はてなキーワード: 軽トラックとは
https://www.asahi.com/sp/articles/ASM6F61QNM6FUHNB00Q.html?iref=comtop_8_04
体力の衰えから今年4月に運転免許を自主返納していたのに、車を運転して高校生にけがを負わせたとして、群馬県警太田署は13日、群馬県太田市の会社役員の男(80)を自動車運転死傷処罰法違反(無免許過失運転致傷)の疑いで現行犯逮捕し、発表した。容疑を認めているという。
署によると、男は13日午前8時20分ごろ、同市飯塚町の市道で無免許で軽トラックを運転。左折した際、自転車に乗って対向してきた大泉町の高校1年の男子生徒(15)をはねた疑いがある。男子生徒は打撲の軽傷だった。
"買いすぎても一時間無料て軽トラックを貸してくれる。" @ ケーヨーデイツー 三田店: http://t.co/NEJFLYTd33 #foursquare— Takeshi_Kohei (@gonpin900) 2013年5月19日
時天空をご存知だろうか。時天空はモンゴル出身の力士で、土俵上での華麗な足さばきによって知られている。かく言うわたしも時天空の足技が好きだ。本人には申し訳ないが時天空が一番好きな力士というわけではないけれど、しかし、彼が勝つと思わずにやりとしてしまう。
土俵の上で時天空はいつも、仏像のようなふてぶてしい顔をしている。立ち会い、ぶつかって両者まわしを取る。相手力士の真っ赤な顔。だが時天空は、素知らぬ風に足をかける。相手の力士は、しまった!という顔でバランスを失い倒れる。
時天空の相撲は、わたしが相撲だと漠然と思い描いているものの輪郭から、時折大いにはみ出す。だからわたしは時天空が好きだ。柔道のようだと思うかもしれない。モンゴル相撲のブフは、もしかしたらこんな感じなのかもしれない。時天空の相撲は、イマジネーションを広げてくれさえする。あの器用な足でまた何かやらかしてくれるのでは?そんな期待をこめて、毎場所テレビを見る。
そこまで言うなら時天空の相撲を見てみたい、もし可能であれば生で国技館で見てみたい、と思っていただけた方がもしかしたらいるかもしれない。願わくばいてほしい。しかしその望みは叶わない。なぜならば、時天空は引退してしまって間垣親方になってしまったからだ。では親方として、警備をしたり解説をしたりチケットをもいだりする、あの仏像のようなご尊顔を拝せるのでは?しかしながらその望みも叶わない。なぜなら元時天空、間垣親方は亡くなってしまったからだ。時天空は2017年の1月31日に亡くなってしまった。今日はちょうど一周忌だ。だから上の文章は、本来ならば動詞を全て過去形にしなければならない。
昔から相撲が好きだったわけでなく周りに詳しい人もおらず、面白そうだしいっちょ見てみますか!と思って見始めたわたしのようなミーハーな若輩者にとって、時天空はありがたい力士だった。なぜなら、時天空と言えば足技だと覚えておけばいいから。とりあえず時天空が来たら足技が出るのを待てばよかったので安心だった。本当は足技が失敗することもあったし足技は特に出ず押し出しで勝つこともあったけど、とりあえず時天空といえば足技。これで間違いがなかった。
力士の立ち会いはよく軽トラックの衝突にたとえられるが、ぶつかられて上半身はその対応をしておきながら、よくもまあ器用に足をかけられるな、バランス感覚はどうなっているんだと常々思っていた。
それに時天空は、四股名もSFみたいでスケールが大きくて格好いい。旭天鵬(現友綱親方)に似てるという意見も散見されるが、土俵上の時天空は、旭天鵬からお母さんみたいな雰囲気を全部抽出しきったあとみたいなおっかない顔をしていて、でもどこか荘厳で、鎌倉後期の仏像みたいで、思わず拝みたくなってしまうようなところがあった。
同僚と国技館で相撲を見ていた時のことだ。幕内の取り組みが始まって当時は平幕の下の方にいた時天空が出た。
「この人は足技がすごくて!」
などと僭越ながら紹介した直後、時天空が裾払いを決めて勝ったことがあった。同僚は普段から大相撲を見る人でなかったからピンと来てなかったようだったが、わたしは嬉しかった。思いが通じたような、どこか共犯者めいた気持ちが満ちた。むずがゆくなるくらい嬉しく、誇らしかった。これからも応援しよう!と思った。
でもその時はまさか、その場所とその次の場所が、土俵上で時天空を見られる最後になるとは思わなかった。
肋骨の骨折で休場というニュースを見て、時天空がケガなんて珍しいな、十両落ちちゃうのでは?と思ったが、その後実は悪性リンパ腫だと知りショックを受けた。場所のたびに休場の発表があり、十両に落ちているのを国技館のチケット売り場の電光パネルで見て、やっぱりと思うと共に早くよくなってほしいという気持ちが募った。
わたしは、時天空に手紙を書こう!と思った。もしかしてあまり読めなかったりして?と思ったが、時天空は日本語がペラペラだし、たとえ読めなくてもそういうのは気持ちだから出そう!と身勝手なことを考えた。ふりがなをふったら逆に失礼か?などと考えながら文面を考えていた矢先、ツイッターで久しぶりに時天空という文字列を見た。リンク先には引退と間垣襲名会見のニュースがあった。
引退はさみしかったがその何倍も復帰が嬉しかった。丸坊主になった時天空は、痩せていたけど想像していたほどではなかった。しかし、目を真っ赤にして涙を流しながら会見していてはっとした。わたしのなかの時天空は、土俵の上のむすっとした顔でしかなかった。しかし仕事だからそうしていただけであって、こんな心許なさそうな表情もするんだと思ったらこみ上げてくるものがあった。でも同時に、モンゴル人力士のなかで真っ先に日本国籍をとり年寄名跡を持っていたことを知り、さすが時天空だと思った。ぜひ後輩を指導してあの足技を継承してほしい。引退はとてもさみしいことだったけれども、帰ってきたことに対する嬉しさのほうが何倍もある。
お相撲さんやっぱり違うな!と思った。元々の体力があるから病気も治るんだな!よかったよかった!わたしは安心してはしゃいでいた。
その後すぐ元時天空、間垣親方は大相撲中継で向正面で解説をしていた。名前を呼ばれると「ハイッ」といい返事なのがかわいくて、それと現役時代と比べて顔が少し穏やかになっていた。時折満面のスマイルを見せるので、うおー時天空こんな一面もあったのかー!とさらに好きになった。解説も日本語が上手なだけでなく的確で詳しく、ついこの間まで幕内にいただけあってこの人と組んだ時はこうだったああだったと、話が尽きないので、聞いていて楽しくためになった。力士たちは「時天空関ととるのは嫌だった」とか「もう二度ととりたくない」とか「足技だけは教えてくれない」とか言っていて、声に出して笑ってしまった。
時天空という力士が幕内からいなくなってしまったことは残念だったけれども、これだけ解説も上手だったら楽しみなことが増えたと思っていた。当時は大島親方だった旭天鵬も、もう一度断髪式すればいいって言っていてその通りだと思った。
わたしはそれからすっかり安心しきっていて、その次の場所で間垣親方が休場していることを全然知らなかった。テレビの映らないところで警備とか協会の仕事をしているんだと思い込んでいた。でもそんなことはなかったらしい。元時天空の間垣親方は、2017年1月31日に亡くなってしまった。
時天空が好きだった。全く知らない人の「時天空サッカー」というツイートを見たときに、なぜだか明確に好きだと思った。モンゴルの平原をまわし姿でサッカーする時天空。似合う!足技はブフで培ったものか柔道で東農大にスポーツ交換留学に来た時のものかと思っていたが、柔道部だったころはそこまで足技に力を入れていたわけではないらしいとも聞く。ではあの足技はなんだったのか?やってみようと思ってやってみたらできたのだろうか。乗馬で鍛えたインナーマッスルが、相撲にも活きたのだろうか。
朝青龍のことを知って、自分もいっちょやってみようと来日して入門。稽古をしながら大学にも通い、卒論を日本語で書き上げたというスーパーマンぶりには目を見張る。卒論のテーマは「ダイナミックモデルを利用したモンゴル国の人口動態に関する研究」、興味深い。
わたしはにわかファンなので、相撲を見始めた頃の時天空はすでに30代なかばのベテラン力士。幕内下位定着たまに十両陥落くらいのイメージだったが、三役経験もあるし前頭一桁代だった時期も長い。時間前に立ち会いをしたり、まわしがとれかけたり、なかなかにバチバチだった時代があったようだ。
亡くなったことがどうにもショックで、当時は巡業の写真などをずっと探しては見ていたのだが、土俵の下ではにこにこしている写真ばかりで意外だった。名古屋場所でトゥクトゥクに乗っている写真。赤ちゃんをだっこしている写真。後援会の人たちとじゃんけん大会をして負けているところ。ウインク。
解説の動画を探していていたときに、酔った時天空が「iPhone4で彼女の顔を見ながら電話したい」と言っている動画を見つけてしまったりした。時天空はとても楽しそうで明るくていつも笑顔で、すごく人生を楽しんでいるように見えた。幸せそうだった。解説の時もそうだった。見ているこっちが笑ってしまいそうになるくらいだった。
一年経った今でも時天空のことを思い出す。病気さえなければまだ幕内で相撲をとってたのではないかと思ってしまう。足で足をバーンと蹴ったりひっかけたり、器用に相手のバランスを崩して勝っていたと思う。
時天空が亡くなってすぐ、入門直後はきまり悪くなると日本語がわからないふりしてごまかしていたこととか、部屋が世論で問題視されていた時に懸賞金を手紙と共に返したこととか、時天空の人となりが感じられる話が世に氾濫して、そのどれもに心動かされ泣いてしまっていた。でも、亡くなってしまってその話を知るくらいなら、知らないでいていいから元気でいてほしかった。じゃんけんが弱いのもお酒が強いのも知らなくてよかった。おっかない顔の足技師としてにやにやさせてほしかった。40歳までは関取だと思っていた。やっぱり、あまりにも早すぎたと思う。
日々、自分の頭の中を好きなものでいっぱいにしていないとやっていけない。時天空もまさにその一部だった。でもその部分は時天空の形の穴になって、他の力士で埋めようとしてもなかなか埋まらない。時天空は、お腹は出ていたけれども膝下が不安になるくらいほっそりしていて、他の力士はそこがひっかかってしまうから駄目だ。
時天空は膝下に脂肪がなくてひきしまっていて美脚だった。その脚が器用に動いていた。またあんな足技が得意な力士が出てきたら面白いけれども、でもたとえ出てきたとしてもそれはまた別の力士で別の魅力があるんだろう。だから時天空の形の穴は埋められないのかもしれない。埋めなくてもいいのかもしれなくて、埋められないことそのものが、時天空という力士が代え難い魅力を持っていたということの証明なのかもしれない。
追記:ニュースで相撲関係の悲しいことばかりが続いてつらくなる。口に出すのもおぞましいような表現で特定の力士を侮辱する言葉はもう見たくなくてインターネットが縁遠くなる。協会のこととか理事長選とか、にわかファンのわたしにはよくわからないしあまり興味もない。わたしはただ、土俵の上で色んな力士がそれぞれの最高の状態で相撲をとっているところが見たいと思う。それを見てわくわくしたいと思う。
荷台に乗せる程度のことを力仕事とか言ってたのか
それくらい男女関係なくやってたが
軽トラックの荷台に何を上げ下ろししてると思ってるのか知らないけど、
数十キロの荷物を数十とか、あるいは男数人で運ばないといけないものとか普通にあるけど、
そういうのを男女関係なくやってるならその地域が頭おかしいだけだね
相当劣悪な環境らしいキミの田舎は知らないけど、女と男が請け負う作業は分担されてるし、
田園が広がるとある田舎町で、百姓の高卒*中卒の間に生まれた。
物心がついたときから、増田はともだちとはちょっとちがう、と感じることが多かった。
クラスの男子が当時のプロ野球選手のことを話していたとき、彼らが抱いていた羨望のまなざし、増田が感じている感覚とは大きく異なっていたと思う。
増田が感じる"かわいい"と、彼女の感じる"かわいい"は限りなく同じものだった。
勉強もできて同じ感性を持っている増田は、彼女と友達にならないわけがなかった。
初めて感じた、あの心の中のざらざら感はもう二度と感じたくない。
失恋の痛みとともに、今まで後輩に感じていた気持ちの正体がわかった。
好きと伝えることすらできなかったあの失恋の経験は、10年以上経過した今でもたまに思い出す。
心の奥がとげのついた紐で強く強く締め付けられるような感覚だ。
親にも、友達にも、学校の先生にも、増田がゲイであることは誰にも言えなかった。
これは墓場まで持っていかないといけないものなんだと18歳の増田は思い込んでいた。
誰にも相談できなかった。
嘘をつくのに疲れていた、嘘なんてこれっぽっちもつきたくないのに。
ひとつ大きな嘘をついているのだから、それ以外の嘘は決してつかないと決めていた。
少しでも増田はこの世の中に存在してもいい人間なんだと思うために、いい大学に入ろうと決めた。
ほかのどの生徒よりも必死に勉強した、帰国子女の転校生にも英語は負けなかった。
当時は回線がISDNからADSLに切り替わりはじめた時期で、インターネットも普及し始めていた。
そしてはじめてゲイの人に会った。
同じ世代の人たち。
初めて会ったゲイの人たちは、みんな自信無さげに下を向いていた。
みんな増田とおんなじことを感じて生きてきたんだ、と思った。
同じく上京していた高校の部活で、とても仲のよかった女子に初めてカミングアウトした。
なんとなくそんな気がしてた、と言われた。
嘘をたくさんついていてごめん、と謝った。
それよりも大切なことを話してくれてありがとう、と言ってもらえた
そして、誰が好きだったの?と聞かれた。
高校時代に失恋した後輩の名前を出した、そのとき「バンっ」と背中を強くたたかれた。
びっくりして、彼女を見たら「辛かったでしょ、よく独りでがんばったね。」とやさしく声をかけてくれた。
増田は大きく頷き、あふれる涙をこらえることはできなかった。
初めてデートして、初めて付き合った。初めてキスをした。初めてセックスをした。
たくさんの初めてを経験した。
増田はこの人に出会うために生まれてきたんだと、本気で思っていた。
しかし、突然連絡が取れなくなった。
そのとき、その人のことをほとんど知らなかったと気づいてしまった。
勉強ができて、難関大学に入れたけど、増田は世間知らずの大馬鹿者だな、と心を開いてしまったことをひどく後悔した。
声を押し殺して枕をぬらした。
数年前にできた古傷が再び開いたようだった。
さらに今回は塩を塗りたくられたような激しい痛みだった。
悔しさと情けなさを紛らわすため、脇目も振らず勉強と仕事に明け暮れる日々が始まった。
あれから10年
大学を卒業し、上場企業に新卒で就職、複数回の転職を経て現在外資系企業のマネージャー職になった。
ゲイに理解のあるノンケの上司や友人たちにも恵まれ、週末にバーベキューを開いたり、一緒にトライアスロンの大会に出たりするようになった。
仕事も趣味も充実していていて、一般的には成功している部類に入るんだろう。
当時の失恋のことは今では増田の中で十八番のネタにまで昇華はできている。
恋愛でこけてしまうとこんな結果になるのか、と自身を以って体感している。
部屋にいると、ふと空虚に襲われる瞬間がある、増田は独りなんだ、と。
「これ買ってもいい?」と駄菓子を持ってとことこと母親が持つ買い物かごにもっていく小さかった増田。
祖父の運転する軽トラックに弟と二人、ひとつの助手席に乗って雨の日に小学校まで送ってもらった増田。
母も祖父も他界し、当時のスーパーも更地になり、トラックも廃車になった。
手にしたものは名前の前に役職名が書かれた英語の名刺、証券会社から定期的に送られてくる資産運用報告書。
ということではない。
離婚していた母が帰ってきた。
父と別れて5年になるが、毎年お盆の時だけはやってくる。
1年ぶりに再会する父と母はふたりとも嬉しそうで、
会話もはずんでいる。
「なんでこうなったのかなぁ」と、私はこの幸せそうな風景を見て思う。
「弟が生きていたらなぁ……」とつくづく思う。
弟は6年前に交通事故で死んだ。
農道をミニバイクで走っていたところ、飲酒運転の軽トラックにはねられ、
運悪く次の日に亡くなった。
最愛の息子をなくした母は、弟の死をうけいれられず、しばらく自室にひきこもっていた。
父も私も日中は仕事があったので、仕方なく母は家におきざりにしていた。
それがよくなかった。
気がついたら母は酒びたりになっていた。
「タカシがね、またお金が要るって言うのよ、海外に行きたいとかって。ほんと困った子だわ。」
「そうか、苦労をかけるな、すまない。」父は母の相手を続けていた。
「そうだ、あの子はお好み焼きが好物だから、晩御飯はお好み焼きにしましょう。そうしましょう。」
何故か母は仏壇の下をあけ、「お好み焼きをつくる道具」を探し始めた。
「そんなところにしまったかなぁ」と父は天井を見上げて呟いた。
「もう中国のせいで相場がね、もうほんとにめちゃくちゃなのよ。」
私が知らない間に母はトレーダーになっていた。
「そっか、そうだろうな。」父はまだ天井を見上げていた。
それまで私も相手をしてあげようと思う。
「道具はこちらで用意する。その代わり必要なものは自分で作ってくれ」みたいな感じ。
家賃や管理費、ネット料金や光熱費などコミコミで月々2万円ぐらいで暮らせるのを目指したい。
道具は使い放題なので工夫すればどんな家具も好きに自分で作って使える。
ジャンク品をヤフオクで買って修理して使えば格安でなんでも手に入る。
スキルが上がれば修理を仕事にしても良い。シェアハウスだからDIYや電子工作のスキルも情報交換できる。
本人のやる気次第だが、ものすごく早いペースでスキルは上がっていくだろう。
車は軽トラックを1台ぐらい用意したい。住民なら格安か無料で利用可能。
人数が増えてきたら普通乗用車も用意できると生活がもっと楽しくなりそう。
こんな事を妄想していたのだが、意外と実現できそうな気がする。
車で20分程走れば、まあまあ大きな地方都市がある場所がベスト。
敷地内に建材に使える木が生えてると助かる。
リフォーム代を100万円ぐらいかけて最新で快適な水回りを用意する。
そして3畳ぐらいの狭いボロい部屋を3つぐらい用意する。(広いドミトリーでも良いかも)
更に広い工房を作る。
最初の住民はこのボロ部屋に家賃4万円ぐらいで住みながら、工房を利用して自分の部屋をコツコツ作る。
ひとりで作るのは無理なので他の住民に手伝ってもらう。自分も他の人を手伝う。
誰が誰をどのぐらいのクオリティで手伝ったかを記録できるシステムがあると良いかも。
(でも案外なにもなくても信用さえあればうまく回りそうな気がする)
最低限の建材の費用はこちらで用意する。それでは足りないようなゴージャスな部屋を作りたければ自分でお金をかける。
どんなにゴージャスな部屋を作っても、自分で作った部屋に住む場合は6畳ぐらいの広さで賃料2万円ぐらい。
(敷地の広さには限りがあるので部屋の面積で賃料を変えるのが良いと思う)
防音性能をひたすら上げて部屋で楽器演奏やカラオケし放題にしても賃料2万円。
部屋を退去する時は、部屋を鑑定して、それに応じたお金を支払う。
次に住む人はその部屋のグレードに応じて相応の家賃を支払う。
その部屋を自分でグレードアップさせたら、それに応じて家賃を安くする。
こういうシェアハウスを作れば、勝手にシェアハウスの資産価値が上がっていくし、
何より、なんでも自分でできるんだという自信を持ちながら、資本主義にしばられない生活をおくるのは楽しそうだ。
追記:
なぜシェアハウスにしたいのか?
これはシェアハウスで良い感じに生活した体験が無いと分からないと思う。
一緒に生活しているとコミュニケーションのハードルがすごく下がる。
例えば何か聞きたいことを思いついた時にすぐに誰かに聞けるというのは大きなメリット。
これが別々に生活してると、わざわざ合う場をもうける必要があるし、その場で思いついたことしか聞けない。
シェアハウスで普通の生活をしていても、この恩恵はかなり感じるが、クリエイター系の場合はこれが更に顕著になる。
7月12日から10月5日まで、東京、上野恩賜公園の国立科学博物館で開催されている「太古の哺乳類展」に行ってきました。
去年の夏はダイオウイカをやってたんでしたっけ。この時期の特別展示は、いわゆる夏休みファミリー向けで、科博としても特に力を入れている展示が開催されます。大恐竜展とかね。
これの前の回の特別展示が「医は仁術展」という日本医学史の歩みを見てみましょうという地味なものだっただけに、「太古の哺乳類展」には期待していました。
(上野の科博は、生物関係、宇宙関係という二大ネタ以外に、ちょくちょく地味系のネタ、それも科学と言うよりは歴史系のネタを入れてきます。オハコなのが「インカ展」です)
で、休日は混んでるので嫌なので、今日、休みを取って(子供たちが夏休みに入ると混雑するので時期的にはこのあたりがベストだったのです)、行ってきました。それでも、いつ行ってもそれなりに混んでいますね。最近は中国人のツアー客が旅程に入れているらしくて、そういう感じの人たちもけっこう見かけます。
ちなみに、お隣の、松方コレクションで有名な国立西洋美術館では、指輪(宝石)展を今やってますよ。こちらも面白そうなんで次の休みにでも行ってみます。
で、「太古の哺乳類展」なのですが。
正直がっかり、というか、看板に偽りありですね。展示物がほぼすべて、日本産出の化石に限られます(比較参照用としてアフリカゾウの骨格標本も展示してありますから「ほぼ」をつけました)。つまり、正確に言うならば、「太古の日本の哺乳類展」ですね。ですから、新世代第四期の巨大哺乳類たち、メガテリウムとかスミロドンとか、それより前の時期のサーベルタイガーとかを期待している方は真っ向から裏切られることになります。
展示の二大柱は束柱類とゾウ、これだけですね。
だって日本ってプレートがぶつかる大陸の端にあって、環境が激変しやすくて、しかも火山の多い国土で土が酸性なんでもともと化石が残りにくいんですよね。
それでもね、国立科学博物館の恐竜化石のコレクションは世界でも随一です(これをしのぐのは、アメリカと中国の博物館ぐらいです)。バブルの頃、カネにものを言わせて買い集めたんでしょうね。あと、現生哺乳類(近代以後絶滅した種を含めて)の剥製標本はなんたってヨシモトコレクションがありますから、これは世界一といってもいい充実度です。
その科博にとっての弱点が、先史時代の絶滅哺乳類の化石標本なのですが、今回の展示は果敢にここに挑むのか、と期待されるものでした。
ところがね。
メインは、束柱類とゾウだけですからね。はっきり言ってしょぼい。
束柱類って聞いたことが無いでしょう?もう絶滅してますからね。完全な化石は日本だけで発見されているという、おそろしく生息範囲が狭い種です。見た目は、なんだろう、コモドオオトカゲをカバ寄りにしたみたいな、あんまり冴えない感じ、ただ大きさだけはカバくらいはあるのですかね。なんかね、見た感じが足が垂直に下りていないというか、横から突き出している感じがするというか、爬虫類っぽい感じですね。海生哺乳類だったらしいんですが、音声ガイドが言うように、数少ない、日本がリードできる哺乳類の化石で、逆に言えばこれ以外には大したものがないんですね。
歯が一本一本それぞれ、それぞれの歯の中に小さな山状になった歯が束になっている、これが束柱類の命名の由来なんですが、この変わった歯のために、いまだに何を食べていたかも分からない、草食なのか肉食なのかも分からないという生き物です。
地味です。ひたすら地味です。
それに比べればゾウは大きいだけ、まあ迫力はありますね。先史時代の日本はゾウの王国だったのです。
大きいと言ってもね、新生代第四期の哺乳類はビルくらいの高さにまで巨大化してますから、そういうのと比較すればゾウのくせにちっちゃいんですね。悲しいかな、なにしろ、「日本の絶滅哺乳類」ですから、日本は島国ですから島嶼化の影響を受けて、大型哺乳類は小型化するんです。一番でかいのが現生種のアフリカゾウの骨格標本だっていうくらいで。
「うわー、なんだこれ、でっけー!」
という素朴な驚きはあんまり期待できません。アケボノゾウとかせいぜい軽トラックくらいの大きさですからね。鈴木工務店さんが配管工事に来ましたよーっていう時に乗ってくる軽トラくらいの大きさです。
今回の展示目玉が、ナウマンゾウの親子の骨格標本ですね。これが一番いけない。最悪です。
ゾウは基本的に母系社会ですから、一夫一婦制ではなくて、パパ、ママ、子供が揃うなんてことはあり得ないんですよ。それくらいのことはもちろん分かってるでしょうが、ファミリー向けに目玉展示が欲しいっていう欲求に科学が負けちゃったんですね。もちろん生態のことは完全に正確なことは分からないんですが、アフリカゾウやインドゾウなどの現生種と比べても、ナウマンゾウは雌雄差が大きい。これは一夫多妻型の種の特徴ですからね、パパ・ママ・子供が揃ってのファミリーがナウマンゾウでは見られなかったのはほぼ確実です。
で、骨格標本がですね、一頭から再現されているのがママだけで、パパなんて産出された場所も年代も違うばらばらの骨格をひとつに組み合わせたフランケンシュタインです。子供なんて頭だけがナウマンゾウで、体はアフリカゾウの骨格を縮小してつなげている。
これ言わなきゃいいんですけどね、そこは科学として最低限度のモラルとして言わないわけにはいかない。それでいて、音声では「パパー、ママー、なんだい坊や」なんてやっている。よく考えりゃ相当グロテスクですね。
そういうわけで、「太古の哺乳類展」は単体の展示としてはあんまりおすすめできないかも、です。でも、科博に行ったことがない人なら、地球館や日本館の常設展示は、さすがの充実度なんで、この際、行ってみるのもいいかも知れません。ハチ公もいるしね。
こんな記事を読んだ。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130307/dst13030708270005-n1.htm
形県酒田市で3日、住宅の一部が焼け、75歳の女性が4日に死亡した。山形県警酒田署が出火原因を調べたところ、女性は自宅の居間にある電気こたつを裏返して使用しており、その上にかぶせられていた布団に引火したとみられることが6日、分かった。女性は普段からこたつを裏返して直接、暖を取っていたほか、こたつのヒーター部分で調理をしていたという。
石山さんはこの家に1人暮らし。体調がすぐれず歩行が困難で、日常品の買い物などは、定期的に訪れる民生委員に依頼するなど、ほとんど外出することはなかった
これさあ、サンケイスポーツ案件だしおもしろおかしくキチガイ婆が自滅みたいに嗤われてるけど結構深い問題なんだぜ。現実的にどうにかしないといかんわけよ。いや、俺も実体験がなけりゃ笑ってたかもしらん。
一応守秘義務があるんで。そう言う事で聞いてくれ。
俺は地元で消防団なんてのを押しつけられてやってるわけ。消防団なんつっても、まぁ常備消防もあるし? 今時は体のいい便利屋なんだがさ。普段は道具の整備とか貯水池と消火栓の管理とか。そんな仕事の中に独居老人の見回りなんてのがあんの。家族や本人の要請があった独居老人の家を定期的に見回るってわけね。名目は一応火災起こさないでくださいねーっつってワケなんだけどようは何かあったときのために顔繋いどけ運動さ。これもまぁ一時独居老人宅の火災が問題になったから始まったんだけどさ。
で、ある日爺さんの家に言ったのよ。おいジジイ生きてるかー消防団様が来てやったぜツラぁ出せや。ついでにトマトがなんか病気っぽいんですけどどうしたらいいですか消毒ですか肥料とかやった方がいいんですかね相談に乗ってくださいみたいなつもりで言ったらジジイ出てこねえの。嫌な予感がしたね。玄関は開いてんのに。大声出したら奥からどんどんどんどん、ってかすかに物音が音がするわけよ。まぁ爺さんとはそれなりに付き合いもあったんで、勝手に上がらせてらったらなんと爺さん階段の下に倒れてんの。
救急車呼んだね。直ぐに名簿にあった民生委員に連絡してご近所の人に連絡して。民生委員は娘にも連絡したみたいだったがつくのに半日かかった。
階段から落ちて腰の骨が折れ、それが神経に触っていたため動けなかったらしい。聞いたら倒れてから1日動けずにずっとこのまんまだったとか。ずっと叫んでたらしく声も枯れててさ。
あーあ爺さんももう駄目かねえ……おいはたけとかどうするんだよ……とか思ったんだが、その後詰め所でうだうだしてたらお礼と称して娘さんが酒を持ってきてくれたワケよ。(消防団と言えば酒ってのやめてくれねえかなあ…まぁ料理に使えるからいいけどよ)で、話を聞いたら爺さん医者からは歩けなくなるかも知れないって言われたのに、娘さん家近くのリハビリ専門病院? だかに入院して、超リハビリがんばって歩行器つかえばなんとか歩けるようになったんだとよ。へえこりゃすげえあの爺さん根性あるな俺は無理。と思ったら驚いたのはその後。
また一人暮らしの家に帰ってくるからまた顔出してくださいとか言うんだぜ。マジでか。娘さんは施設に入ってくれって頼んだみたいなんだが、介護保険の等級が低くて保険は使えないし、介護サービス付き住宅とかそんなのは都会型で田舎には無い。するとフルサービスの民間介護施設か、あるいは地元を離れなきゃならないってんで、爺さん嫌がったんだそうだ。うーん、それは家族で決めたことなんだろうし、まぁ仕方が無いよなあ…。ええ、いいですよ戻っていらっしゃるなら今まで通り回りますよ、と言う事でその日は済んだ。
爺さん帰って来たんだが、やっぱり心配みたいで、娘は初めのうち結構な頻度で来てたようで、よく家の前に他県ナンバーの車がとまってた。要支援1がついて、住宅改修もされたようで、玄関先はこれ一体どこの手すりのショールームよってぐらい手すりだらけになってた。ただ、あんまり長い距離歩くことは出来ないみたいだったが。ただ歩行困難でも軽トラックは運転できるし、買い物が出来てるみたいだった。
一方、畑は維持出来なくなったようで、ほとんど近所の人に貸したようだった。古いながらも整備されてたトラクターはいつの間にやらいなくなってた。
それからも月に2回程度回っていたんだが、見ている限りは普通にやっているように見えた。ちょっと前よりもこう…覇気がねえなとは思ったが…。
ある日、火事の一報が入った。おい俺の部署の地域じゃねえかと職場からすっ飛んでいったらその爺さんの家だった。
小火で済んだ。常備消防が既に消してた。爺さんは家から逃げていて怪我は無かった。
ぼやとはいえ、消防の高圧大送水量のポンプで水をぶっかけられた室内はぐっちゃぐちゃで、そのままでは住めない。本当は消防団の本来業務ではないんだが習慣として火災が起きた地域の担当部署は片付けを手伝う見たいな事になっていていろいろとやったのだが、爺さん当然酷く落ち込んでいた。ただぽつぽつとその後聞いた話を総合すると、原因が分かった。
爺さんそれを引っ繰り返してうわむきにして使っていたらしい。転倒防止スイッチの所はガムテープで塞いでいた。そしてそれを電気ヒーター代わりにしていたという。
爺さん、後遺症で足にしびれが残っていたらしい。さらに冬寒くなるとしびれが強くなる。その状態で超時間立っているのがつらくて、台所仕事はほとんど出来なくなっていたようだった。また冬になると足のしびれから外出もだんだんおっくうになっていって、インスタント食品や、練り物のようなおつまみのような物ばかり食べていたらしい。そこで思いついたのがハロゲンヒーター。
爺さんにとってはストーブの上にヤカンを置くような感覚だったのかも知れないが、これが原因だったらしい。
爺さんは、そりゃあ一人暮らしだし、歳もそれなりに重ねてきているから多少は反応は鈍くなってきている。だが話をしていると特におかしいと言う感じもしないし受け答えはしっかりしてた。しかし一人で暮らしていると、これで大丈夫だ、これはいいアイデアだと思うと、誰にも突っ込まれないままに思い込んでしまって誰もそれを訂正しないと言う事が起きてしまうのだそうだ。
爺さん、周囲に大丈夫だ、大丈夫だと言い続けていた。俺にもそう言ってた。だけど娘さんに聞いた話だと、どうやら実態はそんなもんでは無くいろいろと無理をしていたらしい。また、ぽろりと爺さんが話したことによると、娘の家には娘の義理の両親が同居しており、いろいろと難しいのだがそれでも近くに家を借りるから来ないかと言う話があったりしたそうなのだ。しかし娘に心配をかけたくない、負担をかけたくない、周りに迷惑をかけたくないということでできる限り取り繕っていたという事らしかった。
爺さんはその後、流石に一人暮らしは無理だという事になって施設に入る事を考えたようだったが、要支援1程度の等級では優先度は低くく施設入居もままならないし、施設はどこも一杯だと言う事で難しいかったそうだ。結局どうなったかというと、貸していた畑を売り、その金で家を直して、地元の社協に貸しだした。そして爺さんの家は今は畑付きグループホームになっている。
爺さんはそのまんまグループホームの大家兼住人になり、住み続けている。
結果的にはいろいろと上手く言ったと思う。爺さんの家は立派な家だし、田舎だから無駄に広くて余裕を持った作りでほどよく中心部に近く、ほどよく住宅街ではない場所だったと言う立地もよかった。爺さんの畑は家の周りに集中していて、駐車場の確保や、菜園付きに出来ることも大きかったのだと思う。あと時期もよく、爺さんは地元の一貫水路管理組合で世話人をしていたなど、怪我をするまではそれなりに地域で知られた人だったことも関係しているのかな。
爺さんは畑付きグループホームと化した我が家で「畑の先生」などを言われてそれなりに楽しくやっているように思う。
これはキチガイ婆が自滅したって事ではなくて、社会構造的にぽこっと生まれた構造的問題の一つの結果だよ。
一見してそれなりにやっている人でも、ちょっと深いところまで入り込んだ支援…と言うほどのもんじゃない「これ危ないから辞めた方がいいよ」「今だったら卓上IHとかもっと便利なのあるよ」そう一言言うだけで多分回避できたかと。だけどプライバシーの問題とか、爺さんはわりと素直な話の分かる人だったからこんなもんで済んだが、そうじゃなければ余計なお世話だってんで、上手いこと支援が出来ない場合もある。
じゃあどうしろって言われても困るんだが…。ほんと、どうしたらいいんだろうな
「このおばあさんを見捨てたらぼくの夢は叶わなくなる」と思って、住所を聞き、日程を調整して出かけました。屋根に上がるための二連はしごを買い、電車や軽トラックでは運べないので運送屋さんに頼みました。当日は、おばあさんから連絡を受けたメーカーの社員も2人来ましたが、テスターしか持ってきておらず、ぼくが送ったはしごで上がっていました。
メンテナンスがお金がかかるからいやだと考えるのではなく、積極的にメンテナンスすることによって太陽光発電システムをなるべく長く使い、そして経済性も出せるという風潮ができてきてくれればいいなと思っています。
「現状太陽光発電は決してメンテナンスフリーではないと思います。将来的にメンテナンスフリーになってほしいと思いますけれど、そのためには、今はメンテナンスフリーではないということが、将来のメンテナンスフリーにつながるものだと思っています」
この動画に限って言えば、火災の原因が太陽光パネルかどうかはよくわからないようです(ってコメントが下の方についてました)。晴天の中、じゃんじゃん水かけてます。
消防士さん向けの太陽光パネル対策教科書(英語 PDF 全68ページ)。こんだけしっかりした教科書が作られてるのに、感電するから消せないって、ちょっと失礼な感じ。
序文には、メーカや業者と消防が協力して安全性を高める努力をしてる、みたいな話が書いてありました。その辺までしか読んでないので後はわかりませんが(だいぶ失礼な感じ)、消火不可能で燃えっぱなし、とは書いてなさそうです。1ページで終わっちゃうし。
●11月26日
16:15頃 気仙沼市本吉町地内路上 年齢40~60歳位、やせ形、黒色ジャンパー、紺色ジーパン着用の男 10歳の女の子 に「走ると危ないよ。いい女」と声をかけた。
●9月16日
14:00頃 泉区将監1丁目地内路上 50歳位、中肉、黒色オールバック、緑色シャツ 7歳の男の子に 「ごめんね」と声をかけて、肩に手をかけた。 自動車(塗色青色)
泉警察署
●4月19日
6:50~7:20頃 東松島市浜市地内路上 年齢40~50歳位、白髪交じり、眼鏡着用 8歳の男の子に 「トイザらスの場所教えてくれ。」と声をかけた。 白色軽トラック使用
●4月19日
16:30頃 東松島市牛網地内路上 年齢40歳位、黒色トレーナー、ジーパン、黒色野球帽着用、サングラスかけた男 9歳の男の子に 「トイザらスに行く道教えてくれ。」と声をかけた。 白色ワンボックスカー使用
●11月28日
13:15頃 仙台市宮城野区福室1丁目地内路上 年齢20歳位、身長170cm位、中肉、黒色短髪、灰色の服、青色ジーパン、銀縁眼鏡、自転車に乗った男 10歳の女の子に 「警察の者ですけど、話したいことがあるので人目につかないところへ行こう」と声をかけた。 黒色自転車使用
●3月23日
15:08頃 気仙沼市南町1丁目地内 年齢35歳位、やせ型、灰色フード付きジャンパー、黒色ジーパン着用、黒色四角型のメガネを使用した男 11歳男の子に 「死刑好きなのか。死刑にしてやる。」と声をかけた
●9月8日
15:50頃 宮城野区福室2丁目地内路上 70歳位、170㎝位、小太り、青色上着、黒色ズボン 7歳の男の子に 「虫いっぱいいるところ知ってるから一緒に行こう」と声をかけた。
●7月3日
16:30頃 石巻市貞山地内路上 20歳代後半、身長不明、がっちり型、角刈、ピンク色ワイシャツ、黒色スラックス 17歳の女の子に 体を触り「もう一度触らせて」と声をかけた。 ピンク色自転車
バイクで寿司を宅配するバイトを二年弱やっていた。時間の経つのが早くて接客も面白く、稼ぎがいいから長く続けたけれど、苦痛に感じることも少なからずあった。一つは、自分の運転するバイクのエンジンが発する騒音がひどく耳障りだったこと。一つは、厨房で店長のiPodから流れる音楽がひどく耳障りだったこと。これらに比べれば寒風に曝された指先がかじかむことや豪雨で雨合羽の中にまで浸水することなんかは些細で、というより、音を掻き消してくれる雨や風をむしろ好んでいた。
年に一度の長い旅行は、いずれも音から遁れることが第一の目的だった。一昨年の夏、東京から自転車で太平洋沿いに西へ向かい、福岡から南下して鹿児島、さらに沖縄本島へ。最南端の喜屋武岬にたどり着いたとき、軽トラックの屋台がラジカセから大音量の音楽を発しているのをみて死にたくなり、そのあと安宿で一週間ほど寝込んだ。夏休みが明けて大学に戻ると、授業中の教室内は喋り声に充ちていて哀しかった。試しに投書などしてみたけれど改善されないので出席するのを止め、語学の単位を落とした。通学で利用するJRの車内放送に耐えられず、大学近くに安い部屋を借り、一人暮らしの静けさの中で心穏やかに過ごした。
昨年の夏、東京から自転車で日本海沿いに北へ向かい、新潟、青森、札幌を経由して、最北端へ向かった。宗谷岬にたどり着いたとき、記念碑に据えられたスピーカーから演歌がエンドレスで流れていたけれど、その事実を予め知っていたためにさほど落込むことはなく、そのかわりに感動も何もなかった。砂浜に張ったテントの周りで夜半過ぎまで打上げ花火をしている若人たちに何かを訴える気力もなく、逃げるように走り続けていたら北海道を一周してしまい、ぐったりして東京に帰った。夏休みが明けて大学に戻ると、講義中の教室内は変わらず喋り声に充ちていて、試しに投書などしてみたけれど教授曰く「君達は子供じゃないのだから子供にするような注意はしない」とのことで、つまり何も変わらなかったので出席を止め、単位を落とした。大学に通うことが阿呆らしくなって通信教育に切り替えた。
今年の夏、生活と自転車に書いた通り、北極圏を走ってきて、完全な無音の空間に初めて出会った。自分の周囲三キロ以内に自動車が近付いてくると、あ、人が来た、と判るくらいの静けさだった。クロクマの親子に会いたくないけれど会ってしまったとき、彼らは物音一つ立てなかった。走っているとき、または自転車を押して歩いているとき、ふと自分の足音さえ耳障りに思い、足を止めた。足音が止むことによって今まで自分が歩いていたことを知り、砂利を一歩一歩踏みしめて歩く音を聴くことで、再び歩き始めたことを知覚した、と思った。日本でiPodで音楽を聴きながら歩いているときには自分の足音を聴くことはない。音楽なんか要らないと思った。
北緯七十一度の小さな空港で久方ぶりに聴いた音楽はスティービー・ワンダー『太陽のあたる場所』だった。ちょうど十年前に初めて触れた洋楽が彼の歌だったことから、ひどく懐かしい思いに浸り、音楽はあってもいいと思い直した。飛行機を三つ乗り継いで日本に帰ると、危惧していたほどの喧騒はなく、今年こそは旅行後の鬱と無縁で過ごせる、と期待していたんだけどな。
帰国後に始めたバイトの店内で流れる有線放送に耐えられなかった。……音から逃げるに触発されて書き始めたのだけど、続きは後日。
Stevie Wonder "A Place in the Sun" http://jp.youtube.com/watch?v=ExGvrl3t3rc&v3
■<さおだけ屋>恐喝まがい高額売りつけ…販売員を逮捕 ?? Yahoo!ニュース
http://megalodon.jp/?url=http://joob.jp/search/jpp-1432&date=20070907154801
==以下引用==
(略)
【物干し竿の移動販売員】
軽トラックを使った、まったく新しいタイプの物干し竿の移動販売員募集中です。
本当に稼げるお仕事ですので、将来に希望や夢を持っている方は、是非1度お問い合わせください。
移動販売員を経験後に幹部候補に立候補することも、もちろん可能です。
(略)
給与:月給 250000??1000000 円、
(略)
弊社は平成15年2月8日に設立したまだ新しい会社です。しかし、設立2年で年商1億8000万円となり従業員・委託販売員含め、現在42人を越える事業を展開しております。
弊社の代表取締役は若干25歳で会社を設立し現在27歳となる。若い世代を中心とした組織の為、年齢に関わらず実力主義の組織である。又、誰もが新規事業を発案して実行していく社内ベンチャー制度などもおこなっています。
弊社の最大の特徴は最高の営業会社を求めている為、実力主義・結果主義を貫いていることだと思います!
基本のマニュアルはありますが、結果次第で営業方法も自由・時間も自由・上司に対する発言も自由を徹底しております!
やる気と実績しだいで短期間でも各部署統括・各課統括役員にも昇格が可能である。又、新規営業所や新規事業もあなた自身が立ち上げる事も可能である!
あなたのこれまでの職務経歴とやる気を考慮し、営業部、営業部統括など様々な仕事をどんどん任せたいと考えています!
==引用ここまで==
この求人ってむかつくな??。
語尾の統一性のなさも含めて、DQN具合がぷんぷんする。
http://megalodon.jp/?url=http://www.vg7.co.jp/kaisya.htm&date=20070907182040
【本社】 〒245??0018
フリーダイヤル:0120??296??045
TEL:045??800??3273
FAX:045??800??3373
【関西支店】 〒658??0041
TEL/FAX:078??842??5201
【中部支店】 〒452??0838
TEL/FAX:052??504??5004
そういえば、農道を車ではしっている時にシカが目の前に飛び出した事があったな。
あれは立派な角だったな。
かろやかに飛び跳ねながら、山のほうに逃げていった。
知り合いの友達が、道路でシカに遭遇したときに、シカを軽トラックでわざとはねて持ち帰り鹿肉を食べたと言ってた。
うまかったそうだ。