はてなキーワード: 突っ込みとは
http://anond.hatelabo.jp/20150628100352
青二才くんは「ブスは舐めれるから緊張せず話せる」で炎上したけど
まさに自分自身がその態度を取られてるんだよね。青二才だったら人付き合いベタの僕でもお喋りできると。
本気で将来について説教してくれるような親身になってくれる人間は集まらない。
「最近、都会の街中で見かける野菜や果物の引き売り、調べてみるとマルチっぽい」からの「青果を売った経験から言うと、箱が重いからマルチじゃない」……いろいろ不思議だが全体構造は捉えられた。 / “「疑わしい」というだけで犯罪者呼ばわり…” http://t.co/XY99xSqMUa— 岡田育 / Iku Okada (@okadaic) 2014, 7月 4
物書きなのっておいてそこが要点だと読むなら小学生からやり直せ!バカ! @okadaic 「最近、都会の街中で見かける野菜や果物の引き売り、調べてみるとマルチっぽい」からの「青果を売った経験から言うと、箱が重いからマルチじゃない」…… http://t.co/H8bSfBKUe8— 三沢文也@こっちは本気で遊んでるんだ! (@tm2501) 2014, 7月 4
例えばこの岡田育の突っ込みもおかしな部分を指摘してくれてありがたい話なんだよ。わざわざプロのライターが小物相手に。
この時に謙虚な態度を取っていればコネも作れたかもしれないのに勿体無い。社会性皆無と判断されただろうから青二才はライターの世界じゃブラックリスト入りだと思うぜ。
昔から疑問を感じていた。「なぜ、彼らブロガーは、その浅すぎる考えを世の中に公開できるのだろうか」と。
数少ないデータをもとに一般論を組み立てられるのは、なぜなのか。自分が体感したことを他人も同じように体感するはずだと信じられるのは、なぜなのか。
これらの疑問と同時に「なぜ、彼らの読者は、突っ込みどころ満載の記事を受け入れ、あまつさえ賞賛することさえするのか」という謎も発生する。
「勉強になります」「シェアさせていただきます」と共感し、さらには元記事を前提に自身の考えを披露することもある。
僕は友人に、その理由が分かるかと尋ねた。
なるほど、彼らは本気なのだ。自分の考えや価値観を基礎づける情報の質と量に疑いを抱かないのだとすれば、すべて筋が通る。
彼らの読者も同程度の知性しか有していないならば、彼らの輪の中で記事は"正当"に評価されるのだ。
二種類のレイヤが混ざってる。あと、スクリプト言語のレイヤは要らない。例は突っ込みどころが多すぎるので触れない。
コンピュータ上で動作するもの全て、システム周りの低レベルプログラムを含めてアプリケーションとして括るのはちょっと乱暴。
OSを書いてる人間から見ればユーザープロセスは全部アプリケーションだし、twitterから見たらAPIを叩くものは全てアプリケーションだろう。
基本的には外から持ってきたソフトウェア基盤の上に作るものを総称してアプリケーションと呼ぶのがより実態に近いと思う。
だいたい合ってる。ただ、高級言語より上にあるのは変。スクリプト言語は高級言語に含まれる。
だいたい合ってるが、自然言語云々は余計。例えばS式は自然言語のアナロジーではない。単に比較問題で抽象度が高いかどうかだけの区別でしかない。
OS云々は関係ない。OSもミドルウェアやライブラリーは使う。一般には自分が書いてないソフトウェア・コードをライブラリと呼び、何かと比較してより低いレイヤにあるライブラリをミドルウェアと呼ぶ。
問題ない
ここが一番まずい。まず、中間コードはコンパイラが内部的に処理の段階を分ける仕組みであって、出力ではない。
また、インタプリタはソース言語を逐次実行するのではなく、正確には中間コード(抽象構文木そのもを含む)を逐次実行するものだ。
他のプログラムで実行するコードを生成するものがコンパイラ、自分自身でコードを実行するのがインタプリタ、という区分けがわかりやすいと思う。
ただ、現実的にはインタプリタは内部的にコンパイラを持つし、コンパイラも最適化の過程では内部的にインタプリタを使う。
昨今はLLVMみたいに、コンパイラなのかインタプリタなのかコンテキストによって変わるものもあるので、正直区別しても意味がないと思うけど。
83歳のうちのばあちゃんの話。みんなは83歳のおばあちゃんというとどんなのを想像するだろうか。
おそらくうちのばあちゃんはみんなの思い描く生活を送っていない。おそらく特殊だ。小さい頃にもう片方のおばあちゃんが死んでしまったため、今も生きているおばあちゃんの生態は常識だと思っていた。でもよくよく考えるとなんかおかしい。というかかなり変な気がする。世間のおばあちゃんも本当はこんな感じなんだろうか。誰か教えてくれ
ばあちゃんは毎朝6時前くらいに起きる。このへんは多分普通のおばあちゃんだとおもう。ただ、理由がいただけない。曰く、「朝アニメ枠を見逃さないために、生活リズムを崩してはならない。」早寝早起きのせいか健康すぎるくらい健康だ。というかそもそも朝のアニメ枠って小さい子供向けのアニメとか特撮じゃないのか…?
朝アニメを見ながら朝食を摂ったばあちゃんは前日に録画した深夜アニメを見る。最近の萌えアニメは気に入らないらしい。ぶつぶつ言っている。でも見てる。ちなみにここ数年だとばぁちゃんはコードギアス、SAO、シュタインズゲートがお気に入りだったらしい。ばあちゃんの家に泊まりに行くタイミングで何度も見せられたので、自分まで好きになってしまったじゃないか。それ以外のアニメは気に入らなかったのか、他のアニメは見せてこない。
昼食を食べ終わるとばあちゃんは出かける。近くの山を毎日散歩することで健康でいるのだという。スマホでランキーパーとかいうアプリを使って毎日時間を計っている。ちなみにうちのばあちゃんスマホの扱いもお手の物だ。LINEとかで泊まりにおいでというスタンプつきのメッセージを送ってきたり、スマホゲームも一時期やっていた。家庭用ゲームに比べてスマホゲームは面白みがないと言って辞めてしまった。ミーハーすぎるだろ。
15時くらいに帰宅すると将棋の研究をする。数十年来の趣味だという。めちゃくちゃ強い。一応2段で一般の中だと将棋には自信があるのだが、俺じゃ歯が立たない。これは非常におじいちゃ…いやおばあちゃんらしいと思う。プロの対戦の最新の棋譜をネットで見つけてきて印刷していつも勉強している。たまに、インターネット上の将棋のゲームで圧勝してばあちゃんすげえだろと粋がってくる。
18時までには夕食を食べるばあちゃん。なんでその時間なのかと聞くとインターネットゲームの人が集まる時間は18時から22時くらいなのだそうだ。その時間はネトゲをずっとやっている。そんな中で俺に常に言っていることがある。「目だけは悪くするな。この歳になるとFPSでだんだん勝てなくなってくる。悔しいから目だけは悪くならないようお前は長生きしてほしい」そういう問題なのか?と心の中で突っ込みつつ、ばあちゃんのテクニックを横からみている。ちなみにやっているのは海外のFPSものだ。チャットが英語だということだけわかる。学がないのでそれ以上は俺にはわからない。
22時にはきっちりばあちゃんは寝る。そしてまた次の朝からアニメを見るのだ。こんなうちのばぁちゃん、15歳くらいになって異端だということに気づいた。だが23になった未だに、変だという確信を持ちきれていない。みんなはこんなうちのばあちゃんをどう思うだろうか。
松信章子
最近、心底残念に思った事件は、田中元外相の涙をめぐるコメントの数々です。小泉首相の「涙は女の最大の武器」という時代錯誤もはなはだしい言葉。改革を唱える小泉さんにしてこの言葉とは、天を仰いでため息をつくばかり。そしてこの発言に対し、バカにされおちょくられた女性側をふくめて、誰も深く追求しなかったことは情けないかぎり。反論しなかったことは認めたことと等しいと思えば、女性側の鈍感さと責任を問われても返す言葉もありません。まして数ある小泉内閣の女性閣僚の誰一人、この侮辱的発言に対し毅然として問題点を指摘しなかったことは残念無念の一言に尽きます。
「私も素晴らしい男性の前で涙を流し『武器だ』といわれてみたい」とおっしゃる川口新外相。百歩ゆずって不用意に出てしまった言葉だとしても、この言葉を聞いて裏切られた気持ちになった女性は多いはず。こういう言葉は、普通、一人前の女性なら絶対に言いたくないほど恥ずかしい言葉だと思うので。まして川口さんには古い体質を引きずった外務省たてなおしに国民の期待が高いのです。それなのに、ボケと突っ込みのようなこの首相お追従の言葉は、古い女性観、社会観を変えるのに何の役にも立ちはしないばかりか、女性は所詮こんなもの、という偏見を女性自らが追認したと同じこと。田中さんにしても、もし涙を「武器」として使ったのでなかったならば、小泉発言にきちんと異議を申し立てるべきではなかったでしょうか。どこぞのパーティに呼ばれた、呼ばれなかったという話より、こちらの方がよほど重要な問題です。なぜならこの問題は日本社会のゆがんだ女性観と深く関わっているので。これぞ本質的な「スカート踏みつけ」発言だと思うのですが。
いったい、女性の涙は何に対する武器なのですか。はっきりさせてもらいたいものです。田中さんの涙は小泉首相の決断に何らかの影響を与えたのですか。そんな様子はチラとも見えませでしたが。小泉さんは自分にとってなんら「武器」と思っていない田中さんの涙を「あの人は武器として涙を使っている」とおもしろおかしく論理を捻じ曲げることで、問題の本質をそらし、ワイドショー的な全く次元の違う話におとしめてしまったのです。ワイドショー的な事件となったために、田中人気が盛り上がり、小泉さんは墓穴を掘ったような結果になったのは皮肉としか言いようがありませんが。まったく演歌の世界じゃあるまいし、公の場で女の涙が本当に武器として有効であるならば、話は簡単。私たちは女性を一万人くらい国会の前に召集し、みんなで泣いてやろうではないですか。政、官、財をもっぱら牛耳ってきた男たちが作り上げた日本社会の構造的問題と無責任体制を嘆いて、泣き女に変身するくらいはお茶の子さいさいの話です。
泣くのは女だけではありません。男ももちろん泣きます。そう、鈴木宗男氏は、田中元外相よりもよほど派手に泣いたではありませんか。田中さんは「武器」として涙を使い、鈴木さんはそうではなかったと言うのでしょうか。あの二人の涙が、不随意筋の作用によるものであったのか、あるいは意図的な「武器」であったのか、真相は誰にも分かるはずもありませんし、どちらでもいいことです。首相たるもの自分の閣僚が大泣きをしようが、ウソ泣きをしようが、そんなことは一切無視すべきだったのです。それが「武器」を無効化するのに一番有効な手であるはずですから。そして、一国民として言わせていただければ、どんな涙を流そうが、涙だけであの二人に対する評価に何の変化もありはしないのです。
問題は「女の涙」のみ特別視されることです。そして「女の涙」を特別視し、それが「武器」だと思っている男の考え方なのです。いや、もしかして本心は「武器」とすら思っていないのにもかかわらず、「武器」だと言い張っているだけかもしれません。いずれにしてもこういう言葉が、公の場で国の指導者から出るということはなんとも許しがたい話です。なぜかと言うと「女の涙」発言の裏には「女は感情の動物で論理的ではない」、そして感情に訴えられたら「論理的」であるべき男は太刀打ちできない、といった思想が流れているのは明らかですから。小泉首相的な発言は、極論すれば「涙」くらいしか、女は男とわたり合う能力がないと言っているのと同じこと。まったく、小泉さんの女性閣僚は本心ではどういう気持ちでこの侮辱的発言を聞いたのでしょうか。そして、この偏った視点を全然問題にしなかった日本のメディアの鈍感さをいったいどうしたらいいのでしょうか。
残念ながらゆがんだ女性観は社会に蔓延し、仕事場であれ家庭であれ、日本の女性が始終直面している問題です。ですから、言葉尻を捕えているように思われようとも、「涙は女の武器」発言にきちんと異議を申し立てないわけにはいかないと思うのです。なぜって「女は感情的だ」という思想の延長線上には「だから、女と一緒に仕事はしづらい。女は仕事には向かない。女が組織をまとめるなんてとんでもない。」というような思想が展開するのはごく自然のことですから。女性が心しておかなくてはならないことは、こういう考え方は男性にとっては古着のように馴染んだもので、違和感なく受け入れやすい結論だということ。そして、こういう言葉は無意識のうちに、女性自身の視点、考え方にも影響を与えてしまうということです。でも、涙が「女の武器」だと信じられている間は、私たちは「泣く子と地頭」なみに厄介な存在だと思われていて、決して一人前の人間として対等に扱ってもらっていないと言うことをお忘れなく。まかり間違っても、涙を「武器」に社会をわたっていこうなんて思っても、必ず馬脚をあらわして、人の尊敬を勝ち得ることはまず難しいということもお忘れなく。
横だが、因果が逆でもそういう外観を得たならば、それはこの話においては同じことだろ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/shiomilp.hateblo.jp/entry/2015/06/10/232125
本屋は意思なんか入れずにどんな本でも扱うべきってコメントが主流みたいだけど、洋服がセレクトショップにセレクトされるように、本も店主の意思や信条を反映してセレクトされるべきじゃないのかな。うちではポルノは扱わないよ、うちでは嫌韓的書籍は扱わないよ、はそれほどまずいのかな。
ちっさなお店で、Amazonや楽天、紀伊國屋やジュンク堂みたいな大型店と差別化して売っていこうと思うと、何かに特化したセレクトをして、何かを切り捨てないといけないですよね。
その中で、店頭に並ばない本があったとして、お客様からしたら「これは検閲・修正の一種だ!」とかなるんですかね。
たとえ明確に意思を持って置かなかったとしても、おれはそれは許されるべき行為ではないのかと思うのです。
明日生きられる保障がないのに明日を生きるために頑張ることにどれだけの価値があるのか
っていう命題に直面した時に
か
か
前者をかれこれ三年ぐらい続けたら案外人間ってすぐには死なないんだなって思ってしまった
だから私は、とりあえずは明日に希望を持って生きてみようと思ってる
また数年生きてみたら自堕落に戻るんだろうか
○今日は
バスに乗ってくるなり酔っ払いの爺さんが、「若いモンが席に座るな!立て!」って怒鳴りつける事案を見た
譲ること自体は自由であるべきであって、譲ることを強要させるのは…っていう議論、こういう場でいくらでもされていそう
そういう人間がいるとか、あるいは譲ろうとしたらキレられた、等の理由があって自発的に譲ることをあまり好ましくないと思ってる人も世の中に掃いて捨てるほどいる、私もそう
座って目的地まで行きたいならタクシーでもなんでも使えばいいのにさ
若い人だって、バスで立って帰るのが嫌ならタクシーを使う選択肢はあるしそうする人もいると思う
言われて席を立つ方も一貫性がないよね
言っていることに正当性があると思ってるから立っちゃうのかな。
後者なんだろうな。
ま、そういうことで私は座席は譲りません
あ、眠いから文章がいつも以上に適当なんだけど、特有の「言葉に対する突っ込み」とかはいらないので
それをする暇があるぐらいなら私に時間をください
なんでやるんだ。
そんなこと平気な会社だからジェンダーだフェミニズムだがんがん無視。すごいよ、もしリアルタイムでブコメ付けられたらもう突っ込みどころ満載よ。
IT業界で働き始めて5年。なんとなく自分の周りのみで視野が狭いと思われるかもしれないけど、
定時に帰る人は仕事ができる、という風に感じることが少ない。
効率よくがんばって定時に帰るひとがいるじゃないか、
いろんな人から仕事を依頼されて結果的に残業している気がする。
定時に帰る人はどちらかというと定時に帰れるくらいの仕事量しかないから帰れてると思う。
それの何が悪いの?仕事量をコントロールしてる証拠でしょって突っ込みが入るのは分かる。
だけど、これは感覚的な話なんだけども、この人できるなぁって感じた人で定時になったらダッシュで帰る人を見たことがない。
定時内もパワフルに仕事、定時後もパワフルに仕事ってイメージ。仕事自体を楽しんじゃってるので定時にがんばって帰らなくても、って感じで仕事してる。
そして「私もブログ始めました。よかったら〜」みたいなのも丁寧に付けてる人も多くなってる。
同期ブロガーとか言うクソどもが一時期増えてペナルティーを受けて死んでいった様だが、
そのせいもあってか?そう言ったアメブロ的な古典的手法が増えてきてるのか?目につく様になっただけなのか?
スターだと良くわからないからブコメにしてね ☆(ゝω・)vキャピとか言う馬鹿も居るけど
素直にスターは拡散に無意味ではてブだと拡散されるからはてブしろよ、と言えよ。
コメント欄閉鎖もそう。
コメント欄にコメントされても拡散されないからはてブしろ、ってことだろ?素直に言えよ。
読者登録とかも。はてなの読者登録が多い人ってFeedlyの登録は全く無かったりする人もいる。
そういうのは完全に自ら人に読者登録をして登録返しをしてもらっただけのクズなんだろうな、と思う様にしてる。
実際、そういうブログは読者が何百人居ようとSimilarWebで覗くとびっくりするほどPVが低かったりもする。
ただそれでもはてブに入り込んでくる事がある。
最近はてなは色々とアルゴリズムを変えたらしくて新着に入らない、とか文句言ってる人も居るけどグッジョブ!
文句をいう人が居る、ということはまさに成功しているということ。
だって文句を言ってる人間ってのは「狙って」新着入りさせようと何らかの糞な手段を使ってるわけで。
新着とか人気エントリーを参考にしたい人間からすると、そういう狙った物は要らない。
GoogleのSEO対策とかと同じ。狙って順位を上げた、ということはつまり内容が無いのに無理やり上に来てるだけなんだから。
ああ、これくらいやってくれれば、すごいすごい、嬉しいよ\(^o^)/
私はね、なんの具体的理由もなしにお前はバカだとか言ってくる人とか、
自分の存在したことのある社会でしか物が判断出来ない人が嫌いなんです。
うーん、まぁ別にスラングとかもあるんだから、こんなネットの書き込みでそこまで言うのはむしろ、
日常で友達と話す機会がないのか、と思ってしまうのですがいかがですか?
頭のレベルの違い。
偏差値70以上を何かしらの科目で大学受験模試で取ったことのある人。
このような人は、マクロとミクロの視点で大きな視野を持って、何かを勉強したことがあるので、
受験勉強なんか将来役に立たない、とバカにしてくるような人を理性のないバカと定義するよ。
学歴フィルターのある会社や公務員試験のような努力しないと入れない組織のことです。中小だと高卒や短大卒のだらけの会社とかありますので。
何これ揚げ足?別にいいじゃん。色んな考え方がすることで、人生の想定外の局面に対応できる。
これが勉強や遊びなど、多くの経験をして学んでいくべきことです。
・自分が頭が良い
公務員の国家一般模試で論文試験が5500人中20位だったし、
プレゼンテーションしたらルソーの哲学でもわかりやくてすごい、と評価されて成績よかったし。
観察したり研究したことを多くの視野から考察し、それを自分の言葉で表現するという意味では人より
優れていると思うけど、
あなたみたいに、専門知識はないからこのような指摘を受けてしまうのかな、と思いました。
論文でもないのに、口語表現の何がいけないのか、私にはわからない。
最大多数に伝わればいいから、こんなfacebookとかでありそうな日記文体にそんなこといって、
あなたが慣れてなかったのではないですか?と思う。
早稲田の学生はなぜ「二流」なのか?慶應に勝てないその理由
こちら(http://toianna.blog.fc2.com/blog-entry-46.html)で、慶應AO入試の素晴らしさを解いていた慶應卒有名ブロガーが
突然「早稲田が『二流』であり、慶應に勝てない」理由を語り始めた。
ここまででも突っ込みどころ満載だが、
次に「学問分野の貢献」で考えてみよう。世界大学ランキングがの一つを見ると、慶應は197位、早稲田は220位。どちらも奮わないが、世界ランクでも早稲田が劣勢に置かれていることが判る。
と、きわめて恣意的な抜き出しを行っている所にも着目して欲しい。
(THE2014-2015 http://hot-topic-news.com/world-university-rankings2014)
QS2015 ランクイン科目数順位
2位(29科目):京都大学
5位(19科目):東北大学
7位(16科目):九州大学
となっているにも関わらず、あえてQS2014-2015を取り上げて
一科目入試のSFCに、あたかも「三科目全部の偏差値を40伸ばして」合格させたような内容を書いて有名になった "ビリギャル" がネットで叩かれたことは記憶に新しいが、
特定の心当たりがあるからというよりは、因果関係が間違ってる、突っ込みどころがあるから気になるんだと思う。
単に「今恋愛できないのは中高生のときしなかったせい」ということに対して、いや「経験がなかった」ことは関係ないだろ、というツッコミをしても、元増田が「あれば何か違った(かも)」というスタンスを崩さないから。
そりゃ何かキッカケがあったら何か違った「かも」しれないが、逆に今も変わらないならどんなキッカケがあっても増田は恋愛市場に飛び込まなかった「だろう」な、という。どっちも不確定要素について話してるから平行線だよな。
元増は自己評価が不当に高いからさらに突っ込みたくなる。「本当はこんなはずじゃなかった」という意識が透けて見えるから、「それは間違ってる」と言いたくなるんだろう。
謙虚そうなものいいをしてるが「本当は中高生当時偶然天使がよってきて、地味かもしれないが俺のおめがねに叶う程度で、しかもブサな俺にも優しくしてくれて、なぜか惚れてくれて、それによってその後ずっと効力がある自信と行動力をつけてくれたはずだったのに」というのが元増の本音なんだよなぁ。
なぜ釣り師に転向したのかというと今はそちらの方が主流だからだ。
まとめサイトなんかを見ていても思うがこのところの「煽り」は優しくなってきているしジョークのようなやりとりも見受けられる。
そしてなにより煽りは心理的に疲れるし突っ込みの甘さ故煽られる事の方が増えてきたこともある。
そんなある日、初めて釣りをして煽られる事や鋭い突込みを受けることにはまってしまったのが始まりだ。
もちろん、釣りの始まりは釣りであるはずはなく事実を書いたのだが釣りだろと言わたのが始まりとでも言おうか、Q&A形式でも無いのにコメントが貰える事に驚愕した。
掲示板に書き込む以上は慰めを求めているわけだが叩かれまくった結果、常識人の回答を得たり慰めを得るにはどうしたらいいのか、考えた。
自分とか相手の立場を錯誤させると、違った視点からのコメントが貰える事に快楽も覚えた。
釣りをするときは主に、得たい感情の立場の人と逆の設定にする。
たとえば自分がこれって正しいですよね?自分普通ですよね?ということが知りたかったとする、
そういう時は自分の立場のキャラクターを悪者にして第二者関係の人の立場でこいつぼこりたい!とか書く。
そうやって鬱憤を晴らす。
だが、近頃は釣り判定が発達してきて報告者が加害者だろと見つけられて報告者側も叩かれ始める。
これではまずいと思って最近は第三者キャラというものを増やしてみた。
第三者キャラというのは、今日こんな事件があって二人ともどっちもどっちだよなというあれである。
するとどこが釣りなの?となると思うがその事件そのものが創作であったりする。