はてなキーワード: 本屋とは
これは仕事で疲れ切っていた若くて馬鹿な私が、云年越しの真実に打ちのめされる話かもしれない。
どこか嘘かもしれないし全部本当かもしれない。ただただやりきれない気持ちだけで書く。
この日記を一行でまとめると下記の通りだ。
業務時間外に書いた云十万字の小説の権利が、一切自身になかったことを知った話、である。
* * *
学校卒業後に就職したのは小さな小さな編集プロダクションだった。執筆も編集者がやるタイプの編プロだった。
ニッチな界隈の本を細々と出していた会社で、今はもう存在しない。
好みの分野を扱うことが多かったので仕事自体は楽しく、担当していた界隈がにわかに盛り上がったときは激務に次ぐ激務だったがかなりのやりがいを感じていた。
編集者のいいところは、自分の関わった商品が本屋という身近な場所に陳列されて、しかも奥付に自分の名前が載ることだと思う。
「私はこれを作ったんだ」という実感は激務を忘れさせるほどの麻薬だった。
+
会社にはいろんなタイプのオタクがいて、コミケにサークル参加するような同人作家も在籍していた。
スタッフが創作者であることは仕事に生かされ、それが会社の強みにもなっていた。
私もそんな創作者のひとりだった。小学生のころから二次創作小説を書いていたような、生粋の創作する側のオタクだ。もちろんコミケにサークル参加したことがある。会社でも小説を書くことは隠していなかった。
前述したとおりいろんなオタクが集まっているのはこの会社の強みであり、取引先からも面白がられていたので、何かとそれは話題にあがった。「あなたは何のオタクなの?」という感じの雑談から、私が小説を書くオタクであることは取引先にも知られていた。
+
ある日、上司に呼ばれて席まで行くと、「小説を書いてみないか」と言われた。
とある人の半生が面白いので、脚色を加えて小説にする企画があるのだが、書き手(ライター)が見つからない。
そういえば御社に小説を書く人がいたよね? ――と、取引先からお声がかかったらしい。
素人の思い出話を物語として成立させるには、筆力のほかに構成力も必要になってくる。
小説が書けて、編集者の視点も持っている人にお願いしたい、というのが私が選ばれた大まかな理由だ。
「人生何が起きるかわかんねぇな」と思いつつ、正直先方の正気を疑ったが、特に断る理由もないので「自分でよければ」と答えた。
そして、企画が動き出した。
+
当時私は中堅の社員で、後輩の教育も任されており、わりと大きな継続企画も抱えていたので、まあそこそこ忙しかった。
そこそこ忙しくはあったが、後輩に任せられることは任せ、溜まりに溜まっていた有休を無理くり使い、執筆作業に当てた。
徹夜もよくしたし、午前中にネカフェで執筆して午後から出社、終電後まで働くみたいなことも多かった。
執筆はすべて業務時間外にしていた。これは単に会社にいると仕事が降って来るので落ち着いて書けないし、原稿料をもらうからには切り分けねばと思ったからだ。
会社を空けることが多くなり、雑用や確認作業が頼みにくいと上司からはよく嫌味を言われた。
+
通常の仕事に加え、睡眠時間を削りながらの執筆、「自分で書くのだから」と資料作成・装画周りにも関わり、とんでもなく忙しくはあったがやりがいも楽しさも感じていた。
初稿が上がり、大勢の人の目が入り、製作も大詰めというときだった。
上司が、軽い調子でこう言ったのだ。「著名は原案者だけにするかも」と。
反射で「私の名前が載らないってことですか?」と尋ねると、「そういう案も出ている」と言われた。
忙しくて頭の回っていなかった私は、ただただ「そんな話が出ているのか」とショックで、会話はそれで終わりになったと記憶している。
(デスクに座ったまま、ぽろっと言われたくらいのノリだったように思う)
その日の夜になってようやくだった、「いや、私の名前が載らないのはおかしくないか?」と怒りが湧いてきたのは。
+
前述したとおりこの本は、とある人物の半生を脚色して小説化するというものだ。
当然、この「脚色」は私の創作である。些細な話題を膨らませてドラマチックにしたり、つなぎになるエピソードを創作して物語を盛り上げた。
たとえば登場人物の紹介をするのに、設定にある特徴から勝手にエピソードを作ったりした。
こうした追加エピソードについては、原案者からも「まるで本人を知っているかのような描写で驚いた」とお褒めの言葉をいただいている。設定から妄想を広げるのは二次創作同人屋の得意分野だ。
そう、この小説は相当私の「創作」が含まれているのだ。それなのに何故、ゴーストライターにされてしまうのか。
+
怒りのまま、とはいえギリギリビジネス文章に落とし込んだ形で、私は上司と出版社の担当者にメールを書いた。
個人のアドレスから送ってやろうかと思ったがそれはやめた。不審なメールとしてはじかれたら元も子もないからである。
要は「私の名を出さないのなら、創作部分をすべてカットする」という内容だ。原案者が著者なら創作部分は生まれなかったはずだから、という理論だ。
私のガチギレぶりにめんどくささを感じたのだろう。私のペンネームは原案者と併記されることになった。
ガチギレメールについて上司から小言をくらったが知ったことではない。私のやることなすこと気に食わない上司の文句などすでに聞き飽きていた。
今思えば原案/著で記載されるべきだったのだろうが、この後の出来事を考えるとこの時からすでに事は動いていたのかもしれない。
+
発売後、今度は社長に呼び出された。社長と総務の前へ、何事だろうと寝不足の頭で棒立ちになっていた。
私個人と出版社の契約でなく、会社と出版社で契約を結び、入金された印税の中から褒賞として私に支払う形にする、という通達だった。
当時二十代半ばの私は、この言葉の意味をよく理解しないまま、印税がもらえるならいいかと了承してしまった。
ここがすべての間違いであったのだが、そんなことは当時の私が知る由もない。
その後、若い私にとってはそこそこの額の執筆料をもらったが、当然のことながら重版などかからなかった。
なんやかんやあってその数年後、いろいろ限界を感じた私は逃げるように辞職した。このままでは飼い殺される、という危機感が一番強かった。
同じ家に暮らす家族から「最近顔を見ていないけど元気?」とメールが来るような日々だったのだ。
それなりに「できる社員」として取引先にも認められていたので、おかげで再就職は比較的スムーズに進んだ。
* * *
それから結構な時間が過ぎたころ、なんと前述の本のメディアミックスが決まった。
私がそれを知ったのはネットニュースでだった。
起き抜けのTwitterTL巡回中、見覚えのあるタイトルが目に入って一気に目が覚めた。それは結構な規模のメディアミックスで、有名な人も参加するプロジェクトだった。
スタッフクレジットの「原作」欄には、原案者の名前しか書かれていなかったのだ。
とはいえ、今も同人活動をしている身としてはあまり名が売れてほしくない思いもあり(商業活動をしているわけでもない)、それについてはそこまで怒りも湧かなかった。
何よりかにより私が衝撃を受けたのは、原作欄に掲載された書影から私の名が消されていたことだった。
ぱっと見た瞬間、変だと思った。画像の一部に雑な加工の跡があったからだ。何故加工されているのか、よく見たら名前が消えている。そういう順番での認識だった。
なんだかんだ長く出版界隈に居座っているので、画像加工については見慣れている。本職デザイナーの手にかかれば、あたかも初めから存在していなかったような「画」を作れることも嫌というほど知っていた。
その書影の加工は、どこから見ても素人仕事で、スタンプツール連打したんだろうなって感じのものだった。私でももっとましに作れる。
加工者が誰であれ、私の名は意図的にその画像から消されたという事実に変わりはなかった。
+
少し前に好奇心から知財の本を読んでいた私の頭には、人格権、翻訳権、氏名表示権などなどいろいろな言葉が浮かんでいた。名を消されたことに関する影響も危惧していた。
それと同時に、ずぅっと謎だったけれど、見ないふりをしていた疑問も浮かんでいた。
私の印税ってどうなっているんだろう。
前述したとおりこの本はほとんど広告が行われていなかったため、重版など夢のまた夢だと思っていた。だから、それまで考えないようにしていた。
メディアミックスされるとなると話は別だ。
この時私は打算的にものを考えていて、名前を消した理由を尋ねるところから入り、この本に関する私の権利について確認を取ろうと思っていた。
正しくない書影を掲載したという非が向こうにはあるので、多少強気でかかって話を引き出せると思ったのだ。
微々たる額でも印税がもらえたら御の字だなと考えていたのだ。なんたって印税契約をしていた会社はすでに倒産していた。
担当部署に直で聞くのが手っ取り早いが、権利に関する問題であるし、内々で片付けられても困る。よそを巻き込んで大事にしてやろうと思ったのだ。
結果、私は惨敗することになる。
なんと、当時の担当者がライツ部に異動になっていたのだ。こんな偶然があるのだろうか。
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この本が出たのはもうずいぶん昔の出来事で、だから、当時を知る人がもう社内におらず、だから、私と連絡が取れず、だから、書影から名を消していたのだろうと、そう思っていた。
問い合わせのメールには、連絡が取れないから名前を消したのだろうか、だとしてもこんな雑な方法で消すのはどうなのか。何故名前を消したのか理由を知りたい。権利にかかわる問題をはらんでいる恐れがあるためライツ部に連絡をした。製作時も記名に関してひと悶着あったというのに残念だ。そんなようなことを書いた。
当時を知る人がいない前提の文面だ。
だというのにどうだ。その担当者は私が転職したあとも仕事のやり取りがあり、だから、私の連絡先は知っていた。なんなら携帯番号も知っている。
連絡しようと思えばいつでもできたはずだった。
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返信には、非常に軽い調子でこう書かれていた。
「先方に間違った画像を送ってしまった(入稿前のものだったのかも?)。今正しいものを送ったので即時修正されるはずだ。今後の重版に関しても名前が消されていることはないので安心してほしい」
製作に関わっていた私が、そんな画像が存在しないことくらい知っているだろうに、そう、本当に軽い調子で書いていた。
誤魔化すつもりなのだ。公式サイトに私の名を記載しないが故、書影との差異を出さないように雑に消したのだろう。バレないとでも思っていたのだろう。これだけ対応が早いということは、この人が本件に関する責任者なのだろう。
つまり、あの時私の名を本から消そうとしていた担当者が、私の名を表紙から消したのだ。
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大事にしたかったのにならなかった。この時点でもう打つ手はないなと感じつつ、「当時を知る人がいるとは心強い!」とよいしょしながら、本書の権利について尋ねた。
念のため最初からメールの署名からは電話番号を消していた。電話では余計なことを口走ってしまう可能性があるし、丸め込まれる恐れがあるからだ。諸々のことを文章として残しておきたかったのもある。
この時点ですでに、職務著作という言葉が頭をよぎっていた。簡単に言うと、業務で制作した著作物の著作権は会社に帰属するというものだ。
わざわざ業務時間外に小説を書いていたが、契約を会社に委ねてしまった時点で私は著作権を放棄したことになっているのだろうなとほぼ確信していた。
とはいえ契約先である会社はすでに倒産しているわけだし、そこはどうなっているのだろう。この際だからという気持ちでいろいろ疑問をぶつけてみた。
会社在籍中は印税の一部は会社から支払われることになっていると聞いたが、という話も伝えていた。
(誤魔化そうとしているのは明白だったので、雑な加工については「画像の送付間違い」ということで流した。一応修正前の魚拓は保存している)
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結果、分かったことは以下のとおり。
・著作権は原案者のみが所持、会社とは業務委託の契約しか結んでいない。
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はあ、つまりだ。
職務著作どころでなく、はじめっから私の権利は知らんところで放棄されていたのである。
ずいぶん話が戻るが原案/著表記にしなかったのは、こうすると私が著作者として確立してしまうからだったのでは?みたいな気持ちもある。
こんなめんどくさい人間を絡めるといろいろやりにくいと思われたのだろう。事実暴れてしまった前例もある。
そしてこの本がいくら売れようと、印税が入るのは案件ノータッチの元社長の懐だ。
結局、知識のある人間が得をするのだ。悪いのは無知な私だ。目の前の仕事で目を回していて、いったん持ち帰るということができなかった、仕事に疲れ切っていた若くて馬鹿な私なのだ。
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いろいろ教えてくれたことに感謝はしつつ、とはいえ雑に私の名を消した恨みは募っていたので、最後っ屁のつもりでやり取りの最後はこう締めた。
「本来の書影に書かれている名が意図的に消されていると、『この消された人物は何者なのか』と無為な詮索にさらされる危険性がある。それが一番の懸念だった。もう二度とこのようなことが起こらないよう留意してほしい」
シンプルに名前が消された怒りもあるが、この危惧もあった。メディアミックスに際して名を消された著者。もし、私がこのペンネームで商業活動をしていたとしたらどう思われるだろうか。
消されるだけのことをしでかしたのではないかと思われる危険性は高い。これは信用問題になってくる。
それに、今のネットの「面白そうなおもちゃ」に対する残虐性は認識しているつもりだ。自分が掘り出した“真実”を喧伝し、当事者を炎上させる。何かあったら嫌だ、と身構えるのは致し方ないと思われたい。
とはいえ、これを読んでいるような人なら理解してくれるだろうが、出版社のこの手の人間には理解されないだろう。
それでも、もう二度とこんな雑に人の存在を消さないでほしい、という訴えは届いてほしかった。
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この件に関して、私は別に詐欺にあったわけでも、法を犯されたわけでもない。ただただ無知で、己の権利に鈍感だっただけだ。
手痛い授業料だと思っている。このエントリーは半ば逆恨みだし、書いてすっきりして忘れたかったのかもしれない。炎上させたいわけではない。
自分の無知で痛い目にあった私ができるのは、二度と同じ過ちを犯さぬよう、そして後進たちが同じ轍を踏まぬよう努めることだけだ。
提案は一度持ち帰って調べろ、即決するな。とくに寝不足のときは危険だ。
教訓として、とりあえずこの一連についてはいたるところで語っていきたい。
なんせ、私と出版社は(ついでに元社長も)、なんの契約も交わしていないのだから。
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ほんの少しだけよかった話をする。なんと印税をもらえたのだ。
印税契約を譲渡した元社長の現会社から連絡があり、お小遣い程度の収入を得た。夢にまで見た不労所得である。
連絡をくれたのが元総務の人だったので(元の会社の上層部がそのまま現会社に移っていた)少し話をしたのだが、出版社の担当者の話題は一切出てこなかった。私とその人がやり取りしたことは知らないようだった。出版社から入金があったので粛々と対応した、という感じだった。
献本は送られてこなかったので自分で買った。初版と第二版の年月日を見比べると渇いた笑いが漏れた。ずいぶん長い時間がかかったものだ。
メディアミックスについてはとくに興味も湧かず、とはいえ周囲から話題を聞くこともないので、爆死も盛況もしていないのだろう。
読みたい本が近隣の本屋になくって、近所の図書館の蔵書検索してみたら置いてあるみたいだった。
久しぶりに行ってみようかな、予約できるかなって利用者のページにログインしたら「貸出禁止中です」ってお知らせが届いていた。
何らかのペナルティだろうか。
もう何年も行っていない図書館で、最後に借りたのが何だったかも覚えてない。何か返し忘れてる?でもそうだったら催促の電話とかハガキとか来ない?とか色々考えつつ、よくある質問見てみたりしたけど解決しない。
この辺りで気持ちが萎えてしまって問い合わせするのも面倒になってしまった。
何年も行かずに不便してなかったんだから、きっとこの先もそうだろう。もういいや。
たまに女性向けはゾーニングできてる、男性向けはできてない、みたいな論争起こるたびに商業BLが槍玉に上がるけど、私は商業BLはゾーニングされてのれんの向こうに行くべきだと思う。
商業BLはまじで普通に本屋で中高生でも買えるのにバッチリ性行為してるから正直出版社側がなんとかしてほしい。
のれんの向こうだと痴漢がいるかも、という主張も見たけど、であれば性行為してるBL置いてても仕方ないか……とはならなくないか?
ちょっとセクシーというレベルではなく、ガッツリ挿入までしてるのになんで成人指定されてないのかがわからない。
詳しい人に聞いてみたいとずっと思ってる。
実際私も中学生のときに制服で買えたし。純愛ものだと思ったらガッツリエロいことしててびっくりしたし、そのときは性に対してほぼ無知だったからすごい気分が悪くなったのを覚えてる。
今思えばだいぶ異常だよね。さすがに成人指定してほしいわ。
なんかよぉ……
最近思うんだけどさ、みんな何か一つに寄りかかろうとしすぎじゃない?
Twitterだかxだかについて皆が話してるのを眺めてて思う……
1人に、1か所に全てを求めようとしすぎ。
例えるなら、田舎のバカでかいショッピングモールみたいな感じ。
昔は違ったじゃん。野菜は八百屋で、魚は魚屋で、本は本屋で買ったじゃん。
絵はpixivに(その前は個人サイトに)、動画はYouTubeやニコニコに、好きな人の日記はブログに、知りたいことは検索エンジンに、それぞれを見たい時に見たい場所へそれぞれアクセスしに行ったじゃん。
それが一箇所で手に入るのがTwitterで、それをすごい!画期的!って楽しんでる期間がしばらくあったけれど、そろそろそれが当たり前になってきて、品揃え悪いなとか、私は今甘い物食べたくないのに勧めてきて不愉快、みたいなことが増えてきてる。甘い物が見たくない気分ならモールを出て漬物屋にでも行けばいいんだけど、そのへんのコントロールがどんどん下手くそになってないか?日曜日に買い物するならモールでしょみたいな。何にも深く考える段階がない。Twitterがカスになったと感じるのは、もちろん事実そうなのだと思うが、こっちのコントロール機能がカスになってきているというのもあると思う。
そりゃショッピングモールは便利だし、楽だからその価値はすごいものではあるんだけど、それならその便利や時短を享受しようという心構えでいるべきなんだよな。〇〇屋に行くって行為って、それなりに何か求めて身構えて行くってことだし。そういう身構えがないと、何かと不愉快は増えるものだ。覚悟していれば受け止められるものも急だと受け止めにくくなる。見る物のコントロールは、ほとんど精神のコントロールに直結しているので、その辺が上手な人は自分の機嫌をよく保つのも上手い気がする。
人もおんなじ。生み出す作品が良い人も、人格が信頼できる人も、容姿が良い人も、楽しい気持ちの日に会いたい人も、悲しいときに慰めてほしい人も、全部別のカテゴリで、自分の気持ちで付き合い方を変えて良いのに、それら全てを兼ね備えた人を求めてるみたいなところあるよね。そうじゃないなら殴ってもよし、みたいな。
これってAだと思う、という人に、いやこいつにはBって視点が欠けてるぜ、いやお前はCってことを分かってない、みたいな喧嘩が今日も起きている。それって、別に喧嘩するようなことじゃないじゃん。それぞれの意見が集まることはいいことであって、それを聞いて自分の中でABCの配分を調整して自分の意見をクリエイトすればいいだけなのに、発言するなら最初からABC全部セットにしてお出ししないと許さねぇ、っていうのはやっぱり求めすぎなのではないか。.
その上で、今そのショッピングモールが潰れそうになってるわけでしょ。もうそのショッピングモールが儲ける影で街の本屋や魚屋は潰れてて、行くところはぐんと減っちゃっている。依存してた場所がなくなるからみんな右往左往してる。
企業はいつだって全てのシェアを掌握したがる。みんなもそれが楽だから最大手に乗りたがる。でもそれが進み切って最大手が死んだ時には、焼け野原と、右往左往する人間しか残らない。全てが完全な優れた推しに全てを委ねて貢いだのに、それが沈んだら何にも残らない。そのために切り捨てた友や時間やチャンスの死骸が転がるばかり。
今からでも、意識的にいろんなものに寄りかかりたいな、と最近思う。Twitterってザッピングしてるようでいて結局Twitterというものに依存してるからあんまり意味ない。Twitterを見たい気分の時に能動的に、積極的にTwitterを見て、そうじゃない時には別のSNS見て、探したいものは自分で検索して、本読んで、新聞読んで、テレビ見て、近所の友達と喋って、遠方の友人とも喋って、職場の人と話して、そして何も見たくない時は何も見ないでいたい。惰性で暇を持て余すのでなく、積極的に暇人になりたい。そういうふうにやっていきてぇな。意識的に…能動的に…
・マイクロソフトオフィス/ウィルスバスター/エッジ以外のソフトは使用禁止
この条件でマクロ作らんとならん。
こういう時になんか効率的な順序ある?
子供の頃BASIC言語でちょっと遊んだから原理そのものは漠然と分かる。
他人が作ったマクロ開いてコピペで機能追加したり二重で処理してる所見つけて早くしたりぐらいは出来る。
流石はてなーだ。
はてなーも質が落ちたと言うが、こういう分野ならまだまだいい感じやね。
②必要な作業を整理して、それだけを出来るようにメモを作り印刷する。
③記録ボタンを押して、印刷したメモを見ながら作業をし、記録完了する。
⑥ググって一通り解説を見て、求めている解説のタイプを把握する。
⑦本屋やKindleで求めているタイプの解説が載っている本を買う。
⑪持ち込んだ紙を見ながら職場のマクロを改修する(この辺雑誌見ながらBASICのゲーム作るアレじゃねえか。令和に何やろうとしてんだろ俺)。
⑫改修版のマクロを動かしてみる。
⑬不満点やバグを洗い出して家に帰ってまた調べる。
⑭満足するまで⑫と⑬をループ。
って感じかあ。
うんこれで良さそうね。
あとは中古のPC買うかWEBのOfficeで代用できるか最新の365でもある程度再現出来るのか調べてみて家でPTSDサイクル作れるようにしたらモアベターかね。
職場(ネット環境なし)でトライ&エラーはしたいから逆引き辞典みたいのはやっぱ欲しい気はするが。
でもウチの職場でVBA本読むのも自分のスマホで調べ物するのも周囲からの白い目はあんま変わらなそうな気がするんよね……。
職場辞めろについてはマジでその通りなんだけど、今の「Excelでマクロを作るだって?そんなの出来るわけねえぜ!俺たち方眼紙魔術師がマクロに手を出したら神罰が下るぞ?」なしょっぼーい環境に慣れちゃってるから他所で上手くやれる自信がないのよね。
じゃあこの会社潰れたらどうすんのって話ではあるんだけどねえ。
どうするんだろうね。
こんな使えないオッチャンになっちゃってねえ。
アハハ(ちいかわっぽい感じで
ジャンプ+で隔週金曜日に連載されている『スケルトンダブル』が今とても面白いということをこっそりとお伝えしたい。
ちょうど今日第3巻が発売しててしかもちょうどその終盤あたりからの展開がめちゃめちゃアツくてさらにその続きは現在無料公開されているというのに、世間の多くの人はどうやらスケルトンダブルの面白さにまだ気づいていないらしい。
今日、本屋に行ったが3巻を見つけるのにすごく苦労した。地元で一番デカい本屋だというのに新刊コーナーに平積みで置いてなくてジャンプコミックスの棚に2冊くらい突っ込まれてるのをやっと発見した。きっと夜に行ったから在庫が少なくなってたんだろうね。いやもっと入荷してくれ。
前述したように第3巻の終盤あたりからの展開が非常に盛り上がっており(19〜21話あたり)、読者からの評判が非常に良い。
3巻の帯に「Twitterトレンド入り!」と書かれているがトレンドに載ったのは第21話が更新された金曜日の深夜のことだ。
ということでちょうど今こそが激アツな展開を一気読みできる最高のタイミングなのである。
そして最新話の展開はちょうど物語の序盤の山が片付いて次の展開に移るあたりなので、一気読みするにはキリがいい。
逆に言えば、今みんなが読んでくれないと打ち切りの可能性がだんだんと出てくる。怖い。
隔週連載なので更新頻度が低いが、それでも一定の読者がついてきているのはその漫画のうまさへの信頼だと思う。
この作品は透明人間(スケルトン)化した人間が特殊能力を使って戦ういわゆる「異能バトルもの」なのだが、登場人物の思考やかけ引きの描写が非常にうまい。
それともう一つ光るのはキャラクターの奥行きがあるところ。
異能バトルものらしくクセのある登場人物が結構出てくるのだが、ただのインパクト重視のクセではなく、ちゃんとその人物なりの行動原理があるように見える。
セリフの裏の意図だったり少し挟んだコマでの心情描写などが丁寧で、考察しがいがある。
なかでも主人公のパーソナリティーについては特筆すべきものがあって、盛り上がっている19話あたりからの展開がまさにその主人公の行動原理に迫ったものだ。
このあたりの話数からコメント欄やネットでの評価がかなり良くなったと感じる。
一言で言ってしまえば、この展開で読者がみんな主人公を気に入ってしまったんだと思う。
あえて例を出すなら『ワールドトリガー』で読者が三雲修の「やばさ」に気づき始めたあたりの感じ。
身内が癌にかかり今後の治療や生活についていろいろと情報を集める必要があり、まずは本屋だろうということで本屋の「健康」とか「癌」の棚に向った。
普段読まないジャンルだから初めて見たけど、健康とか癌関係の棚があれほどまで完全に魔窟だったとは。
癌が消えた!とか癌の真実!みたいなあからさまに怪しい本がぎっしり詰め込まれていて、一応端から端までタイトルを読んでみたけどまともそうな本はゼロ。
なんかこれって著者出版社はもちろんだけど、並べてる本屋もかなり害悪というか反社会的だよな。
こういうのも表現の自由なんだろうけどさ。
医薬品の広告とか規制がかなり厳しいのに、書籍はこんなにガバガバでいいもんなのか?
俺は別にマイタケを食わせて癌を消すとかそういうアクロバットなことをしたいわけじゃなくてもっとこう、癌の基本的な知識とか標準的な治療の手順とか種類とかそういうのが知りたいわけ。
でもマジで一冊もそういう本がない。
だって「癌」の棚だよ!?癌について知りたかったらそりゃ癌の棚にいくでしょ!?
癌について知りたいのに訳わかんねぇおまじないみたいな本しかない。
いや似非医学の本があることくらいわかってたけど、まさか100%とは思わないじゃん。
世の中ってもうちょっとちゃんとしてると思ってたのに…「ぐにゃぁ…」となりながら店内を呆然と歩きまわった。
そしたら資格とかの棚のあたりに看護師向けの教本がまとまってるコーナーがあった。
そのコーナーに「癌看護」関係の教本があり、読んでみると滅茶苦茶分かりやすい。
特に今回俺は身内が癌になってるから、看護する側として知りたいことがしっかりまとまってるのは最適。
あんまり難しい「化学療法の薬の種類がどうこう」みたいな奴は多分今読んでもわからんだろうから、基本的な内容が広く浅くまとまってる奴を買った。
あと意外とよかったのが癌患者からの質問にどう答えたらいいか?みたいな本。
これまんまFAQとして使えて、こっちが聞きたいことに先回りして答えてくれてる。
偶然この棚を見付けられたからよかったけど、マジで危なかった。
とりあえずまとめ
・癌についてなるべく正確っぽい本が欲しかったら看護師の教本の棚に行くと良い。
・「健康・癌」の棚は燃やせ。
横だけど、一部が序章、1~7章、終局と9つにわかれてるのね。序章はまっさきにアニメ化済み(ブルーレイ発売中)。
6章はアニメ映画(円卓)。7章もアニメ映画(バビロニア)。終局はお芝居ステージ。←これ後半二つ逆だっけ?
で、残った部分だけでなく9つ全部を序章から含めて偶数章と奇数章で分けてコミカライズ同時進行させてる。
すごいめずらしいんだけどそうでもないとおいつかない。
で、本編は一部がおわったあと1.5部で外伝みたいな形のが5こくらいあって、
これがそれぞれ別の漫画家が同時進行コミカライズ。アガルタは完結した。CCCコラボセラフと剣豪七番は連載中。
さらに二部はいま7章まですすんだけどあまりメディア化してない。(フェスで6章アヴァロンのみ朗読劇にした)。
さらにさらに、三部にあたるかもしれない「奏章」がはじまって、1章まですすんだとこがFGO本編。
スピンアウトというか個別シーズンイベントので鳴鳳荘など二冊のノベライズ。
全般のスピンアウトコミックとして四コマアンソロ。作家別アンソロ。英霊食紀行。
まあ本屋さんも大変だなあとおもうわけです
==
他に聖杯戦争システムのものはたくさんあって、アポクリファ(東欧を舞台にしたアニメ)、
背脂ラーメンを食いに(手袋を買いにみたいに言うな)神保町に行った。予想通りの味がして感動はなかった。
神保町は新宿から都営新宿線に乗って行った。本とカレーの街らしく、本屋とカレー屋が多かった。正しく行けば駅出口から30秒の立地だったが、正しく行かなかったので15分位かかった。
その後、新宿のニトリに行った。ようやくフライパンの蓋を買えた。道中の高級店が詰まってるでっかい建物は打ちっぱなしみたいな壁を通りに向けていて、たまにキラキラした高そうなバッグのショーウインドウがある。入り口は少なくて小さく、入って一歩のところにコンシェルジュみたいな人が居るのが見えて、一生俺には縁がなさそうな場所だと思った。
ちょうどルイヴィトンのショーウィンドウを過ぎた辺りで、小さい出入り口からレディーガガみたいなでっかい金髪の白人が出てきて、ルイヴィトンはお前の国でも多分買えるだろ、とか思った。
ダイソーに用があったので、せっかくなので東京モード学園の建物?(コクーンタワー)の地下にあるダイソーに行った。コクーンタワーに辿り着いてからアクセスが悪すぎたがなんとか見つけた。東京都庁地下のパスポート交付ができる場所みたいな暗いところにダイソーがあった。5月に見たきり、最寄りのダイソーには無かった商品が取り揃えられて居てよかった。
はじめて一人で百貨店に行った。手土産を買う。良いのが見つかって購入したら、「包む以外に何かしますか?」って聞かれた。意訳なので実際はもっと丁寧だったはず。リボンとかつけてもしゃーないので、いいですと断った。その3秒後に、包まれたお菓子をPS4本体みたいにそのまま渡される心配が生まれたので、「手提げみたいなのも貰えますか?」って聞いた。そしたら「無料でお付けいたしますよ。」って。そーですか。
一瞬、聞いてしまった自分を恥じたけど、こういう分からんことは絶対に聞いたほうがいいから、恥じなくていい。まだ若いし。でも30代中盤になっても、紙袋付くか不安でテンパる自分を想像すると少しきついかも。