2024-10-26

ジョーカー2が模倣犯オーバーキル映画な件

結局弱者男性がキレて無敵の人になったところで、お前は何者になれるわけでもない、ただの惨めな殺戮者でしかないんだよ。

無敵の人になんかなるよりも、幸せに生きる道があったにも関わらず、あえて殺人者になったのは、誰でもないお前自身選択のせいだよ。

無敵の人として暴れたら何者かになれるっていうのはただのお前の薄っぺら妄想だよ。現実のお前は何も変わらないんだよ。

っていうことを、長い時間をかけて突きつけた映画

予告編はあのままアーサーがジョーカーとしてアメコミヴィランになれた話をやるんだ、と思い込ませるめちゃくちゃ誤解を生む内容。

加えて火事で脱走したり裁判所爆発したりするシーンとかで何度かフィクション世界にいけると期待させといて、突き放す。

そして、結局前作では一番の”弱者“でありアーサーの事を思ってくれていたゲイリーを傷つけていたんだぞ、っていうのを突きつけて、前作の「弱者から強者への復讐」という物語の要素を、弱者さら弱者を痛めつけていたという要素も引っ張ってきて否定した。だからアーサーはゲイリーと話した後に、自分ジョーカーではないと語った。

ジョーカー」を観て無敵の人になることに「共感」しちゃう観客がかなりいたこと、実際に模倣犯が出たことで、徹底的にそこを否定する流れにしたのかなって思った。

個人的にはやまゆり事件犯人とかみたいに、自分人生がうまくいかいか他人を殺して「何者か」になろうとしたやつを死ぬほど軽蔑しているので、この突き放しは良かったと思う。

とはいえ、前作で一生懸命掘った穴を思いっきり埋めるみたいな話ではあった。やや虚無を感じる。

たぶん前作は犯罪者にはなり得ないような、経済的に/社会的に困窮していない人たち、特にリベラル層に対して、犯罪者になりうる弱者男性共感させるのがメインだったんだと思う。

しかし、実際には弱者男性側(と少なくとも思い込んでいる)人々から同調とか模倣犯とか出てしまたから、慌ててそこを否定しに行ったんだろうな。

  • 前作が2019年か 5年で弱オスに対する社会の態度が150度くらい変わったんだな

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