はてなキーワード: 放射性廃棄物とは
政府ドメインリスト https://cio.go.jp/domains にあるドメインを対象に、その下のページが何回はてなブックマークされたかのランキング。
このランキングの効用 - 政府サイトのどこを見れば面白いのかがわかるかも
昨年11月から始まって、あと2回あるんですけど、私は離脱します。
私は「学者の社会的責任」の当事者。10代のときに年上の学者と関わり、精神科医のまねごとをされて、PTSDを負いました。
「哲学者に精神科医のまねごとをさせないでほしい」という大切な教訓を教えるために東京大学に足を運んでいる。
「学ぶことはすばらしい」みたいな価値観を吹き込んでいるが、モンスター高齢者・モンスター障害者を育てない。国民の義務は勤労(憲法27条)と納税(30条)。
振り返って、全員が勉強すべき内容は何だったか?…憲法と経済学。
沖縄の子どもの貧困率は29.8%。子どもが貧困にあえいでいるのに、都市部の高齢者が東大の先生の話を何度も聞いている。
原発と同じで世代間倫理の問題。年寄世代が作った放射性廃棄物を若い世代が押しつけられる。
必要なのは合理化。やたら「変われ変われ」と言われるんだけど、国立大学法人改革つーのは「お前らが変われ」ということ。お前らが変われ。
文科省科学技術・学術審議会 平成21年1月20日『人文学及び社会科学の振興について(報告)-「対話」と「実証」を通じた文明基盤形成への道』
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu4/toushin/attach/1246379.htm
(1)独創的な研究成果の創出…独創的じゃないって
(2)歴史や社会に根ざした研究活動の展開−日本で創造された知への関心…浮世離れしてるって。海外のマネばっかりだって
ガンになる可能性が高くなろうが、福島県の桃柿米を食えという。
キチガイか。
もう農業は諦めて、世界中の放射性廃棄物を集めるゴミ処理場でも運営しろ。
食いたいやつは黙って全て買って食ってろ。
家庭科の授業で地球温暖化の話があった時に思い付いて、13秒くらいで膨らましただけの話だから、真に受けずに流してくれ
放射性廃棄物も二酸化炭素も人間の手には負えないわけだが、事故が起きた際、局所的に甚大な被害を及ぼす原発よりも、慢性的に地球全体に悪影響を与える二酸化炭素を排出する、火力発電の方がヤバい可能性ない?
温暖化して氷が溶けて永久凍土も溶けてメタンガスだっけ?温室効果ガス更に発散して~ってなるよりは、なかなか事故起きないし二酸化炭素出さない原発の方が、「人間がどうこう」ではなく「地球的にプラス」の可能性がわんちゃんあるのでは?
今後膨大な放射性廃棄物が発生するとしても、その頃に技術が追い付くように研究費を出し研究者を育成すれば、原発と、自然と、地球と共存しながら、滅ぶまで人間は電力を用いながら生きていけるのでは??
放射能によって遺伝子に変異が生まれたとしても、それは生命の進化じゃん????
って思ったりした。
あまり深く考えてないのでへーで流してほしい
遺伝子ってこえー!って思う。
絶対親に似てるの。
怖いよね。
同僚が死んだので葬式行ってきたのだけど、なんかもう笑っちゃうくらい娘も息子もそっくり。
笑っちゃだめなんだけど。
息子はお父さんのコピペのような顔してて、娘はお母さんのコピペのような顔。
こんなことを子供を見るたびに思う。
おっと、こういうことを言うと「我が子は特別かわいい」とか「相対的なものだから不細工がいないと美男美女も成立し得ない」とかいうやつがいるが、そんな話じゃない。
単なる現実の話だ。
私は
旦那は
父親申し訳ないがブサイク×母親申し訳ないがどブサイク=ブサイク
というブサイク同士趣味が合うというだけでつがいになった妥協婚の代表例なのだが、
何かの間違いで子供を作ってしまったらブサイククリーチャーが生まれるということだ。
よく、知り合いの子供を見ると子供が欲しくなるよ!と言われるけど、
むしろ逆で子供を見れば見るほど子供は親によく似るし遺伝子には逆らえないということをヒシヒシと感じることになるので、
どんどん子供が欲しくなくなる。
ほんと、遺伝子ってこえーな。
よく少子化だの何だの言うけどさ、昔に比べてブサイクがお見合いとかで処理されることが減っただけでしょう。
いい年した男女が結婚しなかったり子供作らなかったりするのが許されなかった時代は、
今はお見合い進められたりするのも減ったし、ほんと、本人にする気がなければしないまま死んでいくし。
こんな顔で残してくれなんて頼んでねぇよ!
牧悟郎教授だっけ?
あの人、入水自殺したことであっさり片付けて遺した図面だけがスポットに当たってるけどさ、
アメリカへ去った人がわざわざ戻ってきて自殺するの違和感がある。
当て付けだとしても、遺書代わりの図面とメッセージを政府に送りつけてもいいだろうし、自殺方法自体も自宅とかで首吊ったらいいのにね。
ゴジラの発生源で、ボートに「好きにしろ、好きにした」と書いて、地図には発生ポイントらしきところに目印まで付けて入水自殺を選ぶ理由は?自殺する際の目印以上に意味があるんじゃないの?
あの人食って、ある程度知恵というか、地上こそが生息地だろという本能を与えられて都心上陸したんだとという感想というか妄想を抱かずにはいられなかった。
水生生物なら自重で潰れるはずなのに、実際は陸上でも(進化して)活動できたっていうのは、政府の初動対応の不手際や人間同士の議論の稚拙さを表現したというよりは、
ゴジラが単純な水生生物から進化していってるその不気味な様子を言い換えたもので、その進化のきっかけは、人間の教授を食ったからなのかなってね。
冷却停止して第四形態のゴジラとしての役割を終えたから次は人型(最終形態?)に進化だっていうオチなんじゃないか?
タオル首にかけてた准教授が「(放射性廃棄物を)食ってたわけじゃなかったんだ!」とか
津田寛治がおどけて「あの歯じゃ食えなくね?」っぽい事を劇中で登場人物に言わせるところが、
逆に「牧悟郎教授だけは食べてる」っていう設定を逆説的に引き立たせるというかそういう気がしてならない。
あまり映画は見ないし、映画批評なども出来るような人間ではないのですが、
大学で多少「核のイメージ」の歴史について勉強したことで、「ゴジラ」について関心を持ちました。
そんな折に、ちょうどシン・ゴジラが公開されると聞き、せっかくなので、見てみることにしました。
ゴジラに血液凝固剤を流し込み、ゴジラを凍結させることに成功させました。
また、ゴジラの放出した放射能の半減期は2~3年程度だったため、除染もスムーズにいきそうだと希望が湧いてきたときのことです。
主人公・矢口が語ったセリフは「我々はゴジラと共生するしかないんだ。」だったのです。
これは、ゴジラ第1作目(1954)の古生物学者山根の「水爆実験が今後も行われるなら、またゴジラが現れるかもしれない。」というセリフと比較すべきでしょう。
1954年版のゴジラは、おそらく「反核」のメッセージが強いものだったと言えます。明らかに第五福竜丸事件で被害にあったような、水爆実験などを批判しています。
一方、今回の「シン・ゴジラ」を反核映画と捉えることは難しいでしょう。(少なくとも最後のセリフからは。)
「核と共生せざるを得ない」ということがメッセージなわけですから。
確かに、現実を考えると、核(ゴジラ)と我々の生活は切っても切り離せません。
ほとんど稼働していないとはいえ、原発は残っていますし、放射性廃棄物もたくさん残っている。
冷戦は終わって、おそらく核戦争の危険はないといえども、今もアメリカなどは大量の核兵器を持っている。
「反核」の想いを抱えている方々であっても、核が0になる世界を作り上げることは出来ないということはわかっていると思います。
複合的な理由はあるんだろうけど、俺が敵味方思考に走り出した自覚的な理由は「考えるのが面倒」だから。
インターネットの発達で、色んな陣営の主張がわかるようになり、また個人レベルでもおおいに発信されるようになった。海外からの情報も入りやすくなった。ネット以外でも出版、あと(批判されがちだけど)テレビなどもある程度扱う情報が増えたと思う。
一見それは、様々な意見が聞けるのだから、敵味方という二分論思考から離れる理由になるように見える。
だが実際は違う。
あまりに情報が増えすぎると、全てにメリットとデメリットがあり、賛否両論で、明確な答えなどないと分かってしまう。「それでも考え続け、その場その場で完璧でなくとも少しでもマシな選択肢を選びましょう」というのが理想的な姿だけど、常人にとってそれは苦痛すぎる。それは、誰かや何かを救うための自分の選択によって切り捨てた側のことも常に意識し、罪悪感に苛まれ続けられることを意味するからだ。
たとえば『これからの正義の話を~』で有名になったトロッコ問題では、一人を犠牲にして五人を救っても、一人を守るため五人を犠牲にしても、誰かを犠牲にしたという意識から逃れられない。
同様に、原発稼働に賛成すれば福島の再来や放射性廃棄物のリスクを仕方ないとみなしたことになるし、反対すれば電力不足による様々な悪影響を仕方ないとみなしたことになる。その不安、苦痛、後悔、罪悪感、責任をまともに受け止めるのはあまりに辛すぎる。
だから、「こっちにつく!」といったん決めたら、反対陣営の主張になど耳を傾けず、奴らは敵と断じて俺が最初につくと決めた方をひたすら信奉する。或いは、そもそも選択を放棄してその問題について関心を持たず考えないようにする。そうじゃないと正気が保てない。
一昔前に手あかがつくほど言われた、「大きな物語の崩壊」みたいなもんかもしれない。それによってアノミー状態になるとか宗教やオカルトに走るとか言われたけれど、社会や政治、更にはエンタメ分野や個人的問題でも自陣営をひたすらよしとするのは宗教やオカルトと同じだ、信奉や信仰だ。
居酒屋の親父かっつうんだよ。
いけすかねえニュースを見たら、その登場人物を詰る前に、まず報道のしかたの方を疑えよ。
だいいち、そのニュースにお前ら、何か具体的な迷惑を被ったのか?
迷惑被るとしても、それは直ちにコメントしないとやばいくらいなのか?
コメントしなきゃお前ら、窒息して死んじゃうのか?
違うだろ。
コメントする前に、考えろよ。考えて分からないことは調べろよ。
複数のニュースソースを追うとか、問題発言の前後の文脈を読むとか聞くとか、一連の流れをまとめるとかしろよ。
調べても分からないところまできたら、また考えろよ。
考えて考えて、冷静な状態でコメント書いて、一晩置いて、翌朝見直して、それでも頷けるような内容のみネットにアップしろ
よ。
その場限りのただの野次なら、しない方がマシだ。
そんなのゴミだろ。放射性廃棄物よりよっぽどタチの悪い糞ゴミだろ。
そんなゴミを大量に浮かべてるせいで、一晩一月一年費やしたような冷静な意見が小さすぎて、届くべきところへ届かないんだ。
東日本大震災でお前らいったい、何を学んだんだ?
ふざけんなよ。
万が一、その場限りの野次が大量にリツイートされたりいいね!されたり星がついたりして、
それでお前らが鼻高々になることがあったとしても、
まず間違いなくそういう野次は、その10倍から100倍の見えない人間に小馬鹿にされてるから。覚えとけ。
大多数のお前らがそんなんだから、マスメディアがお前らのこと舐め腐って成長しねえんだよ。
お前ら、踊らされてるよ。目ぇ覚ませ。
感じる前に、考えろよ。
「スギ花粉にすぐ反応してクシャミばっかりする人たちに、私は心底うんざりしているのだ」
ってのは、ちょっとどうかと、俺は思う。
ヒドイ自称をしてるが、俺は映画やドラマやエンターテイメントが好きだ。
(作品を貶すよりも)鶴を見つけたと叫ぶ方が有意義だと思ったから、そうした。
批評家から酷評されようがファンからブーイングを受けようが映画館に足を運ぶのは、そこに輝きがあるからだ。
例えば昨今のイカ人気に便乗するなら「ザ・ビースト/巨大イカの逆襲(1996)」というパニックムービーがある。(日本では劇場未公開・TV公開)
娘に海の無慈悲さを説く主人公である父親には(ゴジラ作品に通ずるような)自然への畏敬がある。
ただ、有り体に言ってジョーズの何番煎じかの作品で、秀作とは言えオススメするのは難しい。
しかし、単なるパニックムービーに深みを与える演技を魅せた主人公のWilliam Petersenは、
「CSI:科学捜査班(2000~)」でギル・グリッソムを演じ、ハリウッド殿堂入りを果たしている。
つまり、どんな作品にもそこに関わった人間の思いが込められているし、
駄作と酷評されるような作品にも、愛と信念を持って臨む人間が居る。
こちとら最初から「何が(何を持って)成功か失敗か」という話はしていないんですよ。論点分かってくれ。 /この人のように実際に観てから言ってる人には何も言うつもりはないんです。
十分に論点を理解した上で書いたが伝わらなかったのは俺の力不足だからだろうし、
これが個人攻撃に見えてしまったり、曲解した上で叩いているように見える可能性もある。
ので、ゴリッとidを入れておいたので、不愉快に思ったら手数をかけるが削除申請して欲しい。
少なくとも「自分の好悪」であると主張しているのは、俺は好ましい態度だと思う。
だからこそ、共通点を探ろうとブログを読み(slinky_dog_s11さんの好きであろう)ゴジラシリーズを週末かなり観た。(正直キツイし時間かかった……)
だもんで例示としてあげるのはローランド・エメリッヒ監督のGodzilla(1998)にするが、
俺は、パニックムービーとして良く出来ていると思う。ジャン・レノも良い味出してるし。
しかし、「ゴジラ」ファンがこれを「ゴジラシリーズ」として認めるかは、意見が割れると思う。
ゴジラ(1954)にある自然への畏敬や人間社会への風刺はホトンド無いし、
フォーマットとして確立していたゴジラvs怪獣という点も無く、独立している。
そもそも、それまでのゴジラの造形からあまりにもかけ離れている。
こういったハリウッド化が何度も繰り返され、slinky_dog_s11さんの好きなゴジラや特撮が、
そうではない別ものとしてハリウッド化が何度も何度も繰り返し為されていたとしたら、
「ハリウッド化!」に対して「もう止めてくれ!」と叫ばないだろうか。
それを、「ゴジラを見ていないし思い入れも無い人」が「ハリウッド化に騒ぐ特撮クラスタは目障りだから止めろ」と言ってきたら、
「ゴジラ好き」達は、素直に「次こそはという可能性もあるから黙って待つか」と思えるだろうか。
そもそも「実写化」というのは別に本質じゃない。次元を超えるせいで、単に目立つだけだ。
例えばリメイクやリブート、コミカライズやノベライズ、もっと言えばアニメやドラマのシリーズものだってそうだ。
第三者が別のキャンバスを持って現れ、横で少し真似た絵を描き始めた
http://blog.goo.ne.jp/yukks453145/e/12eb31fc9d5080c07c838ef6fb4ea238
slinky_dog_s11さんも書いてるよな。的確な比喩だと思う。
自分の好きな絵の名前で「これこそが名画でござい!」と模写を披露してるのを、見るわけだ。
その模写は、原作の絵を知っている人間が見ると、とんでもない模写なワケだ。
もしくは、「トンデモナイ描き方を始めた」ように見えるワケだ。
例えば最近だと寄生獣(2014, 2015)があるな。放射性廃棄物を使った演出で、一炎上あった。
個人的にはね、ミギーの阿部サダヲの名演とか、寄生獣を実写で見られたというワクワク感も無くは無い。
でも、あの映画があると(あった事実は消せないよな)「寄生獣っていうのは、ああいう思想の作品なんだ」として記憶される訳だよ。
主人公に寄生する謎の生物であるミギーもさ、「なんかヒョウキンなバケモノが腕についてんな」という評価になるわけだろ。
人間から見たら冷酷な(でも事実を言ってるだけの)ミギーに対する違和感や嫌悪感、そこからの「共生」みたいなものは読み取れないわけだ。
漫画を読んだら判るはずの良さが、映画を観た人には伝わらない。
観た人に演繹されて「ああ、原作もこういう作品なのね」と思われると想像して当然だろう。
そして、そうなるであろうという不信感・違和感が、「止めてくれ!」と叫ばせるわけだ。
「ここが違う」「そこが違う」として細かな差異をアゲツラウってのは、本質じゃないと思う。
それは「不安だ!不信感がある!」という違和感を上手く言語化できないだけじゃないかと、俺は思う。
俺は、初期の段階で騒ぐのは良いことなんだと思ってる。
少なくとも、熱心なファンが居ることは伝わるわけだし、プレッシャーもかけられる。
島本和彦みたいに「原作を変えたんだから、実写も変えろ!」みたいな面白しなくても、伝わる可能性がある。
そして、この中で、作品がより良くなる可能性があるのは1番しか無い。
だから、「実写化!」にファンが即応して「マジかよ!」と叫ぶのは合理的だ。
俺は、ブコメでも言及されていた「るろうに剣心(2012)」を邦画と呼ぶのには強い抵抗がある。
(るろ剣に関しては語りたいことが山ほどあるが、本筋ではないのでここには書かない。需要も少ないだろうしな)
それぐらい、「邦画」界や「ドラマ」界隈ってのは特殊で、ハッキリ言って漫画やアニメを実写化するには向いてないと思う。
だからこそ、Twitter等でファンの声を製作者側に伝えられる機会があるなら、もっともっと騒ぐべきなんだと思ってる。
そして、そういうファンの存在を「受け入れがたいので目を背ける」コトが出来ずに「本当に嫌い」として黙れというのは、狭量じゃないかな。
http://anond.hatelabo.jp/20150619121107
(※追記:Twitterみたら個人攻撃にしか見えない感じになってたので題名を修正。あと、ゴジラ24本観終わったので、残り6本のはずだが近所でレンタルしてねえ……)
ブログ炎上中ですが、僕のコメントだけ表示してくれないから泣きそう。
コメントしたのは以下の内容。
おなべちゃんねるのアカウントまで削除されてるのでしょうかね。。。
被曝云々は言ってないとのことですので、以下あなたがTwitterで拡散した記事です。
http://iup.2ch-library.com/i/i1262337-1408072274.jpg
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=287845
輸血される血液の本当の実態は放射性廃棄物と同様の毒物である。放射能汚染された廃棄物を体内に投与されるのと同じである。輸血は放射性廃棄物を入れるのと同様の保険金殺人事件である。
輸血は生物化学兵器のテロに近い犯罪である。感染症を広げた元凶も血液利権である。赤十字社は世界最大の生物化学テロ集団である。また輸血はガン治療の総放射線量と同等の猛烈な放射線がかけられており、血液としてはまったく変質した放射生物質になっており、実は血液としての性質や機能は既になくなっている有害な毒に過ぎない。
実は輸血によって救われた人など歴史上、まったくいない。
http://agora-web.jp/archives/1585051.html
そもそも放射性廃棄物を○○万年安全に保管できた人などいないのです。
したがって、"死者の期待値は"計算不能、と言うのが正しいはずで、
"年間0.2人"などと断定はできないはずです。
そもそも原子力発電を考えてた時代(戦後まもなく)は、放射性廃棄物の放射能を
安全にゼロにする技術がそのうち見つかるだろう、ということで、原子力発電を始めたんだけど、
その後いろいろ研究してみてもその方法は見つからず、結局地層処分とかいう
穴掘って埋める(あるいは”くさいものにふたをする”)ことになってしまった訳で。
"ブックマークの一覧は非表示に設定されて"いるから、ムカッときて
ここに書いてみた。
10分で見るのをやめた。
冗長すぎてつまらんし最終的にも何も思わないだろうってことがわかったから。
でも正直どうでもいいよ。
今原発の恩恵に預かれるのであれば未来なんてどうなってもいい。
少なくとも地球のため(キリッ)未来のため()とかの偽善に満ちた反吐が出そうな主張なんかよりはマシだ。
自分の地域に原発ができたって何も思わないし別に死んでもいい。
原発がなくなっちゃうならまあ仕方ないとも思うけど、基地外のように反原発を叫ぶのもどうかと思う。
原発あったほうが便利だしいいんだよ。自分さえよければいい人間には最強に便利なんだから。
こちとら今後何十年か、いや1年後、5年後、10年後ですら危ういんだ。
10万年後なんか屁でもないわ。
【映画配信ページ】http://www.uplink.co.jp/100000/2014/
http://anond.hatelabo.jp/20140114151838
しかし考えてみろ。
電車は 発電所で化石燃料を燃焼→電気エネルギー→運動エネルギー に変わっているだけだ。
3ステップ必要な後者のほうが効率が悪いのは明らかで、結局発電所で多くのCO2などが排出されている。
今では原発の稼働率が下がって電車の排出するCO2は実質的に上昇しているが、
そもそも、原発から排出される放射性廃棄物なぞCO2とは比べ物にならないほどろくでもないものだ。
火力にせよ原子力にせよ、エネルギー資源の転換が必要なのは明らかで、
では人類がこのエネルギー問題を乗り越えられたと仮定して、その先に電車の有用性はあるかということを考えよう。
例えばの話だが、メタンハイドレートが実用的な資源になったとして、発電などに使われるようになったとしよう。
だが、だったら最初からメタンハイドレートで動く汽車を作ればいいじゃないか。
以上より、このような結論にいたらざるを得ない。
電車は将来にわたってクソ
しかし考えてみろ。
旧来の自動車は 化石燃料を燃焼→運動エネルギー だったものが
電気自動車は 発電所で化石燃料を燃焼→電気エネルギー→運動エネルギー に変わっているだけだ。
3ステップ必要な後者のほうが効率が悪いのは明らかで、結局発電所で多くのCO2などが排出されている。
それでも電気自動車が環境にやさしいと喧伝されてきたのはなぜか?
今では原発の稼働率が下がって電気自動車の排出するCO2は実質的に上昇しているが、
そもそも、原発から排出される放射性廃棄物なぞCO2とは比べ物にならないほどろくでもないものだ。
火力にせよ原子力にせよ、エネルギー資源の転換が必要なのは明らかで、
では人類がこのエネルギー問題を乗り越えられたと仮定して、その先に電気自動車の有用性はあるかということを考えよう。
例えばの話だが、メタンハイドレートが実用的な資源になったとして、発電などに使われるようになったとしよう。
だが、だったら最初からメタンハイドレートで動く自動車を作ればいいじゃないか。
以上より、このような結論にいたらざるを得ない。
電気自動車は将来にわたってクソ