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7月12日から10月5日まで、東京、上野恩賜公園の国立科学博物館で開催されている「太古の哺乳類展」に行ってきました。
去年の夏はダイオウイカをやってたんでしたっけ。この時期の特別展示は、いわゆる夏休みファミリー向けで、科博としても特に力を入れている展示が開催されます。大恐竜展とかね。
これの前の回の特別展示が「医は仁術展」という日本医学史の歩みを見てみましょうという地味なものだっただけに、「太古の哺乳類展」には期待していました。
(上野の科博は、生物関係、宇宙関係という二大ネタ以外に、ちょくちょく地味系のネタ、それも科学と言うよりは歴史系のネタを入れてきます。オハコなのが「インカ展」です)
で、休日は混んでるので嫌なので、今日、休みを取って(子供たちが夏休みに入ると混雑するので時期的にはこのあたりがベストだったのです)、行ってきました。それでも、いつ行ってもそれなりに混んでいますね。最近は中国人のツアー客が旅程に入れているらしくて、そういう感じの人たちもけっこう見かけます。
ちなみに、お隣の、松方コレクションで有名な国立西洋美術館では、指輪(宝石)展を今やってますよ。こちらも面白そうなんで次の休みにでも行ってみます。
で、「太古の哺乳類展」なのですが。
正直がっかり、というか、看板に偽りありですね。展示物がほぼすべて、日本産出の化石に限られます(比較参照用としてアフリカゾウの骨格標本も展示してありますから「ほぼ」をつけました)。つまり、正確に言うならば、「太古の日本の哺乳類展」ですね。ですから、新世代第四期の巨大哺乳類たち、メガテリウムとかスミロドンとか、それより前の時期のサーベルタイガーとかを期待している方は真っ向から裏切られることになります。
展示の二大柱は束柱類とゾウ、これだけですね。
だって日本ってプレートがぶつかる大陸の端にあって、環境が激変しやすくて、しかも火山の多い国土で土が酸性なんでもともと化石が残りにくいんですよね。
それでもね、国立科学博物館の恐竜化石のコレクションは世界でも随一です(これをしのぐのは、アメリカと中国の博物館ぐらいです)。バブルの頃、カネにものを言わせて買い集めたんでしょうね。あと、現生哺乳類(近代以後絶滅した種を含めて)の剥製標本はなんたってヨシモトコレクションがありますから、これは世界一といってもいい充実度です。
その科博にとっての弱点が、先史時代の絶滅哺乳類の化石標本なのですが、今回の展示は果敢にここに挑むのか、と期待されるものでした。
ところがね。
メインは、束柱類とゾウだけですからね。はっきり言ってしょぼい。
束柱類って聞いたことが無いでしょう?もう絶滅してますからね。完全な化石は日本だけで発見されているという、おそろしく生息範囲が狭い種です。見た目は、なんだろう、コモドオオトカゲをカバ寄りにしたみたいな、あんまり冴えない感じ、ただ大きさだけはカバくらいはあるのですかね。なんかね、見た感じが足が垂直に下りていないというか、横から突き出している感じがするというか、爬虫類っぽい感じですね。海生哺乳類だったらしいんですが、音声ガイドが言うように、数少ない、日本がリードできる哺乳類の化石で、逆に言えばこれ以外には大したものがないんですね。
歯が一本一本それぞれ、それぞれの歯の中に小さな山状になった歯が束になっている、これが束柱類の命名の由来なんですが、この変わった歯のために、いまだに何を食べていたかも分からない、草食なのか肉食なのかも分からないという生き物です。
地味です。ひたすら地味です。
それに比べればゾウは大きいだけ、まあ迫力はありますね。先史時代の日本はゾウの王国だったのです。
大きいと言ってもね、新生代第四期の哺乳類はビルくらいの高さにまで巨大化してますから、そういうのと比較すればゾウのくせにちっちゃいんですね。悲しいかな、なにしろ、「日本の絶滅哺乳類」ですから、日本は島国ですから島嶼化の影響を受けて、大型哺乳類は小型化するんです。一番でかいのが現生種のアフリカゾウの骨格標本だっていうくらいで。
「うわー、なんだこれ、でっけー!」
という素朴な驚きはあんまり期待できません。アケボノゾウとかせいぜい軽トラックくらいの大きさですからね。鈴木工務店さんが配管工事に来ましたよーっていう時に乗ってくる軽トラくらいの大きさです。
今回の展示目玉が、ナウマンゾウの親子の骨格標本ですね。これが一番いけない。最悪です。
ゾウは基本的に母系社会ですから、一夫一婦制ではなくて、パパ、ママ、子供が揃うなんてことはあり得ないんですよ。それくらいのことはもちろん分かってるでしょうが、ファミリー向けに目玉展示が欲しいっていう欲求に科学が負けちゃったんですね。もちろん生態のことは完全に正確なことは分からないんですが、アフリカゾウやインドゾウなどの現生種と比べても、ナウマンゾウは雌雄差が大きい。これは一夫多妻型の種の特徴ですからね、パパ・ママ・子供が揃ってのファミリーがナウマンゾウでは見られなかったのはほぼ確実です。
で、骨格標本がですね、一頭から再現されているのがママだけで、パパなんて産出された場所も年代も違うばらばらの骨格をひとつに組み合わせたフランケンシュタインです。子供なんて頭だけがナウマンゾウで、体はアフリカゾウの骨格を縮小してつなげている。
これ言わなきゃいいんですけどね、そこは科学として最低限度のモラルとして言わないわけにはいかない。それでいて、音声では「パパー、ママー、なんだい坊や」なんてやっている。よく考えりゃ相当グロテスクですね。
そういうわけで、「太古の哺乳類展」は単体の展示としてはあんまりおすすめできないかも、です。でも、科博に行ったことがない人なら、地球館や日本館の常設展示は、さすがの充実度なんで、この際、行ってみるのもいいかも知れません。ハチ公もいるしね。
女友達とお酒飲んでじゃれあってるうちにちょっと本気モードになってきて体をまさぐりあったりなめあったあげくアレを入れることがあったんだけど、結局1分ほどして途中だけどやっぱやめようってことになって最後は手や口でお互い満足させて終わった。以前にも同じことが一度あった。これってまだ体の関係ではないと思うのだがどうだろうか?
まず定義の一端である既遂について考えてみる。既遂というのは両者がいくことで成立する。男が逝くだけで既遂というのはおかしい、これは男性側の身勝手な見解だ。女は男の道具ではない。女性の人格を認め、女性自身の主体的なアンガージュマンがなされない限り両者の共同行為とはいえない。というわけで女も逝かないなら既遂とは言えない。もし、いかないとしてもお互い十分楽しめないと既遂とは言えない。以上、既遂の定義終わり。
では別なケースとしてなにかを入れただけの場合を考える。入れるといっても指だって道具だってある。たとえば本気モードでキュウリ入れたとしても既遂とは言えないだろう。指だってそうだ。たとえ女性が逝ったとしても、当然ながら指もキュウリも正規ではないので男性は介助したに過ぎない。よって既遂とは言えない。
以上の考察を整理していくうちに私は新たな事実に気づいた。アレを入れるとき私はゴムを装着する。女性を刺激するのはゴムであり私の肉体ではない。私の肉体はゴムをふくらませゴムの内圧を支持する介助を行っているに過ぎない。つまり女性と接しているのはゴムであり、私が接しているのではない。つまり間接的に関わっているに過ぎないのである。ゴムを外さない場合はたとえ達した場合でも不貞行為とは呼べない。
次に、私の場合ではあり得ないのだが、生の場合を考える。この場合、直に接触はしている。しかし、ここにもいくつかの疑問点が存在している。結論から言うと不貞行為とは呼べない。または大幅に責任を減殺されるべきである。
この考察に異議を唱える人もいるかもしれない、「動作が問題だ。そうはいっても動いているのはおまえではないか」、と。確かに私は膝を支えにして前後に動かす、これは認めよう。しかし、考えてみてほしい。私が体を動かせるのは膝や腕で寝具に体重を預けているからである。寝具がなければそのような行動はとれないし、そもそも寝具の下に床がなければいけない。さらに言うと地面がない限りそのような行動を起こすことはない。つまり悪いのは地球である。作用・反作用を考えると地球は不貞行為の共同正犯である。
さらに異議を唱える人もいるかもしれない。「おまえは相手を上にのせているときもあるじゃないか」、と。この異議には同様に反論できる。違う、その行動は重力なしには完遂しえない、と。つまりまたしても地球は不貞行為の共同正犯であると言えることになる。
繰り返す、悪いのは地球である。人類が新生代第四紀の更新世に誕生して以来、地球は人類の不貞行為に手を貸してきた。さらに原始地球は多種多様の高分子を生みだし、生命を生みだし、十億年以上前に問題の原点となる有性生殖を生み出してしまった。そう、「原罪」とは地球の歴史である。