はてなキーワード: スケッチとは
私的にはやばいと思ったんですが、実際どうなのかなと思い、意見募集かねて初投稿です
極力あったことをそのままですが、個人情報等内容に影響のない程度の脚色あり
暇だったんで某地元密着サイトで友達募集をつらつら見てたんです、気軽に雑談とかできる人欲しいなと思いまして
(男女の関係は一切考えてません)
「近所で遊びに行ける人と会いたい
マンガやイラストを描いており、スペースなどで一緒にスケッチできる絵描き仲間も探している」
エリアは同じ市内だし、最初はネットで様子を見て大丈夫そうならリアルでも仲良くできたらいいな、と思いましたさ
すぐ会わないというのは、募集主は男性であり、私は女性で体格的にもひ弱な方なので、その辺を警戒してのことです
こちらは性別非公開にして「私もイラストやってます、人見知りなのもあり最初はネット上で…」といった旨でやり取りスタート
すると挨拶もそこそこに「○○さんは性別どっちですか?」と聞かれました
住んでいるエリア、年齢も聞いてきました
その後、お互いの作品をupして感想を言い合ったり、作品をどう世に出すか等を話していました
そこまでは良かったんですが
(女・年下と分かり上から目線的な会話には感じましたが)
そのうち、いつ会えるか等の方向に会話がシフトしてきました
異性ということで警戒があり、実際立て込んだ事情もあって「家庭の事情があって1,2ヶ月は会えなさそう」と答えました
普通はこれ以上突っ込んでこないだろう、と思ったのですが、「事情ってどんなこと?」と聞いてきたのです
これにはネット歴長い私もビビり、こいつやばいな…と感じました。流石に答えませんでしたが
その後も「怖がらなくて良い、仲間が欲しい、一緒に絵を描きたい」といった旨を断続的に送ってきました
どんだけリアル重視してんだと思いつつ(私は描く時は一人のが落ち着くので異星人見てる気分で)初日の会話終了
次の日、平日朝にも関わらず5件ほどのメッセージが
「性別気にしてない」といいつつ、文体に引っかかったらしく「実は男だから会いたくない?」ときて
「どうして女の振りするの?」
「会うの躊躇うくせに話し方が軽快すぎる」
「絵柄も男みたい」
と怒涛のネカマ認定スタート(男女問わずかわいい女の子は好きだろ)
「男なら会ってるはず、嘘ついてるから会いたくないんでしょ」(そうかな…)
「会って確かめたい」
嘘がどうってより性別年齢しきりに気にしてくる方が怖いんですけど、趣味友でそこまで重要じゃなくないですかね…
この時点で返信する気も失せていましたが、まだまだ通知な鳴り続けて
「字で話してるだけじゃ信用できない」
「ネットは嘘つきばっか」
「逃げてばかり」
「(私の趣味友にネットもリアルも関係ない発言に対し)適当すぎる」
「こっちは同人イベント行く、一緒に描くって言った」(それはゆくゆくしようってことでしょ…)
「お前はインチキだ」
「○ね」
「お前は絵も下手」
「詐欺だ」
「信用できない奴と真剣に語れない」
「お前の絵はオ○ニーだ」
「(性別そんな気になる?に対して)気になるじゃねーよカス、男か女のどっちかだろうが」
……と素晴らしい手のひら返しを見せてくれました
(私自身も画力のなさは自覚してますが、こうもこき下ろされるとつらいものがありました
相手の作品は画力では完全に負けてたので…漫画や信念の部分は勝っていたと思いますが、そうでも考えないとしばらくペンが持てなさそうです)
この後、わざわざ身分証の性別欄までupしたんですが、信じようともせず
徹底抗戦しようかと思ったんですが、最終的に相手がブロックしたようで終わりました
さて、ここまでお読み頂いた方、よろしければ以下についてご意見頂ければと思います
・それとも、彼は本当に絵描きで、リアルの関係を重視するタイプであっただけか?
「クラスで一番絵がうまかったから調子に乗って上京して持込してボコボコにされて、それでもあきらめなかった」
というのはやっぱりすごい事だと思った。大多数はそこで筆を折ってしまうような気がするし。
そこで筆を折らなかったのは、周りから褒められていたときの成功体験というか、なんかそういう記憶の後押しはあったのかな?と思った。
自分はクラスで一番うまいというところにも行ったことがなかったし、クラスの中で全然うまくないのにうまい振りした下手くそだった。自分だけは自分の下手さを認めたくなくて上手い人から目を背けていたし、「自分はうまい」と思い込ませていたけど
やっぱりクラスで一番絵がうまい奴はレベルが違った。同じ四角をスケッチしたとして、自分は平面の四角を30分かけてうまぶりながら描くのに、本当にうまい奴は3分で立体的に描くみたいな。
練習量、努力の差はもちろんあるけど、自分はなんかもうそういった成功体験がなかったので、やる前から負け癖がついている気がした。絵の世界で勝ち負け付けるのもナンセンスではあると思うけど、人と自分を比べて自分はあいつよりも下手だと思う感情というか。
っても無駄・やるだけ無駄・やったってどうせうまくなれないみたいな感情は必ずあるもので、学習性無力感みたいなもんなのかなと思う。
そこから這い上がれたり、スーパーポジティブだったりする人は伸びる。
描くことが好きだから下手なんて気にしないし、他人の評価なんてもっと気にならない。萌えを表現したいし自分が描いてて楽しいのが一番の原動力。っていう人は
それは一種の「描くための才能」だと思うし、とても素晴らしい能力だからすごく羨ましい。
お絵描き歴〇年の自分よりも去年から描き始めた人の方がうまいとか、自分に萎える事は多々あるけどやっぱり絵を描きたいからあまり卑屈にならず自分なりに頑張っていきたいな。
絵でも漫画でも小説でもゲームのプレイングでもなんでも、うまい人が伸びるのもあるけど精神面もすごく影響してくる。下手でも楽しんでる時が一番人生楽しいと思うし。
五、天気輪てんきりんの柱
牧場のうしろはゆるい丘になって、その黒い平らな頂上は、北の大熊星おおぐまぼしの下に、ぼんやりふだんよりも低く連って見えました。
ジョバンニは、もう露の降りかかった小さな林のこみちを、どんどんのぼって行きました。まっくらな草や、いろいろな形に見えるやぶのしげみの間を、その小さなみちが、一すじ白く星あかりに照らしだされてあったのです。草の中には、ぴかぴか青びかりを出す小さな虫もいて、ある葉は青くすかし出され、ジョバンニは、さっきみんなの持って行った烏瓜からすうりのあかりのようだとも思いました。
そのまっ黒な、松や楢ならの林を越こえると、俄にわかにがらんと空がひらけて、天あまの川がわがしらしらと南から北へ亘わたっているのが見え、また頂いただきの、天気輪の柱も見わけられたのでした。つりがねそうか野ぎくかの花が、そこらいちめんに、夢ゆめの中からでも薫かおりだしたというように咲き、鳥が一疋ぴき、丘の上を鳴き続けながら通って行きました。
ジョバンニは、頂の天気輪の柱の下に来て、どかどかするからだを、つめたい草に投げました。
町の灯は、暗やみの中をまるで海の底のお宮のけしきのようにともり、子供らの歌う声や口笛、きれぎれの叫さけび声もかすかに聞えて来るのでした。風が遠くで鳴り、丘の草もしずかにそよぎ、ジョバンニの汗あせでぬれたシャツもつめたく冷されました。ジョバンニは町のはずれから遠く黒くひろがった野原を見わたしました。
そこから汽車の音が聞えてきました。その小さな列車の窓は一列小さく赤く見え、その中にはたくさんの旅人が、苹果りんごを剥むいたり、わらったり、いろいろな風にしていると考えますと、ジョバンニは、もう何とも云えずかなしくなって、また眼をそらに挙げました。
あああの白いそらの帯がみんな星だというぞ。
ところがいくら見ていても、そのそらはひる先生の云ったような、がらんとした冷いとこだとは思われませんでした。それどころでなく、見れば見るほど、そこは小さな林や牧場やらある野原のように考えられて仕方なかったのです。そしてジョバンニは青い琴ことの星が、三つにも四つにもなって、ちらちら瞬またたき、脚が何べんも出たり引っ込こんだりして、とうとう蕈きのこのように長く延びるのを見ました。またすぐ眼の下のまちまでがやっぱりぼんやりしたたくさんの星の集りか一つの大きなけむりかのように見えるように思いました。
そしてジョバンニはすぐうしろの天気輪の柱がいつかぼんやりした三角標の形になって、しばらく蛍ほたるのように、ぺかぺか消えたりともったりしているのを見ました。それはだんだんはっきりして、とうとうりんとうごかないようになり、濃こい鋼青こうせいのそらの野原にたちました。いま新らしく灼やいたばかりの青い鋼はがねの板のような、そらの野原に、まっすぐにすきっと立ったのです。
するとどこかで、ふしぎな声が、銀河ステーション、銀河ステーションと云いう声がしたと思うといきなり眼の前が、ぱっと明るくなって、まるで億万の蛍烏賊ほたるいかの火を一ぺんに化石させて、そら中に沈しずめたという工合ぐあい、またダイアモンド会社で、ねだんがやすくならないために、わざと穫とれないふりをして、かくして置いた金剛石こんごうせきを、誰たれかがいきなりひっくりかえして、ばら撒まいたという風に、眼の前がさあっと明るくなって、ジョバンニは、思わず何べんも眼を擦こすってしまいました。
気がついてみると、さっきから、ごとごとごとごと、ジョバンニの乗っている小さな列車が走りつづけていたのでした。ほんとうにジョバンニは、夜の軽便鉄道の、小さな黄いろの電燈のならんだ車室に、窓から外を見ながら座すわっていたのです。車室の中は、青い天蚕絨びろうどを張った腰掛こしかけが、まるでがら明きで、向うの鼠ねずみいろのワニスを塗った壁かべには、真鍮しんちゅうの大きなぼたんが二つ光っているのでした。
すぐ前の席に、ぬれたようにまっ黒な上着を着た、せいの高い子供が、窓から頭を出して外を見ているのに気が付きました。そしてそのこどもの肩かたのあたりが、どうも見たことのあるような気がして、そう思うと、もうどうしても誰だかわかりたくて、たまらなくなりました。いきなりこっちも窓から顔を出そうとしたとき、俄かにその子供が頭を引っ込めて、こっちを見ました。
それはカムパネルラだったのです。
ジョバンニが、カムパネルラ、きみは前からここに居たのと云おうと思ったとき、カムパネルラが
「みんなはねずいぶん走ったけれども遅おくれてしまったよ。ザネリもね、ずいぶん走ったけれども追いつかなかった。」と云いました。
ジョバンニは、(そうだ、ぼくたちはいま、いっしょにさそって出掛けたのだ。)とおもいながら、
「どこかで待っていようか」と云いました。するとカムパネルラは
「ザネリはもう帰ったよ。お父さんが迎むかいにきたんだ。」
カムパネルラは、なぜかそう云いながら、少し顔いろが青ざめて、どこか苦しいというふうでした。するとジョバンニも、なんだかどこかに、何か忘れたものがあるというような、おかしな気持ちがしてだまってしまいました。
ところがカムパネルラは、窓から外をのぞきながら、もうすっかり元気が直って、勢いきおいよく云いました。
「ああしまった。ぼく、水筒すいとうを忘れてきた。スケッチ帳も忘れてきた。けれど構わない。もうじき白鳥の停車場だから。ぼく、白鳥を見るなら、ほんとうにすきだ。川の遠くを飛んでいたって、ぼくはきっと見える。」そして、カムパネルラは、円い板のようになった地図を、しきりにぐるぐるまわして見ていました。まったくその中に、白くあらわされた天の川の左の岸に沿って一条の鉄道線路が、南へ南へとたどって行くのでした。そしてその地図の立派なことは、夜のようにまっ黒な盤ばんの上に、一一の停車場や三角標さんかくひょう、泉水や森が、青や橙だいだいや緑や、うつくしい光でちりばめられてありました。ジョバンニはなんだかその地図をどこかで見たようにおもいました。
「この地図はどこで買ったの。黒曜石でできてるねえ。」
ジョバンニが云いました。
「ああ、ぼく銀河ステーションを通ったろうか。いまぼくたちの居るとこ、ここだろう。」
ジョバンニは、白鳥と書いてある停車場のしるしの、すぐ北を指さしました。
「そうだ。おや、あの河原かわらは月夜だろうか。」
そっちを見ますと、青白く光る銀河の岸に、銀いろの空のすすきが、もうまるでいちめん、風にさらさらさらさら、ゆられてうごいて、波を立てているのでした。
「月夜でないよ。銀河だから光るんだよ。」ジョバンニは云いながら、まるではね上りたいくらい愉快ゆかいになって、足をこつこつ鳴らし、窓から顔を出して、高く高く星めぐりの口笛くちぶえを吹ふきながら一生けん命延びあがって、その天の川の水を、見きわめようとしましたが、はじめはどうしてもそれが、はっきりしませんでした。けれどもだんだん気をつけて見ると、そのきれいな水は、ガラスよりも水素よりもすきとおって、ときどき眼めの加減か、ちらちら紫むらさきいろのこまかな波をたてたり、虹にじのようにぎらっと光ったりしながら、声もなくどんどん流れて行き、野原にはあっちにもこっちにも、燐光りんこうの三角標が、うつくしく立っていたのです。遠いものは小さく、近いものは大きく、遠いものは橙や黄いろではっきりし、近いものは青白く少しかすんで、或あるいは三角形、或いは四辺形、あるいは電いなずまや鎖くさりの形、さまざまにならんで、野原いっぱい光っているのでした。ジョバンニは、まるでどきどきして、頭をやけに振ふりました。するとほんとうに、そのきれいな野原中の青や橙や、いろいろかがやく三角標も、てんでに息をつくように、ちらちらゆれたり顫ふるえたりしました。
「ぼくはもう、すっかり天の野原に来た。」ジョバンニは云いました。
「それにこの汽車石炭をたいていないねえ。」ジョバンニが左手をつき出して窓から前の方を見ながら云いました。
ごとごとごとごと、その小さなきれいな汽車は、そらのすすきの風にひるがえる中を、天の川の水や、三角点の青じろい微光びこうの中を、どこまでもどこまでもと、走って行くのでした。
「ああ、りんどうの花が咲いている。もうすっかり秋だねえ。」カムパネルラが、窓の外を指さして云いました。
線路のへりになったみじかい芝草しばくさの中に、月長石ででも刻きざまれたような、すばらしい紫のりんどうの花が咲いていました。
「ぼく、飛び下りて、あいつをとって、また飛び乗ってみせようか。」ジョバンニは胸を躍おどらせて云いました。
カムパネルラが、そう云ってしまうかしまわないうち、次のりんどうの花が、いっぱいに光って過ぎて行きました。
と思ったら、もう次から次から、たくさんのきいろな底をもったりんどうの花のコップが、湧わくように、雨のように、眼の前を通り、三角標の列は、けむるように燃えるように、いよいよ光って立ったのです。
Twitterで校正紙の指示がすごいってのを読んで興味を惹かれて行ってみた。
久々の遠出、久々の美術館。
まず着いたら遠目から黒い人だかり。
120分待ち。
ちょっとは並ぶと思ったけど、
こんな状況になる前もでかい箱モノの美術館ってそんな行ったことないからわからん。
交通費払って来てるし、並ぶことを決意。
鍛えてない足は並んでいるだけで疲れたけど、
よい日光浴になった。
120分とかビビらせといて人減らして
(対策で閉まってるっていってもこの人混みで今更…と思わなくもないけれど)
チケット買えたと思ったら、入場までにさらに30分近く並んだ。
時間指定とかでまた待たされるのもヤだし、まあ良いよここまで来たら。
はい、やっと入れた〜。
中混んでそうだな〜と思ったら実際めっちゃ混んでた。
撮影禁止って書いてあるのに、展示室スマホ持った不届きもの多いな〜って最初感じちゃったけど
入ってからずっと年配の女性のインタビューっぽい音声がずっと流れてる。
カタカナ語が多いからなんだろうって思ってたら、石岡さんの声っぽい。
なんとなく情熱感じる。
これもQRコードで文字で読めるらしいから、ちゃんと聞き取ろうと頑張らず
とりあえずBGMにして展示を見ることにする。
(校正紙のに惹かれたのと、見たことないけど聞いたことある映画『落下の王国』の人、というのと
好きな映画『白雪姫と鏡の女王』の衣装の人、ということくらいしか知らないで来てるよ)
元々資生堂の人なのかっていうのも知らなかったけど、
反対とかされたのねじ伏せたのかな? 海外ロケの先駆けか〜はあ〜へ〜
実際のポスター、なんか赤い丸に細かい効果線?が効果的なのかな。
よくわからんけど、力強くて印象的だ。
日の丸とか桜とかいろんな図柄やら伝えたい意図、考えを落とし込んでいって
ポスターの形にしてたことが、たくさんのメモから伝わってきた。
おもろーこういうの見たかったんだよ! ってなった。
まずここで圧倒されたよ。
「鶯は誰にも媚びずホーホケキョ」
って一歩間違えれば意味わからんダサくなりそうな、でも力のある言葉を
ビジュアルで納得させられて格好良く感じる。
キャッチコピーの力も大きいけど、
肌の色が濃い人の美しさ? を全面に出してるの
当時鮮烈だったのでは? 今でも新しく感じるくらい。
むしろ今でも通じるというか、今こそ見たい感じもする。
見比べると仕上がりやっぱ良い。
指示怖いとかTwitterで書かれたの見てたけど、怖さは感じず
的確さ、仕上がりを追求する姿勢に圧倒された。
そんでまたまた圧倒されたのが
否が応でも刺さってくる、図のみでこれでもかと訴えかけてくる…
やば…と思ったらやっぱり説明文にD社と著作権で協議したって書いてあった。
でもわかってただろうにそういうの込みで発表した気概がすごいし、
その完成度もすごいんだこれがまた。
あきらかに校正紙と完成品のポスターで手をはじめ全体の立体感とかが違って
(途中エスカレーターとか乗って階変わってまだまだ見れるのか! と量の多さにびっくり嬉しくなった。
「風姿花伝」っていうのを出版して売り込んでくってのが格好良いなあ。
本も表紙だけでデザインセンスがあふれてることが伝わってくるよ。
企画とか舞台とか演出とか衣装とか色々な分野で活躍してたらしい。
石岡さんという方が自ら仕事を創り出せる、切り拓いていく方だったんだろうなあ。
着物の柄、生地、光沢、色合い惚れ惚れした。写真の見せ方も素敵。
舞台衣装、その舞台を輝かせるための舞台がある間だけのものだけど
こうやってじっくり見られるの嬉しいな。
グラミー賞とかトニー賞とか、詳しくない素人でも聞いたことのある賞を受賞されてることをここで知る。
いろいろ映像とかみてなんか暗幕くぐって次の部屋入ったら
床と壁全面金ピカで金閣寺があった。びっくり!
回り込むとなんか金閣寺割れてる。触れないように金閣寺中入れたよ。楽しい。
準備した人、企画した人大変だっただろうなー
展示の期間の終盤に来たけど、床きれいだった。
カンヌのなんか賞獲得したけど日本では遺族とか色々で公開中止で
流れてた映像ダイジェストだけど、ラブホとか神社の鳥居が沈んでるのとか
色々なんかひっかかったのかもねと思わされた。(実際はどこのせいかはわからんけど)
気づかないタイプだから、説明あるとちゃんと理解が深まった気がして嬉しくなる。
熱出した時に見る夢の不思議の国のアリスと孫悟空混ぜたおとぎ話の大人版みたいな?
シルク・ドゥ・ソレイユの衣装も手がけてたなんて
部屋入るまで知らなかった。
子どものとき、テレビで初めてシルク・ドゥ・ソレイユ見たとき、
あとシルク・ドゥ・ソレイユの現状ニュースで見たから
芸術家っぽかったのにできるんだ! って驚いたけど
変な形なのになんかスタイリッシュで、ポケット開いたらハートとか遊び心あるなあ。
色合いも今見てもなんかお洒落だ。
こんな活躍をされていたなんて!
たくさんの壁があったろうに、尊敬。
衣装は中国の伝統的な形を尊重しつつ、たくさんの人数が揃って舞うときの
色合いの美しさに思わず声が出そうになるくらい感動を覚えた。
(こういった光景は、もうしばらく、きっとこの先かなり長い間見られないんだろうと
思ってなんかまた切なくなってしまった。疲れてきたのか? 急に悲観的になってしまう)
白と黒のグラデーションのドレスとか、裾の色変わるのとか、素敵だった。
職人技見られると、無条件で嬉しくなるよね。
この映画大好きなんだよね。石岡さんの仕事で唯一ちゃんと知ってる作品。
布でこれでもか! と作り込まれていて、
見れて嬉しかった〜! 胸元の布の造形が細かくてすごいんだよ。
きっとここも意見取り入れたり試行錯誤した過程があるんだろうなあって見てた。
映画、面白衣装がたくさんあるけど、なんか納得させられるというか、
世界にあっているというか、むしろ素敵というか、説得力あるのが本当良いよね。
説明文でへーって思うところも多々あった。
高校生でこの色合いの絵! すでに実力とセンス光ってる! ってところも驚いたし、
世界に羽ばたくために当時にすでに英語で書いてたってのもびっくりだし、
叶うよ! というか、この方は、自分で掴み取って叶えたんだな。
はーほんと、格好いい人だな。
この人は人生をかけて時代や世界に向かってデザインし続けてたんだなあ。
筋肉とか赤とかいろんな作品を越えて所々で見られるモチーフを見ると
全体総括ではないけれど、この図がぴったりだったのかもしれない。
と、途中所々ベンチで座りつつ4時間近く展示を見て回ったよ。
ギリギリ楽しめるぐらい粘れた。
予想の4倍くらい展示量と濃い内容で大満足だった。
図録買おうかなって売店行ったら売り切れてた。かなり先の入荷だって。さすが。
石岡さんイメージのパフェがカフェとレストランで提供されていて、
久々に良い物、仕事見れたなあ、と大満足。
絵が上手くなりたくて、1分スケッチというものを始めてみた。色んなポーズを取るモデルさんを、1分でスケッチする。
難しいけど、続けるうちに、だんだん腕のかたちはこういうのが多いな、とかこう書くと足っぽく見えるな、というのがわかってきて、人の体を描くのにあまり抵抗がなくなってきたと思う。手の指とか顔とかは全くダメだけど。
直線は割と楽なんだけど、問題は曲線。思った通りに引けなくて、何回もやり直したりしてる。
で、巨乳って曲線の塊なんだよな。
しかも、人によって形が違うし、ポーズによっても形が変わる。最初は1分でおっぱいを描く余裕すらなかった。
今は時間があれば描くけど、まだまだ画像通りの曲線は引けない。
そういう意味では男の体のほうがだいぶ楽。角ばってるし。太ってる人は曲線あるけど、太ってる人のおっぱいでも巨乳の女性のおっぱいほどの曲線はない。
もし今、自分がオリジナルの女性を描けと言われたら貧乳にすると思う。貧乳なら曲線まみれのおっぱいを描かなくて済むから。貧乳もうまく描けるわけではないけど。
だから、巨乳の女性を描いてる人は巨乳に対する愛があるからわざわざ難しい曲線を描けてる凄い人なんだと思ってる。
なお、別に貧乳を描く人はおっぱいに愛がないから貧乳を選んでると言いたいわけではない。貧乳を描く人も貧乳に愛があって貧乳を描いているんだろう。
いきなり高い道具を買っても、基礎が無いと思い通りに描けているのか判断できないから、正しく設定できずにそれだけで疲れてしまうぞ。
目で見たまま鉛筆と紙でスケッチしまくる(目標1000枚)のが簡単で堅実な練習法だけど。
立体を写し取るのが難しければ有名な写真や絵をスケッチしてもいい(プロの構図は勉強になる、なぜそのモチーフと構図にしたのか?)。
とはいえ、理屈で納得したいように見受けられるので一冊お薦めしておく。
『線一本からはじめる 伝わる絵の描き方 ロジカルデッサンの技法』
芸術性よりもまずは思い通りに線を引くための教科書として使える。
仕事でも図解が苦手な部下に説明するときの参考にしてる(言葉にするのは意外と難しい)。
とりあえず思い通りの線を引ける、これがすごく大事。
線を引いてないと禁断症状が出るくらいに線を引く習慣をつける(電話中に無意識に落書きするくらい)。
文章を書く時、情景や感情などの構成要素を日本語として自分で解釈して書いているはずだ。
絵を描くときも「何でできているのか」構成要素を自分で解釈して線に落とし込む、思考方法は文章を書く時とそんなに変わらない。
上達のコツとしてはなるべく線を引かない(線の曖昧さを許さない)ように、光と影の境目だけ、最小限を目指すと構成の理解が早いと思う。
二次創作っていいよね。
わかってる。勝手に作者の作品クチャクチャにして、キワドイの作る人まで現れちゃって、常にいいと悪いの間を行ったり来たりしてる分野のモノってことはわかってる。
でもさ、いいよね。
二次創作って書けば書くほど、見てもらえるもん。
私、小説書くのが趣味で、色んなサイトで色んなもの更新してるんだけど、まあこの程度の文章力だから、誰にも見てもらえないの。見てる気配はあっても感想とかもらえない。
文章力とか構成力とか上げて実力で見てもらえるようになりたいけど、ほら、小説に必要な文章力って、気軽には習えないじゃないですか。ピアノでいう演奏とか、絵でいうスケッチって文化が執筆にはないから。
でもただひとりで書き続けてるだけじゃいつまでも壁打ちで、ちっとも上達した気がしないんだよね。モチベーション上がんないし。
二次創作、スゴイよ。みんな超見てくれるし、感想くれるし、リクエストもくれる。自分の力じゃないのが切ないけど、でも人の反応ってすごく勉強になる。
ここの表現好きでした、とかもっとこういうのが見たいです、とか言われるとすごいモチベ上がるし、伝わったか伝わんなかったかわかるから、勉強になる。キャラを逸脱しないように、でも少しハズして書くと受けるんだよね。みんなそのキャラがどういうキャラかよくわかってるから、設定をつくる練習がしやすい。
その代わりキャラ書くのとか、状況説明は上達しないけど、まあそれはこっちで自分の作品で練習すればいいし。
でも二次創作ってリスクあるじゃん?まあ当たり前といえば当たり前だよね、作者の方が命削って書いた魅力的な作品をお借りしてるわけだから。
誰か嫌な思いにさせちゃうかもしれないし、温情措置されてる行為をずっと続けたくはない。
だからなんか、合法の二次創作とかあればいいのにね!これはいくらでも、どんなふうにでも二次創作してもいいですよ、っていう作品。
それでみんなで、感想とか伝えあって、楽しくハッピーに、文章力を上達させんの!
アホユートピアか、つってな。
素晴らしい作品っていうのは数が決まっているから、争いが絶えないんだよねえ。
別に作家になりたいわけじゃないけど、上達したい。でもルールは守りたい。
趣味やめようかなあ、やめれないだろうなあ。
いや、別に補助金を貰うのは構わないというか、寧ろ彼には貰って欲しいぐらいだ
それで承認欲求バリバリの迷惑行為をしなくなるなら治安の面でも良いのではないだろうかw
ただ、ブコメであまりにもギフテッドギフテッド書かれているので、ギフテッドとかいわゆる天才の定義、
と言っても、今さっきWikipedia見るまで自分なりの定義で勝手に考えていたわけだけど、
なんか引っ掛かるというか、ギフテッドってこういう話だったかなと思ってつい書いてしまった
饒舌になるのは良くないな
というか、歴史的にも天才と呼んで間違いない人はいるわけだけど、
あと、自分の得意分野だと優れていると分かるけど、無関係の分野だと評価されないだろうなあと思う人もいるわけで、
特にゲームとかメガデモみたいな世界だと、グラフィックスとかの数学やコードが他の分野の人からは評価されない可能性があるわけで、
そういう意味でも、欠片?をちゃんと解こうと思ってなかったし、多分、解けないんだろうけど、
あと、マインクラフトのnotchもMENSA会員だったと思うけど、
マインクラフトもそうだけど、そんなに複雑で難しいことを敢えてしなかったのが斬新だったというか、
彼はボトムアップでコードを書いていくタイプだと自分は思っているのだけど、
優れているしMENSA会員なんだろうけど、notchがギフテッドなのかはちょっと分からない
というか、自分は凡人以下だと思うけど、難しい幾何学や数式を解くだけがギフテッドや天才の基準でないのであるなら、
自分で言うのもおこがましいけど、自分も天才的な面はあると自覚している
というより、自分も天才的な面があるし、自分から見れば他人の中に天才的な、先天的な才能の一面を見ることがある
それがトラック運転手だろうがレジ打ちだろうが、そこにそういうものが見出だせると自分は思っている
自分にはとてもできないことができてる時点で十分凄いと思うからだ
(尊敬はしているが、人間性とかはまた別であって、人間性に問題があるなら人としては信用できないわけで
まあ、天才だって食っていかなければならないわけで、俺は天才だ!だから雇え!というのはレオナルド・ダ・ヴィンチもそうだっただろうと思う
飛ばないヘリコプターとか構造的にどうよみたいな戦車の絵でパトロンから兵器を発明、研究開発する名目でお金を貰う必要があった
そのお金がなければ生きていけないし、川辺で流体の絵を描いたり、墓場から死体を掘り起こして解剖してスケッチすることもできなかっただろう
レオナルド・ダ・ヴィンチもギフテッド?というか天才の部類ではあるだろうし、
意図的に、俺は天才!と演出することも天才が生きていくためには必要なのかもしれないかもなあ…、うーん、わからん…
しかし、ダ・ヴィンチの川辺の流体は渦がちゃんと描かれていたり流体シミュ的にも面白い絵なのだけど、
描いたものから流体力学的な気づきがあったかはよく分からんのだよなあ
「夏への扉」よろしく、ダ・ヴィンチは実は未来から過去へ飛ばされたタイムトラベラーで、訳あって未来に戻れなくなった、
というなら分かってて描いた可能性もあるけど、そんなこともないだろうし
でも、あの飛べないヘリコプターも考えようによっては「いい線」行ってるとは思うんだよなあ
惜しいというか、そこじゃない感があるんだけど
ごめんなさい
他のウェイボーユーザーも烏合麒麟と連帯を示そうとオーストラリアのモリソン首相の風刺画を投じている
战友,也算我一个一直画到莫里森满意为止... 来自钢铁时代2011 - 微博
https://weibo.com/1960518734/JwwAYaBsz?type=comment#_rnd1607087251004
仲間よ、私を一人として数えなさい。モリソンが満足するまで描きます。@乌合麒麟
「傑作」
ON LIE正在撒谎你不是唯一一个在战... 来自半桶老阿汤 - 微博
https://weibo.com/2169767811/JwS9Lja75?type=comment#_rnd1607087262733
「ONLIE 」[嘘][作揖]事件を聞いて非常に憤慨した@乌合麒麟はあなただけではありません。一晩と二晩、スケッチ。名前のない人々は才能があり、浅いです。諦めなければ、自分で取ることができます。