はてなキーワード: ロッチとは
雄山「ふふふ・・・このパンティーが本物のパンティーになるというんだな?」
山岡士郎「このパンティーのどこが悪いと言うんだ、じゃ自分もあの中から選んでみろっ!」
海原雄山「なぜなら、あのパンティーには全てクロッチが無い。つまり、オス用のパンティーということだ。」
栗子「そんなパンティーがあるんですね。確かにクロッチが無かったら、頭にかぶった時のかぶり心地も全然違うはずだわ」
海原雄山「本物のパンティーすら見分けられない者が、究極のパンティーとは、片腹痛いわ・・ フハハハハ」
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女性の私も、人のおりもののことって全然想像つかないんだけれど、男性はそもそもおりものの存在を知ってるの?
興奮時のぬるぬるとは別物。興奮と関係なしに日常的に股の間から垂れてくる。質感は鼻水に似ている。鼻水って体調によって色も粘度もまちまちだけど、私の場合おりものもそんな感じ。透明でさらっとしていることもあれば、にごった白色のどろりとした塊が出てくることもある。そしてパンツは黄色く汚れる。
私の場合、量が多い。普通に過ごしていて、経血みたいにじわっと漏れてくる。いつも昼にトイレに行く頃には、親指と人差し指で円を作ったくらいの範囲で、パンツがべとっと濡れている。濡れたパンツを履くのは不快だし、これを放っているとパンツにシミができる。
一人暮らしするようになって、おりものシートの存在を知り、毎日欠かさず使っている。生理用ナプキンと似て、パンツのクロッチ部分に貼るシートだ。私の場合、昼にはべとべとになるから、二重になっていて1回剥がして二度使えるシートを欠かさず使っている。(下着はこだわる方なのだが、Tバック用のおりものシートは種類がなくて比較的高価で不便だ。)
家ではノーパンだ。パンツを履いていたら濡れて不快だし、日に3回くらい履き替えなきゃいけないからだ。時々足に垂れてきて、慌てて拭くことがある。
こんなに量が多いのは、何らかの病気ではないか?と不安になるのだが、半年に1回婦人科の検診を受けていて、特に病気との結果は出ていない。医者には股を覗き込まれながら「おりものの量が多いですね」と言われたことが二、三回ある。「昔からなんです」と応じると、「そうですか」とそれ以上何も言われない。私も恥ずかしいのでそれ以上聞かない。
困るのは、これからセックスするかもしれないという一大イベントの日だ。勝負パンツに黄色いシミを作るわけにはいかない。どのタイミングでおりものシートを剥がすかが賭けとなる。剥がし損ね、盛り上がってきた時に、セクシー下着にダサいおりものシートがついていたら私は萎える。このシートの存在は隠したい。おりものの存在そのものを隠したい。女の子のパンツは、いつも清潔で素敵でエッチなものであってほしい。
でも実際は、毎日おりものでベトベトしていて、しょうがないからおりものシートを付けている。ほかの女性達もこんな苦労をしているんだろうか。
最初に言っとくけど、今からご飯を食べようとか、なんなら今まさにこれからエッチしようとかしてる男性の方とかはこの下は読まないほうがいいかもしれない。女性の汚れものの話なので(知っていて損ではないとおもうけれどね)。
少なくとも一部の女性(私だよ)の自己肯定感をブチ上げてる、日陰物の話をさせてほしい。
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簡単に言うと、ぱんつのクロッチのオプションとして使う当て布・当て紙である。
極々小さくて薄い生理用ナプキンみたいな形状をしていて、ナプキン同様にぱんつのクロッチ部分に貼りつけて使用する。
バラとかのいい香りがするやつもあるし、無香料のものもある。天然コットンを売りにしてるやつも、人工素材だけど機能的なやつだってある。
違いとしては、ナプキンよりずいぶん薄くて小さく、ナプキンに必需品であるポリマーの水分吸収体も大抵入っていない点が挙げられる(一部入っているのもある。ちょっと高い)。
何より主な出番が「生理じゃない日」というのが大きな違いである。
ところでなぜこのような当てが、しかも出血のない普通の日に必要になるのか。
おりものは子宮や膣から出る液状の分泌物である。健康であればふつう酸性の液性をしており、膣に入りがちな大腸菌などのバイ菌を殺菌したり、子宮内部の老廃物を排出したり、また潤滑液としての働きをしたりもする。
おりものがないと膣内部はゴミだらけのバイ菌だらけになってしまう。また完全に乾いたお股では摩擦で痛くておよそ歩けたもんではない。
人によって、また日によっても出る量や色、粘り気やにおいなどは様々であるが、大抵の女性のお股は常にしっとりしているのである。毎日である。生理がない日もである。女性の下半身は偉大なるおりものに守られているのである。
さて、そんな殺菌と洗浄と老廃物の運搬を担う偉すぎるおりものであるが、ひとつ問題がある。体内に溜めておく場所がなく、排出に際してコントロールも効かないのである。
おしっこであれば膀胱があるし、緊急事態ならお股を押さえておけばなんとか決壊を防ぐことができる(ような気がする)。大の方は……3日分くらい体内に留まるのは普通だし、緩い時だってストッパとかお薬がある。
おりものにはこれがないのである。垂れ流しである。行き着く先はクロッチである。
同じ垂れ流しの経血とは色も量も起きうる惨事の規模も違うが、クロッチが湿ったぱんつなんてのは穿けたものではない。
ズボンに染みないか、においが漏れないか気になって仕方ない。椅子に座るたびにお股がヒヤッとするし、毛についてぱんつと固まったりすると、トイレで脱いだ時に毛がブチブチ抜けて痛い。奮発して買ったお気に入りのぱんつだって汚れてすぐにいたむし、濡れていることに対して怒りさえ感じることもある。
クロッチが濡れて気持ち悪いのに、ニコニコして人当たりよく仕事や勉強をするなんて、どうしても私には無理である。
洗い立てのぱんつに装着して履いておく。体内から出たおりものはライナーがしっかりキャッチしてくれる。トイレに行ったときに汚れているようなら、すかさず新しいライナーに替えられる。そうすればそのぱんつのクロッチはもう洗い立てのそれと同じである。
個人的には多い日では1日に3回か4回くらい変えることがある。これが他の女性と比べて多いのか少ないのかわからないけれど、3回も4回もスッキリした気持ちになれる。「からりと乾いていて、汚れていないクロッチ」これがなかなか自己肯定感をぶち上げてくれるのである。
強気にもなれる。優しくもなれる。頑張ってもいいかなと思える。
「私もなかなかやるじゃん、ぱんつも濡れてないし」QoLが爆上げした瞬間である。
避難所で生理用ナプキンが猥褻物として扱われてしまうとか、今日もルナルナの件で炎上してたりとか、血が出る「生理」は印象として派手なので話題にものぼりやすいし、議論にもなるし、とりあえずの理解もされやすかろう。
そんな中で日常の生活を支えてくれるパンティライナーは完全に日陰者である。地味だし。話題にされているのを寡聞にして聞かない。
それでも濡れていないぱんつ、あたらしいクロッチをいつでも提供してくれるパンティライナーは、私の気持ちを人並みに人間にしてくれる救世主である。
とまあこう、人に知られざるパンティライナーを称え増田をしたためた訳だが、正直に言うと今日は完全にうっかりしていた。
毎日カバンには替えをいくつか持っているし、会社のロッカーにもストックがあるんだけど、今日はどちらも切らしていて一日中湿ったぱんつで仕事をする羽目になってしまった。
結果は散々である。
半身浴しながらポチポチ書いてたんだけど、そろそろのぼせちゃいそうだからお風呂出るね。読んでくれてありがとう。
パンツ履くと気持ち悪くて能力が半減するくらい無理(パンツ+ブルマだと気持ち悪すぎて本当に何も手につかなくなる)
惨敗続きだったある日。
その日はメンタルがダメになってて、「もう無理だ、今日もどうせ通らんわ。意味あるんか?」と本気で思ってた。
「パンツが気持ち悪いので、最高でも前貼り+オープンクロッチショーツ程度までしかできません」
すると、面接官はこう答えた。
そこから先はあれよあれよと言う間に最終面接で、そのまま内定もらい、翌年そこに就職した。
私はとてもラッキーだった。
私はパンティーが大好きだ。
日替わり弁当が毎日パンティーの煮付けならいいのに…パンティー弁当がないのは近くの弁当屋の早く修正すべきバグである。
数あるパンティー料理の中で一番おいしいものがなにかわかるか。
それは「パンティーのあら煮」であるとパンティー論者(私)から結論が出されている。
まずあら煮とはなにか。
衣服というのは捌く課程で「食すのに向いてねぇなゴミが!」っていう部分がでてくる。
例えばフリルなんて食える衣服あるけど大体は「ゴミが!」と捨てられる部分である。可食部が少ないのだ。
大体、フリル・ジッパー・タグ(をすいた身)、衣服によっては腰周りなどゴムが多かったり、エグミがあったら、とにかく「刺し身ではまず食わねぇ」ってところはあらと呼ばれパンティーの場合はあら煮になる。
骨が大きく、小骨が少なく、味も良い。
おまえらが好きな「めでタイツ」のタイツもあら煮になることもあるがそんなものとは大違いの可食部の多さだ。
なぜあら煮がおいしいのか。
もちろんパンティーの切り身でつくる煮付けもおいしい。なぜならパンティーはおいしいからだ。
しかしあら煮とパンティーの切り身の煮付けの違いは骨が入っているということである。
だし(うまあじせいぶん)というのは鶏ガラだとかとんこつや煮干しを想像してもらえば分かる通り骨から出る。ガードルは別だ。あいつはすげーよ。あの時は死にかけていた俺も…いやこの話はまた今度だ。
つまり煮付けたタレにパンティーのうまテイスト成分がガッチリと凝縮される。
神様にゆるされるなら俺はあら煮でつくったタレでパンティーの切り身を煮付けたいね。
パンティー大根なんて料理あるだろ。あれも切り身だけで作るのとあらを入れたものでつくるので天と地ほどの…いやそれだとパンティーの切り身に実力がないみたいな話になっちゃうから天と高層ビル最上階ほどの違いがある。
しかしこんなあら煮なんて可食部が少なかったらされなかった料理なのだ。
神様はあら煮を皆に振る舞うためにパンティーの体構造を作ったんだね。
毎日祈ろう。
フレンチ・カンカン、というかラインダンスとの出会いは、おそらくは文明堂のCMだ。それから「ドレミファソネットどしたらできるの」で有名なso-netのCMだ。なぜかこのCMではおじさんの脚線美を見ることになるのだがそれはさておいて、Youtubeで検索すると今でも天国と地獄に合わせて踊る動画を確認できる。
本題に移ろう。Can-can dressについてはウィキペディアではおおよそこのように述べている。ドレスは基本的に何層にもなった大量のフリルがついていて、当時の下着の上に縫い付けられていた。脚は黒いストッキングや網タイツで覆われていた。つまり、レオタード姿のソネットのCMはフレンチ・カンカンではないのである。足の動きの速さからしてまるで違う。
衣装ではなく、カンカンダンスそのものについては、日本語版のウィキペディアと英語版のウィキペディアで書いてあることが若干違う。おそらく英語から訳したときの版が違うのだろう。
両者の記述を比べてみたが、フレンチ・カンカンにおける見せパンの起源はかなり曖昧らしい。足を思い切り上げてスカートの中が見えてしまう動きは、ショーの場では1820年代にアクロバット的な動きで知られるCharles Mazurierがバレエの大開脚を取り入れたことにさかのぼるようである。初期のダンサーは娼婦やセミプロの役者だけであったのだが、1890年代になるとムーラン・ルージュではトゥールーズ・ロートレックの絵で知られるLa Goulue(食いしん坊さん、的な意味)やJane Avrilなどの高給を取るスターが生まれた。La Goulueのページでは当時の衣装とセットの見せパンが確認できる。これらのスターの生活は華やかだが晩年は不遇であることもあった。この二人もビジネスの失敗や大恐慌で財産を失い、寂しく亡くなっている。
さて、カンカンは足を高く蹴り上げるので、当然スカートの中身が丸見えになる。しかも、それや当時としてはよりスキャンダラスであった。というのも、当時の下着であるpantalettesは衛生上の理由からクロッチ部分が開いていたからである。要するに性器が丸出しになるわけである。もっとも。そのあとにこんな記述がある。カンカンのための特別な下着を用いていたという記録はないが、ムーラン・ルージュでは下着の露出は禁じられていたことになっていた、と。どうもこのあたりの記録は曖昧というか[要出典]をつけたくなる箇所が多い。ウィキペディアは普段は自然科学の記事を読むことが多いが、そこよりも曖昧な記述が多い印象だ。文体もなんだか違う。
ところで、今のフレンチ・カンカンとして知られる、大人数の女性が10分以上高度な振り付けを続けるスタイルは、1920年代にアメリカで人気が出たスタイルを逆輸入したものでそうである。
実際、19世紀末からに20世紀初頭にかけては女性の脚部を見せるということでかなりスキャンダラスなものとしてみられていた。また、陰部を覆う白い生理用(?)下着と黒いストッキングの対照もエロティックだとして見られていた。さらに、体を折り曲げてスカートを後ろからまくり上げ尻を見せる動作もあったという。先述のLa Goulueはこの芸で知られていたとのこと。また、前の席の客の帽子を蹴り飛ばすほど近づいて、スカートの中身を見せることもあった。もっとも、顔を思い切り蹴られる危険もあったのだが。
結論から言うと、当時のフランスに見せパンそのものであったかどうかはわからないが、パンツが見えることは覚悟の上だった、ということになりそうだ。女性器が見えていたかどうかまでは根拠が怪しい。もっとも、今ほど表現が自由でなかった当時のこと、そんなことを文学や絵画で記録に残せたかどうかは怪しいものだ。ちなみに女性器を堂々と描いて当時の偽善的風潮に反発したクールベの「世界の起源」が1868年、ヌードでスキャンダルを生んだ「草上の昼食」が1863年である。
パリにはいくつも有名なキャバレーがあり、それは近現代の芸術や芸能に多大な影響を与えてきた。たとえば、ムーラン・ルージュで活躍した人物としてFrank SinatraやCharles Aznavourがいる。それらのすべてをここで述べるのは大変なので、地球の歩き方に広告が載っていたと記憶しているものをピックアップして簡単に述べる。子どもの頃、トップレスの女性が旅行ガイドに載っているのを見てドキドキしていたものだ。もっとも、その女性の姿はせいぜい五ミリくらいの大きさしかなかったのだけれども。
学生時代にパリを訪れたときには、そこには寄らなかった。一日中美術館で過ごしてぐったりしていたし、まだ女性経験がなくて図々しくなれなかったからだ。今となってはいい思い出である。
赤い風車で名高いキャバレーで、ここを舞台にした映画は数知れず。トゥールーズ・ロートレックの作品群でも有名。著名なダンサーも多く、全員を紹介するのはとても無理だし、別のキャバレーにも出演していて、キャバレー別に紹介するとややこしくなるので端折る。
ところで、ウィキペディアだけからはヌードがどの程度ショーに盛り込まれていたかはわからないが、1893年の舞踏会に裸の女性がいたことがスキャンダルになったそうである。なんでもヌードモデルが活人画として周囲を歩き回り、裸の女性が深夜にテーブルに立っていたとのこと。一方、英国の劇場のように活人画、すなわち生きた人間で絵画を再現する目的としてならヌードは猥褻ではない、という意識もあったようである。例えば英国では劇場にヌードが現れたとき、当局が1930年代に裸の女性が動くことを禁じた。この禁令をかいくぐるために、モデルたちは活人画のように止まったままとなった(ストリップの記事を参照)。また、戦後日本でも「額縁ショー」と呼ばれるストリップのさきがけのようなものがあった。動かなければ猥褻ではないという謎理論がまかり通っていたのである。当時のGHQが何を意図していたのかはよくわからない。
これまたよくわからないのがゾラの1880年の小説「ナナ」では、ヒロインがヴェリエテ劇場でほぼ全裸を披露して観客を魅了するという場面があるのだが、実際のところどうだったのだろう? 本記事はカンカンについてなので劇場のヌードについては語りつくせないので、今後の課題としておきたい。
1889年開業、1915年に一度焼失するも再興し、ドイツ占領時代にも営業を続けて今に至る。
モネの絵画、「フォリー・ベルジェールのバー」の舞台としても知られる。また、黒人系の女性Josephine Bakerが活躍したキャバレーとしても知られる。バナナ型のスカート以外はほとんど身に着けていないエキゾチックな姿がオリエンタリズムの流行した当時ヒットしたのだが、後にその恰好が人種差別的だとされるようになり、そこからネグリチュード、黒人意識の発展にも寄与した。また、彼女は黒人の人権活動家としても知られている。最近、グーグルが彼女の生涯を記念するドゥードゥルをトップにした。
1869年に開業、1872年に今の名前になる。けばけばしい衣装で知られ、時としてヌードも披露されることで知られる。
映画「ファイアbyルブタン」で有名。セミヌードを含む映画の公式予告がyoutubeに上がっている。身体をやわらかな特殊素材のように扱ったショーは性欲やエロスの向こう側に行ってしまっており、すごいものになっているとしか言えない。リンクを貼ったら怒られそうなので検索してください。もちろん、そこまで独特なものではなく、もっとわかりやすいショーもある。
ユニークなのはそのショーの一部をyoutubeの公式チャンネルで公開していることだろう。かなり古い白黒のものまである。それと、公式ホームページ見ていたら驚いたのだけれども、リド自体には12歳以下の子どもでも入場できるそうである。ヌードやトップレスがないショーならOKなのか、それとも芸術のヌードならOKなのか。フランス映画、年齢制限がないやつでも割と普通におっぱい出てくるし、表現規制の国ごとの温度差を示す実例であるのかもしれない。
1946年開業。1920年代の人工的な砂浜をその前身とする。
「ストリップティーズ」の項目によれば1960年代に全裸のショーが行われた、とある。
現に、創業者であるアラン・ベルナルダンは芸術性を伴った女性のヌードショーを見せるという着想に至ったそうで、要するに最初から全裸である。
とはいえ、ただの全裸ではなく、巧みな照明技術により女性の裸体をキャンバスのようにとらえ、万華鏡のようなカラフルかつシャープな模様をダンサーの肌に映し出していることに特徴がある。ただ脱いだだけではないそうだ。1951年開業。
天国と地獄の曲を初めて聞いたのは文明堂のCMと、音楽ファンタジーゆめでだ。後者はCGの黎明期であったせいかサイケデリックな表現が多く、当時の感覚としても幾分薄気味悪いと同時に、今から振り返ってみると技術の未熟さ(失礼!)から来るアルカイック芸術のような独特の魅力があったように思われる。
ところで、この曲は地獄のオルフェとしても知られている。タイトルからすると、ギリシア神話のオルフェウスが死んだ妻を冥界から取り戻そうするとする話のはずだ。なのに、なんでこんな軽快な曲なのだろうと思って調べたら、ギリシア神話のパロディ的なオペレッタだからだそうだ。なるほど。
こうしたレオタード姿のラインダンスはカンカンではないと述べたが、それではこれはいつからあるのか調べたい。おそらく日本国内では宝塚歌劇団と関係している。また、バーレスク的なものとの関連について知りたく思う。そもそもバーレスクとは何か、僕はよくわかっていない。日本語版のウィキペディアのバーレスクの記事には、乳首と陰部に前貼りを貼っただけの姿でパフォーマンスをする女性の写真がある。リンクは張らないが、鍛えられたきれいな体だなあ、僕も筋トレ頑張らなきゃなあ、とは思う。しかし、欲望はそこまで感じなかった。隙がないのである。
そのオタク女絵師達も金や知名度の為の仕事感覚で書いてるに過ぎないから、綺麗かわいいイカ臭さ脱臭された美少女やイケメンのグッズは買うけど、パンティのクロッチぎりぎりもしくは見えてる絵やパンティライン透けや股間スジ食い込みや乳袋絵に金を出さないし所持したがらないじゃないですか
そのオタク女達も金や知名度の為の仕事感覚で書いてるに過ぎないから、綺麗かわいいイカ臭さ脱臭された美少女イケメンのグッズは買うけど、パンティのクロッチぎりぎりもしくは見えてる絵やパンティライン透けや股間スジ食い込みや乳袋絵に金を出さないし所持したがらないじゃないですか
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わたし、タイツ好き!タイツに透けた足がセクシーで好き!タイツ履いてる自分も魅力的ですき!
だからアツギのラブタイツ企画、かわいいし、「やっぱりタイツっていいよね。かわいいよね。セクシャルな魅力満載だよね!買お!!」なんだけど、
「性的に見られたくない」ばっかりで。
えーーーー!?!? 性的な魅力だって間違いなく魅力じゃない!?
いやもちろん、当たり前に、性的に見られたくない人は尊重されるべきだよ。
でも今回の企画は、わたしみたいに「タイツってセクシーですき!」な購買層にはリーチしてるわけで、すべての女性を蔑ろにしてる!みたいなの、違くない?
そもそも、「セクシーな魅力」ってさ、重要な購買欲求のトリガーになるのなんて、いーっぱい事例があるじゃん。
「エロリップ」ってアダ名が着いた途端、爆発的に売れたリップあったじゃん!!!
なのになんで、こういう話題になると、「性的にまなざされたい女性など皆無!!」ってなるの!?カマトトぶりすぎでは!?
いや、私はまなざされたいが!? セクシーだと思って欲しいが!?!?!?!?
女性の感性は画一的なもとだと信じ、女性を代表して意見する!みたいなの、多様性と逆走してる気がする〜
追記1
リトルレディリュクスのオールワンティント、戯ちゃんがツイッターでバスらせる前はセクシー売りなんて全くしてなかったじゃん?
でも「エロリップ」でバズって多くの層にリーチした。違うアプローチで、今まで届いてなかった層に届くし、セクシーさを求めてる人もいるって話。
エロリップだって、顔色をよく見せたいためにつけてる人もいれば、セクシーを求めてつけてる人もいるでしょ。そういう多様性にアプローチして怒られる謂れはないと思うわ。
追記2
【ラディフェミと意見が合致しないことを書くとこういう目にあいます】
・男認定
→いやなんなん? 違う意見だと異性なの?その決めつけヤバくない?「女は馬鹿」みたいな意見をいう人間と同レベルだよ。普通に女だし。
→いやなんなん、ブスだとダメなの? つーか人の容姿に言及するなんてめっちゃ失礼でしょ。フェミだってずっとされてきたことでしょ。それをやりかえすわけ?
→0か100かしかないの?? なんで私がクロッチ部分を見せたり破いたりしなきゃいけないの?馬鹿じゃない?これって「じゃあフェミはヒジャブ着ろよ」と同レベルなの理解して。
・誰か認定
→「これ書いたの絶対あの人」ってなに?すっとぼけでもなんでもなく、1ミリも心当たりないが…
だからあえて「ラディフェミ」って書いた。本来のフェミニズムは、「その人の体を隠すにせよ晒すにせよ、それが本人の意志と自由に基づく」ことを支援するものだと思ってるし、それに共感する。
何度か書いたんだけど、女の子の部屋で彼女がシャワー浴びて出かけることになって、
二間の居間とダイニングキッチンとの間にすりガラスの引き戸があって、
昔は、今でもかも、賃貸アパートのトイレにウォシュレットなんか無いから、
紙で拭くだけなんだから、クロッチが薄黄色に汚れていた。真ん中や前も不愉快を感じさせず、
きれいに汚れていた。くんかくんかしたけど臭いはしなかったけど、
どうせならこのショーツに射精しよう。ちんこをショーツで包んで、
ばたん。「何やってるんですか?」
彼女は髪を濡らして片腕で胸を隠して、扉から半身で僕を伺い。驚いていた。
ちなみにまん毛は見えた。それが初めてでは全然無いけど。
僕は今でもこのことを悔やんでいる。
ちょいと訳ありの女性が居て、人気のない夜の公園の多目的トイレに入りたいけど色々怖い。
では僕が外で待ってて、急ぎでトイレ使いたい人が来たら知らせますよ。
まあ来ないけど。それより変質者とかのほうが怖いし。と、その女性は安心してトイレに入った。
しかしチコちゃんは知っていたのです。多目的トイレの鍵は20分位で解錠されるのを。
ランプが消えて解錠されたけど、出てこない。どうせ初対面の人だし、とボタンを押してドアを開けた。
出入り口の方に向けて、おなにーしてた。扉が開いても驚きもしないで、
「誰か男の人が入ってきて、強姦されたかった」そうだけど、誰でもよくないだろうし。
僕が入っていったら、「扉閉めて。おちんちん舐めてあげる」と女性からジーンズを脱がされるなんて。
勃起はしてなかったけど我慢汁でぬるぬるだったけど、躊躇なく舐められた。
大きく硬くなると「大きく硬くなった」と、ちんこを下に押し下げて弾いて上にびょん。
なんとなく立ちバックの体位だけど、ローションみたいにぬるんとちんこがまんこに入って、
ふたりともそこでため息ついて、何回か女性のお腹の奥にちんこの先を押し付けた後、
「ここじゃなくて、部屋からブホとかで」「そうだね」。
ふたりともそのままパンツ履いてジーンズ履いて、忘れ物ないか確認して、
そこまでで僕が入って5分くらい。駅まで歩くうちにタクシー来なくて、
結局駅前でタクシー乗って、女性の部屋へ。部屋に入ると女性は服を全部脱いで裸になって、
「君も君も」と裸になって、布団に潜りこまされた。
そのなかで色々触られたりいたずらされたりだから、性癖と状況がリンクしてるん」。
「何歳のときにですか?」「小5小6」。ああーっ。と思った。
相手の冷たい素肌が触れるし、乳首の先立って、僕のちんこの先立って、
毛が生えてきたり、生理が来たり、おなにーに興味持ったり」。
まんこは少し乾いてべとべとになっていた。
「男の人のおちんちんはえっちなことすると、大きく硬くなって、
それを女の子のここに差し込むんだよ。それからもっと気持ちよくなると、
おちんちんから白い精液が出て、その精液が女の子のお腹の中に入ると赤ちゃんができるんだよ」って。
「お股に毛が生えると、もう子供じゃなくて大人だよ。胸も大きくなるよ」。
「私毛も生えたしおっぱいも大きくなったし男の人にエッチな目で見られるし、大人になったよ」
と言いながらお尻を僕に密着してきて、ちんこがまんこの奥まで入った。
イサキが大量だったりとか。ちな僕は、まん毛かな。
もしも女の子二人と三人で飲みに行って、一人が酔いつぶれて。
一人がトイレに行ってる間に、潰れてる女の子のジーンズを膝まで脱がして、
寢バックの体位でまんこにちんこ出し入れしてたい、もうひとりがトイレから戻ってくるときまで。
そんなん話すと「私ので良ければ」と、ショーツ脱いで、
僕のジーパンの前を開くとちんこが飛び出して真上向いてるから、
「私のまんこでいいならいつでも使っていいよ」と僕にまたがって、
腰を下ろして、ちんこをまんこに入れた。「おちんちんも私が借りてもいいかな」。
後の話にも関わるが生活が変わる
志村けんが亡くなる
悲しい
でも対面授業より楽だから楽しみにしてて
学祭も中止になるよ
やったね
教習所に通う
4月から通う予定が入校式の次の日にコロナで教習所が閉まるから本格的に教習が始まるのは6月からになる
はやめに予約を取るようにした方が絶対にいい
頑張れ
バイトを始める
去年の今頃はずっとバイトしたいと思ってたはず
いろんな人に心配されるけど、周りの人はいい人ばかりだから頑張れ
給料も良い
緊張するし行くまで嫌だったけど、ご飯はおいしいしそれなりに楽しかった
すごく恥ずかしいから
そして6月末でクビになる
一カ所だけ面接に行くけどそこは落ちる
後期の授業どうなるか分からないし、実家に帰るかもしれないからね
ちょっと苦手な先輩が嫌いになる
でも逆において行かれるから気をつけろ
急いで行くと、遅かったね的な反応される
まあ自分が遅れたのは事実だし、送ったラインに気づかなかったのも仕方ない
この一件以来いろいろと嫌なことが目につくようになる
クリスマスはこの嫌いな先輩とその高校時代の後輩(面識なし)、もう1人の先輩と4人でお昼にクリスマスケーキを食べる
断れるなら断った方がいい
夜は嫌いな先輩と私のサークルの同期2人と遊びに行く
行きは別でも帰りは一緒だから気をつけろ
クリスマスから半年はコロナもあって先輩に会うことも減るからとりあえず平和
は?????って思うことはちょいちょいあるけど
とりあえず出てみると、どうしてるかなって思って電話したと先輩は言う
電話の内容は本当にどうでもいい内容だった
ろれつが回っていないのが気になって聞いてみると、先輩はバイト終わりにお寿司を食べて、お酒も飲んだらしい
ずいぶんと気分が良さそうだった
ちょうど夕飯にしようと思ったタイミングで電話がかかってきたこともあって、めちゃくちゃムカついた
お腹すいたわ
多分私ならこれがどれだけムカつくかよくわかると思う
さようなら私の日曜の夜
他にもいろんなことが重なって嫌いになる
ずいぶん長くなってしまったけど私が言いたいのは2つ
あの先輩の誘いに乗るな、極力距離を置け
嫌な話が多いので最後にいい話