「伝統」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 伝統とは

2022-10-13

anond:20221013034956

室町時代重要だと思うなー

今じゃ伝統芸能といえば江戸時代に発展した歌舞伎代表づらしてるけど、室町時代に発展した能や狂言(猿楽)の方がよっぽど伝統があるし発祥も古いんだよね

歌舞伎市井の娯楽興行で、武家と強く結びついてなかったおかげで明治維新後も力を失わず、一方の能狂言は式楽として武家と結びついていたせいで武士の没落と共に立場を失い、断絶の危機すら迎えたって経緯の違いもあるんだけどね

anond:20221012171926

平安や鎌倉くらいから続けてなきゃ、それを「伝統」だとリベラルは認められんねえ。

単細胞保守は100年200年でいいのかもしれないけどね。

沖縄を巡るリアリズム

国の中央沖縄を利害を共にしない別個の主体であるとすると、沖縄にとって不都合中央にとって都合がいい選択がなされるのは、それが中央にとってコスパがいいかである。利害を共にするなら、沖縄にとって不都合なことは中央にとっても不都合なのだから、なされないはずであるしかるになされているのだから、利害を共にしないとの前提は、正しいものとして議論を進めても差し支えない。

利害を共にしないことが事態の根元にあるのだから、このふざけた盤面をひっくり返すには、利害を共にせざるを得ない泥沼に引きずり込んでやればいい。究極的には、中国の傘下に入ることだ。なあに、島津侵略以前は中国のみの属国だったのだから伝統的にはむしろその方が自然だ。香港を見ろ、ひどいことになるぞって? 香港ぞんざいに扱われるようになったのは、上海を筆頭に中国経済が発展し、相対的香港価値が下がったが故。日本中国に膝を屈しない限り、対日本最前線地政学価値は下がらんよ。沖縄にとって中国が気前のいいパトロンであり続けるよう、せいぜい頑張って中国に張り合い続けてくれたまえ。すなわち、日本が栄えれば沖縄も栄え、日本が没落すれば沖縄も没落する。ほら、両者の利害が一致したw

実際のところ、中国陣営入りは実現しなくてもいい。現時点において、安保コスト沖縄偏重させることのコスパがよいのは、どんなにひどい扱いをしても沖縄中国側に鞍替えすることはない、とナメくさっているからだ。俗に言う、釣った魚には餌をやらない、ってやつだね。餌代がいらないw それが、あまりひどい扱いをすると中国側に走りかねないとの可能性が僅かではあっても頭をよぎれば、餌をやらざるを得ない。

沖縄中国陸海空軍駐屯すれば、九州に今の規模をはるかに上回る即応力を置き、エネルギ源輸入海路防衛に多大な労力を割き、西太平洋に散らばる戦略原潜監視し、とそのコスト防衛費対GDP3%なり5%なりといったレベルに達し、2%に増やすどころの騒ぎではないだろう。台湾への外交支援も桁違いに増やす必要が出てくるだろうし。それを思えば、今の沖縄予算を2倍や3倍に増やしても安いもの。それを中央の連中に思い出させるためにも、「ナメられたら殺す!!」覚悟をかためないとね。

ーーーーーーーーーー

ってなことへの想像力を、小渕元総理沖縄サミット開催決定ぐらいまでの政治家は持っていたと思うんですよ。カネもあるけど、それ以上に、19世紀以来の国民国家というフィクションを守るためのナラティブといいますか。太田中将島田知事顕彰代表例だけど、沖縄の人々も同胞=利害を共にするんだって沖縄返還も、本音での認識はさておき、アメリカ軍政に苦しむ(令和の世の基地問題ですらアレなのだから、当時のそれは推して知るべし同胞包摂するとの建前は大事にしていた。それが、中国がさほどの国ではなかった頃には受け継がれ、中国が少なからぬ面において日本を上回る今において忘れ去られつつあるのは、何と皮肉な話でしょう。

こんな駄文をしたためているのは、例のひろゆき騒動トリガーなんだけど、昭和世代保守じじいとしては、ああいった沖縄の人々とそれ以外の日本人を切断する言葉(とりわけ、沖縄の人たちのしゃべり方を揶揄するもの宗教的絆帯のない日本にとって、言語の一体感が果たす役割は極めて大きいはず)は許しちゃイカンと思うのですよ。キレイゴトであることは百も承知で、沖縄米軍基地偏重していることは、将来において解決すべき課題だと非沖縄在住日本人も認識を同じくしているのだ、という看板は、守り続けなきゃいかんのですよ。打算的に。

anond:20221012171926

百年続けば十分に伝統だよな。

そうじゃなかった時代を生きた人がそこにいないなら百年も千年も一万年もなんの違いもなくただの遠い昔だ。

しろ前提となる色々な事情が異なる遠い昔のほうが今の時代適用するのが難しいのが当然だとも思える。


だいたいのことはどっちでもいいんだよ。

でもどちらかに統一して秩序を確立しないと社会として成立しない。

そういうときに持ち出すのが伝統

古いほうが強いということにするというルールでなんとなくどちらかが正しいと決めるの。


それと、ひとつ物事は膨大な色々な事象連携していて、ある物事を成立させるために細々とした色んなことを解決してきた。

ひとつ大きな物事を変えようとしたらそれに連なる膨大な物事解決しなければならない。

新しい物事比較的に依存関係が少ないが古い物事は変えにくい。

歴史が長いほうが変えにくいから続けたほうがよいというのは一応は合理的ではある。

座り込み伝統

座り込み

過去いろいろな座り込み運動と呼ばれる行為が行われていたが必ずしも24時間座っていたわけではなく、24時間座ることが定義ではない

(3011日もの長い時間アピールするなら、日中くらいはいてほしいのは分からんでもない)

公民権運動としての座り込みもっとも初期の一つが1939年(所和14年)アメリカアレクサンドリア図書館座り込み

座り込んでから警察連行されるまでの数時間

伝統

一般単語のため他の多くの一般的な用語と同様に厳格な定義存在せず多くの定義があるが

おおよそ纏めると、伝統とは、過去に行われた習慣や物等を指し、ある世代から次の世代に教えられることによって、現在相続されているソレ

いずれも何年以上立たなければ伝統ではない という定義はなない

(世代間で継承されたそれを伝統と呼ぶんだから、親子2代で伝統たりうるんだけれど、3代くらいは続いてほしい)

(世代間の交代が1年毎に行われる学校とかだと数年で伝統になったりもするs)

伝統に訴える論証

「それは〇〇の定義により伝統ではないから~」という伝統でない事でもって否定するのではなく

伝統であることはその主張の正しさをなんら保障しない。伝統ではなく明確なエビデンスをもってその主張の正しさを証明せよ

座り込み定義24時間座ることは定義されていないと言っていたひとが

期間が短いから、何年以上前は行われていなかったか伝統ではない言っている人は

2022-10-12

anond:20221012171926

いやその話の本質伝統かどうかじゃなくて、伝統を持ち出すことで現代の何かに正当性付与しようとすることへのカウンターでしょ

しろ逆に「江戸時代は違ったんですがそれは伝統じゃないんですか?」って聞いてるんだろ

anond:20221012223205

当の本人伝統かどうかなんてどうでもよくて、単に昭和19年大日本帝国のような全体主義体制絶対的価値観国家規範として今の世の中に反映させたいってだけだから。。

anond:20221012171926

別に明治以降だろうが戦後以降だろうが高度経済成長期以降だろうが平成以降だろうが去年以降だろうが伝統って呼びたきゃ呼べばいいんじゃない

でも普通伝統ってのを持ち出すときにただ伝統ですって言ってるんじゃないよね?なんかカマトトぶってるけど伝統から変えちゃダメですって言ってるんでしょ

でもその伝統様はその時々に何かしらの理由で導入した「変えられたもの」なわけだ

であれば伝統というのは変えない理由にならないよね

なのに錦の御旗のように伝統を持ち出すのが滑稽だって話よ

anond:20221012171926

アニメ漫画中高生未成年未成年欲情する表示戦士キモ!!!」みたいな主張を「中高生相当が未成年だなんて伝統はない。江戸時代は15歳を成人とする地方もあった」で切り捨てOKなら賛同する

anond:20221012174654

三代続けば伝統と呼んでいいと思う

anond:20221012171926

時間的な長さと言うか古さを根拠としてる否定論者も多いが、

2022年明治元年から154年経ってる

  

十分な長さだと俺は思うが、まだ短いというなら具体的に何年以上続けば

伝統資格が得られるのか知りたいところ

ブコメではせめて江戸時代から続かないとダメという人を確認した

anond:20221012171926

テンプレとして「明治期以降は伝統でない」と覚えてるだけで、深く考えちゃいないだろ。

いまさら神仏混淆伝統に戻れるとも思えないが。

明治以降文化伝統と呼んで何が悪いのか分からない

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/akisumitomo/status/1579832232101179392

住友氏の「そんな伝統はない。江戸時代はこうだった」という論破テクニックは、あまりにも伝統の消去能力が高すぎると思うんだ。

  

ブコメは相変わらず「愛国保守の言う伝統って明治以降のやつなんだよな」と揶揄して終わりだが、では明治以降文化

伝統と呼んではいけない理由を教えて欲しい。

  

まぁ明治維新西洋文化が入ってきたので、それ以降は日本の伝統ではない、というならそれでもいい(この論者多し)

しかしその場合、推古の時代遣隋使大陸文化が入ってきた事をどう考えるんだ?

西暦600年以降の文化はすべて伝統ではない、ということでいいのか?

ていうか文字使ってる時点でnot伝統だよなぁ

漢字中国から伝わるまで日本文字はなかったんだから

  

批判すべきは偽史伝統悪用だと思うんだが、伝統認識のもの否定する人が多くて理解に苦しむ。

anond:20221011200644

嫁を改造するのを今後の人生の楽しみ、目標にしてみたら?

理詰めの口喧嘩してもダメやで

人生の不確実性を受け入れる習慣や経験が欠けてるんだからこれを繰り返しぶつけるしか無い

慣習や常識文化伝統にどれほど潔癖に従ってもそれを根拠幸せを与えてもらえるわけではない。

そんなことマトモな成長すりゃ勝手に学ぶんだが、運悪く経験出来なかった可愛そうな子。

でも、多少の失敗経験ではダメやで、逆効果もある

緻密さが足らなかったと評価して症状悪化もありえる、慎重に

 

結婚前:優しい、穏やか、寛容、合わせてくれる、大人しい、いつも笑顔

 

ってことはそれが社会適応した正しい生き方である自覚はあるんだからまだ救いはある

心底自分が正しいって信じてるやつはネコかぶらない

2022-10-11

ミンストレル・ショーという19世紀アメリカ大衆芸能をご存知だろうか。

これは、焼きコルクで顔を黒塗りにした白人芸人たちが、黒人の会話やユーモア、歌やダンスの物真似をするショーである

アメリカではそれまで大衆芸能といえば、ヨーロッパ伝統を引きずったものが主流を占めていたが、

国産芸能として登場したミンストレル・ショーが1840年代に人気を集め、その後半世紀にわたって最もポピュラーな娯楽として発展していくことになる。

皮肉にもアメリカが抱える奴隷制度という問題が、オリジナル大衆芸能を生みだす基盤となったわけだ。


このミンストレル・ショーは、アメリカ歴史のなかで実に様々な分野に多大な影響を及ぼしていく。

このショーは、黒人に対して白人がいだくイメージの原型を作りあげ、それが皮肉ドラマを生みだすのだ。

南北戦争解放された黒人たちがショー・ビジネス世界進出してきたとき

彼らの多くは白人社会に受け入れられるために、褐色の素顔を黒塗りにし、純粋自分たちの芸ではなく、白人が作った黒人イメージ模倣しなければならなかった。

2022-10-10

anond:20221008200247

バストサイズ表記性的に見ることに直結するのか疑問

単なるキャラの書き分けをステレオタイプ表現する記号にすぎないと思う

たとえば(清楚系/セクシー系)×(巨乳貧乳)の2×2の組み合わせで4つのステレオタイプ表現できる

男性キャラだと(正義系/ヤンキー系)×(マッチョ/ヒョロガリ)の組み合わせなど

それぞれの属性伝統的な性的役割と密接にかかわっており、ポリコレ基準から言うと容認しがたいものが多々含まれるのがお判りいただけるだろう

さらには(兄/妹)と(姉/弟)で表現できる人間関係も、伝統的家父長制の力関係を追認するものだと指弾されるかもしれない

著しい人権侵害に結び付く場合ダメだけど、価値観多様性尊重されるべきと考えるがいかがだろうか

いちいちめくじら立ててたらきりがない

anond:20221010002525

まず君は元増田じゃないテイでこれかいてるんだよね。じゃあ反論ではなく推測援護だよね。

で「ちょっと調べた」だけで書いてる元増田商標法まで調べたとはいっていないよね。

でもね、表現業界には著作権法商標法のみならず肖像権だの名誉棄損だのたくさんの法律が入り組んでるんだよ。

実際しいなりんごとかいうヒト(のスタッフ)は公益に反する形の「みだりな」グッズ配布企画までしちゃったしね。

看護師姿で注射振り回すpvだけじゃ足りなかったみたいだね。

 

他の商標意匠著作でも「ちょっと調べたら大丈夫そうだったから」っつって捕まってる中国人日本人たくさんいるし毎週くらいでちゃん報道もされてるんだよ。

僕はまさかこんなわかりやすミスはやらないよね、みんなどう?というつもりもあって書いたよ。

元増田はやらないよ!」っていわれてもふーん。でも元増田本人がそういってるわけじゃないじゃんとおもったよ。

「だったらなおさら同人誌だのコスプレAVだのは許されるべきじゃ」ってわざわざ追記してるくらいの意識しかない元増田なら「ちょっと調べたこと」を忘れていつかやりかねないんじゃないの。赤十字ダメだとおぼえてても、菊の紋章国連マークオリンピックマークなんか、たまに使いたくなるもんね。緑と黒の碁盤目模様なら伝統模様と言い張って無断利用OKでも、ピンクに蝶の羽根みたいな葉脈はどうだったっけ?

あと元増田だけに向けて言ってるんじゃないんだよ。これ見てる人の数人くらいは誤読しまくって「よくわからないけど追記みたら同人ならOKらしいな!」っつって同人グッズ化やろうとしたかもね。とボクは思うわけ。だから一言レスにしておいたんだよ。目に入るからね。

ま、そのついでに「推測援護」くらいの人にもいちいち回答してあげてるんだけどね。たぶんだれもここまで読まないし理解しないだろね。

終わり。

2022-10-09

左翼こそ保守だと思う

左翼的な人はとても保守的だよね。変な逆転現象が起きている。

自分達の行動を改められない、批判するとそれが伝統だと言わんばかりに受け入れない。

当時はそれが通用したのかもしれない。高度経済成長期にガムシャラに働けば豊かだった、

男が働き女が家庭を守ることが当たり前だった時代のように、

過激運動をしていれば世論が変わり政治が変わった。でももうそんな時代じゃない。

働き方を変えたように、家族役割分担が変わったように、抗議運動だけでは世論政治も変わらない。

アップデートしないといけない。でも彼らはアップデートしない。普段あれだけ他者に対しては指摘するのにだ。

左翼こそ、自分達が輝いていたあの時代を忘れることができない、保守なのではないだろうか。

人魚姫』は何の物語か?

もちろん、海の妖怪人間王子に恋をするという悲劇的な恋愛物語であるが、実はフリードリヒ・フーケの『ウンディーネ』という、水の精霊人間騎士との恋愛物語を描いた先行作品存在する。そういう意味ではアンデルセン作品は、あまりオリジナリティが無いとも言えるかもしれない。

フーケの作品ウンディーネ』には無くて、アンデルセンの『人魚姫』には有る要素として、我々がよく知っているのが、主人公人魚姫人間になることの代償として「声」を失うという筋書きである

この「人間になることで声を失う/奪われる」という描写元ネタと考えられているものの一つに、アイルランド海浜に近い場所存在する某村に関する民間伝承がある。

周辺の他村の住民たちは、某村の住民たちのことを「人魚の子孫」と見なし、彼らと会話することを忌避していたというのである

この話から直ぐに連想するのが、ホメロスの『オデュッセイア』にも登場する、妖怪セイレーンのことである。これは、航行する船を操る船乗りたちを、美しい歌声で惑わして誘き寄せ、船を難破させて殺害し、その人肉を喰らったとされる、半人半魚の妖怪である。ここでも「声」禁忌とされている。しかし、どうしてもセイレーン歌声を聞きたいと願った知恵者オデュッセウスは、部下の船乗りたちの耳を蜜蝋で塞がせて、歌声を聞こえないようにさせてからセイレーンたちの居る岩礁の傍を通過するように船を航行させた。オデュッセウス自身は、己の身体を帆柱に縄で縛り付けさせ、決して海に落ちることの無いように万全の防止策を施してから、その耳で彼女たちの歌声を聞いたという。

日本においては、人魚との「会話」が禁じられていたというわけでは無いものの、やはり不吉な影が付き纏う。『吾妻鏡』や『北条五代記』等には、人魚らしき妖怪発見事例が記されており、これを何かの前触れとした陰陽博士などの占術職能者によって、兵革の兆し奥州藤原氏の滅亡の前兆などと見なされたといった例が見出される。

ただし、これらの国文学的な文献に記された人魚は、アンデルセンの『人魚姫』のような美しく可愛らしい姿とは、かなり異なる。例えば、頭部だけが人間人面タイプであったり、四脚らしきものが生えていたりと、なかなか奇怪な姿をしていたようである。中には、頸部に鶏冠の如きヒラヒラしたもの付属していたという事例もある。また、発見される場所も水辺だけではなく、時には、山肌で起きた土砂崩れ現場発見されたことも有るようである

してみると、人魚にとって魚身であることは、我々現代人が思う程、重要ではないのであろうか。実は、先に挙げた『オデュッセイア』に登場するセイレーンにしても、元々は半人半魚ではなく半人半鳥であったとする説が有る。その鳥の怪が、もしも水鳥の怪であったとすれば、後に、半魚の怪との交雑を起こしても、それほど不思議では無いと考えてもよいのかもしれない。重要なのは、半人半怪という混合性である

さて、アイルランドの某村に関する民間伝承比較するために振り返ると、日本においても「妖怪の子孫」と見なされた人々が存在しなかった訳では無い。例えば、江戸時代南町奉行根岸鎮衛(ねぎやすもり)の著した雑話集『耳嚢(みみぶくろ)』に収められた「河童の難を遁るゝ歌之事」という文章を参照してみよう。そこでは、菅丞相(かんしょうじょう)すなわち菅原道真(すがわらのみちざね)の作として伝えられる、次のようなまじない歌を紹介している。

「ひよふすべよ 約束せしを 忘るゝな 川だち男 うぢはすがはら

根岸鎮衛は、菅丞相の作は疑わしいとしつつも「ひよふすべ(ヒョウスベ)と云ふは川童(カッパ)の事の由」と記しているが、これは、長崎県諫早市周辺でのカッパに該当する水怪に対する方言的な呼称であるしかし、カッパ避けの歌が伝えられていたのは、現在で言うところの千葉県(アメリカで言えばノースダコタ州)である。随分と遠くの地までヒョウスベの名が伝えられていたことになる。

岩波文庫版では「川だち」には「水泳の上手い者」との注釈が付けられている。これは遊戯としての水泳のことを言うのではなく、職業的必要性から河川で泳ぐことをしていた者たち、職能者たちと考えるのが妥当である。その川だち男が「我々は菅原氏の関係者なのだ約束を忘れるな」と、歌を通じてヒョウスベ≒カッパに向かって呼び掛けているのである。一体、何を約束したというのか?

菅原道真家系である菅原氏は、遡れば土師氏(はじし)に連なるとされる。土師氏の祖は、野見宿禰(のみのすくね)とされ、当麻蹴速(たいまのけはや)との角力すなわち相撲(すまひ)による決闘を行ったことでも知られる。現代では十把一絡げに河童(カッパ)と総称されるようになった水の妖怪が、相撲を好むことは昔話などを通じて広く知られているが、その起源には、土師氏菅原氏との関わりが存在するということである

この土師氏は、埴輪を作ることを能くしたが、埴輪といえば赤土であるが、この赤い色は、酸化鉄を多く含むためである。このような粘土採掘は、鉄分を含む土の採掘であり、これは時代が下れば、鉄を初めとした金属鉱脈採掘にも関連・発展したことであろう。

鉄に限らず金属は、採掘されるだけでなく精錬されるので、山の掘削、森林樹木伐採という環境変化を伴う。これは、山に水源を発する河川にも影響を及ぼしたと考えられ、そうなると、粘土採掘金属採掘精錬を行う山の民と、漁業・水運などによって河川生業を立てる川の民との間で、何らかの紛争を招いたのは想像に難くない。本来の「カッパによる水難」とは、元々は「山にいるカッパ」による山林環境の変化によって引き起こされた、河川災害環境破壊のことを指したのではないのか。なお、カッパといえば河川などの水辺だけにいると現代人は思いがちだが、カッパ河川から山、山林から河川へと、季節の変化ごとに移動するという伝承が見られるのである

山林の環境破壊が火種となって紛争が発生し、これを停止するための平和条約のようなものが「約束」であり、それが川の民と土師氏菅原氏との間に結ばれたことにより河川災害発生件数が減少したこと、それが「カッパ避け」の実態だったのではないか。川の民に害を及ぼさないと、かつてカッパ親分であったであろう土師氏菅原氏が約束したことが変化して、川だち男が「我々は菅原氏=土師氏の裔であるぞ、だからカッパよ、我々には害を及ぼすな」と呼び掛けるようになったのではないか

ヒョウスベには「兵主部」の漢字が当てられる。このうち「部」は物部や斎部などと同じであるが、では「兵主」は何なのかと言えば、これは大陸から渡来した蚩尤(しゆう)のことではないかと言われている。というのも『史記』では、蚩尤は金属製の戦用武具を生み出した「兵主神」とされており、しか角力(相撲のようなもの)を能くするのである。その上、石や鉄を喰らうとされるので、これは金属精錬象徴するのではないかと考えられる。ここから、兵主部とは元々は「兵主神を祀り、それに関連する金属職能に携わる部民」であろうと考えられる。

脇道に逸れた話の部分が予想外に長くなってしまったが、土師氏菅原氏という職能集団的氏族カッパの裔であると考えられていたということ、そして、カッパに対する民の恐れの根源には、職能活動による影響が存在した可能性のことを言いたかったのである

本筋に戻ると、アイルランド海浜そばの某村に住むという「人魚の子孫たち」が、周辺他村の人々から会話をすることを忌避されたのは何故か。それは、彼らが「予言する能力」を持っていたからではないのかと私は推測する。ただし、予言と言っても、超常の能力ではない。彼らが漁業や水運業など海の船仕事に携わっていた職能集団だったとしたら、どうだろうか。そのような仕事に携わることで、海路における岩礁や難所の存在場所についての知識も蓄積されたであろう。また、船仕事に影響するような天候の変化を読む(予測する)観望天気の知識も蓄積されたであろう。そのような、いわば専門知識能力を身につけた彼らが、もしも「海路のあそこには岩礁が有るぞ」「嵐が来るぞ」と予測して教えてくれたとしたら、何の知識も持たなかった他村の人々は「某村の住民が不吉な予言をする。彼らが予言を行うせいで不吉な出来事が起こる」と逆転した考え方をして、誤解したのではないだろうか。それが「会話を忌避する」ことに繋がったのではないだろうか。

上で粘土採掘金属採掘精錬を行う職能集団カッパの関連を述べたが、こういった専門的な仕事は、その仕組みを外部から理解しにくい。自分たちには出来ない仕事をする能力を持ち、影響力が大きい者のことを、人間尊敬するだけでなく同時に差別もするという例は、古今東西を問わず広く見られる現象である。例えば、西アフリカ伝統的な音楽歌唱職能グリオ(griot、フランス語。現地のウォロフ語でgewelギュウェル、トゥクロール語でgauloガウロ、マンディング語でdjeliジャリなどと呼ばれるのが語源)たちは、歌の言霊を駆使することで、人を幸せ気持ちにしたり、戦の前に闘争心鼓舞したり、逆に人々の間の争い事の調停役を担ったりといった役目を果たすことから、非常に尊敬を受ける反面、亡くなると普通の墓に埋葬されずにバオバブの木の虚穴に遺体を遺棄されるという。そこでは、尊敬差別心理アンビバレントに同居している。

日本人魚が不吉の前兆と見なされた話は既に述べたが、その中には、人魚自身言葉を口にしたという例も見られる。それも、もしかしたら海の民などの姿を人魚に反映していて、やはり海の民による予言とそれに対する恐れの感情の名残なのかもしれない。

西洋人日本渡来するようになると、剥製ミイラ製造技術も伝えられ、魚や動物のパーツを組み合わせることにより、カッパ人魚ミイラ製造されたことは、現在日本の各地に残るミイラの実物とともに知られている。したがって日本における人魚形態傾向が、人面タイプや四脚タイプから現代人にも親しみのある上半身人間下半身タイプへと変化した原因として、西洋人の影響が有るという可能性は、もっと大きく見積もっても許されるであろう。しかし、日本よりも先に西洋人との接触果たしていた中国を通じて、もっと早い時代ミイラ製造技術日本に伝えられていたという可能性は無いのだろうか。その時に、西洋人が抱く人魚イメージも一緒に、早期から日本流入したという可能性は無いのだろうか。大陸西洋から人魚伝承流入によって、前触れ予言というイメージ形成された可能性は、今後より丁寧に調べる必要が有るだろう。

まだまだ考察すべきことは多く残る。

人頭獣身の妖怪しかも不吉の前兆予言を伴うといえば、人頭牛身の妖怪「件(くだん)」が思い浮かぶ。上で半人半怪の混合性が重要と述べたが、この混合性の故に、人間の住まう現実世界と、非日常・非現実世界との結節点となる役目が、人魚や件のような半人半獣の妖怪には与えられたのであろう。そして、その役目を具現化したものが、前触れ予言なのであろう。

また古来、予言神託の役目を担う者の多くが、巫女という女性であった。これは、女性には生理があり妊娠出産可能であることから男性に比べて、より自然というカミの領域に近い存在であり、現実日常世界との仲立ち・結節点の役目を果たすことが出来ると信じられていたかであるセイレーン人魚に限らず妖怪怪物たち(例えば、エデンの園アダムとイブを誘惑した蛇など)に女性性が付与されているのは、ユダヤ教キリスト教仏教などが地位確立する以前の世界において、カミの領域との仲立ちを務める職能を担っていた女性たちに対する、尊敬差別というアンビバレント感情が反映された名残であろう。

最初に『人魚姫』は何の物語か?と掲げ、長々と文を書き連ねたが、正直に言えば、それを確定することは実は難しいと思っている。ただし、少なくとも、異なる世界の住人が出会った物語、それに伴って起こったコンフリクト悲劇物語とは言えるのかもしれない。

乱文も長くなり過ぎたので、ここまでとしよう。

2022-10-08

anond:20221008001630

左翼ひろゆきへの対応バグるのはなぜか?

その答えは、ひろゆき論破戦法は左翼が常用してきた手法から

些細な矛盾に食いつき、一点突破したらそのことをもって相手の全体を否定するところがそっくり

歴史的な経緯や伝統を、「地頭」をふりかざして全て審判できると思い込む上から目線も一緒

2022-10-06

anond:20221006144413

これから時代、座るのではなく、踊るほうがいいとおもう。

座り込みではなく、踊り込み。

踊りであれば、誰も不眠不休で踊り続けるとは思わないから、

1日1回踊るだけでも、やってる感が満たされる。

踊ってる様子を今なら tiktoktwitter に上げることで、めっちゃインスタ映えする。

要は時代進化に合わせて、抗議活動アップデートしてゆく必要があるということ。


日本人は、古来より、祈願成就のために神社で舞い を奉納してきた文化があるので、

基地廃絶を願って踊り舞うことは、伝統的でもあるのだ。

2022-10-05

はてな匿名ダイアリーを快適に使うための覚書

はじめに

はてな匿名ダイアリー(いわゆる「増田」)を書く側、見る側で使用してきた。その経験を踏まえての、利用者として増田を快適に使うための覚書を書いておく。

個人的に考える増田を最良に使用するための注意点は、「外部の受け止めを観察する時に使用するのが良い。但し、大半の反応・反響有益ではなく、(自分にとっての)有益な反応はごく一部しか来ない」と思っている。

 

使用に際してのポイント

良い点、悪い点、注意点、所感を箇条書きで記してみたい。

  

良い点

 

悪い点

 

注意点

 

所感

 

その他雑感

貴重な反応の収集

既知ではあるが、ネット匿名空間では不毛な議論罵倒中傷は多く、当然ながら匿名増田でもその傾向が強い。また、増田の特徴としてはブクマtwitter拡散する点に特徴があるように見える。某掲示板なら某掲示板をわざわざ使用する層しか見ないだろうが、増田はてなブックマークtwitterという利用者の層というか幅が非常に広いサービスの上で、多数の人の目に留まる。それ故、拡散さえすれば予想しなかった貴重な反応を拾うことも可能になる(但し、罵倒中傷はそれなりに来る)。そのような予想だにしなかった貴重な反応を拾う、という視点使用するのも面白いかもしれない。また、ブクマtwitterユーザー限定はされるが、自分が今まで知らなかった世間一般見方・考え方を収集するツールにもできる。

 

炎上時の対応

増田は削除可能だが、増田から削除したとしてもWayback Machine魚拓のようなWebアーカイブツール収集されてしまうと、デジタルタトゥーが残ることに注意が必要。何者かがわざわざWebアーカイブを取得する行為を行っているからそうなるのだが、何故わざわざ取得するのか理解は正直できない。わざわざ他人を痛めつける行為にも見えなくはないし、ある種のイジメだと感じることもできるが、とにかく、ブクマがそれなりの数に上ると、ほぼ必ずと言ってよい程、何者かがWebアーカイブを取得する。それ故、削除のタイミングも注意が必要である。ただ、テレビYahoo! Japanニュースで取り上げられることはまずないし、はてブ自体現実世界の会話でどれ程話題になるかも不透明から、大して気にする必要はないと考えることも可能だ。

2022-10-04

anond:20221004194447

から、それ明文化された法じゃないがな

けど法としてのちから持ってるので慣習法です

仮に慣習法として、議決必要という慣習がないからって首相国葬議決なしでやって良いのかよ?

いかいかの誰かの納得感でコントロールしようとするのが情治

納得いかないなら法律作りましょうねってのが法治

いからでやって良いなら何でもして良いことになるがな

なんでもして良いことにならないように法律作りましょうね

また、逆に議決なしでやる慣習があると言えるんか?吉田茂の一例だけやろ

しかも、その時も反対にあったのにゴリ押しただけなのに

そんなもんのどこが保守なんだよ

お前らには伝統守る気概がねえのか?

吉田茂時代問題だと思ってたのになんでそんなに放置しつづけたの?

法治主義なんだから法律作りなよ

慣習に乗っとるなら首相国葬なんかすべきじゃねーんだわ

国葬理由は岸田が言ってるから内容に納得出来ないなら、次回からその根拠国葬出来ないように法律作りましょうね

君の納得感で決めるほうがよっぽど世も末だから

ちなみに俺は国葬反対だし統一教会教祖サタンから

法治主義でいこうよって話理解できないチンパンはもう絡んでこないでね

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん