今、青春映画を一本見て。青春できなかった奴らの不全感とか、リア充のリア充感とかが表現されていたんだけど。
イケメンとか、女がスクールカースト高くて、不細工なオタクが底辺って感じを描いていたんだけど。
ふと思った。こういう分かりやすいピラミッドが成立しつつ一箇所に固まってる構図って社会では無い。ってか大学くらいから無くなる。
いや、オタク達もリア充もバラバラになっていって。解体されて、職業や役割で分割されていく。
そもそもが、スクールカーストみたいな上下関係をまざまざと見せ付けるし、そもそもそんなカーストみたいなのが出来上がるような空間って、「学校」にしか無いじゃんって。
結局は、権力者が作った役割に落とし込むために、人格形成()というか、思春期の危ないエネルギーを勉学や部活で解消しましょうって施設だ。
やっと俺はふに落ちた。
今まで、なんとなく青春できないキモオタ側だったから、悔しかったけど。
そもそも、学校って単なるフィールドってか、ゲームのマップの一つに過ぎないし、そこでの設定とかは、所詮設定でしかない。
もうアラサーにもなってなんなんだけど。青春取り戻そうとしてる節がある。
青春送った奴らを金や権力で操ってニヤニヤしてる節が俺はある。
もちろんゲームとしか思ってないけど。権力者になったからゲームしてるだけなんだけど。
「学校時代に底辺扱いされて苦しんだが、こっからは俺のターンだ、苦しめクソリア充ども、死ねドキュンども」
くらいに思っていたが。
それって、意味が無いなと思った。
彼らも、演じさせられていた、流されたモブキャラだったんだ。