなかった」と言っている。
あと、ロングフル・バース訴訟の話も関係ない。あれは、あれは、「間違って自分を産んだ賠償をしろ」と訴えた話。金の話も法の話もしていない。道徳の話をしている。
補足:
ブコメ読んでると誤読してる人がかなりいる。自分は「生まれてくるべきではない」と言っているだけで、すでに生まれてきた障害者をどうこうする、みたいな事は一言も言っていない。自分も痛いのは嫌だ。自分が今から死んでも、自分の死を悲しむ人がでてきてしまう程度には、社会とつながってしまっている。
だからこそ、障害者が生まれる前に、例えば出生前診断みたいな方法で、障害者が生まれてくる可能性自体を排除できれば、社会はハッピー、親もハッピー、そして、俺は最初から存在しないので、わざわざ痛みを感じて死ぬ必要もなく、ハッピーだったのだ。仮に俺が感じている罪の意識が社会通念上受け入れがたいものだったとしても、社会の中で社会通念上受け入れがたい意識を持った人間の比率は減った方がいいので、やはり、俺は生まれてくるべきではなく、代わりに健常者が生まれてくるべきだったという結論に代わりはない。
健常者も多様だし、障害者も多様だ。無能な健常者もいれば、優秀な障害者もいる。仮に、知的能力も身体的能力も障害者は健常者と平均的には変わらず、障害者の社会への貢献度は健常者と同じだったとしよう。だとしても、障害者は治療のために健常者より多くの医療費を使う事は確かだ。障害者本人の貢献度が同じでも、障害者を生かす事自体にコストがかかる。だから、社会は、健常者と障害者を選べる場面では、健常者を選ぶべきだと思う。
成長過程で障害を持ってしまった人については、俺は何も言っていない。ここでの障害者は、先天的障害者に限定させて欲しい。成長過程で障害を持たないようにする技術が発達すればよい、とは思う。
親不孝コメントもいくつか頂いたが、「俺の代わりに健常者が生まれてきた方が良かったよね?」という見方を否定する事は、親が俺を治すためにかかった苦労に対する冒涜だと思う。今は、出生前に障害児と判明しても、中絶と再妊娠しか方法がないから、親不孝に見えるだけだ。将来的に医学が発達すれば、妊娠中の子を完全に治療する技術も出来るかもしれない。その場合でも、障害者が生まれてくる可能性を回避して、健常者を産んだのだから、「障害者は生まれてくるべきではない」事には代わりはないと思う。
彼は運動も勉強も大の得意で、クラスの人気者だった。彼の魅力である身長の低さも、女の子達の母性を擽り可愛い可愛いと口々に言われていたし、体重も軽かったので彼が好きな女の子達は順番で彼を抱っこしたりしていた。
そんなある日、席替えで私は念願だった彼の隣を射止めた。そこは黒板からは遠い一番後ろの席だった。隣というだけで、心が楽しく跳ねたし苦手だった勉強も九九も必死に取り組んだ。恋の力は子供にも効果があるのだと私はこの時初めて知った。
そうして席替えから何日か経った頃、国語の授業を分からないながらに先生の説明を一生懸命聞いていた時の事だった。
机の上に置いてあった私の腕を隣の彼が机の下に、少し乱暴に振り落とした。いきなりの事で何が起こったのか分からなかった私は慌てて彼を見た。すると彼は私の方を見ていたかと思えば、机の下に落とされた私の手をぎゅっと握り手を繋いできたのだ。
初めて繋ぐ彼の掌の体温に子供だったくせに私は心臓が破れてしまうのではないか、と疑ってしまうほどドキドキした。そしてその日は授業の間中片手でノートを取りながらずっと手を繋いでいた。
もちろん先生の話は一切私の耳には入らなかった。
何日か手を繋ぐ日々が続いた頃、彼の動向が変わった。
いつものように手を繋いでいたある日、彼が授業中にも関わらずいきなり繋いでいた手を離した。私は自身の掌の空虚感に戸惑いつつもあまり気にしないようにしながら、授業を受ける事にした。するとその時、彼の手が私の太ももをやわやわと揉んだ。小さな手で揉まれる自分の太ももをぼうっと見ていた記憶がある。彼をチラリ、と見ても彼はニコッと笑っただけで授業中なので喋らない。
それでも私は拒絶するどころか、大好きな彼に触れてもらえるのが嬉しくて、彼が触りやすいかもしれない、と母に不審に思われながらもほぼ毎日スカートで登校した。
左手で太ももを触りながら器用にノートを取っていた彼の姿は今も脳裏に焼き付いている。
そして手を繋ぐ、太ももを触る、の行為が定番化していた時、次は彼の手が私の太ももからするりとお尻に移動した。擽ったくて
身を捩ると彼は、じっとしていて、と小さな声で私に言った。彼の言う事を聞いた私は擽ったさに耐えつつ怪しまれないよう、先生の授業を聞いた。もちろん耳には一切入らなかったのだけど。
そうこうしている内に今度は彼の手が私のシャツを器用に捲り背中をゆるゆると撫で始めた。その妙な感触にまたしても私は身を捩りそうになってしまう。けれど先生にはバレたくないので、必死に取り繕った。
背中をゆるゆると撫でていたかと思うと次はスカートのウエスト部分に小さな手を突っ込み、彼は大胆にも私のパンツの中に手を入れ所謂生尻をクニクニと揉んだ。
なんとなくスケベな事の情報をぼんやりと知っていた私の心臓はあまりの出来事に破裂してしまうのではないかと思う程バクバクと大きく鳴っていた。今思うとあれは性的な興奮だったのだろうな、と思う。
結局彼からの行き過ぎたボディータッチは次の席替えが行われるその日まで続いた。
当時の彼がどうしてそんな事をしたのか、どこでそんな知識を手に入れたのかは分からないが、後にも先にもこれ程興奮する事はないのではないかと思ってしまう程の出来事だった。
周囲の社員の方と比べて、君はなんというか浮いて見えた
身体は小さくスタイルも良くはなく、メガネを掛けた丸い顔は、お世辞にもイケメンと評される容姿じゃない
趣味趣向や人間性についても周囲の方と君はなにか隔たりがあって
同じ課の同年代の集まりに、君が参加しようとがんばってるのは見て取れて
私は混ざれない資質を我が事のように哀れに思いながらも、偉いね、がんばってるねと思って見てた
以前の部署は花形(というのか分からないが)部署だろうし、辞めたとはいえ誇らしく思っているところはあるんだろう
そんな様子はなんとなく哀しく見えた
けどそれでも周囲の人と関わって徐々にうちとけてゆくのを見てて、ああよかった なんて思ってた
君は小さい体で丸い背中で静かに黙って画面に向かってて
なにか我慢してないだろうか、泣いちゃったりしないだろうかと余計な心配をしてた
君が思いのほか積極的でお喋りで、あちこちの仕事に首を突っ込み、それぞれで成果を出し、
いつの間にかバイネームでたくさんのことに関わるようになっていたのは
そばで見ててすごくうれしかったよ
新しいチームでは気の合う同僚も多かったのか、よく雑談しに行ってた
素っ頓狂な声で笑ってるのを度々耳にした
君の声は大きくてフロア中に響く
うひゃひゃ!と高い声で笑う笑い声、正直ちょっとキモい、と思いつつも
君が楽しいなら良かった良かった、なんて思ってた
私にとっての君は言わば子どもだとか、そういった自分の延長線上の存在で
きっと君が、元気で一人で頑張れて、弱さなんかなくなってしまって
私のことなんて必要なくなってしまったら、じゃあ私もいらないって思うようなものです
それは同情っていうのか共依存っていうのか分かりませんが
君が私を要らないっていうなら、そんな君には私はもう愛情の欠片もないので