はてなキーワード: 余暇とは
DINKSは後から後悔する、子供は作っておいたほうがいいなどの言説が世の中の多数派なのかは分かっていたが、うんざりしたのは自分がDINKSを選択したからだろう。
日本特有なのか、世界もなのかは知らないが、上記の言説を支持する層は子育てを軽く考えてはいないだろうか。
昔ならいざ知らず、今の時代、子をまともな年収を得られる職に就かせ、安定した生活を送れるところまで育てるのにいくらかかると思っている。
そしていくら教育費をかけてもいじめ、不登校、ひきこもり、ニート、子供部屋おじさんおばさんになってしまえば親にとってはリスクでしかない。(もちろんいじめは加害者が悪いがゼロにはならないだろう。)
また子供を介護要員として考えている人があまりに多く、まだこんなにいるのかと絶望的な気持ちになる。
そういう人たちは、もし子どもが生まれてからずっと介護が必要な人生を歩むことになった時は騙された、とでも言うつもりか。もしくは見捨てるのか。障害児の話などを読むと逃げる父親も多く、母子で貧困生活を送ることとなる。
自分たちが受けてきた生活を、実子に与えられるとも思えない。世の中は高所得のイスの奪い合いだ。むしろ少子化したほうがいいとさえ思える。
2.DINKSは我儘なのか
アラサー共働きでそこそこの収入は得ている自覚はあるが、東京では正直苦しい。
地方に行けばいいという的外れなアドバイスをもらう前に言いたいのは、凡人に選択肢は多くないことだ。
地方都市出身なので公務員、医療、電気ガス、自動車メーカー系の職に就ければ、我が地元では安泰だっただろう。
しかし自分の能力はそこまで高くないことは自覚していた。そういった職種につけない場合は低収入になってしまう。だから東京に出てきた。凡人でもそこそこの給与を支払ってくれる。
リモートはできない。いつかはできるかもしれないがリモートできないからといってこの生活を手放す勇気はない。
年金は自力で準備しないといけないし、自分達の老人ホームへの入居費用も必要だ。親の介護もしないといけない。
通勤に1時間かかり、残業もあるから毎日の余暇時間は少ない。平日はNetflixをみるくらい。
友人も関東にいる。子供のいる友人とは滅多に会えないが独身やDINKSの友人たちとたまに会う。
何より配偶者がパートナーであり友達だ。二人で頑張って楽しく生きたい。この人の仕事も東京だ。簡単には引っ越せない。
自分たちの生活で精一杯なのに、今以上に難しい時代になると予想される世の中を渡っていける子どもを育てられる自信がないのである。
親世代に与えられた環境を用意してあげられない、ひどい世の中で苦労してほしくないのだ。
子供がいれば全て解決するなんてことはない。自分が何者にもなれないことを子供を作っただけで、何かを成した気がするのは無責任だ。
DINKSを選択するのは身の程を弁え、キャパオーバーにならないためだ。
当たり前だと思う。誰も自分が苦労することがわかっていてその選択をとる人は多くはないだろう。
ましてやその子が幸せになれるかもわからないのに、苦労する気もおきようか。
最近女性から学と職を奪えば、昔みたいにポコポコ産むようになるといった極論を見かけるようになったが、ありえない。
自分と価値観の合う、話せて、金銭的にも精神的にも助けられているパートナーがいることでどんなに心強いか。未来の誰かの自由を奪い、パートナーを奪うことと同じである。
親は子供をその時代で幸せに生きていけるように手助けをするのが義務だと思う。
10年くらい前からブログを書いていて、だけどこの5年くらいは年に数本書く程度に縮小していた
実質5年くらいしかやっていない
だけどその5年くらいはほぼ週末を使い切って週五以上のペースで書き上げていたし、3000文字程度+図解と結構手間暇掛けていたんだ
あるときふと休息期間に入ったら途端に書けなくなってそのままペースが一気に落ちた
で、最近又似たような内容で書き始めて同時に動画にもしているんだけど、これがとんでもなく難しい
自分に才能が無いのは承知しているからとにかく書いて工夫して評価して貰ってモチベ上げる以外にないんだけど、月一の動画投稿が限界だなって
なんでこんなに作れないのか自分でも疑問だ
15分程度になんで1ヶ月もかけるんだ俺は
内容を詰め込んでいるのもあるし各種資料を読み込むことが必須だから迂闊なことはできないってのもあるけどさ
肌感覚ではあるが、最近どうも子を持たないような風潮がある気がする。
調べたところ、子を作らずに夫婦共働きをする生き方を、最近は「DINKs」と呼ぶらしい。どのくらい一般的な言葉なのかは馴染みがないため解らないが。
私は40年近く、そのDINKsと呼ばれる生活を続けてきて、つい先日還暦を迎えてしまった。
しかしながら、正直DINKsという道を選んだことを後悔している。
子を持たない選択をした20代の自分の価値観や知見と、実際にそのまま突き進んだ先にいる60代の自分の価値観や知見との間に大きな乖離があった為だ。
平易に言えば、若く経験もない20代の頃に考えていた「合理的な選択肢」は、そこから40年近くの人生経験を積んだ60代になってから見えてきた「真に合理的な選択肢」ではなかったということになる。
2.フルで共働きが可能なので、経済的にも余裕のある生活ができる
・上記の結果として、金銭的・時間的に余裕を持つことができるので、例えば趣味に時間を割くことができるとか、いい家に住めるとか、車を持てるといった形でその恩恵を受け、実生活における充実度は上がるものだと考えていた。
・趣味に打ち込む時間が多い分飽きも早い。たまに打ち込むからこそ長く続く趣味になるのだと、飽きてから気が付いてしまった。
・そもそも60代にもなって増田をしている時点で、どれだけ余暇を持て余しているかは察することができるだろう。
・子供の成長や受験・結婚など、子の人生における成長過程はその1つ1つが親の人生においても大きなイベントになる。
→子を持たなかった結果、そのようなイベントが少なく、起伏の少ない人生を送ることになり、総合的な満足度は低くなると気が付いた。
・最近よく耳にする「コスパ」という概念に当て嵌めるならば、低コストではある一方で低パフォーマンスな人生になり、総合的にはむしろ子を持った方が充実した良い人生を送ることができたと思う。
・2人で働き、子に使う分が浮いた結果手にしたお金の使い道など、精々いい家に住む、家具や車を買う、趣味の道具を揃える程度であった。
→正直お金は余る一方なので、共働きと子なしで収入を増やし支出を減らしたところで仕方なかったと、今になって思う。
・この生活をしていて、周りの人々から「お子さんは?」と訊かれることが非常に多かった。その度に社会通念に反した自らの選択の合理性の説明を強いられる上、結局は価値観の相違に帰着する為、腑に落ちない顔をされるか、「成程」と適当な相槌を打たれて終わるのみである。
特に、親の死に際に「孫が見たかった」と言われたのはかなり精神に応えた。親には子を持たない選択について話していた上、それなりに理解してもらえていたのだと思っていた分、最期に親との隔絶を突き付けられたのは相当に苦しいものがあった。
ただ、これは増田が若かった時の価値観に依る部分があると思うので、今の若い人であればそこまで周りに精神を削られることはないのかもしれない。
・まだ60代で比較的身体は動くと思っているが、これが70代や80代になってもお互いで支え合うのは正直苦しいと思う。
なお、子供を介護要員として捉えるのは利己的に映るかもしれないが、増田自身も親の介護に奔走していた時期がある。
則ち、「親を介護し、子に介護される」というところまでが1つのサイクルなのではないかと最近になって思う。
・子を持つようになると、皆家庭内のことで忙しくなり、暇な私と休日を過ごしてくれることはなくなる。
また、子育てという共通の話題を持たないことによる疎外感は存外大きかった。
・20代、30代の頃は学生時代や職場の友人とこの先も仲良くやっていくことができると考えていたが、実際は友人がどんどんと家庭の時間を重視し、私からは離れていった。
・一番苦しいと感じているのがこの点である。子供を持った方が良かったと、気づいた時にはもう遅いのだ。
・40代も近くなり、身体的に出産が難しくなってから急に結婚や子作りに取り組むようになる人を見たことがあると思う。これも歳を重ねるうちに上記のデメリットの大きさに気付いた人の末路だと考えている。
かくいう私も、40代に差し掛かる頃に妻と最後の話し合いに臨んだことがある。その時点ですでに子を持たない選択をしてから10年以上が経過しており、既に周囲にも十分に喧伝していた手前、自らの選択を撤回できずに進んでしまった。
あの時に柔軟な選択肢を取ることができれば、或いは違った状況だったのだろうか。時すでに遅しと理解しつつも、やはり考えてしまう。
・DINKsに魅力を感じている人はもう一度よく考えて欲しい
→DINKsによる経済的・時間的なメリットは、結局そこまで享受できない。
→一方で、DINKsに踏み切る際に意識していなかったデメリットは40代以降に顕在化し、気が付いてからはもう取り戻すことができない。
・20代での想像と60代になっての実感は相当にギャップがあるということを20代のうちに知っておきたかった
→今これを読んでいる人の中に子を持たない選択をしようとしている人がいれば、考え直して欲しいと強く思う。
漫画を80ページも描けるなんてすごくない?理想の推しカップリングの生活をずっと描いける人生でありたかった。
原作が終わって立って推しカプの人生はずっと続くのだからあなたはそれを描いたらいいじゃない。
自分にとって理想の世界を描いて生み出せるのって素敵なことだと思いました。なんなら余暇にもっとストーリーや絵の描き方などの創作テクを磨いたっていいんじゃない。
ご自身のパートナー選びのことは二次創作と別の軸で考えなさったら。それはそれこれはこれで。だいたい現実に少女漫画みたいな美しい大恋愛をしてる人なんてそんなにいるのかしらね。
マジレスするとチャートアナライザーさんの考えているところよりもっと根本的なことだと思っている。
サブスクリプションを利用する人を増やす、というのはもうそこは難しい。なぜなら今サブスクを解禁しているアーティストが少ないうえ、そのアーティストを応援してても既に会員の人だっているからだ。
(私はチャートアナライザーさんがするこの表現が嫌いなのだが)コアファンが曲を広げる、というのも難しいと思う。そもそも他のアーティストをディグる人は既にやっている。
「新曲をすぐにチェックする習慣」そのものを作る必要があると述べているのだが、そもそも論として、「余暇」「友人との会話」に「音楽」を差し込む力を持つことが必要と思う。
昔と違い、古い音楽をずっと聴くことができるし、わざわざ「新曲を聴く」という行為をする必要性がない。
そもそも前提として余暇にはYoutubeもあるしネトフリもあるし、スマホゲーもある。耳に関するものであればラジオもポッドキャストもオーディオブックもある。
そのためにまずはその「音楽を聴く」を選択する人を増やす、多分「新譜を聴く」はその次だし、「配信週に聴く」は更にその次だ。
彼女は見た目も性格も昔はあちこちでみた胆っ玉母ちゃんみたいな感じだ。
平日昼間は働きながら年老いた両親とこどおじ弟の「母ちゃん」やって、余暇は趣味のプロ野球観戦であちこち飛び回って男女問わず友人も多い。
性的な目で見る事がないので友人として成立している仲だが、そもそも少しでも女性として扱おうとすると(ご飯奢ろうとしたり、2人で観戦に誘ったり)心の扉を閉じられるのを感じるので逆に気を遣っている。
慣れてないし自信がない。
もちろんこちらをそういう対象に考えていないのもあるだろうが、自分も彼女も非モテなのは結局なによりそういうところなんだよなと気づかされる。
50歳も過ぎると見た目より安心感が欲しくなるから恋愛対象ではないが結婚対象ではあるなあとは思うがそんなガツガツもせず、仲の良い友人を継続できればと思っている。
コロナ前は通学、通勤がどっちも長かったのでその往復の数時間は音楽を聴いてたんだけど、コロナでそのまま在宅勤務になったので通勤ということがほぼなくなったため音楽を聴く機会がなくなった。
音楽を聴く習慣がなくなったので、たまの通勤にもスマホゲーをやるので音楽を聴く必要がなくなった。
もちろんコロナ禍で家にいる時間が増えて音楽を聴く人も増えたのかもしれないが、家にいる時間はYoutube見たりネトフリ見たりゲームするのでどこで音楽を聴くのだろうか。
なぜこれを思ったかと言うと、Spotifyの総再生数が増えている=ユーザー数が増えているという結論を出している人を見たのだけれど、例えば推し活と称して再生数を空回ししていたら総再生数は増えるもののユニークユーザー数は増えないだろうなということを考えたから。
実際どうやって音楽を聴く機会を増やしているのだろうか、他にも余暇はたくさんあるのに。
追記:ちなみに自分も在宅勤務中はラジオ聴いてる。深夜ラジオとかずっと適当な音楽流してくれるラジオ流してる。けどサブスク使って「音楽を意図的に聴く」ってことがない。
私は専業主婦になりたくない。これは専業主婦である母親を見てきた影響が大きいと思う。
私は、地方の、父親公務員、母親専業主婦という至極一般的な家庭で、3人きょうだいの真ん中として育ってきた。今は旧帝大理系大学院を卒業し、メーカーで働いている。
母は短大を卒業し、東京で事務仕事をしているときに父に出会い、30歳くらいで結婚し、地方へ移住したようだ。
1点めは、圧倒的時間を持て余していること。もちろん、掃除洗濯料理といった家事は行っていたが、実働時間はそれほど長くなく、むしろやらなくていいことも無理やり工程を増やしているような印象を受けた。
地方に住んでいて自分自身の収入がない者が余暇を生産的に過ごすことは困難で、多くの専業主婦と同じように私の母親もワイドショーなり韓ドラなりで暇をつぶしていた。
私としては、子供の面倒を集中的にみるためにそのような道を選んだのだろうが、もう少し自分の人生を主体的に歩むほうが面白いだろうなと思った。
2点めは、家族というコミュニティ以外に属することができないこと。一応ママ友はいないわけではなかったようだが、小学校、中学校、高校と子が進学するにつれて繋がりも薄くなっていく。
家庭という、大人2人と残りは子供という極めてクローズドなコミュニティで、父親には仕事のストレスをぶつけられ、子供は自分勝手に生きる中での生活はしんどいだろうと感じられることが多々あった。
3点めは、一般的な常識やバランス感覚が失われてしまうこと。これは2点めと必ずしも不可分ではない。
私の兄は現在30歳ニートである。突き詰めて言うとこれは母親が徹底的に甘やかしたのが原因である。
兄が仕事を辞めたいというと父は必ず反対する。だが、母はそんな父を退け、兄がやりたくないことを徹底的に排除する。
また、母は私たち子どもが大学進学後にパートを始めたが、つらいと言ってすぐに辞めてしまった。
子どもが良い大人になっても働かせないとか、パートすぐ辞めるとか、陰謀論信じてしまうとか、まあ一般常識が支配する環境下にいたらそのような意思決定は下さないだろう。
上に挙げた3つの理由によって(それ以外にもたくさんあるけど)、私は母は少し変な人だなと大人になって思うようになったし、それは母が専業主婦であることが大きく働いていると推察されたので、私は専業主婦になっても人生楽しくないだろうなと思うようになった。
とはいえ、共働きで子供を育てるのは決して楽ではないはずだ。逆説的だが、私の母も専業主婦でなければ私は旧帝大など進学できなかったであろう。
俺はアウトドア趣味のオタクだからクロスバイクで遠出したり、近所の低い山の登山。あとは寒い時期は筋トレとかやってる。
知り合いは大量のプラモデル組みまくったり、映画好きな人は休日に3本とか4本とかはしごしてるらしい。
で女性なんだけど、俺の偏見というか周りに女性の知り合いがいないので分からないんだけど、独身の女性がなにか趣味をしてるというのが見えない。
女性の趣味というと「食べ歩き」「旅行」が思い浮かぶんだけど、費用が掛かりすぎて続けられないと思う。
趣味というのは基本的にランニングコストが掛からないことが重要になる。
男だとB級グルメだとかラーメン食べ歩きをTwitterアカウントで報告してる人や、地元の歴史を調べて尋ねるみたいな人がいるんだけど、女性のアカウントだと映えを重視した金の掛かりそうなところに行ってる人が多い。
あと女性は誰かとツルんで行動することが多い。
以下、根拠を述べる
現在のJリーグの資金はDAZNから毎年150億以上もらえる放映権料が中心だが、この契約は2028年までである。
DAZNは日本参入当初は配信ビジネスは広告目当てであり、配信事業は赤字予定で、カジノ事業が本丸と言われていた。しかしそのカジノ事業は日本では望み薄となったため、配信事業だけで利益を得ないといけなくなった。近年コンテンツ削減と値上げが繰り返されているのはこのためだ。
そして契約者数も伸び悩み。具体的な数字は非公表だが、「公表したくない数」であるためだ。
こんな状態なのでもう事業としては頭打ち。2028年を以てDAZNは日本から撤退するだろう。
Jリーグのスタジアムは駅チカになく駅からシャトルバスでアクセスするのが前提のところが多い。J1ではアルビレックス新潟とアビスパ福岡だけだが、J2はブラウブリッツ秋田、モンテディオ山形、いわきFC、ザスパ群馬、栃木SC、水戸ホーリーホック、町田ゼルビア、ヴァンフォーレ甲府、ツエーゲン金沢、清水エスパルス、藤枝MYFC、ジュビロ磐田、徳島ヴォルティス、レノファ山口、大分トリニータ、Vファーレン長崎、ロアッソ熊本と過半数に上り、J3もヴァンラーレ八戸、福島ユナイテッド、松本山雅、SC相模原、アスルクラロ沼津など過半数のクラブのホームスタジアムがシャトルバス前提のアクセスだ。
これらのチームは近年社会問題化してきてる「バス運転士不足」の煽りをモロに受ける。2030年を迎える頃は「シャトルバスが出せない」状況に陥り、スタジアムに行きたくても行けない層がかなり出る可能性が高い。
長崎など一部のチームは駅チカへの移転計画が進んでいるが、殆どは野放しである。バス運転士の老衰とともに消えゆく運命だろう。ひとつ予言しておくが、今後5年以内にシャトルバスが輸送中の事故を起こし、それをきっかけにシャトルバス依存チームは観客激減が巻き起こるだろう。
エンタメ界隈では「今後Jリーグは苦しい」とみる有識者が多数派を占めつつある。スポンサーになるにはコスパが野球バスケ相撲フィギュアスケートカーリング等と比べて悪い、試合数が少ないのでインフラ整備の優先度が上げられない、頑張ってもワールドカップベスト16が精一杯で夢がない、そのワールドカップに出るにはJリーグから出ていかないと事実上厳しい…サッカー以外のエンタメがいっぱいある日本では、サッカープロリーグはいろいろ無理があったのかなと。
国技たる相撲と世界NO.2である野球、そこらへんの体育館やアリーナで出来るバスケ、冬の視聴率王であるフィギュアスケート、土日の余暇を潰せる競馬、かなり安いお金でメダル争い常連チームに近づけるカーリングなど、他にもコンテンツはいっぱいあるのだから。
当方仕事も家事も効率化しまくって、小学生より余暇時間があるんじゃないかな…ってアラサー独身。結婚はしたくなくて、副業禁止なので金儲けに夢中になることもできない。転職は安定してるので考えていない。
長く続けてる趣味はあるけど、生活の一部って感じ。恋愛や人間関係は、若い頃は面白かったし夢中になれてたけど、今では最適解が自分の中で決まってて、ただそれを遂行するみたいな…特別の楽しさはない気がする。
去年マンションを買って、家具買ったり生活を整えるのは楽しかったかな。貯蓄や老後の計画、終活見据えた断捨離なんかもその時やってしまった。
もう人生に宿題がないというか、改善するところがないんだよね。人は何故生きるのか…って哲学的なこと考えちゃうくらい暇。効率化を極めた皆さん、何を生きがいにしてる?
また書いてないこと読んでる
ベンチャー → 給与安いから大企業行こう → 大企業のヤツ働かな過ぎじゃね? → 外資なら数字だけ見るだろう → ボス畜文化 or 日本にある為か日本文化が強くて内資と殆ど変わらない😩 → ベンチャーに戻る → 給与安くね?(やり甲斐搾取されているのでは🤔)
↑ これがだいたい『真面目に仕事していない人が許せない人』のワンセットですが、問題解決・売上達成は本来は自分で会社を起こしてやるべきことです
自分のリソースを他人のために使いすぎるのは控えた方がいいと考えるのがフツーであり、
マジョリティは、余暇に家のことやったり遊んだり起業準備したり投資したり寝たりしてます
それは海外でも変わらないです
それに気付かないのは、スタートアップのノリに酔ってるか、真面目な不器用さんか、発達障害です
確かに主体的に動けば職には困らなくなりますが、プライベートが無くなったり、器用貧乏になっても仕方ないです
プライベートを疎かにはせず、『起業 or 投資頑張る』か、被雇用者でありたいなら『既得権益側に潜り込む or スペシャリスト』目指しましょう(100回目)
まず、エリート女性を目指すことが困難なのは自分の偏差値を見れば分かる。もし専門職に就けても、仕事ゆえに家庭を持たないのは淋し過ぎる、仕事と家庭を両立させるために疲れ果てるのはいやだ、経済的自立のために生き甲斐も意味も見出しえない仕事をするのは耐えられない。これら不快な条件を全部排除してくれるのが、第四のコースなのだ。
夫は経済のために必要だ。子どもは夫よりなお重要だ。出産と育児は体験価値のあるイベントであり、女性なら一度は体験してみたい。そして、保育園に預けて子どもに淋しい思いをさせたくはない。
大衆は、フェミニストの「啓蒙」するところには行かなかった。娘は、母親の期待するところにも行かなかった。
結婚が女性に保証してくれる三大特典――保証された年収・達成義務からの解放・豊富な余暇時間――は、決して手放さず、その上に立って、社会から認められ、仲間に羨ましがられる仕事に就きたい。子どもがいても、生活臭のない、社会と繋がった仕事をしていたい。生活のための労働は、奴隷(男)にさせ、自分は貴族のように意義ある仕事を優雅にしていたい……。
今や単なる生活費稼ぎの労働は、男と親と老人だけがするものになりつつある
割烹でも暇なときにスカトロモノのエロ本やAVをこっそり見てたりする。
余暇の時間にはスカトロ風俗に行ったり、彼女とスカトロプレイもしてる筋金入りのウンチマニアだ。
でも店に出る時は全身消毒してくるのでそこらのラーメン屋よりかはよっぽど綺麗なもんだ。
さて、この板前がガチガチのスカトロマニアだとある日判明した。
でも店にウンチを持ち込んだりはしてなくて、せいぜいエロ本とAVがあるぐらいだ。
この板前に「衛生に気を使ってるよ」と言う資格があるのだろうか?
どこの誰とは言わんが、キメセク神父の所属団体ってのは今こういう立場なんじゃねえかなと。
「施設でキメセクはしてないですよ」っていうのは、上のたとえで言えば「店にウンチは持ち込んでないですよ」っていうことだ。
それで実際に施設の中では一切女性に対して暴力的な行為に及んでないなら、店内の大腸菌が他より少ない料亭が「うちは清潔だよ」と言ってもいいような状態なんじゃねえかなと。
構成するメンバーの中に、「もしも施設内でその行為に及んだのなら、そこの掲げる理念がぶち壊れるようなことをする人」がいるってのは、必ずしも「そこの理念がそれだけで破壊される」は意味してないと思うんだよ。
皆も振り上げた拳は一度浮かせたままにしておいて、フラットな目線で論理的に考えて答えを考えてみようぜ?
まあ俺は板前がスカトロマニアだと分かった時点でその店は選択肢から外すけどな。
フラットに考えて。
楽しみに準備していたものが急にどうでもよくなった、そういう時に人はどうするのか。自分の精神をどう判別、処理しているのか。知りたい。
以下背景。
コロナにかかって1ヶ月以上経ったが、体調が悪いままだ。何にも興味が湧かなくなり、食事もあまり取れず、余暇では寝てばかりである。
しかし、結婚式まであと1ヶ月ほどとなった。今は何も面白みを感じない。入場曲にも興味ない。ドレスも惹かれない。準備はコロナで中断されたままだ。
医者は結婚式の延期をすすめる。招待する人々には申し訳ないことだが、延期を許してくれそうな関係者ばかりだ。自分がやりたくて人々に来ていただく式なのに、こんなつまらない顔しかできなさそうな状態では申し訳ない、不幸でしかないと思う。体調が落ち着いてから準備できるのは魅力的にも思える。
しかし、コロナの後遺症による病ではなく、単にケチがついたと思って不貞腐れていたり、自分のやる気が足りないだけかもしれない。後遺症の問題なのか、自分を誤魔化しているだけなのか判別する方法がわからない。延期して心身が回復するかも不明だ。結婚式に予定していた内容も、延期後の時期では面白さが半減することはわかる。年寄りの家族の体調が優れなくなったらどうしようかという懸念など。非常に高い延期代も。
タラタラと書いてしまったが、疲れた。病弱な家族がいるので、会食も避けて注意して3年過ごしたが、コロナにかかってしまった。とにかく疲れた。スッと消えたい。